夕闇に消える、
主人公の名前は橘 俊太、友人の名前は佐倉 祐斗です。
「なんかさ、俺見たっぽいんだよね。幽霊」
「頭沸いたか」
友人の突拍子も無いカミングアウトに、間もおかず口から暴言が吐き出された。この友人、佐倉は、幽霊を見ただなんて冗談を言う奴じゃないと知っているからこそ出た言葉だった。こいつはかなりの現実主義者…所謂リアリストで、非科学的なものは一切信じない。そんな奴がいきなり「幽霊を見た」なんて、頭おかしくなったと思うのも無理ないだろ?
「しかも憑かれたみたいなんだよね。お前はこれ、どうすればいいと思う?」
これ、と佐倉が指さしたのは自分の右肩辺り。言われても俺には背景しか見えないんだが。やっぱり頭おかしくなったのか。「病院に行ったら?」と薦めれば、「除霊してくれる病院なんてあんのか」と素で返された。え、これ冗談だよね?
確かに昨日は肝試しがあり、みんなで墓地に行った。でも、幽霊を見た、なんて話は少しも聞かなかった。暗いだけであまり怖くなかった、というのが全員の感想だったというのに。佐倉も当然、その肝試しに参加していたが、俺が「そんな怖くなかったなー」と言ったとき、佐倉も確かに頷いていた。俺は覚えている。
「昨日、なんかあったのか」
佐倉がそんな面白くも無い冗談を言ってくる、ということは何かそう思った理由があるはず。そう考えた俺は、ちゃんと佐倉の話を聞いてやることにした。
「家に帰って風呂入ってたときに、鏡越しにこれが見えた。んで、それから普通に見える」
佐倉の右肩辺りにいるらしい「これ」。俺がどれだけ目を凝らしても見えないそれは、佐倉には見えているらしい。
「姉に相談したら、『幽霊じゃない?』って言われた」
「科学的に幽霊だって証明は?」
「できないけど、幽霊って言葉がピッタリだ」
「やっぱお前頭打っただろ」
佐倉が、あの佐倉が、「科学的に証明できないけど幽霊だと思う」なんて、おかしいだろ。
「ちげぇって、」
「じゃあ、そのネタ面白くないよ?ところでさー、」
佐倉の変な冗談だと勝手に決め、俺はその話をなかったことにした。
佐倉がそんな冗談を言う奴じゃないって分かっていたのに。
それからしばらく。俺の頭の中からすっかり佐倉の幽霊の話なんてなくなっていた頃、事件はおきた。
欠伸を必死に噛み締めながら登校してきた俺。教室がいつもより騒がしいな、なんて思いつついつも通り教室に入ると、
「あ、きたきたっ!ユウトちゃんおはよっ!」
佐倉がオカマになっていた。
「さ、佐倉…?」
「やっだー!佐倉じゃなくてアタシはア・キ・ラ!アキラちゃんって呼んでね?うふふっ」
「お前どうした…!?」
「お前ってなあに、失礼ねぇ?お前じゃなくてアキラよ、アキラ!」
「はぁ…?」
意味が分からない。なんで佐倉がいきなりオネェ口調に。何故だ。
「その…アキラ、さん?は、なんで佐倉…」
に憑いてるんですか、と言おうとして、ハッと自分が言おうとしたことに気がついた。なんで俺、この人が幽霊だって決め付けてるんだ?ただ佐倉が頭おかしくなってふざけてるだけかもしれない。それなのに、なんで。
「だってアタシが幽霊だって、分かっちゃってるから」
うふ、と笑った佐倉の顔がすぐ目の前にあった。佐倉は人差し指を俺の唇のところまでもってきて「しー」と笑う。気持ち悪くて吐くかと思った。
「てか、今、」
「そ、心読んじゃった!うふふっ」
「っ!」
こんな非科学的な。なんなんだコイツは。心読めるとかなんなんだよ、反則だろ。それに、「幽霊だって分かっちゃってる」ってどういう意味だ。
「だって今まで佐倉ちゃんの傍でユウトちゃんに干渉してたもの。」
霊感はなくたって干渉され続ければ、多少の影響は出るものよ?
そう佐倉は笑った。説明されてもわけがわからない。きっと俺が馬鹿ってわけじゃないはずだ。うん、そのはずだ。
「まぁまぁ気にしないの!それじゃあ、また放課後にね?」
それだけ言うと、佐倉の身体がふらっと倒れた。咄嗟に支え、肩をポンポンと叩く。
「佐倉、佐倉…!」
そうすると佐倉がすぐに目を覚ました。瞬きを繰り返し、きょろきょろと周りと見渡している。どうやら本物の人格に戻ったようだ。よかった。
「あれ…?」
「佐倉、」
「橘…?あれ、俺いつ学校来た…?」
「記憶ないのか」
「んー…?」
顔を歪ませ、額を押さえる佐倉。
「頭、痛い」
それだけ言うと、ふらふらと教室から出て行ってしまった。
「…?」
普段なら頭痛がひどくても「大丈夫だ」と言って無理してでも授業に出るのに。しかも向かったのは保健室と逆方向。
…佐倉、一体どうしたんだ?
それからの授業はずっと上の空で、ほとんど記憶にない。佐倉は教室に帰ってこなかった。
『それじゃあ、また放課後にね?』
そう言った佐倉の姿がちらつく。放課後に何するつもりなんだ。多分ろくでもないことをするつもりなんだろうけど。そう自分で想像して嫌になった。はぁ、と溜め息をついて席を立つ。これ以上意味の無い授業を受けていたってしょうがない。今日はサボってしまおう。
そう思って行ったのは屋上。ぶわ、と風が吹き付けてきて、目を細める。逆光で誰か分からないが、柵の向こうに人影が見えた。…柵の向こう?
「…っおい!?」
声をかけるとビクリと震えた人影。風がやみ、人影に近付くと、
「佐倉…?」
それは、佐倉だった。
「たち、ばな…」
「おま…正気か?こんなことして、」
「分からない…分からないんだよ」
「は…?」
「なぁ、橘、助けてくれよ」
「え、」
柵を乗り越え、こちらに戻ってくる佐倉。それには正直ほっとしたが、行動が読めない今の佐倉はなんだか怖い。ふらふらしながら俺に近付いてくる佐倉に、本能的に危険を感じて後ずさりした。
「橘、なんで逃げるんだよ」
はは、と乾いた笑みを浮かべて佐倉は俺を追い詰める。とん、と背中に硬い感触がして、嫌な予感がした。俺の横には屋上の唯一の出入り口である扉がある。壁、だ。
「橘…」
振り下ろされる拳。とっさに目をつぶって衝撃に備えたが、いつまでたってもそれがくる気配がしない。恐る恐る目を開けば、辛そうな表情の佐倉がいた。拳はゆっくりと、俺の顔の横に。
「ごめん…」
そう呟くと、佐倉は屋上から出て行ってしまった。心臓の音がどきどきうるさくて、俺は恐怖からか自分が緊張していることに気付いた。はぁっと息を吐いて、身体の力を抜く。
「…なんなんだよ」
訳わかんねぇ、と呟いた独り言は風に飲み込まれて消えた。
「…ん……?」
昼ごろに弁当を食べに教室に戻ると、またしても教室が騒がしくなっていた。なんだ、と思って早足で向かうと、教室からつんざく様な叫び声が廊下にまで響く。この声は、とすぐに分かった。これは佐倉の声だ。駆け足で教室に向かい、中を見ると、きちんと並んでいた机や椅子はぐちゃぐちゃに、ロッカーの中に入っていただろう誰かの体操着や化粧品などが床に散乱していた。クラスメイトは全員廊下に非難したようで、唯一教室にいるのは予想通り佐倉だけ。
「なにしてんだよ、佐倉…」
ぽつりと呟いた声は、どうやら佐倉に届いてしまったようで、佐倉は射抜くような視線を俺に寄こしてくる。どきり、と心臓がうるさく自己主張。握った手は汗で湿って、冷や汗がぶわりと噴き出した。
「はは、はははっ!」
俺を睨んでいた佐倉は突然笑い出す。けらけらと爆笑し続ける佐倉は、なんだか不気味だった。
「はははははっはっあー、あー…」
突然佐倉のテンションが急降下。ローテンションになったかと思えば、いきなりそこら辺にあった机を蹴り上げた。ガシャンッと大きな音を上げて倒れた机。まだ足りないのか、その机を蹴り続ける佐倉。無表情で暴れる姿にゾクリと寒気がした。
「なぁ、橘ぁー」
「あ、な、なに…?」
「殺してやりたい」
にっこりと、不気味なぐらいの深い笑みを浮かべた佐倉は、床に落ちていた可愛らしいクマのぬいぐるみのキーホルダーを手に取った。後ろで女子が「あれ私の…っ」と震えた声で言っている。佐倉はチラッと俺を見ると、笑いながらクマの首をもぎ取った。あっけなく首無しになったクマに興味をなくしたのか、佐倉は容赦なくクマをぽいっと投げ捨てる。
「橘、あの幽霊なんとかしてくれ、俺じゃもうどうにもできないんだって、ほんとに、もう…」
「佐倉…分かった、分かったから」
「よかった…」
力なく笑った佐倉に、あぁ正気に戻ったんだな、と感じて、ほっと息をついて佐倉に駆け寄った。
「ほんとーによかったぁ、ユウトちゃん?」
ほっとしたのもつかの間。にたり、笑みを浮かべた佐倉に、これが佐倉じゃないと気付いたときにはもう遅く、
「…いッ!」
アキラだと思われる佐倉に蹴り飛ばされ、俺の身体は机に当たって派手な音を出した。満足げに笑う佐倉が、倒れた俺に近付いてくる。逃げないと、と本能的に感じて身体を起こそうとするが、その前に佐倉に捕まってしまった。やばいやばいやばい、焦れば焦るほど汗が次から次へと噴き出す。たらりとこめかみの辺りを汗が伝った。
「許してなんかあげないんだから、ねぇ?ユウトちゃん…」
絶対、アタシが貴方を殺してあげるからねぇ…?
そう言うと、佐倉はふっと意識をなくした。蹴られた辺りが、酷くズキズキと疼く。
放課後、保健室に運ばれていた佐倉を迎えに行くと佐倉は目が覚めていた。
「佐倉、」
「……橘、俺…」
「大丈夫だから」
このとき、俺は決意していた。佐倉に憑いている幽霊を成仏させてやる、と。
「大丈夫だから、俺に任せて。」
橘を佐倉と勘違いして橘を殺そうとする幽霊を成仏させるために、橘は何をするつもりでしょう。