七話 土耳長《アマゾネス》と蛇女《ラミア》
改修
既に日もくれ、遥か頭上には満天の星空が広がる。
標高が高いおかげだろうか、星は平地に居た時よりも遥かが輝いて見える。
いうなれば空が近いというような気分である。
「良い夜だな、見てみろアリシア。普段は見る機会が無かったが、こうして見てみると案外風情があるように感じるぞ?」
クリスは楽しそうに、愉快そうにアリシアに語りかける。
その紅い瞳に移るのは満点の星空だ。
夜であろうと昼であろうと、職務の半分以上を室内で行っていた所謂事務方のクリスには、夜空など見上げる必要性はあまりなかった。
否、見上げるような時間の余裕はなかったのだ。
来る日も来る日も書類をこなし、時には研究に勤しみ、鍛錬をこなす。
翼竜騎士団の騎士団員として働いていた頃のクリスは必至だった。
だからこそか、今のまるで休暇のようのな今の状況はクリスの心に解放感を与えているのであろう、心のそこから楽しんでいると言わんばかりにクリスは目を輝かせていた。
「そうですねぇ、綺麗な星空ですねぇ」
逆にけだるそうな声をあげたのはアリシアだ。
アリシア自身、王都の外に出るのは初めてで山登りも初めてだ。
神殿暮らしは余裕がないとはいえ、それは金銭的なものである。
時間的な余裕でいえば、むしろ暇つぶしで星を見て占いをする程度は子女の楽しみとしては有名どころだろう、アリシアも暇な時は何度も友人と夜空を見上げた事くらいある。
楽しいかと聞かれれば楽しいとは答えることはできただろう。
だがそれも、この状況でなければの話である。
この状況、つまりは、腕は後ろで縛られ、足も後ろで縛られ、寝転されているのである。
ついでにいえば、二人を見張る、監視もいる。
監視は大柄の女性で、灰色の髪を一本にまとめ、背中に槍斧を背負っていた、さらには、恐らく魔物の革であろう軽鎧を着込んでいる。
完全に武装している。
そして、軽鎧からところどころはみ出る筋肉は常人のそれではない、男の時のクリスに消して引けを取らないだろう。
初めこの姿をみたときクリスは、なるほど山姥だと思わず納得したほどだ。
女性はするどい眼差しで、二人を睨んでいる。
随分と上等な監視がつけられたものである。
「葡萄酒でもあればなお良いのにな」
だというのにクリスは緊張感の欠片もない。
事実葡萄酒がない事が惜しいと言わんばかりの表情である。
「私は縛られてなければ、もっと良いと思うんですけど……」
アリシアは心底不満げに、その赤い瞳を曇らせる。
縛られていなければ、監視がいなければ、もっと盛大に、全身で不満を表しながら愚痴っていただろう。
「それは仕方ないだろう」
仕方がないといいつつ、クリスは愉快そうに笑っている。
縛られ、転がされているのが何が楽しいのか、星を見て、辺りを見て、監視を見て、満面の笑みである。
「呑気なもの達だ。捕まえる意味があったのだろうか?」
呆れたように呟く監視の女。
二人に掛ける言葉は軽いものだが、目は警戒を顕に細められているし、縛られているのに二人の一挙手一投足を見逃さまいと構えている。
「そう思うなら縄を解いてくれないか?」
これである。
捕まっているというのに、まるで気にした風もなく、飄々とクリスは言ってのける。
女からしたら、不気味にすぎた。
「悪いがそれはできない」
当然にべもなく、一蹴される。
とはいえ、それはそうだろう。
この村は僻地と言っていい。
山の麓の人間とて足を踏み入れたことはないような、そんな場所に存在している。
否、男なら決して立ち寄ることなどできないし、女であってもどうやってあの滝を登ってきたのか。
本来は別に道があるのだが、其処を通った形跡もない。
そんな場所、そんな村に何の用事があって来訪者があるというのだろう。
女からしたら、警戒してかかるのは当然の事である。
「なぁ? あんた?」
「なんだ?」
「村に入った時は人影一つなかったのに、何処にあんなにも人影隠れてたんだ?」
千里眼の聖痕で確認したときには村に人影は見えなかった。
透視を加え、屋内をも確認したが人っ子と一人いなかったのである。
実際クリスは、広場で囲まれるまで捨てられた集落だと思っていたほどである。
「それをお主に教える必要があるのか?」
「そりゃ、ごもっともで」
取り付く島もない。
村人全員で他の場所に居たという可能性もなくもない。
――可能性としては何かの祭か狩りか。
事実、クリスとアリシアが縛られているのは広場なのだが。
あちらこちらに昼間には無かった楽器や、武器、鎧、食料などが置かれている。
クリスが辺りを観察しているとぐぅと空気が震えるような音がする。
音源へと顔を向けるとアリシアが僅かに赤い顔して俯いていた。
そしてまた、アリシアの腹がぐぅと先ほどよりも盛大に音を立てた。
アリシアは震え声で呟いた。
「お腹すきました……」
そう言われてもとクリスは苦笑する。
縛られている現状。
晩御飯ですよ、というわけにもいかない。
「我慢だ、アリシア」
アルザークであれだけ食ったじゃねーかとか聖騎士としての食いだめはどうしたとか思うクリスではあるが、口には出さない。
事実クリスは食い溜めをしているし、身体的には有事に無理をしなければ、三日くらいは不眠不休で動けるだろう自信もある。
「我慢と言われても……」
瞳に涙を貯めて、すがるアリシアにクリスは再び苦笑する。
アリシアの食べる量は尋常じゃない。
これで食い溜めをしていないというのなら、アリシアはもっとふくよかな体系になっているはずである。
だというのに、事実としてアリシアは小柄で細いままである。
意味がわからない、燃費が悪すぎるのだ。
まるで、四六時中食べていなければ死んでしまう小動物のようだ。
ふと、クリスの脳裏に小動物が食べ物で頬を膨らませている姿がアリシアに重なった。
「ぶふっ」
思った以上に似合う情景にクリスは吹き出した。
アリシアは意味がわからないと胡乱げな顔で、それでも何処か馬鹿にされたのか理解したのか、不満げにクリスを睨んだ。
「腹をすかした童子を見て笑うとは、そなたは中々いい性格をしているな」
一連のやりとりを見ていたのだろう、監視の女はため息をつきながら、広場の中程にいる女性を手招きした。
すると、一人の女性がかけて来た、背中には長弓を背負っている。
少し、小柄で、とはいえクリスよりは大分大きく、それでも鍛え抜かれた肢体は目を見張る程の美しさだった。
「お呼びでしょうか、ユカラ様!」
「ああ、エンファ、子供が腹を減らしているそうだ、果物くらいならよかろう。くれてやるといい」
「わかりました!」
そう言うとアリシアをチラリとみて走りだすエンファと呼ばれた女。
「ユカラ……様ね……」
「一応は次期族長なのでな……」
クリスの呟きに、鼻をふんと鳴らし答えるユカラ。
――次期族長が監視ねぇ?
よほどに警戒していると見て取るか、それとも何か別の理由があるのだろうか。
とはいえ、ここの現状を知り得るにはクリスには少しばかり情報が足りなかった。
すぐさま、エンファが果物を抱えてきた。
大きめのを一つ、アリシアに差し出した。
食べろという事だろう。
けれども、丸く、アリシアの頭ほどあるそれは大きすぎる。
どう見ても食べにくいであろう。
「縄を解くわけにはいかない。すまないが、エンファ、食べさせてやってくれ」
ユカラがそういうと「はいっ!」と元気よく返事をしたエンファはアリシアの口元に果物を運ぶ。
それを、アリシアはカプリと口にした。
一口かじる。
二口かじる。
三口と……しだいにその速度は速くなりあっというまに食べきってしまった。
クリスとしては慣れた光景だが、眼を丸くしてそれを見つめる、エンファとユカラ。
「そんな腹が減っていたのか? 魚くらい川で取れただろうに?」
エンファが呆れ混じりに問いかけた。
確かに、街からの道中食べ物を補充できる場所など殆どない。
有るとしたら川と川辺くらいのもので、クリスは食い溜めをしていたので気にしてなかったが少しだけ植生が違い、川にも魚が居る。
大きな滝で川の場所などすぐにわかるのだ、多少慣れたものなら食事くらい取れるはずである。
というか、その程度の知識もなく山に入るほうが危険であるのだ。
「お魚……、川がありますもんね、それなら確かにお魚くらい居ますよね、気が付きませんでした」
アリシアは悲しさと驚きが入り混じった声をだした。
なぜそんな事も気づかなかったのかと、自分を責めて、朝の事を思い出す。
起きたらすでにクリスが準備を終えていて、木の実を食べお茶を飲んだら、すぐさま崖上へと向かったのである。
アリシアが口を出す暇など無かったのだ。
全てクリスが悪いのである。
遺憾の意を表明します、とばかりにアリシアはクリスを睨んだ。
けれどもクリスは素知らぬ顔で、再び夜空に視線を巡らせていた。
アリシアは諦めて、腹が減っていた理由を語る。
クリスの責任だという思いを込めて。
「朝、クリスが用意してくれた木の実を半かけ食べただけなんです……クリスも同じはずなんですが、よくそれで平気ですね? クリスはあんなにスティ……」
流石に聖痕使ったのにという言葉は飲み込んだ。
一応は敵地で、聖騎士とばれるための単語は警戒しているのである。
クリスやアリシアが生まれる遥か昔の事ではあるが、猿人以外の六代部族は寿命の長い部族も多い……といいうか猿人が短いほうなのだが。
もし聖戦を覚えているものがいるなら、聖騎士など、その場で殺されてもおかしくない状況である。
何しろ、追い込んだはずなのに逆転してしまう元兇のような存在なのだ。
当然ばれないように、細心の注意を払い、言動は気をつけるべきである。
だというのにアリシアは、今度は眼をとろんとさせて眠そうにしだした。
慣れない山登りに疲労も溜まり、腹も埋まれば当然そうなる。
臆病なのか図太いのかわからない、アリシアの行動にクリスは苦笑するしかなかった。
「眠いのか?」
頷きクリスにもたれ掛かるアリシア。
「もう限界です……」
そう一言告げると、クリスの体を枕にそのまますぐに寝入ってしまう。
「おやすみ」
ある意味大物である。
子供ともいえるが、それを言えば怒るだろうから口には出さない。
そんな事を考えていると、くすくすと笑い声がクリスの耳に入る。
見れば、ユカラがアリシアをみて微笑っていた。
「無理もなかろう、そのものはまだ子供だろう? 食事をして緊張が途切れたんだろう」
「だったら縄を外してくれてもいいんじゃないか?」
「悪いが決まりでな、族長が戻ってこられ、おぬしらの処遇が決まるまで縄は外せぬ……殺しはせぬから安心せい」
そう言って、ユカラは笑う。
けれども、その眼はアリシアを見ている時にやさしい物ではない。
何処かするどく、見定めるようにクリスを見ていた。
アリシアには気を許したようだが、どうやらクリスはまだ警戒中らしい。
クリスはアリシアを起こさないように、器用に肩をすくめてみせた。
「族長とやらはいつ帰ってくるんだ? 流石に何時間も縛られたままなんでいい加減疲れてきたんだがな」
「まぁ……私も暇だ。少し話しても構わんだろう」
そう言うとユカラも槍斧を横に起き、胡座をかいてゆっくり地面に座り込む。
「今日は我が部族の成人の儀でな。十四になった子供が、試練を受けるのだ。族長はお見守りに行っておられる。試練の祠と呼ばれる洞窟があってな……。そこの奥にある地底湖から水を汲んでくるだけのいわば通過儀礼だ」
自身も経験があるのだろう、思い出すようにユカラは笑う。
「何、朝には出たから時期に帰ってくる」
その言葉に、まだ待つのかとクリス少しウンザリする。
捕まったのは朝方だ、もうすでに夜である。
いくらなんでも待ちすぎである。
流石にクリスも夜空を眺めるのも飽いてきていた。
「随分時期の悪い頃に来たようだ」
「そうだな、成人の儀で村に人が居ない頃に来るのは少しばかり具合が悪いな、それも聖騎士が二人もな」
「……知っていたのか?」
瞬間クリスの背筋に冷たいものが駆け抜けた。
「当然だ。目で見るのは初めてだが、その特徴的な姿、見ればすぐに分かるというものだ、そちらの娘は僧服を隠す気もないしな」
言われてみれば納得である、聖騎士の容姿は目立つ。
見たことが無くても特徴だけを言われても割とすぐに判断できるだろう。
だからこそ疑問が起こる。
「ならば、なぜ殺さないんだ?」
クリス達は猿人で聖騎士だ。
いわばこんな辺鄙な山奥にこの土耳長達を追いやった種族で、元凶とも言える。
「何故だ? 何故に殺す必要がある?」
不思議そうに聞き返すユカラ。
クリスの反応を興味深そうに見て、微笑っていた。
「聞き返されてもな……」
「ふむ……そうだな、我が父母や一部の土人の長老たちは、殺せと言うかも知れぬがな、我らはそうアマゾネス……なのだ」
「混ざり者だからなんだと? ……っ!」
あえて強調された、その言葉にクリスは気がついた、気付かされた。
目を見張った。
「気づいたか? そうだ我らはそなたらが聖戦とよぶ大戦が無ければ産まれもしなかった、本来仲の悪い耳長と土人の混ざり者だ、この山に存在する以外の土耳長など殆ど存在しないと言ってもいい……皮肉なものだろう? 我らの祖先はそなたらを憎むだろうが、我らには一部ではあるが、感謝すらしているものもいる」
ユカラの言葉には実感が籠もっていた。
事実、耳長と土人の仲が悪いという事は事実であり、聖戦前の資料でもそれは容易に伺える程だった。
それこそ、同じ敵を持つ戦争でも起きない限り、手と手を取り合うほどの事がないほどにだ。
「故にお前らを害する意志は我らにはない。お歴々の方々は何かを言うかも知れないが……聖騎士といえど猿人の小娘二匹に怯えるような我らではない、ましてや生意気な小娘と子供ではないか」
そう言って笑みを浮かべるユカラは何処か猛々しい顔をしていた。
カーンカーンカーンカーン
突如、辺りに甲高い音が響き渡った。
音と共に広場の空気が変わった。
時間は既に深夜に近いというのに、あちらこちらの家から鎧を着込み武器をもった無数の土耳長達が出て走り去っていく。
眼を見開き、立ち上がるユカラ。
騒がしくなる周囲に、ユカラは立ち上がり槍斧を握った。
エンファは既に走り去って、この場には居ない。
「襲撃だ! くそっ! そこの櫓は地下に繋がる通路がある、そなたらはそこに入って静かになるまで隠れていろ!」
ユカラも駆け出した。
叫びながら何やら指示をだしている。
「おい?」
クリスが聞き返すが既に遠い。
「なにかあったんですか~?」
間延びした声が聞こえる。
流石にこの騒ぎでアリシアが起きたようだ。
「少しばかり大事のようだ、様子を見に行くか」
そう言うとクリスは縄を引きちり、立ち上がる。
「大事ですかぁ?」
まだ寝ぼけているのか、間延びした声で聞き返すアリシア。
それでも、縄を軽々引きちぎった。
「蛇女の襲撃らしいぞ?」
「らみあ? ラミアってあの蛇女ですかぁ?」
ラミアと聞いてアリシアが少しだけ慌てたのか。
右往左往しながら、杖を取り出して素振りを初めたのである。
「……」
クリスは右手の中指を折り曲げて、親指で抑えた。
それを、アリシアのおでこに手を移動させた。
中指に力を込めて、親指の抑えを振り払う。
パスッといい音がして、クリスの中指はアリシアの額にぶつかった。
デコピンである。
「痛いっ」
おでこを抑え、アリシアはクリスを睨む。
額は真っ赤である。
「なにするんですかぁ?」
「落ち着かせようと思ってな。それで蛇女の事を知ってるなら詳しく説明して欲しいんだが」
額をさすりながらアリシアが説明する。
「私の知ってる蛇女というのはですね、上半身が人、下半身は蛇の女性型の魔物です」
「蛇女ねえ? 聞いたこともないんだが。ここはエフレディアの領内だぞ?」
クリスは驚いた。
なぜそんな魔物がこんな所にいるのかと。
魔物とは神話時代、十二使徒が人族と共に戦った魔族、その眷属を意味する。
故に十二使徒教、引いてはそれに連なる宗教である、十字教や車輪教、三日月教だろうと、その信仰圏内ならば魔物は発生しにくいはずである。
だというのに、蛇女とかいう魔物が襲撃してきたと言うのである。
それに蛇女などという魔物はクリスは聞いた事もなかった。
クリスは元々翼竜騎士団に所属していた。
騎士団ともなれば、魔物の討伐任務も何度か経験した事もある。
確かに、山村や人の手が入らない、入りにくい所では時たま大型の魔物や上位の魔物が人知れず発生する事もある。
事実クリスが相対した魔物は、そういうもの多くいる。
しかし、そのクリスが知らないということは、おそらくは上位に位置する魔物である。
そしてその、上位の魔物の討伐ともなれば、本来、通常の騎士では一個中隊が必要だと言われている。
となれば、土耳長や例えクリスが加勢したとしても勝てるかどうか分からない。
「……蛇女ってのは、どんな魔物だ?」
クリスは、アリシアの肩を掴み鬼気迫る表情で訪ねた。
「痛いですよぉ」
驚いたアリシアがクリスを振り払って、肩を抱いた。
「すまない、興奮していた」
「クリスは騎士だったのですよね? 戦った事はないのですか?」
「あいにくと騎士団の任務は不死族ばかりだな……たまに豚鬼や腐鬼……巨海蛇なんかも倒したが、蛇女などは聞いたこともない」
「蛇女っていうのは、魔物達の母体なんです、どの魔物との子供も産めるのです、雄は必ず相手側の魔物になります。雌が生まれれば全てラミアになりますが雌の卵は滅多に生まれません」
クリスは危険性を考た。
恐ろしい結果にたどり着く。
「蛇女がいれば、魔物が増えるってことか?」
アリシアは頷き肯定する。
「蛇女は雄には絶対的な魅力を持っています。雄であるかぎり蛇女には逆らえません。そしてどんな魔物と交配しても一回で卵を十から~二十は産みます。増える速度が尋常じゃないんです。蛇女を一匹みたら魔物が百匹はいると思えと言われるほどに」
つまりは蛇女以外の魔物も居る可能性があるという事だ。
「強力な魅了は一種の催眠のようなものです、一時的に魔物を強化することもできるはずです」
黒油虫より始末に悪い。
「それで蛇女の周りにはどんな魔物が多い?」
「雄なら何でも、この辺は山岳地帯ですし、人鳥か人狼ですかね?」
――巫山戯ている。
「獣人じゃないか? ただ人の手に負えるものじゃないぞ?」
獣人、それは魔物の中でも獣と人を合わせたような姿形をしているものを差す。
遊び半分に魔物が人を犯した事から生まれたとされる、呪われし種族。
人になれず、魔物にもなれず、そのため孤独にあえいだ種族だという話だが。
けれどもその能力は驚異的で、中には魔物を超える種族さえ居たと言う。
驚き思わず悪態をつく。
獣人も神話に登場する種族である。
もちろんそれは十二使徒の敵としてだ。
神獣である、十二獣とかつての獣人達は争った。
結果は十二獣の勝利で幕を閉じる。
しかし、その神獣達もその戦いで三匹も命を落としている。
最終的に獣人達を討伐したと言われているのは、エフレディア・ヒューミィの神獣、光竜ミナクシェルだ。
つまり竜ならば……問題はない。
こんな事になるならば、翼竜騎士団から翼竜の一匹でもかっぱらってくればよかった、とクリスは後悔した。
獣人は強いがそれ以上に厄介だ。
魔物の肉体の強固さと、人間の知能を足して割ったような能力を保有しているのだ。
何より、問題なのは知能である。
人と同じように獣人は学習する。
故に獣人を見つけたときは徹底的に駆除するのが習わしだ。
普通の魔物よりもよほど厄介なのである。
「蛇女程度、気にしなくても良いかと……今の魔物は神話の時代ほど強くありません、魔物に力を与え操っていた魔族が居ないのですから」
アリシアの言葉に、驚くクリスだが、アリシアは冷静に言葉を告げた。
「何も怯える必要はありません、私たちはもう人を超えてます、聖騎士なのですから」
自身満々に、誇らしげにアリシアは無い胸を張る。
クリスの視線が一瞬胸にいく。
――小さい。
「何か余計なこと考えました?」
クリスの思考を読み取ったかのように、睨むアリシア。
視線の先を理解したのだろうか、その目はとても冷たかった。
「いや……」
クリスは目を逸らす。
アリシアの冷たい視線にクリスも次第に落ち着きを取り戻す。
しばし考え、言葉を紡ぐ。
「土耳長達が蛇女達と戦っている。俺はどうすればいいと思う?」
「それを私に聞くんですか?」
アリシは呆れたような顔をした。
「ここに来た目的はなんのためですか?」
アリシアの言葉に、クリスが思い出すのは旅の目的。
――そういや、そうだったな。
せっかく団員を増やすためにここまできたというのに、ここで土耳長達を見捨てたら旅の意味がなくなってしまう。
手柄にすることも、仲間にする事もできない。
そんなことはごめんである。
「よしっ」
クリスは気合を入れるために自身の頬を叩いた。
パチンと小気味よい音が響いた。
「まずは様子をみて最大限恩を売るように動く!」
「……ちょっとそれはないと思うんですけど」
アリシアは生暖かい眼差しでクリスを見つめた。
「折角意気込んだのに……もうちょっと格好良く行きましょうよ」
アリシアは不満気に、文句を垂れた。
「気にするな、恩を売っておけばなんとかなるさ!」
急にい楽観的な事を言いだしたクリス。
確かに悪くない方法だが、この場でそれを思いつくその思考にアリシアはちょっとだけ引いた。
「さて、まず隠れながら索敵だ、良い位置を探す、ついて来い」
千里眼の聖痕を光らせながら急に駆け出すクリス。
どうやらクリスとしても少しテンションが可笑しいようである。
アリシアはため息をつくと、とぼとぼ歩いてついて行った。
***
魔物の軍勢は凡そ五百。
北門より離れた場所、草原に布陣している。
あちこちに篝火が焚かれ、夜だというのに周囲は朝のように明るい。
二足歩行のできる狼、鋭い牙と爪の人狼を前列に百。
低い唸り声をあげならが、その研ぎ澄まされた牙と爪は今か今か獲物の血を求めている。
空の狩人、全身を羽に覆われた人鳥を空に百。
落ち着きなく、空中を縦横無尽に飛び回っている。
その声はキーキーと甲高く、聞くだけで人の心をさかなでするだろう。
小さな魔物、片刃短剣で武装した子鬼の群れを中心に二百五十。
緑のしわがれた老人のような体、一見病的にも見えるそれはしかし、眼光はするどく血走っている。
醜悪な顔面、人狼の三倍はあろうかという体、人の胴体ほどはあろうかという棍棒を担いでいる、豚鬼を子鬼の群れのさらに中央に五十。
醜悪な、一見すると太りきっただけにしか見えないその体。
しかし、見た目に反しそれはほとんどが筋肉だ。
手にぶら下げた棍棒を引きずるだけで地面がえぐれるのがその証拠。
手を震えば、周りを固める小鬼など文字通り、消し飛ぶだろう。
さらにその豚鬼に囲まれて守られているのが、それよりも大きな、下半身が蛇で上半身の女である、蛇女だ。
下半身は大きく、蛇にしか見えないが、その鱗は美しく、篝火の光を受けてテラテラと輝いている。
上半身は人族のそれで、腰はくびれ、乳房も大きい、大凡女性に性を求めたらこんな体型になるだろうという体型だ。
そして、その顔は人族から見てもひどく艶かしく美しい。
土耳長の集落を見据えるその顔は、気の強い娼婦のようでもある。
雄に絶対的な魅力があるというのも不思議ではない。
そして、蛇女が軽く手を震えば、魔物がピタリと動きを止めて隊列を組んだ。
魔物の軍勢に対して土耳長の軍勢は二百。
村を守るため北門の石垣の上に展開している。
村へ入るための橋は、村内部に引き上げられ、そのまま門を塞ぐ盾になっている。
武器は長槍と弓が多く、腰に短剣を指しているものもいる。
軽鎧を着こみ、中には盾を構えるものもいるが数は多くない。
数では圧倒的に土耳長が不利である。
けれども今まで土耳長はこの地を守り切っていたのだ。
蛇女達の襲撃は既に百を超える。
十年前からそれは始まった。
初めの襲撃こそ、何人もの仲間が死んだ。
逃げ惑い、隠れ、それでも半分以上が殺された。
襲撃された理由すら定かではないなか、友を殺され、家族を殺され、子を殺された。
襲撃の理由など魔物にしかわからない。
それも理由があるのかさえも疑わしい。
生き残った土耳長達は戦うことを決意した。
もとより聖戦より逃げ延びたものたちが見つけた場所である。
他に逃げる場所など土耳長達にはすでに無かったのだ。
そして戦いは激化する。
二度目の戦いでは蛇女に手傷を負わせ、撤退させる事に成功、村を取り戻した。
しかし、取り戻したのは良い物の、村はひどい有様だった。
家屋はほとんど破壊され、食料は食いつくされ、家畜も全て居なかった。
さらに、殺された仲間達の死体は野ざらしになってた。
犯され、弄ばされたのだろう、体の原型も留めているほうが少なかった。
老人から子供まで、その全てがひどい有様だった。
土耳長達は怒り狂い、決意した。
悲劇を繰り返してはならないと。
死者を供養し、村を要塞化し、己を鍛え、そして土耳長達は強くなった。
失った仲間を思い、怒りに身を焦がす土耳長。
故に……その士気は高い。
***
照らしだされた闇夜の中。
不気味な静寂だけが訪れる。
互いに睨みあっている両陣営。
蛇女が無造作に手を上げた。
「行け、我が軍勢よ!あの無粋な筋肉女たちを皆殺しにするのだ!」
言葉と共に振り下ろしたその手が開幕の合図だった。
合図と共に咆哮をあげて進む魔物達。
大地を揺るがす程に振動は響き渡る。
「誰が筋肉女だ! 魔物風情が! 身の程を知れ!」
エンファが叫び、その長弓を構え、弦を引き絞る。
キリキリと長弓は悲鳴をあげる。
弓のしなりすぐには最高に達し、込められた力が放たれる。
風を切り裂くように、飛び出す銀の矢。
矢は突き進み、蛇女を捉える。
吸い込まれるように蛇女へと近づく。
誰もが蛇女が貫かれるのを幻視した。
それほどの威力を込めた一撃だった。
しかし。
バシッっと軽い音を立て、矢は豚鬼につかみ取られた。
そして、そのまま握りつぶされる。
憤然とする土耳長、笑う豚鬼。
この程度か?
そう言っていそうな笑みを浮かべ声をだす豚鬼達。
高原にあざけるような笑い声が響き渡る。
何事もなかったのかように進軍を続ける魔物たち。
ラミアの周りの豚鬼は精鋭だ。
悔しい事だが、エンファの弓では倒すことは難しい。
エンファは悔しさに顔を歪めるが、すぐさま気を取り直した。
そして、己の役割を全うするため声を貼り上げた。
「弓隊! 放てえええええ!」
その声に石垣の上の土耳長は、魔物たち次々に矢を射掛けた。
次々と飛び出す鏃の雨、もはや豪雨といっても良いだろう。
エンファも再び弓に矢をつがえ、解き放つ。
ドスン、という音。
一匹の豚鬼をその鎧ごと貫いたのである。
精鋭ではない、けれども主力といえる豚鬼の一匹。
エンファは獰猛に顔を歪めながらも笑みを浮かべた。
「次っ!」
エンファの指示により矢は次々と放たれる。
豚鬼を居抜き、小鬼を居抜き、人狼を射抜く。
このまま、制圧できる、一時そう思えるほどには弓は戦果をあげた。
しかし、それはほんの一時に過ぎなかった。
「放て!」
響くエンファの声に、同調する弓使い達。
けれども、徐々に倒れるの魔物の数は減っていった。
倒れる魔物の少なさを疑問に思う。
当たっていないわけではない。
暗がりとはいえ、人形の影には確かに命中しているはずだ。
その証拠に矢の止まった影は動きを止める。
だというのに倒れない。
まるで弓が効いていないような。
今まで、こんな事はなかった事である。
何かがおかしい。
疑問に思うのもつかの間。
いつのまにか、鏃の豪雨の中を抜けて黒い影達が村を囲む堀に近づいた。
人狼達だった。
等身大の何かを持っている。
恐らくそれで矢を防いだのだろう。
――知恵をつけやがった、畜生がっ!
エンファはこころの中で悪態を付いた。
この集落は石壁により半ば要塞となっている。
要塞を利用しての弓矢で相手を減らすのは数の差を覆すための基本戦術だ。
だがしかし、盾をもたれると殺せる数は減少する。
とはいえ、土耳長の強弓はそんじょそこらの盾で防げるような矢ではない。
土人の豪力と耳長の器用さを併せ持つその肉体から放たれるその銀線は生半可な盾では防げもしない。
だというのに、人狼をどういうわけか防げる盾を無数に持って堀に近づいてきていた。
人狼は鏃を受けて針山になっている等身大のソレを投げ捨てた。
それは人狼の死体だった。
人狼の毛皮は丈夫で刃を通しにくい。
さらに、そこに強靭な肉体という緩衝材があれば、貫通できずに盾になるのも理解できる。
だが少なくとも、エンファには理解できたが、納得はできなかった。
「仲間の死体すら道具にするか! 畜生共め! 打て! 撃て! 討て!」
怒りを込めて、叫ぶ、怒鳴る。
理不尽さを糾弾する。
けれど、そんなエンファや土耳長を尻目に人狼は次の行動へと移っていた。
堀の攻略だ。
素早く水に飛び込み、泳ぎ、石壁に登りだす。
しかし、それ指を咥えて見ている土耳長達ではない。
「殺せえ! 登らせるなあああ!」
怒号が響き渡る。
槍で突き刺し、石を落とし、焼けた油をぶちまける。
壁を登らせてなるものか、そんな希薄と共に人狼を叩き落とす。
堀の水が人狼の血に染まる。
松明のみの明かりでも、真っ赤に染まるのがわかるほど赤かった。
「手を休めるな!」
しかし、突如、村の中で悲鳴があがる。
土耳長が一人、血まみれで倒れている。
近くには小さな影が縦横無尽に動いている。
子鬼だ。
気づけば既に無数の小鬼がいつの間に村へと入り込んでいる。
「数が多いぞ、囲まれるなよ!」
すぐさま子鬼を切り殺す土耳長。
小鬼単体は決して強くない。
鍛え抜かれた戦士であれば、正面戦闘で負けることなどありえない。
とはいえ、正面からであればの話ではある。
暗闇の中複数の小鬼に囲まれた、前線ではなく、補充員、予備兵。
単体でいるものから、隙を付かれ幾人もが血の海へと沈んでいた。
さらには事をなした小鬼はあちこちへと散っていく。
撹乱か、それとも陽動か。
「何処から入った!」
門などとうに締め切った、開いているわけがない。
見張りだっておいてある。
だというのに侵入された。
報告は上がっていない。
直後に、誰か悲鳴をあげた。
「空だ!」
みれば、人鳥の足に子鬼がしがみつき、街の中へ落とされていく。
次々と小さい影が村の中へ落とされていく。
暗闇に乗じ、人狼を囮にした上での奇襲である。
人狼の突撃は陽動だ。
まさか、小鬼が人狼を囮に使うなど誰が考えただろうか、だが小鬼での奇襲は本命ではない。
如何せん数が多くとも、土耳長は強靭だ。
不意をうたれ、いくらかはやられたが、決して本命にはなりえない。
いずれは蹴散らすだろう、だがいくらか人数を割く必要がある。
「ちぃ、内門部隊小鬼を討伐しろ!」
内部は混乱しつつも子鬼の駆除に人数を割いた。
だが、その瞬間を待っていたかのように、人狼が勢いを増した。
一番守りが薄い石壁を、数に任せて登りきられた。
石壁の上に進み出たのは僅か数匹。
正面からぶつかるには人狼は土耳長より機敏だった。
数匹の人狼は土耳長達を無視して門の内側へとなだれ込む。
その行先にある門は、先程小鬼駆除に人数をさいた場所。
守りの人数は数人も居なかった。
「行かせるなっ!」
声が響き人狼の元へ駆ける数人の土耳長。
しかしそれを、ここぞとばかりに子鬼が妨害する。
「邪魔だぁああ」
叫び声と共に、すぐさま蹴散らされる、子鬼達。
しかし人狼たちにはそれで十分だった。
村の内側で橋を上げている縄。
それが切り裂かれた。
ドスンッと大きな音立てて堀に橋がかかる。
かくして門は開かれた。
「ブヒャァァァァ!」
咆哮を上げながら、豚鬼たちが村に駆け寄った。
人狼が壁によったことにより少なくなった矢雨を抜けていたのである。
蹂躙だ、殺させろ。
そんな言葉が聞こえてくるような、血走った目で走り込んでいく。
豚鬼の強さは人狼や小鬼の比ではない
その体躯、その豪腕、その打たれ強さ。
本来ならば鍛え抜かれた土耳長でも数人がかりで倒す相手である。
それが無数に門へとなだれ込む。
豚鬼が入り込めば壊滅は必至。
このままでは数に押され村が蹂躙されることは確定だった。
豚鬼の先頭が後数歩で橋を超えるというところだった。
一閃。
暴風が駆け抜けた。
先頭の一匹が棍棒ごと弾き飛ばされ、そのまま後ろにたたらを踏み、味方を巻き込み後ろに下がる。
橋の上、最後の数歩。
ユカラがそこで槍斧を構えていた。
「ああああああああああ」
咆哮をあげるユカラ。
気圧され、一歩下がる魔物たち。
怯んだ隙に他の土耳長達に次々矢を射掛けられる。
たまらず、また一歩、後ずさる。
そこへ、ユカラが追撃をかける。
再び、一閃。
斬という音ともに、防ごうとしていた棍棒ごと豚鬼の首と体を切り離した。
***
クリスが確認したときには、戦場は魔物が有利に、土耳長達が押されていた。
閉ざされていたはずの門は開かれている。
魔物は門に殺到しており、時々上空から人鳥が鋭い爪で奇襲をかける。
徐々に土耳長の死傷者が増えていく。
開け離れた門の先、橋上では豚鬼とユカラが激しく火花を散らしている。
救いがあるといえば豚鬼の体が大きいために複数で橋の上に行けない事だろう。
奇しくも、一騎打ちの形である。
しかし、辛うじて門前で踏みとどまってはいるが、ジリ貧なのは誰の目からみても明らかである。
「あのユカラって奴強すぎじゃね? でも魔物も多いなぁ」
結局いい位置が見つからず、櫓に上り、千里眼の聖痕を発動させたクリス。
広場の櫓の上から戦闘を観察している。
アリシアは千里眼いいなぁとつぶやきながら、一応辺りの警戒をしている。
「しかし、ユカラがやっぱ強いな……豚鬼を一人で五匹は殺してるぜ」
土人の強靭な肉体と耳長の靭やかな肉体がうまい具合に交じり合ったのだろうか。
土耳長の身体能力は猿人では想像もつかないほどに高かった。
特にユカラは常軌を逸していた。
豚鬼と一騎打ちなど、クリスでもやりたくはない。
豚鬼が中位の魔物だが、その力は侮ることはできない。
気を抜けば、その全てをもっていく。
力だけならば、上位の魔物にならぶ。
それほどの力を備えている魔物である。
聖騎士の今ならとは思うが、なる前なら相対する前に魔法を放つだろう。
正面から戦うなど馬鹿のすることだ。
だが同時に、対峙し正面から戦う心胆に驚嘆する。
「身体強化の魔法使ってるわけでもないのになぁ……なんだあいつは?」
関心を通り越して呆れてしまう。
「さっきのですか?」
不思議そうに尋ねるアリシア。
「ああ、俺たちを監視してたやつだよ」
「そんなに強いんですか?」
「腕がいいのはちらほらいるが、体外は田舎騎士とそうかわらない、ただユカラは別格だな、どっちが豚鬼だか分からない馬鹿力だし」
「それだけ強いのがいるのならお手伝いは要らなそうですか?」
「いや、行かなければ全滅だろう、ユカラが単騎がいくら強くとも、他に門を開けられてしまえば、そこから敵がなだれ込む、土耳長には正面きって受け止めるだけの戦力はないはずだ。このままじゃ全滅しそうだ」
人鳥と小鬼による撹乱は未だ続いていた。
今はなんとか防げているようだが、遠目でも混乱が著しい事は理解できた。
だが、先程はユカラの力で盛り返したが、先程同様に門を開けられてしまえば勝機はない。
「では手伝いに行きますか?」
「行くには行くが、正直正面から一匹づつ殺していってもどうこうなる数じゃないと思うんだが、……蛇女だけ潰せないか?」
魔物の中で知能が高いのは蛇女と人狼くらいである。
人狼に指揮官のようなものは見かけない、つまり必然魔物の軍勢の指揮を取っているのは蛇女という事になる。
戦において集団とは、よく動物に例えられる。
そして、その動物の部位頭に当たるのが指揮官だ。
当然、ほとんどの動物は頭を潰せば動けくなる。
集団ならば統率がとれなくなる、という事だ。
「確かに、蛇女を打倒すれば、他の魔物への魅力も解けて、能力も下がるでしょうね、魅力で統率された動きもなくなるかと」
指を唇に当てて考えるアリシア。
アリシアとていくらか勉強はしている。
ともあれ、負け戦をひっくり返す程の戦略を練れるわけではない。
門が開けられ、土耳長達の士気が下がっているのは見て取れる。
ユカラが踏ん張っているが、いずれ限界もくるだろう。
ユカラが倒れてしまえば詰みである。
現状を打開するにはユカラが倒れる前にすばやく打開策を行なわければならない。
「一騎がけでもしますか?」
一騎がけ、所謂英雄の突撃だ。
成功すれば、これほど士気のあがるものもない。
けれどもクリスは否定する。
「一騎がけじゃ馬もいないし時間がかかる、その間に土耳長が持つ保証がない、全滅しそうだ」
「本気出したら、馬より足はやいと思いますけど」
アリシアは膨れて、小さな声で呟いた。
「蛇女を倒して、同時に恐怖を植え付けるにはどうするか……」
クリスが思い描くのは最大の効果をあげる一手。
現状、クリス達は土耳長に捕まった捕虜にすぎない。
土耳長の協力があるわけではないので、戦況を覆す一手を打てるほどの手段と手駒は多くない。
そして尚且、時間がない。
「恐怖って、どっちに植え付けるんですか?」
「勿論両方だ」
即答するクリスだが、案はない。
この先、事をうまく進めるために、力をここで誇示しておきたかった。
アリシアの案も、一揆がけも時間があれば悪くはなかった。
聖騎士になったクリスは豚鬼程度では相手にもならないし。
冷静に観察すれば蛇女でも余裕であると結論づけた。
そういう自負がある。
唸るアリシアは何か思いついたのかぽんと手を叩き、クリスに問いかける。
「翼竜騎士団で過去の戦争の時はどうしたんですか?」
「そりゃ大規模な戦闘は開幕、翼竜の龍の息吹や、数十人で唱える大型殲滅魔法をドカンと一発だな」
それで指揮官が殺せれば儲けものだし、まとめて味方が殺されるのだ。
最低でも敵の士気はさがるし、それじゃなくても対抗手段がなければ大体降伏する。
「クリスがドーンと突っ込んでみればいいんじゃないですか?」
アリシアは考えるのが面倒なのか。
段々投げやりになってきた。
言っていることは一揆がけと同じである。
「ドーンとか……」
何度か反芻するクリス。
口元に手を当てぶつぶつと呟いたと思うと納得したかのように頷いた。
「試してみるか?」
「本当に突っ込むんですか?」
言ってみたものの一騎がけは危険である。
戦場に絶対はない。
「まあ、見ていろ」
言うなり、クリスは腰の細剣を引き抜た。
大きく深呼吸。
小魔力を体に巡らせる。
右肩に、右腕に、右人差し指に、両足に、さらに両目に十字の輝きが宿る。
――距離は九百と言った所か。
腰を引き、細剣を逆手に構えた。
「おらあっ!」
気合の咆哮をあげるクリス。
ブンッという空気を切り裂く音がした。
風が舞あがる。
続いてドンッと何かを突き破る音が聞こえる。
そして最後、戦場のほうでパンッと何か大きなものがはじける様な音がした。
静寂のあと、ざわめきと叫びが、風に乗って聞こえてくる。
「よしっ」
「何をしたんですか?」
不思議そうにクリスを見つめるアリシア。
「使えそうな聖痕全稼働でぶん投げた」
ひと仕事終えたあとのような爽やかな笑顔をしているクリス。
その手には先ほどまであった細剣が無くなっていた。
戦場のほうを視るクリス。
戦場では魔物の軍が統率をなくし、次々と土耳長に打たれ始めている。
「いい調子だ」
次の瞬間、土耳長達の咆哮が聞こえてきた。
クリスが千里眼で戦場を確認する。
「魔物が敗走を始めたな、魅惑が切れたか」
「うわっ、あの土耳長、また豚鬼一刀両断だよ、なんかオークに恨みでもあんのか? 俺が行くまで魔物残ってるかな……」
蛇女を倒したとはいえ、戦ってる所くらい見せておかなければ恩が売れない。
魅惑が切れたせいで形勢が逆転している。
魔物の勢いは衰え土耳長達が追撃をしかけている。
「そろそろ、行こうかアリシア。負傷者を治して恩を売っておけ」
***
二人が現場についたとき、そこはさながら地獄だった。
むせ返るような血の匂い、あちこちに飛び散る、赤黒い跡。
醜悪な子鬼の死体、片翼がなく体中に矢が突き刺さる人鳥一部の死体はすでに腐っているのか、腐臭がすでに漂っている。
そこは元々鍛冶屋だったのだろうか、大きな炉に火を入っている。
疫病予防だろう。
死体を投げ込んで処理をしている。
酷い匂いだ。
とても生き物が焦げる匂いには思えない。
アリシアは思わず涙が溢れそうになる。
クリスも匂いに顔を顰めた。
そして土耳長の被害もひどかった。
打撲や骨折、切り傷で住んだものなどまだ軽い方だった。
肉がえぐれているもの、四肢に欠損のあるもの、目の潰れたもの、内蔵がはみ出ているもの、これらは今の医療技術では決して治らない。
すでに息絶えたものは顔に布を被さられ、端に並べられている。
中には遺体の手を取り、泣きじゃくる家族の姿も見える。
「こういう戦場後は久しいが、やはりひどいものだな」
淡々というクリス。
怪我をして、動く気力もないのだろう、蹲っている土耳長が眼にはいる。
「アリシア治してやれ、治癒の聖痕の出番だ」
アリシアからの返答がない。
不思議に思い、アリシアを確認するクリス。
「アリシア?」
顔を覗き込むと顔は青ざめ、微かに震え口を抑えている。
「戦場は始めてか?」
アリシアはこくりと頷く。
「ちょっと端で吐いてこい、治療はそのあとでいい」
アリシアは口を抑えながら、端の方に走って行く。
怪我人のを手当している土耳長に声をかけるクリス。
「おい、そこの患者を見てるお前」
殺意のこもった目で見られるクリス。
「俺の連れが医術を心得ている、ただ戦場は初なので端で吐いてるから、落ち着いたら手伝わせよう」
「囚われてていた猿人か」
一度は警戒するものの話を聞いて、頷き礼を言う土耳長。
「それと何か武器はないか? 敗残兵がまだいるのだろう? そっちを手伝おう」
怪しげにこちらを見てくるが、諦めたように「助かる」とつぶやき長槍を渡す土耳長。
「連れがきたら、こき使ってやってくれ」
そう言うとクリスは歩きだす。
門を潜ると門番だろう、門上で見張りをしている土耳長に咎められる。
「何をしている!」
「手伝いに行く」
大きな声で返し、槍を掲げ戦場に向う意思を表すクリス。
門番も咎める気はないのか、それ以上は何も言わなかった。
門をくぐるとすぐさまと頭上に黒い影が近づいてくる。
反射的に一歩さがる。
ドサッと音がし、何かがクリスの目の前落ちた。
それは黒と赤にまみれたものだった。
しかし、よくよくみればそれはあちこち啄まれてはいるが、土耳長の体だった。
上ではキーキーと騒がしい人鳥。
体中は血にまみれ酷く死臭がする。
十か二十。
その数は多い。
クリスは思わず顔を顰めるがた。
――まだこんなにいたのか。
門の上では仲間の遺体をみた土耳長があらん限りの悪態を鳥人にぶちまけている。
さらに矢を放ち、石を投げる。
しかし、小馬鹿にしたように鳴きながら飛び回る人鳥にはかすりもしない。
お返しだと言わんばかりに足に抱えた石をクリスや土耳長の頭上めがけて放り投げた。
クリスは外套を脱ぎ、振り払うことで石をから身を守る。
軽鎧だけの土耳長には守るすべはなく、隠れるか避けるしかない。
石垣の上から慌ただしい音が響く。
どうにも土耳長の人鳥に対する対処が悪い。
人鳥が襲撃に加わったのは今夜が初めてだったのかと邪推する。
――やるか?
そう思い、クリスは細剣を投げたときと同じ聖痕を発動させる。
再び両足が、右肩が、右腕が、右人差し指が、両目が、十字の光を宿し輝く。
人鳥が落とした石を拾い、構える。
振りかぶり、投げる。
ブンッ、ドンッ、パンッ、ドサ。
風が巻上がり、空気の壁を突き破り、当たった場所が破裂するように吹き飛とんだ。
そして、人鳥は地に落ちる。
先ほどよりも音が多いのは撃墜後に地上に落ちているからだろう。
悲鳴すらあがらない。
知覚すらできない速度なのだ。
ブンッ、ドンッ、パンッ、ドサ。
都合十七回、空に影が無くなるまでそれは続いた。
中には反撃しようとするもの、逃げようとするものもいた。
しかし、近づけば長槍で心臓を指し貫き、逃げれば唯の的になり後ろから石で体そのものを吹き飛ばした。
それは、作業とも言える行為に見える。
ただ淡々と、冷静に、殺しきる。
「こんなものか」
クリスは独りごちる。
――やはり神話の時代ほど強くないのか……それとも聖騎士の身体強化が強すぎるのか。
結果は理解できていた、予想も出来ていたが、それでも現実の戦闘結果には顔を顰めるしかなかった。
作業が終わった後には人鳥の体が散乱していた。
返り血はわざわざ避けたのか、クリスの服には血一滴ついていない。
門の上に居た門番の土耳長は目を見開いている。
クリスは先ほど人鳥に落とされた遺体を抱え、門の中の土耳長に渡す。
「頼めるか?」
「……ああ」
頷き、受け取る土耳長。
その顔は戸惑いが浮かんでいる。
「先を見てくる」
そう言って歩き出すクリス。
土耳長は気をつけてという言葉を飲み込んだ。
たった一人で二十近くの人鳥を殺し尽くした者に対し、何に気をつけろというのだろうか。
クリスが見えなくなるとまた土耳長は見張りに戻った。
***
戦いは終わり、気づけば夜が明けていた。
蛇女とういう指揮を失い、統率を失った魔物たちが選んだ手段は逃走だった。
もともとほとんどの魔物は群れるものではない。
特に体が大きい種族になるほどそれは顕著になっていく。
魔物が布陣していた平原をユカラ、エンファを含む土耳長が四人、警戒しながら進んでいる。
先行していた斥候と思わしき、土耳長が何かに気づき声をあげた。
「蛇女の死体があるよ!」
魔物の軍の中心があった場所。
草原の真ん中に、胸から上がない蛇女の死体があった。
「なんだこれは……」
ユカラが呟いた。
蛇女の死体は胸から上が弾け飛んだのか、胸の上に大きな穴が空いたかのように、首が弾き飛ばされていた。
――どうやったらこんな事になる?
近くを探すと蛇女の首が落ちていた。
その顔は何が起きたのかわからないのか、歪んですらいない。
つまりは、その何かを認識できずに死んだ事を意味している。
――即死か、これは一体どうなっている?
門が開き、豚鬼と戦っていたら急に魔物が引き始めた。
これを機会にと追いかけ、掃討した結果がこれである。
今日こそは仕留めると意気込んだあげくにこれでは、納得がいかない。
「やはり魔物が引いた理由はコレでしょう」
エンファが蛇女の死体を睨む。
「理由はわからんが蛇女が死んだおかげで助かったのだと思う……。 しかしどうしたらこのような殺し方ができる」
蛇女の死体はの傷跡は剣の痕でも、魔法の痕でもない。
少なくとも、ユカラが知る限りでは、どうやってもこのような殺し方はできないだろう。
慎重に、辺りを確認しながらユカラは蛇女の死体へと近づいた。
一歩、二歩、辺りを警戒しながら近づくと、靴が硬いもの踏みつけた感触を伝えてきた。
何かと確認すれば、靴は見たこともない装飾の細剣を踏みつけていた。
刀身には傷一つなく、刃は銀に輝いている。
この村の物ではない、儀礼剣にも近い飾り。
そして、そもそも、剣などこの村では作っていない。
――なぜこんなところに?
狩りに剣を持っているとしたら、それは村以外の者である。
ユカラの記憶にあるのは昼間に捕まえた二人の猿人。
子供は杖を持っていた、気の強い娘は、確か腰に鞘が――。
拾い上げると同時に後ろから声がかかった。
気の強い娘の声だった。
「よう、この辺に俺の細剣落ちてなかったか?」
その声にユカラ達は振り向いた。
すると、そこには、クリスが一人で佇んでいた。
2018/5/16