十三話 巨大樹の中 ~白い影~
グランに連れられ入り組んだ枝葉の上を歩き、クリスがたどり着いたのは地上だった。
大樹の根があちらこちらに張り巡らされ翼竜の糞便があちらこちらに落ちている。
糞便の臭いにクリスは少しばかり顔を顰め、足を止めた。
そして感じる違和感。
クリスは少しだけ考え、気がついた。
「ああ……小竜のとは比べ物にならないほど臭いのか……」
「小竜は臭くないのか?」
「これほど、臭いませんね……」
そうか、と短く相槌をうつと、グランは糞便を気にもせず、歩いて行く。
気が漫ろなのか、少しそわそわし始めた。
クリスが疑問に思うが、すぐにそれは氷解する。
巨大樹の根元を歩いた先、それは在った。
竜さえも悠々と入れるような大きな虚。
そしてその前に佇む複数の人影。
一人がグランとクリスに気づいたのか、小走りで駆け寄ってきた。
「お父様……そろそろ、あら貴方……クリス様と言いましたか」
それはグランの娘である、テートであった。
グランがそわそわしてた原因だ。
テートはクリスを見つけると少しばかり嬉しそうに微笑んだ。
「なぜここにテート殿が?」
「お手伝いを……、竜は女性優位の幻獣なのですわ」
テートの答えに、クリスは少しだけ考え、結論を出した。
「女性のほうが都合のいい事があると……?」
「あら、案外頭の回転が早いのですね。その通りですわ。お産ともなると雄……男性では近づく事さえ許されないのですわ、例えそれが他の種族であろうとも、ですから私がこうして手伝いに借り出されるの珍しい事ではないのですよ」
その言葉にクリスは少しあっけにとられ感嘆した。
魔法を使えない女性の身で、翼竜の世話を手伝うなど例え親が団長で翼竜に慣れていようと、よほどの精神力でなければ務まるものではない。
何せ相手は気まぐれで人を殺せてしまう程の強大な力を持っているのだ。
小竜の育成すら覚束ないクリスには少しだけ羨ましくも思えた。
「慣れですわ」
テートはクリスの表情を見て、そう告げる。
「それに、これからはクリス様も手伝ってくれるのでしょう? 女性ですものね」
その言葉にクリスは疑問浮かべ、グランに目で問いかけた。
「そういう意味で連れてきたわけじゃないが……テートはなぜクリスの事を知ってるんだ?」
「先日、暴漢から守ってもらいました時に少し」
既に暴漢扱いのジスタンにクリスは哀れみを覚えた。
グランがなんとも言えない顔でクリスを見る。
「不可抗力です」
けれどもクリスはしれっとした態度でぞんざいに答える。
「テートでよかったが、気をつけてくれ……」
「……はい」
「そんなことより、様子を見に来たのでしょう?」
そんな事とテートは一蹴する。
とはいえ、ここでぐだぐだ言っても何にもならない。
「……おかけしますわよ?」
「ああ」
テートの問いに、グランが頷くと、テートは腰にある小さな鞄から小さな硝子瓶を取り出した。
香水瓶である
透明な硝子瓶の中で揺れるのは緑色の液体。
テートはそれを胸元に掲げると、グランとクリスに向けてひと吹き。
なんともいえない、けれども嗅ぎ慣れたような、甘い臭いが辺りに漂った。
「これは?」
「これが竜酔香だ」
これこそがジスタンが言っていたご禁制の品。
本物の竜酔香だった。
それをみて、臭いを嗅いでクリスは顔をしかめる。
「こんな臭い俺してますかね……?」
「俺にはわからん」
にべもないグランの言葉にクリスは釈然としない気持ちになった。
「では、参りましょう」
テートに連れられ大虚の前に到着する。
そこにはもうひとり、長い茶髪を三つ編みにして背中まで流した、髭を蓄えた小男が立っていた。
「パンジ、様子はどうだ?」
「旦那ぁ、来やしたか。様子も何もお手上げでさぁ、近寄れもしない有様よ、そっちの坊主は誰ですかい?」
「こいつがクリスだ、なんだお前ら同じ技術部なのにまだ会った事なかったのか」
呆れた顔のグランにパンジが薄ら笑う。
「生憎あっしは、殆どこっちに詰め切りでしてね、んじゃ後輩かよろしく頼むぜ坊主?」
「……よろしくお願いします」
軽い握手のあと、パンジはグランへと向きなおる。
「んで、どうするんですかい? 入り口にはミューデルトを含め雌の翼竜の序列三位まで勢揃いでさぁ、チキャーナを守るように入り口を塞いでますぜ竜酔香を掛けてなきゃここでも竜の吐息を食らってもおかしくねえ」
若干おどけたように言ってはいるがパンジの目は真剣だった。
グランは髭をなでつけると、ふむと頷いた。
「クリス……」
「なんでしょうか?」
「行ってこい」
「はぁ?」
クリスから思わず素っ頓狂な声がでた。
パンジの態度から、ここが結構な危険地帯である事がクリスにも理解ができていた。
だというのにその危険地帯の中心に行けとグランは言うのである。
「おいおい、旦那。産気づいた翼竜の産卵場に坊主を行かせるなん坊主を殺す気ですかい?」
慌てたように、パンジが止めに入る。
「クリスなら大丈夫だ、多分」
けれども確信を持っているのか、グランは静かに頷いた。
「いやまぁ、行けと言われれば行きますが……なにをしに行くんですか?」
「あら、お父様。説明してらっしゃらないの?」
テートの声にグランがばつが悪そうに髭をいじった。
「忙しくてな……」
「おいおい、旦那ぁ死地に向かわせるのにそれはねーですよ」
周りから呆れた声があがる。
グランは咳払いをすると、仕切り直しとばかりに話しだす。
「あの虚があるだろう? あそこは翼竜の産卵場所の一つでな。今はチキャーナが籠もっているんだ」
「なるほど、それで?」
「本来、翼竜の産卵は雌一匹で産むものなのだ、けれども、入り口にはミューデルト、セレナーデ、ステラヘレナの三匹が警戒している……」
「本来ありえない状況と……でもそんなにおかしな事なんですか? 翼竜は幻獣の王と呼ばれる竜の一種。獰猛でありながらも頭だって人よりも良いと聞きますが」
「十分に可笑しい、竜は女性上位の社会だが、確固たる序列がある、チキャーナは体が小さい最下層だ、産卵とはいえ、それを上位の三匹が警戒するなんてな……例えるなら国の女王が裏路地の妊婦の様子を見に来てようなものだ」
グランの例えにクリスは思わず目を見開いた。
例えが大げさだがグランの言わんとする事は理解した。
確かに裏路地の妊婦の様子を見に来る女王などあり得ない。
よほどの理由が無ければだ。
「分かりました何かが起きていると、それを確認してくればいいんですね?」
「本気かぁ坊主? 俺や旦那でも入り口に近づくだけで唸られるんだぞ?」
クリスの返答にパンジがとんでもないものを見たかのような目をクリスに向ける。
「私も着いていきますわ」
「テートの嬢ちゃんは女だから、俺らほど警戒されはしないだろうが……旦那」
困ったようにパンジはグランを見る。
「え? 困るよ。テートは女だから俺たちほど危なくはないけどそれでも危険には変わりないんだけど……」
「クリス様は行かせるのでしょう?」
「いや、そりゃねクリスはね?」
「……同じ女性ですのに?」
そっとグランにだけ聞こえるようにつぶやいた。
「あー、うん、なんで知ってる?」
「見ればわかりますわ」
そう言って微笑むテート。
顔は笑っているのに、目は笑っていない。
グランはそんなテートを見て、ため息をつく。
「わかった許可しよう……」
「流石お父様ですわ」
そう言うとテートはクリスの腕をとる。
「行きますわよ」
「あ、おい」
クリスが半ば引っ張られるようについていく。
「旦那、いいのかい?」
心配そうに見送るパンジ。
「言い訳あるかっ、でも仕方がない……あの強引さは妻に似たなぁ……」
グランは何処か遠い目をして、つぶやいた。
***
テートとクリスは巨大樹の虚の中へと進んでいった。
中は暗く、光源はテートのもつ手提げ式の洋燈のみ。
当然視界は悪い。
二人は慎重に中へと進んでいく。
足場が悪いかとおもいきや、翼竜達の出入りのせいか、道はよく均されていた。
それなりの頻度で使用しているようである。
しかし、なかなかに入りん組んでいる。
「道が均されているおかげで迷いはしないが……存外に長いな」
「翼竜の産卵は個体差もありますが大体二百歳から三百歳を超えた成竜が十年に一度あるかどうかですのよ」
「なるほど、それでこんな所に隠れて卵を産むのか……小さな個体かと思ったがチキャーナもあれで成竜だったのか」
「いえ、チキャーナは……」
テートが答えようとした瞬間。
クリスは無数の生き物の気配を感じ取る。
クリスは剣の柄に手を掛ける。
「何かいる……」
クリスの警戒の言葉に、テートは大丈夫だと笑うように頷いた。
「時折、麦鼠が出ますのよ」
「麦鼠っというと麦の収穫期に出る鼠だったか?」
「ええ、でも珍しい事ではないですわ。麦鼠は小麦を好んで食べますが本来雑食のようで……何処にでも湧きますから、あ、ほら」
テートが指差す先には白い鼠が一匹。
手のひらよりも少しばかり大きいくらいで、背中に麦の穂のような茶色い飾り毛が頭から尻尾にかけて生えている。
「小さくて可愛いですわね」
テートが腰の鞄から、小さな乾燥果実を取り出した。
それを手に乗せて、麦鼠に向けてゆっくりと腕を伸ばした。
麦鼠はふんふんと鼻を鳴らし、ゆっくりと近づいてくる。
そして、テートの手に乗った乾燥果実を食べ始めた。
「ふふ……」
機嫌の良さそうに、麦鼠を眺めるテートにクリスの警戒は緩む。
「きゃっ」
その時テートが何かに驚き短い悲鳴をあげた。
「どうした?」
クリスが急いで近寄り様子を見ると、テートの指に赤い雫。
「噛まれたのか……見せて見ろ」
思ったより傷が深いのか、血の止まる様子はない。
クリスは自分の腰鞄から布を取り出すと、手際よくテートの指に巻いていく。
「戻ってから、きちんと見てもらえ……止血だけしておく」
「……ありがとうですわ」
少し痛むのか、テートは顔を顰めた。
「果物をあげたのに噛むなんて恩知らずな麦鼠ですわ」
「美味そうに見えたんだろう」
「嫌だわ、そんなに美味しそうに見えるのかしら」
「そうかもな」
軽口を叩けるくらいなら大丈夫だろうとクリスが歩き出そうとした時だった。
ガサゴソとあちこちに小さな音と気配。
クリスは思い出す。
気づいた気配は無数にあったと。
音は段々と増えていく。
気づけば、後ろにも前にも音が響く。
「今年は麦鼠が多いのかしら?」
呑気なテートの言葉にクリスは脱力しかける。
けれども、聞こえる物音にクリスの背筋には悪寒が走る。
麦鼠は背中の飾り毛と現れる時期が麦の収穫期という事でそういう名前が付いているが、本来雑食だ。
虫も食べると、果物も食べる、時には集団で獲物を狩る時もある。
時には自分より遥かに大きな動物だろうとも……。
段々と物音が近づいてくる。
そしてクリス奥を見る。
そして目を見開いた。
クリスの目に映るのは遠目に蠢く無数の麦鼠達。
その視線の全てがこちらに向いていた。
「走るぞ!」
クリスがテートの手を握り今来た道を駆け出した。
「どうしましたの?」
気づけば物音は大きくなり、まるで地響きのように虚の内部に響き渡っていた。
「麦鼠の大群だ!」
その言葉に振り返ったテートはその顔を引き攣らせた。
「ヒッ」
小さな大群が二人に迫っていた。




