十四話 暴君
ミナクシェル王宮裏手の森。
森の中程で、唐突に地面から人が飛び出した。
勇者レイネシアとネルと呼ばれる女性だ。
二人は飛び出した瞬間、驚いた顔をしていた。
つまりは意図して飛び出したわけではないということだ。
「馬鹿な……ネルの陰道で通れないだと……」
「申し訳ありません……」
勇者の驚きに、ネルが謝罪する。
「ネルを攻めたわけではない。この森に何か仕掛けがあるのかもしれん……、影魔法に影響を及ばす何かが……」
勇者が思案にくれるが、致し方ないと進もうとした時である。
何処からともなく霧は現れた。
まるで二人の行く手を阻むように。
「霧か……、随分と大魔力が濃い。走るぞネル、ついてこれるか?」
「ご随意に」
勇者はネルの言葉に頷き、千里眼を発動させる。
遠視、暗視、追跡視、透視の多重発動。
勇者の両目のくらい光が灯る。
「すぐに抜ける、見失うな」
「御意に……」
移動し始めると体に何かが纏わりつくような感触が二人を襲う。
普通の霧ではありえない感覚に眉を顰める。
二人が歩いていると唐突にガチガチと何かがなる音が聞こえる。
なんだ、と勇者が耳を澄ませば、それは、ネルのほうから聞こえてきていた。
「ネル?」
見ればネルは歯の根が合わぬほどに震えていた。
「勇者様……、ダメです、これは、逃げてください、ああ、こないで、こないで。怖い、怖い怖い怖い……」
両の手で己の体を抱きしめ地面へと座りこむネル。
顔面蒼白で、息も浅く早い、過呼吸状態も見受けられる。
「ゆっくりと息を据え、いいか? ゆっくりだ、大丈夫、我がいる何も怖くなどはない……、落ち着いたか?」
ゆっくりとネルを落ち着かせる。
徐々に呼吸を落ち着けるネルをみて勇者は安堵する。
「理由は話せるか?」
「わからないのですか? この醜悪な気配、命を全て欲すんとするがごとく凶悪な意思……」
「……それ程のものか?」
「あり得ません、こんな、こんな気配、嘘だ、嘘だ、なぜこんな所に、居てはいけない、あああ」
涙を目にため、頭を抱えてネルは叫ぶ。
けれども、勇者はピンとこない。
しかし、ふと視界に映る小さな影。
勇者の千里眼、未来予知が発動する。
見えた未来に目をしかめ、ネルを蹴り飛ばす。
瞬間、二人の間に地面から白い何かが生えてきた。
「なにやつ?!」
当たりを見回す、けれども、すでに姿はなく千里眼でもその姿を捉える事はない。
怪しみながらも、生えてきた物体を確認しようと、注視する、けれどもそれは注視するまえに露と消える。
「ぬっ」
なんだ、と思考する。
十三祭祀団の妨害かと邪推する、けれども、それはありえない。
奴らは女、魔法は使えない。
十三祭祀団は対不死族の専門部隊だ。
それぞれが高火力の魔法武器を所持している手練ではあるが、このような事ができるものはないし。
それにこんな特殊な事をできる聖痕に勇者は心当りがない。
とはいえ、魔法でもこのような事は難しい。
大魔力を多分に含む霧に、白色の何か……。
あるとすれば、これは、この現象はどちらかというと、魔物の特殊能力に近い。
千里眼にまたしても小さな影が映り込む。
「ネル、動くなよ」
「……」
ネルからの返答はない。
けれども勇者は己が剣を抜き放った。
感覚に任せて、それを受ける。
ギンッという金属音。
次いで幾重にも、迫り来るそれ。
それを、全て受けきった。
「くぅ、重い……」
本来の利き手ではない、左で剣を振るっているせいか、思うように弾けない。
なおかつ攻撃のあまりの重さに、勇者が思わず後ずさる。
受けた相手の得物を確認する。
それは、五本の長く伸びた爪。
「これは……まさか! ネル、我の影に隠れろ!」
けれども、ネルはまともに動けない。
勇者は急いで、ネルへと向かう。
瞬間、霧が濃度を増し、道を塞がれ、勇者は弾かれ、ネルは霧の中へと消えた。
「ネルゥウウウウウウウ!」
森には勇者の叫びが響くも、それ以外は異様なまでの静けさに包まれている。
そこへ別の声が響いた。
「何よこいつ、腐臭がひどい」
高い、高い、女の声。
「美味しくないわ」
つまらなそうな言葉。
同時に、ぼとりと何かが木の上から落ちてくる。
わずかの間みないだけで、瞳から光を失った己が従者。
首筋に見えるのは、二箇所の吸血痕。
それは、吸血鬼に血を奪われたもの特有の傷痕。
つまり敵は吸血鬼に他ならない。
「おのれ……、我の民を手にかけたな貴様ぁ!」
勇者は激昂し、剣を放つ。
「襲え、ソウラ・クラス!」
すると、剣はその場で回転を始めた。
しかし、いっこうに敵に向かっていかない。
「なぜだ?! なぜ襲わぬ!」
クウラ・ソラスに込められた魔法は追撃。
例え、小さな影でも勇者が敵として認識すれば只管に追いかけ攻撃をしかけるはずである。
けれども、ソウラ・クラスはその場で回転するだけに留まった。
「なぜだ……、くっ、何をした吸血鬼!」
勇者は咆哮が如く声をあげる。
けれども、勇者の問に対する回答はない。
「十字教め、魔物すら飼っていたというのか……」
ギリギリと歯ぎしりする勇者。
「ゆうしゃ……さま……」
その時勇者を呼ぶ声。
「ネル?」
「勇者様……」
「ネル! 無事だったか!」
駆け寄り、抱き上げる。
ネルの瞳は虚ろで、何処を見ているかもわからない。
うわ言のように、勇者を呼んだ。
「勇者さま」
「ああ、影に入れ……、すぐに仇をとってやる」
「勇者様……、……です、……ては……てく……さ」
「言いたい事は後で聞こう、今は休め」
そう言うと勇者はネルを己が影の中へと置く。
するとネルは静かに沈み込んでいく。
ネルは虚ろな瞳で呟いた。
――ダメです、戦っては、逃げてください。
けれども、その言葉は勇者に届かなかった。
ネルを退避させた勇者は静かに辺りを伺った。
けれども見えるものは霧ばかり。
明らかにこの霧は吸血鬼の起こしたものである。
相手とまとも戦うには、この霧をまずどうにかしなければならない。
勇者は大きく息を吸う。
剣を掲げようとしてミイナにやられた右手がまだ再生していない事に気づく。
逡巡し、肩から右腕を切り落とす。
すると直ぐ様、右腕全部が再生した。
再び、大きく息を吸うと勇者は剣を直上に掲げた。
そして、ゆっくりと回転させ始めた。
徐々に徐々に速度をあげていく。
ソウラ・クラスは大剣だ。
その全長は勇者の身長ほどにも匹敵する。
幅広で肉厚な剣。
それをくるくると回転させる。
回転は速度を増し。
速度を増した物体は風を生む。
そして風は上は駆け抜ける。
それはやがて霧をひきつけ始め。
勇者の周りに霧が集まる。
気づけばそれは、小さな竜巻と化していた。
「吹き飛べ!」
霧は巻き上げられ、空たかくへと放られた。
そして勇者の目に映ったのは小さな少女。
病的にまで白い肌、白い髪。
血のように赤い瞳に、赤いドレスを纏っている。
吸血鬼の女王、ルシエンである。
「力ずくで私の霧を飛ばすなんて、なんて脳筋……」
つぶやかれるその言葉、呆れと侮蔑が入り交じる。
勇者は無言でクウラ・ソラスを構える。
「あら、やるの?」
ルシエンはあどけない笑顔で微笑んだ。
すると、両手の爪が伸びる。
それは先ほど、勇者を襲ったものであった。
「魔物ごときが、頭にのるなよ!」
勇者が叫び、斬りかかる。
ルシエンは軽く右手を振るう。
爪が伸び、勇者の剣を絡めとる。
「なにっ」
息つくまもなく、勇者の懐に入るとそのまま蹴り飛ばす。
勇者は木々にぶつかり、何本か木を破壊しながら吹き飛ばされ、やがて大樹にぶつかりやっと動きを止めた。
後を追うように爪が伸び、勇者の四肢を大樹へとうち止めた。
「がっ」
勇者の体は再生しようとするが、けれども鋭利な爪に阻まれそれはできない。
無理やり体を引きちぎろうとするが、其れもできない、力が入らない。
体に違和感、千里眼で確認すると、それは体中に存在する。
目眩と吐き気と発熱が同時に襲い来る。
「なんだ、これは……」
小さな足音がゆっくりと近づいていく。
「力が入らないでしょ? 貴方の体は今熱病に侵されてるようなものよ」
そう言って微笑むルシエン。
「何をした、吸血鬼!」
叫ぶ勇者に、ルシエンは楽しそうに嘲笑う。
「あの霧、おかしいと思わなかった?」
勇者は確かにおかしいと思った。
ゆえに勇者は空にあの霧を巻き上げたのだから。
「あれ、私の体の一部なのよねぇ、ほら、こんなふうに?」
するとルシエンは左手を霧に変えてみせる。
「っ」
勇者は旋律する、吸血鬼がそういうことができる事は知っている。
そして、納得する。
ソウラ・クラスは確かに敵を襲っていたのだ霧の水滴ほどの大きさの小さな敵を。
しかし、己の身を霧に変える事ができる吸血鬼など、一部の上位種だけである。
そもそも現存する吸血鬼はすでに絶滅寸前の不死族だ、その上位ともなると神話や伝承にしか出てこない。
仮に存在するとすれば、それは大規模な儀式によって作られる個体。
「吸血鬼の女王……」
「あら、知ってるんだ?」
眼を丸くするルシエン。
けれども、直ぐ様表情を戻す。
そして無造作に勇者へと近づくと、首すじに噛みついた。
「っ……あ」
一瞬の痛み、その後突き抜けるような快楽。
勇者は一瞬意識が飛びかける。
勇者の反応にルシエンは妖艶に笑う。
「へぇ……、勇者なんて言われてるのに男を知ってるんだぁ?」
勇者の耳元でルシエンは囁く。
「なにを戯けた事を……ん……あっ」
血を吸い、首筋を舐めたりし、勇者をもてあそぶ。
「私の吸血ってさ、男は苦痛しか感じないんだけど、女は違うのよ。処女ならどうって事ないんだけどね、男を知ってる女は……辛いわよ?」
そして再び首筋に牙を埋めた。
「あああ、やめっ、やめっ」
勇者の矯正が響く。
顔をあげるルシエン。
「美味しいのに不味い、なにこれ……もっかい」
「あうんっ」
「さっきは久しぶりだったから思わずガッツイたけど……もう一口」
「ん……、あ……」
「まったりとこくがあるのに、なんだろうこの匂い……止まんないなぁ」
「ふえっ」
「どうにも後味が悪い、けどあと引く味ね……もう一度」
「きゃうん!」
「んー、本当なんだろうこれ、甘い食べ物のに塩を一振りって感じの味……もっと‥…」
「いい加減に、せぬか!」
息も絶え絶えに、叫ぶ勇者。
汗をかき、頬は真っ赤といえるほどに染まっている。
「うるさいなぁ、大声ださないでよ」
ルシエンは迷惑そうに、勇者を見つめる。
「やるなら、ひと思いに殺せ!」
涙目で勇者は叫んだ。
「殺さないわよ、あんた殺したら再生するんでしょ?」
「……っ」
勇者はなぜ知っているのか、と疑問に思うも、情報が少なく判断できない。
「いやぁ、私もしばらく何も食べてなくてね、ご馳走様、悪いけどしばらくご飯になってね」
「巫山戯るな、我を誰だと思っている!」
あまりにも傍若無人な発言に憤る勇者。
「知らないし、興味も無いわ」
けれども、その言葉に勇者は目を丸くする。
そして、熟考。
カプ。
「あんっ、って考え事をしてる最中に吸うでない!」
涙目で勇者は抗議する。
「お腹すいてるって言ってるじゃない、これでも吸いすぎで殺さないように注意してるんだから、再生するっていいわね、ご飯だけあげてればいくらでも私のご飯になるんでしょ?」
ルシエンの家畜宣言に勇者は戦慄し、口をパクパクとさせる。
そして、ルシエンは再び口をつけようとする。
「まて、まて、我を知らぬと言ったな、貴様、十字教の飼い犬ではないのか?」
焦ったようにルシエンを止める勇者。
「失礼ね、私が仕えるのは一応一人だけよ」
「主がいるのか? ならばそやつと話がしたい!」
光明が見えた気がした。
すでに勇者は理解していた。
通常不死族である、吸血鬼を傷つけるには、高位の魔法か、銀製の武器が必要だ。
けれども、霧化できるとなると話は違う。
通常の物理攻撃は全て無効化される。
仮に相性がいい魔法武器といえば、雷か炎だが勇者はそれを所持していない。
他に有効な手段は攻撃魔法による、肉体へのダメージを与え、再生に小魔力を消費させるの常套手段である。
もしくは攻撃時に実体化するであろう爪を壊して小魔力を消費させるしかない。
けれども、吸血鬼の女王たるルシエンの小魔力は人の測れる量ではない。
国を滅ぼしたと謂われる伝承は、決して嘘ではない。
故に、契約しても警戒し、クリスは大量の血を与える事はなかった。
それに、勇者は女だ、暗黒騎士という高みにあろうと、それはかわらず魔法を使えない。
勇者の攻撃手段は全て物理攻撃だ。
故に、この手の相手にはすこぶる相性が悪い。
仮に爪の破壊を繰り返しても、何日の間戦い続けなければならないのか想像もつかなかい。
故に考えた末に勇者がだした結論は交渉だった。
主がいるのならば、いくらか交渉ができる可能性はある。
「いつも血をもらってたのに職務から戻ってこないのよ、だから私はお腹が空いてる、理解した?」
けれども、その言葉に勇者は絶望する。
「……今は戦時下だ、主とやらは死んでいる可能性が」
「無いわね、使い魔の印、消えてないもの、気配は遠すぎて辿れないけどね」
ルシエンの白い肌には見えにくいが、白い色の鎖の文様が刻まれている。
軽く肩をすくめるルシエン。
「貴方には関係のないことよ、おとなしくご飯になってなさい」
ルシエンはにんまりと笑うと、再び勇者の首筋に噛み付いた。
「くっ、ぅぅ……」
勇者の嬌声がしばらく響く。
やがて、満足したのかルシエンは顔をあげた。
「あー、お腹いっぱい、母さんは少ししかくれないんだもの、こんなにいっぱいなのは初めてかも」
ルシエンは恍惚の表情を浮かべている。
母さんというその言葉に、勇者がわずかに反応。
やっと収まった吸血の隙に、思考する。
母さんとは、恐らくは主のことだろう。
女では契約の魔法は使えないはずだが、第三者の介入によれば契約自体は不可能ではない。
そして、先ほどの呟き。
少ししかという事は、普段は言葉通りに大した量の与えていないのだろう事が伺える。
この状況、使えるかもしれないと、しばしの考察。
「我と契約せぬか?」
勇者の口から出たのはそんな言葉だった。
「何を言っているの?」
こてんと首をかしげ、勇者を見つめるルシエン。
「我ならお主に、望む時、望むだけの血をやろう……」
「あら、それは美味しい誘惑ね……でも……必要ないんじゃない? 現にあなたは動けないし……」
ルシエンの見ているなか、勇者は体を動かし、強引にルシエンの爪を抜いた。
千切れる肉片、けれどもそれはすぐに再生する。
「そなたの霧はもう全て除去した」
ルシエンも思わず目を見開いた。
勇者の指に光る黒い十字の光。
「解毒の聖痕かー、一応聖騎士なんだっけ? 油断したわね」
「我は暗黒騎士、聖騎士などと一緒にしてくれるなよ? 遥か高みの存在よ」
「ふぅん、ああ、もしかして臭いのってそれかな……、不死族みたいな匂い……」
ルシエンはすんすんと鼻で匂いを嗅いだ。
「我が不死族か……、だが今はそんな事はどうでもよい、我と契約せよ吸血鬼の女王よ!」
勇者は高慢に言い放つ。
「上から目線嫌いなんだけど……」
言い方の問題なのか、ルシエンは否定する。
一瞬の沈黙、勇者はコホンと咳払いをして、言い直す。
「……我と契約して欲しい、吸血鬼の女王」
「うーん、もう少し」
まだ、ダメなのかと少しジト目をしてから言い直す勇者。
「……我と契約してください、吸血鬼の女王」
「なんていうか、誠意がないのよね」
「我と……「まって、我って何? 私とか自分とかいうのが正しいへりくだり方じゃないの?」……じゃぁ「あと呼び捨てもどうかと思うわ、あと人に物事を頼むときはお願いしますでしょ?」……」
駄目ダシをくらいまくり、勇者は先ほどとは違う意味で半泣きである。
けれども流石勇者。
すぐさま頭を切り替えて熟考。
勇者はゆっくりと、少しもじもじしながら、声をだした。
「わっわたし、と契約してください、吸血鬼の女王……さん……お願いします」
ルシエンは、悩むようにうなり、眼をつむり、頷き、そして眼を開いた。
「うん、じゃぁ良いわよ」
「本当か!?」
ルシエンの言葉に半泣きだった勇者の顔が、途端に笑顔を取り戻す。
「うっそー」
けれども、ルシエンはそれを楽しそうな笑顔で否定した。
「……酷くはないか?」
憮然とした表情になる勇者。
「いいから、黙って血吸わせなさいよ」
ルシエン、最早暴君である。
「ここまで、話の通じない相手も久しぶりよの……なれば、力づくで従わせるまで」
勇者は覚悟を決めた瞳でルシエンを見据えた。
「できんの? あんた如きに?」
「確かに、我が勇者とはいえ、我一人ではきついだろう、だが我は勇者だ。勇者は一人でも、勇者パーティは一人ではない」
不敵に笑う勇者。
奥の手を使うかと、意気込む。
「現れよ! わが……」
勇者が叫ぼうとする。
けれども、瞬間ルシエンがその狂爪が勇者の首を狙う。
キンという、甲高い音。
ルシエンの爪は細切れにされていた。
「あら?」
ルシエンは少しだけ、驚いたような顔をした。
「不躾な……、だがその程度の斬撃、体に違和感がなければ、切り裂く事は造作もない……」
勇者は吐き捨てるようにつぶやいた。
「ふーん」
勇者の呟きを聞いてルシエンは思う。
奢りではない、確たる自信、それがルシエンにも感じ取れるほどには勇者は強い。
故に思考する、自信の食料を長期的に手に入れる方法を。
勇者とルシエンの能力では何か決定打がなければ消耗戦になるだろう事実。
ルシエンは自身のおでこを人差し指で軽く小突く。
採取した血液から情報を掬い上げる。
ネルの記憶は軽く見た、血が臭くてあまり吸わなかったせいでいまいちだが。
勇者の血はすでに存分に吸っている、故に奪える情報は膨大だ。
情報量の多さにわずかに、眉を顰めるほどに。
そしてネルの記憶と合わせたからこそ見える、勇者の正体。
ルシエンは答えを導き出した。
「勇者か、道化ね……」
「何を言っている……?」
ルシエンの呟きに勇者が顔を顰めるも、ルシエンは変わらず、知識を咀嚼する。
「あら、お姫様? なによ、好色かと思ったら違うのね?」
呟きは勇者にとって、意味のわからないもの。
「何を言っている?」
けれど、ルシエンが暴くのは勇者の過去。
「初めての相手が父親かぁ、孕んで、実の母に監禁された?」
血に交じる記憶はそのものの全ての情報を享受する。
「何を不躾な、我は乙女ぞ、馬鹿を言うな」
ルシエンの言葉に勇者は不快感を露わにする。
「両親殺して投獄、けど時の大司教神殿に迎え入れられる」
「ゼオルか? 確かに奴は……」
わずかに、引っかかる言葉に、勇者は考えるような顔をする。
「子供は若いうちに死亡、原因は先天的な疾患ね、亞人により疫病って何よ? これは血に問題があるわ」
子供という言葉に勇者の表情が曇る。
勇者はなにかを考えるように首をふる。
ルシエンはそんな勇者の様子をみてあざ笑うかのように話をする。
「これが聖戦かぁ、八つ当たりで何人殺してんの? おまけに敵の子供がばって味方惨殺?」
「……何を言っている?」
「十字教に粛清されて一度死ぬ、けどネルとかいうのが復活させたのね、首なし騎士として、勇者としてニセの記憶を植え付けられて」
「だから、何を言っていると聞いているんだ!」
勇者は叫ぶも、頭痛でもするのか、片手で頭を抑えている。
「あんたの過去よ、血から情報を奪うなんて当然でしょう?」
ルシエンはさも当然とばかりの表情を浮かべた。
「勇者様、聞いてはなりませぬ、吸血鬼の惑言でございます……」
気づけばネルが、勇者の影から半身を乗り出していた。
それをみてルシエンにはニヤリと笑う。
「あんたが出てきたのがその証拠よ、屍魔法使」
ルシエンは笑いながら、霧を動かしネルを中に拘束した。
「ネルに何をする、吸血鬼の女王!」
「殺しはしないは、あんたも、頭抑えてるくらいなら、黙ってみてなさい」
殺しはしないという、ルシエンの言葉に逡巡し、黙りこむ勇者。
勇者自身も思う事があったのだろう。
静かにそれを見つめていた。
ルシエンは爪を伸ばし、ネルの服を裂く。
「性別すらないわ、こいつ」
ルシエンの言葉に勇者はネルを見る。
現れたのは半ばくさりかけの体力のなさそうな、男とも女ともとれる中性的な肉体。
そして、黒い影があちらこちらに見え隠れする。
そこから連想されるのは、とある不死族。
「ネルが……本当に屍魔術師……?」
「半端者っぽいけどね。血がまずかったからおかしいと思ったのよね」
そう言うと、ルシエンはネルを地面へと落とし、腹部を踏みつける。
「何を……」
勇者が止める間もなく、ルシエンはネルの腹に圧力をかけた。
ぐえっと小さな悲鳴が聞こえるがそれは無視する。
「あなた持ってるでしょ、こいつの首?」
ルシエンはネルへと問いかけるが、ネルは勇者へと懇願する。
「勇者様、お助けください……」
「ねぇ、聞いてるの?」
ルシエンが凄みを効かせて睨みつけると、ネルは情けない声をだした。
「ひっ」
けれども、何をするわけでもなく震えるだけだ。
ルシエンはため息をつくと、目をつむり、そして再び開く。
その目に灯るのは赤黒い光。
魔眼である。
「《勇者の首を出しなさい》」
魅了を載せてネルへと命令。
上位の不死族であるルシエンは人格の無い格下の不死族を無条件で操る事ができる。
仮に、人格を持っていても、あがらい難いその力。
魔眼による魅了を追加された状態では、中位不死族である屍魔法使程度では抵抗すらできもしない。
ネルは恍惚とした表情で何処からともなく、一つの髑髏を取り出しルシエンに差し出した。
ルシエンはそれを勇者に投げ渡す。
「取り込みなさい、再生力は落ちるけど、全ての記憶が戻るはずよ」
「……どうやって」
「頭に近づければいいわ……」
勇者はそっと、髑髏を頭に近づける。
すると、まるで溶けるように勇者の顔に髑髏は入っていく。
次の瞬間。
「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
勇者の絶叫。
悲哀、憤怒、絶望が入り混じったかのような声が響く。
「我は、我は、我は、ワレワ、ワレワ、ワレワ、われわ、われわわれわ――」
勇者壊れた、蓄音機のように、同じ言葉を連呼する。
「うわあああああああ」
「煩い」
ルシエンは、勇者を蹴り飛ばす。
「ぐふっ」
「理解したかしら?」
衝撃で、静かになった勇者。
深く呼吸をし、頭を整理する。
全てを思い出す。
王族の子であった過去。
父と母の事。
そして自分の娘の事。
聖戦のこと。
娘に似ていた亞人を庇い味方を殺した事。
粛清された事。
そして、理解する。
植え付けられた勇者であるという偽の記憶。
「我は……ただの道化だったか……」
勇者は、レイネシアは剣を握ると、振りかぶり。
思いっきりネルに叩きつけた。
「ひぎっ」
小さな悲鳴、ぐちゅっという、鈍い音。
陥没する地面。
脳髄ごと潰れたのだろう、体液をたらしながらネルは一瞬びくりとし、ネルはそのまま動きを止めた。
屍魔法使にそこまでの再生力はない。
すると、レイネシアの影から、飛び出てきたのは謎の黒い馬車。
「影魔法が切れたか……勇者などというまやかしが消えた今、こやつらも開放せねばな……」
レイネシアは馬車の扉をあける。
すると中の空間、外見よりも広く魔法道具だということがわかる。
中には何人か人がベットに寝かされており、頭に何か黒いナベの様なものをかぶせている。
他には食料やら雑貨やらが、無造作に積まれていた。
「このナベが案外、記憶の操作する魔法道具なのかもな……、ネルは勇者パーティになるには必要な処置と言っていたが、今思えば洗脳か……」
レイネシアは、ナベをそれぞれベットに眠る者から取り除くと、雑貨の中から黒い笛を取り出し吹いた。
すると現れたのは無数の、鎧を着込んだ人々。
騎兵、航空機兵まで存在する。
「レイネシア様、なにか御用でしょうか?」
代表なのか、一人の兵士が勇者に問いかけた。
「数人で馬車を使って、こいつらを戦火のない安全な所へ運んでくれ、事が終われば、お主らは還ってもよい」
兵士は眼を見開いた。
「畏まりました」
けれどもすぐに、恭しく礼をして、馬車を走らせる。
他のものたちもそれに続いた。
「死霊の兵隊?」
ルシエンは不思議そうにそれを見ていた。
「ああ、ジグラバートルのな、我が現皇帝を弑逆した時に巻き込まれたものたちだ……気のいい奴らだった」
そういうと、レイネシアは何度も頭をふり、呼吸を整えた。
「もう済ます事もない、吸血鬼の女王よ。我を殺せ、勇者などという道化を演じ、尚生き恥を晒す事はできぬ、これでも王族のはしくれ、娘の、サラの所へ送ってくれ」
レイネシアは静かに頭を垂れた。
「だから、ご飯だって言ってるでしょう? 殺さないわ……」
「我には生きる目的も希望もない……、十字教に粛清されたとはいえ、それは我のせいでもある、恨むことでもない」
レイネシアは独白する。
けれども、そんな事はルシエンには関係ない。
なれば、生きる目的を作らせればいいのか、とルシエンは考える。
レイネシアの人生において、娘がキーパーソンである事は間違いない。
ならば、代理を仕込めばいい。
そこでふと思い当たるのは自分の容姿。
都合よく見た目は少女ではないのか。
故に。
「だったら、私を娘だと思いなさい」
ルシエンの口からでたのはそんな言葉であった。
「は?」
けれども、レイネシアはルシエンのその言葉に思わず呆けた顔になる。
「私こう見えても、生まれて一年もたってないの、まだ子供なの。わかる?」
ルシエンは幼子を諭すようにレイネシアに語りかける。
「ああ、見た目は幼いのはわかってはいたが……」
レイネシアは躊躇うように、不思議そうに言葉を聞いた。
「母さんも、戻ってこないし、いつ戻ってくるかもわかんないの、つまりご飯もないの、わかる?」
「さっきもそう言ってたな……」
「私を娘の代わりに育てなさいよ、ごはんがないの、わかる?」
「サラはおとなしい娘でな、そなたとは似ても似つかん、それに、そなた血が欲しいだけではないか……」
思い出すのは、己が娘の顔……、からルシエンの顔に切り替わる。
見ればルシエンが魔眼を使っている。
「すり替えるな、仮にも聖騎士だ、その程度の幻術効きはしない……」
「ちぇ」
ルシエンは舌打ちするが、そんな幼い所作にレイネシアは何処か惹かれるものがある。
レイネシアは自身の子供への弱さに、とため息をつき、微笑んだ。
「我の教育は厳しいぞ、娘?」
その言葉に、一瞬、眼を見開くルシエンだがすぐに微笑んだ。
「構わないわ、私の名前はルシエンよ。よろしくね、ママ」
ママという言葉に目を白黒させるレイネシア。
「ママ……、ああ、よろしくルシエン」
レイネシアが少しばかり、己のうちより湧き出る何かに打ち震える。
ルシエンは肌は白く、ぱっとみ儚い美少女だ。
腹黒さを除けばレイネシアといえママと呼ばれる事に、異存はない。
レイネシアが密かに悶えていると、ルシエンは無造作に、レイネシアに抱きついた。
「どうした? 甘えたいのか?」
レイネシアも微笑み、抱擁を迎え入れた。
「まずはご飯よ」
けれどもルシエンは子供である。
「まっ」
「いただきま~す」
静止するまもなくかぶりつく。
「あうんっ」
結果、この日から森には、しばしば女性の声が響くようになったという。




