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薄桃色の空  作者: 人鳥
ぼくのお話
7/21

岬由良

第一部『ぼくのお話』はこれにて終了です。

 さすがに帰り道に由良と会うなんていう偶然は二日連続では起きない。昨日の一回でさえ、奇跡に近い出来事だったと思う。

 よくわからない。

 同級生に同級生であるという以上の意識をもてないぼくが、どうして由良に対してはこんなにもいろいろと考えてしまうのだろう。

 こんなにも頭の中の領域を広く占有しているのだろう。

 ぼくは女の子と縁があるほうじゃない。むしろない。男の子との縁もあまりないというのに、どうして女の子との縁ができようか。

 ……そんなやつもいるのかも。

 とにかく、ぼくは水谷さんと出会うまでは、あいさつ程度の会話くらいしか女の子とはしたことがないのだ。これは言いすぎでも何でもない。事実。

 悲しいまでに事実だ。

 モテるなんてことはない。

 でも、ぼくとしても女の子と仲良くなりたいとか、モテたいとかいう意識も薄かったりする。

「女の子に興味がないのは、ある意味病気だよね」

 と、母さんなら言うのだろう。

 ……母さんの意見はどうでもいいか。

「どうでもいい」

 そう結論付けて宿題に向かう。桜の花を見た感想みたいなものが英文で書かれている。宿題はそれの訳をすることだ。書いていることは簡単で、それほど時間をかけることなく、今日するべき宿題は終わった。

 同時に退屈がぼくを襲う。

「みんなは何してるのかな……」

 この場合の『みんな』はクラスメイトのことだ。毎日楽しげに話している彼らなら、今頃何かしらの楽しみを味わっているだろう。

 友達との談笑とか。

 ゲームとか。

 家族との団らんというのもあるかもしれない。

 人によって違うだろうけれど、少なくとも毎日が退屈でしかたがない、なんて思っていないはずだ。

 彼女。

 岬由良ならどうだろう。

 ぼくと似たような性質をいくつか有している彼女は、普段、どんな気持ちで過ごしているのだろう。

 人に囲まれた生活はしていないと思う。友達がいないとも言っていた。きっと、ぼくとは比べてはならないほどに、強い孤独を味わってきたのではないだろうか。そうであるのなら、それほどの孤独を味わっている彼女はどうなのだろう。

 孤独。

 個毒。

 考えているうちにだんだんと気分が悪くなってきた。吐き気がする。生活感のないこの部屋が、さらにそれを助長する。

 必要最低限のものしかない。

 唯一の娯楽品はテレビで、それ以外には勉強道具とベッド、そして机。それだけだ。だから、ぼくの部屋にやってきた友達(まあ、一人か二人だけど)は必ず『お前、本当にこの部屋で過ごしてるのか?』と、必ずそう言う(来た人全員が言った)。

 そんなことはどうでもよくて、これ以上こういうことを考えるのは精神衛生上よくない。というわけで、唯一の娯楽品であるところのテレビをつける。映っていたのは最近結成されたばかりらしいアイドルグループで、ありがちな曲を得意げに歌っていた。


「茜は今、何かしたいことってある?」

「いや、これと言ってないよ」

 強いて言うなら……いや、何もない。

「そういう由良は何かあるの?」

「わたしはね……桜が見たいんだ」

 遠いところを見るように、はかなげに眼を細める。視線の先には桜の木があった。

 まるで――

 それが叶わないことであるかのように。

 桜の木を見つめる。

「桜?」

「うん。桜」

「見たことがないってわけじゃないよね」

 日本で生きてきてそれはないだろう。

「そりゃあ見たことくらいあるよ」

 さすがにそんなわけないじゃん、と、由良は吹き出しながら言った。

「毎年見てるんだけどね。今年はほら……」

 そういえば、そろそろ引っ越さなければいけないのだったか。となれば、由良が見たいのはこの街の桜なのかもしれない。ぼくが知らない桜のきれいな場所があるのかもしれない。

「帰ってくればいいんじゃない? そりゃまあ、場所によっては難しいかもしれないけれどさ」

 それは決して不可能ではないだろう。

 しかし、由良は表情を曇らせた。

「うん、そうだよね」

 そう返すだけ。

「今年は駄目でも来年帰ってこられるかもしれないだろ? だからそんなに落ち込まなくてもさ……」

 どれほど遠くに行ってしまうのだろう。

「帰ってきたらさ、またこうして話そう」

 答えない。

 冷たい風が吹いた気がした。

 応えず、まっすぐな目でぼくを見据えた。

「……無理だと思うな」

「無理って……」

 そんなことはないだろう。引っ越し先が海外だというのならば、それはたしかに難易度は上がるだろうけれど、決して不可能ではないのだ。

「そうだね……。じゃあそんな『奇跡』が起きたら、よろしくね」

 奇跡、か。

 一体どこに引っ越すのだろう。

 公園には人が増えてきていて、小さな子どもたちがぼくたちを興味深そうに見ていたりする。けれど、今はそんなマセた子どものことは気にならない。そんなことよりも、どうやってこの微妙な空気を払しょくするかが問題だ。

 由良は由良で、ぼくたちが出会ったあの日のように、時折周囲の様子をうかがっている。

「あっ!」

 突然声を上げる。

「ど、どうしたの?」

 とっさに由良の視線の先を見る。けれど、そこには道を歩いていく人たちがいるだけで、普段と何も変わりがない。

「ごめん、今日はもう帰らないと」

 立ち上がり、そわそわしながらそんなこと言う。

「え? あ、うん。また今度」

「うん、ばいばい」

 由良は走らず、けれども速い歩調で公園から出て行った。

 ……今のぼくって、彼女に振られた人のように見えるのかもしれない。

 もう一度周囲を見回してみたけれど、何もおかしなものはなかった。きっと、道行く人を見ているうちに用事でも思い出したのだろう。

「…………」

 由良はわからないことだらけだ。いやまあ、それほど近しい仲じゃないからそれは当然なのだけど、それだけじゃなくて。

 彼女は謎めいている。

 ぼくが知らない以上に。

 ぼくが彼女を知らないから、という理由以上に彼女は謎めいている。それは何度となく繰り返した思考。

 知らないことはわからない。だから、彼女を理解するにはもっともっと長い時間がかかるだろう。

 時間なんてないのに。

 岬由良。

 彼女は隠している。何かとても大切なことを隠している。

 それがぼくと彼女の間にある『壁』のような気がする。

 友達だけど。

 友達だけど、親友でもなければ、ましてや恋人でもない。多少の秘密を共有しても、『重大』な秘密を共有することはない。いくらなんでも、そこまでは要求できない。する気もない。

 秘密。

 ぼくは由良の秘密を知りたいとは思わない。知りたくないとさえ思うし、知らないほうがいいのではないかとも思う。知ってしまえば――何かが変わるような気がするから。

 重大かつ甚大で、決定的な変化が起こるように思う。

 そして。

 そんな重大かつ甚大で、決定的な変化は。

 唐突に、ぼくの目の前にやってきた。

 ちらちらと雪の舞う日の昼ごろのことだった。


次回、第二部『わたしのお話―序幕』


お楽しみに。

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