十二話 把握 後編
クリスが当たりを見回せば、そこには唖然とした表情の新人たち。
当然だろう、自分たちが決死の思いで成し遂げた事を、クリスは事も無げにやり遂げたのだ。
それも、竜のほうから、頭を差し出したのだ。
竜に好かれるという利点。
それは、竜騎士に置いて最高の才能であるといっても過言ではない。
それをまざまざと魅せつけられたりしたら、言葉を失うのも当然といえば当然だった。
「凄いな兄弟!」
静寂を打ち破ったのはグリフィスの声。
皆が唖然としているなか、グリフィスだけは朗らかにクリスを賞賛していた。
そして、クリスに歩み寄る。
「なんで急に翼竜が大人しくなったんだ? 何かしたのか?」
話しかけ、グリフィスが近寄るが、翼竜は再び唸り、グリフィスを威嚇しているのか唸り声をあげた。
威嚇を確認したグリフィスはそれ以上は近寄らなかった。
それを見たクリスが翼竜の首元を撫でると、今度甘えるように唸りだした。
「この反応の差はなんなんだ?」
それを見てグリフィスは疑問の声をあげる。
当然だろう、こんな状況誰だって疑問に思う。
「竜に好かれる体質らしい」
「何だそりゃ?!」
大仰に思える程の声をあげるグリフィス。
けれども、竜騎士を目指すものにとってはそれくらい驚くべき資質なのである。
「何だ? と言われてもそういうものだとしか言いようが無い」
グリフィスの驚愕をよそにクリスは苦笑する。
事実クリスとてなぜ好かれるかまでは理解していない。
ただ好かれるという事実だけがそこにあるのだ。
「卑怯者!」
けれども、其処に異を唱えるのが一人。
ジスタンである。
「貴様竜酔香を使ったな?! でなければ気性が荒い事で有名な翼竜があのような態度を人に取るものか!」
ジスタンの言葉に周りの団員たちがざわめいた。
なかには、同調するかのように頷くものもいる。
竜酔香とは、雌竜の鱗から作られる香水だ。
甘い匂いが漂う香水である。
竜は女性君主制だ。
雄は雌に逆らえない。
それを利用したのが竜酔香と呼ばれる香水だ。
当然、特殊な条件でしか使用を認められないご禁制の品である。
とはいえ、それを知らないクリスにとっては完全な言いがかりに等しかった。
今度はクリスが唖然としてしまう。
意味がわからないとばかりに、ぽかんとしている。
「竜なんだって……?」
「白々しい! 竜酔香だ! 竜を惑わす、ご禁制の品だ!」
クリスは思わずグランを見ると、グランは静かに頷いた。
「確かにそういう品はある、竜の調教に使う事もあるしな……しかし、クリスが使ったわけではないだろう? 証拠でもあるのか?」
「証拠は今そいつが身に纏っているだろう!」
そう言うとジスタンは、枝葉を揺らしクリスへと歩み寄った。
「何が証拠なんだ?」
クリスの言葉にジスタンは、鼻で笑う。
「私は風魔法が得意でね。気流を操作するのが得意なのだよ? だからこそ匂いに敏感になる……。臭うんだよ、貴様から! 竜酔香独特の甘い香りがな、乳臭い女のような香りだ!」
「……喧嘩売ってんのかてめぇ?」
乳臭い女の香という言葉に、クリスの頬が引きつった。
「喧嘩? 私は喧嘩など売っていない、貴様から竜酔香のような甘い匂いがするのは事実だ、そうだろう?」
ジスタンが後ろをむき同意を求めると、数人が同意した。
恐らく風魔法が得意な連中なのだろう。
流石にジスタン以外の同意には、クリスも少し驚いた。
なのでクリスは顔を顰めながらも己の体の臭いを嗅いでみた。
手から肩、肩から腋。
大樹を登ってきたせいで少しばかり汗臭いだけだった。
クリス自信に甘い香りを感じる事はできなかった。
クリスはグランを手招きする。
「臭いますか……?」
クリスの差し出した手をとり、グランは匂いを嗅ぐ。
「……確かに甘い香りはするが竜酔香ではないな」
「甘い香りですか……?」
なぜそんな臭いがとクリスは思いもするが、グランの次の言葉で氷解する。
「どっかで嗅いだような、娘みたいな臭いがするな……」
つまりグランは女の臭いがする、と言っているのだ。
その意味に気づいてクリスの声は思わず怒りで低くなった。
「……ぉぃ」
「あ、いやなんでもないぞ、竜酔香の匂いではなかった」
クリスの怒りを感じ取ったグランが、焦ったように弁解する。
グランがいえば、流石に新人たちは納得する。
けれどもジスタンだけは納得がいかないのか、顔を真っ赤にして叫んだ。
「貴様騎士服を脱げ!」
その言葉にクリス頬が再び引きつった。
クリスの騎士服の下は晒である。
騎士服事態は厚いものの、流石に脱いでしまえば、クリスの性別くらいバレてしまう程度には膨らんでいる。
「あぁン?」
クリスは脅すように言葉を返す。
しかも、怒りのためか若干声が震えている。
「わからんか? 私がじきじきに確認してやると言ってるんだ」
しかし、ジスタンは口を歪ませて嗤う。
「断る、なんでお前なんぞに確認されなきゃいけないんだ? 今サーシェス団長が否定しただろう!」
「サーシェス団長とて人の子だ! 間違える事もある! 脱げないのなら 竜酔香を仕込んでいるからだと言ってるようなものだ!」
クリスが断れば、ジスタンはそれこそ我が意を得たりとばかりに声をあげた。
執拗な追及にクリスもついに苛立ちが頂点に達した。
「他人の臭いを気にするような男色野郎に、わざわざ服を触らせたくねぇって言ってんだよ! またのされてえのか?」
「また……だと……?」
クリスの言葉にジスタンの眉間に皺が寄り、そして段々と頬が赤くなっていく。
「貴様、あの時の暴漢か!」
先日クリスにのされた事を思い出したのだろう。
手を握りしめ、わなわなと震えている。
「どっちが暴漢だってんだよ! 嫌われてんのに女に付きまとってるお前のほうが暴漢だろうが!」
「き、ききき、貴様! も、もう許さん! 決闘だ!」
「ああ、いいぜ、受けてやるよ、この暴漢やろう!」
売り言葉に買い言葉。
クリスはついに決闘を受けてしまう。
「お前ら何を勝手な事を言っているんだ!」
グランが仲裁に入るも、二人は聞く耳をもたなかった。
睨み合い、今にも戦いが始まりそうな勢いだ。
けれどもクリスはふと目線をグランに向けると、口を歪ませた。
そして一言。
「こいつが言い寄ってた女って、団長の娘のテートですよ」
瞬間的にグランの顔から表情が抜け落ちた。
真顔である。
「よし、許そう、ぼこぼこにしてやれ」
そしてグランはクリスの言葉に瞬間的に手のひらを返したのである。
「言い寄るなど! 私は自分の職務を遂行していたに過ぎません!」
真顔のグランにジスタンが狼狽し、言い訳する。
「テート嫌がってじゃねーか?」
「おい、クリスそこんとこ詳しく……ところで呼び捨てにするほどクリスとテートは仲がいいのか?」
「待ってください、団長! 言いがかりです……!」
「俺が寮の裏にいたらテートが駆けて来て助けてほしいと言われたので、そこの暴漢を撃退したんです、俺はあまり他人に敬称をつける癖はないので次から気をつけます、テート殿とはそこで初めて出会いました」
「ほう……、お前らは解散な。ジスタン、ちょっとこっちで話しをしよう……? な?」
その言葉に団人達はぱらぱらと解散していく。
ジスタンに逆らう事などできない。
グラン・サーシェス、王国最強の男である。
騎士服の襟首を捕まれ、ずるずると引きずられるように階下に降りていく。
「明日の昼! 訓練場で待つ! 逃げるなよ!」
見えなくなる寸前ジスタンはそう叫んだ。
「てめえこそ、首洗って待ってろ!」
クリスは親指で首を掻き切るような仕草をする。
二人が見えなくなった頃、グリフィスが声をかけてきた。
「兄弟よくやった!」
クリスは翼竜から離れるとグリフィスのほうへと歩み寄る。
「あいつは家柄を笠に着る嫌なやつだからな! ホモ野郎と言われた時のやつの顔は最高だったぜ!」
邪気もないようなグリフィスの声。
けれども声とは裏腹に、辛辣に嫌っているのがかいま見える。
「それで勝算はあるのか? さっきの会話じゃ一度ぶっ飛ばしたみたいな事を言っていたが……」
「ああ、先日な」
その言葉にグリフィスは嬉しそうな顔をする、けれどもすぐさま何かに気づいたように難しい顔になった。
「兄弟がやっこさんをのしたのは何時だ? 夜か? 朝か?」
グフィスの不思議な問いかけに、クリスは意図をつかめず困惑した。
「夜だ」
正直にクリスが答えると、グリフィスは難しい顔をしてだまりこむ。
「何か心配事か?」
クリスが問いただすとその口をゆっくりと開いた。
「トライム子爵家といえば、太陽の騎士って奴の家系だ……」
「太陽の騎士……聞いた事があるな……陽の光があるときには無類の強さを発揮するという……」
グリフィスは重々しくうなずいた。
「俺はやっこさんと同じ一般騎士部隊だから、何度も見てるが、やっこさん太陽が出てるうちだと身体強化を掛けなくても、掛けた並の身体能力を誇るんだ」
「ほう……それは脅威だな」
「ああ、実際そこに身体強化を掛けるもんだから、純粋な身体能力じゃあいつに勝てる奴はそうそういねーよ、やっこさんそれを知ってるから魔法よりも体を鍛えてやがる」
そう言われれば異常と思えるほどのジスタンに筋肉に納得がいく。
利点を伸ばすという点では、正しい選択である。
「でも、それだけじゃ……」
強いとは言い切れない。
戦いというのは、身体能力だけで決まるものじゃない。
「俺もそれ以上しらねえが……ま、がんばれよ兄弟!」
「程々にやるさ」
グリフィスの声援に、クリスは軽く答えた。
そしてクリスは再び大きめの枝葉に腰掛けた。
ここでグランを待つのだろう。
クリスが手持ち無沙汰にしていると先ほどの翼竜がクリスに擦り寄っていく。
クリスはそれをまるで犬猫のようにあやしはじめた。
翼竜もまるで親に甘える子供のような様子だった。
とはいえ、人であるクリスに十倍以上も大きい翼竜が甘えているのだ。
少しばかり不可思議な光景に映ってしまう。
「羨ましい体質だな……」
それを見て、グリフィスが羨んだ。
当然だ、これから竜騎士に成るというのだ、翼竜との交流は必須である。
グリフィスは再び翼竜に近づくが、やはり近づくだけで唸られてしまった。
唸られ苦い顔をするグリフィスにクリスは苦笑する。
「剣に手をかけながら近寄るのは辞めたら少なくとも唸られはしないと思うが」
言われて初めてグリフィスは自分が剣の柄を握っている事に気がついた。
「癖でな……」
グリフィスはバツが悪そうに、頬をかいた。
「騎士としては当然だが、竜からしたら恐怖なんだろうよ」
「そうか……俺たちだって剣に手をかけて奴が寄ってくりゃ警戒の一つもするしな、よし!」
そう言ってグリフィスは剣から手を離し、近づいていく。
そして今度は、唸られる事なく触ることに成功した。
「おお……」
上がるのは感嘆の声。
「できるじゃないか」
クリスはからからと笑う。
気づけば、クリスの後ろには別の翼竜達が降り立っていた。
「あれ、お前らまた来たのかっ、わっぷ」
クリスは翼竜の中に埋もれていく。
「攻撃を避けて触った時とは違う感じだ……」
そんなクリスをよそにグリフィスは翼竜を撫でていた。
そしてその言葉に反応する声があった。
「それでいい。その感覚を大事にしろ」
気づけばそこに、グランが立っていた。
「サーシェス団長! お戻りですか!」
グランが現れた途端普段の快活な様子など微塵もみせず、途端にグリフィスは堅苦しくなった。
「肩の力を抜け、グリフィス。そんなに堅くては竜に嫌われるぞ」
「は、はい……自分は……」
「あれ、サーシェス団長戻ってきたんですか……」
グリフィスの言葉を遮ってクリスはグランに歩みよる。
どうやら翼竜の中を抜けてきたようで騎士服は竜の唾液だらけではあるが。
少しだけ残念そうなのは本人も竜と遊ぶ事が嫌いではないという事だろう。
「それで用事っていうのは何でしょうか?」
「技術部の職務だ……中層に降りるぞ、グリフィスもそろそろ行け、一般騎士部隊はこれから訓練だろう?」
「は、はい、それでは失礼します!」
そう言うとグリフィスは駆け足でそこを後にした。
「なんだ、あいつ?」
先ほどまでとは、まるで態度が違うグリフィスをクリスが不思議そうに見送った。
「俺に憧れてるんだろう、新人にはよく居る」
そう言ってグランは朗らかに笑う。
「……冗談でしょう?」
クリスは軽く目を見開き、鼻で笑う。
「俺団長なんだけど……王国最強とか呼ばれてるんだけど?」
「ああ、そんな話もありましたね……」
「いや、有名だからね。エフレディアで一番有名な男といっても過言ではないよ? ここ十年、子供に付けたいナンバー1の名前はグランだよ?」
「可哀想な子供たちだ……」
「どういう意味だ……」
「支援者に頭の上がらない甲斐性無しの名前……という意味ですかね」
「すいません、生意気いいました、ていうか普通はあがんねーよ!」
「そういや、テート殿の自慢は父に似てない事だって言ってましたよ」
「まじで? っていうか今それいう必要あった?」
「……」
「そこで黙るの辞めてくれない!?」
「お前の名前はなんて言うんだ?」
そう言ってクリスは近寄ってきた別の翼竜をなで始める。
「急に話題変えるのもやめてくんない!? 気遣われてるみたいで心が痛い!」
「へぇ、そうか、メルフェルっていうのかこじゃれてるな」
「会話してんじゃねーよ! ていうかできんの!?」
「え? 今の声団長じゃ……」
「違う! ああ畜生! 気になるけど今はそれどころじゃない! いくぞ!」
「何処へ行くんですか?」
「チキャーナの所だ」
少しだけグランは真面目な顔になった。
「チキャーナ……産気づいたんで近寄れないのでは?」
「行けばわかる……」
クリスが問えば、少しばかり表情を曇らせてグランは歩き出す。
「はぁ……」
要領を得ないグランの回答。
クリスは気のない返事をし、グランの後を着いて行った。




