三十二話 奇襲
男がその女と出会ったのは、たまたまだった。
男は騎士だった。
男は職務でたまたま地下室に篭っていた。
女は穴を掘っていて、たまたまその地下室に繋がった。
男は女を捕まえて、場合によっては殺さなければいけない立場だった。
しかし、男はそうしなかった。
なぜなら女は美しく、男は一目みて恋に墜ちたのである。
もちろん、女は逃げようとした。
だが、男は女を逃したくないと思った。
故に男は女に話しかけた。
話を聞けば、女は穴を掘って生活をしているのだという。
なぜ? と問えば女は男の種族から迫害を受けている種族だった。
見逃して欲しいと女は言った。
男は見逃す代わりに女とこれからも話をしたいと願った。
女は不思議そうに承諾した。
男は会う度、女の機嫌を取った。
ある時は贈り物。
ある時は食べ物。
ある時は求める情報。
明け透けな好意、だがそんな好意を向けられた女は男を悪く思えなくなっていた。
それからいくばくかの時が経つ。
気がつけば、男と女は一緒になった。
だからこそ、それは必然だった。
女は男の子供を孕んだのだ。
***
ペレイエ要塞、南方。
本来ならばペレイエ要塞に輸送されるはずだった物資を使い、そこには陣地が設営された。
ほぼ同時に後方部隊も合流。
体制の立て直しを図っている時だった。
「ふざけるなああああああああ!」
怒声が響いた。
何事かと人が集まる中、叫んだ本人は途端に静かになった。
目に涙を浮かべ、放心したのかのように固まっている。
「御老……?」
いち早く駆けつけたグランは、叫んだ本人であるフェリマヌ子爵にへと恐る恐る声をかけた。
「貴様ぁああああああ!」
フェリマヌ子爵は再び激昂し、グランへと殴り掛かかるが、他の団員に止められる。
「フェリマヌ子爵。落ち着いてください!」
「団長に殴り掛かるなんて!?」
その老体にどれ程の力があるのか、グランへと歩みをすすめるフェリマヌ子爵を取り押さえようとした若い団員達が引きずられる程である。
「離せ、離さんか! 小童ども!」
子爵の発する怒号の一喝。
鼓膜を震わすような声量に若い団員達は怯んでしまう。
その隙にフェリマヌ子爵は彼等を投げ飛ばす。
「うわあっ」
天幕へとぶつかる団員たち。
しかし、そんな団員に見向きもせずに子爵はグランを睨みつける。
まるで、親の敵を見つけたような形相だ。
「御老、どうした? 何があった?」
「何をっだと! 貴様、貴様ああああああぁぁ!」
グランの問いかけに子爵は再び怒声をあげた。
その顔は鬼人が如く、血管は浮き出て、眼が血走る。
「貴様がっ! 貴様がっ! 貴様があああああああ!」
再び、グランに殴りかかろうとする子爵をみて、グランは構えるが、ふと異変に気づく。
変わっているのだ。
子爵の表情が。
先程までは憤怒がありありと解る表情だが、今は何かを耐えるような、苦悶の表情に変わっていた。
「御老?」
グランが声をかけるが、しかし、それに返答はない。
周りが戦々恐々と子爵を伺うなか、グランがそっと近づいた。
「……御老?」
再び声をかかえるも、子爵は動かない。
そして、気づけばゆっくりと前のめりに倒れていく。
「御老……どうした?!」
グランが受け止め、様子を見るが、子爵は僅かに呻くだけ。
「治療師を呼べ!」
天幕にグランの声が響き、すぐさま専属の治療師が駆けつけた。
騎士服の上に白衣をまとった壮年の治療師だ。
けれども、壮年の治療師は子爵を見てすぐに胸の前で十字を切った。
それはもう子爵に手の施しようが無いという意味だった。
ペレイエ要塞司令官、フェヌマリ・ブランツ子爵。
享年六十七歳。
死因、憤慨による急性の心停止。
奇しくも、子爵は戦争の最初の死亡者となった。
一足先に、子爵は逝ったのだ。
ペレイエ要塞の秘密をその内に秘めたまま。
***
一方その頃、ジスタンとクリスはドラゲキア山脈が山林の入り口付近にまで足を進めていた。
「人影が見えたのはこの辺りか?」
「ああ」
ジスタンとクリスは警戒しながら、山林の入り口付近へと歩いてきていた。
「翼竜の厩のほうは誰も居ないようだ、哨戒が飛んでいない」
クリスが空を見上げ、確認する。
翼竜の習性……少なくともここの翼竜は厩に何か寄れば哨戒で若い翼竜が空を旋回するように飛ぶのである。
「ならば、森の中か?」
ジスタンの問いかけにクリスも頷いた。
厩の周辺ならともかく、森の中ともなると生い茂る木々のせいで翼竜の哨戒も意味をなさない。
ドラゲキア山脈の麓から中腹のちょうど中間地点に翼竜騎士団の駐屯地はある。
騎士団の駐屯地付近はそれなりに開けた場所に存在するので、駐屯地内部では理解できないのだが、その山林の木々は大きくそびえ立ち、葉が生い茂り、森の内部を上空から確認するには殆ど不可能である。
「これから中に入るわけだが、そもそも貴様は魔法が使えない状態でどこまで戦えるのだ?」
「犬鬼の三、四匹くらいなら、問題ない」
クリスの言葉に、ジスタンは鼻を鳴らす。
事実犬鬼数匹程度では、普通の騎士ならばわけもなく当然倒せるものだ。
「自衛ができる程度か……」
「……豚鬼でも出てこなければ問題ない」
ジスタンの不満顔にクリスも、現状の実力を鑑みても強くは言いかえせなかった。
豚鬼は強い。
少なくとも今のクリスでは苦戦は必至で、場合によってはこの間のジスタンに襲われた時のように勁力で押し切られる可能性が高い。
クリスは己の装備を確認する。
いくつかロイドに修理された、身体強化の魔法道具と配給の片手平剣。
豚鬼には少し物足りないが、通常の魔物程度では問題はない。
「豚鬼程度ならば良いが、この山林に住まう魔物は随分と強いと聞くが?」
「なぁに、この辺りは騎士団の翼竜の縄張りだ。山林とはいえ浅瀬ならば幻獣だろうと魔物だろうとおいそれとは入って来ないだろう」
クリスの言葉にジスタンも納得したのか、頷いた。
ドラゲキア山脈には数多くの幻獣魔物が存在するものの、その頂点は言わずもなが竜種である。
そんな者の縄張りに好きこのんで入る、命知らずな魔物などそうはいないのだ。
「であれば、人影は魔物ではない、か。敵兵の確率が高いというのであれば望ましい」
そう言ってジスタンは意気揚々と進んでいく。
クリスも何か考えるような素振りで着いていく。
しばらく歩き、二人は目的地に到着する。
「距離からしても俺が見かけたのは大凡、この辺だ」
クリスが立ち止ま辺りを見回した。
周りは背の高い細い草木が生い茂る、密林のような場所である。
そしてクリスは痕跡を見つけた。
「足跡を見つけた」
笑みを浮かべるも即座に曇るクリスの顔。
「どうした?」
「いや……足跡ではあるが……靴ではない……なんだこれ? 見たことがない」
クリスはそれをどこかで見たことあるような気がして、考え込む。
けれども、思い出せない。
「飛行できる、鳥系の魔物ではないのか?」
ジスタンもそれを覗き込む。
前に突き出た三本の指に後ろにある一本の指。
大きさは人のそれと同じか少し大きい程度で二足歩行。
まるで鳥のような足跡だ。
大型の鳥系の魔物であれば人と見間違える事は珍しくない。
故にジスタンの発言は的を得たものだった。
「……いや鳥はない、さっきも言ったがここはまだ翼竜の縄張りだ」
クリスが即座に否定し、ジスタンもその弁に頷いた。
事実ここは空の覇者たる翼竜の縄張りである。
鳥系の魔物の殆どは空を飛ぶ、だが、そんなものがいれば翼竜が気づかないはずがないのである。
気づかれておやつ代わりにペロリなんてことになるのは間違いない。
そして、尚且つ、鳥系の魔物が地面に降り立つという事は殆どないのだ。
元来空を飛ぶという行為は飛べないものに対して圧倒的な優位を誇る。
狩りに対しての優位性や、地上の生物からの攻撃に対する安全性を兼ね備えている。
そして、その優位性を捨てる必要がある場合というのが存在しない。
それに、降りるとしても態々地面にまで、降りる必要という場合が存在しないのだ。
態々降りなくても、木の上でも十分なのである。
空を飛ぶという程ではないが、木の上でも地面に降りるよりは安全で優位性が保たれる。
故に飛行能力を持つ魔物という線は低くなる。
「兵士という線は薄れたか」
兵士でなければ武功にはならないからか、ジスタンがつまらなそうに鼻を鳴らす。
しかし、そんなジスタンとは対照的にクリスは顔を歪めていた。
何処かで見たことがあるのだが、思い出せない。
クリスの胸中に得も言われぬ焦りが渦巻いた。
クリスはもう一度足跡を確認しようとしてしゃがみ込む。
その時、クリスの背筋に悪寒が走る。
クリスが振り向こうとした瞬間だった。
「避けろっ」
ジスタンの声と共に、衝撃が容赦なくクリスの背中を襲う。
「うげっ」
クリスは短い悲鳴をあげて、地面を転がった。
同時に甲高い音が響き、視界が回転する。
クリスは転がったまま木にぶつかって止まり、痛みをこらえながらも体を起こした。
だいぶ痛かったのか、顔を歪めている。
涙目で今まで居た場所を確認すれば、そこにはジスタンと剣と拳の応酬を繰り広げる白い影。
白い影は無手だというのに、ジスタンと打ち合う度に響く、金属同士が打つかるような音。
「はぁ!」
ジスタンが気合一声、白い影を弾き飛ばした。
ジスタンと白い影は互いに距離をとり睨みあう。
その隙にクリスは白い影を観察した。
白……否、白銀の人形の魔物。
その全身は白銀の無数の鱗に覆われていて、その顔は蛇のような裂けた顎に赤い瞳が覗いていた。
姿だけならば蜥蜴人と呼ばれる魔物に酷似しているが、決定的に一つ違う箇所がある。
翼が在るのだ、その体よりも大きな翼が。
蝙蝠の羽のような皮膜に、鱗に囲まれた翼骨。
それは竜の翼のようだった。
睨み合いは唐突に終了する。
白い魔物は両翼を体の前で交差させ、己が体を包み込んだ。
ジスタンは迷いもなく突撃し、剣を振り下ろす。
――キィィィン。
甲高く、轟くような音が響く。
ジスタンの剣が真上に弾かれたのだ。
同時に白銀の魔物の爪がジスタンめがけ突き出される。
ジスタンは躱せない。
――ドスンッ。
金属製の胸部鎧を突き破る鈍い音が響き渡る。
「ジスタンッ!?」
クリスの悲鳴にも似た叫び。
当然だ、陽鋼身体を展開しているジスタンの強さをクリスは身をもって体験した。
それが、こんなあっさりと倒されるとは思わなかったのである。
ジスタンの腕がだらりと垂れる。
飛ばされた剣が大地に刺さった。
白い魔物はそのまま口角を広げて、ゆっくりとクリスを睨む。
蛇のような舌を口から出し入れし、まるで舌なめずりするかのように嗤っている。
怖気づきクリスが後ずさる白銀の魔物は笑みを深めた。
「っ!?」
言いようのない悪寒がクリスを巡る。
クリスは剣をとりながらも距離を取る。
白銀の魔物はクリスジスタンからゆっくりと爪を引き抜こうとして、そして動きを止めた。
否、止められていた。
ジスタンの手によって。
「この程度の爪、我が肉体に通じるとも?」
ジスタンの声が響く。
その声はいつも通りの獰猛な声だった。
ジスタンはその両手で白銀の魔物の突き出された腕を押さえ込んでいた。
「キャァァアアアア!」
魔物の顔が悲鳴と共に苦痛に歪む。
「ふんっ!」
ジスタンは鼻息も荒く、魔物を蹴り飛ばした。
――ボギリ。
異音が響き、次いでジスタンはそれを魔物から奪い捨てた。
ちぎり取った魔物の腕を。
それは透明な液体を撒き散らしながら転がった。
「嘘だろ?!」
クリスの叫びはどちらの物事にたいしてか、しかし、どちらにせよその叫びに含まれる感情は驚きが八割を締めているが。
「これぞ陽鋼身体が真髄。体技ねじ切りだ。左右の手のひらで逆回転の力をかけ、相手を蹴り飛ばし、ねじ切る技だ」
自慢げにジスタンは講釈をたれるがそうではない。
確かにそっちも気になるがそうではない。
「ちげえよ! なんであの爪刺さって生きてんだよ? 剣で打ち合ってたじゃねーか?!」
白い魔物の爪はジスタンの剣と互角にぶつかり合っていた。
ジスタンの剣は相当な一品だ。
それこそ支給品とは比べ物にならないほどに。
それと打ち合っていた魔物の爪も相当な鋭さと耐久性を持っていたはずである。
事実撃ち抜かれた、ジスタンの胸鎧はひしゃげて穴が開いている。
「むぅ……? 陽鋼身体とはそういう魔法でもある、肉体の強化に怪我をした時の再生力や肌の硬度の上昇も含まれる、つまりあの爪は刺さっていない」
「そうか……」
もはや呆れてものも言えない。
ありえない程の身体強化である。
確かに体の硬度をあげる魔法はある。
腕力をあげる魔法もある。
身体強化にも色々と種類が存在する。
重ねがけも勿論可能だ。
だがそれは理論上の話である。
実際重ねがけはできるが、してしまえばその体にかかる負荷は馬鹿にならない。
小魔力枯渇など甘い方だ、下手をすれば発動中に魔法が相互干渉を起こして過剰強化や制御不能になる可能性すらある。
最悪の場合には肉体の損傷からの死亡も有り得る話である。
だというのに、危険もなしにこれほどの性能を誇る陽鋼身体にクリスは呆れてしまう。
「血脈魔法か……」
失伝魔法とも異なる、特殊な魔法。
クリスもどちらかを選べと言われたら両手をあげて血脈魔法を選ぶであろうという魔法である。
正直言って羨ましいとか。
その胸鎧必要ねえだろとか、思ってはいけない。
「それで、あの白いのは殺したのか?」
クリスは思考を切り替えた。
「逃げた」
「は?」
端的に伝えられた言葉にクリスは口をあけた。
「腕をちぎったときそのままな、蹴り飛ばした先はそこの洞窟だ、おそらく奥に逃げ込まれてしまった」
ばつが悪そうにジスタンは答えた。
「なぜすぐ追いかけないんだ、止めを刺さなければ危険だろう!」
手負いの獣ほど危険なものはないし、ジスタンはこう見えても竜騎士候補である選り抜きの騎士だ。
さらには陽鋼身体を発動中のジスタンで手こずる状態、あの魔物は普通の騎士では相手にならない可能性すらある。
翼竜騎士団の精鋭たちは殆どがイスターチアとの戦いに駆り出されている。
おそらく残っている騎士であの魔物を討伐できるような実力の持ち主は多くはない。
故にここで倒しておかなければ被害がでる可能性が高かった。
「洞窟に入れば日の光が届かない。つまり陽鋼身体が切れる」
ジスタンの釈明にクリスはたっぷり十秒、言葉を失った。
「……お前」
慎重なのか臆病なのか解らない。
褒めれば良いのか貶せばいいのかわからない。
いやきっと、追いかけないのは正しい判断なのだろう。
だがいつものジスタンの性格から考えて追いかけなかったのは意外だった。
「腕一本無ければ先程の強さもないだろう、上手く行けば衰弱して死ぬ可能性もあるだろう」
意外ではないのかもしれない。
強がってはいるが、ジスタンもぼろぼろった。
鎧はひしゃげ、剣の刃こぼれも目立つ、支給品とは言え片手平剣を一刀両断するほどの剣がだ。
実際ジスタンの言い分は正しい。
今の戦力で、陽鋼身体が切れるであろうジスタンとクリスで相手にするにはおそらく手傷を負っていようと難しい相手である。
だが、クリスは白銀の魔物の姿を思い出す。
その姿はまるで竜と人を混ぜたような姿だった。
魔物でいう獣人の蜥蜴人に姿は近い。
けれども蜥蜴人に翼は無い。
そして、何より。
「白銀の鱗か……」
つい先日の銀竜を思い出す。
酷似しているその姿に連想せずにはいられない。
先程の魔物は竜程の力はない。
故に人化した竜ではない。
それに少なくとも、クリスが知っている人化した竜はもう少し人に近いすがたった。
けれども、その酷似した姿、関係があるのは間違いない。
そしてクリスはふと思い出した。
それはエフレディアに伝わる言い伝え。
人の姿を取る竜が居る、その竜が人と子を儲ける事があるという話。
事実人の姿をした竜はクリスも確認している。
故に、人との間に子供を設けていても可笑しくはない。
そして、その子供は竜人と呼ばれ、人と竜が混じり合った姿になるという。
そして、竜人は竜を操れるという。
それはクリスの中で一つの結論へと達した。
「竜人か……」
先程の魔物が、銀竜を操った奴であると、クリスは確信した。
判断材料としては甘いかも知れない。
だが、クリスの勘が、本能が告げる。
奴が、白銀の魔物が銀竜を翼竜に仕掛けた奴だと。
そして、同時にクリスの胸中に警鐘が鳴り響いていた。
――逃がせばきっと大変なことになる。
故に無茶を承知で追いかけるしかない。
そのため、ジスタンをどう言いくるめるか考えた。
「危ない!」
けれども、つかの間再びクリスの尻に衝撃が走る。
クリスは蹴飛ばされ、ゴロゴロと転がった。
転がる視界の中でクリスが見たのは再び先程の魔物と剣をあわせるジスタンの姿。
腕がなく、間違いなく同じ魔物である。
クリスは起き上がろうとして、その手は空を切る。
そこには地面がなかったのだ。
「あ?」
突然の事に平衡感覚を失い、それでもとっさに何かをつかもうと手をのばす。
しかし、伸ばした先にあったのは脆い土だけだった。
「おおぉぉお!?」
クリスの悲鳴は余り響かなかった。




