十二話 買い物後訓練
改修
人々が行きかい、トロッコが縦横無尽に走り回る。
あちらこちらでは怒声と聴き間違えるような大きさの声で喋っているものも多い。
ここはアルザーク第三区画中央広場だ。
朝は昼とはうって変わって食べ物屋台は数を減らし、店としては貧相だが、大きめの布を一枚ひいただけの簡素なものが連なり合う。
採れたての野菜や果物、麦や米、獣の肉から雑貨まで、多種多様の店が出店している。
朝市である。
そんな中、女性が二人歩いている。
クリスとアリシアだ。
「朝市なんて、何買うんですか?」
「いっぱいあるぞ?」
クリスが当然だとばかりにアリシアに説明する。
「来た時と違って帰りは大所帯だ、荷運び用の丈夫な馬に、荷台、食料、簡易住居とか、行きは二人だったから、驢馬で荷物も足りたが、流石に五十人となるとな、全員分馬を買ってもいいが、山暮らしの土耳長が馬に乗れると思うか? 帰りは徒歩確定だ……王都で不思議に思われない服装も必要だな」
「大荷物ですねぇ」
案外買い物が多いなとアリシアは思う。
そしてクリスを見て、ふと気になった。
「そういえば……」
「どうした?」
「鎧つけてるとわかりにくいですけど、クリスはいつもぶかぶかの騎士服をベルトで縛って使ってますよねぇ? それって男の時のものですよね。動きにくくないですか?」
「女性用の騎士服なんてなくてな、王都に帰ったら作らんとな」
気にしたふうもなく、クリスは笑う。
「まぁ元から騎士服ってのはあちこちにベルトやジョイントが設置されててな、割と伸縮自在だし、部隊ごとに色々できるように、着脱式のギミックが結構あるんだ」
「そうなんですか」
アリシアは思案する。
「王都についたら可愛いの作ってもらいましょう!」
アリシアちょっとだけ張り切った。
「……騎士で可愛いのはちょっとな」
顔を引きつらせるクリス。
フリルとかは嫌だなぁ、基本あまり変えられないけど王妃様直属だし、特例とか言い出しそうだ、デザインに関わる機会があったら釘は刺そう。
心に固く誓うクリス。
アリシアは表情を固くして、そんな事を考ええいるクリスを不思議そうに見上げた。
「なんでもない、とっとと買い物を済まそう」
「そうですねぇ。量が量だけに時間かかりそうです」
「どこから行きますか?」
「馬車用の馬から行くぞ」
「最初にそんな大物買うんですか?」
アリシアが不思議そうにする。
普通は小物からで大物は持ち運びを考えて最後というのが買い物ではないだろうか、とアリシアは思う。
もっとも馬なら荷運びに使えるからいいのかもしれないが。
「馬以外は朝市じゃなくても買えるんだ、今日は馬の競りがあると聞いてなわざわざ出向いたというわけさ」
「アルザークで朝市なんて始めてだろ?」
「そういえば」
アリシアは思い出す。
「いつも朝は宿でゆっくりしてから、散策してましたもんね」
クリスの朝は遅い、翼竜騎士団時代の任務はそれなりの激務だった。
昼夜逆転、徹夜仕事、書類仕事、強行偵察、騎獣育成、休める時には休んでおくのがクリスの信条である。
でなければ騎士など務まらない。
国防の最前線は激務である。
「荷馬車も含めると五頭もいれば足りるか? 道程は十日ほどだと思うが」
「そうですねぇ、十分じゃないですか? 食べ物が痛むのが嫌ですし、荷台は幌つけましょうよ」
「幌馬車かぁ……」
と唸るクリス。
「馬に乗れなくても手綱くらいは握れるよな?」
「進むのは平野ばかりだし問題ないんじゃないですか? それに歩きなら手綱引っ張るだけでいいですし、御者はしなくてもいいんじゃないですか?」
「まぁ軍馬じゃないし問題ないか、気性は大人しくて、力が強いのがいいか」
二人が広場の南西出口付近につくとそこには、多くの馬や驢馬が繋がれていた。
そこには人だかりができ、そこだけ別の熱気に包まれている。
時折歓声があがる、どうやらもう競りは始まっているようだ。
「出遅れたかな?」
足早に進もうとするクリス、人ごみの多さからアリシアが足をもつれさせ、転びかける。
「おっと、大丈夫かアリシア」
クリスに支えられるアリシア。
「大丈夫です」
クリスの左手を握るアリシア。
「あっちで待っててもいいぞ?」
「いえ、行きます」
アリシアは頷き歩きだす、手は掴んだままだが。
「そうか、気をつけろよ」
そう言いながら、二人は人ごみの中心へと向かう。
中心には仲買商と思わしき商人達が大声でやり取りをしている。
「さぁ、次の馬はルーラン牧場一の駿馬だよー、銀貨一枚からどうぞ」
鉄二! 鉄三! と次々に男たちが金額を釣り上げる。
結局その馬が落ちたのは銀貨二枚だった。
「馬って案外高いんですねー? 鉄二って鉄貨の事ですよね?」
アリシアが矢継ぎ早に疑問をクリスにぶつける。
「陛下に献上させれるような馬だと金貨になるかもな」
「ひえー」
と声をあげるアリシア。
「鉄二というのは初めの値段にいくら足すかって意味だな」
微笑みながら説明するクリス。
「そんな高いの五頭も大丈夫なんですか?」
アリシアの顔は若干青ざめている。
「高いのは軍馬の話だ、よくしつけられた軍馬ってのは高いものさ」
馬とは本来、臆病で大人しい動物だ。
それを怒号飛び交う戦場でまともに動けるように調教するのだ、当然費用も高くなる。
「荷馬車用の馬もそれなりの値段はするが、どう見積もっても三分の一くらいさ」
クリスが説明すると若干表情が和らぐアリシア。
「それでも軍馬二頭分近くするんじゃ……」
「問題はない」
クリスは金銭感覚がおかしい気がします。
貧乏人の敵め。
アリシアはそんな思いを込めて、ジト目でクリスをみるが、クリスは気づかないのか、競りのほうを見ている。
銀貨一枚あれば、四人家族の親子が一年を食べていける金額だ、それを問題ないと言い切るクリスは大概金銭感覚がおかしいのだろう。
前の競りが終わったのか、会場には次の馬が運ばれている。
あたりがどよめきに包まれる、運ばれた馬には角が生えていた。
若い商人が大きな声で宣伝する。
「本日の最後! コイツは遠く北東の草原に済む馬、幻獣一角獣でさぁ! 魔法も使える上に、気性も荒く、乗りこなせれば最高の軍馬になりやす! 今回は十頭用意しております、まずは一頭目、金貨一枚からどうだ!」
会場が騒めきに包まれる。
「白くて綺麗な馬ですねぇ」
アリシアは一角獣に見惚れたのかぼうっとしている。
「一角獣か、なるほど確かに軍馬にできれば、まさに一騎当千といったところか? 翼竜には劣るが地上をかける騎獣では最高峰だな……できればな……」
最後は小さく呟いた。
誰も名乗りをあげるものはいない。
「さぁ金貨一枚! いないか?!」
進行役の声が虚しく響く。
誰かが声をあげた。
「野郎しかいねえのに売れるわけねーだろ」
それを聞いて周りから、声が増える。
「一角獣が女しか乗せないなんて常識だろうが、てめえふざけてんのか? そんなのは王都のお姫様のとこで売れや」
そうだそうだとあちらこちらから声があがる。
それを皮切りに他の仲買商らしき人々はほとんどが引き上げていく。
残っているのは格安で買い叩こうとしている商人だけだろう。
「半金貨でも……」
若い商人の声がしぼんでいく。
若い商人の目が女性……クリス立ちを捉える。
ここにはクリス達しか女性はいない。
しかし、男尊女卑の世界、女性が大金を持っている確率は低い。
諦めたように、しかし納得できないように商人は声をあげている。
よくよくみれば顔の血の気は引き、今にも倒れそうなほど白くなっている。
見た感じ、年は若い、駆け出しの商人と行った所である。
大方一角獣の性質を知らなかったのか、それとも卸売に騙されたか、今にも泣きだしそうになっていが。
一角獣は男を嫌い女性を好む。
背に跨がれるのは女性だけ、仮に男が乗ろうとすると暴れた末に角で刺殺されてしまうだろう。
確かに王都の貴族令嬢など、高貴な女性の馬車には一角獣が使われている事がある、一角獣は不思議な事に女性を守る性質を持つ。
例えそれが、どんな女性でも。
もっとも馬車にした場合は御者も女性でなければいけないが。
もし男が御者をやろうものなら言うことなど聞かずに蹴り飛ばすだろう。
しかし、仮にも幻獣と呼ばれる生き物だ、強力な、それこそ、その辺の騎士程度軽く凌駕するような風の魔法を使える。
盗賊や野党崩れでは相手にもならない。
しかしそのぶん捕まえて調教するのも大変だし、値段も張る。
若い商人が段々と静かになっていくのを見てアリシアが首をかしげた。
「何かあったんですかねぇ?」
「若い商人が大物を扱おうとして失敗したってところだろうな? 商人に必要なのは、情報、人脈、そして運だ」
クリスとて本来は豪商の出生だ、若くして叩きこまれたそれはその辺の駆け出し商人など比較にならない。
「これは情報の扱いを失敗した結果だろう、女性しか乗れないってのは需要がないんだ、それに普通の馬より圧倒的に餌を食うからな、下手をすれば通常の馬より値が下がるな、あの商人は大赤字だ」
クリスは予測を交えて説明する。
「あの人はどうなるんですかねぇ?」
「さぁな? 原価で捌ければ御の字だろ、売れなければ赤字しだいじゃ路頭に迷うか、一角獣を仕入れるのに借金でもしてたら下手すれば奴隷落ちだろうよ」
奴隷という言葉をアリシアが反芻する。
何を考えているのか静かに一角獣をみる。
一角獣を見たあと、上目遣いでクリスを見つめるアリシア。
「あの一角獣買いませんか?」
クリスは少しばかり思案する。
「一匹くらいなら別にいいが……」
アリシアは首を横に振り否定する。
「十頭全部です、私達の騎士団なら使いこなせると思うし、あの商人も助けられるし……一石二鳥じゃないですか」
最高の案だとばかりにアリシアはクリスを見た。
クリスは唸る。
目を瞑って熟考する、何かを計算しているのか数字をぼそぼそと呟く。
するとクリスの額に十字の光が宿る。
「英知の聖痕……? この前調べた時にはなかったのに……」
聖痕は状況に応じて新しい物が発現する事もある。
だが、そんな事は滅多にない。
殆どの聖騎士は初めに発現する聖痕を使っていくのだ。
大きさこそ変化するが、種類が基本的にほとんど増えるものではない。
後付の才能、それとも努力の結晶か。
クリスは計算が終わったのか目を開いた。
「経費で落とそう……」
結論をだしたようである。
経費、実は騎士団を作るにあたって王妃様より預かっている金額はとても多い。
翼竜を有する、千人規模の翼竜騎士団の予算と大差ないのだ。
初めみたときはクリスも驚いたものだが、今思えば聖騎士の食事を考えれば仕方もないのかもしれない。
八割が食費の予定である。
クリスは若い商人に声をかける。
「おい」
すでにおろおろと泣き崩れていた若い商人は「なんでしょうか?」と小さく声をだした。
「金貨五枚だ、一匹半金貨でいいんだろ? 十頭もらっていくぞ」
懐から金貨を五枚取り出し、若い商人の手に握らせる。
若い商人は初めは理解できないのか、キョトンとしていたが、時間が経ち理解したのか途端に目を輝かせた。
「ありがとうございます、ありがとうございます!」
涙もろくに拭かず、ひたすら頭をさげる若い商人。
クリスは面倒くさそうに手で制した。
「礼を言うくらいならそこにある鐙でもつけてくれ」
クリスが指差した所には、鐙が置いてある。
先ほどとはうってかわって元気になった商人。
「もちろんです!」
鐙を一つもってきた。
「鐙はサービスにします、ありがとうございます!」
またしても頭をさげる商人。
何度も必要以上に頭を下げられクリスは段々と気恥ずかしくなってきた。
「今日中にレイダルス伯爵家に届けといてくれ。受取人はクリスで頼む」
「クリス様ですね! お届けは伯爵家で! え?」
伯爵家の名前を聞いたせいか固まる若い商人。
「失礼ですが……、伯爵家の方ですか?」
絞り出すように問いかける若い商人。
「いや、訳あって逗留しているに過ぎない明日には去る。お前の名は?」
「エムラスと申します旅の行商人でございます」
「そうかエムラス、後で伯爵に私宛に馬が届くと伝えておこう」
「はい、畏まりましたクリスお嬢様!」
クリスは一瞬眉根を寄せるが、すぐに素面に戻し、踵を返す。
「いくぞアリシア」
「良い事したあとは気分がいいでしょう?」
アリシアは微笑んだ。
「……そうだな」
二人は残りの買い物をするために、市場を巡っていく。
布屋で幌を買い込み。
雑貨屋で保存食を買い込み。
大工に荷馬車の手配を頼み。
全ての手配を終える頃には、昼近くになっていた。
***
買い物も終わり。
二人は酒場で昼食を摂っていた。
「買い物だけでも結構時間かかりましたねぇ」
アリシアはぐでーと机に前のめりになっている。
時折注文した角切りステーキをフォークで刺してかじっている。
「行儀が悪いぞ」
クリスが窘め。
「ハーイ」
アリシアは間延びした声をあげて、姿勢をただした。
「まったく……。思ったより時間が掛かったのは確かだな、まぁそのおかげで十二分に物資は調達できた、問題はないだろう」
声量を落とし、クリスは話を変える。
「気づいたか?」
唐突に問われて、アリシアにはなんのことだかわからなかった。
数秒考え、ポンと手をうつ。
「クリスがユカラさんのおっぱいを視姦してたことですか?」
「あの胸はいい胸だ……って違う!」
一人でノリツッコミをするクリス。
そんなクリスを冷ややかな目で見つめるアリシア。
「では見てなかったと? 川で土耳長達が水浴びしてたときもチラチラと見てたじゃないですか!」
アリシアは先日の事を問い詰めるように行き成り声を荒げた。
「見てたことは認めよう仕方のないことだ、じゃなくて……」
開き直ったクリスにアリシアのの怒りが向く。
実は、アリシアは時折試すようにクリスに色仕掛けをしているのだ。
本来は女性として、同じ女性と接する場合に変に意識しないようになれさせようとするための行動だった。
けれども、クリスはそのどれにも反応しない。
実際は反応しているが、表面に出にくいだけであるのだが。
しかし、反応しないならしないで、いい事なのだが、アリシアとしては逆に意地にもなる。
自分に魅力がないと言われているようなものだからだ。
けれども、ユカラや他の土耳長達が川で水浴びをしていた時は、そちらのほうはチラチラと確認していた。
その違いはなんだと、アリシアは憤る。
土耳長と合流してから、クリスはよくユカラの大きな胸を見ている。
本人は隠しているようだが、アリシアでさえ、気になるその胸に男であるクリスが反応しないわけがない。
胸か、胸なのか、胸が大きければいいのか!
アリシアは必死にそう叫びたく成るのをこらえた。
そして、自分の小さな胸をみて、うなだれた。
クリスは不思議に思うが、いくらか落ち着いた所で声をかけた。
「いいか?」
クリスは仕切りなおした。
「馬を買ったあたりから尾けられている。盗賊かチンピラか知らんが金貨で買い物なんぞしたからだと思うんだが……どうする?」
「そんな事ですか?」
アリシアはおざなりに言う。
「何人ですか?」
「一人だ、まぁほっといても伯爵家に帰れば手出しもできないとは思うが」
ここまで行動を起こすなら何度か機会はあったはずだが何もなかった。
クリス達を女と侮っているなら、いつ仕掛けてきてもおかしくはなかった。
一般的に武装した女性五人と普通の男一人が釣り合うくらいが、男女の力の差ということになっている、もちろん魔法込みでだが。
そんな状況で女性二人でぬけぬけと裏路地を歩いてみたりもしたのだが、一向に反応はなく、一定の距離を保ち続けている追跡者。
「場所はわかるんですか?」
「三つ後ろの席、白い背広に白い帽子を被った男だ……」
それを聞くとアリシアは席を立った。
怒気を孕ませ、つかつかと男のほうへ歩いていく。
クリスが止めるまもなく、男の前に立った。
「何か御用ですか?」
言葉は丁寧だがものすごく怒気を孕んでいる声を投げかける。
声をかけられた男は懐に手をいれた。
クリスが焦る。
短刀か?やばいっ!
クリスがアリシアを守ろうと駆け寄る。
男が懐から何かを取り出す。
それは一輪の白い花だった。
走る勢いのまま崩れ落ちるクリス。
なんで花よ!つうか懐にいれるな!
その花を掲げ男はアリシアに告げた。
「惚れました、私の妻になってください」
プロポーズである。
行き成りである、わけがわからない。
それともアルザークではこれが流儀なのだろうか、とクリスは思う。
「嫌です」
躊躇もなく、アリシアは即断。
「そうですか、ではよしなに」
そして男も、それが当然のように去っていく。
アリシアは席にもどり、鼻息も荒く肉をかじる。
クリスだけ置いてきぼりである。
「え?何?」
疑問符だらけのクリス。
そんなクリスに声が掛かった。
「姉ちゃんしらねーのか? あいつはフレンディーって言ってこの辺じゃ有名な野郎でよく一目惚れして告白するんだが、まぁ今のところ一回も成功した試しがないナンパ野郎なんだ」
酒場の給仕らしき少年が告げる。
「姉ちゃん、気を付けなよー」
崩れ落ちているクリスに手を差し出した。
呆然としながら手を借り立ち上がるクリス、席に戻る。
「知ってたのか?」
「私だって街にいた時ただご飯だけ食べてたわけじゃないんですよ? 噂の一つや二つ仕入れてます」
胸を張るアリシア。
とてもどうでもいい噂だが。
「そうか……」
クリスは何だか色々とどうでも良くなってきた。
世の中には変な奴がいるもんだな。
一目惚れで追跡して告白するのもどうかと思うが、それを一言で切って捨てる、さらに切り捨てられた方はあっさりと去る。
クリスにはよくわからなかった、クリス・リリィ、一八歳、色恋に悩む年頃である。
プロポーズされた本人であるアリシアといえば、何事もなかったのかのように違う話を切り出した。
実際アリシアの中では何もなかったのだろう。
「ユカラさん達は今日はダライさんと一緒なんですよね? 他の方たちは?」
他の方というのはダライの娘以外の土耳長だろう。
「観光……というわけにも行かないから、伯爵家の手伝いとか騎士団宿舎の掃除とか手伝いだ、時間が余ったら訓練でもしてるんじゃないか? 脳筋だし」
「案外やることあるんですねぇ」
言いながらアリシアはステーキを食べていた。
気づけば皿は綺麗になっていた。
「ごちそうさまです」
食事を終えた後、何をするかとクリスは思案する。
「買い物は終わったし、もう今日はやることはないがどうする? 伯爵の家に戻るか?」
「そうですねぇ、今日は早起きしたし、お昼寝がしたいし戻りましょうか」
クリスはアリシアの答えに苦笑しつつ、肯定する。
二人は店を後にして、伯爵家へと向かった。
道すがら買い食いをするのアリシアにとっては当然のことになりつつある。
伯爵家に着くまでにアリシアの腹の中には林檎三つと串焼き五本が放り込まれた。
***
屋敷につけばアリシアはいそいそと中へ入っていった、大方部屋で昼寝をするのだろう。
庭では土耳長達が訓練をしていた。
怒声と間違うような声が聞こえる。
クリスが近づけばダライやユカラの姿も確認できた。
どうやらダライが指南してるようだ。
ユカラがクリスに気づいたのか、姿を見つけ手を振りながら近寄ってくる。
「買い物は終わったのか?」
「一通りはな、明日の朝にはここを出るが、別れは済んだか?」
クリスが問えばユカラは頷いた。
「うむ、もともと偶然の賜物だからな、我らに未練はない」
真摯な瞳でクリスを見つめるユカラ。
「そうか、出会ってすぐ別れるといのも悪いが……」
言葉を一度止め、ユカラを見つめるクリス。
「私はお前に決闘でやぶれた、故に従うと決めたのだ、これは部族の掟でもあるし、私の意思でもある、おぬしが気にすることではないよ」
それにな……と続けるユカラ。
「正直、外に出てみたいと思っていた若いものは少なくはない、あの村で産まれたものは外を知らぬからな、もちろん私もだ」
「飽きるほど見せてやるよ」
クリスは笑った。
「期待している」
ユカラも微笑んだ。
「それはそうとおぬしも訓練に混ざらんか?」
クリスが来たことで訓練は一度止まり、皆がクリスに注目していた。
「団長が弱くて話になるまい?」
ユカラはニヤリと笑を浮かべる。
「お前、この前ボコボコにしてやったじゃねーか」
クリスは呆れた眼差しでユカラをみる。
「あの場に居たものはここに半数もおらん、それに今日戦うのは私ではない」
そう言うとユカラはダライを指さした。
「俺だ、クリスには悪いが、娘たちを任せるんだ、俺より弱かったら話にならないだろ?」
ダライが前に一歩進み出た。
子を思う親とはいつの時代どんな場所でも強いものだ。
元にダライには今、クリスが初めて見かけたときよりも遥かに覇気が満ちている。
右手には両手大剣を軽々と掲げている。
細剣じゃ打ち合いにならんな。
一応訓練ではある、他のものに見せるというならある程度撃ちあった方がいいだろう、とクリスは思う。
「誰か俺の泊まってる部屋にある両手剣を持ってきてくれ」
「任せて」
小さな影が飛び出し駆けていった、シトリだ。
「私とやったときとは違い、やる気があるじゃないか?」
不思議そうにクリスをみるユカラ。
「女を殴るのは趣味じゃないんだ……」
「おいっ」
さんざん殴っておいてのその台詞である。
文句の一つも言いたく成るものだ。
若干の怒気を孕んでユカラはクリスを睨む。
「手加減はしていた、まぁアリシアに治してもらっただろ?」
「あれで手加減していたのか? 立ち上がるのも辛かったんだが……それに確かに治してもらったが。ものすごく痛かったぞ……」
ユカラはその時の本音をわずかに吐露する。
痛みを思い出したのか物凄く嫌そうな顔をしている。
殴ったという言葉にダライが反応したのか若干目尻がつり上がっている。
機会を見図ったようにシトリの声がかかる。
「もってきたよー」
シトリが両手で抱えるように、クリスの両手剣を運んできた。
それを受け取るとシャランと鞘から刀身を抜き放つ、今度は鞘をシトリに渡す。
刀身からは鈍い光が反射してる。
銘は無いが、守りと衝撃の加護が彫り込まれている名剣である。
アリシアが迷子になったときに買った剣でもある。
「そいつはなかなか良い剣だな」
流石土人、見ただけでもわかるものらしい。
ダライは関心したように、頷いている。
「だが剣の善し悪しだけで強さは測れないぞ」
その言葉が合図なのか、ダライの殺気が辺りに充満した。
半数以上の土耳長がダライの殺気に飲まれ一歩さがる。
「そう焦るな、ちょっと思いっきりいくか、離れてろよ」
そういうとクリスは庭の中心に歩いていく。
ダライも後を追った。
「開始の合図は私がしよう」
ユカラが名乗りをあげる。
両者は庭の中心で互いに構えをとった、クリスは正眼にダライは大上段だ。
「開始!」
合図とともに両者が踏み込む。
ダライはむんっと唸りそのまま大きく両手大剣を振り下ろした。
クリスは迎え撃つように、両手剣を切り上げた。
ガキンッと金属同士がぶつかる音が聞こえる。
凄まじい衝撃がクリスを襲う。
クリスの足元が若干凹むほどに。
「親子揃って馬鹿力かっ!」
皮肉るクリス。
ダライの剣が予想以上に重い。
「馬鹿力で悪かったな!」
ダライはそのまま両手大剣に体重をかけて、クリスを押しつぶそうとする。
クリスは眉を顰めた。
「どうした? その程度か?」
クリスを煽るダライ。
「なに、これからだ」
いいながら一瞬だけ剣の力を抜きダライの態勢を崩すクリス。
両手大剣の刃の表面を両手剣の刃が走る。
左側に抜けるクリス、そのまま上段に斬りかかる。
ダライがそれに合わせてバックステップを踏みながら両手大剣を振り払い迎撃する。
ガキンと再び大きな音が響きたる。
衝撃を流しながら飛び下がるクリス。
くしくもはじめと同じ立ち位置になる二人。
「なるほど、これはユカラでは相手にもならないというのは仕方がない」
そいうとダライは呪文を唱え始める。
「身体強化か?」
「悪いが本気で行かせてもらう」
ダライの体が薄らと光を帯びる。
それを見てクリスの唇がニィとつり上がった。
「死ななければ、アリシアが治してくれる、俺も全力でいこう」
クリスの体のあちらこちらに十字の光が灯る。
「聖痕か……、大戦を思い出す……」
ダライは昔を思い出したのか、わずかに寂しそうな顔をした。
しかし僅かに目を見開き、クリスを正面に捉える。
瞬間、ダライが袈裟懸けに切り込んだ。
受け止めるクリス、つばぜり合いになった。
キンキンと金属の擦れる音が辺りに響く。
「その程度か? ハゲの土人?」
クリスが嘲るように、力を込めていく。
段々と押されていくダライ。
「力で俺を超えるか……」
そう呟くと何を唱えはじめるダライ。
「無駄だ、聖騎士に魔法は効かない」
クリスが嘲る。
「無駄かどうかは試してみてからだ!」
ダライが声をあげると同時に、両手大剣に炎が纏った。
土人の鍛冶技術は全種族一だ。
それはなぜか?
答えは単純に、炎を扱うのに長けているからだ。
鍛冶を行うには炎の扱いが必要不可欠だ。
金属を溶かすほどの炎を操る。
故に土人の炎魔法は全種族で最も高温と言われてる。
辺りに熱風が巻き起こる。
余波だけでユカラの髪先がチリチリと焦げるほどだ。
思わず手で顔を覆うユカラ。
クリスの剣が赤く熱くなっていく。
顔をしかめ、一旦距離を取るクリス。
「武器破壊か、やりづらいな……」
守りの加護がなければ剣が危なかった。
事実、剣は熱せられ、赤みを帯びていた。
ダライは離れたクリスに剣を向け、そのままの勢いで剣は空を切る。
すると炎が剣から離れ蛇のようにクリスを包みこんだ。
「鉄をも溶かす高温だ、傷くらい負ったか?」
「やりすぎだ父上、訓練ではなかったのか!?」
ユカラが急いで火を消そうと近寄るがそれを制すダライ。
「この程度で死んでいれば俺たちはあの高原に住んでなどいなかった……」
ポンっと弾けるような音が聞こえ、炎が消えた。
その中から姿を表したのクリスの体は淡い光に包まれている。
服には少し焦げたあとがあるが、クリス自身にはやけど一つない。
守りの聖痕である。
クリスの体に染み込むように光が消えていく。
「炎剣かぁ、いい腕してんな」
クリスがダライを賞賛する。
掛け値なしだ。
「化物め」
忌々しそうにクリスを睨むダライ。
するとクリスは嘲るように笑った。
「無駄だといっただろう?」
次の瞬間、クリスはそこに居なかった。
それに気づきダライが再び構えをとるより早く、踏み込んだ瞬間にダライの剣は吹き飛ばされた。
剣は大き弧を描きながらくるくると回り、屋敷のテラスに突き刺さった。
「俺の勝ちでいいか?」
両手剣をダライの喉元につきつけ、クリスは告げた。
「そこまでだ!」
ユカラの声が響く。
鞘をシトリから受け取り、鞘に剣をしまうクリス。
試合が終わると、ワッとダライのもとへ駆け寄る土耳長達。
ダライの娘たちだろう、その顔には心配がありありと浮かんでいる。
「まったく、頼まれて戦っているというのに毎回俺が悪者か?」
クリスが独りごちる。
そしてため息をついた。
「そういうな、おぬしの戦いかたというか態度がな? 試合運びのための挑発だというのはわかるんだが、どうにも癪に触る……」
難しい顔をして告げるユカラ。
「癪に触るのは当たり前だろう、この程度の挑発ぐらいで怒りが登ってたら王都の警備なんてできねーぞ、王都の裏路地は口の悪さは世界一だと思うぜ」
変なことを自慢げに語るクリス。
というか裏路地で何をしているのか。
「そいうことではなくてな、おぬしの嘲るようなというか見下すような笑いというか? あれが非常に腹立たしい……」
クリスはため息をつく。
「耐性くらいつけておけ」
そう言い残して屋敷に入っていった。
「クリスは強いな……、全力でいこうとか言っておきながら手加減されていた」
気づけばダライがユカラの隣に立っていた。
「そうなのですか? 私にはわかりませんが……」
それに答えるユカラ、ダライ相手だと殊勝である。
「俺は全盛期に聖騎士達と戦い逃げ延びた、逃げ延びることができたんだ」
思い返すように言葉を紡ぐダライ。
「過去俺が戦った、聖騎士達よりは少なくとも強い。戦場で会ったなら容赦などなく一撃で殺しに来るだろう、クリスの本質は暗殺者に近い、騎士などではない」
断言するダライ。
「そんなまさか」
ユカラは驚き眼を見開いた。
「在り方の問題だ、戦い方というわけではない、本物の暗殺者ならば攻撃を受けることすらしないだろうからな、だが……」
言葉を溜めるダライ。
「聖痕抜きにしても、強すぎるなクリスは……、十八の小娘がどんな修羅場を踏んできやがった」
吐き出すダライ。
しかしと続ける。
「あの飄々としてぶっきらぼうなところがどことなく妻に似ているなぁ」
クリスが去ったあとを見つめるダライ、頬が少し赤くなっている。
首をふり益体もない考えを振り払うダライ。
「それじゃあな」
ダライも庭を去った。
真剣な空気だったのがダライの発言により一瞬で霧散した。
そんな父を見て、ユカラはなんだか胸がもやもやしている。
クリスが強い事など知っていた、自身で戦って実感している。
クリスがどことなく母上に似ているのも知っていた。
酒の席でクリスをそう呼んでしまった事も後から聞いた。
しかし、いい年した父が母以外の女性に頬を染める様子はなんとも言い難いものがあった……仮に母に似ていてもだ。
「何をだらけている!訓練は終わっていないぞ!」
その日残りの時間をユカラは何かを振り払うかのように訓練を続けたのである。
改修




