十八話 押し付けと疑惑
産まれた三匹の翼竜は全て元気なようで、まだ眼も開いていない、ろくに歩けないというに、五月蝿い程に鳴き、動き回っている。
「可愛いですわね……」
うっとりとした口調でテートが言う。
「そうだな」
クリスは同意しながら、翼竜たちの様子を見る。
今はまだクリスの手のひらにも乗りそうなくらいの大きさだというのに、育てば三人から五人が同時に騎乗できるほどの大きさになるというのだから感慨深い。
そのまま、様子を見ていると一匹が不意に今まで違う鳴き声をだした。
「キューィ、キューイ」
何かを求めるような声。
その声を発した瞬間だった。
今まで見ていただけのミューデルトが間髪入れず動いた。
子供の口に己の口を重ねたのだ。
そして、ミューデルトの喉が下から上へと波のようにうねった。
「ミュッ、ミュッ」
ミューデルトに合わせて翼竜の子供の喉も動く。
口を通じて送り込まれた何かを飲んでいる。
貪るように、砂漠で一滴の水を求めるが如く貪欲に嚥下した。
子供が満足したのか、それとも定量を与えたのかはわからないが、約三十秒程でそれは終わった。
ミューデルトの口まわりには白とも黄色ともとれる色の液体が付いていた。
けれども気にせず、ミューデルトはその鳴き声をした子供に順番に口づけを行った。
「……餌、なのか?」
おそらくは動物的に言えば授乳という行為である。
「翼竜は喉の奥にあるクロウプと呼ばれる器官がありまして、そこで作られる、クロウプミルクを口から子供に摂取させて育てるのですわ……」
クリスの疑問を感じ取ったのか、テートが説明した。
「そうか、珍しいものを見せてもらったな」
「ええ、本当に。人型で行うのは本当に珍しくて……微笑ましいですわね」
テートは頬を桃色に染めて、うっとりとした表情でそれを見つめていた。
「母親でなくても、ミルクを出せるのか、ならば安心だな」
チキャーナも居らず、子供の育成が心配だったがどうにかなるようでクリスはほっとした。
けれども、即座にテートが否定する。
「いえ、そんなはずはありませんわ」
そう言うとテートはミューデルトへ近づいた。
既に授乳は終えたのか、ミューデルトは一息ついたような表情で佇んでいた。
「ミューデルトは孕んでますの?」
「ハラ、コドモ、イナイ」
「では今のミルクは?」
「チキャーナ、ミルク、アズカル、ツカッタ、ナイ」
どうやら、翻訳するとチキャーナのミルクを預かっていたようだ。
何処に預かっていたのかとか、どううやった預かったのかとか疑問が残るが、今はさしたる問題ではない。
今の問題はべつの所にある。
「……つまり、次のミルクが無いんだな?」
クリスの問いにミューデルトはコクンと頷いた。
「他にミルクを出せるやつは?」
今度は首を横にふる。
クリスはテートを見る。
テートもクリスを見ていた。
「代替え品の心当たりもなしか……?」
「はい、残念ながら。そもそも本来親が居ない竜はそのまま死ぬしかないはずなのですが……」
「野生の動物は確かにそうだろうが……」
けれども、そうなるとミューデルトが預かっていたとはいえミルクを与えたという行動が特殊に見えてくる。
「サンヒキ、チ、ツヨイ、ソダテル、アナタ、タノム」
血が強いというのは何を指すのか解らない。
けれども、それだけ言うとミューデルトは四個目の卵を抱え、産卵場の外へと向かっていく。
「あ、おい」
声をかけるが、ミューデルトは巨大樹から飛び降りた。
次の瞬間、かるく光がはじけクリスの目の前を長大な影が上がっていった。
「行っちまいやがった」
空を見上げれば、翼竜の姿へと戻ったミューデルトの姿。
「ん?」
足音が聞こえ振り返ると、そこにはテートと三匹の子どもたちを抱えたステラヘレナの姿があった。
「お送りします」
「ああ、助かる。正直もう歩きたくない」
気丈な態度ではあるが、クリスの身体はぼろぼろである。
こうして立って会話しているのだってそれなりに辛いのだ。
「そういえば喋れたのか?」
自然と会話をしていたが、ミューデルトはステラヘレナが喋れないと言って居た。
しかし、ミューデルトよりはよほど流暢に喋っている。
「ミュー姉様には秘密ですよ?」
怪しげに微笑むステラヘレナ。
どうやら教えていないらしい。
そしてステラヘレナとミューデルトは姉妹のようだ。
「お姉さまの沽券に関わりますので」
どうやらプライドの問題らしい。
ミューデルトがカタコトな事を思えば仕方がないのかもしれないが。
「さて、子どもたちをお預けします、立派にお育てください」
そう言って子どもたちを差し出した。
「ミルクさえ無いんだぞ?」
「出ないのですか?」
なぜ出ないのか?
まるで出ることが当然のような態度でステラヘレナはクリスを凝視する。
「俺かよ? 出ないぞ? 出ないよな……?」
三言めはテートに問いかけていた。
クリス自身この体になってから自分でもよくわからない状況は何個かある。
面と向かって聞かれると答えようがないのである。
「私に聞かれても……出るのでしたら是非飲ませて頂き……いえ何でもありません」
何か不穏な発言をテートが発していたが、クリスは思考に没頭し始めていた。
クリス自身この体になってから、この体のことを調べた事は無かったのだ。
体の違いによる不便や障害など、そういうものとして受け入れていたのである。
クリスの思考は常にどのようにすれば、父の思惑を超えられるかに終始しており、そのために剣を持ち、なくした強さを取り戻すことしか考えていなかったのだ。
そもそも竜に無条件で好かれるという状況がまず可笑しいことだというのに。
クリスはここにきて初めて、この体の元となった女性。
エフレディア初代王女エリザベート・エフレディアという女性に興味を持った。
初代皇女にして竜の巫女と呼ばれる者。
言われてみれば、その二つ名だけでも納得できるような事柄が多分にある。
「……調べてみるか」
「え? ……その、絞ります?」
「……テート殿は何を言ってるんだ?」
頬を染めながら何かを言い出したテートにクリスは不安を懐き、けれども突っ込むのをためらい、結果スルーした。
「なんとか育ててみよう」
考えた末に引き受ける。
どちらにしろここに居ても育てる事ができないのだ。
ならば、騎士団に戻って方法を探すほうが建設的である。
「そう言ってもらえて安心いたしました……では変化するので少しお下がりください」
ステラヘレナは安堵を笑みを浮かべる。
そして次の瞬間、ステラヘレナの身体から光が発せられる。
光の中で人型が大きく姿を変えていく。
数秒もすればそこに居たのは、立派な翼竜だった。
「……これが竜化」
竜化と人化。
幻獣のさらに上位である竜族、それも力の強いものだけが行える技能。
ミューデルトはゆっくりと首を下げた。
クリスが先に跨る。
「テート殿、子どもたちを……」
「……兄から寝盗るというのも一興ですわね」
「テート殿?」
なにやらまだ考えていたようだ。
クリスの言葉に我に返ったのか、慌てた様子で子どもたちをクリスに手渡した。
その後テートもゆっくりと跨った。
「ギアァァ」
ワイバーンの状態ではしゃべれないのか、小さく声をあげ、それが合図とばかりにステラヘレナは首をあげた。
「両手が塞がってるからな、ゆっくりと頼む」
心得ているのか、ステラヘレナもゆっくりと、けれども大きく羽ばたきを開始した。
風が巻き起こり徐々に全体が浮いていく。
そして、ステラヘレナはゆっくりと巨大樹から飛び降りた。
ふんわりと、のんびりと下降していく。
「早く飛ぶのも爽快だが、これはこれはこれでいいものだ」
船に揺られるような感覚。
ゆったりと降りていく。
子どもたちも特に騒ぎもせずに、静かにクリスの腕に抱かれていた。
というか、大胆にも眠っていた。
「こいつら……こっちは考える事が一杯だというのに」
クリスは苦笑する。
考える事が一杯だ。
翼竜の子どもたちの事。
ルクシェリスという言葉の意味。
竜の巫女の事。
小竜の餌問題。
そして、元の体に戻る方法。
「何を考えているのか、わかりませんが、この子たちの事なら私もお手伝いしますわよ?」
テートの言葉に少しだけ頬が緩む。
「ああ、そうだな。できたら頼むとするよ」
「手始めに怪我の手当からですわね、ステラヘレナ、私の宿舎付近までお願いできるかしら?」
「キシャ」
了承の返事だろう、降りていただけだったが今度はゆっくりと宿舎の方面へと進みだした。
ふわりとした風が一行を包み込む。
「今日は帰って休みましょう」
「ああ、そうだな」
クリスは返事もおざなりに了承した。
巨木の中でのマラソンに短時間とはいえ竜との戦闘。
そして何より竜の吐息の余波をその身に受けた事が響いている。
クリスも相当に疲労が溜まっていたのである。
テートがいる手前、緊張を保ってはいるものの、確実に限界が近づいていた。
クリスはうつらうつらと船を漕ぎだしたのである。
「まずは、お風呂に入ります? 他の部屋には無いんですけど、父が私が泊まる部屋には特別に付けてくださいまして……」
テートの声を子守唄の代わりに、クリスの意識は沈んでいく。
気づけば返事をする事もなくなっていた。
「あら」
そんなクリスの様子に気づいたテートはそっと顔を覗き込む。
クリスは子どもたちを抱えたまま、何とも小器用に眠っていた。
「ステラヘレナ。落とさないように、風の魔法をお願いしますわね」
「グル」
先程よりも抑えた声。
淡い緑の光がクリスと子どもたちを包み込む。
「可愛らしい騎士様ですこと」
クリスの寝顔を見てテートがくすりと微笑んだ。
こうして二人は家路についた。
***
「旦那ぁ! 旦那ぁ!」
野太い男の声が、巨大樹にこだまする。
パンジである。
真剣な形相で、グランに向かって走ってくる。
その服装は先程とは違い、騎士服の上から鎧を着込んだ完全装備である。
「旦那ぁ! 動けるやつぁ、全員完全装備で向かわせてる! 副団長も後から来る。野生の翼竜の動きはどうなってる?」
グランは幽鬼のような顔でゆっくりと歩いていた。
そんなグランをみてパンジは驚いた。
グランがこんな顔をするのは実はよくある……娘であるテート関係の時が殆どであるが。
前にテートに嫌いと言われた時は死にそうな顔をしていた。
今回は死にそうな顔。
つまり、相当に落ち込んでいる時の顔だった。
「まさかもう、群れ同士の戦いが始まってるのかい!?」
嫌な予感。
けれどもグランは否と首をふる。
「……た」
静かに呟かれた言葉、それはあまりにも小さく、最後の文字くらいしか聞き取れなかった。
「た? 旦那は何を言ってるんで?」
グランがこれほどまで放心してるなど普段ありえない事である。
もしも、テート絡みの事であれば、テートの命、ひいてはクリスの命も既に無い可能性があるのである。
故に、だからこそパンジは状況をしるためにゆっくりと聞き返した。
「行かれた……」
行かれた……、という言葉から連想するのは一つの事柄。
十字教における死は喜びの野に向かうと表現するのである。
自分より年若いものが死んだ時は、先に行かれたな、などと表現するのだ。
グランの表情とその言葉からパンジは最悪の事態を想定してしまった。
「そうかぁ……旦那ぁ、悲しいのはわかるが、だがまだ野生の翼竜の件が……」
「そっちも解決したようだ。理由はわからんが引いていった」
今度は機嫌の悪い声。
「それは重量ぉ。しかし、嬢ちゃんと坊主はその……残念でしたな」
慰めるパンジ。
けれどもグランは今度は拗ねるような声をだした。
「本当だよ。なんで置いて行くかな~、俺ってテートのパパでクリスの上司だよ? 二人でステラヘレナに乗って先に帰っちゃうとか……俺、泣いてもよくない?」
「は?」
娘と部下に置いて行かれて普通に拗ねているだけだった。
軽い沈黙。
「では、向かわせてる団員はどうしやす?」
しかし、パンジの切り替えは早い。
グランがテートの事で凹むのはよくある事なので、気にせず次の指示を伺った。
「解散に決まってるだろ」
憮然とした表情でいうグラン。
けれども仕方がない、解決してるのに来られてもやることは何もない。
「現場は調べないんで?」
「無理だ、セレナーデが入れてくれん」
実際お手上げである。
そもそも中に入った事があるのは騎士団員ではクリスだけで、他に入ったことがあるのはテートだけなのだ。
翼竜にとって産卵場というのはおそらく神聖な場所である。
雄は厳禁で、他の場所と違ってまったく入れないのである。
「帰って飲むぞ、付き合え」
「報告は坊主か嬢ちゃんから聞かないでいいんで?」
「聞きたいが、クリスに関してはちょっとした事情で無理は通せないんだ……」
勿論出資者の件である。
翼竜騎士団の資金は三割が国、残りの七割が支援者によって捻出されている。
さらに支援者のうちの八割はリリィ公爵家から捻出されているのである。
八割といえば普通に大部分である。
エフレディアの軍部にかける国家予算は約七割を占めている。
軍務のその大半を翼竜騎士団は司る。
つまりは国家予算以上の金額をリリィ公爵家が捻出している事になる。
クリスの事は友人であるアーノルド・リリィの事を含めて、グランとしてはなかなか頭があがらない状況なのである。
閑話休題。
「テートに聞こうにも今は疲れてるだろうし、今聞いたら間違いなく嫌な顔をされる! 俺はテートに嫌われたくないんだ! もし嫌われたら俺は王国を滅ぼすかもしれない……」
何を言ってるんだこの男と思わなくもないが、実際できそうな実力を持っているので手に負えない。
本気をだせば翼竜だろうと竜だろうと一人で打倒できる力をグランは持っているのである。
王国最強と言われているのは伊達ではない。
今回強引にことを運ばなかったのは、翼竜との関係がこじれる事を危惧したからである。
竜騎士に竜は必須。
翼竜騎士団に翼竜は必要不可欠なのだ。
もし強引に事を運んで翼竜に嫌われたりしたら日常業務にすら差し支えるのだ、翼竜騎士団の日常業務はとはすなわちエフレディアの防衛である。
翼竜はその要なのだ。
無理などできるはずもない。
とはいえ、少なくともクリスについて事情を知らないパンジにとっては娘に強くでれない男親の情けない姿にしか映らなかった。
正直パンジは面倒くさくなった。
「飲みやすか」
飲ませればだいたいなんとかなる。
それがパンジの処世術だった。
「ああ」
グランも素直に頷いて、男二人、とぼとぼと歩いて帰った。
そんな二人だから集まった騎士たちに解散を告げるのを忘れて待ちぼうけさせてしまうのは、仕方のない事である。
待機時間が三時間を超えた頃、ジャックが半ギレして酔ったグランと喧嘩したのは別の話である。




