早すぎる再会
「じゃあ、明日も休まずに来いよ」
先生のその一言で放課となった。放課後のぼくは常に暇している。部活には入っていない。運動は苦手ではないけど好きじゃない。文化系のいろいろもそうだ。
ぼくは昨日の公園に来ていた。それは無意識の行動で、自分が公園に立っていることに気付いて驚き、声をあげたほどだった。
当たり前だが由良はいない。
公園には由良の代わりに、昨日はいなかった子どもたちであふれていた。子どもたちの元気に遊ぶ声が公園に響く。
子どもは好きじゃない。
由良がここにいないなら、これ以上ここにいる理由はないだろう。帰ることにしよう。
昨日会ったばかりの由良が、自分の中で大きな存在になっていることに驚きながら。
昨日降っていた雪はすでに止み、今は晴れ間が広がっている。冷たい空気が肌を刺し、痛みを感じる。ここ数年で降雪量は減少し、気温も高くなっているこの地域では珍しい寒さだ。
道行く人の中に由良がいないかを探す自分がいる。昨日会ったばかりでお互いを全く知らないというのに……。だからこそ、なのかもしれないけれど。
もうすぐ家に着く。道中にあるスーパーに寄ろうかと迷っていると、後ろからぼくを呼ぶ声があった。
「茜」
振り返る。
立っていたのは――岬由良だった。
心なしか頬が上気しているのは気のせいか。
「やあ。会いたいと思ってたんだ」
「え……?」
由良は赤面してぽかんとしている。そんな彼女を見て、自分が何を言ったのかを自覚した。
「あ……いや、話が、したいなと」
「あ、う、うん」
うなずき、どちらともなく距離を詰める。
「茜は学校帰り?」
そう聞く由良は制服ではなく私服だった。あまりオシャレをしていない、悪く言えば地味な服。髪型もそれほどいじっていないあたり、由良はあまりオシャレに興味がないか、それができない環境にあるようだ。
「そうだよ。帰宅部だからね、帰りは早いんだ。由良は何か部活には入ってるの?」
「ううん、入ってないよ。同じだね」
そう言って由良は笑う。ぼくも笑った。
「あそこの喫茶店に入らない?」
由良が指差した先には、落ち着いた雰囲気の喫茶店があった。
「いいよ」
二人ならんで喫茶店に入る。なんだかデートみたいだな、と、ありきたりな感想を抱きながら席に座る。
席につくと、ほどなくしてウェイトレスさんがやってきた。笑顔が素敵なお姉さんで、こんな人が友達だったらいいなと、なんとなく思った。
「いらっしゃいませ。ご注文はお決まりでしょうか?」
顔を見合わせ、ホットコーヒーを二つ注文した。
「かしこまりました」
さらさらと伝票にメモし、ウェイトレスさんは奥へと消える。
「まさか、あんなところで会うなんて思わなかったよ」
由良が笑う。
「買い物しようかなって思ってたら茜がいてびっくりしちゃった」
「ぼくも驚いたよ」
まさか無意識に公園まで足を運んでいたなんて言ったら、この子はどんな反応をするだろうか。気になるけれど、恥ずかしくて言えない。
「そういえば、由良の引っ越しはいつごろなの?」
もうすぐ、とは言っていたけれど。それが一体いつごろなのかは聞いていなかった。
なぜかうつむき、由良はぼくの質問には答えようとはしない。何かに耐えているような、そんな表情。
時折見せるその表情が嫌で。
痛みに耐えるようなその表情が嫌だ。
由良にとって引っ越しは、苦痛以外の何物でもないのかもしれない。
「あ、いや、気になっただけだから。…………由良は休みの日は何をしてるの?」
ぼくはすぐに話題を変えた。由良にはこれ以上、引っ越しの話はしないことにする。それはきっと、正しいことだろう。
「ぼくは……何してるんだろ? ああ、たまに友達と遊ぶけど、たいてい家で本読んだり昨日みたいに散歩したりしてるかな」
言っていてさみしくなる。
友達とたまにしか遊ばないのは、友達がいないに等しいからだ。
友達がいたら――ぼくはその友達と遊ぶのだろうか。
わからないけれど。きっと遊ぶのだろう。
「……わたしも友達とは遊ばないよ。本を読んだり散歩したり」
茜と同じだね、と寂しげに笑う。
『たまにしか遊ばない』ではなくて『遊ばない』。
それはつまり、『遊ばない』ということだ。
ぼくと似ていて、決定的な差異。
意識して言っているのか、ただの言葉の綾なのか。
寂しげに笑い、由良は窓から町行く人たちを眺める。遠い目で眺める。自分とは違う世界の住人を見るかのように――道を歩く人たちを眺める。
どうして遊ばないのか、なんて、そんなことは聞くことができなかった。
聞く必要もない。
「コーヒーをお持ちしました」
いつの間にかウェイトレスさんが来ていた。全く気付かなかった。
ウェイトレスさんは流れる手つきでカップを並べ、軽く一礼をしてからカウンターの奥に消えた。
ほのかな豆の香り。
「茜には友達はいる?」
唐突な質問。いや、これはとても自然な流れなのかもしれない。
「いや、あまりいないよ」
クラスメイトたちとうまくいっていないわけではないけれど、それ以外は何もない。それ以上でもそれ以下でもなく、クラスメイトという関係以上である人は誰もいない。
どこか、壁を感じるからだ。
それは自分が張っている壁なのか、みんなの壁なのかはさておいて。
「……そう」
由良という子がわからなくなる。そりゃあ出会ってまだ二日目で、対話時間としては半日よりもさらに短いけれど。わからないほうが当然なのだろうけれど、ひとつだけ、わかることがある。
この子はきっと、いろいろなものを抱えている。
そう思う。
「わたしには一人もいないよ、友達」
中学生くらいに見える年齢にまで成長し、友達が一人もいない。それは、どれほど孤独なことだろう。ぼくが言えたものじゃないけれど、友達というのは自然発生的に、それが当然のように勝手に出来上がってしまうものだ。
だから、友達がいないとそういう場合、それなの友人を有していることが多い。きっと気付いていないだけで、ぼくだってそうなのだろう。
けれど。
けれど、この子には本当にいない。
心通わせられる人がいない。
孤独。
何か根拠があるわけじゃない。単なる感情移入だとか、そういうことを言われてしまっては反論の余地はない。けれど、ぼくはどうしてかそう思ってしまった。
家族ともうまくいっていないのかもしれない。もしくは単純に友達がいないのかもしれない。どちらにしても、彼女にとっては同じことだろう。
だけど――。
ぼくくらいは、由良に友達だと思ってほしい。こうして喫茶店で話をしているのだって、何かの縁に違いない。
「由良」
「うん?」
カップを置いて由良が視線を上げた。
「ぼくは君の友達になれないかな?」
「え?」
驚きの声が漏れる。
まるでそれがあり得ないことであるかのような、由良の表情。
――何かが変わる気がしたんだ。
昨日、由良はそう言っていた。何を諦め、何を託したのかはわからないけれど、こうしてぼくが友達になることは、『何かが変わる』ということではないか。
「友達? わたしたちが?」
戸惑っているのかもしれない。声には動揺が含まれていた。
「うん。駄目かな?」
「そんな……そんなこと、ないよ……」
見る間に涙をため、声は震え始める。肩を震わせ、嗚咽を漏らす。
「えっ……ちょっと……どうして泣くのさ」
ぐずりながらも涙をふき、由良がまだまだ涙が止まらない目でぼくを見据える。その目は、何かの強い感情で輝いている。
「うれしいんだよ、とても」
…………。
この時。
もしかしたら、ぼくは初めて、由良の笑顔を見たのかもしれない。