ⅩⅢ VampireQueen
改修
大きなキノコの上を跳びはねるように駆けて行く影。
腕にはもう一人を抱きかかえている。
よほど全力なのだろう、荒い息をつきながらも休まずに駆けて行く。
「ハァ……ハァ……」
わき目も振らずかけていく。
「大丈夫か? シダーラ?」
腕に抱かれた男、リガルトが声をかけた。
「大丈夫ですわ……」
気丈に振舞うがその額には冷や汗が流れている。
「吸血鬼の女王とは何なんだ? 知っているなら教えてくれないか?」
「……前王、ヒヘトが国の法律を今のように変えたのは最近のことでなくて?」
「クリスにも聞かれたが……ここ数年の話だ。関係があるのか?」
「ヒヘトはある組織と対立していたんですわ……死体愛好家……と言いますの……」
その名前を言うとき、シダーラの瞳に一瞬だけだが怒気が垣間見える。
「……随分とふざけた名前だな」
リガルトもその名前に何か思うところがあるのか、いやそうな顔を隠そうともしない。
「わたくしもそう思います……。名前の通り死霊魔法を得意とする連中ですの……ヒヘトも似たような事ができましたので……その力を狙われ幾度となく戦ってきたとか……昔はヒヘトや眷属である半吸血鬼でも簡単に追い払えていたそうですが……最近は段々と力を増してきているようで……ヒヘトは兵器として吸血鬼の女王を作っていたのです」
「つまりヒヘトは吸血鬼の女王を作るためにあんな法律にしたのか……」
「多分そうですわね……」
シダーラとて確信はないのか、肯定は弱々しい。
「それで、吸血鬼の女王とはその組織を追い払える、もしくは殲滅できるほどに強いのか?」
「完成していれば……小国一つを単独で滅ぼせるくらいには……」
「っ……!」
リガルトが声にならない悲鳴をあげる。
「それじゃ、クリスがっ」
言葉を続けようとするが、シダーラが遮る。
「聖騎士なら、幾らか持つでしょう……」
けれども明らかに確証がない。
言った本人も信じていないような言葉にリガルトは歯噛みする。
ならば聞かねばならぬと思い、リガルトは疑問をぶつけた。
「随分と詳しいんだな……、シダーラはヒヘトと知り合いのようだったが?」
「大戦を生き残った猿人以外の種族の共同体がありますの……そこに各種族の長達が今後を決めるための議会がありまして……」
その言葉に目を見開くリガルト、知らなかったようだ。
「でもその共同体も、どういう理由か死体愛好家に狙われてましたの……同じく敵を持つもの協力し合うのは当然でしょう?」
「どうりで……しかし、協力にしてはシダーラの優位に見えたのだが……」
リガルトは疑問を呈する。
「私はヒヘトが母体を用意できなかった場合の母体候補でしたの……だからヒヘトも私を手荒く扱う事はできなかったんですわ……」
「先ほども叫んでいたが、母体とは何だ?」
「文字通りですわ……吸血鬼の男児を産み落とせる女性の事を言うのですわ……」
その言葉にリガルトは複雑な表情をする。
当然だろう自分の妻が他の男の物だったと言われたようなものなのだ。
「本来吸血鬼の女王は幾重もの生贄と吸血鬼の男児を産み落とした女性を生贄にささげる事では産まれるのですわ」
シダーラは嫌なものを思い出すような表情をしながら説明する。
「ですからアレは形だけのまがい物ですが……それでもヒヘト以上の強さを持ちえているでしょう……おそらくルシエンが自ら生贄になったのでしょうけど……馬鹿な娘……」
シダーラは何を思っているのか、憂いた瞳で、呟いた。
「あれを倒す方法はわかるか?」
「普通の物理攻撃は利きませんし、戦略級の魔法や国宝級の魔法武器でなければ……ダメージは通らないかと……」
リガルトはその言葉に苦虫を噛み潰したような表情をする。
何事かを思案し告げる。
「吹き矢を取りに行こう、それとできるだけ魔法の得意な兵士を集めてくれ」
「わかりましたわ……」
「クリスがやられる前に急ごう……他の聖騎士にも連絡を……」
シダーラは頷くと速度をあげて、出口へと駆け抜けて行く。
***
そこは形容しがたい惨状だった。
地面は抉れて焼け焦げ、周囲は炎に包まれている。
炎の影響だろうか周囲には煙と蒸気が立ち上っており、さらにはあちらこちらに切り傷のようなものさえ見受けられる。
そんな中、大柄な男と小柄な少女が相対している。
片や日にやけたような浅黒い肌、屈強な体に銀髪に赤い瞳、黒い騎士服を身につけ、魔法で作ったのだろうか、両手には氷でできた槍を構えている。
歴戦の傭兵と揶揄される姿のクリスである。
真剣な眼差しで少女を見据えている。
片や小柄だ華奢な体躯に赤い瞳に銀の髪、これだけみれば親族とも思えるが、違うのはその病的な白い肌、そして右手の爪は地面につくほどに伸びている。
吸血鬼の女王である。
その瞳は何処を見ているかもわからないが、クリスとは対照的に息一つ乱さず微笑みを浮かべている。
「……何が効くんだお前に」
クリスは面倒くさそうに呟く。
その顔にはわずかな疲労が垣間見える。
「アヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」
にんまりと笑みを浮かべる吸血鬼の女王。
笑いながら、乱暴に右腕を振り下ろす。
その狂爪がクリスに襲いかかる。
「チッ」
クリスは舌打ちをしながらも、氷槍を思い切り振り上げ、たたきつけた。
ガシャンと大きな音をたて氷槍は砕け散る。
僅かにずれた吸血鬼の女王の腕を避けるクリス。
地面に突き刺さる吸血鬼の女王の爪。
爪を吸血鬼の女王が地面引き抜くより早く、細剣を鞘から引き抜くクリス。
そのままの勢いで吸血鬼の女王首を跳ね飛ばした。
「アヒャヒ……ヒッヒッ」
笑いなが地面に落ちる吸血鬼の女王の首。
けれども切り口は霧で覆われダメージを受けたようには見えない。
そして首を飛ばしたのに関わらず、吸血鬼の女王の体は止まらず、爪を地面から引き抜きそのまま殴りつけてくる。
「ぬぅっ」
細剣でなんとかそれを受け止めるクリス。
ガキンと大きな音が鳴り響き、僅かにだが吸血鬼の女王の爪が砕けた。
「ギアアッ」
吸血鬼の女王は少しばかり顔を歪ませる。
その隙に細剣にかかる力を流し、カウンター気味に吸血鬼の女王の体を縦に切り裂いた。
一瞬動きの止まるものの、けれどもやはり切り口は霧に成って霞んでみる。
そしてすぐさま体が元通りだ。
「アヒ……ヒハ……」
動きの止まったその隙に、バックステップで距離を取るクリス。
呪文を唱え始める。
吸血鬼の女王の首が霧と化し、体の上に再び実態を現した。
吸血鬼の女王が己が確かめるように目を瞬く、けれどその時クリスの呪文が完成する。
「凍矢!」
矢を模した氷がクリスの左手から飛び出した。
吸血鬼の女王の胸に突き刺る矢。
刺さった部分から凍りつく。
氷は序所に広がって行き、やがて吸血鬼の女王の全てを覆った。
けれども、すぐさま氷にヒビが入っていく。
「タフすぎんだろ!」
クリスが左の掌を光らせる。
十字の光が僅かに輝く。
|吸魔の聖痕である。
魔法を使うときに取り込む大魔力の量を増やすことができる聖傷だ。
取り込める大魔力が増えるということは威力と規模が跳ね上がるということになる。
もちろん体にかかる負担もその分増えるのだが。
「雷光鞭!」
クリスの左手から幾重もの極光が飛び出し、凍った吸血鬼の女王の体に弦のように巻きつく。
雷光鞭の触れているところから恐ろしい量の水蒸気が湧き上がる。
電気の熱で氷が一瞬で蒸発、昇華したのだ。
「アア……?」
不思議そうな声をあげる吸血鬼の女王。
そしてすぐに肉のこげるような臭いが辺りに充満しだす。
「アババババ…………」
吸血鬼の女王感電し、悲鳴を上げる。
けれどもクリスは止めることなく雷光鞭を操り続ける。
「……」
やがて悲鳴も止まり、クリスも雷光鞭を止めた。
そこには真っ黒に焦げた塊があった。
慎重に近づくクリス。
「やったのか……?」
慎重に、細剣を右手に構えたまま、こげた塊に近づくクリス。
ピクリと動く黒い塊。
黒い塊からは蒸気が立ち上る。
塊がどんどん小さくなり蒸気が増えていく。
そして蒸気が人の形を模していく。
クリスは後ろに飛びずさる。
再び聖痕を光らせるクリス、呪文を唱える。
「溶岩投槍!」
クリスの左手に炎の塊のような槍が現れる。
邪魔だとばかり細剣を地面に突き刺すクリス。
両腕の剛力、右肩の遠投、両足の剛脚三つの聖痕を発動させ、投擲姿勢にはいる。
そして思い切り振りかぶり、それを投げた。
地面を削るように突き刺さる、溶岩投槍そして触れたところから溶けるように燃えていく。
辺りには蒸気が充満している。
「ハァハァ……」
荒い息をつくクリス。
懐から聖水を小瓶を取り出し、一息にあおる。
一瞬だけクリスの体に光が巡る。
「これだけやれば……」
一息付くもののクリスの目の前に蒸気が集まり段々と人の形を模していく。
「おいおい嘘だろ……」
やがて蒸気は実態を持ち、そこには無傷の吸血鬼の女王が佇んでいた。
「アヒア……?」
吸血鬼の女王は不思議そうに笑う。
恐ろしきはその再生能力か、幾重の剣戟や魔法を受けても霧から再生してしまう。
「何か弱点とかねーのかよ……」
クリスは独り言ちる。
剣はすべて霧化で避けられる。
魔法でダメージを与えてもすぐさま再生する。
けれども何か違和感を感じるクリス。
英知の聖痕を発動する。
額に十字の輝きが宿り、クリスの思考速度が加速する。
ゆっくりになった視界でクリスは考える。
クリスの視界には吸血鬼の女王が地面に爪を突き刺す姿が映し出されている。
地面に……八つ当たりか?
おかしな話ではない、吸血鬼の女王は生まれたてなのだ、成熟した思考回路を持っているとは考えにくい。
けれどもその時、ぞくりとクリスの背筋に悪寒が走る。
クリスは勘を頼りに体を退けた。
それが幸いだった。
先ほどまでクリスが居たところには、五本の長い爪が地面の下からと飛び出していたのだ。
「こいつっ!」
細剣を地面から引き抜き、爪に叩きつけるクリス。
ガシャンと陶器の割れるような音がして、砕けちる爪。
「アヒャアアアアアアアアアアアア」
ひときわ大きな悲鳴をあげる吸血鬼の女王。
爪を地面から引き抜き、腕を抱えるように転げまわる。
それを見て細剣を構えながらも思案するクリス。
なんだこのちぐはぐなのは?
クリスは違和感を感じる。
先ほどもそうだ、爪を細剣で受けた時一瞬だが動きが止まった。
だとすると。
クリスが思考しているのを余所に吸血鬼の女王の瞳に怪しく黒い光りが灯る。
「魔眼かっ!」
吸血鬼の女王はクリスの瞳を見つめた。
クリスの体が彫刻になったように動きを止める。
「麻痺……だと……」
クリス喋ることさえままならない。
細剣を落としてしまう。
けれどもすぐさま守りの聖痕が発動した。
小魔力を使い、魔法を弾き、体を正常に戻す。
けれどもその一瞬で吸血鬼の女王はクリスの目の前にまで距離を詰めていた。
どういう原理か魔法も唱えずに浮き上がり、クリスの首筋にその牙を突き刺した。
「ぐぅっ」
クリス痛みに呻き声をあげる。
けれどもそんな事は知ったことではないと吸血鬼の女王は血液を吸い出す。
徐々にクリスの体から力が抜けていく。
それとは別に何かが流れこんでくる。
「……っなめるなぁ!」
クリスは叫びながら小魔力を放出する……結界だ。
同時に守りの聖痕が発動し、その何かを浄化する。
そしてその身を守るように結界を展開し、そのまま吸血鬼の女王の首を掴み、クリスは投げ飛ばした。
吸血鬼の女王は少しばかり飛ばされる。
けれども、まるで猫のように空中で体をひねり着地する。
何事もなかったかのようにその顔に笑みを浮かべている。
そしてその口にはぽたりぽたりと僅かだが血が流れ落ちていた。
吸血鬼の女王は口の端についた血を左手で拭うとその血を見つめる。
そして、動きが止まった。
何がそんなに気になるのか、手のひらでクリスの血を弄び、いじくり回し、時には舐める。
クリスは、そんな吸血鬼の女王の行動を見て、警戒しながらも距離を保った。
けれども、唐突にそれは訪れた。
「美味しいのね……あなたの血」
初めて意味ある言葉を口にした。
「喋った……?」
今までの感情だけの叫びとは違う、確かな意思を感じる言葉。
クリスはその事実に驚愕する。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない……? 血から情報を手に入れる事くらい造作もないわ……」
クリスの血を吸った事により知恵を付けたということだろうか、その言い分に眉を潜めるクリス。
やっかいだな……、とクリスは思う。
血から情報……もしクリスの知識を得たというのならそれは、面倒なことになる。
舌打ちし、細剣を地面から引き抜き構える。
「……眷属にできないのね。聖騎士かぁ……直接的な戦闘力は吸血鬼の女王より高そうねぇ、面倒くさいなぁ」
呟く吸血鬼の女王。
けれど、言葉とは裏腹にその顔は笑みを絶やさない。
「いきなり……ずいぶんと饒舌になったじゃないか?」
話しながらも左手にはすでに次の魔法を準備しているクリス。
左の掌も僅かに光っている。
「はじめに吸った血の影響を受けるのは当然だとは思わない?」
吸血鬼の女王は、ふふん、と鼻で笑うように、笑みを浮かべる。
先ほどまでの獣的な表情は何処へやら、今は瞳に理性を宿している。
「俺の血か……」
クリスは不機嫌さを隠そうもせず眉を寄せる。
「ええ、そうよ。美味しかったわぁ……」
吸血鬼の女王は左手についた血を見つめる。
ペロっと一舐めすると、満足そうな表情を浮かべる。
クリスと手のひらを交互に見つめる吸血鬼の女王。
何を思ったのか爪を短くし、降参だとばかりに両手をあげた。
「なんのつもりだ……」
「何って降参ってこうやるんじゃないの?」
吸血鬼の女王は不思議そうに首をかしげる。
「降参……ねぇ?」
けれども、疑いの眼差しでクリスは吸血鬼の女王を見つめる。
「考えて見れば貴方と戦う必要がないもの私」
「むっ」
言われてみれば確かに理由はない。
クリスとしても襲われたから戦っていたにすぎない。
「だが襲いかかってきたのお前のほうだろう?」
警戒は緩めず、クリスは吸血鬼の女王を睨む。
「生まれたてでお腹が空いてたんだから仕方ないじゃないの……あんな本能的に動くなんて今考えれば黒歴史ねー。嫌になっちゃうわ」
吸血鬼の女王はやれやれ、と手をあげる。
影響を受けているというのは本当なのか、仕草がどこかクリスに似ている。
クリスの血から情報を取り込んだといのはあながち嘘でもなさそうである。
「さっき貴方の血を飲んでもうお腹いっぱいなのよ、もうお昼寝したいくらいだわ」
欠伸をし、吸血鬼の女王は本当に眠そうな表情をする。
「そうねぇ、信用できない? そうよねー、じゃ契約しない?」
「契約だと……? 何が目的だ」
クリスは疑わしげに問い詰める。
「貴方の配下になるっていう契約、目的はいろいろあるけど……契約料は貴方の血を少し」
そう言うと吸血鬼の女王怪しげに微笑んだ。
まるで十歳に見えないその表情に、クリスは一寸息を飲む。
けれどもすぐに我に返る。
「血だと……先ほどみたいなのは勘弁願いたいが……」
「あれはちょっと無理やり吸ったから痛かっただろうけど、丁寧にすえば痛みどころか快感を与える事だってできるのよ?」
そう言って妖艶に微笑んだ。
「貴方は部下が手に入って私はご飯が手に入る、両方共損は無いでしょう?」
「俺にメリットがないが……」
「嘘は良くないわ、戦える女性を集めているんでしょう? 貴方の血から記憶くらいは覗けるんだから……クリストファー・ラプンツェル?」
「っ!」
クリスが驚きで目を見開いた。
「信じてもらえたかしら?」
「もし断れば……?」
「私の食事だけでこの国は滅ぶでしょうね、それともさっき以上の消耗戦を私とやりたい?」
吸血鬼の女王は半ば脅すように言い切る。
「それに貴方ほどの芳醇で濃厚な小魔力見たことないもの……その御蔭で血もとっても美味しいし少量で済むの、生まれたてで何を言ってるんだと思うだろうけど、私を作るために生贄にされた人たちの小魔力と血なんて、貴方と比べたら翼竜と小鬼みたいなものよ?」
褒めているのだろうか、血が美味いと褒められて喜ぶ奴がいればそれは真性の被虐体質だろう。
「良いだろう……契約をしてやる」
クリスは逡巡したものの頷いた。
「そう、思い切りが良いのは嫌いじゃないわ」
吸血鬼の女王は微笑みを浮かべた。
「手を出せ……」
「はいはい」
吸血鬼の女王言われたとおりに軽い感じで手をだした。
クリスは左手に構成していた攻撃魔法を書き換える。
吸魔の聖痕が光を増す。
差し出された手を握り、クリスは呪文を開放する。
「魂の契約……破ればお前とて死ぬだろう契約だ」
問いかけるクリス。
「受け入れましょう、私が望んた事なのだから」
受け入れると宣言をする吸血鬼の女王。
するとクリスの手から鎖のような模様が飛び出し吸血鬼の女王の手を這うように移動し、やがて体に移動し取り込まれた。
ビクリとする吸血鬼の女王。
「っ適当な契約の割には随分と強力な強制力ねぇ……今すぐ傅きたくなるわぁ……」
「強制力のない契約など意味はない……」
クリスは苦虫を噛み潰したような表情をする。
「そうね……では主様……私に名前を授けてください」
魂の契約がすでに効いているのか途端に吸血鬼の女王口調が厳かになる。
「名前?」
「種族名はあれど個体名はまだありませぬ、魂の契約は主従の契約。ならば名の無い私が主から名をもらう事によってより強固な契約になるでしょう」
クリスはふと考え込んだ。
そして、思いついたのはその名前。
娘を捨て、夫を選び、部族を守った女の名前。
「……ルシエン、恐らくだがお前の母の名だ。受け継いでおけ」
「ルシエン……母のそして私の名……感謝を……」
その名前に何か感じ入るものがあったのかルシエンも厳かに頷いた。
「では父さん、血をください」
厳かな様子はどこへ行ったのか、先ほどの態度に戻っている。
「おい……」
「ああ、普段は女性の姿だったわね、母さんにしましょうか?」
「俺はそんな年じゃない……」
歴戦の傭兵と揶揄されるクリスである、よく老けているとは言われるのだ。
そのため案外その話に関しては過敏なのである。
「私の人格は貴方の血が元なのよ? 親と呼ぶのは当然じゃない?」
挑発的に微笑むルシエン。
俺ってこんな性格してたか?とクリスは思い悩む。
「女性に戻らなくていいの? さっきから足音が結構聞こえるけど?」
「戻っておくか……」
呪文を唱えるクリス。
女から男になったときとは違い、わずか数秒で魔法陣が展開する。
さほど時間もかからずクリスは女になる。
「傍からみると面白いわねー」
「……」
「人が来そうだし、血はあとでいいや」
そう言うとポムっとした音とともに体を小さな蝙蝠に姿を変えるルシエン。
「それが本性か……?」
「いや、ただの節約状態、地上は明るそうだから寝てるわ……夜になったら起こして」
そう言うとクリスの騎士服の内側に潜り込むルシエン。
ごそごそと這いまわり、内ポケットから光玉を引っ張りだして落として入り込んだ。
「おやすみー」
「……ああ」
俺こんな性格してたか?
クリスは再び思い悩む。
そんなクリスを尻目に胸元からは小さな寝息が聞こえ出した。
そして、気づけば多数の足音がクリスへと近づいていた。
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