ⅩⅡ Reason of the law
改修
広い執務室、高い位置に配置された天窓から光が差し込んでいる。
外の気温はうだるほどだというのになぜだか涼しい。
そんな中筆記具を走らせる音だけが響いていた。
黄色い肌に中肉中背の男、リガルトが書類と戦っていた。
「次の書類で御座います……」
秘書官だろうか、山盛りの書類をリガルトの目の前に置いて去っていく。
リガルトは目の前に積まれた書類の山に、頬を引きつらせるが、ため息を着くと作業を再開した。
再び執務室にはカリカリと筆記具を走らせる音だけが響き始めた。
反抗勢力がヒヘトを倒してすでに一ヶ月が経過していた。
そんな中、コンコンと静かに扉が叩かれた。
「誰だ?」
「俺だ、クリスだ……入るぞ」
そう言うとクリスは扉を開くと、リガルトが政務をしている机にまで近づき、書類を見つめて嫌そうな顔をした。
「やはり長というものは面倒だな……俺も帰ったら書類がありそうで怖い……」
ふと何かを思い出したのか、遠い目でクリスが呟いた。
「そう思うなら手伝ってくれると嬉しい……」
気だるそうに懇願するリガルト。
「他国の者に政治で頼るな」
クリスはにべもなく言い放つ。
「冗談だ、わかっている……ただちょっと疲れただけだ」
ちょっと疲れただけというにはリガルトの眼が死んでいるが。
「そいつはちょうどいい、シダーラが見せたいものがあるそうだ、地下の祭壇まで来いっていよ? 息抜きくらいにはなるだろう」
その言葉に少しばかりめを輝かせるリガルト、そうとう書類にうんざりしていたのだろう。
「シダーラが?」
「ああ、まぁ内容は来てからのお楽しみだとよ」
「自分とクリスだけでか?」
「さてな、重要だとは言っていたが……行ってみればわかるだろう?」
「わかった、行こう」
机から立ち上がり、軽くからだをそらすリガルト。
ボキリボキリと音がする。
二人は連れ立ち、他愛もない会話をしながら、下へと歩んで行く。
「そういえば、ヒイロはどうだ? 鍛えているんだろ?」
「精霊術が特化型だなぁ……年齢もあるが身体能力は高いとは言えない、まずは自衛手段から覚えさせている」
「なるほど……では後衛型か?」
「そうなるだろうな……弓でも持たせてみようかと考えている」
途中に歩いている見張りの兵士に挨拶をしながら地下へと進んでいく二人。
しばらく歩くと、城の裏口付近にある穴へとたどり着いた。
「まだ埋めてなかったのか……」
感慨深げに穴を見つめるリガルト。
「まぁ、はやいからいいじゃないか?」
言いながらも穴へ飛び込むクリス。
リガルトは穴を確認する。
「これは岩盤か……土魔法の得意な奴は居ないものか?」
呟きながらも飛び込んだ。
***
クリスとリガルトが祭壇につくとそこにはシダーラが一人佇んでいた。
「御待ちして居りましたわ、旦那様……クリス様……」
「ああ、それで自分たちに見せたいものとは?」
「こちらですわ……」
シダーラが床を指差す。
「ただの床じゃないか……?」
リガルトが不思議そうに首をかしげた。
クリスからみてもただの床にしか見えない。
念のために千里眼の聖痕を発動させるクリス。
床には幾重にも描かれた光る線のような物がその目に映る。
「魔力の線……? 魔法陣か……?」
「ご名答……旦那様、中央に手をついて小魔力をお流しくださいませ」
「こうか?」
リガルトが言われたとおりに、片膝をつき、地面に手を添えて小魔力を流す。
すると魔法陣が立体的に浮かび上がり、クリスたちを囲む。
「転移か? 悪いが俺に魔法は……」
クリスが言い切る前に、シダーラが遮った。
「いえ……しっかり着地してくださいまし」
次の瞬間。
広間の中央にポカリと大きな穴が空いた。
落ちていく三人。
「先にいええええええええええ」
叫びながらもクリスは空中でもがく。
「ウフフ……」
笑いながいつのまにかリガルトを抱きかかえているシダーラ。
クリスとは違い壁を滑るように段々と地下深くに落ちていく。
こいつ、いちゃつきたかっただけじゃねーのか?
シダーラとリガルトの姿をみてクリスが若干苛立つ。
すぐさまクリスは飛翔の聖痕を発動させる。
一対の翼が生えるクリス、羽ばたきで体制を立て直し、徐々に速度を調整していく。
「便利なものをお持ちですのね?」
シダーラが壁を蹴ってクリスの足に飛びついた。
ガシッと片手でクリスの足を掴んでいる。
「重いわっ!」
勢いがつきすぎていたのか、速度をあまり下げれないまま下に落ちていく三人。
やがて終点が見えてくる。
「ぶつかるぞ?!」
「下は柔らかいので大丈夫ですわ」
妖艶に微笑むシダーラ。
次の瞬間、ボフンと何かに衝突するクリス。
衝突の瞬間クリスから手を離し、ちゃっかりと着地しているシダーラ。
それが衝撃を殺してくれたのか、ふにふにとやわらかい何かがそこにあった。
「けほっ、なんだこりゃ?」
落下の衝撃で舞い上がった粉のようなものに咳き込むクリス。
「キノコですわ……とても大きな……」
「これがきのこ?」
辺りを見回すクリス、キノコというのなら乗っている部分は傘なのだろう。
けれども大きさが尋常ではなく……半径十メートルはあろうかという大きさである。
そして、キノコから仄かに光が発してるようで地下だというのに真昼の太陽の下かのように明るかった。
「これを自分たちに見せたかったのか?」
リガルトがいつのまにか、シダーラの腕から下りて辺りを見回していた。
「周りご覧下さいませ」
その言葉にリガルトとクリスはと辺りを見回した。
自分たちのいる大きなキノコの近くには、別の大きなキノコが存在している。
それも無数にだ。
さらに傘の下には、大小様々なキノコが見える。
遠くのほうにはクリス達が乗っているのキノコより大きなものさえある。
クリスは千里眼の聖痕を発動させる。
「……これの苗床は人か」
「ご名答ですわ」
クリスの呟きにシダーラ淡々と肯定した。
「なに?」
驚き目を見開くように、リガルトはキノコを見つめた。
「下に降りましょうか……」
そう言うとシダーラが今のっているキノコより少し低いキノコに飛び移った。
「ついて来てくださいまし」
シダーラは慣れているのか、ポンポンと飛び移る。
それに続く二人。
ついていくとそこには一際大きなキノコがあった。
他のキノコは白い傘だというのにそのキノコだけが赤い傘を有しており、そのキノコの周辺には何か蔓のようなものが絡みつくように地面へと伸びていた。
シダーラが赤いキノコの前に着地した。
続けて二人も着地する。
「このキノコに何かあるのか?」
クリスがシダーラに問いかける。
「よくご覧になってくださいな……」
「ふむ?」
ぱっとみおかしな所は……ある意味この空間自体おかしいのだが。
遠くから蔓に見えたそれは、半透明で、近くでみれば赤く液体が流れているのが見て取れる。
そして一定間隔で脈打っている。
「これは血管……?」
「どうやら生きているようだな……、クリス見ろこの赤い蔓、他のキノコから何から液体を組み上げている」
リガルトが指差すほうをみれば、キノコの根元から赤い蔓が四方八方へと伸び他のキノコの根元へとつながっていた。
ひとつの小さめのキノコを蹴り飛ばすシダーラ。
根元から上がぶっとびキノコの下には人の形をした白い後が残っている。
「これがこの国で死刑になった人たちの末路ですわ……」
シダーラが静かに呟く。
「コレが見せたかったものか?」
クリスの質問にシダーラゆっくりと深く頷いた。
「全てこの大きな赤いキノコにつながっているのか……これは何だ? これも処刑されたものなのか?」
「わたくしも詳しくはないのですがこれは中でも特別なようでして……ハァッ!」
途端、シダーラは気合の声と共に赤いキノコを蹴り飛ばした。
しかし、キノコはブヨンと揺れるだけ。
衝撃を全て吸収してしまうのか、揺れる以上の反応は見られない。
「この通りびくともしませんのよね……」
「……詳しくないなら蹴るなよ」
クリスは思わず呟いた。
「ちょっと視てみるか……」
千里眼の聖痕を発動させるクリス。
両目に十字の光が宿る。
「中に人型……?」
気になったクリスが一歩近づくと、それは起きた。
メリメリメリと、木が割れるような音が響き渡る。
同時にキノコが大きく立てに割れた。
思わず三人とも飛びずさり、距離をとる。
するとキノコの裂け目には、美しい少女……十才くらいだろうか、が座り込み虚ろな眼でクリス達を見つめていた。
少女をみた瞬間、怖気が走る。
三人が三人共、冷や汗をかいた。
髪は銀に眼は赤く肌は白く、なぜか深紅のドレスを羽織っている。
「吸血鬼の女王ですの……? まさかあんな下賤な男が……成功していたなんて!」
少女の姿を確認して、シダーラは悲鳴にも近い叫びをあげる。
眼に浮かぶのは恐怖。
一瞬のうちにすさまじい量の冷や汗をかいている。
「母体が居なかったはず……まさかルシエン!? けれどあのこでは母体なり得ないはずじゃ……まさか……?」
先代王妃ことルシエンはヒヘト討伐後すぐどこかへ行方を晦ましている。
逃げたのだろうと誰もがいうが真偽のほどは不明である。
シダーラは一人で錯乱しながらも、何かぶつぶつと呟いている。
そんなシダーラを見かねてリガルトが肩を抱いた。
「落ち着け、シダーラあれが危険な者なのは自分もわかる、一人で考えなくてもいい、自分たちもいる頼ってくれていいんだ……」
「ああ……、そうでしたわね……アナタ……」
なんだかいい雰囲気になって見つめ合う二人、そのまま接吻をした。
リガルトもいい感じで錯乱しているようだ。
「空気読めよ……」
クリスは一人細剣を構えながら、少女と相対している。
「それで、こいつはなんなんだ……?」
「わたくしの推論が正しければ吸血鬼の女王のはずですわ……」
シダーラはいくらか落ち着いた、少女を伺いながらも答えた。
「それで吸血鬼の女王ってのは何なんだ?」
「文字通りの吸血鬼の女王様……ヒヘト何かとは比べ物にならない……化物ですわ、万人の生贄を捧げ生み出す吸血鬼……」
その言葉で警戒を強めるクリス。
「けれども……本来は成人した姿で生まれるはずですわ……やはり未完成か母体が合わなかったか……本来よりは弱いはずです」
シダーラは震えながらも説明する。
吸血鬼の女王は、クリス達を見つめると小さく微笑んだ。
怖気が走る三人。
「……リガルト吹き矢あるか?」
「あると思うか……? あっても効く気もしないが……」
喋りながらも各々構えを取る三人。
すっと立ち上がる吸血鬼の女王。
「それもそっ……!」
クリスが喋り切る前にガキンッと金属音が響き渡る。
音の発生源を見れば居たはずのリガルトは居らず。
爪を伸ばした吸血鬼の女王が手を振り下ろした体制でその場に居た。
リガルトは吹き飛ばされたのだ。
僅か一瞬の出来事である。
ボフンというキノコにぶつかったらしき音が、後から聞こえた。
「ちぃっ」
悪態をつきながらもすぐさま斬りかかるクリス、けれども軽く躱される。
「無事かリガルト!?」
後ろも見ずに叫ぶクリス。
「鬼の体は鉄より硬い……切り傷は大したことないが肋骨が何本かやられた……」
事実上のやくたたず宣言である。
「シダーラ、リガルトを連れて逃げろ。……こいつは俺が仕留める」
「しかし……一人では……」
「怪我人と震えてる奴がいるほうが邪魔だ!」
クリスの言葉にシダーラ何を思ったのか、僅かに俯いた。
「ご武運を……」
そう言うとシダーラはリガルトを抱きかかえ、離れ始めた。
シダーラが離れる間にも警戒をし続けるクリス。
吸血鬼の女王はフラフラと遠くをみたり、爪伸ばしたり短くしたり何かを確認するかのように動いている。
「生まれたての所悪いが……死んでもらおう……」
言うか早いか、細剣を高速で突き出した。
狙うは一点、あらゆる生き物の急所である心臓だ。
魔物であろうとそれは変わらない。
けれども、その一撃は容易く躱された。
「なにっ」
否、正確には躱されてなどいない。
細剣は吸血鬼の女王の体を正確に貫いている。
だか突き刺さるはずのそこには、本来あるはずの肉がない。
虚空のみが存在していた。
「霧化か……」
霧化、それは吸血鬼の能力の一つである。
おのが体を霧へと転じあらゆる狭い所に入り込む事ができる。
今回のはそれを防御に転用しただけにすぎない。
クリスが霧化に怯んだ隙に、振り下ろされる吸血鬼の女王の右腕。
左腕を掲げて己が頭を守るクリス。
けれども、左腕の上からもまるで鈍器で殴られたかのような衝撃が襲いかかる。
「ぐがっ」
受身もとれず吹き飛ばされるクリス。
その表情は苦悶に歪んでいる。
なんだこいつは!
左腕は先ほど盾にしたせいか肘から先がひしゃげている。
細剣を地面に突き刺し杖代わりにして何とか立ち上がる。
すると笑い声が辺りに響き渡る。
「アハッ……アハハ、アハハ……」
吸血鬼の女王が笑っていた。
その声は妖艶で美しくそれでいて何処か狂気を感じさせる。
見た目十になるかならないかの少女がだせるような声ではない。
「笑ってんじゃねーよ……」
悪態をつきながらも再び細剣を構えるクリス。
しかし、手詰まりに近い。
近接戦は不味い、飛翔を使ったせいで残りの小魔力も多くない。
焦燥に駆られるクリス。
吸血鬼の女王は右手の爪を地面に引きずるほどに伸ばし、ニタニタと笑いながらクリスへと歩み寄る。
クリスの脳裏に自身が嬲られる、朽ち果てる姿が浮かんでくる。
千里眼の聖痕の効果の一つ、未来視だ。
命に関わる危険が迫れば自動で発動し、持ち主に危機を教えるものだ。
これは警告だ、このままでは死ぬという未来が待っている。
時間を稼がなければ……吸血鬼は何だ……? ヒヘトはわざわざ地下に執務室を作っていた……?陽光が苦手なのか?
思案し細剣を鞘に戻し、懐から小さな丸い玉を取り出した。
小魔力を込め、吸血鬼の女王の足元にそれを投げつける。
シュパッと軽い発火音が聞こえた。
すると辺りは激しい閃光に包まれた。
「アアアアアッ!」
思わず叫ぶ吸血鬼の女王、己が瞳を掻きむしり、のたうち回る。
光玉と呼ばれる、本来暗い洞窟などを一時的に照らす魔法道具である。
本来ならば空に浮かべ弱い光を長時間発生させる、松明のように使う物だが。
今回のように短時間に限り、強い光を発生させ目潰しのように使うこともできる。
光が続く間はもちろんクリスは目元を隠した。
吸血鬼の女王がのたうちまわる様子を確認し、脇目も振らずに走り出す。
懐から聖水の入った小瓶を取り出し、一気に煽る。
「戦闘になるなら、もっと持ってきたのにな……」
とはいえ、これでいくらか小魔力は回復した。
「腕の修復は八割か……いいだろう」
再生の聖痕による肉体の自動修復クリスの聖痕は決して大きくないが、優先的に小魔力を回せばそれなりの速度で再生はする。
「物理攻撃が効かないなら……魔法しかねーよなぁ……」
そう呟くとクリスは足を止めキノコの影に隠れた。
そして呪文を唱え始める。
心を落ち着かせ、ただ静かに……淡々と。
一回、二回、三回、四回……………………。
同じ呪文を繰り返す。
十回、十一回、十二回、十三回……………………。
繰り返す度、淡い光がクリスに集まっては消えていく。
女は魔法を使えない、それは大魔力を体に取り込む事ができないからだ。
つまり正確には自力の小魔力での魔法なら使える。
だがそれの規模や威力は大魔力を使った魔法に到底及ばない。
ならば小魔力を増やすことができればいい。
その結論に至るのは当然の帰結であった。
クリスに掛かった変身魔法……。
元々、影武者……王妃の身代わりを作るために作られたと言われる魔法である。
元に戻ることなど考えてなどいない。
本来、一回こっきりの魔法なのである。
当然だ女になってしまえば魔法は愚か、ひ弱な対象に変身してしまえば下手をすれば剣すらまともに扱えなくなってしまう。
だがクリスは戦地に赴く直前にこの魔法に掛かってしまった。
掛けられたものが解こうとする意思など想定していなかったのだろう。
当然だ、本来掛けられたものは本来なら初代王妃のために命を散らす覚悟があったのだから。
戦地には先に向かったクリスの幼少期からの友が居た。
親友といってもいい、そんな友だった。
故にクリスは友のために、全力で魔法を解いた。
解くこと自体は問題ない、同じ魔法を使えばいいだけだ。
ただ小魔力だけでは足りないということ。
女は大魔力を受けつけない。
ならば体の外で、大魔力を小魔力に変えてしまえばいい。
大魔力を小魔力に変える魔法はある。
けれどもその魔法を使うのにも小魔力を使うのだ。
本来は魔力枯渇の患者に使う医療用の魔法である。
自分自身に使ってもほんの僅かな小魔力が増えるだけ。
決して効率のいいものではない。
それでもクリスは繰り返し、それを成した。
三十八回……、三十九回、四十回、四十一回……。
クリスの身に小魔力が漲る。
五十回、五十一回、五十二回……。
五十を超えた頃、集まるたびに消えていた光がついに消えなくなった。
目を見開き、今度は別の文言を唱えるクリス。
唱え終えたと思ったら今度は親指に噛み付き、血を垂らす。
それが鍵だったのだろう、クリスの足元に魔法陣が展開する。
魔法陣が上へとせり上がる。
魔法陣が通った場所からクリスの体は形を変えて行く。
魔法陣が頭まで通り抜けた。
短髪の髪に、日に焼けた肌、盛り上がった筋肉。
長身でいて、その紅い眼光は全てを貫くがごとくに鋭い。
歴戦の傭兵と揶揄されるその姿。
男のクリスがそこに現れた。
「本番はこれからだ……」
クリスは意気込み、踵を返した。
改修




