君には不必要
ウチの会社で唯一の出張所は山間の村にある。
なぜそんなところに出張所があるかと言うと、すぐ近くに有名なゴルフ場があり、社長とその息子の常務が会員権を持っているからだ。
出張所はプレハブだけれど併設された宿泊施設は立派なもので接待の他は主に役員の為の福利厚生に使われている。
何故かって?
一般社員にはこんなところまで遊びに来れるほどの暇も余裕もないから。
その出張所へ赴任する為に僕は……単線の古い列車の中で、項垂れた頭をガタゴトと揺らされている。
今はこんな僕だけど二か月前は幸せの絶頂だった。
美佐子が僕のプロポーズを受けてくれたからだ。
でも、そこから結納に到らなかったのは……美佐子のたった一人の家族である父親が突然倒れただけでは無かった。
その最初の兆候は僕がカノジョの父親を見舞いに行った時に現れた。
僕が病院の1階で買い求めた花束をすぐに活けるよう申し付けて美佐子を病室の外へ追いやったお父さんは僕の方へ向き直り「お見舞いはこれっきりにして欲しい」と切り出した。
「申し訳ございません お持ちした花がお気に召しませんでしたか?」
「そうじゃない」
「では、どうして?」
「私の……死ぬまでの面倒に君を巻き込む事はできない」
「そんな! 私は美佐子さんを愛しています! その美佐子さんが何にも代えがたく大切にしているお父様は私にとって大切な方です! だから……」
僕の言葉はお父さんによって遮られた。
「今日はお見舞いに来ていただきありがとうございます。どうかお引き取り下さい」
この言葉の後はお父さんは黙して語らず、花瓶を抱えて戻って来た美佐子も俯いたまま立ち尽くした。
と、美佐子のスマホが鳴り出した。
3コール目でスマホの画面を見た美佐子は慌てて病室を飛び出した。
『個室だからここで電話に出てくればいいのに……』
こんな言葉が頭をよぎったが、この状況でお父さんと二人きりはさすがに気まずく、僕も部屋を出ると廊下の向こうから美佐子が近付いて来た。
「美佐子さん! あの!」
「今日は帰っていただけますか?」
「えっ?!」
「これから親戚の人が大勢来るのです。これ以上、父を疲れさせたくないのです」
「でも!」
「どうか、お帰り下さい。お願いします」
僕の前で深々と頭を下げる美佐子にこれ以上無理を言う事はできない。
僕は『やむを得ず』の笑顔を作った。
「美佐子さんもどうか無理はしないでね! 何かあったらすぐ連絡して」
美佐子は「はい」と答えたが……その日、僕のスマホにはメッセすら入らなかった。
◇◇◇◇◇◇
美佐子が経営企画室へ突然移動になり、僕たちは社内でも顔を合わす機会が無くなった
なので、僕の方から何度も連絡を取って、ようやく会社近くのカフェで会う事になった。
カフェに入って来た美佐子は想像したよりは元気そうで僕はホッとした。
「待たせてごめんなさい」
「今日の午後は内勤だから僕の方は大丈夫だよ」
「だめよ! 大迫課長に叱られるわ!」
「『美佐子と打ち合わせをしていた』と言えば、課長も大目に見てくれるさ。課長には僕らの仲人になってもらうんだから。美佐子が突然移動になったのも課長の計らいなんだろう?」
「ええ、まあ……」と言いながら美佐子はまた時計を見る。
彼女がしきりと時計を見るのは……最初は待ち合わせ時間に少し遅れたからだと思ったが、どうやらそうでは無いらしい。
「仕事、忙しいの?」
「ええ、とても……だからもう行かないと……」
「まだ、何も話していないよ」
「今、話すわ! いい?」
「う、うん」
「あのね! 婚約を……一旦保留にして欲しいの」
「えっ?!」
青天の霹靂だった。
美佐子はそれだけ言うとサッと踝を返し、カツカツと出て行った。
慌てて後を追おうとした僕を……2杯目のコーヒーを運んで来たウェイトレスが阻んだ。
そしてこの日から……
美佐子は僕からの呼びかけにメッセも返さず電話にも出なくなった。
突然、こんな事になってしまって……僕はこの事を大迫課長に報告すべきか迷ったまま2週間が過ぎた。
こんな重い気持ちを抱えたままの外回りから戻って来てため息をついたら大迫課長から肩を叩かれ「ちょっといいか?」と小声で囁かれた。
僕が会議室のドアを閉め、席に着くと大迫課長は僕にこう告げた。
「季節外れの人事異動だが、君は来月付で斧谷出張所へ所長として赴任してもらう事になった」
「えっ?! 『よきたに』へですか?」
「そうだ! 所長だから栄転だな! おめでとう!」と大迫課長は無理に笑顔を作る。
「栄転って! だってあそこは! 何もないところですよ! 私にあそこの新規開拓を今更やれって言うんですか?!」
「そういう事だ! 今の秋田所長はもうお歳だ! だからこそ若い君に白羽の矢が立ったわけだ」
「そんな!! 第一、住むところはどうするんですか? 社宅とかもちろん無いですよね」
「プレハブの二階に居住スペースがある。独り身の秋田所長が出た後に入るんだからちょうど使い易くなっているだろう」
「だって、美佐子さんはどうなるんです?! 私と彼女の関係を課長はよくご存じでしょう?」
こう詰め寄ると大迫課長は頭を振った。
「君たちが単なる同僚だと言う事しか私は知らないし、君も滅多な事は言うもんじゃ無い」
「仰っている意味が分かりません! 美佐子さんにだってどう説明すればよいか…… ただでさえ彼女のお父様は大病で入院なさっているのに……」
「彼女の父親の事は心配いらない。常務がキッチリとフォローなさっているそうだ。なにしろ大切な『秘書』の父親だからな」
この言葉に絶句している僕へ課長は更に畳み掛ける。
「それに斧谷出張所所長には宿泊客への接待と言う大切な仕事がある。今までは秋田所長がその重責を担っていたが我が社も世代交代で今後の経営は常務が中心となる。よって宿泊客の多くが常務のお客様だ。そのホスト役が常務と同期の君ならば気心も知れるだろう」
「そんな! 美佐子!!……」
悲鳴を上げる僕へ大迫課長は微かにため息をついた。
「だから君には社宅は不必要だ。因みに来月頭に、常務が『秘書』を連れて宿泊施設をご利用になる。 どうやら君の初仕事になりそうだな。 くれぐれも『緊張』で取り乱したりしないように!」
僕はワナワナと震えて拳を握り締めていた。
大迫課長は手帳をスーツのポケットに収めると席を立った。
「私の事を恨むのは筋違いだぞ! 私だって左遷されるんだ!」
◇◇◇◇◇◇
駅から更にタクシーで山道を30分ほど揺られると色鮮やかな芝生が見えて来たので、僕は一旦タクシーを停めた。
ここが、名門と言われるゴルフコースか……
緑が眩しい芝生を山々が取り囲み、その頂たちを雲がゆっくりと通り過ぎていく。
吹く風のにおいに誘われて見上げた青空には……
壊れたひばりの鳴き声がただ浮かんでいた。
おしまい




