十四話 巨大樹の中 ~反撃~
お久しぶりです、生きてました。
走る走る走る。
道など確認してる暇もない、二人の後ろからは無数の麦鼠が追いかけてくる。
「チューチュー」
「キーキー」
鼠特有の高い鳴き声が後ろから響きわたる。
個であれば、それは可愛いと称する小動物であるそれは、けれども群れを為す事によって可愛ささえもが恐怖を引き立たせる。
「こんな事初めてですわ!」
理解できない状況にテートは叫ぶ。
「いいから走れ!」
洋燈の光のみの薄暗い視界。
クリスはテートに気を使いながらも走る。
暗いなか、あちらこちらに視線を回す。
それもそのはず既に麦鼠は、後ろだけではなく、前に後ろに上に横に。
虚を縦横無尽に駆けまわっている。
そして、その視線は二人の獲物へと注がれているのである。
「キー!」
甲高い叫びをあげながら、一匹の麦鼠がテートに向かい飛びかかる。
低い姿勢から、テートの足を狙ったその突撃。
狙いは足だ。
しがみつき、その鋭い牙をつきたてるだろうその突撃。
この攻撃を許せば、テートは足にダメージを受けてしまう。
「邪魔だ!」
間一髪、クリスの剣が間に合った。
テートに飛びかかる麦鼠を確認したクリスは、剣を鞘ごと麦鼠に叩きつけたのだ。
麦鼠は鈍いを音をたて吹き飛んでいく。
けれども、麦鼠は個ではなく郡である。
一匹防いだ所で、いつまた別の麦鼠が襲い掛かってくるかわからない。
一匹ならまだ良い、叩きとばすくらいわけはない。
しかし、これで七回目の突撃である。
そして、今度は間髪いれずに二匹が飛び込んでくる。
「なろぅ!」
片方を剣で切り飛ばし、もう片方は鞘を叩きつける。
「ギッ」
短い悲鳴をあげならが麦鼠は吹き飛んだ。
クリスは浅く呼吸をし、神経を研ぎ澄ます。
麦鼠の行動は段々と高度なものへと変わっている。
いくらかの仲間を犠牲にし、学習しているのである。
今はまだ同時に襲い掛かられる程度であるが、これも数が増えれば対処が間に合わない可能性も高くなる。
数が増えるというのはそれだけで厄介であるし、それ以外の行動となると所見ではクリスの行動が間に合うかもわからない。
そして、走っている以上こちらの体力は減りつつある。
麦鼠も走ってこそいるが、野生の獣と人の体力など比べるべくもない。
いずれこちらの体力が先に尽きるであろう。
故にクリス達が逃げ切るために何か一石を投じる他ない。
そう考えたクリスの判断は早かった。
「炎よ!」
炎の魔法道具を発動させる。
右手につけた指輪が淡く光る。
そして、拳大の炎が地面に叩きつけられた。
最大出力のそれは、光を放ち燃え盛る。
炎は煌々と辺りを照らしだす。
衝撃と光のおかげだろうか、麦鼠達の足が止まった。
その隙にクリスはテートに問う。
「テート! 出口はどっちだ!?」
テートは息を切らしながらも、すぐに答えを出した。
「わかりませんわ……」
けれども、その答えが返ってくるのは必然であった。
突発的に暗い不安定な道を走り出した二人。
当然、道など確認してる暇もない。
仮に慣れている道だろうとこれでは迷って当然である。
「どうするかっ……」
クリスは自問する。
こうしている間にも麦鼠がいつ動き出すかわからない。
動き出す前に、何か策を考えなければならない。
でなければ、このまま動き出した麦鼠に蹂躙される未来しか待っていない。
流石にクリスも戦場で死ぬでもなく、鼠に殺されるというのは勘弁願いたかった。
クリスは麦鼠を観察する。
麦鼠は先程の炎をせいで動きを止めている。
驚き、もしくは恐怖で動きを止めたのである。
ならばクリスのやる事は一つ。
麦鼠が動きを止めてる今、再びの炎を使ってのさらなる追撃である。
「炎よ! 風よ!」
クリスは再び魔法道具を起動させる。
炎と風の同時発動。
ロイドに教えてもらった緊急時の複合魔法だ。
あまり使うなと言われたが、緊急時である、問題ない。
クリスの前に炎が浮かびあがり。
ゆっくりと風が渦巻いていく。
炎は風を吸い込むように、風は炎を纏うように動いていく。
数秒ののち、それは完成した。
魔法名を言うならば、それは炎の嵐と呼ばれるもの。
「燃やせええ!」
クリスの命令にて炎の嵐は麦鼠達に襲いかかった。
熱風が吹き荒れる。
地面が揺れ、何かが破裂するかのような爆音が響く。
衝撃により、埃や樹の枝が舞い落ちる。
そして、麦鼠達は吹き飛んだ。
「おおう……」
予想外の威力にクリスは感嘆した。
魔法の威力に関してもそうだが、ロイドの技量にもだ。
二つの魔法道具における同時発動。
個人で使おうとするには、炎の嵐はそれなりに複雑な詠唱の必要な部類の魔法である。
これを魔法道具だけで発動させるというのは、腕の良い彫師というのは伊達ではないようである。
「……何処かで見た魔法ですわね」
気づけばテートはクリスの後ろから指輪を覗き込んでいた。
女性だし装飾品に興味でもあるのだろう。
実際テートはいくつか装飾品を身にまとっていた。
それにしてもまるで何事もなかったのかのように振る舞う姿は驚きである。
先ほどまで切れていた息も今では平常に戻っている、存外に体力はあるようだ。
下手をすると今も呼吸を整えているクリスよりも。
「結構タフだな? それで見たことがあるって?」
魔法道具事態は珍しくない。
けれども、二つの魔法が複合される魔法道具は公爵家の武具庫を見慣れているクリスにとっても珍しいものである。
クリスはふとこの指輪を渡してくれた相手を思い出した。
なるほど、兄妹なら兄の魔法道具を見知っていても可笑しくない。
「……ロイドに渡された指輪だよ」
そう言ってクリスは手につけている指輪型の魔法道具を一つ外してテートに渡した。
「あら道理で……その指輪、ロイド兄様がいつも指につけていた奴ですわね、何処でお知り合いになったのかしら……? でも趣味が被るのは兄妹だからこそかしらね……」
テートはぶつぶつと呟くと静かに頷き、唐突にクリスに問いかける。
「心変わりは人の常ですわよね?」
「……何を言ってるんだ?」
唐突すぎて理解の及ばないクリスにテートは微笑む。
「いえ、何でもございませんわ、助けてくださってありがとうございます」
礼を言い、指輪を返すテートにクリスは毒気を抜かれ、追求をやめた。
「……とりあえず、麦鼠は居なくなったが」
辺りを見回せばこげた麦鼠の遺骸やら、吹き飛んだ木片やらが飛び散っている。
流石に恐れをなしたのか殆どは逃げたのだろう、動いている麦鼠は殆ど居ない。
「しかし、なぜこんな所に麦鼠の群れが居たのか……チキャーナの事に何か関係があるのか?」
本来麦鼠は食料の多いところを好む。
人里では害獣である。
けれども、ここは木の中だ。
あたりに見えるのは腐った木の一部と精々土くらいである。
大凡麦鼠の食べ物があるとは思えない。
厩周辺の森ならともかく、こんな木の中にいる理由がわからなかった。
「何ともいえませんわね、ただ解るのは一つだけ」
「なんだ?」
「相当飢えて居たのでしょうね、群れとはいえ自分より遥かに大きな獲物に襲い掛かるんですもの」
「なるほどな……」
テートの答えにクリスは納得したのか、頷いた。
そして考える。
鼠が集団で飢えるという状況。
食料が豊富である森を捨てて地下に潜む理由。
――逃げてきたのか?
となると森に何か麦鼠の天敵のようなものが居る可能性がある。
思考はするが、今の情報では満足な答えが得られない。
森に行く機会があれば少し調べてみるかと胸に留める。
クリスは思考を切り替えてテートに道を聞く。
今すべきはチキャーナの元へ行き様子を確認することである。
「道はわかるか?」
「勿論わかりませんわ」
クリスの問いかけにテートは即答した。
当然といえば当然である。
命の危機だったのである、道など確認してる暇はない。
「……まぁ巨大樹といえど木の中だ、言うほど広くは無いだろう?」
肯定を求めて問いかけたクリスに対してテートは沈黙する。
「……」
「どうした?」
「足元をご覧になってくださいな」
言われてクリスが足元を見れば、そこには地面があるだけである。
「ただの地面だが……」
言ってから気づく、木の中なら足元は木であるべきだ。
けれども今二人の足元に広がっているものはそう、地面……土なのである。
「ここは地下か?」
「はい、そのとおりですわ」
クリスはテートの答えに顔を顰めた。
「巨大樹の下になぜこんな空洞があるんだ?」
「大きな樹ですけど、根っこの先は案外細いものなのですわ」
そう言ってテートはおもむろに壁を触り始めた。
「ほら、見て下さいませ……大小様々な根が入り組んでいますわよね? これは全部巨大樹の根っ子なのですわ」
「全部か……」
言われてみれば、壁や天井走りにくい地面、そのあちらこちらに根っ子であろう物が入り組み突き出し、その姿を晒していた。
「大きな樹ですからね、根っこも相応に広大に張り巡らされているのですわ。その根っこで巨大樹を支えているのですから、一部が何かの原因で枯れたとしても他の部分が支えるので……例えば大きな根が枯れてもこのような空洞が残るらしいですわね」
小さな根が枯れてもすぐに隙間は埋まるだろう、けれども大きな根ならばこうして跡を残すのだという。
壮大な話である。
「そうか……なら道の広いほうに行こう、そうすれば上にすすめるはずだ」
木の根は根元が一番太いものである。
ならば広い道にいけばそれは太い根が通っていた証拠でもある。
故に上を目指すのなら、それが最善なのである。
二人は広い道へと足を進めた。
***
虚の外では、グランとパンジが二人の帰りを待っていた。
「遅くない?」
グランがパンジに問いかける。
「まだ入って五分くらいでしょう」
「そんなもんだっけ? もう一時間くらいたってない?」
どうにも娘が心配なのかグランはそわそわとしている。
そして、この質問も既に五回めだ。
一分に一度している計算になる。
「やっぱり止めておけばよかったな。そもそも俺はテートが手伝うことだって反対だったんだ……」
「仕方ねぇですよ」
しつこいグランに呆れたようにパンジが返す。
「でもなぁ嫁入り前の大事な体だぞ、何かあったらどうするんだ……」
不満気に呟くグラン。
「何もありゃしませんって、小さい頃からここに入り浸ってるお嬢だ、下手すりゃその辺の団員よりよほど翼竜に慣れてますぜ」
「そうだけどな……」
「それともあっちの方を心配で?」
そう言って手で下品なジャスチャーをするパンジ。
「パパは許しませんぞ!?」
唐突に叫び声をあげるグランにパンジはまた呆れた顔を向けた。
「旦那、冗談でさ」
「そうか……そうか、冗談か、そうか冗談か」
何度も繰り返し呟いて、やっと落ち着いた。
取り乱しすぎである。
そして思い出した。
「クリスなら大丈夫だ」
そもそも今は魔法で女になっている。
そちらの心配はする必要はないのである。
「ほう? あの小僧っ子をそんなに信頼してるんですか?」
「そりゃぁ……クリスは」
とはいえ正直に事情を話す事はできないのだ。
「旧友の息子だからな……」
呟いたグランをみてパンジは口笛を吹いた。
「なるほど、そりゃ信頼もするってもんでさ」
そう言ってパンジはくつくつと笑い、生暖かい視線をグランにむける。
「クリスは置いといてな、自分の娘を心配するぐらいしてもいいだろうが」
気恥ずかしいのは吐き捨てるとグランはそっぽを向いた。
「おいおい、拗ねなさんな。そんな事言ったらはじめにお嬢をここに連れてきたのは旦那じゃないか?」
パンジの返しにグランは何も言えず、口をつぐむ。
余計に拗ねた。
そもそもテートが翼竜騎士団に手伝いに来るのはグランが幼少期のテートを翼竜騎士団に連れてきたのが発端だ。
それもかなり身勝手な理由である。
娘に働いている所を見せたくて「パパ格好いい」と言ってもらいたかった。
それだけのためにテートを連れてきた。
実際言った台詞は「翼竜可愛い」だったのだが。
ともあれ、それからテートは何かと理由を付けてはグランを手伝いに来ている。
実際その辺の団員よりも翼竜に慣れていて、世話をするのを手伝ってくれたりするから無碍にもできないのである。
何よりグランの愛娘である、つまり身内だ。
翼竜騎士団は軍部を司る。
故に下っ端の団員にできない事も多々存在する、けれども幹部以上かその身内でなければ出来ない事もあるのである。
故に他の団員から文句などではしないし、出させはしないが男親としては愛娘が危険な事をするのを心配しないわけがなかった。
「やっぱり心配だな。俺も入ってみるか……」
「やめとけって旦那、ほら」
そう言ってパンジが視線を向けるのは虚の遥か上。
「セレナーデが睨んでる、ブレス空ぶかししやがったぞ? 完全に警戒してる」
そこにはセレナーデ……序列二位を誇る翼竜が尊大な態度で佇んでいる。
時折呼吸とともに漏れる青白い光が口からほとばしる。
その眼光はするどく今にも襲いかかってきそうな程である。
「あ、すいません」
グランは反射的に頭を下げた。
そんなグランをみてセレナーデはつまらなそうに鼻を鳴らした。
鼻から軽くブレスが漏れた。
「おとなしく待ちやしょうぜ」
パンジの言葉にグランはしぶしぶと頷いた。




