三十話 橋頭堡
その日は朝から、ペレイエ要塞会議室にして、イスターチアの軍勢に対する行動を考える会議が行なわれていた。
集まったのは四人。
団長であるグランに、技術部からパンジ。
ペレイエ要塞の要塞隊長を勤めているフェリマヌ子爵とその副官、エルトと呼ばれる青年だ。
四人は朝も早くから、論議を続けていた。
基本方針こそ変わらない、時間稼ぎではあるが、その方法で揉めているのである。
「攻めるべきであります!」
鼻息荒く強硬策を訴えるのは、フェリマヌ子爵だ。
三つ編みにされたその白髪を振り乱し、グランに食いつかんばかりに机に身を乗り出している。
「敵は何やら策をろうしている模様、策が成るのを黙って見届ける事など愚の骨頂。一気呵成に反撃の目すら立たぬように攻めるべきであります!」
初戦での敗退は記憶に新しい。
相手は無傷、こちらの傷も大きいものではないとはいえ、切り札とも言える竜の吐息が無効化されたのだ。
竜騎士としては悪夢に等しい。
今でも翼竜騎士団は時折牽制として翼竜部隊を向かわせているものの、結果は思わしくない。
「しかしだな。あの結界はどうしても破れない、ミューデルトの竜の吐息でもびくともしないんだぞ? その癖奴らは弩砲でこちらを削ってくる。今まで既に三騎落とされている。竜騎士が三騎もだ」
竜騎士最強とも言われる騎兵である。
尚且つ翼竜の竜騎士といえば高機動高火力を備えた攻撃系の騎兵になる。
だというのに、その攻撃が通らないもどかしさは押して知るべきだろう。
さらには敵軍に対する被害は無し。
この状態ではグランとしても、強硬策にでるつもりは毛頭なかった。
むしろ、これ以上被害を拡大するのは防ぎたかった。
故にグランは時間稼ぎ以上の事をするつもりはないのだ。
「ここは現在出しうる限りの竜騎士隊を投入竜の吐息による弾幕、同時に及び潜水部隊を展開しての船の攻略、同時に地上部隊により土壁による防壁を多重に設置、海岸線における防衛作戦を提案します」
グランの意志とは正反対にフェリマヌ子爵の案は攻撃的だ。
確かに成功すれば、敵軍の被害は計り知れないものになるだろう。
海からの船への奇襲も防壁による防衛も悪くない。
本来最高戦力であるはずの竜騎士。
それを戦闘ではなく囮に使う発想、その機転。
グランには思いつかない作戦だ。
表向き作戦としても悪くない、成功すればむしろ評価に値するだろう。
だがそれは、実質こちらの被害を顧みない強硬策。
竜騎士による囮……何騎落とされるかわからない。
海から軍船への攻撃も船からしてもエフレディアとは比べ物にならない代物だ。
成功するかも不明である。
そして防壁、土壁で防壁を設置するのは悪くない。
だがそもそも、騎士の数が足りない、生半可な数では作るだけ無意味である。
仮に作ったとしても、それを維持するだけの人員がまだ揃って居ないのだ。
余りにも分の悪い掛けだった。
フェリマヌ子爵の言葉にグランは何度目になるかわからないため息をついた。
「これは戦争だ、被害を出したくないとは言わない。だが現時点で竜騎士を消耗するのは極力避けたいんだ、解るか御老?」
仮に軍船の結界さえなければ、竜騎士は十全を持って機能する。
弩砲だろとう何だろうと竜の吐息によってその全てを破壊し尽くすであろう。
だが、それも竜騎士の数が揃ってこそ。
今ここでその破壊力を失うわけにはいかなかった。
「彼奴らが何かを企んでいるのは自明の理、なれば策が成る前に潰すのが最良と心得ます」
子爵の言うことも理解できる。
こちらが軍を集結させようとしているのはイスターチアとて理解できているはずである。
だというのにあれだけ悠長に海上に展開しているのだ。
何かある、何か無いはずがないのである。
こちらが集結しようがおかまいなしにできる何かを待っている可能性はでかい。
「それは俺もわかってる。だけどな? 戦は始まったばかりだ。今はいたずらに戦力を消費するわけにはいかない、相手の戦力だって未知数なんだぞ?」
だが、それでも今は待つしか無い。
竜騎士が減ってしまえば衝撃力に掛けてしまう。
衝撃力のない部隊では戦況を優位に運ぶことは難しい。
本来なら初戦に使うような部隊ではないのである。
翼竜は高機動高火力であれ、持久力耐久力は高くない。
今回、初動で出動したのはイスターチア軍の動きが早すぎる故の苦肉の策なのだ。
「なんと無様……なんとも臆病……、恐れていていては道は開けませぬ」
グランの思いを知ってか知らずが子爵は煽るように言葉をつなげる。
むしろ侮辱にも近い言葉である。
下手をしたら厳罰に処されてもおかしくないのだ。
だが、子爵はグランが相手だろうと怯みもせず、強硬な姿勢を崩さなかった。
睨み合う二人に、その場を沈黙が支配する。
その沈黙を打ち破る音が聞こえたのは外からだった。
――ドン。
地面が揺れる衝撃、それからすぐさま時間をおかず人がざわめく声が聞こえてきた。
「なんだ? 攻撃が始まったのか?」
――ドン、ドン。
続けざまに地面を揺らす衝撃が要塞を走りぬける。
それはグラン達が立っていられないほどに激しいものだった。
断続的な衝撃、そしてしばらくそれが続いたと思うと衝撃が止まる。
その後は地響きのような音が続いていた。
グランが外に出ようとした時だった。
「報告うう!」
少しの時間がたち、叫びながら一人の騎士が会議室に入り込んでくる。
「状況は?」
冷静にグランは騎士に問う。
「橋が掛けられました!」
「橋? 船からか?」
船から陸へは相当な距離があったはずである。
そのような長い橋というのも考えにくいが船から陸へと橋が掛けられたのなら敵軍の上陸を阻止させるべく、こちらも動かなければならない。
「はい! ですが……」
報告の騎士は言いよどむ。
「どうした?」
「船はどうも、中継地点のようで……橋はどうにもイスターチアの陸地から伸びてきているようなのです」
「なんだとぅ?」
騎士のその言葉にグランは瞠目した。
イスターチアの陸地から伸びているとなるとその距離は途方もない。
グランは海を渡る橋など聞いた事などなかった。
それにあの海流の強い海となると余程頑強な橋でなければならない。
それが一朝一夕で建つなどあり得なかった。
「ご覧になったほうが早いかと」
騎士の言葉に従いグラン達は城塞の屋上へと足を運んだ。
ペレイエ要塞は高台に構築された要塞である。
故にペレイエ要塞の屋上からはイラル海峡の北部の殆どが見渡せるのだ。
「なんじゃありゃ……」
グランはイラル海峡を見て目を見開いた。
呆然としているのだ。
そして呆然としているのはグランだけではない、その場にいる全員が態度は違えど呆然とそれを見つめていた。
全ての船が規則的に並び、その上に展開されるのはあの魔法陣。
その魔法陣が幾重にも重なり道が作られているのである。
それは紛うことなき橋だった。
頑丈すぎる、結界。
竜の吐息さえ通さないその頑強さ。
その本来の用途、は道だった。
もちろん道の上には全ての攻撃を防ぐであろう、同じ結界を展開させている。
そしてその橋は、エフレディアへと続いている。
魔法陣を駆使して作りあげた、結界による半透明な通り道。
「あれは海の大魔力を使ってるな……イスターチアめあんな技術を開発してたとは、見てくだせぇ旦那。橋のところどころに配置されてる大型船。船の形が変わってらぁ。おそらくあれが魔法陣の起点でさぁ」
パンジが遠視の魔法を使い解析する。
大型船の甲板の中心に意図的に開けたであろう四角い穴があり。
そこには、まるで船を穿つかのように刺さった高くそびえた歪んだ螺旋のような杭。
おそらくそれは、海の遥か下。
海底深くにまで刺さっているのであろうことが容易に予想できた。
そしてそれは今現在も大きな音を立てて地中へと進んでいた。
「大きな音の正体はあれか。道を作るための仕掛けか……」
グランの顔が厳しく歪む。
対岸……遥か先には赤い鎧を身にまとった軍勢がその姿を現していた。
海峡という天然の防壁。
イスターチアはそれを、力技で超えてきたのである。
「あれだけの結界の維持、まさか海の大魔力を使うとは……やばいな生態系に影響がでる」
「やっこさん、どうやら後先考えてねーようで、あれじゃイスターチア側の漁師もおまんまくいあげでさぁ」
大量の大魔力を自然界から集める行為というのは、危険である。
そもそも、大魔力というのは自然界の営みがはっする小魔力が寄り集まったものである。
しかし、大魔力は有限だ。
魔法を使う時のように、一時的にといのなら問題はない、そこから一時的に消失した大魔力はすぐにもとに戻る。
けれども、常に大量の大魔力を消費するということはその場所の大魔力は段々と薄くなり最悪その場に大魔力は存在しなくなる。
するとどうなるか?
自然界というのは大なり小なり大魔力を消費するものだ。
その消費する分がなくなるのだ。
つまり自然界の営みそのものの崩壊である。
つまり生態系が狂うのだ。
そうなってしまえば、その場所はもう大魔力を生み出さない、不毛な空間へと変貌する。
その場所が大魔力が満ちた場所になるには何十年もの時間がかかるだろう。
となれば、漁師にでる被害は甚大だ。
「それほどまでの価値がエフレディアにあるのか……?」
イスターチアが何を欲してエフレディアに攻めてきているのかをグランは考える。
イスターチアは荒野ばかりで岩山に囲まれた土地であると言われている。
少なくとも長年に渡る竜騎士による情報収集の結果はそれ以上の情報は手に入らなかった。
故にイスターチアがエフレディアを攻める理由はその肥沃な大地であると言われている。
けれども、グランはこれに違和感は覚えた。
イスターチアの進行が始まったのが大凡百三十年前と言われている。
ちょうど聖戦と呼ばれるが終わった時期からである。
それから、何年もの間、あの手この手でイスターチアはエフレディアへ攻め入っている。
その尽くが失敗に終わってはいるが。
けれども、戦争とは出費の嵩むものである、何年、何十年をかけても手に入れたいと思うものがエフレディアにあるというのだろうか、もし肥沃な大地が目的だというのならイスターチアはそれに対する対価に見合わないだろう。
さらにイラル海峡は海流が強いが漁ができないわけじゃない、むしろ海流のおかげで多様な大量の魚がいる……この海だけで何百何千の人間を養うことができる。
イスターチア側からしてもそんな海を手放してでもエフレディアと手に入れたいというのはおかしな話ではないのだろうか?
「旦那?」
「ああ、すまんな」
グランはパンジの言葉で我にかえり、橋の先を見た。
今はそれを考えている時ではないと首を振り思考を打ち消した。
「奴ら要塞に直接道を!?」
パンジの悲鳴にも近い声。
展開された魔法陣は要塞へと伸び、まるで巨人が手を伸ばしたかのように石造りの要塞に突き刺さっていた。
突き刺された場所は大きな穴が開いている。
次の瞬間、穴から幾重もの魔法が飛び出した。
そこに居た騎士たちだろう、次々と魔法が魔法陣に放たれる。
けれども魔法陣は歪みひとつおこさない。
そして、道の先には赤い軍影が見えていた。
「真紅の狒狒か」
海上に出来上がった道を通ってくるのは真紅の軍団。
それは大きな狒狒。
体長は五メートルを超える、大きな体躯、はちきれんばかりの誇張した筋肉。
その体躯を覆うのは赤き炎のような体毛、赤く固く逆立ち、真紅の狒狒が歩くたびに、風を受け、炎のように揺らめいている。
そして、さらに目をひくのはその牙だ。
上顎から生えた日本の犬歯太くするどい、その太さ人の腕ほどもある。
そして、その巨体を支える四肢につくのが五本の爪。
一本一本が鋭く、太く、そしてまるで質の良い金属のように靭やかだ。
一匹一匹が完成された戦士のような風貌の狒狒達。
その群れの中央には、おそらくボスであろう一際大きな一匹が鎮座している。
そして、その狒狒の背のまたがるのは赤い鎧の兵士。
赤い革鎧と兜を着込み、手にもつのは鞭にその背に背負う小型の弩。
真紅の狒狒は何かを背負うのに向いた体型ではない、だというのに兵士を背負い動くその動きには一切の違和感なし。
その姿はまさに幻獣と人が一体と成ったかの如く、幻獣騎士と呼ばれるにふさわしい。
グランですら唸る程イスターチア兵士達の動きに乱れはない。
一糸乱れぬ隊列で要塞へと進んでくる。
さらに、その進行速度は尋常ではない、このままでは四半刻とせずにペレイエ要塞に突入する。
グランを気を引き締め、戦略を考える。
引くべきか、攻めるべきかを思い悩む。
現状は既に守りとなる要塞の頑強な石壁が壊され、道が作られている。
防衛戦力も元からいる守備隊と竜騎士のみ、構成はともかく人数は心もとない。
正面からぶつかり、防衛したとしても長くは持たないだろう。
となると、とりえる手段は一つ。
「パンジ。伝令をだせ、全軍撤退させる」
「承りやした」
撤退の伝令をパンジに頼み、グランはフェリマヌ子爵に目を向ける。
「ペレイエ要塞は破棄する」
グランはそうそうに退却を決めたのである。
「お待ち下さい!」
けれども、そこで待ったを掛ける子爵。
「ここを放棄するなど、あり得ないことですぞ! ここはエフレディア防衛の要! ここが落ちればそれはエフレディアが陥落するも同然であります!」
鬼気迫る勢いでまくし立てる子爵にグランは一瞬、面食らう。
しかし、すぐさま気を取り直し子爵へと告げる。
「御老、確かにここを失うのは痛手だが……」
防衛戦は無意味であると。
子爵が長年守ってきていた要塞だ、これからも守りたいであろう気持ちはグランも理解している。
けれども、ここで防衛戦を行っても長くは持たない。
味方の先方、恐らくは騎兵部隊が到着するにもまだ三日から五日はかかる目算だ。
そんな中、少ない戦力で防衛しても被害だけが増えるであろう。
元々、この要塞は海側の索敵、監視に特化させた要塞だ。
子爵が独自に改造をしていなければ、この要塞には要塞たる最低限の機能しか存在しないのだ。
何しろ最前線、敵の一番近くに配置されている要塞である。
奪われ、破壊されるのは計算の上で配置された要塞なのだ。
「成りません! ここは死守すべきなのです! ここは防衛の要、奴らの手に渡すなど橋頭堡を自らくれてやるようなものであります! 例え皆がここを離れようとも私はここを死守するつもりであります!」
しかし、フェヌマリ子爵の強行な姿勢、グランの言すら聞きもしない。
これが一小隊長であれば、これほど心強い騎士も中々居ないだろう。
けれども、子爵の立場はそうではない。
戦況を見極める必要がある指揮官だ。
戦略面で根性論や自己犠牲の精神など何の役にも立ちはしない。
子爵とて、今こそ閑職であるイスターチアへの監視任務についているが、往年は西方で亜人国家との戦争の最前線で戦果をあげた優秀な騎士である。
それが解らない男ではないはずなのだ。
だからこそグランは混乱し、同時に理由を問いかけようとする。
――ヒュンッ。
けれども、それはは唐突に聞こえた風切り音に遮られた。
「伏せろ!」
グランは反射的にさけび、子爵を床に伏せさせ、自分も伏せる。
次の瞬間、さらに数本の矢が通り過ぎた。
カツンコツンと鏃が岩製の床を叩く音が響いた。
グランは床を這いずり、覗き穴から海をのぞく。
既に多数の小舟が海岸に乗り付けていた。
船にいるのは弓を構えた兵士達。
橋を守るためだろう、魔法陣の橋を中心に護衛の兵士たちが無数に展開していた。
「ぬかった……橋に気を取られすぎた」
不覚である。
敵軍の進行速度がグランの予想よりも早すぎるのだ。
既に要塞の下部より剣戟の音すら聞こえてくる。
撤退を急がなければならない。
故に子爵に対する問いかけは後回しだ。
「御老って気絶してるのか……エルトと言ったな? 御老を抱えろ」
地面に伏せさせた時に気絶したのだろう子爵をその副官にまかせて、そのまま撤退を強行する。
「結界を展開して走れ! 部隊と合流する!」
こうしてグラン達は竜騎士部隊を率いて脱出。
ペレイエ要塞を放棄。
後に南に陣を引くことになる。
だが、この決断がグランを後悔させる原因になる。
しかしそれを、今のグランは知る由もない。




