二十話 決定権
クリスとテートが二人が食堂に到着すると、食堂は殆ど満席だった。
さらには通常よりもいくらか騒がしいくらいである。
「思ったより混んでいるな……ここで翼竜の子どもたちを出したら騒ぎにならないか? やはりミルクだけもらって何処か移動した方がいいかもしれん」
「大丈夫ですわ。あっちの先の布で仕切りがされている部屋があるでしょう? あそこは基本的に上官専用の場所なのですわ。一緒に行きましょう」
上官専用という言葉に少しだけクリスが躊躇したが、テートはそんな事は気にもしない。
テートはクリスの手を引いてズンズンと歩いて行く。
ある意味当然といえば当然である。
翼竜騎士団の最上位権力である、団長の娘なのだから。
そこは食堂内部の奥まった場所にあった。
長い暖簾が入り口にかけられており、明らかに他の場所と区別されている。
そして、そこに人気が無かった。
「上官専用な……」
階級に合わせて、待遇を変えるのは組織としては基本であるが、テートが思った以上の権力を有している事に、クリスはすこしばかり思う所があった。
クリスは少しだけ眉を潜めながら、暖簾をくぐり抜けた。
そこは他の場所とは違う、厳かな雰囲気が流れていた。
中に入れば、いくつかテーブルが並び、それぞれ衝立と暖簾で空間が区切られている。
足元だけが見えるようになっており、外から確認できるのは人がいるかどうかくらいである。
個室を意識したちょっとした料理屋のような作りである。
何箇所かは既に埋まっているようだが、クリスとテートは開いている場所を探して入り込む。
「私はミルクをもらって来ますわね、少々混んでるのでお待ち下さいね」
「ああ、頼む」
開いていた席につき、網籠をテーブルに置くと、テートはミルクを貰いに行った。
すると、まるでそれを見計らったように席に入ってくる男の影。
クリスは思わず身構えるが見知った顔である事に気づき、声をかけた。
「おはようございます。サーシェス団長」
「ああ、おはよう」
クリスが略式の騎士の礼をするが、見知った影、グランはめんどくさそうに手をふった。
少しだけ疲れたような顔をしている。
グランはそっと席に腰をかけ、少しだけ顔を歪めてクリスを見た。
「身体は無事か?」
「おかげ様で。テートが手当をしてくれましたし、殆ど壊れましたが、ロイドに頼んだ魔法道具が無ければもっと大きな怪我をしていたでしょう」
クリスがロイドを褒めればグランは嬉しいような、それでも悲しいような複雑な顔をする。
「ロイドか、その、何だ。あの指輪を渡されるってことはクリスはロイドと親しいのか?」
探るような眼でグランはクリスを見る。
「騎士学校時代の同期ですが……親しいかと言われると疑問が、なぜか演習や組手でよく組まされはしましたが」
「俺とアーノルドがよく組んでいたからそのせいかもな」
グランは少しだけ頬を緩め、懐かしげに笑った。
けれども、その後表情を引き締めた。
「さて、実はクリスに話がある」
「昨日の事ですか?」
「昨日の事もそうだが、これからの事もある、報告は聞いているが一応クリスの言葉でも昨日何があったのかを確認したい」
グランに問われ、クリスは昨日の出来事を順を追って全てを説明した。
グランは仕切りに難しい顔をして、クリスの話を聞いていく。
時々疑問を口にして、クリスもそれにできるだけ答えた。
「なるほど。ミューデルトが喋ったか……本当に人化できるようになっていたのか」
「テート殿からは聞いて無いんですか?」
「ああ、聞いたよ、聞いたとも。だけども流石に信じられなかった。竜種の人化なんてエフレディアの歴史上でも数えるほどだ」
そう言うとグランはため息をつく。
けれどもその態度をクリスは疑問に思う。
「優秀な竜という事じゃないんですか? サーシェス団長の相棒……なのでしょう? 喜びはすれどため息をつくような事じゃないような気がしますが」
「ああ、いやミューデルトが人化できるのは俺も嬉しいよ? だけどさ、仮にも相棒なのに教えてくれてなかったというか、クリスとテートに先に教えるのってどうなのかなとか思うわけよ?」
沈黙が落ちる。
「……信用されて無いんじゃ?」
「おまっ、そんな事ねーし! 俺とミューは阿吽の呼吸だし! 俺が右行こうとしたら、ミューが左に行こうとしてさんざん揉めた挙句に折衷案で上に行ったりするくらい仲いいんだぞ!?」
それは仲が良いのだろうか、微妙な所である。
「……それより、チキャーナの子供達についてですが、どうしましょうか?」
「聞けよ! おい! まったくもう! しまいにゃ泣くぞ! ……まったくミューが育てろって言ったなんなら育てるしかないだろ?」
「そうではなく、誰が育てるべきかと……」
「クリスが育てるしかないだろう?」
「……」
「ミューがクリスに育てろと言ったんだ、何としてもお前が立派な翼竜に育て上げるんだ、これは命令だ」
普段とは違う、強い意志を感じる口調でグランはクリスに命令する。
その迫力は、クリスが今まで見た事のないものだった。
王国最強の男という言葉に偽りは無いのだとクリスは初めてここで実感した。
「了解しました」
クリスはグランの顔を見据えると、恥じぬようにと騎士の礼を返した。
そんなクリスに対しグランは頷くと、腕を組み思い悩むように眼を瞑った。
そして大きなため息をついた。
「クリス……」
グランはつぶやくような声音でクリスの名を呼ぶ。
そして、先ほどよりもよほど真剣な表情だ。
「何か?」
先ほどよりも真剣にクリスはグランの言葉を待った。
グランはたっぷりと間をあけて、絞りだすように声をだした。
「支援金、増やしてくんない?」
色々と台無しである。
クリスは自分の心が一瞬で冷めるのを体験した。
次いで沈黙し、グランと同じくらいたっぷり時間をかけてグランを見つめ、顎をあげ見下した視線で言い放った。
「甲斐性無し」
「ひでぇ! 理由があるんだよ!」
「理由? 運営資金でカツラを買う事ですか?」
「ち、ちちち、ちげーし! てか、なんで知ってるし?!」
「自分は裁可の職務も補佐してますので……。 それとも、テート殿に何か買ってあげるんですか? そういえばテートの部屋にある家具は全て王室で使うような最高級品でしたね……サーシェス団長は土地の無い貴族でしょう? 騎士団長とはいえ給金で買うとしたらそこそこキツイ品物なんじゃないですか?」
「ちげーし! あれはテートのために頑張って買ってあげたんだし! 半年くらい晩酌我慢したし、娘思いのいいパパだろ俺!? ていうかテートの部屋入った事あんの?!」
「……では理由を述べてもらいましょうか?」
グランの言葉をスルーして顔の前で組むクリス。
謎の風格が漂っている。
ちょっとだけグランが涙目だ。
グランは仕切りなおすとおずおずと言い出す。
「……イスターチア帝国がな」
クリスはその言葉でピンと来た。
国の名前である。
何年も、何十年もの間、エフレディアの肥沃な大地を狙い、戦争を繰り広げている海を挟んだ東の大帝国。
「始まりますか?」
「かなり近いだろうなと思っている」
「軍備の増強をしたい、と」
「アーノルドのほうに手を回してもらえないだろうか?」
「ええ、そういうことなら、構いません。支援金の裁量は自分が任されています」
その言葉にグランは眼を丸くする。
「え? なんで?」
クリスと実父であるアーノルドは表面上は兎も角、内では仲が悪いはずである。
だというのに、相応の金額が動く事をクリスが任されている事にグランは驚いた。
「うちの母の姓はラプンツェルですので……まぁつまりリリィ公爵領の財布はうちが握っていると言っても過言ではなく……」
リリィ公爵領のラプンツェル商会といえば、王国きっての大豪商である。
その資金は王国すらも超えると言われている。
「あれ、なにそれ? マジでクリスが握ってんの?」
「名義こそ公爵家なんですが、実際は祖父が直接取り仕切ってますし、それにこれは、兄上が見つかったのに父上が俺を殺さなかった理由の一つでもあります」
さらりと重い事を言うクリスにグランの口がぽかんと開いた。
「母は俺を溺愛してますし、祖父は唯一の跡取りを掻っ攫われた形ですからね、そもそも父と仲がよくない。もし父が俺が殺せば……母はや祖父は父を許さないでしょう。普通の妾ならそんな事もいえませんが、生憎とラプンツェルと縁が切れればリリィ公爵領は立ちゆかなくなる」
「…………え? まじで?」
「これは表向きは秘密の話なのですが……」
クリスは何処かあくどい笑みを浮かべた。
「リリィ公爵領の収入はラプンツェル商会からの税収が九割です、こんな事身内以外の人間に教えられないでしょう? だからそっちの関係も殆ど俺か祖父がやってます」
とんでもない事をさらりと告げられてグランの口は引き攣った。
開いた口がふさがらなかった。
実際、年代的には合致しているし、他の支援者とは比べ物にならないほどの金額が翼竜騎士団には流れている。
「俺がこちらに所属することが決まった時に祖父からは裁量権を頂きました。好きにしていいと」
ちなみに翼竜騎士団の運営資金の三割が国で残りは支援者による支援である。
その中でもリリィ公爵家はその八割を誇る。
つまり、翼竜騎士団の資金の半分はラプンツェル、ひいてはクリスが握っていると言っても過言ではないのである。
「ま、まぁよろしく頼むよ……詳細は後で技術部にクリス宛で書類を送っておくからそこで確認してくれ」
「はい、わかりました」
素直に頷いたクリスを見てグランは何故か顔が引きつった。
「要件はそれだけですか?」
「ああ、他には特に……一つあったな」
「何か?」
「ジスタン・トライムの話だ」
「ジスタン? 誰でしたっけ?」
「クリスお前なぁ……お前に決闘を申し込んだ奴だよ。テートにまとわり付いてる。若いやつ」
「ああ、あの頭の悪そうなぼんぼんですか」
「もうちょっとオブラートに包もうな?」
グランは少しだけ、ジスタンに哀れみを覚えた。
「そいつがどうしたんですか?」
「どうしたも、何もあいつが騒いでいてな。ほら今日決闘する予定だったろ? もちろん団員同士の決闘なんて騎士団として認めるわけにはいかないから、俺が説教したら、しぶしぶ引き下がったが。何やらクリスの周りを嗅ぎまわってるらしい、注意しておこうと思ってな」
「はあ、別に嗅ぎ回られたところで何とも……」
クリスはやる気のない返事をする。
「いや、あるからね? 変身魔法だぞ? もし仮にジスタンが敵国につながってて、敵国なんかに解析されたら、好き勝手に変身されて暗殺とかし放題じゃないの?」
「じゃぁなんで俺はヘタしたらすぐに最前線に行くような騎士団にいるんですかね……、やっぱり父上が遠回しに殺そうとしてるんじゃないですかね」
クリスがアーノルドを皮肉った。
けれどもグランは首を横に振る。
そしてグランから出た言葉はクリスにとって完全に予想外だった。
「ここが安全だからだよ」
「安全……?」
クリスは思い切り首をかしげた。
「なに不思議そうな顔してる? エフレディア最強の騎士団と名高い翼竜騎士団の中に居るんだ、安全に決まってるだろう」
「自分で言います?」
クリスは呆れて返す。
けれども、グランの言うことはあながち間違っては居ない。
例え戦時であろうとも、翼竜騎士団の内部は安全だろう。
仮にも最強の騎士団、その行動力と決定権は時には王室の意見すらも跳ね返す。
「アーノルドの親心だと、俺は思うぞ?」
「そんなまさか」
クリスはせせら笑う。
そんなはずはないと確信しているからだ。
「あいつは不器用だからな……」
けれども、グランは随分とアーノルドを信頼しているのか、染み染みと呟く。
そんなグランにクリスは懐疑的な顔をした。
仮に親心だとしたら不器用なんて話ではない。
絶対にそんな事はないとクリスは思う。
「とまあ、アーノルドの事は置いておこう、問題はジスタンだ。クリスは正面から戦ってジスタンに勝てるか?」
問われれば否とこたえるしか無い。
前日ジスタンを気絶させる事ができたのは、意表をついたからである。
正面からという条件がつけば、男の時ならともかく今の状態ではほぼ不可能と言っていい。
「無理……でしょうね」
クリスは少しだけ悔し気に、返答する。
「だろうな」
グランもクリスの返答を予期してたかのように同意した。
「ジスタン自身、新人にしては腕が立つ。特に昼にもなると別格だベテランの騎士にも引けをとらない、いや下手をすれば上回る強さを誇る」
「昼の……太陽の騎士とかいうやつですか?」
「ああ、奴の家系の血脈魔法だ」
「血脈……」
血脈魔法とは発動条件に血筋が必要な魔法である。
その性能の多くは他の凡庸的な魔法を凌駕しており、中には失伝魔法に匹敵する魔法も存在する。
「詳しくは俺も知らねぇ、だけどその強さは確かだ。ジスタンは入団試験で試験官に手傷を負わせた」
「翼竜騎士団の入団試験というと……」
「ああ、団員との手合わせだ。切られた奴は竜騎士の中でも精鋭だった奴だ」
翼竜騎士団の精鋭に手傷を負わせるという事がどれほどの事なのか、考えるだけでも凄まじい。
「相当な腕だという事ですか?」
「いや腕はない、ジスタンにあるのは速度と力その二点だけだ技術がともなっちゃいない」
「それで、切られる試験官というのも……」
クリスは否定したかった、けれどもグランは首を横にふる。
「試験官、ペイルはそれなりの腕を持つ竜騎士だ。それだけ、血脈魔法が強力なんだ。太陽の騎士の家系は伊達じゃない。昼間のジスタンは本当やばい」
グランがそこまでいうのだ、相当に危ない相手なのであろう。
「そこでだ。クリスに稽古をつけようと思う」
「団長が……ですか?」
クリスは目を丸くして問い返す。
もしもグランがクリスに稽古をつけてくれるというのなら、クリスとしても興味がある。
けれども、忙しくてそれどころではないはずである。
「いや、俺じゃない、ジャックだ」
グランが名前を呼べば、気づけばクリスの横に副団長であるジャックが座っていた。
「俺だ」
「いつのまに……」
クリスの驚きもつかの間グランが説明を続ける。
「ジャックはこう、そういう気配をけしたり、突然出てきたりする技が得意なんだ」
「諜報用の技……ですか?」
「いや、暗殺術だ」
クリスが問えば堂々とジャックは告げる。
「……それは騎士としていいんでしょうか?」
騎士という生き物はそういう汚い事を毛嫌いする傾向にある。
騎士とは正面から戦う事に意義を見出すのだ。
「翼竜騎士団は防衛の要だからな、俺やジャックを殺そうと暗殺者もたまに来る。暗殺術に通じるということは、暗殺に対する対策にも通じるという事なんだよクリス」
グランは静かに説明した。
グランの言葉は確かに、的を居ていた。
「暗殺術はクリスに向いていると思うがね?」
ジャックは語る。
「暗殺者というのは、女性に多いというのは知っているか?」
「それは意外ですね」
クリスは訝しげに耳を傾ける。
しかし、ジャックの言葉が胡散臭い。
そもそも女性は男性に比べて非力であり、また魔法も使えない。
そのような者がいったい誰を殺せるというのであろうか。
せいぜい殺せるのは同じ女性くらいである。
少なくともクリスはそう思っている。
けれどもジャックは、クリスの心を読んだようににやりと笑う。
「そうだろう、意外に思うだろう、まずその意外性こそが暗殺の一歩なのだよ」
「意外性ですか?」
「意外性だ、魔法も使えぬ、力すらも男に劣る女に何ができる? と皆思うだろう。暗殺の基本は相手の隙をつく事だ。狙撃しかり、毒殺しかり、相手が予想だにしない方向から攻めていくのが基本なのだ」
「なるほど……」
「私の師事した方も女性であった。けれども彼女は女性というその非力な身で幾重もの暗殺を成功させているのだ。今のクリスが正面から男と戦って勝てるとは思わない事だ。ジスタンを気絶させた時も何か意表をつくような事をしたのではないかね?」
「まぁ……しましたが」
したと言っても足元にぬかるみを作ってこけさせただけであるが、もっともそれが致命的でもあるだが。
「やはりクリスには素質があるのかもしれない。その意表をつく行為、それを極めたのが暗殺術なのだ。一流の暗殺者は相手が死んだことすら気づかせない」
クリスは納得したがは思うがふと疑問が湧いた。
「死んでたら気づくもなにもないような……?」
一瞬の沈黙。
「だまらっしゃい! ……とにかく、非力な身でも戦いようはあるということだ」
そうジャックは締めくくった。
クリスは釈然としないが、ジャックの言葉にも一理ある。
「けれども、副団長が一団員にそのような事、良いのですか?」
「いや、いい事ではない」
ジャックはクリスの言葉を否定する。
「ではどうするので?」
「技術とは盗む物だ」
問いかけに返されたのは、不可思議な言葉。
「……はぁ?」
「ゴホン」
思わず生返事をしたクリスをみて、グランがわざとらしく咳をした。
「つまりだな、ジャックの職務に同行してみたらどうだろうっていう話なんだ」
「副団長の職務……って普段何やってんですか?」
副団長の職務などクリスは知らない。
問いかければジャックは愉快そうにその口を歪めた。
「グランの尻拭いとかグランの尻拭いだ」
「おいおい、俺は他人様に拭ってもらうほど汚い尻じゃねーぞ!」
当然のように言い切るジャックにグランが憤慨するが、ジャックは気にもしない。
「血に塗れていると、俺が知らないとでも?」
ジャックの言葉にグランの眉があがる。
不穏な空気が流れだす。
「……ジャック貴様、どこでその情報を!?」
よほどの大事なのだろうか、グランの目は見開き、食い入るようにジャックを見つめている。
「座り方や、足さばき、最近の食習慣、様々な事を観察すればな……」
大仰に肩をあげてみせるジャックにグランは悔しそうにうつむいた。
「グランが切れ痔だということは考えるまでもない、覚えておけクリス、観察こそ暗殺術の奥義だと!」
ただの切れ痔だった。
「左様で……」
盗むはずの技術を、それも奥義をあっさりと教えられてしまった。
クリスはおざなりに返事をするしか無かった。
「というわけで、今度森に調査をしに行くんだよ。昨日の野良の翼竜達の事とかをな」
何もなかったのかのように話しを進めるグランにクリスはもう何かを諦めた。
「なるほど」
「何が恐いかってあれほどの群れだったというのに、こちらは知りもし無かったとう事実が恐ろしい。何処に住んでいるか調べる必要がある、仮に森に住んでいるのならば、森の生態系が狂っている可能性もある。そうなれば大変な事になる」
「例えばどのような?」
「そうだな、一種類だけが大量発生したり、住処を追われた種類が何処かに移動したり、食料を求めて人里を襲う可能性もある、例えば麦鼠とかな。だからできるだけ早めに解決する必要があるんだが」
麦鼠は本来収穫期の麦畑等に多く生息する鼠なのだ。
巨大樹の中に、それも大量に居たという事実がグランの憶測を、真実へと近づける。
「それはジャック副団長と俺と二人でと?」
「そうなるな、ジャックの動きについていける騎士は殆どいないし、森は危険だ。翼竜のみならず他の竜種も多くいる。気配や姿を消せるジャックは兎も角、他の騎士には中々荷が重い、それこそクリスのように竜に好かれるような体質でもなければな」
「ダメですわよ」
気づけばテートが笑顔でグランの横に立っていた。
その横には配膳用の手押し車。
テートに気づいたグランがビクリと立ち上がる。
「テートか! 驚いた! 無音で人の横に立つ癖はやめなさいとあれほど言っただろう、心臓に悪い!」
「淑女の嗜みですのに……」
テートは口と尖らせる。
しかし、とんでもない淑女もいたものである。
「俺より、暗殺術に向いてるんじゃ?」
クリスからぽろりと感想が漏れる。
「ほう、気づいたか? 正直俺もそう思う」
ジャックの肯定にクリスは苦笑するしかなかった。
「クリス様は子育てがありますから他の職務は全部放棄ですわ」
テートはいつのまにか聞いていたのか、とんでもないことを言い出した。
「そういう訳にもいかないだろ……?」
クリスとて暗殺術には興味があった。
強くなれる可能性を見つけてすがりたかったのである。
けれども、否定するクリスをみてテートは眼を見開いた。
「いいえ! ミューデルトに頼まれたのは他でもないクリス様なのです! 他の誰であろうと子どもたちを育てることはできませんわ!」
一体何が彼女をそうさせるのか、テートの剣幕は凄まじかった。
クリスは思わず仰け反り、こくこくと二回も頷いてしまった。
「テート、そのことなんだが……別に育成だけなら他の技術部でもできると思うし、クリスには大変だと思うが並行して職務に当ってもらいたい」
グランが窘めるように言う。
「いけません、親の居ない子はぐれてしまうのです。ミューデルトが親として指名したのはほかならぬクリス様、他の誰でもその代わりはできません」
「だけどな……」
「子どもたちが、お兄さまのように、成りますわよ?」
「翼竜を人と一緒にするんじゃ……」
グランが言い切る前にテートの目尻がつり上がった。
グランは罰が悪そうに目線をそらす。
どうやらグランはテートに頭があがらない何かがあるようだ。
「では、決まりですわね。クリス様は子育て優先で」
朗らかに笑うテートに得も言われぬ迫力があった。
クリスが横目でグランを伺うとグランは諦めたように首を左右に振った。
「さて、お話は終わりですわ。ミルクを持ってきました。飲むといいのですけど」
テートがカートから取り出したのは大きめの瓶。
中には既に白い液体が満たされていた。
「なんのミルクだ? ミルクにしてはなんか透き通って緑色だな?」
グランが興味深そうにそれを見る。
あれだけ、ばつが悪そうに俯いていたのにグランの切り替えはとても早かった。
「地竜騎士団から頂いた地竜のミルクに、それにノーザスから輸入した月氷華の雫を一滴。癒やしの樹液。クミールの実、世界樹の身をすりつぶして入れてますの」
「え? まじで? それ、え? え?」
テートの言葉に、グランの眼が白黒する。
次いで顔青くなり、口をパクパク平開した。
「これで育たない竜は居ないと、お墨付きですわ! 昨日地竜騎士団にいる友達に連絡したら、ちょうど今、返事と共に届きましたの、定期的に送ってくれるそうですわ」
無邪気に笑うテートにグランは何も言えなくなった。
地竜のミルクはまだいい、いや良くはないがまだいいのだ。
竜保持量でいうなら地竜を擁する地竜騎士団はじゃ竜騎士団の次ぐエフレディア王国で第二位を誇る。
それだけの数がいればミルクとて手に入るだろう。
それに地竜騎士団は主に輸出入の警備を司る、仕事の関係上、外国の品物を手に入れるのも難しくはない。
月氷華といえば主にノーザスにある国が管理している万病を癒やす薬だし、癒やしの樹液というのは樹人と呼ばれる魔物からとれる、治療薬だ。
傷であればどんなものでも殆ど治ってしまうという一品だ。
さらにクミールの実といえば貴族の中では知らぬものがいないという森の宝石と言われる美しい果実である、その身は赤く一口食べれば、身体に体力がみなぎるものである、世界を走って一周してもまだ体力が余ると言われるものである。
そして世界樹の実、大魔力を大量に含み、めったに手に入らない一品だ。
その実を食べれば戦士ならば三昼夜は魔法が撃てると言われている。
どれも奇跡に近い効能を持つ素材である。
これだけの素材を一つのものに混ぜたのだ。
翼竜とて育てるのは難しくないだろう。
むしろ育てられなかったら嘘だと叫びたく成るだろう。
けれども、それだけのもの、どれだけの費用が掛かるのかなど想像するのも恐ろしい。
「月氷華の雫に癒やしの樹液……森の宝石に世界樹の実。ミルクに入れる割合しだいですけど、相当値が貼りますね、団長これ払えるんですか?」
値段を大まかに計算しながらクリスが問うとグランは首を横にはちきれんばかりに振りまくった。
「いや、あのな……、ミルク一杯で俺の給料なんか飛んじまうだけど……」
グランは肩をすぼめて、ふらふらしだした。
まるで世界の終わりのような顔でゆらゆらしている。
そして、クリスをじっとりとした視線で見つめてきた。
「……支援金に少し上乗せしておきますか」
クリスは仕方なく、いやいや告げる。
だというのにグランの顔は満面の笑みになっていた。
「すまんな」
「ミルクを用意するのは母の勤めですからね、やはりクリス様が育てるべきかと」
ここぞとばかりにテートが外堀を埋めていく。
「ああ、わかった、わかった。そういう事ですのでジャック副団長……森の件は……」
「問題ない、元々私一人でなんとかなるものだ」
「ありがとうございます」
「話はついたのなら子どもたちにミルクをあげませんと」
テートが急かすように、言う。
目線は既に網籠を見つめている。
どうやらテートは子どもたちにミルクを与えたいようだ。
気づけば瓶に入っていたミルクは哺乳瓶に移し替えられていた。
「さあクリス様、子どもたちを籠からだしてくださいな!」
「静かだし、まだ寝ているんじゃないのか? そう慌てなくてもいいだろう」
クリスはテートに苦笑しならがも網籠に手を伸ばした。




