六話 世界樹の森 クリスの聖痕《スティグマ》 十字の欠片
オリジナリティをだそうとした結果(´・ω・`)
改修
パチパチと焚き火の音がする。
山の中腹にマントを被った人が二人座っている。
どうやら何か食べ物を炙っているようだ。
ここはアルザーク西部の山、オリアン山だ。
木々は高くそびえ立ち、空を遮るほどの大きな葉がついている。
全長二十メートルから五十メートルになる木々が鬱蒼と生い茂る。
この木々はかつて、耳長族に世界樹と呼ばれた種類である。
その実は木からしてみれば驚くほどに小さく、人の手で包み込めるほどである。
実の効能は素晴らしく、かじれば途端に致命傷でも即座に治り、あらゆる病を癒してしまう。
これだけ聞くととても素晴らしいものだが、一つ欠点がある。
木一つにつき、十年に一個しか実らないのだ。
そして森にも欠点がある。
男が入ることが出来ないのだ。
なぜなら、死ぬからだ。
少なくとも雄と呼ばれる生き物である限りそこに例外はない。
世界樹の周りには常に飽和するほどの魔力が漂っている。
基本的に男だけかかる病気の症状に魔力酔というものがある。
文字通り魔力に酔うのだ。
人族が使う魔法は魔力を使う、己の体の巡る魔力を小魔力、世界に漂う魔力を大魔力と呼ぶ。
人族の男は小魔力と大魔力二つを使い魔法と成す。
言うなれば小魔力は呼び水であり、世界に漂う大魔力を呼び込むためにある。
小魔力を使い、集めた大魔力に、呪文に因って指向性を加えたものを魔法と言う。
魔力酔とは呼び込んだ魔力に指向性を与えることができずに体内に取り込んでしまったときに起きる症状だ。
軽度のものなら軽いめまいを覚える程度だが、重度に魔力を取り込んでしまうと体が不調を起こしはじめる。
それでもなお魔力を取り込むとどうなるか。
簡単だ、体が弾けるのだ。
それは膨らみすぎた風船のように。
もちろん普段世界に漂う大魔力ではそんなことは起きはしない。
魔力は常に呼吸によって循環され、吸収と排泄をされている。
だが世界樹の森だけは例外だ。
漂う大魔力が濃すぎるのだ。
男が入ればただの呼吸で死ぬほどに。
故に女性しか入れない。
男性とは逆に女性は大魔力を取り込めない体の作りになっているのだ。
故に女性が魔法を使っても、己が小魔力だけでの使用になる。
例として風を吹かせる魔法があるとしよう。
普通の女性では小魔力を全て注ぎ込んでも、使える魔法などそよ風ほどでしかない。
団扇で仰いだほうがマシなくらいだ。
しかも全力となると意識を失うおそれすらある。
男と比べて圧倒的に効率が違うのだ。
つまり、女性は魔法を使えないとほぼ同義なのだ。
そして、魔法の使えない女性には最低二十メートルもある木を登って実をとってくるなどほぼ不可能だ。
世界樹の皮は固く、鉄の杭でさえ通らない。
己が握力だけで体を支えられなければ不可能なのである。
「というわけで、世界樹の実は一個金板十枚はくだらないっていう話だな」
そう締めくくるクリス。
「金板十枚もあったら、国が買えそうですね……途方もない話です」
現実感のない話にアリシアは眼が眩む。
時刻は太陽が真上を指した頃。
アリシアとクリスは中腹で休憩をとっていた。
昨夜、山頂付近に集落があるんじゃないかとレジールが宿屋に情報をもってきた。
その時にアリシアは既にベットの中だったので、クリス一人で聞いたのだが。
初めは情報とは言えない情報に苛立ちもしたが、世界樹の森の存在を聞いてクリスは確信した。
――どう考えても其処しか無いだろう。
なぜそこ思いつくのに三日も掛かったかと、レジールを問いただせば。
「男じゃ入れないんだ、確実性のない情報は渡したくないから、しらみつぶしで最後に残ったのがそこだけだった」
開き直った。
そして、男じゃ入れないという事は案内すらできないという事である。
仕方ないと案内できない代わりに地図を用意させ。
道を知る数少ない女性に行ける所まで案内してもらえるように取り付けた。
道案内がいるといないのでは道程にかける時間にすごく差がでるのだ。
そして今、クリスは昨日聞き出した情報を休憩中にアリシアに説明している所だ。
「落ちた木の実じゃダメなんですか?」
未だに世界樹の話がきになるのか、アリシアはクリスに問う。
「落ちたとたんに、大地に根付くそうだ」
「それじゃ無理ですねぇ」
アリシアはしょんぼりと残念そうな声をあげた。
「まぁ俺が入れただけでもよしとしてくれ、内心はちょっと怖かったからな」
ケラケラと笑うクリス。
笑っているが完全に空元気である、よくよく見れば冷や汗をかいている。
クリス自身、魔法で女性に変身しているだけなので、何か不都合が起きてもおかしくはなかったが、一応すんなり入れた。
変身魔法がすごいのかそれとも聖騎士の聖痕の力か、それはわからない。
ただ森に入る前に全力で千里眼の聖痕の未来視を発動させたクリスを誰が責められようか。
通常、未来視といってもせいぜい十秒先までだが、しかしこの時のクリスは数分先まで見えていた。
生への渇望とは恐ろしいものである。
決してクリスが臆病なわけではない。
おかげで聖痕はしばらく使えないほどに消耗している。
聖痕の原理はわからないが、どうやら使うものは小魔力である。
現在クリスの小魔力は尽きかけだ。
小魔力の回復も兼ねて、もってきた干し肉をかじり、聖水を煽る。
一瞬体が光るものの気にせず、げふっと噯するクリス。
「デリカシーがないですね」
非難がましい声をあげるアリシア。
「生理現象さ」
別段きにしたふうもなく、クリスは立ち上がる。
無事に森林に入れたから安堵できたのだ。
安直に言えば気が抜けている。
クリスは左人差し指を光らせ空をなぞる様にすっと動かす。
焚き火が、炎が炭が灰も残さず、空に溶けこむように消えていく。
「小魔力を回復するために聖水を飲んだのになに使ってるんですか!」
「ああ、ついつい……すまないな」
今度は素直に謝った。
***
森の中を只管歩く二人。
騎士団の設立時期や、訓練内容、職務内容等、時にはくだらない会話も交えつつ、山を登っていく。
まるで観光をするように、山林を登っていく。
それもそのはず。
二人は聖騎士である。
聖騎士の体力は常人の数倍に及ぶ。
人の手が入ってい居ない世界樹の森だというのに、遊歩道のように気軽に歩いていく。
それに拍車をかけたのが、森の何もなさである。
大魔力の濃さが関係しているのだろうが、全くと言っていいほど気配がなかった。
世界樹以外の植物も殆ど言っていいほど見かけない。
まさに世界樹の森とでも言わんばかりである。
おかげで二人はトントン拍子で、進む事ができた。
夕方に差し掛かる頃、段々と地響きのような音が聞こえてきた。
「この音はなんですかね?」
アリシアが不安げに尋ね、ぎゅっとクリスの腕を握る。
「多分、滝の音だろう……音が怖かったか?」
そんなアリシアの行動に微笑ましいものを見るような顔になった。
既に気分は祖父である。
アリシアはクリスの顔をみて、子供扱いされているのが理解できたのか、拗ねた様子で手を離した。
「別に怖いわけじゃないです、驚いただけです」
「そうか、なら滝を確認して、一応地図に書き込んでおこう」
クリスは微笑むとゴソゴソと鞄から地図と筆記具を取り出し書き込んでいく。
「そうですねー」
アリシアはやや投やりだ。
美味しいのにとても臭い料理を食べたような気分である。
クリスは手慣れた手付きで地図に印をかき込むと、上流に向けて歩き出した。
アリシアもとことこと着いていく。
しばらく歩いて行けば、空気に湿気が増えていく。
気づけば地面には岩や小石が増えてきた。
水音も段々と大きくなる。
やがて薄暗い森に光が差し込む場所にたどり着いた。
「河原についたか」
クリスは再び地図を取り出すと、印を付けて道を書き込んだ。
「距離からするとそろそろ、山頂に近い。集落も近いはずだな」
クリスは少し離れた地面を見つめだした。
「どうしたんですか?」
「小さいが、人の足跡がある」
「何処ですか?」
アリシアはきょろきょろと辺りを見回した。
「踏んでるぞ」
クリスがそう指摘すると、アリシアは飛びずさった。
「冗談だ、ほらここに」
木の根元をクリスが指差した。
誂われたアリシアは、「もう」と言いながらも覗き込んだ。
そこには小さい足跡が無数にあり、それが川にまで続いていた。
「確かに人の足あとっぽいですね。子供じゃないですか? これじゃ七歳くらいですかね」
「亜人の子供か、それとも村から攫われた子供かわからないが、どちらにしろ集落は近いな」
「裸足です」
「確かにな……」
クリスも足跡とその周辺をよく観察する。
文明から離れた人形の生き物ではよくあることだが、裸足である。
可能性としては人形の魔物と呼ばれる生物だ。
人に意図的に悪意をもたらす生物を魔物という。
ともあれ、魔物なら殺すだけであるので問題はない。
とはいえ、亜人の子供の可能性もなくない。
足跡を追ってみる二人だが、足跡は川で途切れている。
恐らくは渡ったのだろう、反対岸に目線を向ければ、川を超えたのであろう場所に足跡がある。
しかし、そこで途切れている。
――森のなかに通じる足跡か。
気になる足跡ではあるが、恐らくこの先に集落はない。
なぜなら世界樹の加工が殆どできないからである、さらに動物も植物も殆どいない。
食べ物が無いところに集落があるはずがない。
レジールから聞いた話では世界樹の皮は鋼鉄よりもさらに固く、火でも燃えず、冬でも決して凍らないという。
少なくともアルザークでは加工すら不可能だという話だった。
とはいえ、食べられる部分として実が成るのは事実である。
道中、何個かクリスも発見している。
だが、一つの世界樹になる実は十年に一度。
いくら広大な森でもその程度の生産性で生き物が群れを成してくらせるわけがない。
「考えても仕方ないし、進みましょう?」
長い間考え込んでいたのであろう。
立ち止まってぶつぶつと呟くクリスを、アリシアが促した。
クリスは相槌をうって歩きだした。
二人は再び滝を目指し歩き出す。
進むにつれてやがて音が段々と大きくなり、やがて、ゆっくりとその全貌が明らかになった。
「でかいな」
「すごく大きいです……」
クリスの呟きにアリシアも同調し、首を大きくのけぞった。上が見えない程である。
上からは大量の水が地響きと共に落ちてきており高すぎる滝のせいで途中で水が全て水蒸気になっていた。
そのため普通は滝にはあるはずの滝壺がない。
ところどころに虹がかかりそれは幻想的な雰囲気を醸し出している。
「高すぎて上が見えませんねぇ……」
アリシアは頂上を見ようとする。
背伸びして、ぴょんぴょん飛び上がるも、見えないようで不満気だ。
しかし頂上も霧がかかっており、いくら頑張っても見えないものは見えない。
「滝のおかげか、夏だというのに涼しくていいな」
気に入ったのか、クリスが涼しげに微笑んだ。
アリシアもそれに同意し頷いた。
言うなれば絶景と形容するのが、最もそれには似合っていた。
「綺麗ですねぇ……」
「ああ……」
二人はしばし時間を忘れるほど、滝を見入っていた。
余程見入っていたのか、疲れていたのか、それとも雰囲気に当てられたのか、わからない。
けれども、気づいた頃には、既に日が落ちそうになっていた。
「そろそろ野営の準備でもするか」
「あれ、でも野営用のテントとかもってきてないですよ? ご飯なら持ってきましたけ」
アリシアの発言に笑いをこらえる。
今更気がついたのかとクリスは微笑う。
見ために関して二人とも山登りとは思えないほど軽装である。
互いに肩掛け鞄と水筒を一つ、それにクリスは騎士服で細剣を腰にさしているだけ、アリシアは僧服の背中に杖をくくりつけている。
そもそも聖騎士は食いだめができるし、二三日なら睡眠も取らなくてもどうにかなるらしい。
ならば必要もないだろうと最低限しか用意はしていなかった。
クリスがそれを告げると信じられないというような顔でアリシアは慄いた。
しばらくして気を取り直したのか、アリシアは恨みがましくクリスを見た。
「クリスの鞄が魔法の鞄で何でも入ってたりしないですか?」
不機嫌を隠そうともせず、けれどももしかしてを期待してアリシアはクリスに問いかけた。
「そんな便利な物があったら、世の中の運輸業は商売あがったりだ」
「それも……そう、ですね」
にべもなく希望は打ち砕かれて、アリシアは投げやりに項垂れた。
「じゃぁどうするんですかぁ?」
不満気に頬を膨らませて、クリスを睨む。
「こうする」
クリスは左手でなぞる様な動作をした、途端に左人差し指の爪が微かに十字に光る。
消滅の聖痕を発動したのである。
すると世界樹の一つが溶けるように空に消える。
ガサガサガサと言う音と共に、上から葉っぱと枝が降ってきた。
樹が小さいといっても葉は一つ一メートルはあろうかという大きさで、枝に関しては丸太のように太い。
クリスは降ってくる枝やら葉を手で掴むと自慢げにアリシアへと翳してみせた。
「そら材料が降ってきた、木が消えた穴に葉を引きつめて、枝で周りを囲んで葉をかぶせれば、寝床くらいにはなるだろう」
こういうのは現地調達が基本なんだとしたり顔のクリスにアリシアは腹が立つ。
クリスの聖痕を使い方に納得がいかないが、それは置いておいても食事に関しては、せいぜい干し肉くらいしかない。
アリシアはジト目でクリスを見たかった。
とはいえ、今回は不便があるわけでもないのでしぶしぶと、不承不承に見逃した。
「その聖痕は便利ですねぇ……」
今使った消滅の聖痕はクリスの持つ聖痕の中でもっとも危険な聖痕である、任意の空間内の物体を強制的に消滅させる聖痕だ。
もっとも小魔力の消費も多く、任意の空間の確定までに時間がかかるので戦闘では使い難いし、生き物には効果を発揮しないが。
今世界樹一本をほぼ消したのだ、せっかく回復した小魔力も相当な量のを消費している。
「ああ、千里眼と一緒に使えば、女性の服だけを消せる素晴らしい聖痕だと大司教が教えてくれた。まぁもっとも今の俺じゃ、そんだけ同時に小魔力使ったらぶっ倒れるけどな」
それでもクリスは元気そうに下品な事をいってハハハと笑う。
「…………」
無言でクリスを見つめるアリシア。
目は死んだ魚のように濁っていた。
「……冗談だ、そんな事しなくても透視だけで事足りる」
沈黙に耐え切れなかったのか、それともアリシアの目線に負けたのか。
冷や汗をかきながら謝るクリス。
しかし言い訳も少しおかしい。
「それやったら騎士団抜けますからねぇ?」
「まだ結成してないのに抜けるもないだろう?」
力なく笑うクリスだが、その頬は引きつっている。
アリシアは頭が痛くなった。
騎士団結成してからこの発言は困る。
その晩、女性としての発言と気遣いについて、アリシアはくどくどと説教を施すことになったのである。
***
翌朝。
葉っぱの寝床から這い出た二人。
神殿の宿舎にあった粗末なベットよりも世界樹の葉は寝心地がよく熟睡していたアリシア。
納得がいかないとぼやいた。
クリスはさほど気にしてないのか、「いい朝だ」と言うなり、川の水を汲んできてお茶を沸かしている。
ぐぅとアリシアの腹が鳴る。
自分でもってきた食べ物は昨晩全て食べてしまったアリシア。
クリスを縋るような目でみる。
すると何かの果実の半かけを投げられた。
「わわっ」
アリシアは何とか受け取った。
空腹でそれが何かを確認もせず、かじりついた。
シャクシャクと響く咀嚼音。
けれども、果実の半かけでしかない。
アリシアにとってはおやつにもならない。
あっという間に食べ終わってしまった。
「美味しいですね、これ何の実ですか?」
「世界樹だ」
おざなりにいうクリス。
むせるアリシア。
「ゲホッゲホッ、金板十枚!? 半かけだから五枚!?」
混乱し、さらにむせるアリシア。
「落ち着け」
そう言ってクリスはお茶を出しだした。
「熱いからやけどするなよ」
「ありがとうございます」
アリシアはお茶をすする。
ふぅと一息ついて混乱も収まったアリシアはクリスを問い詰める。
「いつ取ったんですか? 取ったとしても金板十枚を食べるなんて……」
「昨日、世界樹を消したときに掴んだ、ちなみにそのお茶も世界樹だ。アリシアが起きてくるまで暇だったんでな。作ってみた。旨いだろう?」
何処かしたり顔のクリスに腹が立つ。
「確かに実もお茶も美味しいですけど……」
もったいない、と思わず言いたくなった。
「もう集落につくからな、景気づけだ」
クリスの言葉に驚愕し、眼を見開いた。
「見つけたんですか? 集落」
クリスは頷き肯定した。
そして指差す。
「あの滝の上だ、あそこには世界樹が生えていないし、開けた土地があるし、世界樹とは違う樹林もあった。千里眼の聖痕でも確認したから、あそこしかない。もちろん人影も見えた」
千里眼ずるい、アリシアはそう思うけれども気づく。
千里眼で使う小魔力は結構大きいはずなのに、なぜそんなにクリスは使えるのかという不自然さ。
昨日の寝床のために殆ど使い果たしたはずである。
倒れでもしたら事である。
「そんなに小魔力使って大丈夫なんですか?」
けれども、アリシアの疑問は呆気無く答えを示された。
「世界樹の実くったら、なんかほとんど回復した」
アリシアも言われてみればと、自身にみなぎる小魔力を感じる。
「金板十枚は伊達じゃないんですね」
「ああ、その価値はあるかもな」
クリスもおざなりに肯定する。
その発言、余りに金に無頓着なクリスをみて、アリシアはクリスは公爵家だった事を思い出した。
余り貴族らしくないクリスだが、一応公爵家のだったのだ。
中流下流の貴族ならば金に凄い頓着するのだが、上流貴族とは恐ろしい。
本物の貴族には貧乏人の気持ちはわからないんだろうなと、アリシアはため息をついた。
アリシアの家、スワン男爵家は貧乏貴族だった。
故に出世を狙ってアリシアを伯爵家に嫁がせようとしたのだから。
――公爵家なら、美味しいもの食べ放題かなぁ?
そんな一種の羨望をアリシアはクリスに抱いた。
アリシアのそんな気も知らずにクリスは滝を見つめていた。
「いっそ飛ぶか?」
唐突なその言葉に、おそらく滝の上に行く方法を考えていたのだとアリシアは悟る。
けれども、その言葉。
アリシアにはものすごく不吉なことに聞こえてしまう。
「飛翔の聖痕使ったことないけど」
よっと軽い掛け声とともクリスの背中、肩甲骨のあたりが左右二箇所十字に光る。
白い翼が左右に一翼づつ生えた。
「燃費悪いな、まいっか登るだけだし」
そう言うとクリスはアリシアの後ろに回る。
「いくぞ」と一声。
何かを言う間もなく、気づけばアリシアは抱えられていた。
俗にいうお姫様だっこである。
バッサバッサとクリスの翼が動く。
「ちょっ、揺れっひど、いったー」
アリシアは舌を噛んだ。
「喋ったら舌かむんじゃないか? って遅かったな」
涙目になるアリシア。
「まぁ少し我慢してろ」
慣れてきたのか揺れも徐々に減りゆっくりと二人は上昇していく。
綺麗な虹が今日も滝にかかっている。
滝の目前をクリスは浮き上がる。
霧化した水が、夏の暑さに心地いい。
滝を見ながら、ゆっくりと上昇する。
下を見ればそこはもう、遥か高く。
既にそこは世界樹よりも高かった。
遥か遠くにアルザークが小さく見えた。
僅かな間の空中散歩。
五分もすれば、滝の上についた。
少しだけ楽しかった。
アリシアはそんな感想を抱いた。
クリスの翼が消えて、着地する。
「翼人族も制空権を竜種以外に取られるなんて夢にも思わんかっただろうに聖騎士ずるいなぁこれ」
アリシアの感想とは逆にクリスは戦術的な要素を考えていたらしい。
雰囲気ぶち壊しである。
ともあれこの世界に飛べる生き物は少なくない。
幻獣の一部か翼人族、鳥類などである。
けれども人型と限定するならば、それの数は絞られる。
戦略行動を取るならば、竜騎士か、翼人族か。
聖戦に思いを馳せているのか、クリスは静かにアリシアを下ろした。
アリシアはそっと腕から下ろされ、ゆっくりとあたりを見回した。
そこに広がっていたのは、牧草地帯。
崖の上とは思えないほど広かった。
「こんな山の上に草原が……」
「大分、広いな。高原というんだっけか?」
そこにはなだらかな傾斜面が広がっていた。
これだけ広ければ人が生活するのも苦ではないだろう。
少し行った所に畑が見える。
「トウモロコシ畑か、人為的なものだろうな、柵もある、集落は近いはずだ」
トウモロコシと聞いてアリシアの目が僅かにきらめく。
「多分粉用だからそのまま食っても旨くないぞ」
クリスが指摘するとシュンと項垂れるアリシア。
どうやらまだお腹が空いてるらしい。
「集落につけば、友好的なら飯くらいだしてくれるだろう」
「友好的じゃなかったら?」
尋ねるアリシア。
「その場合武功のために殺すんだ、奪えばいいさ」
笑うクリスに仮にも神官のアリシアには文句の一つも言いたい所だが、元からそういう目的だったのだ、と諦めた。
そもそも、亜人を斥候したのは十字教なのである、むしろ神官的には大きな功績になるはずだ。
――私が気持ちよくご飯を食べれるように友好的でいてほしいものです。
結局は自分のためなのだが、アリシアは欲望には逆らえなかった。
トウモロコシ畑を超えると、三メートルはあろう高い石垣が見えてきた。
恐らくは村である。
厚い石垣には人が歩いても余裕な程に幅があり、相当に頑丈そうである。
さらに村全体が水堀で囲んである。
例えるならそう、まるで要塞のようである。
クリスは警戒度を上げた。
文化から離れた種族と侮った事を後悔する。
恐らく戦略に関しては、相当に慣れた種族である。
「あそこが集落か、さていくぞ? 警戒はしとけ」
村へ入るために木の橋を進んでいくクリス。
どうやら橋も中に引き上げられるようだ。
相当に防衛に特化した村である。
驚きと賞賛の念が入り交じる。
ゆっくりと歩いていたクリスの足がピタリと止まる。
追従していたアリシアを手で制した。
「どうしました? まさか罠ですか?」
緊張が走る。
「いやそこ、木が腐ってる」
拍子抜け。
アリシアはなんともいえない表情でそこを見た。
確かに腐っているのだろう、何かが液体のような物が見えた。
そこを避けて通る。
集落へはすんなりと入れた。
しかし、人っ子一人見えはしない。
石でできた家々が立ち並ぶ、とても頑丈そうにできている。
アリシアはきょろきょろと辺りを見回してみるが、家以外は目立ったものもなく遠くに櫓のようなものがある程度。
集落であるというのに物音一つしない静けさだ。
「誰もいませんねー?」
クリスは何かみつけたのか、じっと家々を見つめている。
アリシアも釣られて見ると、家々のあちらこちらに鋭い傷がついていたり、何か重いものがぶつかったあとがある。
明らかに街中で戦闘が起こった跡だった。
傷は古いものから新しいものまである。
「もうすこし、調べてみよう」
大通りと思われる所を歩いていく。
中央の広場らしき所に先程見えた白い櫓がある。
「あそこまで行ってみるか」
クリスが櫓を指差した。
アリシアは頷き、二人は警戒しながら道を行く。
道には車輪の跡や足跡がくっきりと残っている。
広場らしき所につく。
櫓を確認すると白い物で作られている事がわかる。
よくよく見ればそれは骨だった。
「獲物の骨で作っているのか?」
「気味が悪いです……」
多少の骨ならアリシアも別段気にはしない。
けれども、量が量である。
櫓すべてを賄うほどの白い骨。
それは明確に死を連想させる程度には不気味で恐ろしかった。
アリシアは青ざめた顔でそれを見ていた。
「同じ猿人でも田舎のほうや、十字教圏じゃない異民族などでは狩った獲物の骨を飾るというの珍しくはない」
気にするなと慰めた。
しかし、クリスは髑髏に違和感を感じ、観察する。
猿人族にしてはでかい、かといって鬼人族にしても小さい、過去の六大部族と言われた部族の特徴とはどれも合わないものだった。
「そんなものマジマジと見ないでくださいよぉ、気持ち悪い」
アリシアは既に泣きそうだ。
本当に二十かと疑いたくなる精神構造をしている。
千里眼の聖痕の鑑定視を発動させるクリス、両の瞳の中に光の十字が浮かびあがる。
鑑定視、とても便利な目である。
見たものの情報を暴き出す聖痕だ。
とはいえ、本人の知識がなければ結局はわからない事も多いのだが。
「土耳長だ!」
今のクリスの知識にもそれは該当したようだ。
その言葉にクリス自身も驚愕に目を見開いた。
土耳長……それは、土人族と耳長人族の混ざりものである。
――混ざりものの骨ばかりなぜ。
この櫓の骨は集落の身内の骨の可能性が大きかった。
クリスは神殿の歴史書の一文を思い出す。
「土人族は死んだ親族の骨を掘り返して神に捧げるんだっけか?」
そうするとこの集落は土人の集落という事になる。
だがしかし、大量の土耳長の骨というのも気にはなる。
よくよく見れば土人の骨も散見するが、それにしても量が少ない。
「結局誰もいないし、気味が悪いし帰りましょうよ?」
クリスの腕を引っ張るアリシア、瞳に涙を貯めている。
「骨がそんな怖いかね……仮にも神官なんだから祝詞くらい読んでやれよ?」
「帰りましょうよ~」
アリシアの弱音を完全無視して、クリスはアリシアの頭をポンポンと軽く叩いた。
今日は髪に触るなとは言われなかった。
それくらいにはテンパっているらしい。
「五部族を亜人と称して滅ぼしたのは十字教だったな、他の五部族は宗教が違うのか? 違うなら祝詞読んでもいみないか?」
「十字教も大本をたどれば、十ニ使徒教という源流があるのです、神話の時代の魔族と人の戦争、神より遣わされし十ニ使徒、その中のヒューミィ・エフレディアを信仰しているのが十字教です、過去に王都には他の部族も住んでいたそうですし、他の十二使徒を信仰する宗教もありますが、十字教が一番の勢力ですね」
「あれ? でも滅ぼしたんだろ?」
クリスには、どうにも違和感が拭えなかった。
源流が同じだというに、争う理由がわからなかった。
「その時は神託が下ったそうです」
「神託ねぇ……」
なんとも都合がよくて胡散臭いが、クリスが騎士団を作る理由も神託によるものだ。
神託によってエフレディア王国は栄えたといっても過言ではないほど王族や神殿は神託を重要視している。
「その時代、他の五部族は繁栄を極めた猿人族に恐れをなして、五部族の同盟を結び、猿人族を滅ぼそうとしたらしいです、聖戦の頃の資料ですが」
「へぇ」
クリスはどこかおざなりに返事をする。
「バレて返り討ちってか? なんとも締まらない話だな……」
「もともと六部族互いが互いに中はよくなかったと資料には書いてあります……」
「特出した所を全員でってか、出る杭は打たれるってことか」
――なんとも世知辛いな。
「でもここには混ざりものの骨がある。混ざりものが居たってことは部族の感情と個人の感情は別って感じか?」
「そうなんでしょうねぇ」
「というかその骨、混ざりものなんですね」
アリシアも驚き、まじまじと骨をみる。
けれどすぐ離れていく。
「違いがわかりません」
「この集落の歴史と文化が気になる所だな……」
「気になっても肝心の人が居ませんし……、それに初めから話をする前に襲われたらどうするんですか?」
亜人の歴史からしても十字教ひいては、猿人族は敵対者だ。
可能性は無くはない、むしろ高いほうである。
「百年以上と昔の話とはいえ、今でもその頃の感情が残っていたりしたら面倒だな」
「そうですねぇ……」
悩むアリシア。
でも、と続けた。
「歴史とは縛られるものではなく、乗り越えて教訓にすべきものだと思います」
その言葉に感心するクリス。
「それは御高説だな」
アリシアを茶化した。
「すぐからかうんですから」
アリシアは頬を膨らませる。
「でも」
急に雰囲気が変わるアリシア。
普段からの雰囲気とは違い凛としている。
「亜人が居たとしても、話くらいは聞いてくれるでしょう、そう願います」
何を考えているのか、そこにあった思いでも感じ取ったのか、アリシアは手を組み祈り捧げるように、そっと呟いた。
そこには神聖な美しさがあった。
クリスは思わず、その姿に見入ってしまった。
すぐに頬を赤らめ、誤魔化すように笑う。
「聞いてくれるといいな……」
少しだけアリシアを見直した。
その時だった。
クリスの視界に、光が煌めいた。
「伏せろ!」
一瞬遅れてアリシアが居た場所に、銀線が走った。
「なんですか? お化けとか嫌ですよぉ?!」
クリスによって地面に転がされ、アリシアは怯えだす。
さっきまでの神聖さは霧散して、アリシアはいつもどおりに戻っている。
「お化けではないが、どうやら客のようだ、いやこの場合はこちらが客なのかな?」
気づけば二人は周りを包囲されていた。
いつのまにやら広場の出入り口には槍を構えた女が三人づつ、あちらこちら家の屋根などには弓を構える女も多数見える。
どうやら先程の光と銀線は矢のようである。
牽制か警告か次射を打ってくるようすは今はない。
総数三十前後。
一瞬だけ目の聖痕を光らせるが。
クリスは降参だとばかりに、両の手を上げた。
「諦めるのはやくないですかぁ?」
アリシアはすでに半泣きだ。
「対話する機会がなければどうにもな、こういうときは大人しくしとけばいいのさ」
飄々としたクリスの言葉を理解したのか。
アリシアもゆっくりと両の手を上げた。
改修