十六話 嘆く暇もなく
クリスとテートが到着した場所は広場だった。
洋燈を掲げれば其処には巨大樹と思われる葉や枝が散らばり、足元は不安定であることがわかる。
他にもあちこちに破壊の痕跡が伺える。
最近欠けたであろう生枝に、抉れた地面、焦げた壁。
ここで争いがあったのがひと目でわかる。
クリスは不安に駆られた。
「ここが産卵場か? ここにチキャーナが居るのか?」
「ええ、私も翼竜が篭ってる時に来るのは初めてですけど」
テートはそう言うと産卵場の中を歩き始めた。
「チキャーナ? チキャーナ?」
軽く声を掛けながら歩くものの反応らしい反応はない。
それに他の翼竜の姿もない。
ステレナヘレナやミューデルトも居るはずであるのにこの静けさだ。
そう静かなのである、先ほどまで騒がしい程に聞こえていた地響きも衝撃も今は何も聞こえない。
不気味である。
「何が起こってるんだ?」
クリスが警戒を高めた時だった。
テートの悲鳴のような声が響く。
「チキャーナが!」
クリスは急いでテートの所へと駆け寄った。
「チキャーナがどうかしたのか?」
テートはクリスの声に反応せず、ただ俯いていた。
そしてそっとそこを指し示す。
その先には横たわるチキャーナと、チキャーナに抱えられるように四つの卵が存在した
人の頭程度の大きさの竜の身体からしたらそれはとても小さな卵であった。
そして、それを大事に抱えるようにチキャーナは伏していた。
「チキャーナ?」
声をかけるもやはり反応はない。
チキャーナはその目を堅く閉じている。
「おい、チキャーナ?」
クリスが一歩近づけば、足から何か液体を踏んだであろう感触が伝わった。
そしてクリスがチキャーナを撫でるが、その体はまだ暖かった。
けれども、同時に段々とぬくもりを失っていくのも感じられた。
背中に見えるぱっくりと裂けている大きな傷。
その傷は深く、骨や内蔵にまで届いている。
竜の生命力をもってしても明らかに致命傷だった。
「どうしたんだよ? おい、立派な卵が四つもあるのにお前……そんな冷たいんじゃ卵を暖められないぞ? お前は母親になるんだろ?」
けれどもクリスはそんな傷を見てもチキャーナに声をかけ続ける。
しかし、反応はない。
「クリス……様、チキャーナはもう……」
悲痛でまるで病人のような声音で、テートはその言葉を絞り出した。
「……ああ、そうか。そうだな、そうだよな」
何度も確認するようなクリスの言葉。
クリスは自身を落ち着けるためにゆっくりと呟いた。
クリスとて理解しているのだ。
理解はしているが、ただ納得できなかっただけなのだ。
何度も呟いてクリスは大きく息を吐き出した。
「お前にはたった一回背中に乗せてもらっただけなのにな……、随分と親しい友人のように思っていたよ」
たった一度、たった一度の出来事だ。
けれども、それはクリスにとっては思い出深い出来事だったのだ。
クリスはそっとチキャーナの頭をなでた。
「このままでは卵が冷たくなってしまいますわね、何か燃えるものをもってきますわ、冷えないように洋燈は置いていきますわ」
テートは洋燈を卵の近くに置くと燃えるものを探しに行った。
しばらくして、遠くから静かな泣き声が響いてきた。
テートが泣いているのだ。
クリスはテートに声をかけようと慰めようと思って、けれども、躊躇って、止めた。
テートは人前で泣くのを我慢していたのだろう。
クリスはテートの意志を尊重した。
それに、テートは翼竜騎士団によく来ていると言っていた。
となれば、なんどもチキャーナと触れ合ったこともあるのだろう。
思い入れも、クリスよりも、遥かにあるのだろう。
産卵場にテートのすすり泣く声が響いていく。
クリスは黙って、それを聞いていた。
そして、無性に――腹立たしくなった。
なぜチキャーナが死ななければならないのか。
なぜテートが泣かなければならないのか。
怒りと混乱が渦巻いて、感情が抑制できない。
クリスは無表情だが、内心は怒りに身を焦がしていた。
今までのクリスならこんな事はない。
例え、父に理不尽な仕打ちを受けたとしても、ここまで怒りに身を焦がした事などないのである。
クリスは自身がこれほど怒れる事を初めて知った。
そして、同時にそのことにに混乱する。
その怒りをどうすればいいか解らないのだ。
怒りすぎて、思考に靄がかかったようになり、少しだけ意識がとびかける。
同時に急激な痛みがクリスの頭を襲う。
首を振り、手で頭を抑える。
「こんな時になんだ……」
先ほどの衝撃のせいだろうか、徐々に頭痛が酷くなる。
同時に耳鳴りのようなものが聞こえ始める。
痛みと違和感に苛立ち、クリスは顔を歪めた。
その時、何かが崩れるような音がした。
クリスの視界に洋燈以外の光が写る。
その光は差しこむように産卵場を照らしていた。
見ればそこには、大きな木の葉が落ちていた。
おそらく、木の葉が出口を塞いでいたのである、そして、何かの拍子に木の葉がずれたのだろう。
「でかい葉っぱだ……」
見たままの感想を呟き、クリスはふらふらとまるで吸い込まれるように出口へと足をすすめていく。
歩く旅に頭痛が酷くなる。
耳鳴りが酷くなる。
外に出れば夏の日差しがクリスを出迎えた。
思わず目を細め、前を見る。
そして目を見張った。
視界の先にはひれ伏す二匹の灰色の塊……翼竜。
クリスは片方に見覚えがあった。
この群れで最も大きな体躯をもつ、序列一位。
グランの愛竜でもある、ミューデルトである。
そして、もう一匹。
その体躯はミューデルトとためをはる。
恐らくは序列二位か三位の翼竜であろう。
けれども、そんな序列上位の二匹は荒い呼吸でその体を伏せていた。
そして、二匹の目の前にに佇む、恐らくは二匹をこの状態にした犯人。
そこに居たのは背を向けた一匹の竜。
二匹よりも大きな身体、佇む様はまるで王者のよう。
その白銀の鱗は陽光を反射する。
翼竜に似た体、けれども、その体には翼竜にはありえない、二本の腕が付いている。
紛れも無く竜である。
そんな三匹の姿をみて、脳裏に一瞬見たこともない場所が写る。
刹那の時間、けれども、その映像に映っていたのは目前にいる竜に金色の竜。
頭痛が消えた。
耳鳴りが消えて、頭が澄み渡った。
「ああ、そうか……」
納得したような、それでも驚いたようなクリスの声。
「ルクシェリスの子か……」
自然と口からでた言葉に、クリスは自分で不思議な気分になる。
ルクシェリス。
クリス自身はそんな単語に心当たりはない。
そんな呟きを聞いてか聞かずか、それは、ゆっくりと振り返える。
クリスを見つけると、何度か瞬きし、最後にその目を見開いた。
クリスとそれの視線が交差する。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
竜が咆哮を放つ。
その咆哮は明らかに敵対を示していた。
咆哮は衝撃をクリスへと伝えてくる。
空気を伝わり巨大樹を揺らしていく。
幾重もの枝が落ち、葉が舞い弾ける。
咆哮でさえ、これだけの威力があるのである。
普通の獣や弱い魔物、あるいは人ならばこれだけで恐怖で動けなくなってしまうであろう程はある。
けれども、そんな状況だというのにクリスの瞳に迷いはなかった。
まるでそうするのが当然のような足取りでクリスはその竜へと近づいていく。
竜の強爪が振り下ろされる。
襲い来るのは無慈悲な一撃。
圧倒的な体格から繰り出される大質量の、加えて鋼鉄をも切り裂く鋭爪のその一撃。
所謂竜拳とも呼ばれる斬撃と打撃を併せ持つ一撃だ。
そのおおぶりな一撃は遅く、けれども、必殺足りえる威力を保持している。
食らってしまえば、人ごとき、直ぐ様命を散らすような一撃だ。
人の身でそれを防ぐ事など不可能だ。
いかに重い鎧や盾を装備しようが、容赦なく切り裂かれる。
それほど、破壊力を秘めている。
そして回避するのも難しい。
なぜなら、竜の爪は長さをある程度伸ばす事ができるのだ。
例え折れても高速で生えてくる。
戦闘において、間合いという言葉がある。
それは攻撃が届く距離の事を示す。
武器をもった人と爪をだした竜。
それだけでも三倍以上間合いに差があるのである。
圧倒的な間合いの差。
遠距離武器でもなければ覆すことの出来ない差である。
けれども、クリスは遠距離の攻撃手段は保持していない。
故に、クリスは前へと踏み込んだ。
間合いの長い武器、ここでは竜の前足であるが、長い間合いの武器というのは、近づくほどに、その攻撃範囲は狭まっていく。
つまりクリスが飛び込んだのは間合いの内側。
大型の魔物や幻獣にとって一種の安全地帯。
薄暗い腹下へと飛び込んだ。
勢いのまま剣を抜き、斬りつける。
まるで鋼鉄を殴ったかのような手応えにクリスは顔をしかめた。
鱗には傷一つ付いていない。
何度か斬りつけるもの、結果は全て同じだった。
され、どうするかと思い悩んだ時だ。
ふいに影が薄くなり、陽の光がクリスを照らす。
それが示すのは竜の移動。
「ほう……」
クリスは竜の行動をみて、思わず関心した。
その巨体が立って居た。
後ろ足で己を支え、人のように立ち上がる。
四足獣では中々見られない光景だ。
特に身体が大きく重くなる竜ならなおさらだ。
貴重なものを見たと、クリス感心するのもつかの間。
後ろ足が巨大樹を離れた。
同時に衝撃。
クリスも軽く跳ね上がる。
竜は跳び上がり、その体重に勢いを上乗せ落下する。
単純な胴体圧縮。
質量と硬さを備え持つ竜それが可能だ。
これもまた、人にとっては過剰攻撃だ。
防ぐ事など叶わない。
もしも喰らえば、そこに残るのは赤い水たまりだけだろう。
容赦のない追撃に、けれどもクリスは冷静に対処する。
横っ飛びに、転がるようにそれを避けた。
「ふぅ……無理だな」
クリスの口からでたのは、諦めでも悔しみでもない、素直な感想。
仮にいくらかの攻撃を避けられても続かない。
クリスの攻撃はダメージ足り得ない。
せいぜい、気を引くのがやっとである。
所詮、人が単一でできるのはその程度。
竜はクリスを睨み、再び前足を振り上げる。
その一撃を振り下ろせばクリスは死ぬだろう。
けれど。
「いいのか? 俺に構ってばかりで」
突如、その巨体が揺らぐ事になる。
「ギアアアアアアアアアアアア」
ミューデルトが咆哮と共に首に噛み付いたのだ。
「ナアアアアアアアアアア」
さらにはステラヘレナがその翼にかじりつく。
そう、ここには、二匹の翼竜が存在しているのである。
クリス一人でどうにかする必要は欠片もない。
クリスがここに来た時は、呼吸すらままならぬ二匹であったが、けれどもその眼の闘志は消えていなかったのだ。
クリスはゆっくりと距離を取る。
クリスが囮になり、二匹が不意を付けたが故に勝敗はこちらに傾いた。
そう思っていた。
けれど。
白銀の竜は前足を振るう。
一撃でミューデルトが吹き飛んだ。
「は?」
羽を振り払えば、ステラヘレナが空に舞う。
「うそ?」
そして、現れたのは白銀の竜の無傷な姿。
「硬すぎだろう……」
一瞬で無力化された二匹であるが、けれども翼竜とてやられているだけではない。
思わずクリスが唖然とするなか、それは空から聞こえてきた。
――ドドドドドドドドドドドドドド
連続する重低な爆発音、それは紛れも無く。
「あれは……まさか、竜の吐息か!」
そう、それは空中に投げ出されたステラヘレナによる渾身の一撃。
すべてを焼き、爆ぜさせ、抉る、竜による究極の破壊。
流石にこれを喰らえば、この白銀の竜とてダメージは免れまい。
ついでにクリスもやばい。
急いで走って太い枝の影に伏せた。
閃光と爆発が白銀の竜へと迫り来る。
けれども、白銀の竜は軽く喉を唸らせ、それに向かって口をあけた。
そして、目に見えない何かが飛び出した。
それは渦を巻き、ステラヘレナの竜の吐息へと衝突する。
それは衝突した瞬間から始まった。
ステラヘレナの竜の吐息が消えていくのだ。
見えない何かは、ステラヘレナの竜の吐息を浸食する。
数秒も立たずして、それは全てを飲み込み消し去った。
「嘘だろ……」
あんまりにもあんまりな光景にクリスは息を飲む。
竜の吐息とは最強の兵器であるといっても過言ではない。
それを、そんなものを全て消し去る何かなど、聞いたことがない。
ありえない光景だ。
クリスが愕然とした時。
ミューデルトが動いた。
おそらくミューデルトは、その機会を伺っていたのである。
白銀の竜の意識がステラヘレナに向けられた瞬間を。
そしてその顎を開放する。
「ギアアアアアアアアアア」
咆哮、閃光、爆風。
最強の翼竜の竜の吐息が放たれる。
そしてそれは、白銀の竜へと直撃した。
爆風が駆け抜ける。
衝撃が突き抜ける。
そして、断末魔のような悲鳴があがった。
「オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ」
そして、あまりに近い竜の吐息の開放で、クリスもついでに吹き飛ばされた。
「ちょっおおおおおおおおおおおお」
***
「野生の翼竜達が引いていく……」
その様子を見てグランはほっと胸をなでおろした。
理由はわからないが、野生の翼竜達が引いていくということは翼竜の群れ同士の戦いという危機は去ったと思える。
思い出すだけでも、冷や汗がでる。
先ほどまで野生の翼竜達と騎士団の翼竜達は空高くを旋回するように、回っていたのである。
まるで何かの儀式のようである。
そして、その様子はグランの目には異様としか映らなかった。
なぜそんな事になっているのかもグランにはわからない。
正直なところ恐怖でしかなかったのだ。
けれども、そんな恐怖も唐突に終わりを告げた。
巨大樹の上から、幾重もの咆哮が聞こえたと思ったら。
急に静かになり、それと同時に野生の翼竜達も元来た方へと消えた行ったのだ。
グランには正直何がなんだか、わからない。
けれども、何かが終わったという事だけが理解できた。
グランがセレナーデを見上げれば、セレナーデは静かに目を伏せていた。
そして解決したのだと、グランは何となく理解した。
「二人とも早く戻ってこいよな」
グランはチキャーナの様子を見に行った二人の安否が気になった。




