三十一話 予想と懸念
その日、技術部の小屋の裏手では不思議な光景が繰り広げられていた。
本来は何もない少しだけ開けた場所。
だというのに今其処の地面には大きな魔法陣。
そして、魔法陣の中心には半裸のジスタン。
息も荒くその肌から玉のような汗を滴らせている。
「もう、一度だ」
そんなジスタンに声をかけるのは、クリスである。
目つき険しくジスタンを、魔法陣を見つめている。
「陽鋼身体……」
ジスタンが小さく呟く。
するとジスタンの周りの陽射しが光を増す。
光はジスタンの身体に突き刺さる。
するとジスタンの身体が透き通る。
光はやがて分解されるようにに赤い光点へと形を変えていく。
やがてそれらは渦をまき、最終的には光はジスタンの心の臓辺りへと消えていく。
同時に膨らみを増すジスタンの肉体。
「止めろ」
クリスの言葉に、ジスタンは陽鋼身体を解除した。
透き通っていたジスタンの身体は色味をとりもどし、膨らんだ筋肉も通常の身体へと戻っていく。
「うーむ」
唸るクリス。
「何を考えている? 難しい魔法ではないはずだ」
そう言われてクリスは乱暴に頭をかいた。
そう陽鋼身体は難しい魔法ではないのだ。
だがそれでも、クリスは眉を顰めるしか無かった。
その目の下にはうっすらと隈すらできている。
職務を前倒しし苦労して捻出した時間で初めた観測実験。
二時間かけて複雑な魔法陣を描き、通常なら見えない体内や魔力を可視化できるようにした。
陽光がなければ使えない、陽鋼身体のため、観測できる時間は大凡昼、正午である。
ジスタンの職務との時間のすり合わせ、クリスの初期計画から既に一ヶ月が経過していた。
「……収束……分解……置換……吸収……強化……おおよそ五段階ということはわかるが、特に陽光の分解速度が凄まじい」
陽光を収束し、分解し体内へと取り込み、そして小魔力へと置換する。
そして置換した小魔力を吸収、そして身体を強化する。
それがトライム家に受け継がれる血脈魔法陽鋼身体の魔法の成り立ちである。
「この魔法故に我家は武名の名門へと成ったと聞いている。凄まじいのは当然であろう?」
クリスの言葉にジスタンは自慢げに鼻を鳴らした。
確かに、魔法一つで家門も一つ名門とまで押し上げる。
それは確かに凄まじいの一言だ。
名門とは全てにおいて、通常よりも卓越した家門である。
それを一つの卓越した技能によって成るというのだから陽鋼身体の凄まじさ、太陽の騎士と呼ばれるのは伊達ではないと理解できてしまう。
クリスの家、リリィ公爵家とて名門である。
エフレディア王国が誇る四大公爵家が一つである。
だが、そのリリィ家を持ってしてもこのような魔法は見たことがなかった。
簡単に言ってしまえばありえなくはないが、ありえない魔法だった。
水に沈む前に足を前に出せば、水の上を走れる、そう言われたようなものである。
「やっていることは無茶振りだが、一度成してしまえば発動している間は無条件に小魔力が供給されるか……」
言ってしまえば無制限の供給があるようなものである。
「左様、だからこそ莫大な小魔力を身体に供給してくれる陽鋼身体は血脈魔法他ならない」
だがしかし、腑に落ちない所もある。
無制限の供給ならば身体強化以外にも使いみちがあるはずなのだ。
例えば、召喚魔法など、純粋に攻撃する魔法にすればいい。
攻撃魔法ならそれだけで相手を打倒しえる力がある。
態々身体強化をして斬りかかるなどという状況など二度手間だ。
それほどの小魔力があるなら大技を一気に決めてしまえばいい。
だというのに陽鋼身体はその作った小魔力を殆ど身体強化にまわしている。
故にクリスは一つの疑惑を呈した。
「おい、ジスタンお前は詠唱難易度いくつまでの魔法を使える?」
純粋にジスタンの魔法の腕が悪いのならばいい。
だがジスタンの答えはクリスの疑惑を確信へと変えるものだった。
「三段階を収めているが?」
「そうか、理解した」
三段階、それは騎士としての最低ライン。
だがそれは、ジスタンの扱える小魔力の量から言ってありえない。
本来陽鋼身体があれば、四段階だろうと五段階だろうと無制限に使えても可笑しくはない。
なぜなら、小魔力の量に困らないというのはそれだけ練習をすることもできるからだ、余程のサボり魔か怠惰なやつでもなければ難易度はすぐにあがるだろう。
詠唱難易度があがると、魔法そのものの難易度もあがるがそれ以上に必要小魔力が跳ね上がるのだ。
故に小魔力の保持量が少ないものは練習すらおぼつかないのが実情だ。
練習さえできれば、実は四段階と三段階の差というのは殆ど無い。
つまり発動に必要な小魔力の量が違うだけなのだ。
だが、ジスタンの条件で四段階に達していないとなると考えられる原因は一つ。
一度に放出できる小魔力の量が少ないのである。
それで使えないのだ。
「ジスタン、もう一度だ」
「わかった」
再びジスタンが陽鋼身体を発動する。
そして、身体が透き通り、先程と同じ魔力の動きが確認できる。
「難易度三の魔法を何か使ってみろ」
「ああ? わかった、そうだな……風の福音」
ジスタンが呪文を詠唱の魔法は発動し、ジスタンの内部へから緑色の小魔力が大量に溢れ出す。
溢れた小魔力は大部分が消失し、一部のみがジスタンの剣へと集まっていく。
風の福音は武器に風をまとう魔法だ。
風で剣を纏どんな鈍らだろうと一定の鋭さをもつ剣として扱える魔法。
難易度は三、けれども本来必要小魔力は然程多くない。
だがジスタンの身体から溢れた小魔力は大部分が消失しているのだ。
これは普通ありえない、いくら放出しようとも小魔力が自然に還るには時間がかかるのだ。
だが、実際ジスタンの小魔力は消えていく。
そして、同時に陽鋼身体による効果で足りない小魔力が変換されてジスタンへ注ぎ込まれていく。
無制限の供給故に、歯牙にかけないような事実。
それに気がついて、クリスは薄く微笑った。
「解除していいぞ」
ジスタンはそんなクリスを見て問いかけた。
「何か掴んだか?」
「掴んだというか、血脈魔法たる所以を理解したというか、なるほどどうして逆手にとったものだ」
一人納得し、頷くクリス。
「何が言いたい?」
「陽光を分解する過程があまりにも早いからこその違和感だった。陽光とは大魔力の一種だという事は知っているな? つまり、陽光を分解するということは大魔力を分解するということなんだが、お前の魔法を見て確信した、お前の家系は魔力の分解が異常に早く効率的なんだ。だからこそ陽光の故にあれだけの小魔力を込めなければ難易度三すら使えない、分解速度が早すぎて小魔力の大方が体外へと放出されるときに霧散している」
「つまり……」
「そうだ、放出するから霧散する。故に陽鋼身体は基本的に身体強化に小魔力を使うんだ」
「ほう、我が家系の魔法がそういうものだとは、知らなかったが、中々いい魔法ではないか」
「他の奴らじゃ分解に手間取りすぎて余分な小魔力を使うというか、分解してる時点で小魔力がつきるだろうな、ああ、これは大した魔法だよ、きちんと家系の事を理解している、まさしく血脈魔法だ、誰もは真似はできないな」
「そうだろう、そうだろう」
「まぁ思考が少しまとまる程度には役にはたった」
「ならばよいが……貴様はさっさと元の身体に戻る魔法を作れ」
「大凡、概要は既にできている。後は大魔力を小魔力に変換する魔法とそれを体外に固定する魔法があればいい」
「なるほど、それで陽鋼身体の仕組みを理解し、一度に大量の小魔力を用意でしようとしているのだな?」
ジスタンが唸るように問いかける。
「そうだ、女の身では大魔力をそのまま使うことはできないからな。一度小魔力にしなければ魔法さえ使えない。だが大魔力は体内に入れなければ小魔力に変えることもできない」
「だが女の身体は大魔力をはじく、か……つまり体外で大魔力を小魔力に変換する魔法が必要だということか?」
「そうなるな」
「真似るなら陽鋼身体はうってつけの魔法というわけか……」
大魔力である陽光を小魔力へと置換する魔法。
それが陽鋼身体の真髄だ。
ここでジスタンはふとひらめいた。
「複数の騎士に譲渡をしてもらえばいいのではないか?」
ジスタンの言うことも最もだ。
というか理論上はそれで可能である。
けれどもクリスはジト目でジスタンを見た。
「馬鹿め、これは失伝魔法だ、おいそれと外部に漏らすことは出来ない、それと他人の小魔力じゃ自身の小魔力に比べて効率が悪い。何人どころか何十人と必要になるだろうよ、流石にそれは看破できない」
けれども、ジスタンの言葉は一瞬で否定された。
そう、普通の魔法ならばジスタンの案でもいいだろうが、生憎クリスにかかっている魔法は公爵家で隠匿されていた失伝魔法だ。
そうそう公のもとにさらしていい魔法ではない。
下手にバレれば国を揺るがしかねない魔法なのである。
「それほどまでに隠し立てする必要がある魔法なのか……? 例え誰に変身しようが中身まで変わるまい。そういう魔法があると知っていればいくらでも対処できるだろう?」
「ああ、そうだ。知っていれば対処事態は容易い」
ジスタンの言葉は正しく、クリスも同意する。
対処方法事態は無数にあるのだから。
「なれば、危険を承知でも解除すべきではないのか?」
故にジスタンは危険をおいても早期の解決こそが最も良いと思えた。
「危険だ」
ジスタンの答えはたった一言で否定された。
「それほどの魔法なのか?」
ジスタンの問いかけにクリスは静かにため息をついた。
「結果だけ見れば俺は初代王妃の姿になっているだけにすぎない。他の姿へ成れるかも解らない。だけどな、考えてもみろ? 言い方を変えれば……既に居ないはずの人物になれるんだ、こんな危険な魔法はないだろう?」
既に居ないはずの人物になれる。
その言葉にジスタンはクリスが何を言っているのか理解できなかった。
だが段々と言葉が脳に染み渡り、意味を咀嚼する。
正直、ジスタンは精々暗殺などに使われる程度だと思っていた。
暗殺も厄介だが、居ないはずの人物になれる等と言われればジスタンでも理解できる。
恐れるべきは成り代わり、政治の中枢たる人物を暗殺し、その人物になり変わる。
最悪、下手をすれば国すら落とせるだろう。
「なるほど、な……それは知られるだけでも相当だな」
場合によっては同盟国がこぞって手のひらを返しエフレディアの敵に成りえるだろう。
そんな魔法在るだけで国際問題だ。
「下手に解析などされたら目も当てられん。故に詳細を知っているのはリリィ家のものと団長に副団長、後はお前とテート殿くらいのものだ」
事を知り得た人の顔ぶれにジスタンは安堵する。
だが同時に大事に関わったことに、少し気が引けた。
「何、大凡解析は済んでいる。あいにくと昔から魔法は得意……」
自慢げに語るクリスだが、唐突にその言葉を止め、山の辺りを見て目を細めた。
ジスタンも釣られるように山を見て、けれども何も見当たらなかった。
「どうした?」
「人影が見えたような……」
「別段おかしくはあるまい? この先には翼竜の厩があっただろう、貴様の先輩やら手伝いやらが世話をしているのではないのか?」
「その手の作業時間は既に終わっているはずだ。誰かが居るはずがないんだが……」
今の時刻は昼に近い。
餌や掃除というのは大体が早朝に終わらせるものである。
現在技術部の半数と言っても二人だが、が前線に赴いている関係もあって他の部から補助として数名手慣れたものが手伝いに来ているが、既に時刻は規定の時間を等にすぎている、故にその連中が森に居るというのも考えにくい。
普段森に出入りするものは厩の関係で技術部かもしくは訓練等で向かう部隊くらいのものだ、そして戦争が始まった今、基礎訓練は兎も角、森での演習等をしてる部隊はないはずである。
「この山の向こうでは、イスターチアが攻めて来ているんだよな?」
クリスの言葉にジスタンは言わんとしている事を理解したのか、素っ頓狂な顔をした。
「まさか連中が山を超えて来ていると? ドラゲキア山脈だぞ? 野生の幻獣、魔物が跋扈し、自然法則すら歪んでいる超常の聖域だ。竜騎士ですら飛び越えられない高い山、歪んだ空間による外周計測以上の面積。最奥は侵入すら憚られる高濃度大魔力、そんな山を超えてくると? まだ人形の魔物がでたと言われたほうが納得できる、翼竜の縄張りに好き好んで出る魔物がいるとも思えんが……」
ジスタンの呆れたような言葉。
それは、至極真っ当な言葉である。
そもそもドラゲキア山脈はエフレディアに存在する場所で最も危険な場所だと言われている。
生息する幻獣は基礎十二種と呼ばれる幻獣のうち八種のさらに派生種が無数に存在する。
さらにその山林は見える範囲以上に広大だ。
なぜならドラゲキア山脈は奥に行けば行くほど、山頂へ向かうほど、空間が歪んでいるのである。
この歪みの原因も範囲も明確には解っていない。
だが、それ故に人の手で踏破は不可能と言われ、太古の……それこそ神話の時代の生態系を保っているのだという。
そんな場所である。
そこを超えてくるなど、できるのは上位の幻獣くらいのものだ。
人の身では不可能だと言われている。
例え竜騎士や幻獣騎士だろうと騎乗している人が参ってしまうという。
「確かに。だが何事もに例外はある……」
クリスはジスタンの言葉で納得すると同時に、今現在副団長であるジャックが単独で調査に赴いているという事実を思い出していた。
同時に帰還予定は大分先。
つまりは先程見えた人影がジャックの可能性は限りなく低い。
確かに真っ当な方法で超える事はできないだろう。
だが人の身でもジャックのように何日か滞在する方法があるのも事実なのだ。
そして、何よりクリスを襲う胸騒ぎ。
なぜか、思い浮かべるのは先日の銀竜。
イスターチアが送り込んだものだと思われる、翼竜よりも強い竜。
言ってしまえば、イスターチアは既に山を超えて刺客を送り込んでいたのである。
結局、ドラゲキア山脈を超える事は可能なのだ。
そう、人以外ならば。
この考えに至った時、クリスの背筋に寒いものが走り抜けた。
「偵察だ。警戒しつつ陽鋼身体は発動しておけ」
本来ならば、一旦本部に戻り警戒を促し、巡回を配備する。
それだけの作業が必要だが、クリスは今、確認を急ぐ必要があると思えた。
根拠は無い。
所謂やま勘というやつだ。
だが、それでも今すぐに確認しなければならないとクリスは思った。
そして幸いにも、今はクリス一人ではない。
ジスタンがいるのだ。
陽鋼身体展開中のジスタンはクリスの予想を大幅に上回る身体能力だ。
なればこその偵察が可能である。
「杞憂だと思うがね、気になるなら後で本部に伝えておけばいいだろう?」
しかしジスタンは乗り気ではない様子だ。
陽鋼身体を何度も使って、疲れているのだろう。
気だるさが垣間見える。
しかし、今山林を確認しなければ後悔する。
そんな思いをクリスは抱えていた。
理由は解らない、言ってしまえば勘でしかないのだから。
だが、ただ勘だと言っても、明確な理由もなしにでは、いくらジスタンといえど納得はしないだろう。
故にクリスは言い方を考えた。
「怖いのか?」
簡単な挑発。
ただ同時に、嘲るようにせせら嗤う。
それだけだ。
そして、クリスの予想通り――ジスタンは一瞬で顔を赤くした。
「……誰が怖いと言った?」
「違うのか? まあ敵兵がいるかもしれないしな、俺たちには荷が重いかもしれないからな」
わざとらしい言葉。
子供でも解るような挑発。
だが、効果は覿面だった。
「馬鹿にするなよ! 我が名はジスタン・トライム。トライム家が誇りに賭けてイスターチアが兵に臆するなどありえはしない!」
威勢のいい宣誓にクリスはほくそえむ。
「なら、その誇りとやらを見せてもらおうか?」
「ふんっ、我が力、特と知るがいい、例え敵兵がいようと瞬く間に粉砕してやろう」
鼻息を荒く、再び陽鋼身体を唱えるジスタンにクリスは微笑う。
「ああ、そうしてくれ。杞憂だったなら俺も謝ろう」
素直に謝罪するというクリスの言葉にジスタンは顔をしかめた。
そして、のせられた事に気づいたのか心底嫌そうな顔をした。
「では、行こうか。気を抜くなよ?」
そうして、クリスは素知らぬ顔で歩き出す。
ジスタンは不服そうに後を追った。




