八話 異端
エフレディアから五十キロメートル程南下した所にある広大な農耕地帯。
季節が季節ならば、そこには大量の麦が穂を揺らしていただろう。
けれども、代わりにそこには黒い影が、うごめいていた。
それは全身を黒い鎧に包まれた重歩兵。
平原を染めるかのように、進行している。
通り過ぎたあとには、不気味な静けさのみが漂っている。
「巫山戯た数ね……」
遠視と投射による複合魔法。
それを物見の騎士達に展開させ、フランシスはその映像をみて、そして固唾を呑んだ。
イスターチアの兵士は大凡二万。
これが先行部隊だというのが、恐ろしい。
後人にはさらに二万が控えていると言う。
そして、何より恐ろしいのはその行軍。
全員が重歩兵だというのに、一切ぶれもせず、休みも挟まずに行軍を続けている。
「なぜ騎兵を連れてないのか、気になる所だけど……」
違和感を感じる。
戦争であれば、機動力の高い幻獣は必須である。
それなのに、イスターチアは幻獣どころか、普通の馬すら連れていない。
武器さえ違えど、兵士は全て重歩兵のみ。
本来あらざる構成である。
気にはなる、けれども、敵ばかりを気にしていることもできない。
指示をだし、視点を切り替えさせる。
写るのは無数の竜の群れ。
先陣を切るのは翼竜騎士団がグラン・サーシェスが率いる竜騎士が百騎ほど。
その後ろには、風竜騎士団が竜騎士が五十騎ほど。
これだけみれば大した数ではない。
けれども、遥か下、大地に控える竜の数は史上最多であろう。
先陣を切るのは地竜騎士団、竜騎士が二百。
周囲に散らばるように蛇竜騎士団、竜騎士が三百。
騎士の数などわずか千にも届きはしない。
けれども、エフレディアを大国と言わしめるには訳がある。
その広大な領土、それを収めるだけ事ができる軍事力、そして竜の多さから機動力の高さ、他の追随を許さない情報収集力。
それがエフレディアの強みである。
竜の国、エフレディアはそう呼ばれる。
映像が動きを見せる。
映像の中では、翼竜騎士団が次々と高度をさげはじめていた。
「いよいよね……」
***
「下降、攻撃準備!」
グランが叫ぶ。
合図ともに、竜騎士達は散開し、おのが相棒の顎を地上へと向けさせる。
中には、同時に己が魔法を詠唱しはじめるものもいる。
「放てええええええええ!」
弓矢が届かない、ギリギリの距離、それを図りグランは叫ぶ。
百五十騎にも及ぶ、竜の顎から、それが放たれた。
瞬間、光が視界を埋め尽くす。
走る、光の濁流。
光は、大地を焦がす。
そして衝撃が迸る。
まるで、世界を破壊せしようとしているかの如く。
光に遅れて、爆音が響く。
連鎖的に続く、破裂音。
音が唸りをあげて、全てを飲み込んだ。
***
映像が光で途切れた。
けれども、それを見ていたものは歓喜に震える。
一部では歓声すらあがっている。
これが、竜の吐息か、と。
幻獣最強と言われる、竜。
それがもたらす最強の破壊。
エフレディアを大国せしめんとするそれは、敵軍を飲み込まんと放たれた。
圧倒的な破壊。
二万の軍勢だろうと、一瞬にして食い破るだろうと思われる。
否、誰もが勝利を確信した、確信するほどの威力であった。
勝ったと、これで勝てなければ嘘だ、と。
フランシスでさえ、その威力には驚きを隠しきれなかった。
僅かに目は見開き、頬は紅潮している。
それはそうだろう。
これほどの威力、重歩兵といえど、たかが歩兵が、どのような方法で防ぐというのか。
戦いはこれからだというのに、既にエフレディアは浮ついていた。
けれども、一人。
普段ならば、このような場所に居ない人物。
壮年の頭頂部が禿げ上がった男性。
最古の聖騎士……大司教は静かに、目を光らせた。
「……不味い」
そして、不吉な台詞を吐き出した。
「えっ?」
横でつぶやかれた言葉に思わず振り返るフランシス。
大司教は真剣な眼差しで、目を光らせ、戦場の方角を見つめていた。
不思議に思うも、すぐにその疑問は表解した。
「なんだっ!」
「そんな!」
悲鳴のようなその声に、再び映像に目をやれば、そこに写されたのは、無傷のイスターチアの軍勢と、半数以下に減った、竜騎士達の姿だった。
「何が起こったの!?」
「わかりません、光が収まったと思ったら竜騎士達は既に半数以上落ちていました!」
報告の声に、何を馬鹿なと言いたくなる。
いったい何が起こったというのか、総数百五十にもなる竜の吐息を受けて、被害をだす所か、こちらが半数以上の竜騎士を失うなど馬鹿げている。
思わず、気が遠くなりそうになり、僅かにふらつく、吐き気までこみ上げてきた。
「おっと……」
大司教がフランシスを支え、その目でフランシスを見て、軽く目を見開いた。
「なるほど……、成就は近い。なれば逃げましょう……」
行き成り逃げるなどと言う大司教にフランシスは猜疑心を露わにする。
「何を言って……!」
思わず叫びかける、こんなタイミングで、この場所を、指揮を離れられるはずがない。
「既にお一人の体ではありません、お下がりを……」
けれども、たんたんと紡がれるその言葉。
フランシスはピンと来る、とある可能性が浮上する。
「まさか……、けれども、どうして今なのよ……」
吐き出すようにつぶやかれる言葉。
本来ならば、嬉しい事だ、けれども今その事実は非常にまずい。
「神殿……、聖杯の間に行きましょう、今の貴方なら通れるでしょう」
「……だけど!」
「私もご一緒しましょう、お急ぎください。気取られぬように」
ふざけるな! フランシスがそう言おうとした時だった。
再び周りから歓声があがった。
映像に写る姿は、敵と戦う竜騎士達。
超低空飛行で、空を翔け、敵陣のまっただ中へと突き進む。
大きな者なら二十メートルにもなる、その竜の体躯。
何も、竜の吐息だけが竜の武器ではない。
風を切り裂いて、竜達は進む。
爪で、牙で、時にはその尻尾で、敵の重歩兵をなぎ払う。
矢など刺さりもしない、なまくらな剣など打ち付けた方が折れるだろう。
「今はまだいい、けれどもいずれ王城も戦場に成りましょう。エフレディアの血筋を途絶えさせては成りませぬ」
出鼻はくじかれた、しかしだ、まだまだ大勢は決まっていない。
けれども、大司教はフランシスに退避しろという。
この大司教には何が見えているというのか、確かに先行部隊の半数はなぞの墜落を果たした。
けれども、まだ戦は始まったばかりである。
竜騎士の後ろには、幻獣騎士達だって控えているというのにだ。
なぜ、このタイミングなのか、不気味にすら感じる。
「おはやく」
そう言ってフランシスの手を引く大司教。
「待ちなさい」
しかし、そこで待ったをかけたのは、紫の僧服をきた男。
枢機卿だ。
辺りには聖騎士だろう、神官戦士の服に身を包んだ、銀髪の、恐らくは聖騎士が四人ほど控えている。
そして、全員が手を剣に構えている。
突然の自体にフランシスは息を飲む。
なぜここにいる?
ここは王都を守る外壁の上である。
許可がない人物が、入っていいような場所ではない。
ライラールの後ろに、見覚えのある、ねじれた髪型が見えた気がした。
ふと、フランシスの視線を大司教が遮るように前にでた。
「どういうことだ、ライラール? 私に剣を向けるのか?」
「貴方の盲目加減には、うんざりだ。生憎と私は現実主義者なのでね、悪い芽は、芽吹く前に詰んでしまう主義なのだよ」
一人の聖騎士が前に進み出る。
瞬間感じる感覚、閉塞感。
見えない何かに囲まれている、そんな圧迫感をフランシスは感じ取った。
「隔絶の聖痕か。四聖騎士まで担ぎだして、女一人に、老いぼれ一人殺すが、そんなにも恐ろしいか? ライラール」
隔絶の聖痕。
それは、指定した範囲を世界から一時的に切り離す聖痕だ。
切り離された空間は、いかなる術をもってしても、抜け出すことは叶わない。
言う成ればそれば、見えない監獄である。
仮に抜けだそうとするならば、それは術者を殺すしか方法はない。
「なんとでも言うがよろしいでしょう。ここで逃すわけにはいかない、神託など成就はさせはしない!」
「なんと、愚かな、それで枢機卿となどよく名乗れたものだ」
「愚か? 愚かなのは貴方のほうだ、自身の娘の言葉を、盲目のように信じこむ。例えそれが破滅へ向かう道であろうとも」
ライラールは一歩さがる。
すると同時に四人の聖騎士が前に歩み出た。
「「「「……」」」」
四聖騎士と呼ばれた四人の目は虚ろだが、けれどもその動きは機敏である。
無言で、剣を構える。
「何をしたのか、知らないが……、無駄だったな、これなら意識があったほうが強かった」
大司教は、そう呟く。
気づけば大司教はチンっと小さな音がして、鞘に剣を収めている。
そう、収めているのだ。
いつの間に抜いたのか、それは確実に抜いて戻した後の行動だ。
「何を既に勝ち誇っているのやら……まずは一合くらい打ち合ってみてはどうですか? それとも、その腰の剣は飾りですかな?」
けれども、ライラールは不敵に嘲笑う。
「だから、愚かだというのだ、お前は……、既に騎士たちは死んでいるというのに」
そう言って、大司教は目を伏せる。
「何を馬鹿な!」
叫ぶライラール、騎士たちを確認しようとする。
けれども、その前に聖騎士達は崩れ落ちた。
「なに……」
解かれる、隔絶の聖痕。
辺りを囲んでいた違和感は、消え去り、辺りは平穏を取り戻す。
「くっ……」
ライラールは己が腰にある、剣に右手をかける。
「お前も、ここで散りなさい、ライラール、愚かな弟子よ」
けれども、瞬間、剣を抜こうとした手が、肩から先が消え去った。
「ぬああああああ……」
噴き出る血、すぐさま死ぬような傷ではないが、止血しなければ、確実に死に至るだろう傷である。
「私の腕が! 私の腕が! 貴様、貴様っ、よくも!」
けれども、戦意は衰えないのか、ライラールは逆の手で剣を引き抜こうとする。
プシュッ。
軽い音を立てて、残った左腕も、その肩から落ちた。
「ああああああ」
あがる絶叫。
周囲にいた騎士たちが何事がと騒ぎ、こちらに気づく。
目を見開きぎょっとする。
「何事かっ!」
そして、いち早く自体に気づいた騎士たちがフランシスを囲むように、守りについた。
手駒をなくし、両腕をなくし、それでもライラールは、立っていた。
その目に憤怒を込めて、大司教を睨んでいる。
「おのれぇ……ゼオル・リード……!」
「おや、久しく呼ばれていない名だ、覚えていたのか……?」
「かつての師の名だ、忘れるはずもない……」
「そうか、なら師として、弟子に引導を渡してやろう」
大司教はそういうと初めて、見える速度で腰の鞘から剣を引き抜いた。
それは無骨な剣だった。
黒く光沢を放つ、一振りの片手平剣。
右手に構え、振り下ろす。
たった、それだけ。
それだけで、剣は光を産む。
そして、そして光は見えない刃になって敵に襲いかかる。
「悪いが、そいつにはまだ死んでもらっては困るのだ」
けれども、小さく、聞こえた言葉。
それは、ハスキーな女性の声。
どこか威厳にあふれている。
吹き抜ける突風。
声と同時に見えない刃が消え去る。
否、消え去るなどという、生やしいものではない。
それは、剣圧だけで光の刃を消し去ったのである。
そこに立つのは、褐色の肌に銀の髪、赤い瞳の女。
露出の大きな、娼婦のような服装。
大剣を肩に担ぎ、悠々と佇んでいる。
「異端者か……」
大司教は忌々しそうに呟いた。
「異端者? 見解の違いであるな、我は勇者レイネシア、我から見ればそちらが異端なのだ」
その言葉に、ざわめく辺り。
「助かった、勇者よ……礼を言う……」
「うむ、良かろう、では逃げるが良い、ここは我が受け持とう。ネルよ、ライラールを頼むぞ?」
勇者がそう、どことへもなく声をかけると、黒髪の女性、まるでネルは影から這い出るように姿を現した。
そして、勇者に向けて、頷き。
ライラールを抱えると再び影の中へと姿を消した。
「見逃してくれるとは殊勝な心がけではないか? 大司教よ?」
勇者は嘲笑う。
その両目には黒く輝く、十字の光。
「ライラールに切りかかれば、私が死んでいたでしょう」
「そうか、そうか、よく解っている」
大司教の呟きのような返答に勇者は嘲笑う。
「だが、どちらにしろ、貴様はここで逝ね」
それが、合図か勇者はその身の丈ほどの大剣を片手でやすやすと振り下ろした。
衝撃。
バリバリという轟音。
地割れが起こる。
大司教は飛び退る。
「遅い」
ぞっとするような、底冷えするような声。
それは大司教の下から現れた。
地面を走るように勇者の剣が高速で回転して飛んでくる。
触れれば、触ったものが砕け散るであろう、その速度。
それは、飛去来器の如く、大司教に襲いかかる。
「ハァ!」
小さな、掛け声。
回る大剣を紙一重で交わし、回転の軸に己が剣を叩きつける。
大剣の回転がとまり、地面に剣が転る。
かに思えた。
つぎの瞬間、大剣は再び速度を増して、大司教へと飛来する。
再びはじく、大司教。
「ぬうっ」
重い。
一撃めよりも、剣の回転が速くなっているように思える。
回転が早くなれば、その分、遠心力で威力があがるのは自明の理。
二撃、三撃と責め立てられ、その度にはじく。
弾かれる度に剣は速度を増していく。
いかなる魔法か、それとも魔法武器か、剣は何度も大司教に襲い掛かる。
「ハッハッハ、踊れ踊れ、良い余興だ」
勇者は大司教を嘲笑う。
「のぅ?」
そして、振り向きもせずに裏拳一撃。
勇者にこっそり近づいていた、一人の騎士が首を飛ばした。
恐るべきはその怪力か、軽く振るわれたそれは、余波でもって、騎士の首を飛ばし、そのまま体を吹き飛ばした。
勇者の気がそれた、そのわずかな隙。
大司教は、二本の光の刃を勇者へと放つ。
縦に横に、合わさり十字に。
光の刃は勇者を四つに切り分けた。
「お?」
間抜けな声とともに、ボタボタと崩れ落ちる勇者。
とまる、大剣。
「……勝ったの?」
呟くのはフランシス。
ライラールが、現れてからわずか数分の出来事。
フランシスはわけがわからなかった。
けれども、大司教は顔を顰めたまま、勇者の死体に再び光の刃を放った。
けれども、今度はそれは打ち消される。
死体へ到達する前に霧散する。
「ハッハッハ、また死んでしまったわ! やはり大司教は一筋縄ではいかんな!」
切り刻まれた死体が喋り出す。
何が楽しいのか、その声は喜悦を含む。
そして、笑い声とともに奇跡が起こる。
奇跡、としかいいようのないそれ。
まるで、巻き戻しかのように勇者の体がくっついたのだ。
「体はいいが、服が足りんな、うむ」
呟き、半ば裸の勇者が、大司教をみて嘲笑う。
「我の裸を見ても、勃たぬとは、そちはもう現役を引退したほうがいいのではないか?」
勇者の誂いに、大司教は返しもしない。
否、返す余裕もないのだ、なぜなら思考は、驚愕でうめつくされているのだから。
「その再生力……聖痕の色、まさか……」
魔法や、聖痕の力ではありえない。
不死族や竜よりも高い、回復力。
「暗黒騎士……」
その言葉に、ニヤりと嗤う勇者。
「そうだ、完成したのだよ、お主らが、聖騎士やら神託やら古臭いものに囚われている間にな」
その言葉に眉間に皺をよせる大司教。
「……ここで始末する」
「やれるのか? 老いぼれ聖騎士ごときに?」
「やらねば、ならぬでしょうな」
互いに剣を構える。
勇者は両手で上段に、大司教は片手で中段に。
濃密な殺気のぶつけあい。
先ほどまでは遊びだと言わんばかりである。
そして、ただ静かに、その瞬間を待ち続ける。
周りにいる騎士すら、まともに相対できるものは居はしない。
腕に覚えのある騎士はほとんど前線へと出てしまっている。
雰囲気に飲まれ誰かが、ごくり、と息を飲んだ。
本来ならば、気にもならないような音。
けれどもそれが響いたかのように、辺りには聞こえた。
そしてそれは、合図となった。
***
「突撃陣形!」
グランが叫ぶ。
叫びに、合わせて風の魔法でずべての部隊に言葉が伝わる。
グランと筆頭に、矢印のような陣形を組む、翼竜と風竜。
地面すれすれ、を飛び交い、敵をなぎ倒し、敵の陣を食い破る。
超攻撃的陣形である。
「上昇!」
切りのいい所で、敵から離れる。
敵に対策を取られる前に、空へ素早く逃げる。
攻撃及離脱を繰り返す。
けれども、此度の戦いでそれはあまりに意味を成していなかった。
開幕の竜の吐息、それはイスターチア軍に被害を出さなかった。
しかし、それどころかエフレディアへと牙を剝いた。
跳ね返されたのだ、竜の吐息を。
逃げれたものは、後方にいたおよそ半数。
前線はほぼ壊滅。
魔法を、跳ね返す、黒い鎧。
イスターチアが今回の戦争で仕掛けたのは、この黒い鎧の開発が出来たからであろう。
普段、戦争において一流の魔法使いが、戦略的に重要になる事は多々ある。
当然だろう、一人で何人も何十人も同時に殺せる魔法があるのだから。
竜の吐息も原理は魔法に近い。
それ故跳ね返すことができたのであろう。
だがしかし、逆に魔法がない戦争ならば?
どうなる?
答えは簡単だ、純粋な物量、兵士の数が物を言う。
最強の幻獣たる竜。
けれども、竜とて生き物だ、疲れなしというわけではない。
余程の大型でなければ魔法なしでも、百人程で倒す事は可能だろう。
竜の吐息を防げるというのなら、その人数はさらに減少する。
「放てー!」
号令一斉、イスターチアの軍から、網のような物が投げられる。
否、ような物ではない、網だ。
どういう原理か、竜にその網が触れるとくるくると翼に巻きつき、竜を縛り上げる。
僅かに動きの鈍った竜を無数の投げ槍が襲う。
それは、外した場合に下にいる仲間に当たることすらお構いなしに。
事実、構う必要などないのだ。
黒き鎧は武器すらはじく、竜の爪や牙でこそ切り裂けるものの。
余程丈夫な鎧なのか、勢い任せに吹き飛ばした程度では、なかなか死に至らない。
けれども、網に掴まり、地に墜ちる竜達、竜騎士達も有効打も撃てずに除々にその数を減らしていく。
徐々に減っていく仲間を見て、グランは思う。
不味い、と。
このままではやがて二陣の地上部隊を待たずして第一陣の航空部隊が崩壊してしまう。
なれば、敵は勢いづき、雪崩のように、王都に押し寄せる可能性が出てくる。
ここで止めなければいけない。
成れば、何をすればよいか。
グランの目的はただひとつ。
敵の指揮を落とす、その一点に集約される。
数回の突撃、守りの厚い所が何箇所かあった。
なれば、そこに敵の指揮官がいる可能性が高い。
勘を頼りに、場所を選ぶ。
イスターチアの指揮は攻撃的な布陣である。
歩兵だけという特殊な、編成ではあるが、その鎧は魔法を跳ね返す特性を持っている。
そして丈夫だ、なればその性能と兵の数を頼みに押し切るのが常道である。
そして、指揮の網や投げ槍など、対竜用の装備を充実させている事実から、指揮官は用意周到な人物だと思われる。
なれば、結果はおのずと見えてくる。
用意周到な人物というのは、同時に臆病な人間だ。
いるとすれば最も守りが厚く。
けれども、同時に戦場が把握できる場所。
中央より僅かに後方、それがグランのだした答えであった。
「一陣撤退! 俺が時間を稼ぐ! ジャック指揮を頼む!」
叫ぶグラン。
「何を馬鹿な! 死ぬ気ですか!」
すぐさまジャックに叫び返される。
「俺は死なねえよ!」
そう言って、グランは翼竜から飛び降りる。
「ああ、もう! ガルム、指揮を頼みます! 撤退するだけなら問題ないでしょう!」
「えっ、俺っ? って副団長までええぇぇぇ!?」
飛び降りた、二人を呆然と見つめるガルム。
けれど、敵兵の投げ槍が飛んでくるのが見え、慌てて手綱を握る。
「全体、撤退いいいいいいい!」
ガルムは半ば恐慌状態で叫ぶ。
「特攻は戦場の華……このディラン・ライトリアもそちらへ……」
ガルムの後ろにのっていたディランが寝ぼけた事を言う。
「ばっかお前、団長達と一緒にすんじゃねよ、お前なんか秒でミンチになるぞ!」
普段は、ディランに逆らいもしないガルム。
けれども、今日は流石にそうはいかないようだ。
「……言うように、なりましたねガルム」
ディランも僅かにムっとする。
「当たり前だ、こちとら命がかかってる、とっとと指示どおりに撤退だ! 二陣へ合流する!」
そうして、一陣は後退を始めた。
グランとジャックを残して。
***
頭が重い、くらくらする。
無茶をした代償という事だろうか?
視界が歪む。
確かに無茶をしたが、すぐさま聖水や聖丸で回復はしたはずである。
「はぁ……はぁ……」
荒い息をつく、体が熱い。
体長がおかしくなったのは洞窟に入ってすぐの事だった。
真っ先に気づいたのは、猛虎騎士団の黒虎だった。
後ろに居たはずなのに、どういうわけか人混みをかき分け黒虎はぐるぐると喉を鳴らし、クリスを背に乗せたのだ。
飼い主である、騎士を振り下ろして。
騎士は半ば呆然と、それを見ていた。
とはいえ、すぐさまエンバスが気付きそのまま、黒虎の上に乗せていく事になったのだ。
今は器用に、黒虎の背中で、仰向けに寝転がっている。
「奇跡の代償って奴でさ?」
ガレッドが静かに、クリスに問かけた。
「似たようなもの……だ、どうやら無茶をしたらしい」
自嘲気味に笑うクリス、確かに無茶をしたと思っているが、問題はないはずであったというのに、どういう事だろうかと自問する。
「だろうよ、あんな魔法見たこともねーし、聞いたこともねー、尚且つ、あんたは女で普通は魔法を使えねー、だっていうのに、これでお前がぴんぴんしてたら納得ができねえってもんだ」
したり顔で、デスターは頷く。
クリスに呼び出された事が関係あるのか、看病を名乗りでたのだ。
エンバスとセシリアは反対したものの、クリスが了承したため、しぶしぶと任せたのだ。
一応ガレッドにも、デスターが問題を起こさないようにと見張るようにという名目で残ってもらっている。
セシリアなど、ならばと、陛下をみつけるために走りだして行ってしまった。
エンバスも慌ててそれに続いた、妹が陛下に無礼を働かないように。
「他の騎士も付きあわせて悪いな、陛下にはやくお目見えしたいだろうに」
クリスそう言って嘲笑う。
「台詞と表情が合ってねえよ?!」
デスターが思わず、突っ込んだ。
「とはいえ、功を焦る者よりも、もとよりご親戚で在らせられるリリィ家のお二人を遣わすなら、角もたたんでしょう」
流石にガレッドはこの中で最年長なだけはあり、冷静に現状を見極めている。
「それよりも、クリス様はリリィ家とはいえ庶子と聞いたでやんす。しかも、女性なれば本来庶子としても、認知はされないようなお立場では? なら何を置いてもご自分が先に駆けつけるべきだったのでは?」
ガレッドが問うたのは当然のことだ、対外的にクリスの立場というのはとてもあやふやである。
庶子で、なおかつ女性、男性優位なこの世界。
本来ならば、女性のクリスならば在野に捨て置かれる程度の価値しか無い。
「そうか……、本来ならばそうであろう、だが俺には必要の無いことだ」
何かを隠すように薄っすらと、クリスは自嘲する。
ガレッドはなにかを感じ取ったのか、静かに口を噤んだ。
「けっ、気取りやがって。権力に興味が無いとでも言いたげな口ぶりだな?」
けれども、デスターが吐き捨てる。
農民の出であるデスターからしてみれば、贅沢な悩みでもある。
庶子とはいえ、女とはいえ、認知された貴族の子。
なればより上を貪欲に目指すのが当然ではないのかと、もしも自分がその立場ならば、そうしているとデスターは思うからだ。
「興味、興味か……興味はないな、けれども要らないとは、言いはしない、俺も使える所は使っている。そのほうが都合がいいからな」
クリスはからからと笑う。
「……だが、権力など、ただの道具に過ぎない、金と同じだ。必要なだけあればいい」
その言葉にデスターは毒気を抜かれた顔になる。
「ふん、意味のわからない事を言いやがって」
「そうか、俺もよくわからんな、とりあえず……眠いんだが、寝てもいいか?」
「陛下に合う時どうすっんだよ!」
「知らんが、任せる、ほらここが権力の使い所だ」
そう言うとクリスは静かに目を閉じる。
本当に疲れていたのか、すぐさま寝息が聞こえるほどに。
「そんなの有りか……」
呆れたというような表情を浮かべるデスター。
ここは既に危険地帯である。
いくら周りに騎士がいるとはいえ、すぐさま眠りにつくとは、デスターには信じられなかった。
「寝かしておきやしょう、デスター殿。聖騎士の力は我々の見識の範疇の外にありやす」
ガレッドそう言ってデスターを窘める。
「聖騎士? 神の加護を受けた聖戦の戦士達の事だったか? こいつがそうだって言うのかよ?」
「知らんので? 王妃様の騎士団は全て女性の聖騎士と巷では噂に成っているくらいで」
「ってことは、こんなのが何人もいるってのかよ、冗談だろおい?」
信じられないというふうに、デスターは叫ぶ。
思い出されるのは、不覚を取ったあの二撃。
僅か二撃で、デスターの意識は途絶えたのだ。
「少なくとも、クリス様の姉君、セシリア様の剣筋にはあっしには見えず……」
「……おい、まて、さっき走って行ったもう一人の女だよな? そんでその名前、聞いた事があるぞ? 前代の地竜団長の片腕を飛ばした女ってのも……確か」
「おそらく、セシリア様で……間違いない……」
落ちる沈黙、デスターの顔は僅かに青ざめる。
「……こいつの姉貴のがやばいんじゃねぇか?」
静かに眠るクリスを見やる。
「さて、あっしには判断つきかねます」
そう言うとガレッドは、隧道の先を見つめる。
「どうした? ガレッドさんよ?」
「なにか違和感が……、いやなんでもありやせん、狭い隧道とはいえ、隊列は崩さずに行きやしょう」
「ああ、そうだな、隊長がこんなんじゃ現状指揮はあんたしかいねえだろ、気張ってくれよ」
「おや? デスター殿は指揮に自信があったのでは?」
誂うように、ガレッドは笑う。
出発前の一騒ぎの事を言っているのだろう。
思い出したのか、デスターの顔が羞恥に赤くなる。
「ありゃ、こんな小娘に指揮を取らせたくなかっただけだ」
そう言うと、デスターはそっぽを向いた。
ガレッドにもデスターの言わんとする事はわかる、考えても見れば、王妃様の命令で無ければ、セシリアの腕前を自身で見ていなければ、自身が指揮を取ると言ったかもしれない。
否、ここにいる騎士のほとんどがそうであろう。
なぜなら、騎士にとって、本来女性とは守るべき対象なのだから。
「時代の流れって奴ですかねぇ……」
ガレッドは静かに呟いた。
確か、団長の娘さんも……、と益体のないことを思い出す。
「行きやしょう、下位の不死族くらいはでるかもしれやせん。暗視は常にかけていきやしょう」
ガレッドがそう言って、一行は頷き静かに、隧道を進んでいった。




