エピローグ 結末 ~得たもの、失うもの~
湿り気を帯びた土の上。
あちらこちらに刺さる大きな十字架達。
恐らくは墓地だろう、そんな場所。
そこには、四人が倒れている。
一人は安らかな顔で眠り。
一人は、泣きはらした顔で崩れ落ちており。
一人は、跪くような形で倒れており。
もう一人は、なぜか地面に顔を突っ込んで倒れていた。
そこへ、小さな羽音と共に、一匹の蝙蝠が飛んでくる。
すると蝙蝠は、ぽんと小さな弾けるような音をして、人に化けた。
紅いドレスに白い肌、吸血鬼の女王であるルシエンだ。
つまらなそうに、辺りを見回して、安らかな顔をして眠っているクリスの元へと歩みよる。
「それで何があったの……母さん?」
ルシエンは寝ているはずのクリスに単刀直入に切り出した。
「……もう少し寝かせろ」
寝ていると思われたクリスは、起きるのがだるいとでも言わんばかりに、不機嫌に言葉を返す。
事実寝ていたのだろう、眠たげに眼を細めている。
「私は構わないけど、そこの男二人はやばいんじゃないの?」
そう言ってルシエンが見やるのは蛇竜騎士団の二人。
二人共に顔を青くし、呼吸も荒く倒れている。
「千里眼の未来視で誰かが死ぬ未来は見えなかった、問題ないだろうさ」
クリスは遠回し、気にするなというと静かに立ち上がった。
「そう……」
ルシエンは頷き、地面に落ちる紅い鱗と闇火竜の剣を見つめた。
見覚えのある剣と鱗、誰の、と考えなくてもレイトの物だろう。
そして、それが此処にあるということは、どういう事なのだろうか。
生憎と姿の見えない本人の所在はわからない。
「下位不死族の大群を相手にしたのは知ってるけど、この鱗は何?」
指をさすのは、紅い鱗。
「レイトが竜化したときの鱗だな……」
クリスは、そういうと鱗を拾う。
鱗があり、剣がある。
そして、気配もないし、本人が見えないということは、想像できる事はひとつ。
「殺したの? 死ぬ未来は見えないけど、自分で殺す未来は見えた?」
「殺した……というには人聞きが悪いな……まぁ似たようなものだが……」
クリスは苦虫を噛み潰したような顔をすると、そのまま鱗を懐にしまう。
「純粋な強さでいえば、私に勝るとも劣らない強さだったけど……母さんの事だから、てっきり……」
なんとかできる、と思っていた。
けれども、ルシエンの言葉を言い切る前に、クリスの表情は不機嫌に、口をへの時へと変えていく。
本人とて納得が行っていないのだろう。
「なんとか、したはず。だったんだがなぁ……、間に合わなかったというべきが……」
何処か言葉を濁すクリス。
その眼は何処か遠くを見つめ、憂いを帯びている。
「間に合わなかった……ね……」
ルシエンとて、何も思わないわけではない。
レイトはルシエンと会話をした数少ない者である。
僅かな時間であったといえ、愛着のようなものはある。
「騎士団とやらを結成する前に団員が死ぬなんて、幸先が悪いわね、もみ消すの? ならいっそこっちの男二匹も殺す?」
そう言って、爪を伸ばすルシエン。
物を見るような眼でジョーイとヴァイスを見つめている。
「何が、いっそだ、余計面倒になるだろう……」
ルシエンの物騒な物言いに、クリスは呆れる。
「じゃぁ、どうするの?」
「そうだな……、なんとかならない事もないが……」
何処か曖昧な返答をするクリスに、ルシエンは怪訝な表情になる。
それでも、言葉を促し待っていると、驚愕の台詞を吐くクリス。
「多分アリシアの聖痕で生き返るだろう……」
「……なにそれ? 死人が生き返るの?」
ルシエンは思わず驚愕の声をあげた。
「らしいな……聖騎士限定らしいが、本人の体の一部さえ残っていれば……」
クリスとて半信半疑なのだろう、考えながらも言葉を紡ぐ。
「元々生き返らせるための、聖痕ではないようだな、時間を戻すのか、再構成するのかはわかわないが、結果として肉体の修復ができるらしい」
「へぇ? じゃあ何のため?」
「聖騎士を聖騎士で無くするためのものだな……」
聖騎士を聖騎士で無くするため。
それは一体どういう事なのだろうか、そして、その聖痕は本来は一体なんのために使われるのだろうか、ルシエンには気になり思考する。
「対聖騎士用の聖痕?」
「だろうな……」
ルシエンの問にクリスは重々しくも頷いた。
「なんのために、そんな物が……?」
「さてな……そもそも聖騎士が何のために存在するのか、それすらも俺は知らないし、興味もない」
ルシエンの問に、知らないと返すクリス。
けれども、その態度から、クリスは予測くらいはつけているのだろう。
しかし、クリスの言うとおり、自分たちには知っても意味のない事である、例え知ったとして何がどうなるという事もない。
そこまで考えてルシエンは検索する事を辞めた。
「まぁ、どっちにしろ蘇生できるのならいいんじゃないの? あの子、そんなの持ってたんだ?」
「聖痕は感情の高まりで増える事もあるという……俺がレイトと戦っているのを見て覚えたようだ……そんなに衝撃的だったか?」
「さぁ? でもアリシアは戦闘とか血とかが苦手なんじゃないの?」
「苦手か……否定はすまい」
思い出すのは土耳長の村でのアリシアの態度。
怪我人をみて顔を真っ青にしていた。
クリスは、ふと、貫かれて穴が開いた所を軽くさする。
騎士服は無残にも破れ、皮膚が露出している。
「その穴は?」
「レイトにやられた……その後アリシアが治療したらしいが」
「それが死にかけた原因か……まぁ大丈夫そうなら、よいけれど」
「そうだな、とはいえ千里眼による未来視では、誰もしなないというのが漠然と理解できただけで、俺もこういう結果になるとは予想していなかった」
クリスはそう吐露する。
「千里眼ね……、未来視って何なの? 映像が頭に浮かぶんじゃないの?」
「ふむ……、そうだな。そういう時もある。自身の意思で未来を視ようとするとき、死の危険が迫った時はそういう映像が脳裏を過る……が、それとは別に漠然と未来の出来事を感じ取れる事がある……それも結果だけな」
「ふーん、それで誰も死なない結果。というのだけわかってたから、自身も死にかけるような無茶をしたの?」
「有り体に言ってしまえば、そうだな。俺自身楽観視していた」
クリスはそんな言葉を吐く。
死にかけたというのに、この程度の反省でいいのだろうかとさえ、ルシエンは思ってしまう。
確かに聖騎士の体は頑強だし、多少の無茶はきく。
けれども、自分のような魔物ではないのだ。
首を飛ばされたり、心臓を貫かれたりすれば、聖騎士であろうとも簡単に命を落とすだろう。
一応自分の主であるというに、簡単に命を投げ出すようでは困ってしまう。
ご飯がなくなってしまう、そんな思いを込めてクリスをみつめると、クリスは何処か居心地が悪そうに頬をかいた。
「次は気をつけよう……」
クリスの言葉を聞いて、若干、諦めにも似た境地に辿り着いたルシエン。
「……なんにせよ、レイトは生き返るのね?」
「体はな……」
クリスは言葉を濁す。
「体は、という事は精神に何か支障がでるの?」
「聖騎士の間の記憶を失うそうだ、そして聖騎士ではなくり、聖騎士に成ることはできなくなる」
「なんだ、そんな事。記憶くらい、また作れば? 竜人なら別に聖騎士じゃなくても、騎士として十二分でしょ?」
ルシエンはあっけらかんと言い切る。
なければ、作ればいいという。
ルシエンが思い出すのは、レイトの竜人としてのその力。
聖痕がなくても十分に強いはずである。
それこそ、ルシエンと正面から戦えるほどには。
けれども、クリスは渋い顔をしている。
「何か可笑しい事言ったかしら?」
死人を生き返らせる、ということは出来なくはない。
本来ならば三日に及ぶ大儀式の末の魔法ならば可能である。
けれども、そういう事ではないのである。
一度死んだ者を生き返らせたとして、それは本当に同じ者なのだろうか?
同じ記憶、同じ体を持っているだけの全くの別者ではないのか……。
そんな考えがクリスの脳裏を過る。
けれども、首をふり、否定する。
「いや、間違ってはいない……そうだな、蘇るにこした事はないだろう、戻るか……」
クリスは誰にいうでもなく、自分に言い聞かせると、|闇火竜の剣《闇火竜の剣》を拾い、腰に刺す。
そして倒れているアリシアを抱きかかえた。
「そっちで倒れてるのは、任せるぞ、上に行こう」
ルシエンは、そっちの二人を見て、顔を顰める。
「おっさん、二人……抱えたくないわね」
舌打ち一つ。
ルシエンは、二人を小脇に抱え、クリスに続いた。
***
暗い……何も見えない、何も聞こえない。
暗渠の淵。
自分がいる。
自分がいるというのだけかろうじて分かる。
けれどとても曖昧で蒙昧で。
立っているのか座っているのか、はたまた寝転がっているのかすらもわからない。
そんな闇の中、ふと声が聞こえた気がした。
欲しいか?と聞かれた気がした。
男の声だったかもしれない。
女の声だったかもしれない。
若かったかもしれない。
年寄りだったかもしれない。
けれども、確かに自分は問い返した。
声すらもでない。
声をだしたのかさえも、不明である。
けれども意思をもって問い返したのだ。
欲しい、と。
そして、唐突に光が満ちる。
けれども、光が満ちる一瞬前。
声は確かに返答した。
「さしあげましょう……それが貴方の願いならば……」
そう聞こえた気がした。
***
唐突に目が覚める。
目の前に、飛び込む風景は見慣れた部屋。
自身がよく治療を行う救護室である。
辺りを見回す、すると自身がベットの上に寝ていたという事を理解する。
「ふぇ……」
情けない声をだし、欠伸をする、背伸びをする。
そして、気づく、思い出す。
「クリスっ!」
アリシアは叫び、ベットを飛び降りる。
脳裏に浮かぶは倒れる前の映像、記憶。
破壊の聖痕に蝕まれたクリスを神殿で治療しなければならない。
「どうした叫んだりして?」
けれども、そんなアリシアに声をかけるものが一人。
「大変なんです、クリスが神殿に行かないと、破壊の聖痕の効果で死んでしまうんです!」
「そうなのか? でも俺はピンピンしてるぞ?」
「ピンピンしてるんですか? それは大変です! ……え? なんで?」
「おはよう、アリシア眼は冷めたか?」
「おはようございます…………? あれなんで元気なんですか?」
クリスは朗らかに笑いながら、そこに佇んでいた。
「なんで、と言われてもな、元気なものは元気だぞ?」
そんなクリスをみて、アリシアは安心したのか、へなへなと崩れ落ちた。
「おい? 大丈夫か?」
思わずクリスが、アリシアに手を貸した。
アリシアはその手をゆっくりと握ると、そのまま、クリスの胸元に抱きついた。
「おい? アリシア?」
突然のアリシアの行動に面食らったクリス、僅かに調子を崩すも、自身の胸元から、アリシアのすすり泣く声が聞こえ理解する。
「死んでしまった……かと、もう間に合わなかったかと……、心配かけないでください……」
「すまないな……」
泣く子には勝てない。
そう悟ると、クリスは幼子をあやすかのように、優しくアリシアの背中を叩く。
それが切っ掛けか、アリシアの涙腺は緩み、決壊したかのように涙を流し出した。
「ルシエンさんが死んで、クリスの胸がレイトさんに貫かれて……、レイトさんが死んで……結局……クリスも死んでしまうのかと……」
吐き出すようにアリシアは語りだす。
「ああ……すまない、心配をかけたようだ」
そんなアリシアを相手にクリスはただ謝る事しかできなかった。
「怖かったです……皆死んでしまうのかと……」
アリシアはクリスに抱きつく腕に力を込める、もう二度と手放すまいとするかのように。
「もう無茶はしないでください……クリスまで死んでしまったら、私は……」
アリシアは泣きはらした顔をあげ、クリスを見つめる。
クリスも、アリシアを見つめ返した。
「クリス……私は……」
「いちゃついてる所悪いけど私は生きてるわよ?」
アリシアを遮るように、言葉をかぶせる声が一つ。
声をたどれば、そこにはルシエンが立っていた。
「ル……シエン……さん?」
「はいはい、ルシエンさんですよ?」
そう言うと、ルシエンは意地悪い笑みを浮かべた。
「どうして?」
「それはだな……」
おずおずと、クリスが声をだした。
そんなクリスを不思議そうに見つめるアリシア。
「はぁ」
小さくため息をつき、クリスはルシエンの事を説明する。
ついでにとばかりに、レイトを生きかえらせることができる事も説明した。
「……というわけだ」
「……というわけよ?」
「…………え? うそ?」
アリシアハ眼を白黒させる。
クリスは少し面白いな、と思いながらも説明を続けた。
「記憶は失……わないな、ああ覚えてるわ……可能性としては竜の力か……竜すげえな?」
唐突に呟くクリスに、アリシアばかりかルシエンすらも困惑する。
「どうしたの?」
「少し視えた……まぁアリシア、やってみろ?」
視えたというのは未来視という事だろうか、けれどもクリスは気にしたふうもせず、懐から紅い鱗を取り出すと先ほどまでアリシアが寝ていたベットの上にそれを置いた。
「やってみますけど……」
疑問に思いながらもそう言うと、アリシアは再誕の聖痕を発動させる。
下腹部にじくりと、一瞬走る違和感。
アリシアは不思議に思うが、問題なく再誕の聖痕は発動した。
大小九つの魔法陣が展開する。
「ほう……見事だ……これほどまでに完成された蘇生式……これは再構成か……」
クリスはいつまに発動させたのだろうか、千里眼聖痕でもってそれを見ていた。
やがて魔法陣は収束し、一つになり円形となる。
そして、鱗に集まる。
くるくると回転しだす、魔法陣。
そして。
「「!?」」
光が弾ける。
視界がうめつくされるような光の本流。
たとえるならば光の爆弾だろう。
「「……っ」」
ルシエンとクリスは揃って眼を抑えて、声にならない悲鳴をあげて床をのたうちまわっている。
眼が良すぎるのも問題である。
アリシア自体は、発動に集中し、眼を瞑っていたのか、不思議そうにそんな二人を見つめている。
「あの……これはどのような状況でなのでしょうか……?」
ふと、女性にしては低めの、けれど真面目な声が聞こえた。
アリシアがベットの上に眼を向けると、そこにはベットシーツで体を隠した女性が、髪色は聖騎士の銀から赤に戻っているが、けれどそれは間違いなくレイトであった。
「レイトさん?」
「あ、はい、不詳ながらもレイトで御座います、確か自分は死んだはずだったような?」
レイトは疑問符を顔に浮かべる。
それもそうだろう、自分は死んだはずであるし。
それに死んだはずのルシエンまでも、そこにいて、なぜか団長までもそこにいる。
二人とも眼を抑えてのたうち回っているが。
「一回死にましたよ?」
アリシアが、レイトの質問に答えた。
「ですよね? 最後くらいと思って色々格好つけた台詞を言ったり、暴露した気がするのですが?」
「格好良かったですよ、私もう泣いちゃいましたし」
「そう言ってくれると嬉しいですね、所でなぜ私は生きてるんですかね?」
アリシアが平常で要られたのはそこまでだった。
アリシアは勢い良くレイトへと抱きついた。
「痛いっ!? アリシア殿どうしたのですか? 急に抱きついたりして!?」
「もう馬鹿ばっかり! なんで皆人に心配ばかりかけさせるんですか!」
レイトにはわけが分からなかった。
なぜ行き成り、怒鳴られるのか、抱きつかれるのか。
けれども、抱きついて来たアリシアを見て。
その眼に光るものを見て、雰囲気を察したのか、静かにアリシアの背中を叩いた。
***
裏路地の奥のさらに奥。
裏路地の住人ですら寄ってこない。
そんな場所にそれはあった。
見ればボロい、廃れて久しいというべき廃墟であるという事がわかる。
草が生え、蔦が絡まり、ところどころ壊れている。
けれどもよくよくみれば、あちらこちらに十字の印が見える。
神殿だ。
そんな神殿に、頭まで白い外套をかぶった礼拝者が一人。
外套の隙間から見える体の曲線は若い女のそれを示している。
そして、服は神官戦士の物。
女はその細い眼を閉じ、礼拝堂で礼拝を続ける。
すると、何処ともなく、声が掛かる。
「……物を」
一言、主語すら抜かし、端的な言葉。
けれども女にはそれで通じたのか、懐から十字の意匠が凝らされた小袋を取り出した。
小袋は膨らみ、中に何かが入っているのかがわかる。
「ここにっす」
そう言うと、女はその小袋を礼拝堂の奥、祭壇の上に置く。
「ふむ……」
声は呟く、すると、祭壇の上においた小袋は膨らみを無くす。
「ここまでの代物か……」
声は感嘆したような、それでいて疑っているような声音で、呟いた。
「既存の任務に戻れ」
そして命令を下した。
「了解っす……」
女はそう答えると、僅かに頭をさげ、礼拝堂を後にした。
***
夜、団長室の奥の寝室にて、二人は対峙していた。
クリスはベットに腰掛け、ルシエンは対面に立っている。
「それで破壊の聖痕って何の事かしら?」
「気にするな、もう治した」
ルシエンが単刀直入に切り出した、気に成っていたのだろう。
けれどクリスはばっさりと治したと言い切る。
ルシエンからみたアリシアの慌てようでは、そんな単純に簡単に治るようなものには思えないのだが。
「あらそう? ならいいけども、私もご飯が亡くなるのはちょっとね?」
けれども、本人が治したというのならば、ルシエンにはそれ以上問う事は憚られた。
仮にも己が主ではある。
そして、同時に餌でもある。
精神に不調というのは、血によく現れる。
余り負担をかけて、ご飯が不味くなるのはルシエンも遠慮したい所である。
「随分と食欲旺盛な事だ」
クリスは半ばあきらめたように、溜息を付いた。
「子供だしね、そうね、今、頂いておくわ……」
案に今日は多く吸うと匂わせるルシエン。
「疲れてるんだがな?」
クリスは控えろと、あんに威圧する。
けれどもルシエンは知ったことかと、おもむろにクリスを押し倒し、クリスの首筋に乱暴に牙を立てる。
皮膚を破り、肉を裂き、血を溢れさせる。
そして己が舌で舐めとるように血をすする。
「ん……」
痛むのだろうか、痛みを耐えるクリス、僅かに眉根をあげた。
「随分と手荒いな……」
「あら? 生娘だから優しくして欲しかった?」
ニヤリと意地悪く笑うルシエン。
「くだらんな……」
クリスは呆れたように一蹴する。
「つまらないわね……現状母さんからしか血を吸えないのだから、もっと奉仕してよ?」
「何を奉仕しろというのか……」
「そそるような表情とか声とか」
大真面目な声で曰うルシエン。
「馬鹿か」
クリスは一言の元に切って捨てる。
「あら、そういうのって大事よ? その場の空気や感情でご飯の味なんて変わっちゃうんだから」
そう言うと、ルシエンは甘咬みするかのように、牙で傷つけた傷口を舐め回す。
血を舌ですくい。
味わいを楽しむかのように舌で転がし、香りを楽しみ飲み込んだ。
その姿はまるで葡萄酒を楽しむがごとくである。
「今日のは濃いわね……疲れてるせい? ……それとも……」
「血の味比べができるのなんて、お前くらいしかいないのだから、俺に言われた所でわからんよ」
「なんていうか、今までは果実酒だったのに、そこに蒸留酒をまぜたような……」
濃度が上がったとでも言いたいのだろうか。
ルシエンは、喉をチロチロと舌を動かし、血をすする。
白い肌には赤みが差し、眼も何処か虚ろになっていく。
「吸い過ぎだ……自重しろ」
何か不味いと思ったのか、クリスが無理やり、ルシエンを引き剥がした。
「あんっ……」
名残惜しそうに、クリスの首元を見つめるルシエン。
無理やり引き剥がしたせいか、首元には少し大きめの傷ができている。
けれども、傷はルシエンの見つめる最中、またたく間に塞がっていく。
あり得ない治癒速度である。
クリスの再生の聖痕では、そこまでの力は発揮できないはずである。
その速度で再生できるのならば、それは魔物であるルシエンや幻獣である竜の治癒力に近い物がある。
「……傷の治癒早すぎない?」
ルシエンに言われ、気づいたのかクリスも己が傷口だった場所を横目で見据える。
確かに異常な速度ではある。
「……そうか、そんな事もある。気にするな」
けれどもクリスは、それだけ言うと、眼を閉じる。
本当に疲れているのか、気づけばそのまま、寝息を立て始めた。
「ふぅん?」
ルシエンを前に熟睡してしまったクリス。
それは信頼しているのか、それとも……。
「まぁ、いいわ……私も森に戻るかな……」
そう言うとルシエンはその姿を蝙蝠に変え、団長室にある小さな窓から躍り出た。
空には月が煌々と輝いていた。
ルシエンにはなぜかそれが、眩しく視えた。




