はちわ ゆうえんかい はじまり
改修
広大の湖の中心に、それはあった。
豪華な客船、と例えるのがふさわしいだろう。
綺羅びやかな装飾が施された大きな船である。
ここはエフレディア王国、王宮第三庭園。
通称を雨の森と呼ばれている。
如何なる仕組みか、湖のそこから湧き出る気泡は空気に触れる瞬間水に変わる。
空中に手のひら大の水玉を生成するのだ。
その水玉は決して湖の上から出ることなくふわりふわりと漂い続ける、蒸発するか強い衝撃を与えて弾けるまで存在する、天然の水風船である。
ちょっとやそっと触ったくらいでは弾けず、水玉は最高百メートルの高さまで昇るという。
水玉が漂う姿から付けられた名前が雨の森である。
そんな湖の真ん中に船を浮かべて庭園にしたのがこの第三庭園である。
おかげで気温の高くなる夏でも比較的涼しく過ごすことができる場所だ。
船の上にはいくつもの丸机が並べられており、豪勢な食事が揃えられている。
ドレスやスーツを着込んだものたちがグラスを片手に楽しそうに歓談している。
護衛だろうか、中には騎士服に身を包む武器を背負うものもいる。
船の中央では誂えられた舞台で華美な装飾をした女性たちが華やかに踊っている。
そんな中乗船口の近くでにこやかに笑い続けている紅髪の女性が一人。
此度の夏の遊園会の主催者、フランシス・エフレディアである。
来客一人一人に挨拶をしている。
そのすぐ脇に控える女性が一人、銀の髪に紅い瞳、白い騎士服を着ている、セシリアである、何かおかしなことがあればすぐに動けるようにと常に辺りを警戒している。
女性が騎士服を着ているということで一瞬ぎょっとする人もいるが、王女の護衛だと分かるとすぐに納得したかのように頷き興味を無くす。
「ようこそいらっしゃいました、アルデート・セフィラム伯爵並びにラノケイス婦人…………」
フランシスは何人もの来客に挨拶をしている。
夏の遊園会の来賓は主に国内の政治に関わる主要貴族たちである。
殆どが伯爵家以上の家柄である。
例外として遊園会の支援者になった商人やその時世に大きな手柄を立てたものが呼ばれるが余り多い事ではない。
そして伯爵家以上になると大体私営の騎士団を抱えている、そのため護衛として同行する騎士も多いため、会場を警戒する警備は結構ざるである。
今回の警備にも蛇竜騎士団が駆り出されているが外の警備であるし、ほとんどが下っ端である、むしろ案内役としての仕事のほうが多いくらいだ。
また来賓がフランシスへと近づいていく。
「ようこそ、ジンム・レイダルス伯爵様、御健勝そうでなにより。そちらの方はご子息ですか?」
「王妃様こそ御健勝で何より、こちらは長男のレジールです、挨拶なさい」
青い髪で痩躯の男性が進み出た。
「ご紹介に預かりました。お初にお目にかかります。レジール・レイダルスです、アルザークの街で灰狼騎士団の副団長を勤めております」
優雅に騎士の礼を取るレジール、なかなか様になっている。
「これはご丁寧に…………」
フランシスも会釈を返す。
副団長と聞いてピクリとレジールに視線を向けるセシリア。
魔法を使ったらわからないが、少なくとも魔法なしじゃ強くはない。
そんな事を考える。
視線に気づいたのかセシリアを見つめるレジール、品定めされているとは露ほどにも思っていないだろう。
「こちらの女性は?」
「私の護衛のセシリアですわ、セシリアも挨拶を」
「セシリアと申します、王妃様の筆頭侍女件護衛を承っております」
騎士の礼をするセシリア。
「ほう、なかなか様になっていますな、よくここまで仕込ましたな?」
ジンム伯爵が茶化すように言う。
一瞬だけ目を細めるフランシス。
「おやじ…………失礼だろう? 気分を害したなら父に代わり謝罪を」
レジールが頭を下げる。
「おっと、失礼。気に障ったのなら、申し訳ない」
ジンム伯爵も謝ってはいるが、目は完全に見下している。
この男、男尊女卑の傾向が強いのである。
そのため伯爵位なのだ本来なら候爵になってもおかしくない功績をあげているのにだ……。
セシリアは気にもしなかった、貴族社会は男社会である、案外こういう男は珍しくもない。
もっとも今代の陛下に変わってから、王妃を溺愛していると周知の事実であるため陛下に影響されたのか最近はそういう傾向も表向き減っては来ているのだが。
「別に気にしませんわ。どうぞ遊覧会をお楽しみください」
フランシスは怒りを抑えてそう言った。
***
「あの、狸オヤジが…………」
ここは船内の一番奥にある王族用の控え室である、現在はセシリアとフランシスしかいないだが。
ジンム伯爵との会話の後。
気分が悪くなったっと言って第二王妃に歓迎の挨拶を任せ抜けてきたのだ。
ジンム伯爵との挨拶のせいでフランシスは怒っていた。
「あのくらいの貴族いくらでもいるじゃないですか? 今更何を怒ってるんですか?」
珍しくセシリアがフランシスをたしなめている、いつもと立場が逆である。
あれからいくらかは冷静になったのだが今でも少し切れている。
「怒ってないわよ……」
フランシスは親友が馬鹿にされた事がどうしても許せないでいたのだ。
ただ本人にそれを言うのは気恥ずかしいので誤魔化すしかないのだが。
「それなら、良いのですけど……。それより今は陛下が中央で全体挨拶をなさっていると思いますけど、主催であるフランシス様がいかなくてもよろしいのですか?」
それを聞いて大きくため息をつくフランシス。
「いいわ、今行っても挨拶なんかできる気分じゃないもの。主催なんて形だけだし、第二王妃に任せとくは、社交界は私より第二王妃のが得意だろうしね、年の功って奴よ」
フランシスはさりげなく毒を吐く。
相当機嫌が悪いようだ。
「フランシス様がいいのでしたら良いのですけど」
その時、ドンっと船が揺れた。
そして聞こえる無数の声。
「何か大きな余興でもやってましたっけ? 随分と揺れますね」
「今日の余興はエフレディアの南西にある砂漠の小国ウェスタリアの民族舞踊よ、合図に空砲でも使ってるんじゃないの? わざわざ現地から招き寄せたって言ってたし」
「なるほど、あっちの踊りはアップテンポなものが多いですからねぇ、皆楽しんでるんですかね」
セシリアはうずうずしている。
とても興味をそそられているようだ。
「そうねー、料理も向こうの物が多かったし、水の森で砂漠の舞踊なんてこじゃれてると思うわ、まぁせっかくだし後でご飯くらいは食べに行きましょうか?」
「贅沢な感じがしますね、楽しみです」
侍女の仕事はどうしたと言いたい所だが、いつものことである。
話しているうちにフランシスの怒りも段々と収まり、二人はのんびりと船室で歓談していた。
***
初めに気づいたのは蛇竜騎士団の団長だった。
「おい、どうした? 蛇竜?」
彼の騎竜が言うことを聞かなくなったのだ、それどころか震えて動きもしない。
長年連れ添った蛇竜の突然の豹変に驚く団長。
今までこんな事は無かった、むしろ初めてと言ってもいい。
どうした? と蛇竜の背中をなでてみるが反応はない。
「なんだ? とうとう振られちまったか?」
その様子をみたのだろう、横で騎乗していた副団長は軽口を叩いた。
「ジョーイ、ふざけてる場合じゃない。よくみろお前の蛇竜だって震えてる」
言われて初めて気づいたのか、ジョーイは慌てて自分の蛇竜を確認する。
「どうしたんだ蛇竜? そんなに震えて?」
ジョーイが蛇竜に問いかけると、蛇竜そのまま空を見つめた。
釣られてジョーイも空を見上げると空には小さな黒い影が見える。
「なんだあれ…………」
思わず口から出た言葉、それは驚きだろうか、それとも疑問だろうか。
段々と近づいてくる影。
どんどんと大きくなる。
「でかいぞ…………」
その影は、ものすごい速度で船へと降り立った。
ドスンッと大きな音がして、何かが砕けるような音がする。
降り立った衝撃で船が揺れ、静かだった湖の水面に大きな波がたった。
湖の直径は約五百メートル、船の直径は役百メートルだ。
その影は船の五分の一近くを占めていた。
そして、ゆっくりとその巨体が首をもたげた。
「変異蛇竜……だと馬鹿な、まさか雌か?!」
変異蛇竜、それは蛇竜から時たま産まれる、蛇竜の変異種である。
ほとんど牡しか産まれず、その体は普通の個体よりも一回り小さいが、翼があるのだ、つまり空を飛べる。
しかも一度雌が生まれれば、それは他の個体の二倍の大きさを有し、蛇竜を従える女王となる。
変異蛇竜が咆哮を上げる。
「キュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンン」
耳に不快な怪音が響き渡る。
船の一部が震え、粉砕するのが見える、超音波だ。
蛇竜達はその音に怯えて暴れ始めるものが出始めた。
「ちぃ! 蛇竜じゃ相手にできない! 相性が悪すぎる! |火竜騎士団と翼竜騎士団を呼んで来いっ!」
団長はそばにいた団員の一人に命じ、蛇竜から飛び降りた。
「総員蛇竜から降りろ! 周辺警備に回っていたものは来賓の避難を急げ! 対竜種特別陣形だ! 急げ! 船に乗るぞ!」
声を張り上げる団長。
「どうやっていくんすか? 本来なら泳ぐ蛇竜の背にまたがっていくはずだったでしょう? まさか来賓用の小舟すか?」
ジョーイが、叫ぶように問いただす。
「そんなことしてる暇あるか! 道を作る、先にいけ!」
そう叫ぶと団長は呪文を唱え始める。
可視できるほど濃密な大魔力が団長の両手に集まる。
団長両手の周辺が青白く発光する。
「御神渡り!」
叫びながら湖に向かって手をかざした。
瞬間。
湖の表面が凍りついていく。
そして。
船にまでつながる氷の道ができた。
「流石氷結のヴァイス…………、ありえねーぜ」
ジョーイが驚き、思わず口笛を吹く。
御神渡りは個人で使える魔法としては最大級のものである。
その制御は困難を極め、多大な小魔力を消費する。
それは難なくやり遂げたヴァイスに敬服の念すら抱いてしまう。
そんな大技をやり遂げた、ヴァイスを賞賛するもの、ヴァイスは反応を示さない。
「おい、ヴァイス?」
不思議に思いジョーイはヴァイスを確認する。
「久しぶりに気張りすぎた……加減を間違えたらしい、しばらくは動けない、ジョーイ……指揮は任せた……」
言い切るかいなか、パタンと倒れて気絶するヴァイス。
「まっじでー?」
ジョーイが聞き返すがヴァイスから反応はない。
思わずため息をついた。
そして気を引き締めるためか、両の手でパンと顔を叩いた。
真面目な顔になった。
「今の周辺警備は七と三だな? 七と三班は来賓の避難を! 一、二班は俺についてこい正面からいく! 四、五班は船についたら目標の裏側へ回りこめ! 六、八班は待機、警戒体制のまま周囲に気を配れ! 九、十班、四、五班の補助に回れ!」
一息で言い切る、ジョーイ副団長。
「全班、行動開始!」
***
船上はすでに地獄だった。
変異蛇竜の襲来。
着地点に付近にいた人々は押し潰され、吹き飛ばされた。
風が吹き荒れた、一瞬ではあるが目が開けていられないほどだ。
周囲の人々が何が起きたかを理解するまでの一瞬の静寂。
踏み潰され、吹き飛ばされた死体が目に入る。
変異蛇竜の姿をみた、一人の婦人が甲高い叫び声をあげた。
恐怖は伝播する。
そして狂乱。
我先に逃げ出す人々、次々と小舟に降り立ち逃げていく、中には湖の飛び込むものもいた。
そして、恐怖しろとばかりに変異蛇竜が咆哮をあげた。
「キュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイインンンンン」
人々は耳から出血し倒れていく。
机や船の一部が次々と粉砕される。
結界を張った一部の騎士と、結界の中に運良く紛れたもの、自分で結界を張ったものが生き残った。
船上警備の騎士もいたが、狂乱し逃げ惑う来賓にたいして圧倒的に数が足りていない。
来賓の半分が瞬時に殺されるという非常事態。
冷静に動けた人物もいるが、多くはなかった。
現在、船上警備の騎士は陛下の守りについている。
一部、来賓や来賓の護衛で気概のあるものも陛下の周辺を固めている。
本来、真っ先に逃げ出さなければならない陛下であるが、訳あって船から出られないでいる。
そう、フランシス王妃が船内の一番奥にいるからである。
「陛下に近づけさせるな! 女は逃げろ! 戦えるものは武器を持て! 結界を使えるものはいつでも展開できるように準備しろ!」
先頭で指揮をとっているのは初老の男、ジンム・レイダルス伯爵である、息子レジールが張った結界によって生き残ったのである。
実はジンム伯爵、先の戦争で東の国イスターチアでいくつもの武功をあげた元将軍であった、もっとも捉えた捕虜を皆殺しにしたため、休戦のさいに将軍職を剥奪されたのだが。
変異蛇竜は着地後の咆哮いらいまだ動いてはいない、ただ静かに沈黙を保っている。
それを隙とみたか機会と思ったのか、ジンム伯爵が周りの騎士や護衛に指示を飛ばし陛下の周りを固めたのである。
来賓は上位貴族ばかりである、誰もがジンム伯爵の武功を知っており、意義を挟むものはいない。
変異蛇竜が口を大きくあけ、息を大きく吸い込んでいる、首元には大魔力が可視化できるほどに集まっている。
「まずいっ竜の伊吹が来るぞ! 全員結界を張れ!」
次の瞬間、辺りは閃光に包まれた。
***
その頃船室。
「なんか耳鳴りがします」
「船の底のほうだからね、気圧が違うのよ、紅茶でも飲みなさいよ」
フランシスとセシリアの二人は優雅にお茶を嗜んでいた。
改修




