四話 始動 十字の成り立ち
「こちら一翼異常なし」
「二翼も異常はない」
「一風異常ない……」
「二風も異常なしだ」
次々に届けられる言葉。
風の魔法により、その言葉がクリスに届けられる。
異常なし、別段問題はない。
順調という事だろう、予想通りである。
けれども、どこかクリスには不安げに感じる。
勘というものか、何かあるという事か。
けれども、千里眼には何の反応もない。
多量の小魔力を使う予知では、ここで使うには流石に惜しい。
「ガレッド、索敵範囲を広げろ、何か発見したら連絡を徹底しろ、どんな事でもだ」
一角獣に頼み、四騎の中心にいるガレッドに向かい連絡を飛ばすクリス。
「どんな事でもすか? あいや。了解しやした」
短い応答。
ガレッドが鷲獅子にまたがる、航空騎兵四人に何事か指示を出す。
すると編隊はばらけ散り散りにとび回る。
「順調すぎる……」
独りごち、クリスは考える。
何かが引っかかる。
赤竜騎士団が殆ど全滅するほどの戦力。
ガレッドは不死族だという。
王の護衛についていた赤竜騎士の数は大凡百騎。
竜騎士の強さは、騎兵のなかでも最高峰。
なかでも火竜は竜の中でもことさら上位に存在する。
そんな竜騎士を百騎。
通常なら騎士であろうと、千人いようと倒せる相手ではない。
それが瞬く間に壊滅など、どのような相手がいるのだろうか。
不死族、確かに腐敗竜とガレッドは言っていた。
しかし、本当にそれだけだろうか?
例え銀の武器がなくても竜の吐息ならば、不死族にダメージは通る。
むしろ、不死族ならば竜としての高い耐久性が失われ、魔法のダメージも通常の竜より大きくなるはずである。
それをなぜ倒せない?
疑問が脳裏をよぎる。
ガレッドに問うも、無我夢中であったと釈明するばかりで、詳細は曖昧だ。
確かに、ガレッドの装備はボロボロであったという、血に濡れ、装備はあちらこちらが壊れていたと。
負けを悟り、情報を伝えるべく逃げた判断は英断だ。
下手に己の誇りにかけて戦い、その場で死んでいればこうして陛下の救出隊を作る事もできなかったであう。
だが、それにしては素直に逃げ切れすぎていないだろうか?
もし仮に自分が、敵ならばおいそれと逃がすような事はしない。
むしろ完全に殲滅し、鼠一匹逃さないように心がけるであろう。
ガレッドに対して僅かに疑念が湧き上がる。
「兄上……今いいか?」
静かに、声を飛ばすクリス。
兄、エンバスのみに声を飛ばす。
「ん? なんだい、クリス? 告白かい? 僕達は兄弟だよ?」
場を和ませようとしたのか、エンバスは軽い冗談をいう。
「姉上を使っていい、ガレッドが何か変な動きをしたら殺してでも止めてくれ」
「冗談を無視はひどいな、君って奴は……それは自分でセシリアに言うべきではないのかな……?」
「姉上に直接言ってみろ、ボロがでるに決まってる、後面倒くさい絡み方すんな女顔」
「……それは否定できないけれど、君はまんま女になってるくせによくも言う……」
「いいから。頼みました」
「可愛い妹の頼みとあっては断れないね……」
茶化した様子でいうエンバスに若干の憤りを感じるクリス。
「兄上にも同じもの掛けてあげましょうか……?」
「え? ちょ、失伝魔法じゃないのかい? できるのかい?」
魔法をかけるより何より、他人にそれを掛けられるという、その事実にエンバスは驚いた。
クリスの変身魔法は身体強化の延長上にある失伝魔法、分類するなら身体変化という所だろう。
けれども、基本身体強化という魔法は己自身にしかかけることはできない。
当然だ、他人の体内をいじくるような魔法、やろうと思えば医療系よりも遥かに難易度が跳ね上がる。
まさか、ありえない、という言葉がエンバスの脳裏をよぎる。
だが、それは身体構造、小魔力の流れが近い親族なら或いは不可能ではない。
通常の身体強化ならば。
しかしだ、もしも、仮にそんな事が可能であれば、それは大変な事になる。
「フッ」
けれどもクリスはエンバスの事を鼻で微笑うと、一角獣による風の魔法を切った。
「……まったく、思わせぶりだね」
だが、仮に掛けられたら困る。
きっとものすごく困る。
エンバスは過去に一度、クリスが男に戻る所を見たことがある。
見たからこそ言える。
自身ではクリスのように、男に戻る魔法を構築することすらかなわない。
エンバスの魔法の才能は決して高くない。
変身魔法も失伝魔法の中では簡単な部類であろう。
もっとも、難しいといえば難しいのだが。
けれど、エンバスにあれは真似できない。
身体強化とは己の、肉体の限界を引き出す、もしくは超える魔法である。
小魔力による強化、一言で言ってしまえば単純だ。
けれども、真逆単純だからこそ加減を間違える事は許されない。
強化値を例えるならば限界の上限を十割としたとき三割から七割が、通常の身体強化に用いる割合だ。
小魔力が多すぎれば、七割を超えれば己の体を破壊する。
小魔力が少なすぎれば、三割に見たなければ効果を成さない。
通常の身体強化ならば、だいたい五割を目安に発動する。
けれども、クリスの変身魔法は違う。
十割丁度、肉体の限界値ピッタリの小魔力を行使してはじめて成功するものだ。
身体強化の延長上といいながら、身体強化のように振れ幅に遊びがない。
一歩間違えれば、ほんの少し構成を間違えれば、己が崩壊するであろう術式。
それを何の感慨もなく、淡々と使いこなす。
さらに、それを他人にかけるだと?
下手をすれば、肉体の崩壊。
成功しても男には戻れない。
ある意味最強の嫌がらせである。
小さくため息をつく、エンバス。
クリスは怒らせないようにしようと心に誓った。
***
日の光が寝入る時刻。
エフレディアの東、イスターチアとの国境、ソレイス海峡。
空には、二つの黒い影があった。
「こちらステーキ、異常なし」
若い、顔を布で隠した竜騎士が静かに呟く。
「おーけー、こちらラグー、こっちも異常なしだ」
中年の、僅かに腹がたるんだ男がそれに返す。
翼竜の若い竜騎士と中年の竜騎士が二騎、互いに風の魔法で連絡を取り合い、確認しながらも、飛行していた。
予定通りの巡回行路行路。
時間通り、何の問題もない。
「問題なしっと、んじゃとっとと帰って、娼館でもいこうぜ?」
「俺はいい、遠慮しておく」
「かーっ、たまには付き合えよ、じゃねぇといつまでたってもチェリーだぜ?」
「余計なお世話だ、俺には心に決めた人が……」
「団長の娘さんだろ? やめとけやめとけ、お前じゃ釣り合わん」
「俺はいつか団長を超える、そして、告白する……」
「やめとけって、超える超えない関係なしで、もう恋人がいるって話だぜ?」
「なん……だと……!?」
中年の騎士が若い騎士を誂い、微笑う。
「幼な馴染みのエリーちゃんはどうしたんだよ?」
「エリーはただの幼なじみさ、それにあの人の話をするとすぐ怒るからな……最近は会ってもいないんだ」
「お前ぇ……」
中年の騎士が呆れたような声をだす。
何気ない日常、他愛ない会話。
けれど、それは打ち破られる。
「昔はエリーを妻にとも思ったが、今考えると田舎臭いし、口うるさいしやっぱ都会の女がいいな、と」
「そうかい……ん?」
その時、ラグーの眼が何かを捉えた。
エフレディア方の海岸付近。
暗闇の中を蠢く、謎の影。
「どうした? ラグー?」
ラグーの態度を敏感に感じ取ったのかステーキは警戒を露わに、ラグーを見る。
「いや、今何か見えたような……高度を落とす、背後の警戒を頼む」
「了解した、この時勢だ、何があってもおかしくはない……気を緩めるなよ」
ステーキの声を背に、ラグーは除々に高度をさげていく。
とはいえ、遠すぎず、近すぎず。
すぐさま離脱できる距離は維持している。
そして、見えた何かを確認するために、光玉を取り出す。
「蛇が出るか竜がでるか……ってか?」
離れた位置に、投げつけた光玉は、中に浮かび光を発した。
除々に浮かび上がる影。
否、闇に動くそれは、影ではなく、黒い鎧。
そして気づく。
一つではない。
何処に隠れていたのかと思わせるほどの、大量の黒。
それが大地を埋め尽くしていた。
光に照らされ、煌々と輝く黒い鎧。
そして、それが見えるということは、向こうもこちらを見えているということにほかならない。
視線を感じる。
鎧の隙間から、多方から、無数の鋭い眼光がラグーを襲う。
その場にいるだけで、吐き気を催すような、そんな殺気をラグーは感じた。
逃げなければと本能的に感じ取る。
「逃げろステーキ!」
声をあげ、仲間に撤退を促す、そして自身も翼竜に指令を下す、合図のために首を二回軽く叩く。
竜の吐息だ。
僅かなための後、ラグーの翼竜の口から光が漏れる。
自身の魔法もそれに加える、牽制からの離脱。
「くらいやがれ!」
詠唱など、破棄してしまう。
威力などさがろうと、今必要なのは見た目の派手さだけである。
選んだ魔法は、敵の視界を塞ぐもの。
「光炎雨」
空に巨大な魔法陣が出現する。
そして発現する魔法。
周辺に降り注ぐ、まばゆい光の雨。
その雨は、触れた所を燃え上がらせる。
目を潰すと同時に、相手を燃やす。
攻撃、妨害、一体のその妙技。
本来あらざる、属性の異なる、反する魔法の統合。
エフレディア屈指の魔法の使い手、氷結のヴァイスと肩を並べる事ができる後衛方の魔法使い。
煮込み料理が如く魔法を混ぜ、新たな魔法に昇華する。
その事からつけられた二つ名、煮こみ。
それが、中年騎士、エストの二つ名だ。
エストは魔法を放った後も確認もせずに急上昇する。
同時、下では激しい爆発音と衝撃音が鳴り響く。
翼竜の竜の吐息と相まり、其処はさながら隕石が衝突したような跡になっている事だろう。
上昇し、雲を超え、そこでやっと一息つく。
気づけば体は震え、冷や汗が流れだしていた。
なんだ、あれは?
思い出すのは、黒い鎧。
黒く、禍々しく、そして恐ろしいほどに濃密な殺気。
エストとて歴戦の騎士である、殺気など何度も何度も感じている。
けれども、それがどうした、無数の敵とはいえ一度の対峙でこの有り様。
手は震え、歯の根もあわず、汗が吹き出す。
情けないと思う反面、生きていたという感情に喜んだ。
「ラグー無事か?」
聞こえた仲間の声に安堵する。
「ああ、ステーキお前も無事だったか……」
「お前こそ、よく生きていた」
「ステーキも感じたか、あの殺気を」
「ああ、あの影みたいな攻撃は交わすのに苦労した」
瞬間、エストが感じる疑問。
奴らはそんな攻撃をしてきたのか?
いつのまに?
いや、攻撃されるだけなら不思議ではない。
けれども、ステーキの技量は前衛型とはいえ、エストを遥かに下回る。
二つ名こそあるが、それは文字通り戦った相手が焼き肉にされるというもの。
強さというより、戦い方に付けられた別称に近い。
そんなステーキが、エストでさえ恐怖した相手を前に、なぜこうも平然としていられる?
ステーキの実力が、上がったのか?
いや違う、先日の訓練では大した強さではなかった、そんな急激に実力が上がることないどないだろう。
翼竜騎士団の中でもステーキは下位に属する実力しか無いだろう、無いはずだ。
「どうした、ラグー?」
思考に囚われ身動ぎひとつしないでいるラグーを不審に思ったのか、ステーキは静かに声をかける。
「や、なんでもない、それより急いで撤退しよう、知らせなければならない、幸い敵に航空騎兵はいないようだ……」
まずは一刻も早くこの場を離れなければなるまい。
ステーキの事はこのさいおいておこう。
強くなったのなら好都合だ、戦争は近いのだから。
この場所で不明な者が見つかるということは、おそらく先ほどの黒い鎧は、イスターチアの先兵か、もしくは偵察か。
いつの間に海峡を渡ったのだろう、海峡の上には船などひとつもありはしなかった。
敵の数は不明だが、おそらく千や二千ではきかないだろう。
騎獣が居なかったのも引っかかる。
しかし、何はともあれ情報とは鮮度が命だ、すぐにこの情報を持ち帰らなければいけない。
エストは手綱を操り、航路を王都へと向ける。
「急ぐぞ、ステーキ。正体不明の敵が迫ってきている……団長に連絡しなければ」
「待ってくれラグー。やり忘れたことがある」
やり忘れた事?
疑問に思う、何かあったか?
定時の連絡は済ませてあるし、それ以外に思い当たる事などラグーにはなかった。
ふと、気配を感じ取り振り向けば、ステーキが己が翼竜を後ろに付けていた。
「どうした?」
「すぐに終わる」
すると、ステーキはポンポンと翼竜の首筋を二度軽く叩いた。
それは見慣れた、竜の吐息の合図だった。
「お前っ、何して!」
叫びながらも、己が翼竜を急上昇させようとするエスト。
けれども、上昇できない。
何か、に掴まれているようなそんな感覚。
己が竜も戸惑いの声をあげている。
その何かを確認しようと辺りを見回せば、そこには黒い影が、ステーキから伸びていた。
そしてそれが、まるで生き物のように実態をもって、エストの翼竜を掴んでいるではないか。
瞬間感じる怖気。
やばい、やばい、やばい。
先ほども感じたもの、おぞましいほどの殺気。
けれどそれは、確かにステーキから発せられていた。
なんで、こいつがっ!
ステーキの翼竜の口からは、可視化できるほどの大魔力が迸る。
なんてこった、くそくらえっ。
エストは判断を迫られる。
結界で防げば、一発は耐えられる、けれどその後は続かない。
翼竜を殺せば、竜の吐息は暴発する。
けれども、翼竜が死ねば、指向性をもたなくなった大魔力など巨大な爆弾のようなものだ、どちらにしろ助からない。
それに竜の鱗を貫ける魔法など殆ど無い、仮にあったとしても、この場で詠唱破棄してそれができるものなど存在しないであろう。
なれば、何が最善か……?
正体不明の無数の敵、ステーキの裏切り。
「さよならだ」
エストにあらゆる思考が駆け巡るなか、その声は無慈悲に、淡々と告げられる。
そして放たれる、竜の吐息。
閃光、爆音、そして暴風。
その後には黒焦げになった翼竜が一騎、地面に向かって落ちていった。
「流石に竜は丈夫だが、ラグーは骨も残らず蒸発したか? 最高峰の魔法使いとはいえ竜とは比べるべくもないということか」
静かに、感慨深いというふうに呟く。
先ほどまでエストの翼竜を捉えていた影は静かに、ステーキの中へと溶けこんでいく。
「ようやくだ……ようやくエリーを殺した連中に復讐できる。すまないな、エリーもうすぐだ。もうすぐあいつらも、お前の所に送ってやる」
ステーキは虚空に話しかける。
「ああ、大丈夫さ、なんの問題もない……気にするな、お前の恨みは、きっと俺が……」
見えない、存在しない、誰か、と会話する。
傍からみればそれは、気が触れたとでも思われる行為。
けれども、ステーキにとってはそれが日常だった。
過去、エリーを失ったあの日から。
それから、しばらくし、気づけば時刻はすでに明け方。
下方には黒々とした鎧の集団。
その数は二万をくだらない。
それをみてほくそ笑むステーキ。
そして、ステーキは王都ミナクシェルのほうへ視線を向けた。
「さぁ、開戦だ……待ってろよ、グラン・サーシェス!」
***
そこは簡素な部屋だった。
石で作られた部屋。
ベットと机しかない。
光をとるために、つけられたであろう窓には鉄格子。
扉はない。
まるで、出ることすら許されない牢獄のような場所。
けれど、そんな場所に反してそこには神聖な空気が漂っていた。
神聖な空気を醸し出すのは、一人の少女。
銀の髪に紅い瞳。
肌は雪のように白く、手足は細い。
白い貫頭衣を着こみ。
机に一つおいてある、十字架に向かい祈る。
身動ぎすらせずに、ただ只管に祈りをさ捧げ続けている。
彼女の日常は祈りを捧げることにある。
朝起きて、一切れのパンを食べ、水を飲む。
そして日が沈み、寝るまで只管祈りを続ける。
それが日常。
彼女の名前は、マリア、聖痕無き聖騎士。
神託の巫女と言われる存在だ。
「マリア……、神託はどう?」
聞こえた声は、その少女の後ろから。
気づけばそこには、一人の少女が立っている。
白い法衣に、金の縁取り。
最高位の祭祀帽。
そして、マリアと呼ばれた少女と同じ顔。
教皇と呼ばれる女性である。
「いいえ、姉様まだ何も……」
マリアと呼ばれた少女は教皇を姉と呼んだ。
「わかったは、何かアレば連絡を……」
教皇は静かに、マリアを見つめる。
「少し痩せたわね……、もっと食べなさい」
教皇はマリアの、妹のその細い手足を見つめて、悲しげに呟いた。
「いいえ、姉様。私はパンと水だけで十分です、それ以外の物など要りません、私にというくらいならば、飢えに苦しむ子どもたちに差し上げてください」
「貴方のおかげで救われた人は多い。だから、貴方には、その権利があるのよ……?」
「私は良かれと思った事をしただけです、なにか見返りを求めたわけではありません」
教皇は言い切るマリアのその真摯な瞳に気圧される。
「そう、ならば何も言わないわ……エフレディアの加護を貴方に」
最後にそう言って、教皇は姿を消した。
マリアは静かに眼を閉じ、祈りを再会する。
まるで、何事もなかったかのように。
妹の部屋をでて、自室に辿り着き教皇はため息をつく。
妹があの部屋に入ってすでに二百年。
それからろくに、姉妹の会話はない。
なぜ同じ双子の姉妹なのに、こうも違うのか。
自身は拒んだ、妹は拒まなかった。
ただそれだけで、妹はあそこに二百年も入っている。
はじめは後悔した、私の身代わりに入ったようなものだった。
涙した、自分のせいでと。
だから、自身で努力した、妹を取り戻すために。
五十年、五十年かけた。
神官になり、聖騎士になり、助祭になり、司祭になり。
紆余曲折、そして、とうとう教皇という座までのし上がった。
そして、妹を助け出そうと、あの部屋を始めに訪れた時、マリアは言った。
私はここでいい、それが世界のためだから。
後悔しなかったといえば嘘になる。
自身の五十年は何だったのかと思いもした。
その時、すでに妹は妹ではなかったのだ。
あれは機械だ、妹と、マリアという人の殻をかぶった機械だと理解した。
機械でなければ、誰が耐えられるというのだろう。
狭い牢獄のような部屋で、朝から晩までただ祈るだけ。
晴れの日も、雨の日も、風の日も……。
来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も来る日も……。
きっとすでに壊れていたのだろう。
五十年という時間はあまりにも長かった。
聖騎士になってなお長く感じる時間。
まるで、よくできた絡繰りだ。
絡繰りはネジを巻いた分だけしか動かない。
けれども、ネジを巻いた分は何があろうと只管に決まった行動を取ろうとする。
僅かなパンと水というネジだけで、神託を待つというか結果を待つだけという行動を取るだけの日々。
なんという残酷な仕打ちであろう。
「儘ならない……」
無理やり出すことも、可能ではある。
けれど、それは本人が望まないし、次の神託の巫女を選ぶという事だ。
そして、それをしなければいけないほど、教皇という至大な権力を持ってしても、教徒はそれを受け入れない。
それほどまで、神託の力は民衆の支持されているのだ。
世界とはなんて残酷なのだと叫びたくなる。
誰かの犠牲の上に成り立つ世界、それでは神話の時代に魔族に支配されていた頃となんらかわりないではないか。
それが本当にエフレディアの望む事なのだろうか。
物思いにふける教皇。
しかし、それもすぐさま打ち破られた。
ドンドン、と荒く扉を叩く音。
「入りなさい」
「失礼します、教皇。エフレディアがイスターチアに攻め込まれました!」
息を切らせた伝令が、駆け込んできて告げる言葉は驚愕のもの。
「なにっ!」
馬鹿な、まだ速い。
今、エフレディア王国が攻め込まれるということは、神託が妨害されるという事だ。
神託自身にそんなものは、露ほどもなかった。
となれば、神託を知り、神託を妨害したい、組織がいるということか。
それこそ馬鹿な、ありえない。
今回の神託の情報は、自身である教皇と枢機卿、そして大司教しか知らぬはず。
否、確か国王と王妃は知らせておいた。
けれどそこから漏れるとは考えにくい。
なれば、相手は……こちらと同じ力、神託に準じる力を持つ組織。
神託の妨害などさせてなるものか、アレは神託は、妹が、マリアがその生涯を掛けているもの、そんな事はさせはしない!
教皇は憤怒の表情を浮かべ、通達する。
「神殿騎士団に、通達をだせ! 神官戦士は片っ端から招集せよ!」
「ハッ」
伝令は短く返答すると駆けていく。
命令を伝えるために。




