四話 鉱山の街 アルザーク 田舎騎士
改修
パカポカパカポカ。
パカポカパカポカ。
草原を走る馬ではない、騎影が二つ。
ゆっくりと南下していく。
馬より小さいそれは、灰色の毛並みの驢馬である。
それにまたがるのは、これまた小さな二人組だった。
旅人としては珍しい、女性の二人組。
背の高いほうといっても、通常より小柄な女性と子供のように小さな女性。
クリスとアリシアである。
驢馬にまたがり、草原をのんびりと進んでいた。
まだまだ夏の日差しが強く、太陽が照りつけるような暑さである。
体力を奪われないようにと外套をかぶり、日の光をできるだけ遮断し、フードもかぶっている。
二人は先日親方から聞いた話を元に、女だけの集落があるだろう場所に当りを付けた。
目指すは南。
鉱山街アルザークである。
前を進むクリスが片手をあげて、その場に留まる。
騎乗時の手信号だ、何か話したいことでもあるのだろう。
後ろに追従していたアリシアもそれを確認してから、ゆっくりと驢馬をクリスの横へと進めた。
「どうしました?」
「そろそろアルザークの街につく、頭巾を脱いで外套から顔を出しておけ」
アリシアは言われたとおりに外套から顔を出すと眼を細めて陽の高さを確認しいた。
まだ太陽は高く、中点に近い位置にある。
焼け付くような陽光を降りまき、アリシアの肌を襲っていた。
「なんでわざわざ顔を出すんですか?」
アリシアはわざと不機嫌に聞こえるように声をだす。
顔をだして日焼けをしたくないという意思表示だ。
「そりゃ街に入るためさ、顔を隠してたら犯罪者か不審者と間違われて、殺されてもも文句は言えないからだ」
やれやれとでも言いたげに、呆れたようにクリスは頭巾を脱いだ。
「そういうものなんですか?」
「そういうものなんだ」
クリスの言葉にアリシアは納得がいかないとばかりに口を尖らせるが、言っている事は理解できる、アリシアは他の街は初めてだ。王都から出たことなどなかったので、殺されないためにもアリシアは陽射しを我慢してしぶしぶとフードを脱いだ。
暑いを通り越して、肌を焼く熱い陽射しにアリシアは殺意が湧いた。
フードを外した二人はまた驢馬を歩かせる。
ものの十分もしないうちに街の外壁が見えてきた。
アルザークは山の麓にある街だ。
西は山、南と東には海、北には草原に囲まれた自然豊かな地域にある街である。
街の規模は大きいとはいえないが、鉱山資源の採掘でそれなりに潤っている。
輸出入も一部行っているので、そのため、王都とは大分離れた田舎街であるにも関わらず騎士団が常設されている、些か特殊な街といえよう。
「あれがアルザークの街ですか? 案外小さいのですね」
小馬鹿にしているのか、天然なのかわからないアリシアの発言にクリス苦笑する。
仮にも大陸有数の大国の王都に比べれてしまえば、例えどこの街も小さく見えるだろう。
王都ミナクシェルは、もちろん、エフレディア王国で最大の街である。
あらゆる面で田舎街であるアルザークとは流石に比べようもない。
アリシアの箱入り娘というのを実感する言葉であった。
「アリシアは他の街に行くのは初めてか?」
「ええ、基本的には神殿からは出れませんでしたし、貴族の頃も家からでても行くのは馬車に乗ってせいぜい他の貴族の家くらいでしたね」
染み染みと思い出すようにアリシアは自分の過去を語りだす。
自由がなかったとか、お稽古ばかりしていたとか、貧乏だったとか、殆どが愚痴だった。
「そうか、大変だったな」
そう言ってクリスは話しを流した。
「まったくです」とアリシアは頷きながらも愚痴は止まらない。
まるで子供の癇癪のようであるが、クリスとて既に何度も聞いた話である。
旅の間の何度も同じことを喋っている。
飽きないのだろうかと思うが、飽きないのだろう、ずっと同じことを喋っている。
痴呆老人とどちらがマシかな、という考えすら浮かんでくる。
実はアリシアのほうがクリスより年上なのだが、アリシアが小柄な、とても小柄なこともあって、クリスはアリシアを子供のように扱う節がある。
初めは聖騎士の師匠としてアリシアを仰いでいたが、お姉さんぶるアリシアは子供のように可愛らしく。
気づけば何をするのも微笑ましく見えてしまうようになったクリス。
ついこの前で温泉でアリシア相手にドキドキしていたのは何処へ行ったのか。
既に危なっかしい娘を持つ父親の心境だ。
王都を出立して地竜車で三日。
さらに驢馬にまたがり三日間。
たった六日、寝食を共にしただけで胸の高鳴りは消えてしまった。
もっとも、六日の間にアリシアのダメっぷりを思い知ったからかもしれないが。
何しろ旅の準備もまともにできないくらいだ。
初めは、生野菜を持ってこようとしたり、枕をもってこようとしたり、準備した荷物の量が多すぎた。
食いだめができる聖騎士ならば食料はそこまでいらないだろうに、選別した上でも普通の五倍近くはもってきている。
道中もそれはひどいものだった。
火を起こせば草原を火事にしかける。
運よく雨がふって助かったが。
動物を狩れば、獲物は原型をとどめない。
弓矢を貸したというのに、なぜ仕留めた獲物が破裂しているのか、クリスには理解できなかった。
魚釣りをすれば、餌のみみずに驚き、みみずを川に投げ捨てる始末。
釣りは結局あきらめた。
料理を任せればでてくるものは炭ばかり。
焦げたという水準ではなく、確実に炭化している。
結局クリスが作った。
失敗をすれば涙を貯めて、謝ってくるアリシアにクリスは何も言えず。
結局クリスは二日目に悟りの境地に達し、最後は前以上に子供を扱うようにアリシアを扱うようになった。
つまりもう何もさせていない。
何もさせてないので不満の一つもでるかと思ったが、元貴族だけあってお姫様扱いは嬉しいのか懐かしいのか、クリスには判別がつかなかったが、特に機嫌も悪くないのでよしとしている。
何もしないで笑っているだけなら可愛いものである。
アリシアも三日目には、何をするにも全てクリスに任せていた。
四日目にはもう、水浴びすら手伝わせる始末である。
気づけば恥じらいすら消えていた。
クリスが苦笑しながらここまでの道程を思い出していると、気がつけば、既にアルザークの街の門付近についていた。
街は石壁に覆われており、入口だろう場所には槍をもった痩躯の騎士と背中に大剣を背負った巨漢の騎士が、何故か設置してある椅子に腰掛け談笑をしていた。
どうやら衛兵のようである。
灰色の騎士服に、灰色狼をかたどった文様が入っている。
クリス達が、目の前を通っても声を落としただけで、話を続けている。
ちらちらと視線は来るが何かを言う様子はない。
どうやら受付とは係が違うようである。
「鉱山があるから、荒くれ者も多いのかもしれんな。余り問題は起こさないように」
鉱山はとても危険な重労働で、ときおり死人もでる。
だが相応に稼げるので、体に自信があるものが仕事にありつくために来るのは珍しくはない。
とはいえ、態々他の街から鉱山に来る連中などは怪しい連中が多いのも事実である。
故に衛兵がいるのだろう。
クリスは街に入るための準備をアリシアに伝えた。
旅券に手続き、諸々の話である。
さも分かっていますとばかりに頷くアリシアに、クリスは苦笑しながらも驢馬を歩かせた。
驢馬を降りアリシアに手綱を任せると手続きをしようと受付を探した。
手続きはどうやら門の横にある小屋のような施設でやるようだ。
外壁から繋がるように石壁を組んである小屋は内部と通じているのだろう。
大きめな窓が一つあり、恐らくそこが受付だろう。
窓の前には呼び出しようだろうベルが一つぽつんと置いてあった。
クリスはベルを鳴らした。
すると、思ったより高い音が響き渡る。
数分たっただろうか、唐突に窓が開いた。
すると担当なのだろう、金髪で髪のもみあげの丸まった、四角い眼鏡をかけた几帳面そうな男が中から顔をだした。
「ご用件を伺います、名前と滞在理由、それに滞在予定期間を」
少しばかりとはいえ、輸出入を手がている街とあって、出入りは厳しそうである。
無表情に淡々と告げられた。
「人数は二人、私がクリス。もう一人がアリシアだ。滞在理由は職務に寄るものだ。期間は職務の進み具合によって変わるのでわからない、短期で終わるかもしれないし、長期になるかもしれない」
クリスは素直に答えるが、男が納得できないのか、再度質問してくる。
「職務をお聞きしても?」
男は丁寧に聞き返してはいるが、クリスを何処か胡散臭げにな表情で見据えている。
クリスは男の態度に少しばかり腹が立ち、事実を述べても信じないだろうと思いつつ、どういう態度を取るかと観察することにした。
「騎士だ。職務内容は王妃様の使いである」
「巫山戯ているのですか? 女が騎士などと、王妃様の使いを名乗るなど、冗談でも打首ですよ?」
男は鼻で笑うようにクリスを見下した。
思ったとおりの態度を取られてクリスは思わず苦笑した。
その苦笑をみた受付が、変なものをみるかのようにクリスを見た。
クリスとて同じことを言われたら、悪ふざけか質の悪い冗談としか取らなかっただろう。
それが現実であると理解している。
この分では、いざ結成してからもなかなか信頼されるまでは中々に難儀しそうである。
ともあれ、現在クリスとアリシアが騎士として職務に従事しているのは事実である。
故に正面から押し通るまでである。
仮に悪感情を与えたとしてもだ。
そこには女の騎士が居たという事実が残る。
クリスとしては、それだけでも十分な成果が得られるので、例え悪評がたっても構いはしなかった。
それに、何しろこちらの後ろ立ては王妃様である。
この国で王妃様に逆らえる者など、片手で数えるくらいだろう。
仮に悪評がたっても、それはクリスではなく、クリスを信じなかった男のほうになるだろう。
故にクリスは、笑いの質を変えた。
苦笑から男を見下すによう嘲笑う。
「巫山戯てなどいない、事実確認をしたければ役所から王都の役所に王妃様宛に連絡を取るがいい」
さも当然のように、貴族全とした態度で押し通す。
傲慢に、それが当然の事だと押し付ける。
余りに堂々としたクリスの態度を前にしても受付の男は僅の動揺も見られなかった。
エフレディア王国ならそれぞれの街に必ず一つ設置してある役所。
そして役所には必ず遠距離間の連絡を可能とする魔法道具が備え付けられているのである。
それで事実確認をすれば一発だ。
「……では役所に連絡を取りますので、少々時間を取らせてもらいます。それと何か身分確認をできるものお貸し願えますか?」
この男、役人としてはおそらく優秀なのだろう。
しかし、こういうときには面倒なことこの上ない。
この硬さでは出世は望めまいと、クリスはつい場違いな事を考えてしまった。
「構わない、時間については余裕がある、身分か……。騎士服を渡すわけにもいかんしな」
何かないかと外套を翻し、騎士服を漁る。
外套の下の騎士服に、一瞬表情の変わる男。
騎士服は国家の認証得て特定の商家が作る特殊な服である。
これだけでも、事実相応の身分を保証するような品物で、基本的には騎士団に所属しなければそうそう手に入れることすらできないのだ。
とはいえ、初対面の男にいま着ている服を渡すのも憚られる。
別に恥ずかしいとは思わないが、この男に肌を見せるのも、なんだか嫌だった。
本来なら余程の風体でなければ村人や旅人なら対して確認などされることなど無いのだが。
ともあれ、流石に王妃の使いを名乗ればそれは、流石に身分の確認をされるのは当然だった。
明らかにクリスのミスだった。
いくらか荷物をあさり、手にかすった鎖でそれに気づいた。
胸元から銀の懐中時計を引っ張りだす。
「この時計でよいか?」
懐中時計の蓋には見事な百合の花が掘られていた。
それを見て男が目を見開いた。
そして何度もクリスと懐中時計の間で視線を行き来させ、クリスの胸の紋様に目が止まった。
もちろん其処にも、白百合をかたどった紋様がある。
直後に、男の表情が青ざめる。
「これはリリィ公爵家の家紋……あなたは、いえ貴方様は……」
続く言葉を飲み込んだのか、急に無口になる男。
「家紋一つで、ここまで態度が変わるというのも面白いな」
クリスは嘲るように言うと、「手続きは?」 と促した。
「クリス様もお人が悪い、どうか無礼うちだけはご勘弁を、先ほどの冗談も聞かなかったことにしますので、手続きはこちらでやっておきます、今案内のものをお付けしますので、お連れ様とどうぞお待ちください」
あっという間にまくし立てると、言うが早いか男は中へ引っ込んでしまった。
騎士の件は冗談ではないのだが。
「やはり信用されないな」
思わずこぼさずにはいられない。
それにしても、変わり身が早い、余程無礼うちがよほど怖いのか。
「しかし、うちの威光は案外と大きいな……」
身分証くらいにはなるだろうと思ったが、これほどの田舎町でも威光が届いているは思っていなかった。
庶子という出自であり、自領地の騎士学校や騎士団という余り貴族の威光が届かない場所にいたクリスにとって受付の男の反応は新鮮だった。
確かに公爵家に縁のあるものに粗相をしたらこんな田舎街の役人くらい消されても文句は言えないのだが。
もっとも庶子のクリスにはそんな権力はないし、出来てもやろうとも思わないが。
人なんて殺したって面倒なだけだし、遺恨が残れば狙われもするし、大義がなければ名声も落ちる。
貴族、家名を背負うものがそう簡単に人を殺すわけがない。
お伽話等に聞く、悪辣貴族などそうそういてたまるものかというものだ。
確かに過去にそういう貴族が実在した例もあるらしいが、現状エフレディアの貴族は誇りばかりが先立って、以外と思われるかもしれないが、案外そういうことはしないのである。
私怨程度で民を殺しては、器も知れると言うものだ。
そんな事で民を殺せば、むしろ貴族同士の政戦の足かせになりかねない。
待ち時間のせいで物思いに耽ってしまう。
今頃受付の男は役所で血相を変えて手続きしてる頃だろう。
そう思うと少しだけ笑えてくる。
王都と連絡を取れる魔法道具は案外手続きが面倒なのである。
知っていてやっているぶん、クリスも結構陰湿だった。
「巫山戯ないでください!」
クリスがほくそ笑んでいると、唐突に若い女の叫び声が聞こえた。
クリスにとって、最近慣れ親しんだ声。
子供のように甲高く余ったるい声、アリシアのものだった。
――問題は起こすなと言ったんだが。
やれやれと首をすくめて、クリスは声のした方向を伺った。
どうやら衛兵と揉めているらしい。
アリシアが大きな声で喚き散らしている。
まるで子供の癇癪である。
クリスはこめかみを抑えた。
――また面倒な事を。
現場見ると、衛兵の片方、巨漢で背中に剣を背負っていたほうがアリシアの手をひねり揚げ片手でアリシアを壁に押し付けていた。
アリシアはジタバタと暴れている。完全に事案である。
ともあれ可笑しい光景であるが、可笑しくない光景でもあり、可笑しい光景でもあった。
事案は可笑しい光景だ。
見た目は巨漢に押さえつけられていて可笑しくはない。
しかし、アリシアとて聖騎士だ。何もしなくても聖痕の力により、常人の数倍は力があるはずである。
それが押さえつけられるというのは可笑しい話だ。
数倍というのは数字上のものではあるが、実際問題。
耐えるならばワインの瓶を一つしか持てなかった者が、五本も六本も持てるようになるのである。
小柄なアリシアであれ、クリスを軽々と抱える程の剛力は備わっているのである。
それが巨漢とはいえ片手で押さえつけるとは、見た所魔法を使っている様子もない。
それが事実であるならば、相当の力の持ち主だ。
猿人かどうかすら疑ってしまう。
素でこれほどの怪力とは、アリシアに聞かされた歴史にて過去に滅んだとされる、種族くらいのものではないだろうか、と疑ってしまうほどだ。
しかし、でかい男である。
今のクリスが女性としても小柄だとしても、遥かに大きい。
一回りも二回りも大きい。
まるで動物の熊のようである。
アリシアと大司教以外の他の聖騎士には未だ会ったこともないクリスだが、聖騎士として訓練を積んでいるアリシアを押さえつけられるというのは、この衛兵は相当な腕前であると理解できた。
アリシアは未だに罵詈雑言を衛兵にたたきつけているが、ともあれ、見た目は事案である。
クリスどうするかと首を傾げた時だった。
そんな時、クリスに声を掛けるものがいた。
もう一人の、槍をもった痩躯の衛兵だ。
「何首を頷いているんだ? 普通あんな状態になったら助けにいったり、助けを呼びに行ったりするんじゃないか?」
こちらを伺うように話しかけてくる。
青い髪に青い目で長身だ、目には警戒の色が浮かんでいる。
「ここ数日問題ばかり起こされたから、たまにはいいかなと思ってる」
クリスは真顔で言い放つ、けれども、それはきっと真実なのである。
一瞬の沈黙があたりを支配した。
夏だというのに、からっかぜが吹いた気がする。
「それでうちの連れは何をしたんだ?」
「あんたの連れがしたこと前提か……、苦労してんだなアンタ」
痩躯の男は生暖かい目を向けてくる。
「俺はクリスという、何……慣れたものだ、それで何をしたんだ? ちなみにあの娘はアリシアという」
「あー、俺はレジールってんだ。一応この街の灰狼騎士団副団長をやってる、あっちでアリシア嬢ちゃんを押さえつけてんのがダライってんだ一応団長なんだぜ? きっかけは、ダライがアリシア嬢ちゃんをな、あの姿だ、子供扱いしてな、飴をやろうとしたんだが」
なるほど、団長。
田舎騎士であれ、団長ともなれば、訓練こそすれ実戦経験のないであろうアリシアを捕まえるくらいは造作もないだろう。
「団長と副団長が門番とは贅沢だな?」
「茶化すなよ。騎士団といってもうちは街周辺と門専門でな二十人と居ないんだ」
「で、子供扱いでアリシアが怒ったのか?」
「まぁ、平たく言えばな」
困ったもんだと、レジールは両の掌を上へとあげた。
「ダライも頑固なやつでな小さいのなら子供とかわらん、なんて言いやがって、そんであの嬢ちゃん聖騎士? なんだって? 侮辱するなとかなんとかで、ダライもなぁそれなら稽古をつけてやるとか言ってな」
「で、あれか?」
「おう、あれだ」
クリスが指さす先には、暴れすぎてちょっと顔が赤くて、暴言をいいすぎて息が荒いアリシア。
クリスと違い、長衣型の僧衣なので、ついでに服も少しはだけている。
そのアリシアの両手を片手で壁に押さえつける巨漢の男。
まことに事案である。
「いやぁ、初めはすげぇ動きするから吃驚したぜ、だけどまぁ少し本気になったダライがこう壁に追い込んでな、あっさり捕まった……嬢ちゃん実戦経験は無いだろ?」
確かにアリシアに実戦経験はないだろう思い、クリスは同意し頷いた。
しかし、今は素手だが、普段ならアリシアは杖術を使い、巨漢だろうとなんだろうと、ひょいひょい攻撃を避けては隙をつき、軽く転ばしてしまうのだが。
ダライとやらも相当な腕のようである。
「お、泣いたぞ!」
ついに涙を溢れさせたアリシアにクリスは少しばかり嬉しそうだった。
加虐趣味があるのかもしれない。
「いや、泣いたぞ! じゃなくて仲裁に入いったり、助けに行ったりな?」
レジールは呆れ顔をクリスに向けている。
「止めたいなら任せる」
「マジかよ、いやお前の連れだろ?」
「いや、片方はお前の連れだしな……」
顔を見合わせる二人、どうやらお互い面倒くさいのを押し付けようとしていたようである。
ふと、壁の二人を確認すると、流石にアリシアが泣いたのに困ったのか、ダライは既に手を離している、アリシアは泣きながら癇癪を起こしている。
もと貴族とは思えない。
「あれでアリシアは確か今年二十歳なんだぜ?」
クリスの言葉に目玉が飛び出るかというほど、レジールは目を見開き、無言になって固まった。
「なんだろう、アリシアの泣き顔を見てると何かこう、なんか、こう……くるものが」
愛か父性か、それとも母性か加虐趣味か、クリスは少しだけ自分の中から湧き出る不思議な感情に打ち震えた。
レジールが驚愕した表情でクリスを見ていた。
ここで第三者の気配を感じクリスが後ろを振り向くと、別の衛兵だろうか、赤い髪の男がクリスの後ろに立っていた。無言で。
背は高く、筋肉隆々、目は細く切れ長で、いかにも女うけしそうな男だった。
ただ見た目は兎も角、クリスにもよくわからないが雰囲気は残念だった。
しかし、アルザークの騎士団はどいつもこいつも筋肉隆々である、下手に貴族の次男三男ばかりな王都の火竜騎士団よりよほど腕が立ちそうである。
タイミングを測っていたのか、目があった瞬間に赤髪の男が声をかけてきた。
「クリス様ですね、アルベート様からお話は伺って居ります、案内を担当致します。紅熊騎士団副団長のランドルフと申します、ご案内します、お連れの方はどちらに?」
「連れはあそこで泣いているが。アルベート? 受付の男か?」
「ええアルベート様は役所での統括をなさっているかたですから、たまに受付にも居るのですよって泣いてる?」
連絡してくるにしても以外と早いと思えば、役所の統括をしている男だった。
なるほど、以外と出世していた。クリスの読みが外れた。
そんなクリスがぼんやりと壁際の二人を指し示すと、ランドルフはぎょっとしてアリシアのほうを見て叫んだ。
「ダライさん、何をやってるんですか! 公爵家縁の方の連れを泣かせるなんて、首一つじゃすまないですよ!」
アリシアとダライのほうへ駆けていくランドルフ。
まさに必至の形相だ。
アルベートから、相当に言い含められていると思われる。
「公爵家?」
レジールが目を見開き、クリスに指を向ける。
「指差すなよ」
「ああ、すまねぇな、公爵家様?」
反応はアルベートと同じく大仰な者である。
一々驚かれるというのも面倒である。
クリスが思ってる以上に公爵家の力というのは大きいのかも知れない。
「面倒だから気にするな」
「いや、そう言うなら気にしねえけど。だけどよ、あの、嬢ちゃん、嬢ちゃんって歳でもねえか? あぁ、いや嬢ちゃんでいいか? ……本当面倒だな畜生! 気にしてやれよ!」
レジールから渾身のツッコミが入った。
***
その後アリシアをどうにか宥め、ランドルフとレジールを含む四人で街を歩くことになった。
所謂観光である。
ダライはランドルフに説教され、シュンとうな垂れその後そのまま門番をしている。
灰狼騎士団はそれでいいのだろうか。
きっと良いのだろう。
他家の騎士団だし気にしないことにした。
ようやく、通用門を開けてもらう事ができた。
門を通れば、そこは活気に満ちていた。
人が動く事によって舞い上がる風。
その風に乗って香るのは鉄と土の匂い。
道は運送箱のためのものだろう、線路が縦横無尽に配置されている。
道には露天商が連なり、競い合うように商売をしている。
売り物は鉱石ばかりだが、中には細工や武器や鎧の類も見受けられる。
飲食店も多く存在し、所狭しと並んだ食べ物が色と匂いでもって道行く人を誘惑する。
「田舎町だと侮ったか?」
行く人々の光景をみて呆けるアリシアとクリスを、レジールが悪戯が成功した子供のような目で見ていた。
「美味しいものが一杯ありそうです……」
アリシアの発言に頭を悩ますクリス、笑うレジール、微笑むランドルフ。
「この光景をみて初めに言うことがソレとは……子供扱いされても文句など言えんぞ?」
むぅと頬をアリシアは膨らませた。
小動物的な可愛さがあった。
「はぁ……確か宿はアルベートが手配してくれるんだろう? 俺たちは先に食堂に行こう、お奨めを教えてくれ。できれば量が多いほうがいい」
「ちゃんと美味しいところに!」
アリシアが旺盛な言葉を挟んだ。
「わかったわかった」
クリス適当に流す。
「宿のほうはお任せを街一番のものをご用意しています。食堂ですと自分はいつも騎士団の食堂で済ませてしまうので生憎と詳しくはないのですが……」
言い淀むランドルフを見て、レジールが言葉を挟んだ。
「俺のお奨めの酒場でいいか? 酒場だけど飯も旨い、今の時期なら魚のパン粉揚げと山菜の乳煮込みが絶品だぜ?」
「乳煮込みですか!」
アリシアが声をあげる。
まるで、子供のようだ。二十歳なのに。
まぁ、どうやら店はそこでいいらしい。
クリスはアリシアが段々と幼児化しはじめてないかと思えてならない。
連れ立って歩き出す。
様々な露天が眼に入り、活気があるのが見て取れる。
「これだけの人が居るのに私たちが入ってきた門は私たちしかいませんでしたよね?」
アリシアが不思議そうに疑問を口した。
それにはクリスが答えた。
「多分南門から入ってるんだろうその二つの門は海に近い、鉱石を運ぶのは陸路よりも海路のほうが楽だしな、俺たちが入ってきたのは北門だ海路と陸路であれば海路のほうが楽だろう、北には運河もあるが出入りは結局南門からだ」
「ご名答です、公爵家の方というのは女性でも頭がよろしいのですね」
ランドルフがクリスに世辞を言う。
世辞にしても下手くそだが、そもそも世辞なのか、世辞なのだろう、多分、きっと。
世辞だとしても女性蔑視が見え隠れする台詞である、正直馬鹿にしているのか褒めているのかわからない、恐らくは褒めているのだろう。
古い貴族の家系か、それとも性格かは解らない。
しかし、これが副団長というのだから紅熊騎士団は残念である。
今のエフレディア王国の国王は、王妃にベタぼれし女性蔑視を減らそうとしている王である。
反発こそあるものの、概ねゆっくりとその風潮は伝わっている。
他の貴族も王に追従、謂わば媚びを売るのが基本なのに、この男はそれができてない。
或いは、田舎すぎて情報が伝わってないのかもしれない。
どちらにせよ残念なランドルフである。
「やめとけ、ランドルフ。そいつはお前のど下手くそな世辞で喜ぶたまじゃねーよ」
くつくつと笑うレージルの眼は面白いものを見つけた子供のように輝いていた。
「こいつを口説くならせめてお前が戦士として強くないとな? 男のほうが弱いなんて笑い話にもならねぇだろ?」
レジールの言葉を聞いて、驚いた目でクリスを見つめるランドルフ。
「レジールは私が彼女より弱いと言うのですか?」
「ああ、勿論弱い。実力差も測れない程度には壁があるって事だ。俺でもちょっと厳しいかね」
「レジールでもですか……」
尻つぼみになるランドルフに「買いかぶりだろう」とクリスは茶を濁す。
クリスとて騎士だが翼竜騎士団では決して強い方ではなかった。
それでもランドルフくらいならば片手であしらえただろうが。
しかし、レジールはどうだろう。
動きからしてレジールやダライは戦士としては一流である事はクリスにも何となく理解できていた。
けれど聖騎士になる前なら苦戦したかもしれないが、聖騎士になった現在は相手にもならない可能性がある。
とはいえ、純粋な剣技などでは上を行かれるであろう事は理解できた。
「世辞をいうにも、機会を測るか、相手のことをよく観察してから褒めるんだな、興味のないことを褒められても嬉しい奴なんざいねーだろ。それができねぇからランドルフはよく振られるんだ」
それ聞いて頭を垂れ、ランドルフは目に見えて沈み込んだ。
複数の女性の名前をつぶやいてから、何かをぶつぶつと唱え始めた。
怪しさ抜群である。
若干、否、かなり気味が悪く、アリシアがそっと一歩ランドルフから距離をとった。
「っとついたぜ、この店だ」
ランドルフを無視してレジールが店の中に入っていく。
看板にはナイフとフォークの印にその裏に狼の姿絵を模されている。
明らかに灰狼騎士団の関係店である。
「いらっしゃい四人かい? ってレジールにランドルフさんまで、後ろの女性達は? またナンパかい? まったく昼間から最近の若いもんは……」
マスターだろう、筋肉隆々で頭がハゲあがっている褐色の肌の男性だ。
レジールをみると眉を潜めて説教を言い出した。
けれども、それを遮りレジールが強引に話を進めた。
「うるせーよ、今日は仕事だバカ野郎! 公爵家のお客様だ。この街を収めてる、伯爵よりずっと偉いんだぜ? 粗相すんな! とっと席用意しな!」
まくし立てるレジール。
それを聞いたマスターは一瞬こちらを見てその後「失礼しました」と「ではこちらへどうぞ」と奥の個室に案内した。
顔は面白いくらいに青ざめている。
それぞれが席に着くと、レジールが随分うれしそうにメニューを見ている。
「そんなに腹が減ってたのか?」
クリスが問いかけると、レジールは接待費で酒が飲めるからなと言い放った。
ランドルフとクリスはため息を着いた。
きっとこの二人は苦労性だろう。
「もちろん、飯代は灰狼騎士団と紅熊騎士団がもつから好きなのを好きなだけ食っていいぞ?」
「うちもですか?」と聞くランドルフに「当たり前だ」とレジールは答えた。
随分と仲のいいようだ。
ランドルフも二つ返事でうなずくあたり、女二人の食事など、大した額にはならないとは踏んだのだろう。
けれども、奢りと聞いて、アリシアの目が一瞬光ったような気がした。
「その言葉に二言はないか?」
クリスは邪悪な笑み、もとい、今までしたことのないような薄っすらと綺麗な笑みを浮かべた。
「おうともよ。好きなもん好きなだけだ! まぁここにあるもんなんてたかが知れてるしな」
気軽に答えるレジールにクリスは哀れみの視線を向けた。
顔は笑顔で、奢りに喜んでいるようにも見えるが、眼は完全に哀れみを讃えていた。
―ー知らないということは罪なことだ。
心底クリスはそう思った。
うずうずといった感じでクリスを見つめているアリシア。
まるで何か宝物が来るのを待っている子供のようにさえ見える。
クリスはアリシアと目線を合わせ一言だけ。
「好きに食べていいってさ」と言い放った。
***
綺麗に整えられ、高温で揚げらた魚のパン粉揚げ。
上質な油とパン粉で小麦色に化粧を施された魚は黄金色に輝いている。
かじりつけば、外はカリっと中はふんわり、本来蛋白なその味に、白いソースが絶妙な味わいを醸し出す。
添えられた、柑橘の雫を垂らせば、また別の一面を覗かせる。
まさに、一人二役のメインディッシュ。
対するは、丁寧にじっくりと煮込まれた白い乳煮込み。
新鮮な山菜の彩りは、白い砂浜にばらまかれた宝石のように輝いている。
一口含めば、その優しくとも濃厚な味わいに、山菜一つ一つがまったく別の味を伝えてくる。
これだけでも満足できる味わいだ。
だというに、添えられた小さな小麦のパン。
パンに乳煮込みをつけて食べればまた違った充実感を味わえる。
二つを食べ終えたら、ゆっくりと葡萄酒で口直し。
美しい、心が晴れ渡るような、素晴らしい昼飯である。
誰もが満足し、誰もが充実する。
そんな素晴らしい昼飯になるはずだった。
なるはずだったのだ。
だからこそ、きっと素晴らしすぎたのがいけなかったのだ。
人にとって食事は命を奪う行為、けれども生きてる限りそれは行なわれる。
だからこそ、素晴らしいと思うことが罪だったのだと、そう思った。
天高くそびえるその白い塔は、きっと神が下した罰だったのだ。
「おかわり!」
また一つ皿が積まれた。
その罪を重ねる、少女……女性は心底嬉しそうに追加を注文した。
レジールはその光景をみて顎が外れるほどに口を開いている。
驚いたなどという表現は生ぬるく、眉は跳ね上がり、鼻の穴は拡大し、瞳孔が開きかけている。
ランドルフは、辛うじて無表情に見えるが、その額には今まさに喉元に剣を突きつけられているが如く、冷や汗が吹き出していた。
さらに頬が高速で引きつけを起こしているのが見てとれる。
「おかわり!」
また皿が増えた。
初めは皆、和気あいあいと食事を楽しんでいた。
女性二人もレジールやランドルフ並に食べていたが、男性二人も健啖家だなと思うくらいであった。
何かがおかしいと彼等が感じ取ったのは三皿目からだった。
レジールやランドルフは街所属の騎士団だ。
毎日厳しい訓練を経て実戦をつみ、有事の際に動いてきた。
騎士団は肉体労働だ、自分たちも食べるほうだと自覚はあった。
しかし、これはなんだ。
格が違うと二人は思った。
クリスはまだいい方だ。
それでも男たちとより少し多いくらいは食べたかもしれないが、これは人の範疇だし、長旅を終えて疲れているのだろう、それならわからなくもない。
今は優雅に食後の葡萄酒を嗜んでいる。
問題は言うまでもなく、アリシアだった。
誰よりも早くおかわりと言い、初めは男たちも微笑ましく見ていた。
しかし、おかわりが続くに連れて、男たちの表情は段々と青くなっていった。
あれよあれよと言うまにその皿は現在三十四皿めである。
「おかわり!」
また皿が増えた。
そして、この皿も乳煮込みに限っての枚数だ。
既にパン粉上げは店の在庫から消え失せた。
白い塔の横には、少しだけ茶色い塔が三つ程並んでいた。
レジールが一度食い過ぎだろうとたしなめたものの、上目遣いで涙を堪え、「好きなだけ食べていいって言った」と言われたら、男どもに成すすべもない。
騎士が女性に嘘をつくのか?とクリスが煽れば、そんなことはないとぶんぶんとランドルフが首を振って否定した。
結果として皿が高く積まれるのをただ見届けるしかなかった男二人。
あの小さい身体のどこに入るのだろうか、不思議に思うだろう。
まさか食べたそばから体力として聖痕に保存してるとは思うまい。
クリスとて本気で食べればそれなりにいくのだが、アリシアほど食べることに興味はなかっただけの話でもある。
クリスはもはや初孫をみる祖父母のような面持ちでアリシアを見つめていた。
「お腹一杯」
結局、アリシアが満腹になったのは五十五皿を食べ終えたときだった。
軽くお腹を撫でて、眠いのだろうか目をこすっている。
食べたら眠る、まんま子供であるが、本人に言うと切れるので言わないでおく。
「寝てていいぞ」と自分の膝をポンポンと叩くクリス。
「それじゃ、お言葉に甘えて」
器用に椅子を並べ身体をクリスに預けて眠りだすアリシア。
「子供だなぁ」と小さな声で苦笑するクリス。
そんな光景をみて、男は二人も呆けてしまう。
微笑み寄り添う二人は、神殿に飾られる母子像のように美しく栄える。
クリスは美しいというに相応しいだけの容姿を有し、アリシアも可愛らしいという言葉がピタリと当てはまるだろう。
そんな二人が、微笑んでいれば男ならば惚けるしかない。
罪を忘れるのも無理はない。
ひと心地付いたのか、クリスがさてと言い放つ。
雰囲気に惚けていた男二人も姿勢を正した。
おそらくは、クリスが公爵家としてこの街を来た理由。
それを話すのだろうと二人は身構えた。
「アリシア、可愛いだろう?」
その言葉で、レジールは椅子から転げ落ち、ランドルフは机に突っ伏した。
「冗談だ」
ころころと笑うクリス。
葡萄酒のせいか若干頬に赤みがさしている。
恐らくは少し酔っているのだろう。
それがとても艶めかしくみえ、男どもは別の意味で息を飲んだ。
それを知ってか知らずか無視して、クリスは話を進めることにした。
「仮にも二人は騎士団副団長だ、俺たちがここにきた理由と目的を話しても信じてもらえると俺は判断する、そして可能ならば手を貸してもらいたい」
王妃様の使い、しかも公爵家。
そんな人物に手を貸して欲しいなどと言われたら、二人には断ることはできないだろう。
厳かな口調になるクリスに、今度こそ背筋を伸ばす二人。
そうだなと悩むように言葉を一旦区切る。
「平たく言えば、女だけの騎士団を作る」
その言葉に二人は違った反応を示す。
レジールは面白いものを見るかのように、ランドルフは目を細めていて不安が全面に出てきている。
「アリシア嬢ちゃんが自分は聖騎士だ、なんだとダライの旦那に食ってかかってたのはそれのことか?」
レジールの言葉にクリスは頷き、肯定する。
先程の壁でのアリシアの癇癪で、どうやらレジールには既にいくらか伝わっているようである。
話を進めやすくて良い、アリシアの怪我の巧妙である。
「それとこの街とどのような関係が?」
ランドルフは不思議そうにしている。
当然の疑問である。ランドルフには情報が足りてない。
おそらくレジールにも足りてないのだが、飄々とした雰囲気でクリスが教えるのを待っているのはランドルフとは踏んだ場数が違うようだ。
「この辺では、子供も言うことをきかせるために昔話を聴かせるのだろう? 悪いことをしたら山姥がやってきて食べてしまうと」
クリスの言葉に対照的な二人の反応にクリスはつい笑みを深めてしまった。
新人と熟練、それくらいの差がランドルフとレジールには存在した。
「山姥退治でもして、手柄をあげようってか?」
レジールも何かを感じ入ったのかニヤニヤとした顔で問いかけた。
クリスは飄々と二人を試すかのように言葉を重ねる。
「場合によってはそれもありだろうが」
「他にも目的があんのか?」
クリスの含みのある言い方にレジールは気になったのか、問いかける。
「この辺には女性だけの集落があるという噂もあってな、俺は山姥とそれが同一のものだと思っている」
けれどもクリスはレジールの問には答えず、情報を小出しにする。
「確かに山姥の話はこの辺ではよく聞く昔話ですが、女性だけの集落ですか?」
ランドルフは何かを考え込むように俯いた。
「さらに、この辺は赤子がよくさらわれるそうじゃないか?」
アルザークでは毎年といっていいほど、幼子がいなくなる事件が起きる。
しかし、いくら探しても子供は戻ってこないし、犯人も見つからないそうだ。
「それは紅熊騎士団も毎年調べていますが、結局足止りもつかめず。被害者にはいつも辛い思いをさせてしまっています。情けない話ですが……」
事件の被害者でも思い出したのだろうか、ランドルフは項垂れる。
幼子が攫われるというのは珍しい話ではない。
だがそれを防げないというのは街の警備をしている騎士団にとっては沽券にかかわるような事なのだ。
存在意義すら問われしまう。
誘拐犯、奴隷商、子を失った他人の母。
何処の街でも多少はある話である。
だが、アルザークでは多すぎるのだ。
街の外には門番もいる、だというのに子供がいなくなる。
クリスはアルザークに来る前に、ある程度噂の信憑性を確かめるため、情報を集めたのである。
アルザークは海に面し山に面し平原に面している。
交易街としては完璧と言っていい。
だがそれゆえに、人の行き来は激しく管理が難しい
そして気づいたのだ、その可能性に。
「その三つを繋げると何か浮かんでこないか? 山姥、女性だけの集落、幼子の誘拐」
残念ながらとランドルフは首を横ふる。
レジールにも目線を向けるがこちらも首を横にふる。
やれやれとクリスは肩を竦めて見せた。
「そうだな、俺が考えるに、この近くにはかなりの確率で亜人の集落があると思う」
レジールは瞠目し、ランドルフは驚愕し口をパクパクと陸に上がった魚のように開閉した。
「理由を聞いてもいいか?」
「簡単な話だ。山姥と言われるならば、奇妙な服装か見た眼が猿人族ではない種族の可能性が高い。聖戦より百三十年、亜人を知らぬ人々は珍しくもない」
確かにと頷くレジール。
魔物に言葉は通じない、ならば判別はつくし、
「女性だけの集落というのも確か耳長族の特性だったと思う。幼子の誘拐に関しては使い道などいくらでもある、女性だけでは子は増えない。養子として育てているか、それとも子だねか、食料か、儀式の生贄というのも考えられる。血は薄まっている可能性はあるが亜人だろうと俺は考える」
その説明だけで、二人には十分だったようだ。
ランドルフはもはや何もいえずにいた。
「それでその亜人の集落を見つけて、武功をあげるってか? 言っちゃ悪いが、亜人だどうこう言ってるのは十字教だけで、今の世間一般ではそこまでの評価はあがらんぞ? それに亜人の集落が仮にあったとしても二人で倒せるのか? 武功をあげたいならおいそれと俺たちが手伝うわけにもいかないだろ?」
代わりにというか、レジールの舌がよく回る。
「別に殲滅すると決まったわけではない、騎士団を作ると言っただろう。武功も欲しいがそれよりも欲しいものがある」
レジールは「まさか」と呟いた。
「そうだ、人員に決まっている。戦える女性など猿人族にはほぼ居ないからな」
先ほどレジールの問いに答えなかったのをクリスは今答えた。
「今王都では女の聖騎士を片っ端から招集しているが、やはりそれでも足りないだろうし、他からの人員確保は必要不可欠だ。力の強い鬼人族か女性でも魔法を使えるという耳長族あたりが居ると嬉しいが」
「仮に居たとしても従ってくれるとは限らないのではないのですか? その亜人を滅ぼしたのは他でもない十字教の聖騎士なのでは?」
いつのまにやら復活したのかランドルフが聞いてきた。
「ずいぶんと博識じゃないか?」
「半ば形骸化してるとはいえ、一応は国教ですから触り程度は学んではおります」
クリスとてアリシアに聞かされるまでは殆ど知らなかった知識である。
だというのにランドルフはどうやら詳細を知っているようである。
やはり、ランドルフは古い貴族の出なのであろう。
「例え聖騎士が滅ぼしたのだとしても、百三十年も昔の話だ。亜人なら長寿の種族もいるが、これまで隠れ潜んでいた連中だ。怒りよりも恐怖のほうが大きいだろうよ。飛びつく餌はそれなりに用意したつもりだし、王妃様にも一応話は通っている。それでもダメならその時は、殲滅して武功にしてもいい、最悪奴隷でも良いからな」
あっけらかんと説明するクリスに二人の背筋に戦慄が走る。
従属か死か、それを選ばせるとクリスは言ったのである。
そして、それだけのことを成すほどに腕に自信があると言い放ったも同然だった。
歪みないクリスの自信。
それに二人共、気圧された。
ランドルフは声もでないのか、目を見開いて固まっている。
対照的にレジールは震えている。
「アハッハッハハハハ」
レジールは唐突に腹を抱え笑い出した。
目元には薄っすらと涙まで浮かべている。
「おもしれぇな、クリス、お前面白いぜ」
「失礼だぞ――」
咄嗟にランドルフはレジールをたしなめようとするが、クリスがいいと手でそれを制した。
「頼みっていうのは、その集落を見つけることか?」
「ああ、そうだ。こればかりは周辺の地形に詳しい地元の人間でなければ、難しいだろう?」
その言葉に納得が言ったように、頷き、レジールは獰猛な笑みを浮かべた。
それは肯定の笑みだった。
「任せとけ、草の根わけても探し出す、灰狼騎士団は総力をあげて協力してやる」
団長に聞かなくていいのか、とは聞きもしない。
副団長が独断で、だがそれでもいい切った。
ならば信頼におけるとクリスは手を差し出した。
「よろしく頼む」
「ああ!」
二人の硬い握手。
それを見てランドルも覚悟を決めたのか、事実を飲み込んだのか、静かにうなずいた。
「良いでしょう、紅熊騎士団も協力します。毎年の赤子の誘拐による被害者達のためにもなるでしょうし」
被害者の顔でも思い出しているのか、どこか遠くをみるように言うランドルフ。
頷きランドルフとも握手をした。
「では吉報を待っている」
今日はお開きだなとクリスがマスターを呼んだ。
すると途端に顔が青ざめていくランドルフとレジール。
「支払いだ。釣りはいらん」
クリスは苦笑し、銀貨を一枚、マスターへと放り投げた。
2018/04/18