六話 激動 創世の欠片
救出隊は無言で渓谷を進む。
既に時刻は夕暮れ時だ。
霰にうちつけられながらも、粛々と道無き道を歩んでいく。
あちらこちらは泥濘、凍り、意味がわからないほどに歩きにくい。
おまけにあちらこちらには、骨の破片のようなものが散らばっている。
さらに道幅は広くなく、大型の竜ならば一匹通るのがやっとだろうという広さである。
上にいけば多少の空間はあるが、これでは赤竜ではきついだろう。
「おい、ガレッド……本当に陛下を連れてこんな所を通ったのか?」
クリスはブーツでガシガシと氷を砕きながらガレッドに問うた。
「へい……」
クリスの問に、頷くガレッド。
火竜騎士団は馬鹿なのか?と思わず問いただしたくなる。
けれども、急ぐ理由もあったのは確かなのだが。
「これはない……」
思わずため息が漏れる。
霰で衝撃をうけ、濡れて、さらに足元が氷ついていたり泥濘んでいたりと歩くだけでも一苦労である。
さらに寒さも相まり体力を奪われる。
「視界も悪い、外套一枚ではきついなこれは……」
「ですが、ここを抜ければ、ノーザスまでの距離を二週間は短縮できるので……」
むしろ、それくらいできなければこんな道通りたくもない。
その時、バキボキと何かがへし折れるような音が聞こえた。
「伏せろ!」
叫び、全員が地に伏せる。
頭を低くし、霰が降り注ぐ痛みに耐えて、外套で身を隠す。
ゴウっという、音ともに、何かが上を通り過ぎた。
「あれが、居なければな……」
通り過ぎたのを確認したあとに、そっと頭をあげて見るのは巨大な腐敗竜。
普通の竜の十倍はあろうかというその巨躯。
狭い道を、体をぶつけ、己の体を壊しながら、けれどもそれを気にもしないで飛び続けている。
はじめにアレを見つけたときは、何事かと思ったものだ。
ガレッドが伏せろっと叫ぶまで、皆放心していたものだ。
この立地であれほどの巨体。
魔法や剣などなんの役にもたたないだろう。
これでは、火竜騎士団とはいえ、やられてもおかしくはない。
「でかすぎだろう……」
思わず呟くクリス。
「恐らくは、赤竜をも取り込んでいるかと……襲撃された時よりも大きくなっている気がします」
神妙に呟くガレッドに、クリスは眼を見開いた。
「吸収の力を持つ、竜だと、おいおい、原種の不死族か?」
原種……そもそも竜とは、神話で生き残った光竜ミナクシェルの子孫である。
幻獣最強と言われるのは、神話を唯一生き残った、十二獣直接の子孫だからである。
他の幻獣は子孫ではないので、格が下がる。
そして、その原種と呼ばれるものは、光竜ミナクシェルから産まれた、最初の子孫たち。
竜、場合によっては純竜とも呼ばれる獣達だ。
光竜ミナクシェルほどではないが、その力は強大であったという。
そして、その得意な、強大な能力こそが吸収。
己が食らったものの、力をまるごと手に入れる事ができるというものだ。
神話では光竜ミナクシェルは幾度となく、敵を食い殺している。
その度、力を増し、十二使徒の力となったという。
その力の一旦が、子孫である竜も受け継がれているのだろう。
「あれは不味い、倒せる所が想像できない……」
「でしょうな……あれほどの質量、例え竜の吐息だろうと意味を成さないかと……それどころか、下手に渓谷を崩せばこちらが生き埋めになってしまいやす」
ガレッドの言葉に頷くクリス。
けれども、ふと己が腰を見る。
そこには出立前に王妃から受け取った、竜殺し。
恐らく、人の手で作られたものではないだろう、その細剣。
竜殺し、など大層な名前であるが、その能力は未知数だ。
何処の誰が作ったともわからない、らしい。
キーワードはたった一つ。
”薙ぎ払え”である。
効果も不明であるという、国家戦力である竜にまさか試すわけにも行かず。
とはいえ、竜の鱗をやすやすと貫くほどには丈夫であるという。
一応は宝剣であるが、竜の国とも呼ばれるエフレディアにとっては魔剣でもある。
鞘から、剣を引き抜き、そのうす青く光る刀身を見つめる。
しかし、この剣では不死族は倒せない。
しかし、竜殺しなどという大層な名前がついているのだ、腐敗竜ならば倒せるかもしれない……。
素材は不明、けれども少なくとも銀ではない。
クリスは、もう一本、己が愛剣である。
アルザークでしいれた銀の細剣を引き抜いた。
芯に混ざれているのは、吸血鬼の牙。
そして吸血鬼の牙の効果も、吸収……。
その能力故吸血鬼は別名小さき竜ともいうのだ。
後々わかったことだが、この銀の細剣は、吸血鬼であるヒヘトを吸収していたのだ。
ただ、すった血で、破損を治す便利な武器というだけではなかった。
恐らく、この銀の細剣にはヒヘトの力が篭っているのだろう。
だからあの時、未完成であるはずのルシエンが吸血鬼の女王として覚醒したし、細剣と爪を合わせたときだけ、ルシエンは痛みに顔を歪ませたのだ。
二つの剣を並べて見据える。
クリスは二刀流なんて、器用な真似はできない。
両手剣を使っているときだって、利き手である右手がほとんどで、左手は直ぐ様、防御に回せるように、篭手をつけているのだ。
ならばどちらを使うか、と思う。
けれども、思い至る。
クリスはおもむろに、銀の細剣で竜殺しを打ち付けた。
そして、弾かれる。
ダメか、と思う。
当然だろう、互いに金属同士だ生半可な力では斬れる所か折る事すらも難しい。
あくまで銀の細剣の吸収効果は斬ったものに限られるのだ。
「何をしているので……?」
ガレッドが不思議そうな眼でクリスを見ていた。
他の面々も、気でも狂ったかと、クリスを見ている。
それもそうだろう、隊の隊長がいきなり剣を二本、鞘から抜いたと思ったら打ちつけ始めたのだから。
「いやな……もしかしたらと思ってな……」
流石に気はずしくなったのか、剣を二本共背中に隠し、弁解するクリス。
「なんか光ってますぜ?」
「え?」
その言葉に、剣を前に戻せば、気づけば左手からは重みが消え、右手には竜殺しのみが握られている。
「成功? したのか?」
銀の細剣ではなく、竜殺しに吸収されたのか? と不思議に思い、よく見てみるが、竜殺しに変わった所は……。
「青い光から、紅い光になってやがる……」
クリスはより魔剣らしくなった、新しい愛剣を見据えた。
「なんでもない、進むぞ、そろそろ夜になる、小型の不死族に気をつけろよ」
取り繕うように、そう言うとクリスは伏せていた頭をあげ、立ち上がる。
クリスは背後をみやる。
渓谷にはいり既に一刻、休みもなしで歩き続けだ。
目立って、疲れているものは居ないが。
どうにも、セシリアが少しばかり行軍速度を落としている。
王妃も、何を考えてセシリアを送り込んだのか。
セシリアは瞬発力こそ高いが、持久力においてはさほど高くない。
聖痕における、身体強化で一般人よりは高い身体能力を誇るが、聖痕の数は僅かに三つ、身体強化の魔法を己にかけて進む他の騎士とくらべてはやはり体力の減りが激しい。
今は、エンバスに肩を貸してもらって歩いている状態だ。
とはいえ、エンバスもそんなに体力のある部類ではない。
同僚のカインが、さらにそれを手助けしている状態だ。
情けない身内の姿に、若干のいらだちを感じるクリス。
捨て置くか、という判断が頭をよぎる。
王妃は何をおいても、陛下を助け出せと命じられた。
その場合は、セシリアも何の部類に入ってしまうのだろうか。
クリスには判断がつかなかった。
とはいえ早急に休憩が必要だろう。
今はまだセシリアだけだが、霰による、湿度と、体温の低下により大部分の騎士が体力を奪われていることだろう。
そして、まもなく時間は夜。
これから不死族が湧いて出る。
不死族を警戒しながら、この天候の夜間行軍など笑えもしない。
陛下の位置さえ掴めれば、とそう思う。
なればやるしか無いかと、千里眼を発動させるクリス。
霰が多い、空は雲に覆われ日も傾き変えている。
見通しがわるい、遠視、透視だけでは視界は悪い。
暗視を加える。
さらにそこに追跡視を加える。
頭に浮かぶ、レーダーのような範囲図。
普段滅多に使わないが、過去アルザークでアリシアを見つけるために使ったものである。
けれども、種類を重ねることによって加速的に増える、小魔力消費。
それはクリスの体に過大な負担をかける。
息が荒くなる、頭が痛くなる。
思考が曖昧になる、けれども、叡智の聖痕を発動させて思考をクリアにする。
さらに加速度的に消費される小魔力。
魔力枯渇に近い症状が現れる、手が痙攣し始めた。
頭が痛い、吐き気がする。
けれども、それはクリスの望む結果をもたらした。
「見つけた……!」
クリスは歓喜の声をあげた。
「見つけたって何を? どこにで?」
「陛下に決まってるだろう、馬鹿野郎!」
ガレッドの戸惑いをよそに、叫びながら、懐から聖水を取り出すクリス。
一気に煽り、次の聖痕を準備する。
「何処に居らせるのか!?」
周りの騎士たちは騒がしくなる。
「今道を作ってやる、少し待ってろ!」
「道? 何をなさるおつもりで?」
叫ぶ騎士たちを無視する。
わざわざ、周り道をする必要など何処にある。
道が無ければ作ればいい。
今まで何度もやってきた。
救出隊と陛下達への距離は、十キロ程。
この程度なんてことはない、少し規模がでかくなるだけだ。
眼を瞑る。
集中する。
眼を瞑ったとしても千里眼はあらゆる事象をクリスの脳内に映し出す。
クリスはゆっくりと、左手、人差し指、その先を知覚する。
そして、右から大きく、ゆっくりと、慎重に、線を書く。
なぞるように指を動かす。
そして、発動させた。
ゴウっと、唐突に成る風の音。
強風が、どこからか吹き抜ける。
思わず眼を腕で守り、風の先を見つめる騎士たち。
その先には、岩場に、洞窟ともいえる道ができていた。
「これは一体……」
ガレッドは呆けたように、呟いた。
ガレッドだけではない、周りの騎士は皆顔を驚愕で滲ませている。
ありえない。
それが騎士たちの共通の認識だった。
洞窟はいきなり現れた。
土魔法で少しづつ地形を変えていく事はできる。
風魔法で少しづつ道を削る事はできる。
水魔法で少しづつ邪魔なものを押し流す事はできる。
火魔法で少しづつ、燃やし尽くしていく事はできる。
けれども、そこにあったものが唐突になくなるなど、そんな魔法はありえない。
存在しないはずである。
「言っただろう? 道を作ると」
騎士たちの驚愕よそに、クリスは朗々と喋る。
まるで自分が作り上げたと言わんばかり。
否、作り上げたのだ。
クリスが発動させたのは消滅の聖痕。
そして、消滅の聖痕によって、この大きな渓谷に、隧道を掘ったのだ。
それも、陛下がいる洞窟へ、直通の隧道だ。
クリスは誇らしげに微笑うと、聖丸を一つ飲み込んだ。
「さぁ、いくぞ、陛下がお待ちかねだ、ああ、偵察にだしてる猛虎は、白獅子が迎えに行ってやれ」
そう言うとクリスは歩みだす。
強風吹き出す洞窟へ、疑いもせず進み、入り込む。
騎士たちは戸惑った。
けれども、ガレッドが後に続くように入り込む。
続いて、エンバスがセシリアを支えながら入り込む。
それをみて戸惑っていた騎士たちも次々と中へ足を進めはじめた。
***
「王妃様がお呼びですか?」
レイトは不思議そうに首をかしげた。
「ああ、ちょっと護衛が欲しくてね、急ぎで何人か腕の立つを連れてきて欲しいとも言っていたよ」
ジョーイは焦っているのか、少しばかり早口でまくしたてた。
「承りました、では何人か声をかけてみましょう……少しお待ちを」
そう言うとレイトは応接室の席を立った。
自身が名指しで護衛に抜擢されるとは予想外である。
けれども、同時に嬉しくもある。
思わず頬が緩む。
けれども、いけない、これは職務だと言い聞かせる。
誰に見られているわけでもないが、ふんふんと頷いて、取り繕う。
腕の立つものを数名という事だが、なるほど、誰にしようかと思い悩む。
純粋な強さでいえば、ルシエンを筆頭にユカラ、ミイナ、次いでエンファとテート、レティ辺りだろうかと当たりをつける。
「よし……」
呼びに行こうとした時だった。
「あなた達はここに残りなさい、王宮へは私が行きましょう」
聞き覚えのある声。
年を感じさせる、けれども力強く。
後ろを振り向けば、そこには大司教が佇んでいた。
「大司教様……?」
なぜここに、という疑問が湧き上がる。
「予知ですか……?」
千里眼だろうか、未来視というものがあったはずだと予想する。
「いえ、今回は教皇の命ですね、まったく年寄りをいたわってほしいものですがな」
朗らかに微笑う大司教けれども、その眼は笑っていない。
「枢機卿は未だに王位を狙っているでしょう、そんな中枢機卿の手駒である、第十三祭祀団を王宮へ連れて行こうとしましたね?」
薄っすらと笑みを浮かべる大司教。
はて、誰の事だと思うが、ミイナだったと思いだし、思わず表情に驚きが出てしまった。
「貴方は昔から抜けている所がありましたが……やれやれ」
ため息をつく、大司教。
「しかし、大司教様が動かれているという事は、今回はそれほどの大事なのでありますか?」
「……何も聞かされていないのですね、いえ、よいでしょう。知る必要はありません、むしろあなた達はここから出ないように」
「はぁ……」
大司教の要領をえない言葉にレイトは、首をかしげた。
「聞きなさい」
けれども大司教は真剣な眼差しでレイトを見つめた。
「近いうちに敵が現れます、あなた達はそれからここを守らなければなりません」
敵という言葉。
ここを守らなければならないという言葉。
推測されるのは神託。
「神託の時が来たの……ですか?」
恐る恐る尋ねるレイト。
「いえ、違います、時を迎えるために、必要なのです。神託の成就のためにも貴方達はここを、王妃を守り切る必要があるのです」
「王妃様を……」
王妃を守ることが神託につながるという事なのだろうか?
レイトにはわからなかった。
「そして、それは貴方達にしか成し得ない。わかりましたか?」
けれども、大司教は言葉を続ける。
「ハッ」
騎士の礼をするレイト。
そんなレイトを見たあと、大司教は静かにうなずき、踵を返し、応接室にいるジョーイの元へと足を進めた。
***
空を見上げて、青い髪の男、灰狼騎士団の副団長、レジールは呟いた。
「やっこさん、見たことねぇ騎兵を連れてやがるなぁ……? ランドルフ、お前アレが何かわかるか?」
手には黒い槍を持ち、軽口を叩きながらもその眼は笑っていない。
その眼差しを空を飛び回る見たこともない、騎兵に注いでいた。
「レジールがわからないものを、私が解るわけないでしょう」
それに対するのは、赤髪の男、名をランドルフ。
紅熊騎士団の副団長だ。
背中にはとても大きな剣を担いでいる。
「どうみても、生き物にゃ見えないけどなぁ……」
そう言うとレジールは手にした槍を投擲。
槍は吸い込まれるように、騎兵と当たり、それを青い雷で焼きつくした。
「殺しても、何も残りやしねぇ……なんだってんだ」
「恐らくは、勇者が作り上げたという鉄の竜という奴でしょう……」
真剣に呟くランドルフにレジールはあっけに取られた。
そして微笑う。
「勇者だぁ? お前、そんなお伽話信じてんのかよ、そりゃお前もてねーよ」
「それと、これとは話が違うでしょう!」
いきなりのレジールの誂いに、顔を真っ赤にして否定しするランドルフ。
けれども、すぐさま、顔を真剣なものにして話を進める。
「ただグラジバートルには勇者の伝説が残っているんです、そして、最近、その勇者が現れた、と」
「勇者ねぇ……んで、過去その勇者は何をやったんだ?」
くるくると回転しながら落ちてくる槍を手で受け取りながらも、レジールはランドルフに問う。
「圧政で苦しむ民を、救って王になった、と、だから今もグラジバートルは勇者の国と呼ばれる事もあるらしいですね」
「んで今の勇者は?」
「先の王権を滅ぼし、新しい王になった、とこれは貿易省からの噂でしかありませんが……」
その言葉を聞いてレジールは腹を抱えて笑う。
「そりゃ傑作だな、ようは王権を奪った奴が勇者を名乗ってるってことか、下賎な簒奪者風情が嘲笑わせてくれるぜ」
レジールは獰猛な笑を浮かべた。
事エフレディアにおいて、陛下における忠誠は絶対だ。
王家の血筋以外のものが王になるなど、ありえない。
たとえ、愚かな王であろうと命を賭して守る、それが騎士だからだ。
少なくともレジールはそう思っている。
その時、街を守る壁の外から、一人の大きな声が聞こえる。
そして、轟く怒声。
「やっこさん、激励でもしてんのかね? やたら士気が高えな、寡兵相手だからって舐めすぎじゃねぇか?」
「その勇者とやらでも、いるんではないですか?」
「へぇ? そりゃちょっくら顔を拝んでくるか?」
レジールは、その可能性があったか、と納得する。
グラジバートルからみれば、エフレディアは大国だ。
たかだか一万の数で挑んでいい国ではない。
なれば、勝てる見込みと、それを鼓舞し兵士に、民衆に勝てると信じこませる、そういう指揮をする絶対的な存在が不可欠だ。
なれば、その勇者が士気高揚のために前線に出てきてもなにもおかしい事ではない。
レジールは槍を肩に担ぎ門へ向かって歩いて行く。
「もう少し待てば、王都から救援が来るかもしれない、待ってください」
引き止めるランドルフ。
「ちょうどいいじゃねえか、ならその時間稼ぎを俺がしてやるよ?」
「貴方一人で、何ができると言うのですか! どうしてもというなら、なら私も参ります!」
ランドルフも大剣に手をかけるが、レジールはそれを制する。
「そいつはダメだ」
「なぜです! 確かに貴方に比べたら私は強くはない、けれど……」
「ちげえよ、お前が居なくなったら、誰が他の連中を指揮するんだよ、ダライの旦那とお前んとこの団長なんて、脳筋じゃねーか、話し合ってもろくな案なんかでてこねーし、指揮はろくすっぽできねーじゃねーか」
「……」
その言葉にランドルフは押し黙る。
否定できず、歯噛みする。
「まぁ、待ってろ、それに誰も死ににいくわけじゃねー、きちんと戻ってくる、だからそれまで街を守っててくれや」
「レジール……」
無力感に唇を噛み締めるランドルフ。
その眼には涙が、たまっている。
「泣くな、泣くな、男の涙なんて誰も得しやしねえ、また振られるぞ?」
その言葉に、ランドルフは無理に笑顔を作る。
そして、一言。
「帰ってきたら、一緒に娼館いきましょう! 約束です」
「お前、それ見送りの言葉かよ! もっとあるだろ、だから、もてねーんだよ!」
レジールは叫ぶ、けれど、破顔する。
「お前と話してると馬鹿らしいぜ、またあとでな」
そう言うとレジールは門の上へと飛び乗った。
後ろに軽く手をふる。
けれど振り向かない。
グラジバートルの軍勢を見据える。
未だに激を飛ばしているのか、軍勢からは時折、怒声が聞こえる。
身体強化を唱える。
視力を強化する。
そして、探す。
指揮官を、親玉を。
ふんぞり返った、偉そうな奴をみつける、違う。
あちこちに、指示を飛ばす、文官をみつける、違う。
激を飛ばす、銀髪の女を見つける、こいつだ!
まて、女だぁ!?
けれども、感じる圧倒的な、存在感、他の連中とは格が違う。
強さの格、これは以前何処かで感じた事がある。
「まぁいい、やることは一つだけだ」
そう言うとレジールは静かに詠唱を始める。
例え相手が、誰だろうと、何だろうと、覚悟などとうにできている。
思考加速、脚力強化、視界拡大、神経伝達速度拡大、腕力強化……。
ありあらゆる身体強化を重ねがける。
そして、完成する、過重強化。
レジールの体が淡く輝き。
そして、次の瞬間。
そこから、こつ然と姿を消した。
***
「部隊はできるだけ南に展開させなさい、前線をさげてはダメ、数を頼りに押し込まれるわ!」
フランシスは矢継ぎ早に指示をだす。
軍議は、は着々と進行していた。
翼竜の斥候によれば、いかなることか、既にイスターチアの部隊は平原に陣を引いているという、恐ろしい速度である。
「開幕は竜騎士を全員出撃させなさい、竜の吐息でできるだけ敵の数を減らすのよ!」
「しかし、それでは後ろの守りがいなくなります!」
叫ぶ、騎士。
「馬鹿野郎! 敵はもう目前なんだ、王都に押し込まれてみろ! 市街戦になれば騎兵などなんの役にもたたん!」
「無闇に前にでて騎士を消耗する必要などありません、ミナクシェルは要塞都市、篭っていれば、敵は手など出せませぬ!」
「だが、数を頼りに一つの門でもあいてみろ、市街戦では騎兵は役に立たんぞ、それに民を戦に巻き込む気か!」
「已む得ませんな」
「ばかやろう!」
軍議は紛糾する。
「意見を変えるつもりはないわ、竜騎士は全員出撃なさい。後詰は大型の幻獣騎士を片っ端から配置、小型の幻獣騎士や航空騎兵は遊撃に、通常の騎兵は後列、歩兵は全員弓を持たせなさい」
フランシスは言い切った。
「あくまでも攻めの姿勢という事ですな? 不明な敵を相手に様子をみることもなく?」
「ギリアスがいない今、自体は急速に片付けなければならないわ、敵は他国だけだと思ったら大間違いよ」
そう言ってフランシスは騎士達を睨みつける。
騎士たちの間に動揺が走る。
流石にこれは、明言したようなものだ。
裏切り者がいる、と。
「何を動揺しているのかしら? それとも何かやましい所があるのかしら?」
フランシスの威圧にたいし、誰も口を開く事はなかった。
言えない、例え、裏切りものでなくても、ここで声をあげるというのは、疑ってくれと言っているようなものだから。
フランシスは辺りを見回し、鼻で笑う。
実質の決定権はフランシスにあるのだ、実際他の騎士団長が何を言おうとゴリ押しで通せるだけの権力が。
「ふん、じゃぁ私の案で、「待ちなさい……」誰?」
声がしたほうを向けば、そこには壮年で金でふちどりされた紫の神官服を着込み、黒い髭を蓄えた男。
「誰とは、これまたおかしな事を聞く、叔父の顔をお忘れか?」
「枢機卿……!」
「枢機卿となどと、よそよそしい、叔父様と呼んでくれて構わないよ、フランシス」
「結構よ、それで何か用事かしら?用がなければ出て行って欲しいのだけど」
「冷たい事を言う、先ほどフランシス自身が言っていたではないか、ギリアスが居ないと……」
「……」
フランシスはこのクソ野郎が、と心の中で吐き捨てる。
どこから情報がもれたのか、この中にイスターチアだけではなく神殿への内通者もいるというのか。
最悪の展開だと、歯噛みする。
「……なれば、今は国のいち大事、叔父である私が指揮をとるのは当然だろう? 女性の身で荒事はきつかろう、私がこの場は預かろう」
あくまでギリアスの妻でしかない、フランシスがこの国一大事に指揮をとっているのは王であるギリアスの代理だからだ、けれども、そこに、ギリアスの叔父であり、現在の王位継承権一位である、ライラールがこの場に現れたというのならば、指揮権はどちらにあるかなど明白である。
けれども、ここでライラールに指揮権が移ってしまえば、下手をすればフランシスの命はない。
さらにギリアスが帰ってくる頃には、城がまるまる乗っ取られている事だろう。
それくらいには優秀な男である、下手をすればここにいる騎士団長も何人か既に取り込まれていても可笑しくはない。
「問題がなければ、私が……「待ちなさい」誰かね?」
「誰かね? とは、随分と横柄になったものだ、師匠の顔を忘れたか? ライラール」
そこに立っていたのは、金で縁取りされた白い神官を服を見に包む壮年の男性、横にはジョーイが立っている。
「大司教……」
「大司教などと、よそよそしい、昔のように師匠と呼んでくれてかまわないが?」
「お戯れを……」
「戯れはお前のほうだろう、ライラール、王権にすがるというなら、貴様の枢機卿の地位、無いと思え、と前にも言ったと思うが?」
「貴方に、言われる筋合いは「教皇からの命である、ライラール、お前に拒否権はない」……だが女性にこの荒事を任せるわけには……」
ライラールはなおも食い下がる。
けれども大司教は追撃する。
「王妃の補佐と護衛は私が勤めよう、これで問題なかろう」
瞬間ざわめく辺り。
「聖戦の英雄と言われる貴方が直々に……ですか……」
「そうだ、何の問題があろうか?」
「十字教は戦争には不干渉では……」
「神託のためだ、それにお前はどうなる?」
「神託の……私は、王の叔父として……」
神託と聞いてライラールの顔が歪む。
十字教において神託は何を置いても優先させるものである。
分が悪いと悟ったのだろう。
けれどこも、そこで大司教は追撃する。
「あけすけた事を言う、ライラール、二度は言わん、聞いておけ」
「何か……?」
「次はないぞ?」
その言葉に込められたのは、どのような意思か、数秒の睨み合い、ライラールから冷や汗が流れ落ちた。
「……くっ、ならばこれで失礼させてもらおう」
そう言うと、ライラールは逃げ去るように、その場を去った。
「……助かったは、礼を言うわ、大司教」
「王妃のためではありませぬ、全ては神託の成就のため、そのために貴方には生きててもらわねば困りますからの」
大司教はいけしゃあしゃあと言い切った。
「そう……、素直に感謝した私が馬鹿だったわ……」
フランシスは呆れたように呟く。
礼を言ったことを後悔した。
けれども、その言葉に、大司教は微笑んだ。
「では、戦列は先ほどの王妃の案でよろしいか? 私もこれが望ましいと思うが?団長方々はどうか?」
「構いませんが……」
「俺も……」
「私も……」
誰も反論はしなかった。
それは、王妃の案が良いとか、そういう事ではない。
飲まれたのだ。
大司教に。
聖戦の英雄。
神殿での第三階位、大司教。
それの意味する所、それは、現存する最古の、そして最強の聖騎士であるということだ。




