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薄桃色の空  作者: 人鳥
君とぼくのお話
20/21

      

今回少し長めです。

タイトルがないのは仕様です。

 春の陽気。冬と勘違いする余地もない、過ごしやすい気温と天気だ。

「樋口くん」

 教室に入ると同時、水谷さんに声をかけられた。

「おはよう」

「うん。えっとね、今日も由良ちゃんのトコ行くんでしょ?」

「もちろん」

「だったらこれ、持って行ってほしいんだけど」

 そう言って、水谷さんに厚い封筒を渡された。考えなくてもわかる。これは原稿だ。

「でも……」

「実はまだ完成してないんだ。だから、完成させるまで休めないの」

 渡された封筒は、以前由良に渡した封筒よりも重かった。

「あと少しで完成するからさ、楽しみにしててって伝えてよ」

「わかったよ」

「ありがと」

 水谷さんは席に戻って執筆にかかる。

「手、真っ黒だったな……」

 学校に来てからずっと書き続けていたのだろう。水谷さんの手は黒鉛で黒く染まっていた。どれだけ集中して書けば。どれだけ長い時間を使えば、あんなに黒くなるのだろう。少なくとも十分や二十分では、ああはならない。

「……まさか」

 もしかしたら、校舎のカギが開いたのとほぼ変わらない時間から、ここで書いているのではないだろうか。机の上と、周辺に散乱する消しカスが、水谷さんの努力を物語っている。

「違う……」

 まだ人気の少ないこの教室では、ちょっとしたつぶやきが教室中に聞こえる。水谷さんのつぶやきが聞こえたかと思うと、直後にグシャグシャと、紙を丸める音がした。

 丸めた紙を机の中に突っ込む。机の中はもはや丸められた紙でいっぱいになっていた。 さすがに見ていられなくなって、水谷さんの席に向かう。

「水谷さん」

「ん?」

 顔は当然のように上げない。もしかしたら、話しかけているのがぼくだということも、認識はしていないかもしれない。

「机の中の紙、捨ててこようか?」

「え? そうしてくれるならありがたいけど……」

 さすがに申し訳ない、というような雰囲気は伝わってきたけれど、ぼくは隙間から手を伸ばして、丸められた原稿用紙を取り出した。つかみきれなかった分が、机の中に残り、一部が床に落ちた。

 机とゴミ箱を三往復した。

 それから今度はほうきで机の周りを掃き、消しカスを集めて捨てた。掃除の時間に、教室中から集まるゴミの量と、良い勝負だった。

「なんでそこまで樋口くんがしてるの?」

 ほうきとちりとりを片づけたところに、クラスの女子――たしか、長田さんだ――が声をかけてきた。普段はあまり話すことがない子だけど、たしか、水谷さんと仲の良かったはずの子だ。

「そこまでって?」

「散らかしたのは悟なのに、どうして樋口くんが始末してるの?」

 長田さんの声には、どこかトゲがあった。

「水谷さんが必死になっている理由を、ぼくは知ってるからね」

「友達と小説、どっちが大切なんだろうね」

 水谷さんを横目に見ながら、長田さんは言った。なんて短絡的な思考なのだろう。これだから、あの時の授業でもしょうもないことしか発表できなかったのだ。

「長田さんにだけは教えておくよ」

 こんな短絡的思考のせいで、水谷さんが悪者になるのは見過ごせない。

「友達と小説、って言ったね。水谷さんは友達のために小説を書いてるんだ。友達との約束を守るために。それは、前の一件で知ってるはずだろ?」

 先生と水谷さんの言い合いは記憶に新しい。忘れたくても、あんなことはそうそう忘れられない。

「あたし……あたしたちにしたらさ、あんなに必死になる理由がわかんないよ。別に今週中じゃなくちゃいけないとか、そういうことじゃないんでしょ?」

 ……まあ、ふつうはそう思うよな。

「日にちは指定されてないよ」

「じゃあ、どうしてあんなに必死なの?」

「タイムリミットがいつくるかわからないから。来週かもしれないし、明日かもしれないし、今日かもしれない」

「え?」

「いくつかの可能性が出てきたでしょ? その中のどれかだよ」

「え? ちょ、意味分かんないし」

「これ以上話す気はないよ」

 長田さんには悪いけれど、ぼくもあまり話したい話題ではない。話のタネを提供したいわけじゃないんだ。

 席にもどって読書を始める。周りから、すこしだけ変な視線を感じた。

 疑問。

 好奇。

 嫌悪。

 その視線は同じ程度に、水谷さんにも注がれていることだろう。

 一つ一つが、凶器だ。

 狂気だ。

 何気ない視線が、ぼくらを(むしば)む。

「はーい、席についてー」

 先生がやってきて、ホームルームが開始されても、視線は無くならなかった。いや、むしろ露骨になっているかもしれない。静かな教室の中に、ささやく声がちらほらと。口元に手を添えて、ぼくや水谷さんを見ながら。

 ざわざわと。

 妙に落ち着かない雰囲気。

 先生はそれに気付いていないのか、それとも無視を決め込んでいるのか、普段通りに授業を進めている。

 普段通り。

 ぼくらの『普段』はどこへ行ったのだろう。自分探しの旅にでも出てしまったのだろうか。友達のためにしていることで、周りとの関係がぎこちなくなっていく。努力も気持ちも、どちらも空回っていないのに。着実に行動出来ているのに。

 ずれる。

 じんわりと、軋んでいく。

 先生の板書をする手が止まる。今度は説明に入った。理解はできる。けれど、頭には入ってこない。さっき聞いたはずのことがなかなか思い出せない。思い出そうとしていると、今聞いていることがわからない。

 わからない。

 今は授業を受け続けられるような精神状態じゃないようだ。

「はあ……」

 少し、眠るとしよう。

 気がつけば次の授業が始まっていて、起きた時は混乱した。先生もあきれ顔でぼくを見ていた。

「おはよう」

「お、おはようございます」

 先生はからかうようにそう言っただけで、何も続けなかった。授業開始時にぼくを起こさなかったくらいだ。ぼくはもう、見限られているのかもしれない。そう考えると、案外、今の自分の立場は思ったよりも悪いのかもしれない。

 『普通』ではなくなってしまっているのではないか。そんな気がする。

 気がするだけ。

 そのはずだ。ぼくは元々、『こう』だった。変わってしまったといえば、それは水谷さんのことで、ぼくじゃない。水谷さんの急激な変貌が、ぼくが変化したと勘違いする原因になっているのだろう。だから、ぼくは変わっていない。今まで通り。

 そう。

 何も、変わってない。

 変わっていないと思いつつも、由良の病室にやってくると、何かが変わったのだろうなという気持ちになる。

「やあ、由良」

「やほ」

 うれしそうに笑う。ぼくもつられて笑顔になった。由良の顔色が良くなかったように思ったけれど、その笑顔を見ると気のせいのような気になった。

「あ、そうそう。これ、水谷さんから預かってきたよ」

 カバンから、今朝預かった原稿を取り出す。

「あーっ! やった! 楽しみだなぁ」

「読まないの?」

「だって、茜来てるもん」

 ……前は普通に読もうとしてたのに。人は変わるものだ。

「茜、もしもの話なんだけどさ」

 原稿を抱きよせる。

「もしも、わたしが茜とお花見をする前に死んじゃったら、どうする?」

「は? そ、そんなことあるわけ……」

 あるわけがない。

「どうしてそんな質問をするのかな」

「ごめん。ちょっと、聞いてみたかったんだ」

「頼むから、そんな質問はしないでくれ」

 その『もしも』がリアルな映像とともに、ぼくの頭の中で暴れるから。とても怖い気持ちになるから。

「茜……」

「うん」

「そばに、居てね」

「もちろん」

 何度も言ってきた言葉なのに、なぜか照れくさくて、ぼくはそっぽを向いた。まさか気持ちを伝えた後でこんなことになるなんて、思いもしなかった。

 もう一度由良の方を見てみると、眠たかったのか、由良は目を閉じていた。


 ぼくは立ち上がって、カーテンを閉じた。日差しで目が覚めてしまってはかわいそうだ。由良を見ると、幸せそうな寝顔を浮かべていた。胸元にはさっき渡した原稿が抱かれている。

「楽しみだったろうな……」

 前回から結構な時間が経っていたし、由良自身、水谷さんの作品が気に入っているらしかった。

 由良の手から原稿を抜きとる。原稿を押さえていた由良の手が、ベッドのわきに落ちた。手をとって、ベッドに乗せてやる。

「え……? 由良?」

 なんだか嫌な予感がした。

「由良?」

 体をゆする。手がベッドのわきに落ちた。

「由良っ!」

 身じろぎも、表情も、息も。

 由良が生きているという鼓動が感じられない。

「由良っ! 由良っ!」

 何度揺さぶっても、何度声をかけても、由良は目を開けない。

「どうしたら……」

 ベッドの頭元にあるボタン。これはナースコールだったはずだ。たとえ違ったとしても、病院の方から何かしらのアクションがあるだろう。

「由良……っ!」

 胸に手を当ててみても、心臓の動きを感じられない。

「お花見に行くんだろ? 由良ぁ!」

 返事はない。そこにあるのは、ただただ幸せそうな、由良の顔だけ。

「どうなされましたか?」

 看護士さんが病室にやってきた。

「由良が……由良が!」

 言葉が出てこない。説明しなくちゃいけないとわかっているのに、説明するための言葉が出てこない。

「す、すぐに先生を呼んできます!」

 もう一人来ていた人が廊下を駆けていく。

 本当に自分のものなのか疑わしくなるのどの涙が流れた。この慟哭にも似た泣き声も、きっとぼくのものなのだろう。

 何度も何度も名前を呼ぶ。先生の邪魔にならないように、一歩後ろに下がっていなければいけないのがもどかしかった。何もできない自分が嫌だ。

 嫌だ。

 だけど、何もできない。

 由良は病室から運び出された。きっと、救命処置を行うのだろう。ぼくもそれについて走った。

 ランプが点灯した扉の前で、ぼくはただ何もできずに立ち尽くしていた。


 ここからのことは、ぼくは語らない。

 きっと、語る必要もないことだろう。

 正直言うと、語りたくないんだ。


次回、最終話『君とぼくの約束―薄桃色の空』

お楽しみに。

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