十五話 巨大樹の中 ~兆し~
クリスとテートは地下道を進んでいく。
最初の予想通り道が広くなる方向へとするんで行ったのだが、すると途中で緩やかな上り坂になっている。
どうやら地上への道で間違いはなさそうだった。
二人の気分は少しだけ気分が軽くなる。
けれども、二人はそれを見つけた。
それは分かれ道が合流する場所にあった。
それは大きな足跡だった。
足跡は続いている。
「翼竜の足跡か……?」
クリスはしゃがみこみそれを確認する。
大きさはクリスの胴回りよりも更に太い。
付いている爪の跡は前方に三本後方に一本。
合計四本、飛行する竜種特有の形である。
そして、尾を引きずったような跡もついている。
「となるとこの先に、いるのでしょうか?」
辺りを観察してみると白っぽい鱗のようなものが落ちている。
「やはり翼竜か?」
足跡の正体はほぼ確定されたといっていい、けれどもテートが懸念を示す。
「ですわね、でも色合いが…‥」
「色合い?」
「翼竜は概ね灰色の鱗ですけど、色が濃かったり薄かったり個体差があるのですわ」
「ふむ……」
言われてみればその通りで、一口に翼竜といっても、色合いや大きさに個体差があるのが当然だった。
クリスは鱗を手にとってしげしげと観察する。
ここにいるはずの翼竜はグランの話では四体。
ミューデルト、セレナーデ、ステラヘレナ、チキャーナの四体だ。
クリスが記憶しているのはあるのは、ミューデルトとチキャーナくらいのものである。
けれども、クリスの記憶にある二匹の物とはまた違うようである。
「セレナーデとか、ステラヘレナの鱗か?」
洋燈の光を反射するそれは、面妖な美しさを放っている。
「いえ、その二匹はもっと色が濃かったような気がしますわ」
テートが鱗をみて呟いた。
言われてみれば、その鱗はどの翼竜よりも色が薄いように見えた。
むしろ白みが強いように思える。
さらに光沢を放っているようにも感じられる。
ここに居るはずのない竜の鱗。
そして、クリスはあることに思い当たる。
幻獣最強である竜の一種である翼竜が警戒するべき相手。
それは同じ竜ではないのか?
可能性としてはありえなくはない。
むしろ、他の可能性のほうが低い気がするのである。
他の脅威、例えば強大な魔物を警戒するのならば、警戒している翼竜が序列三位までの上位だけというのがありえない。
幻獣と魔物は敵対する関係だ。
故に仮に相手が魔物なら、既に翼竜が総出で狩り向かっていても可笑しくはないのである。
故にこの先にいるのは、種類はわからないが竜の可能性があるのである。
そうなれば、案外どうにかなるかもしれないと、クリスは少しは楽観的になった。
クリスとて己竜に懐かれるという体質を理解し始めていたのである。
その時だった。
――ォォォ
地鳴りのような音。
一瞬の耳鳴りに近いそれにクリスは気がついた。
「何か言ったか?」
「いえ? 何か……?」
テートに問うが、テートは否定のために首を横に振る。
――ォォォォ
「私にもっ「しっ」」
再び聞こえたその音にクリスは指をテートの口元に当てて黙らせた。
音は、幾重にも響いてくる。
そして混ざり始める鈍重な音に、地面の揺れ。
「……何かが動いて、いや暴れている?」
次第に揺れも激しくなる。
――ォォォォ
再び音が聞こえてくる。
クリスは耳をすませて、音のなる先を突き止めた。
「この先か……どうする? 広い道はここしかないが……テート殿はどう思う?」
問いかければ、テートは薄暗い中でも解るほどに顔を赤く染めていた。
「具合でも悪いか?」
「っいえ、なんでもないデスのちょっと驚いただけで」
慌ててテートは首をふる。
「そうか、この先何かが」
その言葉を続けることはできなかった。
――ドンッ
鈍い、けれども鈍重な衝撃音。
巨大樹が揺れる。
――ズン
さらに連続する重い衝撃、耳に襲いかかる音響。
衝撃で二人はまともに立つことすらままならない。
――オオオオオオオオオオオオオオオオ
そして、咆哮が響いた。
「きゃっ」
「……ぐっ」
クリスは転びそうなテートを抱きとめて……そのまま下敷きにされた。
いまのクリスは身長的にはテートよりも一回りは小さいのである。
抱きとめられないのも当然だった。
「ああ、くっそ……なんだってんだ……」
その状態でしばらく揺れが収まるまで、二人は伏せていた。
少し時間がたちようやくテートが立ち上がる。
「ごめんなさい、私……」
「すまないが、何を言っているか聞こえないんだ」
テートが起き上がり謝罪をしようとするが、クリスはそれを遮って諦めたように吐き捨てた。
先ほどの音響のせいでクリスの耳は聞こえない。
同時にジクリと頭が痛む。
何処かぶつけたのかもしれない。
なぜかテートは無事である。
クリスは軽く耳をさすり、しばらく待つ、ようやく聞こえるようになってクリスはテートに問いかけた。
「先ほどの咆哮。あれはもしかして翼竜か?」
テートは神妙に頷いた。
「恐らく竜の吐息かと、でなければ今の衝撃は説明できませんわ、けれど……」
テートは眉を潜め言葉を躊躇した。
「どうした?」
「竜が……翼竜が竜の吐息を撃つというのは、そこに外敵がいる時だけですわ」
テートが言葉を躊躇した理由、それは最悪の結果である。
翼竜が敵と認めた何かがこの先に居るのである。
そしてそれは翼竜と今もなお争っている。
クリスは道の先を見据えて考える。
道の先に進むべきか否か。
仮に道の先にいるのが翼竜だけならいい、慣れているというテートもいる問題はない。
しかし、先ほど聞こえたのは暴れるような音。
今は静かに成っているが何かと争っている可能性は非常に高い。
そして、その何かが自分の手に負えない相手ならば……。
自分一人ならいい、問題ないことはないが逃げ切るくらいはできるだろう。
チキャーナ達の様子を確認するという仕事を完遂する事ができるだろう。
けれども、今はテートがいる。
今の自分ではテートを守りながら何かを成すのは難しかった。
クリスは指の魔法道具を全て外し、テートへと差し出した。
「テート殿、ロイドとわかるくらいなら使い方はわかるな? これを渡すので万が一があればこれで身を守って欲しい風が一回に水が二回残っている」
「構いませんが……」
「なら、ここに残って待っていてくれないか? 俺は様子を見てくる」
「それはお断りしますわ」
テートは即断した。
あまりの速さにクリスが一瞬呆けるほどだった。
「しかしだな此処から先は何があるかわからない……俺がテート殿を守り切れるとも限らない、テート殿の身に何かあれば団長も悲しむし……家族も悲しむだろう?」
クリスはテートを説得しようと試みる。
「貴方は悲しんでくれませんの?」
けれども、予想していなかった返しにクリスは目を白黒させた。
やや有ってクリスはゆっくりと返答する。
「……勿論俺も悲しむ。此処から先は麦鼠より危険かもしれない、守り切れる保証はないんだ。だからここで待っていてくれ」
「大丈夫ですわ……ほら」
そう言ってテートは自分の首からネックレスを外した。
クリスにとって何処かで見た記憶のあるそれ。
「それは……?」
「兄から預かってましたの、クリス様の物なのでしょう? 専用化がされてますの」
「へ?」
目を丸くするクリスに、テートは悪戯が成功した子供のような無邪気な笑みを浮かべた。
「お渡しするのは本当なら調整が済んでからなんですが、別に構いませんわよね」
よく見れば、テートの装飾品はクリスがあの日にロイドに渡したものだった。
全てが魔法道具だ。
クリスよりも体力があったり、爆音で耳がおかしくならなかったのはこのためなのである。
テートは自分の身に着けている魔法道具を外して僅かに顔をしかめ、ふらついた。
当然だ。
体力を強化してる物を外せばどうなるか、それは軽かった身体が重くなるというものだ。
つまりは、身体に重しを付けられるようなものである。
けれどもテートは何事もなかったかのように、クリスにつけていった。
ネックレスにリングにイヤリング、ブレスレットにアンクレット……。
総計十を超える魔法道具がクリスへと装着された。
「私が付けても、少しだけ体力が向上するだけのお守り程度の効果ですけど、専用化されてるクリス様なら……」
変化は劇的だった。
「体が、剣が軽い……」
思わずクリスは剣を抜く。
軽く振れば今までとは違う感触。
重くて使いにくいだけだったのその重さが、今は逆に手に馴染む。
今までとは比べ物にならない、身体能力。
身体強化時とまでは行かない、けれども、鍛えた男の体の感覚に限りなく近かった。
どうやらロイドの腕は確か、否、予想以上のようである。
「持つだけで効果が出る物ですので、発動効果はありませんわ」
「ああ、十分だ」
これ以上は高望みというものだろう。
基本的な能力の向上が見込めれば、これまで以上に戦いやすくなる。
これだけの身体能力があれば、クリスは剣一つでそれなりの事ができる自信がある。
少なくとも両手剣を振り回すくらいはできるようになる確信があった。
しかし、そこでクリスは気づく。
「これを外したらテート殿が……」
そう、調整と言って身につけていたがテートは今まで魔法道具の恩恵を受けていたのである。
クリスの物に専用化しているために受ける恩恵は少ないはずだが、それでも数が数である。
外してしまえばそれなりの落差があるはずである。
事実魔法道具を外すとき少しだけテートの顔に戸惑いのようなものが浮かんでいた。
「大丈夫ですわ、指輪もありますし、それに守ってくださるでしょう?」
けれども、テートはそう言って微笑んだ。
その笑みには何処か凄みがあり、力強かった。
そんな風に女性に言われてしまえばクリスとて騎士の端くれ、男の端くれだ。
クリスは何も言えず、一度ため息をつくと小さく頷いた。
「無茶はしないでくれよ」
「はい」
テートは何処か嬉しそうに返事をした。
そして、二人は音が聞こえたほうへと洞窟を進んでいく。
***
「ねえ、なんかでかい音したんだけど、あれ竜の吐息の音じゃね?」
グランは虚を見ながら、そわそわしながらパンジへ問いかけた。
「だろうねぃ、こっちまで響く音といい、振動といいチキャーナじゃねえな。ありゃステラヘレナの竜の吐息だ」
「何かあったかな?」
「何かあったんでしょうねぇ……」
唐突にグランが走りだそうとして、パンジに首根っこを捕まえられた。
「離せ、パンジ! 行かせてくれ!」
「いやいや、あっしも行かせたいのはやまやまなんですがね、どうにもセレナーデがさっきよりも気が立ってるというか……」
二人が見上げればセレナーデはその鋭い視線で、森のほうを見つめていた。
鋭い、鋭すぎる視線。
まるで親の仇でも視るような。
もし、視線で生き物が殺せるならば、一度や二度ではない。
何度も何度でも殺してしまいそうな程の眼光である。
「眼力半端じゃないな……」
グランは肝が冷えたのか、冷静にそんな事を呟いた。
「旦那……ちと不味い」
「どうした?」
「あれを」
パンジが指差す方向。
そこは空だった。
グランも初めは不思議そうに見ていたが、段々とその表情が厳しくなる。
なぜならそこには、無数の翼竜が飛んでいたからだ。
それだけなら別段構わない、ここでは日常的な光景だ。
けれども、それは違っているのだ。
常に翼竜を見ているパンジだからこそ、団長であり翼竜騎士団に長いグランだからこそ気づける状態。
「野生の翼竜……」
そう、今空を飛んでいる翼竜は翼竜騎士団の翼竜ではない。
一匹残らず、野生の翼竜なのである。
「仇討ち……か?」
パンジの声にグランは思い出す。
最近ルーベリアによって粛清された翼竜がいる事を。
チキャーナを孕ませたのは野生の翼竜だった。
そして、翼竜というのは群れを作る幻獣だ。
野生のという事は、他の群れのとういう事と同義なのである。
そもそもがおかしかったのだ。
女性優位社会である翼竜が他の群れの雄に孕まされるなど。
本来ありえない事だ。
本来翼竜の雄は雌に逆らえない、それが他の群れの雌でもあってだ。
故にそれを覆すとなると、より生物的に上位の雌の命令が必要になってくる。
そして、他の群れの雌を孕ませるというその行為。
言う成ればそれは、宣戦布告に他ならない。
気づけば、こちらの翼竜達も巨大樹から空へと次々と飛び出していく。
空中でそれぞれが向かい合い、静かに待機する。
ピリピリとした空気が蔓延する。
まさに一触即発。
それは嵐の前の静けさだった。
「っ不味すぎる」
グランは渋面で舌打ちした。
明らかに戦闘一歩前。
翼竜どうしの激突など人間には荷が重い。
仮にこれを武力で収めるとしたら王都の竜騎士を竜と揃えて全て連れて来なければならないだろう。
つまり、もし戦闘が始まってしまえば、介入できる余地が殆ど無いということだ。
さらに戦闘が起こればどう転んでも翼竜騎士団は大打撃をうける事になる。
ひいては軍事面におけるエフレディアの戦力が大幅に削られるのだ。
「あっしは、副団長に事の次第を伝えてきます」
パンジが言い残して駆けていく。
グランは再び、虚を見るが、気づけば虚の前にセレナーデが座り込んでいた。
中に行くことはできそうになかった。
「テートもクリスも早くもどってこないと、逃げれなくなるぞ……」
グランはそんな不安を抱えてただ立ち尽くすことしかできなかった。




