十九話 朝の些事
初夏とはいえ山の夜明けは、湿度が高く気温も低い。
どこからか流れてくる風は山全体の気温をさげる。
とはいえ、普通に寝てる人を起こす程は低くはならない。
けれども、今のクリスにはその気温で眼が冷めてしまった。
寝ぼけた頭でゆっくりと瞼を開ける。
「寒い……」
クリスは寝ぼけ眼で辺りを見回して、白い掛け布を引き寄せた。
そして目を閉じる。
「いい肌触りだ……こんなにいい布団だったか……?」
でたのは疑問の声。
それも当然、クリスの部屋の布団はお世辞にも良い布団とはいえない。
騎士団備え付けのお古の中古品。
ボロボロでくさい、布だった。
さらに今のクリスの目前に見えるのは大きな天蓋とそれから垂れ下がる白い半透明な垂れ幕である。
本来クリスが寝泊まりしているのは、翼竜騎士団の宿舎である。
それもオランと同室の二段ベットな狭い部屋だ。
普段は起きれば、目の前にあるのは低い狭い天井なのだ。
けれども今は違っていた。
天蓋だけで広さも高さもクリスの部屋よりも余程大きい。
そして、その天蓋は四本の柱に支えられている。
さらにクリスの身体を乗せるベットの感触も違っていた。
二人部屋は木に薄い布団を引いただけのベットである。
板と見分けがつかないと言われるほどに潰れた布団なのだ。
だというのに、今クリスの身体を支えているのは、やわらかなそれでいて確かな弾力をを持つ。
それに天蓋の大きさをみるだけでも、このベットは普通の大きさではない。
少なくとも、二人無いし、三人は余裕で寝転べる大きさだ。
俗にいうキングサイズである。
すなわちそれは、天蓋付きの高級ベットだった。
刻印を見て納得する。
それは王都で有名な寝具の専門店。
「……アレリーレ商会のベットか随分と良い品だ」
クリスが思いだすのは実家である、ラプンツェル商会の取引先の一つ。
クリスの実家の部屋もこの商会のベットが置かれて居た。
何処か的はずれな意見をいうクリスがずれているのか、それともクリスもこの状況に戸惑っているのかは、わからない。
けれども、とりあえずクリスが理解できるのはこの場所にはそれなりの爵位を持つ貴族、もしくは商会での地位を持つ富裕層の人物の部屋という事だった。
「起きてすぐする事がベットの品質確認とは……クリス様のご実家は商会か何かですの?」
すぐ横から聞こえてくるのは、最近よく聞く女性の声。
「母方の実家はそれなりの商会だな。ラプンツェルと言えばわかるか?」
「リリィ公爵領の豪商でしたわね。お父様も商人で?」
「いや、父は貴族だ……母は妾のようなものでな」
実際は妾ですらないのだが他にいいようもなかった。
「なるほど、止むに止まれぬ事情があるのですね?」
と、ここでクリスは初めて他に人が居ることに気がついた。
……否、クリスは気づいては居た。
けれども、気づいていない事にしたかったのである。
ベットの上には、クリスと同じく寝起きであろう寝間着姿のテートの姿。
「おや……テート殿、なぜここに?」
聞くのも馬鹿らしいが聞かなければいけない気がしてクリスは聞いた。
「なぜってここは私の部屋ですもの、おはようございます」
テートはとてもいい笑顔でそこに居た。
クリスが見立てた富裕層とはテートの事だった。
テート・サーシェス。
翼竜騎士団団長である、グラン・サーシェス伯爵の愛娘。
エフレディア王国では紛れも無い裕福層に位置づけられる。
ならば、この豪華と言えるベットを所有してても可笑しくはない。
「ああ、おはよう」
クリスは極めて冷静に朝の挨拶をすませた。
そして、クリスは起きてから今まで思っていた疑問をぶつける事にした。
「ところでなぜ俺は裸なんだ?」
そう、裸である。
気温が低くて、寒くて眼が覚めたのだ。
着ないものも居なくはないが、普通は寝間着か、それに準じたものを着る。
そしてクリスは後者である。
山とはいえ今は夏だ、服を着ていれば明け方だろうとそれほど身体は寒さを感じない。
そうあっさり眼が覚める事はないだろう。
けれども、服が無ければ当然寒くなる。
故に眼が覚めたのである。
「言わせないでください、恥ずかしい」
テートから返ってきた言葉は混迷を極めた。
さらにテートは大仰な態度で肩を抱いて頬を染める。
クリスは一瞬だけ最悪の事態が頭をよぎったが、そもそも今は自分も女である事に気づき、最悪の事態が起こりようは無かったと胸をなでおろした。
勿論クリスは起きてすぐに昨日の事を思い出そうとしたが、ステラヘレナに送ってもらっている途中から記憶がないのである。
無いのだから思い出せるわけもない。
「そうか……」
クリスは静かにため息をつく。
裸と言っても、身体にまかれている包帯や、湿布。
薬くさい匂い。
冷静に考えれば、手当のために服を脱がせたのだろうと予想はついた。
だが下着までとは、やり過ぎではないだろうかと思わなくもない。
そんな事をクリスが考えていると唐突にテートが真面目な顔でクリスに詰め寄った。
「クリス様、一つ言わなければならないことが……」
クリスは何かあるのだろうかと、身構える。
そういえば翼竜の子どもたちの姿もない。
何か不都合が起こっている可能性もなくはない。
「どうしたんだ?」
クリス何か嫌な予感がして、けれども意を決して聞き返した。
「いくらクリス様が細身とはいえ十四歳で男女兼用下着はどうかと思いますわ。確かに大きさの調整もしやすいですし、仮に殿方に見られても気づかれにくい下着ではありますが、いえ、男性の振りをしているのはわかっていますのよ? それでも、やはり下着というのは女性としての一種の自尊意識ですのよ? それに小さくても補正下着も付けましょう? 晒しで抑えるだけでは形が崩れてしまいますし、それに髪も! ただ縛ればいいという物ではないのですよ? せっかく綺麗なのだから……」
一つではなかった。
怒涛の勢いでまくし立てられた。
クリスは朝から頭が痛くなった。
目頭を抑えた。
首を横にふった。
「テート殿、俺は……」
「わかります、わかりますわ! わかっていますとも! 女性の身でありながら男性の振りをして男だけの騎士団へ入るなんて、お家の事情だとわかってはいますわ! 浪漫ですわ! それでも! そ、れ、で、も!」
クリスにとってテートの言葉は混迷を極めきってさらに何かを混合した物だった。
わかっていないと叫び返したかった。
けれども、ゆっくりと噛み砕いた結果、下着は大事らしいという結論を言われた事に気がついた。
「わかりまして!?」
「あ、ああ」
勢いに押され頷いたのが運の付きだった。
テートはにっこりと笑うとベットの宮棚の上においてある布袋を持ってきた。
「昨日のうちに父に準備させましたの」
そう言ってベットに取り出したのはクリスの大きさの騎士服一式と……、女性用下着だった。
団長何パシってんだ、とか。
中年のおっさんに女性用下着買わせに行かせたのか、とか。
なんでテートはこんなに下着に五月蝿いんだ、とか。
この部屋随分豪華だな、とか。
そういや腹減ったな、とか。
翼竜の子どもたち何処行った、とか。
クリスの思考は渦巻いた。
「……ああ、ありがとう」
力なく礼を言う。
ここで礼を言えるクリスは大人である。
「私がしたかった事なのでお気になさらず。ところで服の大きさは合わせませんと……なぜ普段は大きめのをを縛って使っているのですか?」
「それは……」
いつでも男に戻った時に困らないようにと等と言えはしない。
口ごもっているとテートが合点がいったように眼を見開いた。
「あれですか? クリス様の身長年齢ですと、いつか大きくなるんだ! みたいな背の伸びない少年を表現するための小細工的な?!」
実際は平均よりも少し高い程度の身長はあるのだが言えはしない。
「ええ、身長の低い少年がいつか大きくなると夢みてぶかぶかな服を着る。浪漫ですわ!」
恍惚とした表情でテートは語る。
興奮して語りだす。
クリスは何が浪漫なのかさっぱり理解できなかった……。
結局テートが喋るのをやめたのは、テートの腹から虫の鳴き声が聞こえた時だった。
テートは無言で顔を赤くし、クリスは少し笑った。
結果、食事にしようと言う事に相成った。
クリスは渡された騎士服を着こみ、テートもまた己の騎士服に着替えている。
「そろそろ食堂に行きましょうか……子どもたちはどうします?」
テートが示すのはベットの宮棚。
このベットに合わせてあるのか、宮棚も相応に大きなものだ。
その上に堂々と鎮座してるのは布をかぶせた網籠。
クリスは恐る恐る布をめくった。
「ここに居たのか」
そこには三匹子供の翼竜が身体を寄せあって眠っていた。
「昨日からずっと寝ていますわね」
「……そういやミルクが無いんだっけか、食堂でミルクでも貰ってくるか」
「食堂にあるのは山羊のミルクですわよ?」
「……飲まないかな?」
「どうでしょう? まだ牙は生えそろってないみたいなので固形物は無理なのはわかりますが……ステラヘレナが言ってたようにクリス様からミルクは出ないんですの?」
ふとテートの視線がクリスの胸に向いた。
つついた。
「つついても出ねーよ! というか喉乳は喉の奥で作られるんじゃなかったのか……」
テートは不満気な顔をする。
けれどもすぐに目を輝かせた。
「では口を開けてください……あーん」
「え? あけるの? あー」
言われるままに口をあけるクリス。
テートはクリス頬を抑えて、じっくりと覗きこむ
丹念に舐め回すように見て、首をかしげ、これでもかと注視する。
幾分そうしていただろう、けれども、残念そうにため息をついた。
「ありませんのね……」
「いや、そりゃな……?」
――ドタッ
その時クリスの後ろのほうから何か鈍い音がした。
「なんだ?」
クリスが振り返るとそこには閉じられた扉。
「風で閉まったのでしょう……さて、クリス様からミルクが出ないのならばご飯を頂きに参りませんとね」
「そうだな、ところで昨日の事を含めこいつらの事は団長には報告してあるのか?」
「ええ、昨日クリス様の服を用意してもらったときに話せる限りは話しておきましたわ。職務もご心配なく。怪我もありますし、今日はお休みを頂いておきましたわ」
「……助かる」
クリスは正直そこまで頭が回っていなかったのである。
テートの周到さに頭がさがる。
「いえいえ、それよりも食堂に行きましょう、私達は兎も角、赤ちゃんが目を覚ます前に用意しなくてはいけませんわ」
「ああ、向かおうか」
「では、子どもたちをお願いしますね……お義母さん」
クリスは一瞬吹き出しそうになる。
「……俺が育てると決まったわけじゃないだろう?」
「でもミューデルトが頼んだのはクリス様にですわよ?」
そう言ってテートはクリスに網籠を手渡した。
「聞こえていたのか……」
確かにミューデルトが頼んだのはクリスである。
クリスはバツが悪そうに頬をかき、網籠を受け取った。




