三話 宿舎工事 アリシア 追憶
改修
トンテンカンカン、タンタンタンタン。
トンテンカンカン、タンタンタンタン。
ギーコギーコギーコギーコ、パタン。
ギーコギーコギーコギーコ、パタン。
石を割る音が立つ。
釘を打ち付ける音が鳴る。
木を裁断する音が響く。
それらが合わさりまるで、音楽を奏でるかのようだ。
「親方、こいつはどこに置いときますか?」
「その石材は風呂予定のところにおいとけ、落として割るんじゃねえぞ」
「そっちをもってくれ! それ、いくぞ」
「もっと深く掘れ! そんなじゃダメだ!」
「下水用の石材どこっすか~?」
忙しなく動き回る男たちはまるで舞台の登場人物のように語りあう。
それはまさに芸術のような……。
「アリシア、何ぼーっとしてるんだ? 暇なら手伝え」
そんな言葉にアリシアは妄想から現実へと引き戻された。
ここは舞台ではなく、建築現場、男の仕事場である。
ほとばしる汗、香る男臭、動く筋肉。
目の前には、厳つい、歴戦の傭兵のような立派な体躯を誇る大男が、下はズボンに上はシャツに腹巻という格好で丸太を担いで立っていた。
身長は百八十くらいだろうか肌は褐色だで短く刈り込まれた髪、聖騎士になった影響で変わった銀の髪に紅い瞳をしている、思ったより声は高く、それはこの男が若いことを示している。
クリスである、今日は男だ。
担いで居る丸太は、クリスよりも大きく、本来なら大の大人数人がかりで運ぶようなものだろう。
聖騎士の力を既に使いこなしているのだろうか、汗一つ書いていない。
本来ならば、そのことを褒めてもいいはずのアリシアは口をへの字に曲げて全力で嫌がった。
「いやですよぉ、男臭い」
この調子である。
「私の協力が必要だと呼ばれてみれば、建築現場ってどういうことですかぁ?」
半ば興奮しながら、まくし立てるアリシア。
そんなに建築現場が嫌いかとクリスは思うが、実際は別の理由があるのを知っている。
知っていてリハビリになればと思い連れてきたのだが。
その結果。
見事に不貞腐れた。
これは無理かなと思いつつも、何度目になるかわからない説明をするクリス。
「さっきも言っただろう、騎士団の駐屯所。訓練場と宿舎を作っている」
ここは女性だけの騎士団の駐屯予定地である。
現在クリス達は王城の裏手にある山を切り開き、森林を伐採し、訓練場と宿舎を作っているのだ。
「だからってなんで手伝わないといけないんですかぁ。本職の方々に任せればいいじゃないですか! 女の子にやらせることじゃないです!」
アリシアは半べそで叫ぶ。まるで駄々っ子のように。
クリスは叫ぶアリシアを、困ったように見つめた。
「ここが出来上がらん限りは、人集めなんてできないからな。なら馬鹿力もってる聖騎士が手伝ったほうが早いだろう。人件費も浮く」
「聖騎士の力をそんなために使うなんて……」
アリシアは項垂れる。
ぶつぶつと何事かを愚痴っている。
それを見てやれやれ、とクリスは首を振った。
「無骨すぎても、後々困るんだ、かと言って王宮ほど華美でもいけない、神殿ほど質素でもいけない。具合が難しい」
騎士団の立場を考えると事実、塩梅が難しい。
他の騎士団のように、実用性ばかりを重視した作りにしてしまうと、いざ王妃様が視察に来られた時に来賓室もない、では困りモノだ。
実際に騎士団の運用を始めれば、初めはともかく、毎年志願者を募る必要も出てくるであろう。
憧れの対象は言い過ぎかもしれないがそれくらいには成らないと、志願者も来なければ、試験費用と称して、金を集める事もできない。
現状、王妃様が支援者なので資金は潤沢だが、それでもやはり集められるのなら集めておくべきだろう。
そして、仮にも女性だけの騎士団と銘打っているのだ、華やかさも必要だろう。
クリスとしては、実用性重視で戦える者だけ集めてもよいのだが、やはり見た目が良いに越したことはない。
神託の内容はわからないが、祭典、式礼、などに引っ張りだされそうであるとは思っている。
騎獣、馬や驢馬でも良いが、幻獣もいくらか欲しいと思っている。
騎士団が何か大事を成し遂げたり功績を上げた時には伝統的に進行祭が行われる、国民へのアピールとはそれほど大事なのである。
その時に、やはり幻獣のが居るか居ないかでは大きく派手差にさがついてしまうだろう。
――厩もでかいのにしとくか竜余裕な奴。
後で親方に相談しようと、クリスが考えていると、気づけばアリシアが頬をふくらませて、涙を瞳に貯めてクリスをじっと睨んでいた。
「それに数日中にここは完成する。完成したらアリシアも住むんだ、今のうちに意見を言っておかないと後であーだこーだ言ってもどうにもならないだろう?」
涙を見て見ぬふりして、なんとか説得しようと試みる。
「それは、そうですけどぉ……」
それでも駄々をこねるアリシアをみてクリスは諦めたように嘆息した。
「じゃぁ意見が必要なところがあったら呼ぶから。それまでどこか、木陰で休んでいてくれていい」
そう言うと、クリスは丸太を担ぎ直した。
すぐさまアリシアからは見えない所へと行ってしまう。
アリシアはため息をつきながら木陰に座り込んだ。
アリシアが手伝うのを嫌がったのには理由がある。
有り体に言ってしまえば、彼女は男嫌いなのだ。
それをクリスは知っているのに、男だけの職場、建築現場に連れてきてしまった。
自身も男の姿に戻って。
クリスが男の姿で迎えにきたそのときから、アリシアは結構ギリギリだった。
先ほど会話してるときに半べそだったのはそのせいである。
アリシアとて治したいとは思っているが、なかなか治せるものではないのだ。
理由は幼少期にまで遡る、聞いてしまえばよくある話と片付けられてしまうだろうが。
アリシアは過去、貴族だった。
爵位こそ下のほうから数えたほうがはやい、男爵家であったが。
父は出世を望み、アリシアには幼少の頃から決められた伯爵家の許嫁が居た。
許嫁がいるとして、幼少期から伯爵家に見合う妻になるための厳しい訓練をこなしていた。
十五歳の春、初めて許嫁と会う事になったアリシアはとても浮かれていた。
しかし、順風満帆に人生を謳歌していたアリシアはその日初めての絶望を知る事になったのだ。
***
五年前の春。
嫁ぎ先の庭でのパーティ。
私はその日の朝初めて婚約者に出会ったのだ。
「こちらが次期伯爵家当主、レイリー・ダグラス様よ」
母に紹介された私の許嫁はとても綺麗な人だった。
ポニーテールにされた栗色の髪、透き通った目鼻立ち、十人中、九人は振り返るだろうその美貌、とても男の人には思えなかった。
「初めまして。アリシア・スワンです。よろしくお願いします」
緊張でガチガチになった私は、棒読みで挨拶をしてしまった。
「レイリーです、よろしく僕のアリシア」
その上とても甘い声で囁いて、それだけで私の心は彼に射抜かれてしまった。
それに僕のアリシアと言われて、私は顔がだんだんと赤くなっているのがわかった。
私だって貴族の端くれである、多少不細工な人だろうと我慢する。
そんなつもりで今日は望んだのに私の期待はいいほうに裏切られた。
その日は伯爵家でレイリー様の一六歳、成人を祝うパーティだった。
パーティは和やかに進行し、私も紹介されて、一生懸命レイリー様に相応しいように振舞った。
皆優しく、私が転んだり、間違ったことを言っても怒らず、優しく諭してくれた。
こんな優しい人達に囲まれて、こんなに綺麗な旦那様に出会えるなんて。
その時の私は幸せの絶頂にいた。
あの事実を知るまで……。
その日、伯爵家に泊まる事になっていた私は、レイリー様に夜這いをかけたのだ。
否、かけさせられたのだ。
伯爵家のお義母様に示唆されたのだ。
普通はこんなことはしない、お義母様に夜這いを示唆されるなんてありえない。
当時の私は、緊張と興奮で疲れていて、よくよく考えもせずに従ってしまった。
普通に考えたらありえないことだとわかるのに。
当時に戻れるなら、当時の自分を殴りたい。
私は夜中、侍従に案内されるがまま、レイリー様の自室に足を運んだ。
軽くノックをするも反応はなく、もうお休みになったのかと一瞬思う。
けれども動いている人の気配はするのでそっと扉を開ける。
中を除けば灯がついているのに気がついた。
まだ、起きてらっしゃるのかしら?
そんな事を考えながら私はそのまま奥の部屋へと足を進めた。
奥を確認しようとして、横にある寝室で物音がきこえた。
寝室へそっと向かう。
そうだ、せっかくだから驚かせよう。
そんな軽い気持ちでは私はそっと扉をあけた。
すると、其処に居たのは、レイリー様ともう一人、筋肉隆々の男性。
二人は裸でベットの上で睦み合っていた。
思わず硬直してしまった私を責めることができる人は居ないだろう。
眼を見開き、硬直する私。
するとその時扉を開けたことによって、部屋の空気が動いたのだろう。
隙間風が駆け抜けていった。
汗と生臭い何かが混じったような、咽返るような匂いが私の鼻をついた。
そして空気の動きを感じたのか、それとも私の気配を感じ取ったのか、レイリー様が私のいる方向に視線を向けていた。
固まったまま動けないでいる私に、レイリー様は驚いたような顔をしたもののすぐに声をかけくれた。
「やぁアリシア。いけないこだ。そんな格好で深夜に男の部屋に来るなんて、誘っているのかい?」
私はその時、お義母様が用意してくださった、薄い寝具を着ていて、派手にならない程度に化粧までしていた。
その甘美で聞いてるだけでも惚けてしまうような声で、囁かれたそれは、あがらいにくい、艶美な誘惑のようにも聞こえた。
だがそれは、レイリー様の横に全裸で筋肉隆々の男性がいなければ、の話だが。
「レイリー様、そ……その御方は何方でしょう……か?」
絞りだすようにだが、この光景を見て声出すことが出来た自分はすごいと思う。
「ああ、彼は側付き兼護衛の、ジャランだよ」
紹介され、ジャランは私を見ながら軽く頭をさげた。
「それで……何をなさっていたのですか……?」
裸でという言葉は飲み込んだし、何をしていたのかなんてわからないはずがなかった。
「今日は成人になった祝でね、些か僕も興奮していて寝付けなくてね。ジャランに収めてもらっていたんだ」
堂々とそんな事をのたまうレイリー様。
その言葉に私は自分の顔から血の気が引いていくのがわかった。
そんな私を何か勘違いしたのか、レイリー様はありえない言葉を宣った。
「貴族の義務は守るから気にしなくていいよ。ただ僕は男性のほうが好きなだけさ、別に女の子がダメというわけじゃない」
他の言葉などどうでもいい。
男性のほうが好きだという言葉が、私の心に突き刺さった。
少なくともレイリー様はそう言い切った。
けれども貴族の義務は果たすと。
つまり私との関係は義務なのだ。
そう言われた気がして、私は頭の中が真っ白になってしまった。
レイリー様の言葉に何もいえなくなって、私が立ち尽くしているとジャランがベットからおり、体を隠しもしないで近づいてきた。
思わず後ずさるとジャランは笑顔でこう曰わったのだ。
「なんなら、混ざりますか?」
ポンとかたに手を掛けられた瞬間。
私の拳はジャランの顎を貫いていた。
無言で倒れるジャラン、唖然とするレイリー様。
私はそのままレイリー様の寝室から歩いて帰ったらしい。
らしいというの後から人づてで聞いた話だからだ。
その時はとても物事を考える余裕などなく、ジャランに手をかけられてからの記憶が曖昧なのだが。
どうやら何かつぶやきながら、部屋に歩いてもどったそうだ。
侍従やお義母様の言葉にも一切反応せずに。
そんなことがあってから私ははすっかり男性が苦手になってしまった。
子供や老人は大丈夫だが。
若い男はどうにもならない。
特に筋肉隆々だったりすると。
ジャランを思い出してしまう。
今思えばお義母様も知っていたのだろう。
だからこそ、急いで既成事実を作らせるつもりだったのだと今は思う。
しかし、自分の息子が許嫁を紹介された日にまでそんな事しているなんて、流石に思っていなかったらしい。
ある意味一番の被害者はお義母様だったと思う。
そんなこんなで私は神殿へと逃げるように入ったのだ。
***
アリシアは苦虫を噛み締めたような顔をしながら木陰で目を覚ました。
どうやら悪い夢を見ていたらしい。
――なんであんな昔のことを……。
最悪の気分だ。
もっとも、夢を見たアリシア本人も理由は明白に分かっているが。
建築現場の男たち、筋肉隆々の逞しい身体、汗水たらしてあくせく働く姿。
ジャランとかぶるのだ。
思い出すだけで怖気が走る。
「男なんて……」
思わず呟いた言葉は風に流され消えていく。
クリスもなんでわざわざ男の姿で来るのだろうと思うが、実はアリシアも理由はわかっている。
建築現場なんて男の世界である。
話を通すには男のほうが都合がいい。
男尊女卑の強い王国じゃ女性の意見なんてろくに聞いちゃくれない。
だからこそ、アリシアは治外法権ともいえる神殿に頼るしかなかったのである。
わざわざ、聞きに来てくれたクリスはとても優しい人なんだと理解している。
だからといってトラウマが無くなるわけじゃない。
アリシアはため息をつき、つくにつけない悪態を飲み込みんだ。
アリシア自身も治したいとは思っているが、神殿に入ってからは男性と会う機会がほとんどなかった。
朝と夜の礼拝と食事、男性教徒と会うのはこの時くらいの一日の僅かな時間だ。
女性教徒はそもそも、アリシアのように男性不信や家の事情などで神殿に入るものも多い。
故に、基本的に最低限の接触以外もたないように配慮されているのだ。
勿論、普通の教徒もいるが。
しかし、神殿は質素倹約で過ごしている。
そのせいか、貴族の出のものには、いささかきつい日常だ。
神殿は基本的に自給自足の生活をしている。
朝日と共に起床し、朝の礼拝をこなし、朝食の前に畑の様子をみる。
朝食を食べ、僧兵ならば訓練をただの信者ならばまた畑にでる。
昼飯も食べ、昼休みをはさみ、それぞれ割り振られた仕事につく。
昼飯だって、肉体労働の者にはかろうじてつくが、編み物とかをやっている女性とかにはほとんど出ない。
十六時には仕事も終わり、晩の準備に入る。
そして夜の礼拝を済ませ、晩飯を食べたら就寝である。
食事も質素なものが多く、数は多くないが、若者たちはたまに夜に抜け出して、露天で食べ物を買うこともあった。
しかし、そんな生活でもアリシアは満足はしていた。
聖騎士になるまで……という注釈がつくのだが。
聖騎士になると、非常に燃費が悪くなる。
とてもお腹がすくのだ。
言い換えれば恐ろしいと称するほどの飢餓感に襲われる。
アリシアは特にそれが顕著で他の聖騎士よりも多く食事が必要だった。
確かに聖騎士になれば、食事が増やされいつも以上の豪勢なものもつく。
しかし、豪勢といっても量が増えたいつもの食事に、魚の燻製か果物が一つつく程度。
クリスが宿泊したときにでたものなどは、本来、来客用の、それも貴族用の食事だった。
一緒に食事をとるということでアリシアのぶんもたまたま用意してくれていたが、本来ならもっと質素な食事である。
実際その日のメニューは麦粥に小さな林檎が一つのはずだった。
特別なことがなければ、年中を通して黒パンか麦粥、野菜のシチューか果物が一つという程度である。
聖騎士になり人より多く食事をとるなかでアリシアはついに悟りの境地に達した。
要するに飽きたのである。
代わり映えのしない神殿の食事。
確かに神殿も代わり映えしないメニューとはいえ、調理当番が四苦八苦し香辛料やら塩の加減をかえたり、出汁を変えたりして、飽きさせない工夫は見える。
質素だが美味しい料理とはいえる。
だが考えてもみよう、美味しい料理とはいえ毎日十人前も食べたらどうなるか、答えは必然だ。
どんな人でも飽きてしまうだろう。
だからアリシアは女性だけの騎士団の話を聞いた際に飛びついたのだ。
神託だとすら思っている。
別段騎士団が豪華で贅沢な生活をしているわけではない。
しかし、騎士団とは命をかける仕事だ。
報酬は多い分類に入るし、貴族の出が多い騎士団などの場合ではむしろ少しの贅沢は嗜みの範疇とみなされる、騎士の落とす金で街も潤うからだ。
故に、逆にケチすぎると面木が悪くなるのだ。
贅沢をしなければいけないということもないが、嗜なんだほうが民の受けもいい。
そういう大義名分を手に入れることができるからアリシアは騎士団に入るのだ。
美味しいものを食べたいという思いだけでアリシアは騎士団に入るのだ。
不純な動機だが、別にいいとアリシアは思っている。
アリシアは今年で二十歳になる、五年も神殿にいることになる。
五年の間に鍛えた杖術は神殿の中でも有数の使い手に数えられるようになり、聖騎士になってからは、聖痕の訓練も人並み以上にこなしてきた。
もちろん、男性に対しての訓練も多少はつんだ、少し喋るくらいなら問題はない。
ただ触れるとなると、思わず殴ってしまいそうにはなるが。
貴族である実家と縁を着るために神殿に入ったアリシアだが、縁が切れれば神殿以外でもよかったとさえ思っている。
故にアリシアは美味しいものを食べるために。
過去のトラウマ程度で足を止めてはいけないのだ。
「よし」と気合を入れて立ち上あがるアシリア。
――クリスには悪いことをしてしまいました……。
少しばかりの罪悪感。
気づけば太陽は真上に近い、お昼ご飯の時間である。
どうするかと悩んでいると遠くで手を振る、銀髪の筋肉男が見える、クリスだ。
「おーい、昼飯の時間だぞー、食べれるかー?」
その言葉を聞いてアリシアは小走りで近寄っていく。
「食べますぅー!」
その言葉を聞いて、クリスは安心したように笑う。
「元気になったようだな? 朝は半べそかいてたからどうかしたのかとは思ったが、大丈夫そうで何よりだ」
その言葉を聞いてアリシアはむぅと呻る。
「今朝はちょっと、色々考え事をしてまして、心配ありません、もう決意しましたから」
「決意?」
その言葉に不思議なそうな顔をするクリス。
「いえ、なんでもありません」
「そうか、じゃああっちに行って親方のところで昼飯にしよう。昼飯は親方に俺たちの分の材料も渡しといたから、たっぷり用意してもらってる」
「朝担いでたのはそれですか?」
クリスが歩き始めるが、歩幅が合わないのでアリシアは若干小走りになった。
「そうだ、弁当だとかさばるしな。現場でどうせ炊き出しするんだ、材料をもっていったほうが合理的だろう。ほら、いい匂いしないか?」
言われてみればと、アリシアは鼻をすんすんと鳴らし匂いをかいだ。
「お酒と……お肉の焼ける匂いだ……」
肉など年単位で肉を食べていないアリシアは目を輝かせる。
「ああ、朝来る前に、業者に山羊一頭と蒲萄酒を樽で買って届けるように頼んだんだ、多分それだろう」
山羊と葡萄酒と聞いてアリシアの腹がぐぅと音を立てる。
クリスはそれを聞いて笑ってしまう。
アリシアの顔は湯だったように真っ赤になった。
「随分とお昼から豪勢ですね」
アリシアは恥ずかしさを隠したいのか、誤魔化そうと無理やり会話を変えた。
「新しく作る騎士団は現王妃様の私兵だからな、その視察という名目でここに来ているんだ。ということは王妃様の代理ってことになる。王妃様の顔に泥を塗るわけにもいかないし、こういうところの親方っていうのは結構頑固な爺が多くてな、色々意見を言うにも、労っておけば後々色々とやりやすい、所謂先行投資ってことだな」
労いで山羊一頭と葡萄酒を樽で買うとか、公爵家の出は伊達ではないらしい。
普通ならば祝や祭りでなければ見れない品々だ。
少なくともアリシアの実家である、スワン男爵家ではポンと出せるものではない。
レイリーの実家、ダグラス家ならそんな事もなかっただろうとアリシアは思う。
けれども、ぶんぶんと首をふり、もう関係ないと自分に言い聞かせた。
色々と驚愕してるアリシアにクリスは何かを勘違いしたのか。
「あれ、もしかして僧兵に肉や酒は厳禁か?」
「いえ、だいじょぶです!確かに一部の人は禁欲してますけど!聖騎士には関係ありませんから!」
すごい勢いでまくし立てるアリシアにクリスは若干引きつつも、二人は親方の所へと向かった。
***
二人が炊き出し現場に着いた頃には、既に全員が準備を終えており各々手には葡萄酒の入った盃をもっている。
どうやら二人が来るのを待っていたようだ。
アリシアが好奇の視線にさらされ、若干戸惑いを見せるものの、先ほどとは違い半べそでもないので、クリスは気にせずに親方のもとへ向かうことにした。
慌ててアリシアもそれに続いた。
「こちらが、聖騎士アリシア・スワン殿です。今回の宿舎等は女性の聖騎士が使うことを基本に考えてもらいたいので、今回視察のついでに意見を伺おうと連れてまいりました」
親方の前に着いたと思ったらいきなり紹介され、慌ててアリシアも名乗る。
「紹介に預かりました、聖騎士のアリシア・スワンです。よろしくお願いします」
軽く騎士の礼をとるアリシア。
一応騎士団員になるという自覚はあるらしい。
「わしは、ジョージ。まぁよろしく頼む」
そういって手を差し出したのは、初老で頭のハゲあがった男性だった。
若干戸惑いながらも、握手をこなし、アリシアは微笑んだ。
――おじいちゃんでよかった。
心底安堵しながらも、若い男性なら握手はできなかっただろうと思う。
クリスがそれじゃあと、盃を手にとった。
「挨拶もすんだところで食事にしよう、午後も作業があるし、酒は程々でお願いしますよ」
わかってますよー、と周りから野次がとぶ。
苦笑しながらも音頭をとるクリス。
アリシアの手にも葡萄酒が入った盃が渡される。
「では、工事の順調を祝しまして」
「「乾杯」」
コンと響く杯のぶつかる音。
軽く葡萄酒をあおると、アリシアはそうそうに料理を品定めする。
テーブルには、山羊の丸焼きや白パン、煮豆や蒸し芋、果物などが並んでいる。
大工たちは談笑しながら、各々、テーブルに並べてある料理を好きにとって食べている。
アリシアはクリスのほうを見たが、既にクリスは親方と何かを話しながら葡萄酒を飲んでいる。
団長室とか聞こえてくるからきっと自分の部屋のことだろう。
後で一般団員の部屋の見取り図を見せてもらおうと心に決めてアリシアは食事しようと、テーブルに近寄った。
――まずはお肉!
アリシアにとって何年ぶりになるかわからないソレを置いてあったナイフとフォークで大きめに切り取り、木の皿に載せる。
焼きたての香り、滴る肉汁、味付けは塩だけというシンプルな焼肉。
けれども貴族だった頃のアリシアでも、こんなに大きな肉を食べたことはなかった。
せいぜい小さく切り分けられたものだ、味付けこそしっかりとされてはいたが。
男爵家程度では、実際に中々ありつけるものではないのだろう。
その証拠にというわけでもないが、現場の男たちも、主に若い連中なんかアリシアが食べだしたのを皮切りに我先にと群がっている。
誰かが食べるまで手を出しにくかったのだろう、少なくともここにいる連中にとってはご馳走に分類されるものだ。
本来ならばクリスか、もしくは親方が最初に食べるべきものであるが、本人たちは話し込んでいるし、クリスの出自ではご馳走と思っていない節もある。
むしろ、葡萄酒の減りが早いことから、クリスにとってはあちらがメインなのだろう、きっと良い物を仕入れたに違いない。
自分のぶんを体よく確保したアリシア。
じっくりと肉を見つめている。
そして、あむっと大きくかぶりついた。
それはアリシアが今まで食べたことのない味だった。
肉汁がほとばしり、アリシアの口内を蹂躙していく。
いい山羊を買ったのだろう。
手のひらよりも分厚いのに容易く噛みちぎれるほど柔らかい肉。
塩だけというシンプルな味付けだからこそ引き出される素材の旨み。
噛めば噛むほど染み渡る旨み。
アリシアが求めてやまない夢の先。
騎士団でなければたどり着けなかったもの。
そんな理想郷がここにあった。
気づけばアリシアは涙を流していた。
理由は本人にしかわからない。
だがとても幸せそうに泣いている。
アリシアはこの時初めて、人は幸せでも泣けるという事実を知った。
一瞬周りを見回し、恥ずかしがるが、思い直す。
――幸せを恥ずかしいと思わない!
そして、泣きながら食べ続けるアリシア。
涙を流しながら、美味しいと言いながら、肉を貪るように食べる姿に、周囲が若干引いていた。
一部の大工は何を思ったのかもらい泣きをしている。
きっともらい泣きした大工の脳内では、お涙頂戴の苦労話が出来上がっているのだろう、しかし、ある意味そのとおりなので否定はできない。
本人は食べることに夢中で周りには気を配る余裕がなさそうだが。
クリスもその様子を伺ってはいるが、素知らぬふりして親方と葡萄酒を飲んでいる。
額に汗が浮いてるのはきっと暑さのせいだけではないだろう。
アリシアを横目でチラチラと確認しながらも、クリスは親方と歓談している。
どうやら、王都近辺の情報を仕入れているようだ。
「そういえば、このあたりは標高が高いというのに随分と暖かいですね」
「お前さん、王都は初めてかい?」
「いえ、初めてというわけではないんですが、普段は仕事で王都に余り居ないもので……」
一応、翼竜騎士団の宿舎は王都近くにあるが、それでも山岳地帯であり、街に行くにはそれなりの時間がかかるのだ。
そのため、クリスなどはあまり街に立ち寄らず、ほぼ宿舎で過ごしていたのである。
むしろ王都よりも、任務で立ち寄った、他の村や街への滞在時間のほうが長いかもしれない程である。
「そうか、そんじゃ知らねえのか。この辺はな、地面から熱がでてるだもんで、周辺一体が暖かいんだ」
「地面から、熱が……」
「おうよ。地熱って言ってな。蒸気がでたりしてる所もあるくらいだ。蒸気を利用したまんじゅうや蒸し野菜が王都の名物だぜ」
「それは、美味しそうですね」
「今日の礼だ。なんなら作りかたを教えるぜ? 騎士団の宿舎にも地熱を利用した装置は設置する予定だからな、今でも真似事くらいはできるんだが」
「それはそれは、是非と言いたいところですが、あいにくと今日は材料がありませんので、残念です。またの機会ということで」
「それもそうだな、わざわざもってくるのも骨だしなぁ」
そう言うと親方は眉間に皺を寄せた。
親方のいうとおり、ここは王都ではあるが市街地からは大分離れた場所にあるのだ。
物を運ぶ手間の相応にかかってしまう。
「しかしこれだけ労ってくれたってえのに土産も持たせてやれないってのはいけねえな」
親方は「俺の面子に関わる」と、言いながら髭を撫でた。
「いえ、おきなさらず、ですがどうしても気になさるというなら一つ聞きたいことが」
「なんだい? 俺に分かることならなんでも聞いてくれや」
そう言って親方は胸を張った。
「変な事を聞きますが」
「変な事?」
「なんといいますか、強い女性をご存知ないですか?」
どうにも漠然とした言い方をしてしまうクリス。
だだそれも、当然だろう。
女性だけの騎士団など前代未聞だ、その人数を集めるために聞いているのだが、そもそも魔法を使えない以上、強い女性というのがありえないのである。
下手をしたら現存する聖騎士である。
「親方の奥さんが最強だ。親方が唯一、頭があがらないからな」
親方が悩むように唸っていると、見かねた周りから野次が飛んだ。
「うるせーよ」
ハハハと周囲は笑いに溢れる。
苦笑してしまうクリス。
それを感じ取ったのか親方が、謝罪した。
「真面目な話なのに若いもんがすまないね」
「いえ、変な事を聞きました。お気になさらずに」
「聞いてもいいかい? どうして強い女を探してるんだ? 強いってことは戦えるってことだろ?」
「えっとそうですね、王妃様のおご命令で。女性だけの騎士団というのを作るんですよ。その人集めも自分がしてまして」
「そういや、あんた王妃様の代理だったっけな」
今思い出したという顔をする親方。
それをみてクリスも苦笑する。
普通は王妃と聞いただけでも腰が引けるものだが、この親方もなかなかの強者かもしれない。
「南の山のほうだったかにな、女だけの集落があるとかなんとか聞いたことがあるな、女だけで生きていけるなら強いんじゃないか?」
親方は思い出すように口にする。
「それなら俺も聞いたことある」
幾人かが親方に同意した。
「有名な話なんですかね?」
クリスは同意した一人に訪ねてみた。
「王都より南の地方の出なら、みんな知ってると思うぜ? 俺も今でこそ王都で大工何かやってるが南の出でな、昔話みたいなもんだったかな。ガキが悪さしたときに南の地方じゃ山姥がやってきて食われちまうぞっていうんだ」
「なあ?」と同意を求める声に、「そうだ」と肯定する声。
山姥と聞いて考え込むクリス。
「山姥ですか? 女性だけの集落が山姥の集落?」
気になるのか矢継ぎ早に質問をするクリス。
「さあな? でも実際南の山のほうじゃ、人さらいが多いらしいからな。今でも生贄を捧げてる集落もあるって話だ」
「俺、山姥がその人さらいを退治したって話聞いたことあるぜ」
同意した若者の一人が言った。
「山姥が人さらいを倒せんのか? 山姥っていうくらいなら女だろ? 魔法もつかえねーのにどうやって、人さらいなんて男ばっかだろ?」
「なんでも空を飛びながら、口から火を吐いたとか」
「山姥、こえぇな、おい」
親方のツッコミが入り、笑いが起こる。
「すまんな、こんな笑い話ばっかで、参考になんてならんだろ?」
「いえいえ、十分です。ありがとうございます」
行ってみる価値はあるかな、とクリスは誰に聞こえないような声で呟いた。
「でもこんなんで礼になるとは思えねえんだよなぁ」
親方はまだ気にしているようだ。
何も情報がないよりは、良いだろう、とクリスは思う。
実際、王妃様からくだされた命令では、推薦者はともかく人選に関してはほぼ一任するという事だった。
「お気になさらずに、十分です」
笑顔で答えるクリス。
「おう、そうだった。風呂に入っていけばいい」
親方は名案だとばかりに声高に言う。
「風呂ですか? こんな山奥に? 水を貯めるのも大変でしょう。遠慮しときますよ」
「いやこれがな、川の水なんだがどうにもあったけえのよ。学者様の話じゃ地熱であったまった水がお湯になって湧き出て、川になってるんじゃねえかって話だぜ」
「へえ」と関心を示すクリス。
「もしや温泉ですか、それは珍しい」
「そうさなあ、普通は貴族かこなれた魔法使いでもなけりゃ、風呂なんてそうそう入れるようなもんじゃねえけどよう。王都にはそういう川とか泉とかが結構あってな、普通の平民でもお湯を利用できるところがあちこちにあるからよう、結構皆入ってるんだぜ。そんで、風呂に入りながらそのお湯で卵を茹でたやつをつまみに酒を飲むのが、またおつでな」
思い出しているのか、親方は手で酒を飲む仕草をしながら熱く語る。
「宿舎にもお湯を引く予定だぜ、兄ちゃん達は飯食ったら帰るんだろ? 宿舎予定地の裏手にちょうどいいところがあるから、どうせなら飯の後で行って見てくるといい。それに、入らなくてもあの嬢ちゃんに顔ぐらいは洗わせていきな」
アリシアのことを言われて、いたたまれない気持ちになる。
アリシアをみれば、まだ肉を頬張っている。
そして山羊をみれば見事に骨だけになっている。
どうやら山羊の半分以上はアリシアの腹に収まったようだ。
――何のための労いなのかわからないな。
「お気遣いありがとうございます」
クリスは丁寧に頭を下げた。
「なに、いいってことよ」
親方は朗らかに笑った。
***
「いい湯だぁ、疲れが溶ける……これで男なら……」
クリスは間延びしたように、しかし後半はそっと呟いた。
現在はエリザベートの、女性の姿である。
「そうですねぇ、これを宿舎に常設するっていうのは最高のアイディアですねぇ」
アリシアもどこか惚けたような声で答える。
二人は肩を並べて温泉に入っていた。
なぜ二人で温泉に入っているのかというと、食事のあとクリスは視察を兼ねてアリシアに顔を洗わせるために、連れてきたのだ。
しかし、そこは神殿生活で娯楽に飢えていたアリシア、是非とも入りたいと言い放ったのだ。
そのへんで待っていると、離れようとしたクリス。
しかし、アリシアが引き止めた。
朝働いたのだから、汗臭いですよ、一緒に入りましょうと言われたのだ。
クリスとて健全な青年男子である。
ちっぱいだからと言って大人のお誘いは無碍にはしない。
少しばかり期待して、次の言葉を聞いてすぐに素面にもどった。
勿論女性の姿で、と。
考えてみれば当然だが。
騎士団を正式に立ち上げてしまえば男の姿をとれる日などほぼないだろう。
だから「今のうちから女性である身体に慣れておくのは必要なことです」と言われてしまえば、クリスには言い返す手立てがなかった。
そのため、一度は断ったものの、其処まで言われたら断る理由もないと一緒に湯に浸かっているのだ。
確かに魔法としてほぼ完全に制御はできる。
できるのだが、クリスが女性の姿でしたことといえばせいぜい、姿を隠したいときに変身するか、それこそ要塞で王妃様の視察の案内をしたようなときや任務や諸事情で女性のほうが便利な時しか、その姿は使っていない。
聖騎士になって十数日、女性の身体に慣れるように神殿に通いアリシアと共に聖痕の扱いを含む訓練をした。
神殿では他に若い者などそう多くなかったのだろう、色々な話をしているうちにだいぶ打ち解けた。
神殿に入った理由を尋ねた時に、男性が苦手ということも聞いている。
それゆえ、無理に男たちの中で手伝わせることもしなかったのである。
それに、戦闘の動きも男性時と遜色ないといっていい動きはできるようになったはずだが。
それでも女性としての気遣いがまだまだと言われている。
それに今日は、無理をして連れてきてしまった手前、断りづらくもあったのだ。
故に二人で温泉に浸かっているのだが。
――こんなに寄る必要はないんじゃないか?
肩が触れ合う距離である。
確かに聖騎士になってから前より性欲は減少したが。
アリシアもいくらなんでもやりすぎじゃないかと思う。
実際アリシアも顔を紅くしている、決して温泉の暖かさだけのせいではないだろう。
クリスにはアリシアが何を考えているのか、理解できなかった。
ついため息が出てしまうクリス。
――俺に小児性愛の気はなかったと思うんだが。
そう思いながらもちらりと横目で確認するアリシアの体。
アリシアの見た目は十五歳でほぼ止まっているらしい。
――成長はするんじゃなかったのか?
そう思うほどに色々と小さかった。
しかし、アリシアも今年で二十である、見た目は兎も角、事実上は小児性愛ではない、むしろ一八のクリスから見たら年上にあたる。
クリスはふと聖痕を調べたときの事を思い出した。
裸に向かれた思い出。
体はエリザベート・エフレディアの物だから別にクリス自信が恥ずかしいと思う必要はないのだが、見られていれば恥ずかしいといえば恥ずかしいのだが。
アリシアは鼻息も荒く興奮した面持ちでクリス隅々まで調べ尽くしたのだ。
下着にまで手をかけて男性用は脱ぎましょう、女性用準備しますからと言われたのはクリスにとっての黒歴史だ。
それに調べるときの過剰なまでに体に触られた記憶がある。
――そういや、こいつ百合けあったな。
そう考えるとクリスの気分は急激に冷めたいく。
男で話せば半べそをかき、女でいれば近寄ってくる。
結局アリシアは男が苦手なのだろう。
男嫌いで女に走るというのも確かに珍しくはないが、もちろん逆も然り。
アリシアを含めて面倒くさそうな仕事である。確定だ。
クリスはふぅと小さくため息をつき、何もかも忘れて真夏の青い空を眺めたのだった。
後日、宿舎が完成したと連絡がきた。