終幕 先を見据えて
改修
そこは森から突き出るように建っていた。
白木で作られた頑丈な厩、しかし、厩にしては大きさが馬より遥かに大きい。
円柱状の、まるで鳥かごのような形の巨大な厩。
下手をすればその大きさだけで王宮を凌ぐ。
それもそのはずだ、厩の中には馬の姿などない。
代わりに中にいるのは、灰色の鱗をもち、大きな翼を備える、翼竜なのだから。
ここは翼竜騎士団の本拠点である。
厩もあり、広大な土地が必要な翼竜達には快適な住処である。
王都ミナクシェルから南東にいった山岳地帯。
そこには翼竜が厩の中で思い思いに過ごしていた。
そこを歩く男が一人、男の名はガルム・スレイア。
スレイア男爵家の二男である。
入団して一ヶ月にも満たない新人でもある。
茶髪で短髪、見目はまだ若く、筋肉もそれなりについているが細身で、奥様受けを狙ったかのような優男である。
ガルムは今日の王都近辺の偵察をしている同僚、ディランを迎えに行くところだ。
そろそろ太陽も真上に位置する時間だ、午前の仕事が終わりディランそろそろ帰ってくる頃だ。
同期である、ディランとペアを組まされているガルム、新人である頃は基本ペアで動き、翼竜に騎乗するにも、騎手と攻撃手もしくは偵察手に別れるのだ。
竜も人もがお互い慣れた頃に本来ならば独りでの任務を任されるのだが。
騎士は表面上は全て准男爵扱いなのだが、相棒であるディランは本来伯爵家、伯爵家長男であるディランが一人でいいと言ったら、男爵家の二男であるガルムなど逆らう事などできないのである。
ガルムは悩む、ディランは確かに魔法も剣も強いが馬鹿だ。
親がディランを溺愛しているようで、翼竜騎士団に入団が決まるまえから大量の寄付をしていたそうだ。
そのせいでディラン自身も自信家であり、自己愛ぶりが鬱陶しいほどだ。
そのため、振る舞いも傲慢、親の寄付金のために多少の事なら多めに見られている。
俺とは大違いだ、とガルムは思う。
ガルムは実家である男爵家を嫌っている。
しかし、嫌ってはいるが、愛着くらいはある。
なので下手に伯爵家を怒らせて、没落させたりなどとはしたくないのだ。
男爵家の二男など、ほとんど家を次ぐ事はない。
長男に嫡子が生まれるまでは予備として扱われ、嫡子が生まれてしまえば用無しである。
運良く男児の生まれなかった貴族に婿入りできれば御の字である。
ガルムの兄にはすでに嫡子が生まれており、ガルムは自由を手に入れていた。
しかし、喜びも束の間、ほとんど着の身着のまま家を追い出されたガルム。
嫡子が生まれてしまえば、二男など邪魔なだけなのだ、成人していれば尚の事。
一念発起して、翼竜騎士団の入団試験に挑んだのはついこの間。
決して奢っていたわけではないが、ガルムは剣にも魔法にも自信があった。
小さい頃から訓練を受け、領内の仲間内ではいつも首位だった。
そのへんの騎士など相手にならないという自負すらあった。
しかし、それが見事に打ち砕かれた。
試験は団員と模擬戦を行うというものだった。
三合うちあっただけで剣は飛ばされ、驚き魔法を放てば全てが避けられる。
そのまま、懐に潜り込まれ地面に叩きつけられ、ガルムの試験は終わったのだ。
ガルムはそのとき始めて王都最強の騎士団という言葉を重く感じた。
それでもなぜか合格をもらって、入団したのがついこの間、同期のディランとペアを組まされた。
ペアだというのに好き勝手やるディランに苦言を呈したいものの、実家のために強くでれないでいるのだ。
男爵家など伯爵家に睨まれたらひとたまりもない。
本来なら翼竜での偵察はガルムも着いていく必要があるのだが、どういうわけか二人で乗るはずの翼竜はディランの専属という扱いになっているらしい。
ため息を付きながら、翼竜の停泊所へ向かうガルム。
ちょうどその時、南の空に翼竜の騎影が見えた。
帰ってきたかと思って見上げると、翼竜はものすごい速度で迫ってくる。
竜に嫌われているディランで出せる速度ではなかった。
思わず遠見の魔法を発動させるガルム。
何かあったのか? と焦る。
よくみると翼竜は足に何かを抱えている。
なんだ? よくみえない。
近づく翼竜それを注視するガルム。
視認したそれは泡を吹いて気絶しているディランだった……。
えー? 何があったし?
翼竜はさらに近づきガルムの目の前にまでやってきた
翼竜の羽ばたきで辺りに強風が吹き荒れる。
どうやら着地するようで、翼を段々ゆっくりと羽ばたかせながら、翼竜は着地した。
ディランは着地する直前に地面に投げ出されていた。
風がやみ、静かに成ったところで頭上、翼竜の背中から声がかかった。
「おい、お前も新人か? こっちで転がってる下っ端を連れていけ、そんで団長を呼んで来い」
若い女の声だった。
見上げればそこには、銀の髪に紅い瞳の女が居た。
外套の下から覗く服は、翼竜騎士団の制服によくにていて、胸に白百合の紋章をつけていた。
「何をしている、聞いてなかったのか? はやく団長を呼んで来い」
そう言うと女は翼竜から飛び降り、ディランの上に着地した。
えっ! ちょっ?
「ぐえっ」
一鳴きすると、目を覚ましたのか、倒れたまま、辺りを確認するディラン。
すると女はディランからおり、ディランの腹を蹴飛ばした。
「何をするんだ、私を誰だと思っている、ライトリア伯爵家と知っての狼藉か女!」
ディランが倒れているにもかかわらず、大きな声で怒りながらわめきたてる。
「てめぇが伯爵家ならこっちは公爵家だクズ、竜をまともに扱えない似非竜騎士はとっとと消えろ」
公爵家と聞いて、驚き女を注視するディラン。
胸の白百合に視線が言ったのか、途端に青い顔になって震えていく。
「とっととこのクズを連れていけ、それで団長を呼んで来い、俺は厩にいる」
公爵家の女性は、そう吐き捨てると翼竜を引き連れて厩へ向かって行った。
ガルムはディランを支えて、急いで本部にある団長室へと向かった。
****
厩の外では三匹の翼竜が一人の銀髪の女性に群がっていた。
甘えるように囀る三匹、女性は三匹を順番に撫でてやる。
するともっとしてくれというように、女性に体を摺り寄せる翼竜達。
女性は微笑みながら、翼竜達と戯れている。
クリスと技術部が育てた翼竜ポチ、タマ、ゴローである。
クリスがピーと口笛をふくと、ポチが飛び上がり、順にタマとゴローが飛びあ上がる。
クリスの頭上を旋回する三匹。
見て欲しいというかのように、三匹は張り切るように空を飛ぶ。
体をひねり宙返りをするポチ。
錐揉みで垂直落下を繰り返すするタマ。
翼を細かく動かしてホバリングをするゴロー。
クリスがまたピーッ口笛を吹いた。
すると、またもクリスの上で旋回を始める三匹。
今度はピッと短く口笛を吹くと弾けるように山頂へ飛び出す三匹。
山頂を超えれば今度は急旋回して戻ってくる。
それぞれ、着地する三匹。
どうやら競争だったようで、一番初めに着地したタマはすごく嬉しそうだ。
逆にタマとゴローはしょんぼりとしているのか首を傾けている。
タマはクリスに首を押し付けて、嬉しそうに囀っている。
「いいこだ」
クリスも嬉しそうにタマを撫でている。
翼竜達とクリスが戯れているそこに近寄る影が二つ。
ゴローが唸り声をあげ、クリスがそれに気づいた。
「やっと来ましたか、グラン団長。それにわざわざジャック副団長まで来て、暇なんですか?」
クリスが問えば、ジャック副団長は苦笑した。
「俺はコイツの尻拭いに来ただけだよ」
顎でグランを指す、ジャック。
「逆だよねぇ?! 俺がお前の尻拭いだよねぇ?!」
声をあげて、否定するグラン。
「相変わらずですね、それで俺の用事は……」
「すまなかった!」
言いかけた所で、団長が土下座した。
「こいつも頭を下げてるし、許してやってくれないか?」
ジャックが上から目線で許しを請う。
「お前のせいだからね!?お前も頭下げろや?!」
グランがジャックの頭をもって、地面に叩きつけるように、土下座させた。
あっけに取られるクリス。
「なんで土下座なんてしてんですか?」
その言葉に顔をあげる二人。
「へ? お前、新人のディラン達にポチを専属にした事で文句言いに来たんじゃねえの?」
グランが問うとクリスはクリスは顔色を変えた。
「あんなクズにポチを専属……?」
何かをつぶやくように、ぶつぶつ呟くクリス、その顔は怒気を孕んでいる。
「いや、もう専属は解くけど、あいつもまともに乗れなかったことだし」
取り繕うグラン。
「いや、確かにあの下っ端には腹が立ちましたが、俺はもう翼竜騎士団を抜けた身なんで騎士団の運営に口は出しません」
グランは拍子抜けしたのか、ほっと胸を撫で下ろす。
「専属を解いたならちょうどいいな」
クリスは呟く。
その言葉にグランは悪い予感がした。
「ポチ、タマ、ゴロー、うちの騎士団で貰っていきますね、あと俺が技術部で育てた奴を何匹か」
クリスが笑いながら宣言した。
意味がわかったのだろうか、翼竜達は嬉しそうに囀っている。
「お前が育てた奴って言ったら……」
グランは思い出す、クリスに何を育てさせただろうかと。
「走竜、力竜、羽竜あたりか?」
そうですねと頷くクリス。
陸の騎乗竜一種、走竜と力竜。
走竜、は後ろ足が発達し、二足歩行している蜥蜴のような外見だ、後ろ足だけで高速に走り飛び回り、前足は小さなももの鋭い爪は得物を切り裂くには十分だ。
大きさは二メートルから四メートルと小柄だが短期的な速度では、馬を超えるため伝令などの騎兵に使わせるのが一般的だ。
力竜は名前のとおり、力強く自分と同じ大きさの岩を運んだりできるほどの怪力だ、大きさは四メートルから六メートルほどで、荷物を運んだり、頑丈な鎧を纏わせたりして戦場で突撃兵が用いるのによく使われる。
羽竜は、文字通りの空を飛ぶ竜である、劣化翼竜とも呼ばれる小さな竜だ、大きさは一メートル程度で人が乗ることはできない。
前足は翼竜同様に翼に同化しており、文字通りの小さな翼竜に見えないこともない、しかし翼竜と違い嘴がある。
そして、三竜とも竜の伊吹を吐くことはできない。
故に、竜もどきと呼称される事がある。
けれど、知能が高いため、手紙を伝える伝令や集団での戦闘に長けている。
三竜共に現状は王都の四騎士団にしか存在しない。
「とりあえず、ポチ、タマ、ゴローに走竜、は十五匹力竜は十匹、羽竜も十匹でお願いします」
クリスがそう告げる。
口調は丁寧だが、有無を言わせぬ迫力があった。
「ちょうど幻獣を十頭ほど、一角獣ですが、仕入れましてね? 厩も竜を入れても問題ないくらいに広いし、ちょうどいいからもらっていこうかと思いまして」
何がちょうどいいんだ、とグランは絶望的な表情になる。
「一角獣か、女だけの騎士団にはピッタリだな?」
いつのまに立ち上がっていたジャックが会話に混じっている。
「そうでしょう? 結構安く手に入りましてねー、まぁ正直あんまり竜だの幻獣だの必要はないんですが、あれば便利ですんでもらっていきます、費用は王妃様宛でお願いします」
笑いながら告げるクリスに団長は絶望した。
クリスの作る予定の騎士団は王妃様直営である。
そのため他の騎士団と違い王妃様のポケットマネーから捻出されている部分が多い。
しかし実際王妃様宛に請求するのなんて無理な話である、表向きは私兵だが、神託によって結成される騎士団だ。
国のためと言われればそれで御仕舞いである。
「そんなに居なくなったら、うちが立ちいかなくなるんだが……」
若干泣きそうになるグラン。
またも土下座をしつつ数を減らすようにクリスにすがりつく。
「こいつも頭をさげているし、頼むよクリス」
またも上から目線のジャック。
しかし、グランはもう突っ込む気力もないのか、土下座しながらうつむいている。
五十台のハゲオヤジの泣き顔など誰もみたくない。
クリスはそれを見て鬱陶しそうにため息をついた。
潔く交渉に乗ることにした。
「走竜、力竜、羽竜は番で二匹で勘弁しましょう、こっちで増やします、その代わり仲がいいのを貰っていきます。ポチ・タマ・ゴローは譲れませんがこれでどうですか?」
クリスとしては初めからこの数で良かったのだが、貰えるならと吹っかけたのである。
「ああ、それでいい、あと……」
諦めたように呟くグラン。
「何かあるんですか?」
問うクリス。
「公爵家の補助金は打ち切らないでくれると助かる……」
絞り出すようにグランが言う。
「そんな事気にしてるなら初めの数の竜を渡せば維持費も浮いたでしょうに」
呆れた顔をするクリス。
「今騎士団を縮小するわけには行かないんだ……」
急に立ち上がり厳つい顔になるグラン。
「どこかきな臭い所でも?」
クリスが問えば、それにジャックが答えた。
「東のイスターチアがきな臭いことになっていますね」
その目には理性を灯し、遥か遠く夕日が沈む方角を睨んでいる。
「そっちは西だバカ野郎」
グランが突っ込む。
「まぁ俺は国防からは離れますが、健闘を祈ります。補助金は増やすよう頼んでおきましょう」
クリスは最後に付け足した。
するとグランの目の色は輝き、笑い出した。
「助かるぜ、クリス。そうだ一杯引っ掛けていくか?」
急に元気になったグラン。
現金な人だ、とクリスは思う。
クリスは思ったが口には出さず、酒の席には断りをいれる。
「まだやる事が残ってますので、そろそろ日も沈むとはいえ勤務中にそんな事言ってるとそれこそ、補助金減らしますよ?」
ピキっと笑ったままの顔固まるグラン。
すまないと頭をさげた。
面倒くさくなって放置することにしたクリス。
「竜は後日受け取りに来ます、ポチ」
ポチを呼ぶと跨るクリス。
「今日はこれで帰りますね」
それを最後にクリスは飛び去っていった。
***
神妙な面持ちで女性の元へ向かう団長たちの雰囲気がおかしく、こっそりと後をつけていたガルム。
そこで驚きの光景を見る事になった。
口笛一つで竜が言うことを聞いているのだ。
あの女は一体何者なのだろう、とガルムは思う。
あんなことは騎士団でも上位の竜騎士にしかできないはずだが。
ガルムは知らないだろうが、事実クリスは一応は上位の竜騎士である。
ガルムは驚愕に目を見開きながらもっとよくみようと、ギリギリの位置まで近寄って遠見の魔法を発動させた。
団長が女に近づいたと思ったら、なんと土下座をしたではないか。
しかも副団長の頭まで無理やりさげている。
何をしているんだ? と思う反面。
給料がどうとか言ってたな、と思い出す。
そんな事を考えていると団長が女性にすがりついた。
女性は鬱陶しそうな表情をしている。
なるほど読めたぞ。
あの女性はきっと出資者で手を引こうとしているんだ、だけどそれを止めようとして必死に頼んでいるのか。
八割当たっているのが素晴らしいガルム。
話が済んだのか女性は再び翼竜に飛び乗り去っていった。
女性が去ったあとの団長たちがホッとしたような顔をしていた。
どうやら上手いこといったようだ……。
ガルムは団長たちの努力をみて涙ぐむ。
王国最強の騎士と言われたグラン団長だって騎士団のために頭をさげるんだ、俺がディランに頭を下げるくらいなんだっていうんだ、それくらい我慢しないとな、俺はもっと強くなりたい、いや強くなる、強くなって団長たちの力になりたい。
こうして思いを胸に、その日、翼竜騎士団に一人の忠義の騎士が誕生した。
***
「やけに静かだな?」
クリスが翼竜騎士団への用事を済ませ、他諸々の手続きを終えたのはすでに日が沈んだ頃だった。
遅くなったクリスが宿舎について初めに目にした物は廊下にひれ伏す聖騎士だった。
「どうした!?」
姿を見るなり急いで駆け寄るクリス、そのまま状態を確認する。
目をみれば、どこか虚ろで、とろんとしている。
しかし、次の瞬間あることに気づいた。
「うわっ、酒くさっ」
離れるクリス、その聖騎士はそのまま倒れるように泥酔した。
廊下の奥をみれば、似たようなのがいくつも転がっている。
それは、転々と食堂にまでつながっていた。
「これ全部か」
唖然とするクリス。
宿舎の食堂は大きく作られている。
聖騎士が必要とする食事の量は通常の騎士や戦士の三倍から五倍はあるためだ。
そのため食料庫に調理場などは通常の騎士団の数倍の大きさになっているのだが。
食堂自体も通常のものよりは大きく百人から二百人は入れる大きさだ。
この騎士団の場合は最も重要な施設である。
クリスが食堂につくと、中はひどい状況だった。
食堂では酔いつぶれた聖騎士たちが、あちらこちらで爆睡している。
目を凝らせば中央のほうで何かが動いているの見える。
食堂の真ん中にはユカラが一人、灯りもつけずに酒を飲んでいた。
「ユカラ……?」
クリスが恐る恐る声をかけるが反応はなく、ユカラはひたすら酒を飲み続けている。
この前は五杯で泥酔していたが。
どこか見覚えのある小さな壺、それが空になっていくつも転がっていた。
周りの聖騎士達もソレを飲んだようだ。
しかしユカラはどうみても五杯どころではない、聖騎士になって何かの聖痕の効果で耐性があがったのだろう、だがそれを差し引いても飲みすぎに見える。
「……」
死にはすまい、と放置することに決定したクリス。
食堂を見回せば、アリシアの姿が見当たらなかった。
心配にもなったが、どうせ寝ているだろうと思い、団長室へと向かうことにしたクリス。
部屋にはいりと灯りをつけると、執務用の机に大量の書類が積まれていた。
「……」
管理の人が俺宛の書類を置いていったか、と思う反面、こんなにも書類が必要なのかと呆れ返る。
宿舎が完成してから、クリスたちのいない間を管理してるものがいたはずである。
名前は知らないが。
しかし、すごい量である、机からはみ出しそうなほどに。
色々な請求書に、既に土耳長達の住民登録の書類まである。
仕事が早いな、と思いながらも端から手にとって確認していくが、書類の量が量だけにだんだんとうんざりしてくる。
明日でいいや、と思う。
切り上げようとして、ふと一つの手紙がこぼれ落ちた。
目に留まる手紙には見慣れた印。
「これは……誰だ?」
手紙には短くクリスへと書いてあるが蜜蝋の印は、リリィ家のものである。
中を開けると短い一文と署名だけが書かれていた。
こちらはもう少し時間が掛かりますが、期待して待っていなさい。
セシリア・リリィ。
短すぎる一文に激しく不安を覚え、冷や汗をかくクリス。
クリスは聖騎士になってすぐ、王宮にいるセシリアに一通の手紙をしたためた。
内容は単純に、後宮で陛下の妻妾たちに仕えている、侍女の一部を聖騎士にできないかというものだ。
クリスの騎士団が完成すれば、後宮の警備に回されるものも少なくない数が出てくるはずだ。
おそらくだが、下手をするとメインの仕事がそれかもしれないとクリスは睨んでいるが。
事実神託というだけで職務内容は未だクリスにも聞かされていないのだ。
現状後宮は訓練こそ受けているが、魔法を使われたらなすすべもない、女性ばかりである。
男子禁制というのは武力が必要な事態にどうしても歯がゆい結果になる。
未だ後継の居られない陛下の環境を考えると、後宮の整備は急務である。
もっとも、陛下は現王妃様をとても気に入っておられるので、あまり後宮には居られないのだが。
それでも隣国の姫君などが同盟のために嫁入りしてたりもするのだ、子を作らないわけにも行かない。
後宮とは陛下が最も無防備になる場所である、もちろん王妃様の居住地も後宮の中だ。
陛下以外の男性が入れないというのはとても危険なのだ。
もちろん、防備はできるだけされていて、陛下自身も戦えるのだが、事の最中に敵国の暗殺者にでも襲われたら洒落にならないだろう。
現状は防備が破られた事はないが、もしもという事は常に考えておく必要があるものだ。
クリスとしては後宮努めの侍女の一人や二人引き込めればよしと思っていたのだが、これだけ時間がかかるというのは何か大事になっている可能性がある。
姉さまも思い込みが強いからな。
そこまで考えて、気づけばクリスは大分汗をかいている事に気づいた。
皆泥酔してるし、誰もいないだろう、と風呂に入ろうと思うクリス。
しかし、疲れているのか、けだるそうに歩き出した。
***
騎士団の宿舎に隣接された大浴場、温泉を引いており基本的には何時でもはいれるようになっている。
大きさは五十平方メートルほどで、あちこち岩で囲まれた作りになっている。
「親方も随分でかく作ったもんだな……」
一人呟き、湯につかるクリス。
ため息をつき、岩に寄りかかり空を見上げる。
「宿舎の規模から思っていたが、二百人くらいか、まだまだ足りんな……」
王妃様に与えられた宿舎の土地は、王宮の裏にでると渓谷があり、そこを超えたすぐ先である。
本来は王家のものしか立ち入りはできない土地であり、この騎士団への期待が垣間見える。
「随分と面倒な事になったもんだなぁ」
クリスが一人で呟いていると、その声に答える声があった。
「何が面倒なんですか?」
「何がってそりゃ騎士団集めだよ、土耳長を引張てきても目標の四分の一ってところだな」
「まだ四分の一なんですねー、そういえば王都にいる女性聖騎士は十名ほど集まったようですよ?」
「おっ、それは助かるな? 公募は騎士団を結成してから訓練兵ってことで集めるからなぁ、最初は形だけでも戦える連中じゃないと格好がつかないしな、推薦された人も後で確認してみるかな……」
「そうですねぇ、まだ結成まで時間がかかりそうです」
「まったくだなってアリシアいつからそこに?!」
「さっきからずっと居たじゃないですか、何を言ってるんですかクリス?」
「ああ、俺でるよ、済まないな邪魔して」
クリスは急いで立ち上がろうとするも、しかし、アリシアが手を掴む。
「今は女同士だし、構いませんよ、それに先に居たのはクリスですしね」
アリシアは若干顔を赤らめながらもそう答える。
色々な考えが浮かぶが「そうか」と頷きクリスは静かに湯船に浸かる。
アリシアに背中を向けて座りなおす。
「そんなんじゃ、これから大変ですよ?」
いたずらが成功した子供のような表情で笑うアリシア。
「アリシアは男の俺を知っているだろ? だから余計に恥ずかしいんだが……」
少し俯くクリス。
「なるほど……」
知らなければ堂々と入るんですかね? とアリシアは思う。
クリスと背中合わせになるように湯船に座る。
「今回はお疲れ様でしたクリス、騎士団結成一歩前進ってところですね」
ねぎらいを口にする。
「ああ、アリシアもな、おつかれさまだ」
若干ぎこちなくはあるが、返答するクリス。
それから二人は互いをねぎらい、たわいもない話をしていく。
気づけば夜は更け、そらには綺麗な満月が浮かんでいた。
改修




