九話 宿命
月明かりすら、入るのを拒む洞窟の奥。
暗視の魔法を使っていても尚、見えないその暗さ。
その中で白刃が煌めいた。
感慨もなく、憤りもなく、ただ敵を屠るために放たれたその一撃。
確実に相手の首をとるであろう、セシリアの抜剣術の一撃。
けれども、その相手にかすりすらもしなかった。
「俺に剣撃は効かないんだなぁ……これが?」
ニヤリと嫌らしい笑いを浮かべるカイン。
セシリアの一撃は確かにカインを捉えていた。
けれども、その一撃はまるで空を切るかのように浮いてしまう。
否、実際に空を切っている。
勢いを殺しきれず、僅かな浮遊感。
たたらを踏むも、そのまま刃を返し。
両の手で頭を割にかかる。
振り下ろされる白刃。
けれども、感じられない手応え。
疑問に思うも、追撃を駆けようと、再び刃を返そうとする。
けれども瞬間、セシリアの背中に悪寒が走る。
「っ」
直感に従い、すぐさま、飛び退る。
僅か、刹那の時間、先ほどまでセシリアの居た場所を地面から飛び出た無数の黒い槍が貫いていた。
「勘のいいやつだ、普通なら今ので死んでるのになぁ……?」
ねっとりとした視線が絡みつく。
「気持ち悪いな……」
セシリアは小さな声で呟く。
けれどもカインは、耳ざとくそれを拾った。
「おぅおぅ、傷つくねぇ……? 変態の次は気持ち悪ぃってぇ?」
カインは顔を歪め怒りを露わにする、けれども何処かいやらしく顔を歪め嗤っている。
「カイン、なぜお前が陛下を狙う? どうして僕らの邪魔をするんだ!」
カインに向けて叫ぶエンバス。
「なぜって、お前? そりゃ敵だからだよ?」
そんな事もわからないのか? といわんばかりにカインは嘲笑う。
「……っ」
カインのその言葉に唇を噛み締めるエンバス。
「だるかったぜぇ、必死におべっか使って、裏金使って、ここまで来るのは……」
「僕らを、地竜騎士団を騙したのか!」
「はん、俺から言わせれば騙されたほうが悪いのさ!」
その言葉にエンバスは己の中で何かが弾けるのを感じた。
「貴様あああああああ!」
叫びとともに駆け出すエンバス。
エンバスは剣を掲げ、詠唱破棄、魔法を展開させる。
「砂剣!」
魔法陣が展開し、エンバスの刺突剣の周りに、砂の粒子が纏わり、動き出す。
エンバスの得意とする、付与魔法である。
周囲の砂が、エンバスの刺突剣付近に集まりだす。
そしてそれは、エンバスの刺突剣の形を模倣形成し、エンバスの前方へと浮き上がる。
その数三つ。
刺突剣をまるで指揮棒のように振り下ろす。
三つの砂で出来た、刺突剣をがカインを貫かんと差し迫る。
「お得意の、砂剣か? だけどよ、そんなものはなぁ?」
けれども、それは、カインに到達する前に、影に貫かれ、霧散する。
意趣返しか、それはエンバスの刺突剣をによく似ていた。
三本の刺突剣の形をした、黒い影は、砂剣では物足りないとばかりに、エンバス貫かんとさしせまる。
キキンっという短い音。
影は全て、セシリアによって打ち落とされた。
「兄上、弱いんだから下がって……!」
「セシリア……、兄に向かって……「エンバス殿、セシリア殿の邪魔になる!下がるんだ!」あっ、はい、すいません」
ファーフニルの言葉に、下がるエンバス。
セシリアが再び前にでる。
その間にもカインは何本もの、影を放っている。
間髪入れずに全てを叩き切るセシリア。
そして、ジュゥっという焦熱音。
恐らく、ファーフニルの結界に触れた影があったのだろう。
僅かな、焦げくささが辺りに充満する。
「油断も隙もない……、すまないが、陛下を守りながらでは援護は無理そうだ」
ファーフニルが苦々しいを顔をして告げた。
対するカインも槍を構え、影を従えるが、動きはない。
瞬間、再びセシリアに悪寒が駆け抜ける。
反射的に前に飛び込むように走り抜けた。
後方で、何かが無数に貫かれる音、おそらく頭上から無数の影が槍のごとく降り注いでいるのだろう。
けれども、セシリアは確認すらせずに前にでる、そして再びその剣でカインを捉えた。
鞘走りを利用する抜剣術。
走る速度もあいまり、最速でカインの銅を薙ぐ。
「剣は俺に効かねぇって、こいつは馬鹿なのか?」
体は僅かにブレるが、それ以外の変化はない。
そして、カインは嘲笑う。
しかし、セシリアはそれがどうしたとばかりに剣を振るう。
縦に、横に、上から、下から、渾身の力を込めて無数の斬撃を放つ。
「おいおい、無駄だって、言ってるのがわからねーのか?」
無駄という、カイン。
けれども、カインはセシリアの猛攻の前に動かない。
セシリアは只管に、攻撃を重ねる。
刀がぶれて見えるほどの、その速度。
上から、横から、斜めから、ありとあらゆる方向から、剣を放つ。
「ない……ものはない……」
小さな呟き。
「ああん?」
カインの耳には、何を言っているか聞こえない。
思わずカインが聞き返すが、それでもセシリアは止まらない。
「はずがない……」
「何をぶつくさいって、気でも狂ったか?」
蔑んだ視線をセシリアに送るカイン。
その間にも、猛攻は続いてる。
けれども全てが空を切るが、如くカインをすりぬける。
如何に攻撃が通らないとはいえ、何度も切られるという行為は、カインに苛立ちを募らせた。
「だぁ! 鬱陶しい!」
カインは叫び、己が槍を構える。
とっとと殺してしまうか。
カインがそう思った時だった。
「っにぃ!」
走る激痛。
視線を痛みの元に向ければ、腹に、薄っすらと細い紅い筋。
そして僅かな、紅い液体。
それは、カインの体を流れるように落ちていく。
馬鹿なという、思考が脳裏を駆け巡る。
カインの魔法は影魔法。
失われた魔法の一つである。
その身を影と同化し、あらゆる物理攻撃を防ぎ、影を実体化させ、攻撃に転化するという、攻防一体の魔法である。
故に本来は弱点は、影を晴らすほどの光か、攻撃時の実体化するときのみである。
絶対防御。
そのはずだった。
けれども結果はどうだ、その体には一筋の傷がある。
魔法が不完全だった?
それはない、否定する。
ではなぜ?
「っ」
飛び下がり、直ぐ様距離を取る。
けれども、セシリアは追ってこない。
それどころか、己の刀を愛しそうに見つめている。
刀は僅かに白い光を発している。
恐らくはあの刀。
何かしらの力を秘めている。
「なんだ……、やっぱり切れるじゃないですか……」
静かに、呟く。
小さな声、けれども、高い。
セシリアの声は洞窟へと響き渡る。
カインの首筋がゾクリとする。
そして感じる恐怖。
セシリアの刀、確かにカインを斬るということは、恐らく何らかの魔法武器であろう。
カインはその刀に恐怖したのかと、誤認する。
けれども、馬鹿なと思う。
武器に恐怖など感じない、自身が恐怖を感じたのは……セシリアだ。
自覚し、そして、恐怖を感じている自身に驚愕した。
「その剣、ただの剣じゃねえな……、遊びは終わりだ、本気でいこう」
けれども、敢えて口にだすのは刀への評価。
それは自身の恐怖を打ち消すためか、自身を叱咤するためか、セシリア自身に恐怖したことなど、認めない、認められない。
意地にも似た何かがカインの心を満たす。
戦士としての矜持がそこにあった。
カインは槍をその両手に構えた。
セシリアも無言で抜剣術の構えをとる。
緊張が高まり……。
そして、大気が震えた。
先に仕掛けたのはカイン。
飛び出すように、地を蹴った。
そして、その槍の長さ、影を活かして、無数の突きを放つ。
影の力により、槍を強化して間合いと威力を広げる強化術。
故に、その一撃一撃すべてが一撃必殺。
突きの一つ一つに込められた力は凄まじく、掠っただけでも岩を砕くほど。
さながら暴風のような突きの連打。
しかも、その間合いは刀よりも遥か遠くから相手を攻め立てる。
本来ありえない距離、尋常ではない速度での刺突。
故に、そこ形成されるのは、近づくことすらためらう、絶対領域。
……のはずだった。
キンッ、という小さな、硬質音。
カインの槍が止まる。
否、止められた。
その放った槍の切っ先を綺麗に、セシリアの刀が捉えていた。
「……っ」
僅かな、空白。
けれども、突きの暴風は再会する。
キンッ、キンッ、キキッ、キン。
響く音。
槍を突き出す度に聞こえるのはその全てを弾かれる音。
それが示すのは、カインの突きを全て捉えているという事実。
カインは思う、嘘だろう……と。
腕に自身がないわけじゃない。
むしろ強いほうだと自負がある。
なればこそ、こんな命がけの任務にも出向いてきた。
簡単な任務であったははず……そのはずなのに、何だこのざまは……?
潜入任務として、地竜騎士団へ乗り込んで、あと一歩でという所まで来た。
自身の実力ならば、何の問題もなく王を殺していて、国へ帰れば英雄となるはずだった。
王の救出隊という任務を聞かされたとき、カインを小躍りしそうな気分になった。
相手は、弱り切った王とその護衛。
こんな大きな機会そうはない、そのはずだった。
けれども、実際はどうだ、自身は何に栄光を阻まれている?
たかだか、目の前の小娘一人にだ。
ふつふつと怒りが湧き上がる。
巫山戯るな、俺の栄光の邪魔をするな!
邪魔をするなら容赦はしない。
カインの心に怒りに満たされる。
「ふっざけるなああああ!」
叫び、突きの速度をあげる。
けれども、それでも槍は弾かれる。
突きを弾くたびに聞こえるキンッという、小さな硬質音。
しかし、だんだんと音は大きくなり。
そして、もはやそれは単音にあらず。
連弾のように響き渡る。
「おらおらおらおらおら!」
吠えるカイン。
「あああああああああ!」
セシリアも声をあげ、刀を振るう。
一合、二合、三合、四合……。
激しい刀と槍の攻防。
奇しくもそれは、拮抗する。
余波で岩がかけ、地面が抉れ、大気が裂ける。
幾重にも続く斬撃の嵐。
突き出し、弾かれ、突き出し、弾かれ、突き出し、弾かれる。
一瞬でもカインの突きが遅くなれば、カインはセシリアに切られるだろう。
カインの突きを弾けなければ、セシリアはカインに貫かれるだとろう。
まさに、全力。
掛け値なしの打ち合い。
技量はセシリアのほうが高い。
力はカインのほうが強い。
速度はセシリアのほうが速い。
間合いはカインのほうが広い。
様々な条件が偶然にもかさなりあってできた均衡。
それは一種芸術のような物であった。
けれども、無限に続くかと思われる、剣撃の嵐。
だがこの剣撃の嵐には重要な要素が他にもあった。
故に、この均衡は崩れる事となる。
そして、その要素。
それ即ち、武器の破壊力。
「っ!」
何十、何百打ち合ったのかはわからない。
けれども、唐突にそれは起こった。
キーンという甲高い音がひびき、カインのもつ槍先が、切り飛ばされたのだ。
セシリアの持つ刀、柊は国宝である刀、楓を打ちなおした物である。
元々、なんでも切れるという国宝級の魔法武器である楓が変異蛇竜との戦いでセシリアが折ったものを打ちなおしたのだ。
刀身こそ短くなったが、その切れ味は健在、否、磨きがかかった。
なんでも、というのは何も物理的要因に準ずるものだけではない。
セシリアは過去に魔法すら斬った事があるのだ。
ならば、たかが影魔法、たかが槍、切れないはずがない。
使い手の思い込みで切れ味が変わるこの刀。
セシリアは呟くことによって、自己暗示をかけ、刀の切れ味を最大限に引き出したのである。
カインの目が驚愕に見開かれる。
槍先が切られた事で動揺し、僅かに体勢が振れる。
そして、それを見過ごすほど、セシリアは甘くなかった。
瞬きすら許されぬ、その速度。
さらに加速したのか、視界からセシリアが消える。
視点が思わず彷徨った。
それが不味かった。
首に一瞬の熱さ。
前を見ていたはずの視界はゆっくりと、下がっていく。
「チッ」
小さく舌打ちし、意識が遠くなるを感じ取る。
カインはそこで己の敗北を悟った。
そして、最後にその視界に入ったのは、辛そうな顔をしたエンバスの顔であった。
***
イスターチア軍、中枢。
前線部隊二万の中央より、やや裏手。
そこには複数の天幕がはられている。
そして一際大きな天幕にその声は響いた。
「報告します、エフレディアが第一陣、竜騎士部隊はほぼ半壊、追い払う事に成功しました」
報告の声に、天幕内に集まる者達の顔に喜悦がにじむ。
「っくっく、流石にあの鎧の前では、竜の吐息とて無意味、竜騎士など、たかが獣に頼った古臭い連中。相手にもならないか」
白衣を来た、神経質そうな男が高らかに笑う。
「さすが、さすが、ロデリック卿の考案した、黒の鎧。此度の戦は、これで我らが勝ったも同然でしょう」
小さな、ネズミのような顔をした男がゴマをする。
「当然だ、私の開発した鎧さえあれば、魔法や竜如き、何の意味もない」
ロデリックは高らかに、言い切る。
皆が、次々に同意し、賛辞の声をあげる。
けれど、一人だけ、つまらなそうに顔を歪める初老の男が居た。
「何か、気に食わない事でも? ヴァルトス卿」
それに、気づいたのか、ロデリックが頬を引き上げ、我が意を得たりと嘲笑い話かける。
「慢心しすぎだ、如何に鎧が強くとも、あれらはにわか揃えの兵士たち。併合した国の雑兵ではないか?」
イスターチアのエフレディア侵攻軍。
その数は四万に上る。
けれども前線部隊の二万はまるごと、イスターチアの兵士ではないのである。
「ご心配なく、あの鎧こそが最強の防具であり、楔でもある、対魔法反射性能、対物理軽減性能。我が研究の極みでもあります、おまけに、こちらに絶対服従の使い魔の印を刻んであります、反乱されるおそれも、負けるおそれもありません」
「ふん、だといいがな……」
ヴァルトスは言い捨て、思い出すように目をつむる。
「卿は四年前の戦には参加していなかったのだったな」
「ええ、その頃はまだ院に席を置いていましたので」
「なれば、当然か。四年前、我々はエフレディアの何倍もの兵士を投入したが、ついぞエフレディアに勝てなかった……なぜだか、解るか?」
「竜の力、幻獣の力でしょう? だからこそ、それを封じてしまえばエフレディアなど恐るるに足りず」
「それは大凡の見方にすぎぬ、事実、竜は強力無比だ、イスターチアの幻獣である紅蓮の狒狒など相手にもならぬ……だがそうではないのだ、卿よ? 竜を操るのは何だ?」
「そんなものは人に決っているでしょう? 何が言いたいのですか?」
「そう、人、人だが、人であって人でない、騎士だ。エフレディアには騎士がいる」
「確かに騎士の強さは認めましょう、けれど我らの兵士にも強者はいます、そして今は黒の鎧がある、故に……」
何の問題もない、そう言おうとした、けれどもその言葉は遮られる。
「兵士ではないのだ、雑兵ではない、騎士は彼らは一人一人が君主を重い掲げ、己が矜持と国のために動いている、故に慢心はするな……」
最後の一言が勘に触ったのか、ロデリックは眉を顰めた。
「それと、今は戦時だ、卿の発明は目を見張るものがある、だから見逃していたが、けれど……」
ヴァルトスはそこで言葉を切る。
「閣下の邪魔になるようであれば、容赦なく俺は切って捨てる、覚えておけ!」
その気迫に、ロデリックは飲まれた。
「……」
言葉もでずに、沈黙する。
奇しくも、その時、天幕の外から、咆哮が聞こえてきた。
「なん……」
言葉さえも、途切れる。
そして、震えだす体。
「え?」
わけがわからない。
わからない、けれど、体は震え、何もできない。
ロデリックは学者だ。
魔法と化学を合わせた、魔化学者と呼ばれる。
イスターチアにある魔法科学学院、そこの主席卒業者である。
卒業し、その頭脳を見込まれ今年から軍に入った。
ロデリックは自分に自信を持っている。
自身にできない事などない、わからないことなどないと。
だから考える、なぜ、震えているのか、自身の状況を把握しようと試みる。
歯の根はあわない、冷や汗はでる。
そこで思い当たる答え。
「恐れて……いるのか?」
絞り出した言葉。
「ほう、卿は既に喋れるのか」
その言葉は目の前の男に笑われた。
「奴が来ている、卿達は後陣に向かったほうがいいだろう」
ヴァルトスはそう言うと、誰も動けないなか、一人歩き出す。
「四年前の再戦といこうか、グラン・サーシェス」
***
竜によるエフレディアの第一陣を追い返した、前線は士気が高揚していた。
当然だろう、竜の国と呼ばれる、エフレディア。
その最強と呼ばれる竜騎士。
それを半数を落とし、残り半数を追い払ったのだ。
味方の軍勢はまだまだほとんど減っていない。
前線部隊は、意気高揚と首都へ向かい、足を進めていた。
上空にに竜は見えるものの、互いに攻撃の届かない距離に、僅かな数が残っているだけである。
このまま勝てる。
エフレディアが首都、ミナクシェルはもうすぐだ。
イスターチア軍の誰もが、そう思っていた。
それが来るまでは。
それは、空から降ってきた。
黒い、点でしかなかったそれは、段々と大きくなる。
人だ、と気づいた時には遅かった。
すとんと軽い着地音。
そして、次の瞬間唐突に響き渡る地鳴り。
否、それは咆哮だった。
「ヌアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」
地獄のそこから、湧き上がるようなその音。
音に耳にした兵士たちが次々と倒れていく。
一人の男が、静かに歩み始める。
其処へもう一人、の男が小走りに歩み寄った。
「団長の気当たり、相変わらずですね」
「あれ、ジャック来ちゃったの? 指揮大丈夫かよ」
「ガルムにまかせて来ました」
「ほー、出世したなあいつ」
どこか他人ごとのように、グランは言う。
「他の癖の強いのよりはいいでしょう」
「お前が決めたならそれでいい」
そう言うとグランは歩いて行く。
辺りを気にもせず。
まるで町中を買い物するように、自然体で。
「これが、最強か……」
静かに呟くジャック。
辺りを見回す。
そこには、身動き一つしない、イスターチアの軍勢がいた。
敵が軍の中に入っているというのに、身動き一つしない。
中には過呼吸になっているものすらいる。
イスターチアの軍勢約二万、それがたった一声で、ほぼ全て戦闘不能となっている。
制圧のグラン。
エフレディア最強の男。
制圧の由来は広範囲に置ける、気当たり。
魔法ですらない、熟練の戦士ですら気当たりを受けただけで身動き一つできなくなる。
とはいえ広範囲すぎて味方がいると使えないのだが。
この気当たり欠点として、自分より実力の低い相手にしか、効果がないという事だ。
つまり。
「久しいな……グラン・サーシェス」
一人の初老の男、ヴァルトスがそこに悠然と佇んでいた。
そう、ヴァルトスこそが、イスターチア最強の剣士。
四年前、最強と言われるグランと一昼夜戦い、それでも決着がつかなかったという。
「ヴァルトス・シュタインか」
言いつつグランも、歩みを進める。背中に背負っていた両手剣を構える。
「本当ならお前と戦いたがってた若いのが居たんだがな、どうやら戦う資格すらもたなかったようだ」
気当たりにすら耐えられなかったということだろう。
「そうか、で、かわりにヴァルトスの爺が出張ってきたってか?」
「爺と呼ぶな、貴公は口が悪いのがたまに傷だな」
「あんまり、良い育ちでもないんでね……ジャック、下がってろ」
「ご武運を……」
そう言うとジャックは、どういう理由か、こつ然と気配を消した。
「貴公の副官か……? いい腕だ」
「ああ、こうして目の前で消えられても、たまに俺でもわからない時があるからな」
「羨ましい、とは浅慮であるか、私は部下には恵まれない質なのでね……」
「おいおい、老い先短いんだ、もっと元気に行こうぜ?」
「言うではないか、貴公とて対して歳は変わるまい」
互いに、微笑み、まるで旧友のように語り合う二人。
「さて、無駄話も終いにしよう、戦士ならば戦場でこれ以上雄弁に語るものなど持ちはしまい」
「同感だ」
超大な両手剣を構える、イスターチア最強の剣士、ヴァルトス・シュタイン。
両手剣を片手で握るエフレディア最強の騎士、グラン・サーシェス。
此処に、最強同士の戦いの火蓋が切って落とされた。
***
その竜は最後の一匹だった。
子どももおらず、すでに兄妹は死別した。
そして、己の寿命を悟り、何者も近寄らぬ渓谷で眠っていたのだ。
その竜は眠るのが大好きだった。
なぜならば、夢の中では、居なくなった兄弟たちに会えるから。
その竜の夢は、とても儚いものであった。
けれどもその竜に目覚めがやってくる。
唐突に、けれども、望まぬ目覚め。
そして竜は再び目を覚ますことになる。
騒がしさに目を覚ます。
今の夢は何だったのだろうと思い出そうとする。
けれども、思い出せない。
夢ならそんなものか、虚ろげに考える。
暗いな、と思い、暗視の魔法を使おうとするが、思い留まる。
千里眼の聖痕を発動させた。
瞬間視界が明るくなる。
「起きたので?」
近くに居たのだろうガレッドから、声が掛かる。
「ああ、起きた……俺はどのくらい寝ていた?」
「四半刻でさ、体調はいかがでやす?」
「問題はない、が小魔力があまり回復していないな……?」
可笑しい、違和感を感じる。
聖水、聖丸まで飲んで回復できないはずはないのだが。
「それは、そうでしょう、アレだけの事、俺は聖騎士ではないですが、大事をしたというのは理解していやす、戦闘は我々に任せ、指揮をお願いしやす」
そう言われてはクリスとて、自身の立場を思い出す。
「……なら、任せるとするが、ところでどのくらい進んだ?」
半ば、不承不承に頷くクリス、理由はわからないが、小魔力の回復が覚束ない今、戦闘は厳しいものがあるためだ。
実はレイトの心臓を移植してから、クリスの体に変化があった。
以上な傷の修復速度、自分でもわからない謎の小魔力の消費だ。
とはいえ、気にする量でもないとして、今までほっといたものだが。
回復しないという状況まではなった事はなかったのだが、流石に無茶をしたか? と自問する。
クリスは半身を起こし、そのまま黒虎に跨り、そのまま黒虎の頭を軽くなでた。
「恐らくは半分ほどかと、セシリア様とエンバス様は先に行かれやした」
「姉上が……、兄上がいるなら平気だろう……」
言いつつ、今度は黒虎の喉をクリスは撫でた。
黒虎は、手綱を飼い主に引かれているが、ぐるぐると喉を鳴らしご満悦だ。
「猫の幻獣もいいな……」
呟かれた、何処か緊張感のない言葉。
ガレッドは苦笑する。
「幻獣がお好きで?」
「ああ、幻獣は良い、賢いし、人と違って自分に素直だからな……」
その答えにガレッドは、確かにと頷いた。
「まぁ、黒虎も悪く無いな、うちも何匹か買うか?」
クリスが自分の騎士団を思い出し、騎獣として仕入れるかを考える、どうやら乗り心地が気に入ったようだ。
「うちの、というと青薔薇の騎士団でしたかな?」
「そうだな、まだ騎獣が少なくて何を仕入れるか迷っている」
「噂の女だけの騎士団って奴でさ?」
「その認識で間違いない」
「へぇ、うちの団長の娘さんも居ると聞きやしたが」
「ああ、四竜騎士団の御息女が一人づついるな、大方、王妃様からの圧力だろう?」
「そういう事は、解ってても言わねーのが華でさ……」
呆れた風にガレッドが呟いた。
「そう言うな、女ばかりに囲まれてはな俺としては愚痴の一つも言いたくなる」
「クリス様も女でしょうに?」
言われて、クリスは苦笑する。
「そういえば、そうだったな……ん?」
そこでクリスが動きを止める。
僅かに感じる違和感。
見れば黒虎や、白獅子も動きを止めて、唸り声をあげだした。
警戒し、動きをとめる騎士たち。
「不死族か?」
けれども、気配らしきものはない。
「何処だ?」
千里眼の聖痕を発動させるクリス。
けれども、その目に隧道に内部に騎士たち以外の姿は確認できない。
ズンという鈍い音。
隧道に揺れを感じる。
揺れた証拠か、パラリと破片が天井から降ってくる。
「なんだ?」
視覚範囲を広げていく。
視点を洞窟の上へと移動させる。
けれど、映るのはその渓谷に連なる山々のみ。
ズンっという、鈍い音。
けれども、それは先ほどよりも大きな音。
音は響き回を重ねる事に大きくなる。
「なんだぁ?」
他の騎士たちも気付きだす。
視界を更に広げ、そして視る。
見つけた。
そして絶句する。
クリスの目に写ったそれは。
小山ほどの大きさの竜だった。
「全体走れええええええええええええええ!」
全力でもって叫ぶ。
そしてそのまま手綱を引いていた騎士を背後にのせ、手綱をひったくり、黒虎を走らせた。
突然のことに、慌てるものの、騎士たちはクリスを追いかけ走りだす。
「おい?!」
「どうしたってんだ?」
「なんだ?」
けれども、状況が把握できずに、慌てる騎士にクリスは叫ぶ。
「腐敗竜がこの上の山に尻尾を叩きつけてるんだ!生き埋めになりたくなければとっとと走れえ!」
瞬間、理解したものから順に顔から血の気が引いた。
なぜ尻尾を叩きつけているかはわからない。
けれど確実に言える事は、このままでは隧道が潰れる事は確実だ。
もとより渓谷をくり抜くように、創りだした一本道。
今だけ使えれば良い、と過度な耐久性など求めては居ない。
地響きはまるで騎士たちを追いかけるように、響いてくる。
そして、ついに、隧道の崩壊が始まった。
それがきっかけだったのだろう、騎士たちの後ろ、はじめに振動した所が罅割れた。
そして崩落。
そして、崩落は轟音を響かせながら隧道全体へと広がっていった。




