表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
薄桃色の空  作者: 人鳥
君とぼくのお話
19/21

本当の気持ち

 お久しぶりです。


 実家にいると、どうしても更新速度が落ちてしまいます。

 家に帰ると、不思議そうな顔をした母さんに迎えられた。この場にぼくがいること、そのこと自体が不思議といった様子だ。一応、ここは自宅なのだけど。

「あれ? 今日は由良ちゃんのところには行かなかったの?」

「……うん」

「何かあった?」

「何もなかったら、ここにぼくはいないよ」

 ぼくの物言いに、母さんは少なからずムッとしたようだった。

「ぼくにも、時間がほしい時はあるよ」

 逃げるための時間。

 母さんは何かを言おうとして、結局何も言わなかった。優しさなのか、呆れなのか。ぼくにはわからなかったけれど、それでも、ぼくにとっては救いだった。何かを聞かれても、きっと、ぼくは答えられない。

「はあ……」

 自室に入って、ベッドに倒れこむ。今日の授業のことなんて、ほとんど覚えていない。終始、昨日のことばかり考えていた。

 由良に何かを言われたわけじゃない。

 嫌われたわけでも。

 拒絶されたわけでも。

 何をされたわけでもない。

 ただ、自分のしたことが許せなかった。

「…………馬鹿野郎」

 そして、そのことをいつまでも考え続けて、結局由良に会いに行かなかった自分の女々しさも。

 いつもなら、今頃は学校であったことを話している頃か。由良はどうしているだろう。『また明日』と約束をしたのに、会いに来なかったぼくに怒っているのだろうか。それとも、悲しんでいるのか。もしかしたら、何とも思っていないのかもしれない。

 ぼくは心が弱い。

 ちょっとしたことで心が折れる。

 明日は会いに行こう。どんなに怖くても。

 翌日、ぼくはまず、水谷さんの席に向かった。ぼくから水谷さんの席にまで行くのは初めてのことだ。

「おはよう」

「おはよう……って、樋口くんじゃん」

「なんで驚いてるの?」

 水谷さんは原稿用紙から顔を上げ、信じられないものを見るような目でぼくを見た。ちなみに、今まで小説はパソコンで書いていたらしいけれど、今は早く形にするために手書きに切り替えたらしい。

「なんでって……樋口くんから来るなんて珍しいじゃん」

「まあ、そうだね」

 水谷さんの周りに人はいない。学校で書き始めた最初は、面白がって周りに人が集まってきていた。だけど、ある日、水谷さんは集まってきた人たちに「邪魔」と、怒気を孕んだ声で言ったのだった。それ以来、小説を書いている最中の水谷さんに近づく人はいない。

 いや、少なくとも校内にいる間は近づく人はいない。いつもいつも、空いた時間に書いているからだ。

「いや、特に用事があったわけじゃないんだけどね。最近あまり話してないからさ」

「そうだね。でも……あたしはこれ、書かなくちゃいけないから」

 そう言って、水谷さんは原稿に視線を落とした。机のわきに積まれた原稿と、書きかけの原稿。

「わかってる。がんばって」

「もちろん」

 ぼくに視線を戻さないまま、水谷さんはうなずいた。

 席に戻ると、クラスメイトが声をかけてきた。

「なあ、樋口。水谷はなんであんなに必死になってるんだ?」

 小さな声。それはきっと、水谷さんに聞こえないようにという配慮なのだろうが、書くことに集中している彼女には、いらない配慮だろう。ぼくが声をかける前よりも、明らかに集中力が高まっている。

「言えない。でも、水谷さんは『あれ』を完成させることが、今一番大切なことなんだ」

 約束を守るためだから。

「言えないって……なんでだよ」

「彼女の問題だからだよ。でもまあ、そうだね。約束を守るため、だよ。これ以上は言わない」

「……わかったよ。それだけで十分」

「きっと、書きあげたら前みたいな水谷さんに戻るよ」

「そうだといいけどな。正直、今の水谷にゃあ、声もかけらんねえよ」

「そうだね」

 事実、後ろ姿でも威圧感がある。授業を始めようとする先生ですら、一瞬、声をかけるのをためらうほどだ。

「なあ」

「うん?」

「今度さ、あいつに、がんばれって伝えてくれないか」

 俺じゃあ声、かけらんねえ。

「わかったよ」

 チャイムが鳴った。見計らったように先生が入ってきて、荷物を教卓に置く。水谷さんは書くのをやめない。

 先生は水谷さんの方を見て、「またか」と言いたげな顔をした。

「水谷さん。授業ですよ」

「すいません。この一行だけ書かせてください」

「しまいなさい」

「あと少しだけです」

 水谷さんの顔は原稿を見たまま。顔を上げようとすらしない。先生が水谷さんの席に近づく。教室がわずかにざわめいた。

「触らないでっ!」

 先生が机のわきに積まれた原稿用紙に触れようとした瞬間、水谷さんが声をあげた。先生の体がびくり、と震え、手が止まった。ざわめきも静まった。

「す、すいません」

 水谷さんはか細い声で謝って、原稿を机にしまった。そこで気づく。水谷さんの机の中は、原稿用紙でいっぱいだった。ぐしゃぐしゃに丸められたものと、丁寧に折られたものが、机の中を二分している。

「水谷さん」

「……はい」

「あとで先生のところまで来なさい」

「そんなっ! 時間がないんです! はやくこれを……この小説を書きあげなくちゃいけないんです!」

もはやそれは、叫びに近かった。

「どんな理由かは知りませんが、授業をないがしろにされては困ります。そういうことは休み時間にしなさい。だいたい、そんなもの書いてどうしようというんですか?」

 水谷さんの表情が変わる。見る間に頬は紅潮し、厳しい目に変わった。

「『そんなもの』ですか……。先生に……先生に『これ』の大切さなんてわかりません! 大切な約束があるんです!」

「なっ……」

「あのー」

 このままでは埒が明かない。これ以上続けても、水谷さんの立場がどんどん悪くなるようにしか思えなかった。

「なんですか、樋口くん」

「その話はとりあえずあとにして、授業にしませんか? 水谷さんも、もう原稿はしまっていますし」

「そういう問題じゃないでしょう」

 先生はご立腹のようだ。

「そりゃまあ、水谷さんが全く悪くないとは言いませんよ? でも、多少抵抗したとはいえ、水谷さんは原稿をしまいました。書くことをやめました。今先生がしていることは、水谷さんの書いているものを馬鹿にしているだけです」

「だから、そういう話をしているのではありません」

「ぼくはそういう話をしています。いいじゃないですか。とりあず授業をしてください」

 先生は本当に何か言いたそうに口を動かしていたけれど、他の生徒の目もあるからか、教卓に戻った。

 先生は何事もなかったかのように授業を開始し、いつも通りのけだるい時間となった。授業を始めるように言ったぼくはというと、対して授業を聞くこともせず、外を眺めていた。

「水谷さん、お弁当を食べ終えたら先生のところに来なさい。あと、樋口くんも」

 去り際、先生はそう言って、教室を出た。

 水谷さんは授業終了と当時に原稿を取り出していた。お弁当を食べる気配は全くない。そういえば、最近、水谷さんがお弁当を食べている姿を見ていない気がする。いつ食べているのだろうか。

「あれ? 樋口、お前食べねえの?」

「食べたら職員室に行かなくちゃいけないからね」

「すっげえ屁理屈だよな」

 そいつは笑いながら言った。

「いいんだよ。それに、水谷さんも行く気はないみたいだしね」

「そうみたいだな」

 クラスメイトは苦笑し、ぼくは、ただ水谷さんの後姿を眺めていた。


 病室の前で立ち止まって、もう十五分が過ぎていた。昨日会いに来なかったという負い目が、ぼくにノックする勇気を奪っていた。いや、ぼくの情けなさがそうしていた。

「いや……いくらなんでも悩みすぎだろ」

 目的も何も決まっているのに。時間の無駄にも程がある。

「ふぅ……」

 深呼吸をして、ノックを二回。

「はい」

 由良の声。たった一日聞かなかっただけなのに、ひどく久しぶりのような気がする。

「ぼくだけど……入っていいかな?」

「え? 茜?」

 帰ってきたのは、意外そうな声だった。

「うん」

「早く入ってきてよっ!」

「え? あ、うん」

 中に入ると、満面の笑みを浮かべた由良がいた。

「昨日来てくれなかったからさ、もう来てくれないのかと思ったんだよ? 帰り際、なんだか様子も変だったしさ」

「昨日はごめん」

「いいよいいよ、何か用事があったんでしょ? 毎日会いに来てくれるんだもん。少したまっててもおかしくないよね」

 見事に誤解しているようだけど、怒ってはいないようだ。

「そのことなんだけど……昨日はさ、部屋で色々考えてたんだ」

「何を考えてたの?」

 ぼくが学校のことを話している時のような、興味津々な笑み。子どものような笑顔だ。

「ぼくと由良のこと」

「茜とわたし?」

「うん。昨日一日会わなくてさ、わかったんだよ。いや……決心がついたっていうのかな」

 気付いていたけれど、ずっと言えなかったこと。決められなかったこと。

「何の……話?」

「ぼくが由良のことを、好きになったって話」

 冗談なんかじゃない。こんなタチの悪い冗談なんか言わない。それに、自覚はあった。言葉にできないまま、時間がたっていた。言葉にすることが、由良を傷つけると、そう思っていた。

「茜って、本当に残酷なことを平気で言うよね。しかも唐突に」

「前はそうだったけど、今はそうじゃないよ。それに唐突ってわけでもない」

「こんなこと、言う必要ないじゃない。それに、前から思ってても、わたしにとっては唐突なの」

「言わないと後悔するって――思ったんだ」

 それがわがままだと言われれば、返す言葉はないのだけど。

「わたしのことは考えてくれてないの?」

 そう言われても仕方ないことだと思う。自分の気持ちを相手に伝えること。それは時に、何よりも凶悪な凶器となりえる。

「そんなことないよ。考えていたら、こんな時間になっちゃってたんだ」

 この気持ちはきっと、秘めたままのほうが良かったのかもしれない。けれど、ぼくはそうすることができなかった。秘めた気持ちを抱え続けることができなかった。

「なんだか物語みたいだね」

 ぽつり、と。

 由良がこぼした。

「え?」

「こういうの、なんだか物語みたい。ふつういないよ? わたしみたいなのに告白する人なんて」

 『わたしみたいなの』と、そう言った由良の表情は、きっと忘れられない。

「もうすぐ死んじゃうような人に、告白する人なんていないよ」

「そうかもしれないね」

 かもしれない。

「でも、由良、前に言ったよね? ぼくは自分にとって都合の悪いことは認めないんだ。ぼくは由良が好きだ。由良がもうすぐ死ぬなんて認めない。認められない。事実が、運命が、この先の未来が――由良の死を決定しているのだとしても、ぼくだけはそれを認めない」

 現実を見ていないだけ? 違う。そんなんじゃない。こう言わなければ、自分がつぶされてしまいそうなだけだ。

「……茜」

「由良。もし君が生きていてくれるなら、ぼくはずっとそばにいる。君がそれを許してくれるなら、いつまででもそばにいるよ」

 改めて言葉にすると、すごく恥ずかしかった。面と向かって言ってるなんて、自分でも赤面ものだ。

 少し前のぼくなら――絶対に言わなかっただろう。

「許してくれるなら?」

 すこしの沈黙のあと、小さな、消えそうなことで由良が口を開いた。

「今更そんなこと言うの? 出会ったときから、わたしは茜にそれを期待してたのに」

――――わたし……もうすぐ、この町を出なくちゃいけないんだ。

「寂しかっただけなのかもしれない。『何か』を変えたいっていうのはもちろんあるんだけど、それは後付けの理由で、ただ誰かと一緒にいたかっただけなのかもしれない」

 一筋。

 由良の頬を、透明なものが伝う。

「最期まで一緒にいてね、茜」

「もちろん。約束するよ」

 自然と、お互いが近くなる。

 同室の子が退院していて良かった。もしまだ入院していたなら、こんなこと、堂々とは出来なかっただろうから。

「なんだか照れるね……」

 朱に染まった顔をぼくからそらし、少し上ずった声で言った。

「そ、そうだね」

 それはぼくも同じことで。これからも二人で『はじめて』を一つずつ経験していけたらと、そう思った。それはきっと良いことで、とても幸せなことだと思う。

 恋のようで。

 芳醇な。

 二人の時間。

 そんなものになるのだろう。

 ぼくの前にいる女の子は、もう一人じゃない。ぼくがいるし、水谷さんもいる。一人じゃない。だから、きっと大丈夫。一人の時のように寂しくないし、一人の時のように抱え込まなくてもいい。溜めこんだ思いが濁っていくこともないし、吐き出された思いが受け止められないということもない。

 由良の中で『何か』というのは変わったのだろうか。まだ変わっていないのかもしれない。それが何であったとしても、必ず変わる日は来るだろう。そうでなければならない。ぼくはきっと、そのために由良と出会った。由良はそのために、ぼくと出会った。いつの日になるかはわからないけれど。

「『生きた証』さ、わたしにも残せそうだよ」

 由良の笑顔は生気に満ちていて、夕方の赤い光に染められて、とてもきれいに見えた。笑顔がこんなにいいものだとは、ぼくは全く知らなかった。

「うん」

「茜も、残せると思うよ」

「そうだね」

 素直にうなずくことができた。前みたいに、拗ねたことは言わない。言えない。今まで信じられなかったことを信じること、それには勇気がいるけれど、由良がいるならそれでも大丈夫だ。

 怖くない。

「ぼくも、そう思うよ」

 だから。

 少しだけ。

 一瞬だけでも。

 長く共に――――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ