二十二話 思わぬ真実 創世の欠片
王都の町中に聳えるは広大な白い壁。
壁伝いにあるけば、一周するのに半日は掛かるだろう。
これほどの壁など、余程の裕福層しか保持できないものである。
故に基本的にこの壁の持ち主として考えられるのは、貴族かそれとも余程の豪商である。
けれども、そこに一つ例外があった。
何を隠そうこの壁の持ち主こそ、その例外。
エフレディアが国教たる、十字教が保持する王都大神殿である。
中には修道院が幾重にも存在し、数百人もの信徒が畑を作り、自給自足の慎ましい生活をしているのだ。
壁の中には綺羅びやかな王都の中にありながらも王都と違う世界が存在しているのだ。
そして、その大きな壁は王都と其処を隔絶するが如くそびえ立っているのである。
けれども、そこにも例外が一つ。
大神殿が敷地の正面門、そこだけは常に開け放れているのだ。
そんな正面門にクリスとテートは一角獣に騎乗したままやって来たのである。
「待たれよ! ここは十字教がエフレディア大神殿、騎乗したまま入る事は許されない。如何様な用事で参られたか!」
門番だろう、法衣を着た男が二人程、槍を交差させるように、クリスとテートを遮った。
「門番ご苦労! 馬上から失礼! 私は翼竜騎士団所属クリスと申す! こちらの令嬢は騎士団が団長グラン様のご息女。テート様にあらせられる! 団長が命令にて神殿の書庫を閲覧したい!」
クリスの言葉に門番達の顔色が変わる。
真面目な顔つきが少しだけこわばった。
「少しお待ち下さい! 今確認を取ります」
一人の門番が駆けていく。
「そうか、頼むぞ!」
横柄な態度でクリスは門番へと接する。
二人は下馬し、クリスは偉そうに腕を組んだ。
「驚きました……、そのなぜ、こんな粗野な振る舞いを?」
テートが気まずいのか言いにくそうに、伏し目がちにクリスへと問いかける。
クリスがとった行動がきになるのだ。
権力を全面に押し出した要求である、失礼すぎるのだ。
言ってしまえば傲慢な貴族の対応だ。
「我儘な貴族だと思わせているほうが早く済む、普通に入れば手間がかかるからな、夜までには戻りたいだろう?」
そう本来、神殿とて入場には手続きが必要だ。
特に今は完全に開け放たれているような、礼拝の時間ではない。
訪問者がこないような時間帯なのである。
「そうですわね……確かに、父が五月蝿いので助かりますが」
グランの事もあるが、それ以上に問題があった。
「こいつらもいつ起きるかわからないしな……」
クリスが指さしたのはテートが抱えている、網籠。
勿論中には幼い翼竜達が入っている。
「ちょっと離れようとしただけあれだけ大泣きするとは思いませんでしたものね……」
そうなのだ。
当初クリスとテートは幼い翼竜達を置いて行こうとした。
けれども、寝ているというのにクリスが離れようとすると泣き出すのだ。
それを繰り返すこと三度。
諦めて連れて行く事にしたのである。
いつ起きるか解らない以上、連れてくるしかなかったのだ。
故にクリスは事を急ぐ。
一応ミルクも持ってきたが、こんな所で泣きだしたら目も当てられない。
「お待たせ致しました。お通しします。一角獣はこちらへ」
門番が急いで帰ってきて二人を案内する。
余程急いだのか、少しだけ息を切らしていた。
残った門番が一角獣を預かった。
***
二人が通されたのは、神殿内部にある埃臭い地下だった。
「こちらが書庫というか資料庫になります……案内は彼女司祭クレアが居ますので、何かあればそちらへお申し付けください」
門番はそう言うとクレアという女性を憐憫の瞳で見た後、早足で去っていく。
我儘貴族の相手をする事を憐れにでも思っているのだろう。
「紹介に預かりました、司祭のクレアと申します、この書庫の管理をしています」
クレアと名乗ったのは、壮年の落ち着いた雰囲気を纏った女性だ。
銀色の髪の毛に赤い瞳、茶色い神官服を着込んでいる。
「俺はクリス、こちらはテート。さっそくだが、神話についての資料を探している。特に光竜ミナクシェルの関連についてだ」
クリスは単刀直入に切り出した。
「伝説の光竜に関してですか」
聞き覚えのない言葉が聞こえ、クリスは尋ねた。
「シャイニング……古代語ではないな? 神の言葉か?」
「はい、光を意味します……こちらへ」
クレアは頷くと静かに、書棚の一画へと歩き出す。
「光竜ミナクシェル……彼女は我々十字教の関係者の間ではそう呼ばれています」
「彼女という事は雌なのか?」
「すべての竜の始祖たる竜番は無けれど、一人で子を産み育てたと伝えられています……こちらが、彼女に関する資料です」
そこには一つの本棚があり、そこにはぎっしりと詰まるほどの資料があった。
「それなりの量があるな……神の言葉も多いがなぜ古代語のものもあるんだ?」
ツンツンとテートがクリスをつつく。
「テート殿、どうしかしたか?」
「古代語や神の言葉とは何ですの?」
どうやら知らなかったらしい。
「古代語っていうのは、有史以前、平たく言えば十二使徒が降臨する前まで使われていた言葉だ、なぜか知らんが神殿にはこの名残が多いし、田舎のほうや古代の遺跡などでよく見つかる。神の言葉というのは主に魔法詠唱用の言葉だな。小魔力や大魔力に働きかける力がある。まあ、殆どの女性は知らないが……、男なら大概知っているだろう。こちらは生物の名前とかにもよく使われる、翼竜や火竜などその最たるものだ」
「よくご存知ですのね……」
軽い拍手の音が響く。
クレアが手を叩いたのだ。
「正しい説明でした。私にも分かりやすかったです、今度使わせてもらいましょう。それで古代語の物ですが、神殿では情報漏洩の防止として古代語を使っている事も多々あります。神の言葉よりも知名度が低いので一般の方でしたらまず読めませんからね」
「一般人に読まれて困るものがあるって事か……」
クリスの呟きに、クレアはにこりと笑った。
「……失礼、それでミナクシェルの親族とかそういうのを記したものは無いか?」
クリスは書棚を確認しながらも問いかけた。
軽く見た限りは、ミナクシェルの資料といっても様々でどれから手を付ければいいかわからなかったからだ。
「親族……ですか? 主である十二使徒がエフレディアの事とかではなくてですか?」
余程変な質問だったのか、クレアは驚いた顔をして、クリスの顔を凝視した。
「変な事を聞いているのは自覚している、エフレディアではなくミナクシェルの……その竜としての親族だ」
「竜としての……」
そう言うとクレアは不可解そうに視線を彷徨わせ、再びクリスを見てテートを見た。
「翼竜騎士団……でしたね。今日の命は団長様からでしたか?」
「そうですわ」
躊躇もなくテートが肯定した。
クレアは何かを戸惑うように、視線を揺らし、そして、ゆっくりと問いかけた。
「白銀の竜について調べているのですか?」
クレアの言葉にクリスとテートに驚きが走る。
「なんでそれを知っている……?」
思わずクリスは腰の剣に手を掛けた。
この事を知っているのは、クリスとテートを除けば、グラン、ジャックのみ。
少なくとも神殿にもれるような事はないはずだ。
借りに知っているとしたらそれは、あの竜を仕掛けた張本人の可能性がある。
「怖いですよ、落ち着いてください」
緊張するクリスを見て、クレアは苦笑する。
「俺たちがここに白銀の竜を調べに来るのを知っていたのか?」
クリスはクレアに問いかけるがクレアは微笑んだままで居る。
「大司教様が教えてくださいました」
大司教、それは十字教で最高峰の権力を埃、実質ここエフレディアの大神殿では一番の権力を持つ者である。
「大司教……それは魔法的な何かで?」
大司教ならば、クリスの知らない魔法的な何かで、見通していたという可能性もなくはない。
王都の大司教といえば何かと辺な噂がある男である。
「せめて神の奇跡とおっしゃってください、私も詳しくは知りませんが予言のような物だと伺っています」
「予言か……っその予言では何と?」
「昼下がりに書庫に白銀の竜を調べに来る人が居る、とだけ」
クレアは端的に答えるが、勿論クリスは納得ができない。
「それだけか……?」
「それだけです、でもそれだけの事が大事なんですよ。だからこそ、私がここに居るのです。司祭である私が」
司祭……神殿にとって大司教に次ぐ力を冠する役職である。
「司祭以下の人たちには、知らされて居ない事ですからね」
クレアはそう前置きした。
十字教の神殿における位は象徴として教皇が一番に、二番に実権を担う枢機卿、そして四人の大司教、その下に複数の司教、司祭、助祭、修道士と順になっている。
例外などもあるが、基本はこれにもれない。
司祭とも成れば、それなりの街の神殿長を任されても不思議ではない。
クレアはさらにそれよりも上の司教なのである。
当然、それ相応の知識や経験を持っている。
「普通に神話を調べても、白銀の竜は出てきませんよ。白銀の竜は十字教にとって禁忌にも近い存在なのですから……」
「禁忌……」
その言葉に戦慄する。
十字教が国教であるエフレディアにおいて禁忌を触れる事は大変危険な行為である。
場合によって、首が飛ぶのも珍しくはない。
「そうです。本来ならば、お教えすることは叶いません。けれども、あなた達はそれに出会った。出会ってしまった。ならば教えなければならないでしょう、私は今ここで貴女達に語るためにここに居るのです」
クレアはゆっくりとクリスの目を見て、テートの目を見た。
何かの確認のようなその作業。
クリスには一瞬だけ、クレアの瞳が光を発したように見えた。
「まずは神話について語らなければ成りません……」
そうしてクレアは神話を語り出す。
かつて世界には人族と魔族が存在していた。
強靭な力を持つ魔族は脆弱な人族を家畜のように扱っていた。
そんな人族を哀れに思った神は十二の使いとその従者、神獣を人族に使わせる。
後にその十二人は十二使徒と呼ばれ、従者は十二獣と呼ばれた。
十二使徒と十二獣は哀れな人族を魔族から救っていった。
やがてそれは人族と魔族の戦となり、世界は戦乱へと導かれた。
人族や神獣を率いる十二使徒。
魔物と呼ばれる、闇の眷属を率いる魔族。
戦いは年々激化の一途を辿り、激しい戦いの末、十二使徒と十二獣は魔族を追い詰め、遂には討ち滅ぼす事に成功する。
人族は喜びの宴を七日七晩開いたという。
だか決して、戦いで失ったものは決して少なくなかった。
十二使徒は六人にまで減り、十二獣は一匹しか残らなかった。
他の使徒と神獣は、激しい戦いの中でその生命を落としていった。
戦いが終わったというのに浮かぬ顔をする十二使徒に、その時の人族の王が理由を問うた。
「使徒様達はなぜ悲しんでいるのですか? 我々は魔族を打ち倒したというに何が悲しいのですか?」
「おお、仲間や家族の死を悼めぬ幼き人族よ、愚かなおぬしらに答えよう。我らは悲しいのだ、友人を、仲間を、家族を失ったが故に」
そう言うと使徒たちは泣き出してしまいました。
「悲しまないでください、使徒様達、友人を、仲間を、家族を失ったのであれば、私達が代わり、友人に、仲間に、家族になりましょう」
人族の王はそう告げる。
それを聞いた使徒たちは大きく泣きじゃくった。
「それでも悲しいのですか? 私達では代わりにはなりませんか?」
不安そうに人族の王は問うた。
「違う、悲しいのではない。嬉しいのだ、しかし、決して代わりなどでない、新しき友よ」
そして、十二使徒は、人族と交わった。 やがて子孫を残し、その天命を全うした。
語り終え、クレアは静かに目を瞑る。
「これが一般的に伝わっている神話の概要です」
「ああ、俺が知っているものと遜色はない」
「ええ、神話の流れの筋は変わりません……ですが違う所をあげるとすれば、十二使徒と十二獣は十三使徒と十三獣だったのです」
「なんだって?」
クリスは驚いた、人数が変わっているのである。
「十三人目と十三匹目が本来ならば存在していたのですよ」
けれども淡々とクレアは答えた。
事務的に、事実だけを語るように。
「今の神話では語られていないのはなぜでしょう?」
テートの問いかけにクレアは微笑を浮かべるだけだった。
それを見てクリスは察する。
「消されたんだな? 文献から……いや消したんだな十字教が」
クリスの言葉にクレアは静かに頷いた。
「お察しの通り、消したのは正確には十二使徒教ですが……」
「それほどの事をしたのか? 十三番目というのは?」
文献から意図的に消されるというのは、十二使徒教や十字教に余程都合が悪い事をしているのであろう。
「十三番目の使徒は人を裏切って魔族の側についたのです、そしてその神獣も」
クリスに衝撃が走る。
けれどもよくよく考えてみれば、十二使徒教など、名前の時点ですでに十三番目を排除してる。
神から送られたとされる使徒の裏切りという事実は十二使徒教の根幹に関わる事態だ。
絶対的な力を持つとされる神、その神に送られた使徒が裏切るという事は神を裏切るという事だ。
そして、裏切るほどの理由が存在するという事になる。
「理由は分かっているのか?」
クリスの問いにクレアは静かに頷いた。
「魔族を助けたそうです」
「……は?」
その答えにクリスは間抜けな声をだした。
義憤に狩られたかそれとも哀れみからかは不明だが、使徒という立場で魔族を助けるなど、こんなにおかしい事はない。
先ほどまで自分で殺していた相手を助けるようなものである。
「神話の大戦……その後期、戦線は完全に人に傾きました……魔族と人族の力関係は逆転し、人族が魔族を襲うようになったのです」
ありえない話ではない。
それまで虐げられていたというのなら、そのような事も十分起こりえる。
「裏切りの十三番目……光の繰り手……名をイフリデュオ……、イフリデュオは人族に虐殺される魔族を見て言ったそうです、人族も魔族も何もかわらない、と」
能面のような表情で告げるクレア。
「そしてイフリデュオが神獣こそが光竜ミナクシェルが双子の弟竜。白銀の鱗を持つ。狂竜なのです……名を」
名前を最後まで聞く必要はなかった。
「ルクシェリス……」
クリスの口からは自然のその名前はこぼれていた。
クリスの言葉にクレアは目を見開いた。
そして、とても綺麗な、けれども綺麗すぎて寒気が走るような、そんな笑みを浮かべた。
「やはり、貴方は……貴方だからこそ大司教はこの事を話す事をお許しに成られたのでしょう」
まるで祈るように、クレアは手を組み目をつぶる。
「おそらく貴方達が出会ったのは、狂竜ルクシェリスが眷属である銀竜の一匹でしょう……」
「待て、眷属が居るということは狂竜は今でも存在しているのか?」
「遥か東の地に封印されている……と神話では語られています」
「神話の大戦が終結した所か……」
エフレディアよりも東の場所、東の国は数多くある。
けれども、神話の終結した場所、そこは東の大陸に存在する、とある帝国の中に存在する。
「イスターチアか……」
クリスは銀竜はイスターチアが仕組んでいるのではないかと疑いを深めた。
「さて、東の彼の国が何をしようと私達は干渉する事はありませんが」
十字教、十二使徒教は戦には不干渉、それが全世界における決まりだった。
故に、クレアはそれ以上語る事はしなかった。
「……邪魔したな。俺たちは戻るとする、テート殿行こう」
「貴方達にエフレディアの加護があらん事を……」
クレアの言葉を背に、クリスとテートは資料庫を後にした。
***
「何か大変な事実を聞きましたわね……」
帰途、テートが上の空で呟いた。
「あの白銀の竜の名前が銀竜という事がわかっただけでも僥倖だ、そしてイスターチアの事も」
「休日が大変な事になりましたわね……」
「そうだな……、休日が、ん?」
そういえばそのような事をテートは言っていた。
「やはり、忘れて居たのですね」
テートは呆れたようないため息を付いた。
「だが、一応調べてくれと団長が……」
「父は今日中とおっしゃいましたか?」
「は?」
テートの言葉にクリスの口が開く。
思い出せば確かにグランは言ってない。
「一応身体を気遣ってくださいましたのに、クリス様たら職務に熱心で」
「ああ、そうなのか……」
クリスに唐突に疲れが押し寄せてくる。
身体の力が抜けていく。
どうやら大分、緊張していたらしい。
そんなクリスを見たテートが息抜きを提案する。
「気晴らしに、甘味処でもよっていきますか?」
「行きたいところだが、子どもたちが……」
「クリス様、お母さんみたいな事言ってますわ」
「そうか?」
「でしたら、お土産だけ買いましょう、王都に来てお土産一つないと父が拗ねますからね」
テートはくすくすと笑う。
「子供か」
「殿方は幾つになっても、大きな子供ですわ」
「……そうか」
クリスは少しだけ頬を引き攣らせた。
その後も二人は雑談をしながらも帰路へつく。
少しだけ気の抜けた二人は帰りが遅くなり、グランに怒られるのだが、それはまた別の話である。




