騎士団宿舎 壱 ハーレムの勧め
クリスの朝は遅い。
けれども時たま用事があると早くなる。
今日もたまたま、用事があったのか、日の出には既に眼を冷ましており。
なぜか千里眼を発動させている。
そしてその眼の先は、宿舎のほうに向いている。
「レイトは赤でテートは黒か…」
クリスは意味深に呟く。
「この様子じゃリラが白でフェイトが焦茶か?」
白はともかく、焦茶はあるのだろうか?
そんな益体もない事を考える。
眼の方向を、リラとフェイトがいる方向に向けた、クリスに声がかかる。
「何の予想ですか?」
「いやな……下着の色をわざわざ騎士服に合わせてあるもんだから、もしかしてと思ってな?」
「それで、朝から千里眼を使ってたんですか?」
「どうにも気になってな……、あ、ほら予想通りだ」
自分の予想が当たったことに、クリスはうんうんと頷いた。
そういえば、誰と会話してるのだろうと、千里眼を切るとそこにはジト目でクリスを睨むアリシアが。
「……おう、アリシア、早いな?」
クリスは引きつった顔で挨拶をする。
「おはようございます、クリス、今日は朝練に顔を出すと言ってたので呼びに来たんですが?」
アリシアは笑顔で返す。
しかし、笑顔だというのに、何処か凄みがある。
「そうだっけか?」
とぼけたように返す。
そういえば、昨日そんな事を言った気がすると思い悩む。
王妃様に提出する書類を仕上げながらだったから、適当に返事をしたような。
「そうですとも、クリスは聖騎士だというのに、朝が弱いから態々呼びに来てあげたのに……朝から覗きですか」
まるで、汚物を見るかのような眼でクリスを見つめるアリシア。
「覗きとは、人聞きが悪いな……純然だる興味であってな……別に、やましい意図があったわけじゃ……」
つっかえながらも、クリスは反論をする。
「……」
アリシアは無言で、クリスを見つめる。
「ほら、俺の下着は男女兼用下着だから……年頃の子はどういうのか気になってな……」
クリスは言い訳じみた、弁解をする。
その言葉を聞いて、アリシアが僅かに頬を引き上げた。
「じゃぁ、今日は訓練終わったら、午後に城下へ下着と……服を買に行きましょう、どうせ暇でしょう?」
有無を言わせぬ迫力というのは、この事か。
反論など許さないとばかりに、決定されるクリスの未来。
「マジか?」
クリスはそう呟くしかできなかった、
「はい、じゃぁ、先に向かいますね」
そう言うとアリシアは、先に朝練へと向かってしまう。
確かに、訓練自体はクリスが主導しているわけではない。
餅は餅屋という具合に、基礎訓練は聖騎士としては手馴れているであろう、ミイナと十三祭祀団に任せている。
基本、全員が聖騎士なのだ、聖痕など効率よく伸ばすにはそれで問題はなかろうとクリスは思っている。
しかし、そうすると必然的に、聖痕を使いこなせる者は暇となる。
基本的に基礎訓練以外は自由訓練だ。
練度もばらつきがあるというのに、集団訓練を行うわけにも行かない。
そしてまだ、任務らしい任務があるわけでもない。
となると、やることは殆ど無い。
クリスなどは、書類仕事があるものの、それ以外は概ね暇なものだ。
「朝練向かうか……」
クリスはとぼとぼと歩き出す。
行き掛けに、己が黒い騎士服の上だけを羽織り、細剣を片手に部屋を後にする。
ところどころ、挨拶を交わしながらも、廊下をあるき、朝の慌ただしい宿舎を歩く。
寝間着のまま、訓練場に向かおうとする猿人の新兵。
騎士服を着ているはいるものの、朝は弱いのか、全員寝ぼけ眼の黒耳長達。
髪が爆発している土耳長。
下着のまま、走り回るレイト。
クリスをみつけると顔を僅かに染めて部屋に引っ込んだ。
洗面所には列ができている。
「おはようございます、団長」
「ああ、おはよう」
「おはようっす」
「おはよう」
「団長様、洗面所増やしてください~」
一人の猿人の聖騎士が懇願してくる。
「井戸にでもいけ……」
クリスは冷たくあしらうものの、引きはしない。
「ええー、遠いじゃないですか? それに鏡ないしー」
クリスは洗面所を一瞥する。
確かに、鏡は設置したが…、洗面台の台数も必要数は設置したと思うのだが。
クリスにはなぜ混むのか、理解できない。
「朝から、そんなに何の時間がかかる?」
「朝はいいですけどー、訓練終わった後とか、休みの日にはもの凄い混むんですよ?」
「化粧か?」
クリスが思い当たるのは、そのくらい。
「化粧か、じゃないですよー! ここって備品で結構化粧品揃えてるから、団長様が手配したって聞いたんですけど、違うんですか?」
「商家の親戚が居てな、そこで他の備品共々まとめて注文するから安くつくんだ」
とはいえ、化粧品は、備品一覧の中にクリスの母が強引に混ぜたものである、あれでも一応商家の娘である。
なかなかに強かな行動である。
他にも、嗜好品、酒や、そのツマミ、単純な卓上遊戯やカード等は、気晴らしというのには必要である。
騎士といえど、人である。
人を雇う上では、相応の見返りが無ければ、人は期待した働きをしてくれない。
クリスは商家の出で、本来後を次ぐために教育されていたのである。
当然、ある程度の人の扱いは心得ている。
「そうなんですかー? あ、でもー団長様が化粧してる所とか見たことないかも?」
「そうだな、一応式典ではするかもしれんが、他でする予定は今のことろないな」
「あー、団長様、女捨ててるー、いくら騎士とはいえ女の子が化粧もしないで人前にでるなんてありえないですよー、ねー?」
ねー? のその声に洗面所にいる、いくらかの女聖騎士たちが反応する。
「「「ねー」」」
「……そうか」
クリスとしては別に捨てるどころか、大遠投しても構わないのだが。
ある程度、違和感がでないように、化粧くらいならば必要か? と思う。
よくよく思い出せば、殆どの物は化粧をしていたと思う。
――土耳長の顔に付ける、謎の染料も化粧といえば化粧か?
しかし、こいつらふてぶてしいな。
猿人の聖騎士達は、考えこむクリスに興味をなくしたのか、既に別の会話をしている。
あとやたら、キャピキャピしてる。
「そろそろ朝練に向かえよ?」
軽く注意するものの、てきとーに、はーい、と流され終わりである。
女だけなら、こんなものか? と思うものの、こんなものでも一応ポチの咆哮に耐えたのだと思うとなんとも微妙な気分になってくる。
「お前らー!」
唐突に聞こえる、怒鳴る声。
レイトがいつのまにか赤い騎士服に着替えて、クリスの後ろに立っていた。
「いつまで準備に時間をかけているー! そろそろ朝練の時間だろう!」
「「「はいー!」」」
その怒鳴り声に、ビクっとしたのもつかの間、返事をし女達は駆けていく。
火竜騎士団長の娘という事もあるのだろうか、レイトの言う事は素直に聞くらしい。
「団長殿、朝から申し訳ありませぬ! 後ほどよく言って聞かせますので!」
「特に何をした、というわけでも無いから別にいいのだが」
「いえ、団長殿に対して数々の無礼に、見逃すわけには行きませぬ」
そう言うと、レイトは口を真一文字に締める。
「まぁ、ほどほどにな」
「ハッ」
レイトはキビキビとした騎士の礼をする。
一応クリスもそれに騎士の礼を返す。
なんで、こいつはこんなに軍人気質なんだろうと思わなくもない。
下手をすれば翼竜騎士団よりもそれらしい。
ふと、違和感をかんじて、まじまじとレイトを見つめるクリス。
違和感にはすぐに気付けた。
聖痕を失って聖騎士でなくなったはずなのに、その髪は銀色に輝いている。
元より眼の色は赤だったから、構わないのだが。
よく見れば、髪色は脱色して誤魔化しているようである。
毛の生え際が若干赤く、レイト本来の髪色のようだ。
なるほどこれなら、ぱっと見聖騎士にみえないこともない。
「あの、どうか致しましたか?」
僅かに頬を染めて、レイトは訪ねてくる。
クリスはレイトの胸の辺りをじっと見つめる。
流石に、騎士服を来た上からではわからないが、恐らく先ほどの赤い下着を着ているのだろう。
しかしだ、騎士団の備品には下着の部類もある、しかし、それは殆ど白だったと思い出す。
となると、こいつも自分で買っているのか。
ぱっと見そういう事には関心が無さそうだというのに、見た目に依らないとはこの事か。
「あの……」
しかし、レイトですらそうなのだから、自身もある程度は揃えなければいけないのかと考える。
――備品でいいな。
そんなものに金を使うのならば、新しい剣でも買おう。
うむ、とクリスが一人納得した所、気づけば目前にいたレイトが顔を真っ赤に染めていた。
心なしか顔が近い。
「どうした? 風邪でも引いたか?」
「えっ、いえ、では私も朝練へと向かいますねっ」
レイトは僅かに残念そうな顔をする。
そう言うと訓練場に向かって駆けていく。
「そういえば、朝練だったな……」
思い出し、ゆっくりと歩いて行く。
けれども、口とは裏腹に足は備品倉庫へと歩いてゆく。
ほどなくして訓練場とは真逆の、備品倉庫へと辿り着く。
そこには大量の木箱が、置いてあった。
乱雑に。
倉庫内はそれは酷いものである。
地面には箱をそのままぶちまけたかのように武具が散乱し。
包帯や薬品の横に、油が置いてある始末。
燃やせという事だろうか?と邪推する。
「倉庫の管理は誰だったかな……?」
思い出すも、ほとんど自分だったはずなのだが。
もう少し、整理していたような気がしないでもない。
おそらくは誰かが何かを探して、荒らしまわったのか。
聖水と清潔な布が少なくなっているように思う。
「となると、アリシアが治療道具でも探して荒らしたか……」
何気にアリシアは医術や薬草学を一通り収めている。
もっとも、ここぞという時は大抵聖痕で済ませてしまうのだが。
とはいえ、軽傷の場合は薬を使うことも少なくない。
つまり、倉庫の現状はその材料を荒らした後である。
「整理整頓が必要だな…」
そう呟き、ため息をついた。
***
アリシアは怒っていた。
それはもう、プリプリと擬音がつくほどに。
理由を問われれば、クリスのせいだと即答するだろう。
理由は明確だ。
本来なら、来るはずである早朝訓練に結局来なかったからである。
別に、走っているだけだから、居るいないで然程違いはないのだが。
それでも、自分で来ると言った手前、来ないというのはどういう事なのだろうか、と憤慨するアリシア。
確かに、気まずいかもしれないけれど、それはクリスが覗きをしていたからであって、自身には否は無いとアリシアは思う。
クリスは、ああ見えて、よく堂々とセクハラをしている。
本人はしてるつもりはないかもしれないが、アリシアがそう思えばそれは、セクハラなのである。
元々、男だ、という事を知っている物も多くはないし、公には言えないが。
せいぜい、騎士団で知っているのはアリシアとテート、と恐らくはレイトと姉であるセシリアくらいである。
風呂などは、流石に気が引けるのか、流石に一人で夜中に入っているが。
しかしだ、訓練後に汗を拭いている所などはよくガン見してる。
特にアリシアの勘に触るのは、ある部分である。
ユカラやリラ等、大きい子は特によく見ている気がする。
何が、と聞かれたら、胸がと答えるだろう。
そして、気がするではなく、見ているだ。
確かに、あの胸は女であるアリシアとて気になる所はあるが、それでもだ。
――見過ぎじゃないだろうか?
アリシアが同じく汗をかいても、そっちのけで、ユカラやリラばかり見ている。
ユカラ等は気にもしてないようだが、リラは不思議そうな顔をしている。
しかし、クリスに見られている事はバレバレなのである。
女のクリスも胸は大きい部類とはいえない。
むしろ、ぱっとみはぺたんこなはずである。
なので、周りから見れば嫉妬の視線と勘違いしがちである。
アリシアも嫉妬の視線で、二人をよく見るので、そこの違いは理解できる。
そして問題なのは、厭らしさが殆どないのである。
真顔で真剣に見つめるのだ。
男ならできない、女だからできるセクハラ。
用意周到な敵に「うぬぬ……」と思わず頭を抱えるアリシア。
別に、男に戻って手を出しているわけではない。
別段、雰囲気を悪くするものでもない。
女同士だ、冗談と流されて終わりだろう。
それでも、何か許せない物がある。
「うぬぬ……」
そんな事を考えながら歩いていたためか、何かとぶつかってしまう。
フニっという感触、そして頭の上に乗っかる柔らかな重み。
ギギギと錆びたからくり人形のように首をあげるアリシア。
少し、離れてぶつかったものを確認する。
否、ぶつかった時から理解していた。
理解していて、理解していない振りをしたに過ぎない。
「お……アリシアか、済まないな」
上からかかる声はユカラのもの、他にはあり得ない。
男と見紛うほどの身長、いくら背の低いアリシアとて、それが頭に乗っかるのはユカラくらいのものだろう。
僅かに、距離をとり、目線を静かに上にあげる。
目線をあげただけでは、それが邪魔で顔が見えない。
もう一歩下がり、首を壊れたからくり人形のように持ち上げて、はじめて顔が見えた。
ユカラは、そんなアリシアを心配そうな顔でみつめていた。
「どうした? 腹が減ったか?」
心配の方面に、アリシアはガクッと肩を落とす。
「なんでも、ありません……」
ぶっきらぼうに、アリシアは言い放つ。
私不機嫌です、というオーラをまき散らしている。
「そうか、何でもないならちょうどいい、実は新人、殆ど公募とやらできた猿人の者なんだが…」
神妙な表情で、語るユカラ。
「何かありました?」
すわ、問題発生か。
怪我をしたのならば、自身の出番でもある。
意気込み、問い返す。
「筋肉痛が多いらしくてな……、湿布が欲しいんだが、もう救護室には置いてなくて困っていた所だなんだ」
ガクっと肩の力が抜ける。
同時に、神妙な割には、思ったよりも大事ではくて安堵する。
なるほど、確かに、他の人は兎も角。
公募で入ってきた猿人の女性など、運動慣れない者も多いだろう。
いくら聖騎士になって、身体能力が向上したとはいえ、元から鍛えていたわけではないのなら、筋肉痛になっても何らおかしくはない。
「あー、それなら備品倉庫のほうに、綺麗な布と薬品がまだあったと思いますけど?」
「備品倉庫? アリシアがよくつまみ食いしてる所か?」
「ええっと、そことは違って、ってなんで知ってるんですか?!」
アリシアは驚愕の声をあげる。
ばれないようにやっていたはずである。
食料倉庫は食堂の裏にある。
おばちゃん達の眼を掻い潜って、食料をつまみ食いするのは至難の業である。
見つかれば、おばちゃんたちによる、最近の若いもんは攻撃及び説教だ。
とはいえ、普段から大量に食事を用意してるため、つまみ食いなどするのは極一部の者達くらいのものであるのだが。
「わたしも酒をな……」
僅かに顔を赤らめて、言いにくそうに喋っているが、なんの事はない。
同じ穴のムジナである。
けれども、食べた分は給金から引かれていることは二人は知らない。
しかし、ユカラはともかく、元々神官だったアリシアがそれでいいのだろうか。
疑問は絶えない。
「「…………」」
短くない沈黙が二人を襲う。
「うむっ、それで備品倉庫はどっちだ?」
ユカラがわざとらしく、咳払いをし、空気を変える。
「案内しますよ、どれくらいの人数が筋肉痛かはわからないですけど、人手は多い方がいいでしょう?」
アリシアもそれに乗っかるが、自分で言っておきながら、不思議に思う。
こういう時に率先して動く人の姿を見ない。
「エンファさんは?」
エンファである。
ユカラの手伝いともなれば、犬のように尻尾をふりふり、耳をぴょこぴょこ、全力で、喜んでやりそうなものではあるが、尻尾も耳もアリシアの幻想ではあるが。
「エンファは最近……何かわからんが無茶をしてな、昨日なんかは黒耳長達が作った反転薬だとかいうのを飲んで、目玉の白と黒がひっくり返ってな?」
何を反転させるつもりだったのだろうか、アリシアにはわからない。
ユカラは思い出したのか、くくくっと喉を鳴らし笑いをこらえている。
「直ぐ様っ、解毒剤を飲んだから、問題なかったらしいが、それの後遺症で寝ておるよ」
解毒剤が用意してある時点でどうなのだろう、とアリシアは思う。
なるほど、それならエンファがいない理由は理解した。
「後でお見舞いしますね、場合によっては治せるかもしれませんし」
「うむ、そうしてもらえる助かる。騒がしいとはいえ、あれが居ないと私も落ち着かない所があるからな」
朗らかに笑うユカラ。
愛されてるなぁ、と少しエンファを羨むアリシア。
自身も、と思い、首をふる。
「立ち話もなんですから、行きましょうか」
「ああ、参ろうか」
***
どういう事でしょう、小汚かった倉庫は、壁の隅々まで磨かれて、僅かに光沢を放つほどです、木材なのに。
品物も整然と並べられており、一瞬みただけで、何処に何があるか解るほように、箱事に、品名まで書かれています、避妊薬まで。
床に関しては、乱雑に放置されていた武具一つ一つが、丁寧に磨かれ、サビ一つ見当たらず、正しい場所に収められています。
何ということでしょう、使い古された中古の武具達がまるで新品のように輝いています。
これぞ匠の技というのでしょうか。
「よし……」
クリスは備品倉庫を見渡すと、満足そうに頷き、手にもった雑巾を馬穴に放り込む。
気づけば、掃除に没頭し、武具のサビ取りまでしてしまっている。
初めは軽くすませるつもりであったが、気づけば全て掃除してしまっていた。
時間を確認しようと、胸元から銀時計を取り出した。
「もう朝食の時間だな、結局訓練には行けなかったか……仕方ないか」
何が仕方ないのだろうか、適度に切り上げれば良かったものを、そのまま続けてしまったのはクリスである。
そういえば、何しに来たんだっけかな? と思うクリス。
その時声がかかった。
「クリス! 訓練にも来ないで何をやってるんですか!」
アリシアである、バタバタと駆け寄ってくる。
見れば後ろにはユカラがいるようでニマニマと笑っている。
「あぁ、備品をとりにきたら、ちょっと汚くてな。掃除してた」
「掃除なんていつでもできるじゃないですか!」
プリプリと起こるアリシア。
「まぁ、そう言ってやるな、ここの管理もクリスの職務なのだろう? 長というのは何かと雑用のほうが多いものだ」
そう言って、ユカラは笑いながらアリシアをなだめた。
言ってることは間違っていないかもしれないが、掃除はきっと違う。
しかし、ユカラも何処か黄昏れた所がある。
恐らく、土耳長の村で自身が族長をしていたときに何かあったのかもしれない。
「それで、備品をとりに来たんだろう? なんだ聖水か?」
「筋肉痛ようの湿布だ」
「筋肉痛ねぇ……ある意味新人の登竜門か?」
筋肉痛という言葉だけで察したのだろう、自身にも覚えがあるのかクリスは、薄っすらと笑う。
「違いないな」
ユカラも同意し、目元を緩ませた。
二人して、カラカラと笑いあう。
しかし、何が面白いのかアリシアにはわからない。
アリシアが聖騎士になって初訓練を終えた時など酷いものであった。
次の日一日動けないほどである。
それを思い出して、僅かに苦い顔になるアリシア。
「苦しんでる人を笑うなんて酷いですよ?」
二人に注意する。
「あー、すまないな、湿布は嵩張るから、こっちの軟膏にしておけ」
アリシアの態度に、察したのか、クリスは苦笑しながらも謝った。
普段から、体を動かしていたものと、ほとんど動かしていなかったものに来る筋肉痛はわけが違う。
体を動かしていなかったものからしたら、体そのものを作り変えるような荒行なのだ。
痛みに差が合って当然だろう。
アリシアに謝りながらも、棚から小さな壺を取り出すクリス。
すると、ツンと眼に来るほどの刺激臭。
わずかに後ずさるアリシア。
クリスが蓋をあける、中を覗けば緑色の軟膏が大量に入っていた。
「臭いですよ?」
アリシアは鼻をつまみながら、問いかける。
それもそのはずか、わずかに臭う酒の匂い。
「臭いがこれがよく効く。新商品らしいぞ? 体に塗ってもいい、食べても効くらしい」
「食べ……新商品ですか……そういえばクリス午後は何処へ行きましょうか?」
食べるという、言葉にわずかに反応したアリシア、けれども酒の匂いに顔を顰める。
そして、新商品、という言葉に連想したのだろうか、既に買い物の事が頭にあるアリシア。
クリスの服を買うという、名目ではあるが、アリシアにとっては違う意味もある。
「なんだ、お主ら? 逢引か?」
ユカラがニマニマと笑う。
「なっ、ち、って…」
アリシアは、逢引という言葉に反応したのか、顔を真っ赤にさせて、言葉を詰まらせ、クリスの顔をちらちらと伺った。
「ああ、その事なんだがな、別に備品でも良いかなと? 一応数は揃えてあるしな」
クリスは、ユカラのからかいなど気にもせず軟膏のはいった壺をユカラに渡し、下着と書かれた箱を指さした。
「……むぅ」
先程までの慌てようは何処へいったのか途端に、アリシアは真顔になる。
「クリスは下着は男女共用下着ですからね……」
そのまま、視線をクリスへと向ける。
今のクリスの格好は上は晒しであり。
下は男物の、短パンを履いている。
「まぁ、いざという時もある。下着をつけていて破れたり伸びたりしたら後が大変だろう? そう考えたら晒しのままでも良いような気もするが……包帯代わりにもなるし、万能で案外気に入ってる……」
いざという時というのは男に戻る必要がある時であろう、その時に女物の下着など、クリスにとっては悪夢でしかない。
最も、よほどの事がない限りは、男に戻る必要などないのだが。
ユカラがいるため言葉を選んでしゃべる二人。
何を勘違いしたのか、ユカラが顔を赤らめて呟いた。
「そうか、クリスは激しいのが好きなんだな?」
「「はっ?」」
思わず重なる声。
「いや、お主ら、避妊薬を指さして、晒で代用しているとか、下着が破れたらとか、包帯代わりにもなるとか、どんなに激しいものかと」
ユカラのその言葉にクリスは頭を抱える。
なんで、その発想になるのか、確かに避妊薬は下着の横に置いておいた。
確かにクリスも別の意味で気を使ったというか、冗談のつもりで置いたものだが。
備品として、一覧に紛れ込ませたのは言うまでもなくクリスの母である。
「それで、アリシアもその内容を知っているという事は複数か。アリシアは生娘かと思っていたが、ううむ」
真剣な表情で呟くユカラ。
「生娘ですよっ!」
アリシアは、叫んでから顔を赤くした。
「俺も一応、生娘なんだけどー?」
もはや面倒くさいのか、クリスはだるそうに反論する。
「そうなのか? では相手も女か」
ユカラはわかったように「うむ」と頷いた。
「手を出すのは構わないのだが、責任はとれよ? クリス」
「俺かよ!」
「お主だ」
ユカラは他に誰がいると言わんばかりに即答する。
そして、急に真顔になるユカラ。
「泣かせるでないぞ?」
言い切った。
その大真面目な態度に、たじろぐクリス。
「おいっ、仮にも女同士だろうがっ」
思わず、語調が荒くなるクリス。
少しばかり興奮したのか、頬には赤みが刺した。
すると、その言葉に、呆れた、というような表情をするユカラ。
「好いた惚れたに、そんなもの関係あるまい? クリス…、お主はテートや黒耳長達をどう思う?」
そう言って、アリシアを軽く見据えるユカラ。
「どうって何が?」
「やれやれ、鈍感、というわけでもないのに、その意識。あえて気づかない振りをしているのか?」
「何を言っている?」
クリスは眉根をよせて問いかける。
「言わねばわからぬか? テートなど誰が見ていて解るほどだというのに、黒耳長達など、もはや崇拝に近い、まぁ最も黒耳長等は一族もろとも命を救われたのだ。それくらいはするだろう。もっとも、私もエンファがそんな感じではあるから人のことは言えんのだがな……しようのないものだ」
ユカラは諦めたように首を振る。
「そう……だな、いっそ、団員全員を愛してやれ? 英雄色を好むという、団長ならばそれくらいはこなしてみせろ」
ユカラはそう高らかに言ってのける。
「何を言ってるんだ、お前は……」
クリス頬を引き攣らせる。
そして、結局ユカラは、自身を誂いたかっただけだと理解する。
「勿論アリシアや私もな!」
そう叫ぶと、顔をニヤリと歪ませたユカラはクリスに飛びついた。
いつのまにやら、壺は床に置いたのか、気づけば右手はアリシアの手を握っている。
「お、おいっ」
アリシアもユカラに釣られたのか、二人同時にクリスに飛び込む形となる。
「あわわっ」
聖騎士の、力があるとはいえ、唐突な出来事に、純粋な体重差では踏ん張りもきかず、クリスを押し倒すように、転げる三人。
「ちょっ、なにすん」
したたかに腰を打ち付け、痛みにわずかにクリスの声が僅かに引き攣る。
文句を言おうとした先に、聞こえる、小さな寝息。
「すぴー……」
気づけばユカラは、クリスに半身のしかかった状態で眠っていた。
「おいっ」
怒気を含ませたクリスは悪く無いだろう。
ユカラは完全に眠っていた。
そして口からするのは、先ほどの軟膏に酷似した酒の匂い。
軟膏の壺をみやれば、そこにあるのは空の壺である。
「ったく、酔っぱらいが…」
なぜユカラが変な事を言い出したのか、クリスはすべてを理解した。
起き上がろうとするが、その時ユカラではないほうの、体に力がかけられる。
そちらをみやれば、アリシアがいる。
しかし、その形相は鬼といわんばかりに、ギリギリと歯ぎしりをしている。
クリスはアリシアの頭に鬼人の角を幻視する。
そして、がしりとクリスの胸を掴んでいた。
「あの、アリシア……さん? 痛いんですけど?」
思わず、丁寧語になるクリス。
そのくらいの迫力が今のアリシアには存在した。
「なんで……」
「なんで?」
思わず呆けた声で、問い返すクリス。
「なんで私より胸が大きいんですか!? 」
アリシアの悲鳴のような声がクリスにかかる。
「今そこ気にするのかよ!」
倉庫にクリスの声が響く。
けれども、アリシアはきにもせず、ユラユラと立ち上がる。
そして幽鬼のようにゆっくりと歩き出した。
「お、おい?」
「朝ごはん食べてきます」
「え、ちょ」
アリシアが去った後、残されたクリス。
爆睡しているユカラ。
立ち上がるクリス。
先ほど転げたせいであろう、折角整理した倉庫は、いくらか備品が散らばってしまっている。
「……」
わけがわからず、呆然となるクリス。
こうなってしまった原因を見つめる。
「ユカラは禁酒だ……」
クリスは寝ているユカラを蹴飛ばした。
その日からしばらく、ユカラ用の食事から酒類が消えたのは言うまでもない。
書いてるとき、何書いてんだろうと思った。




