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薄桃色の空  作者: 人鳥
君とぼくのお話
18/21

ある日のこと

「ねえ、由良」

「うん?」

「水谷さんの小説、どうだった?」

「悟の言っていた学校と、物語の学校って、全然違うんだって、思ったよ」

 水谷さんの小説は、学園コメディ。現実の学校のように書いてしまったら、そもそも成り立たない。そこには『楽しさ』が必要になる。

「だからね、あたしが通ってても、あまり今と気分は変わらなかったのかな」

「どういう意味?」

「毎日が退屈で退屈でしかたがないって意味」

 見慣れた天井。

 切り抜きの風景。

 繰り返される日常。

「そうかも……しれないね」

「あたしね、こうやって毎日窓から外を見てるでしょ?」

「うん」

「わかるんだよ。もう冬も終わる。カレンダーなんてないけど、テレビだって本当に、ほとんど見ないけど、わかるんだ。もう、春が近いって」

 春。

 桜の花を、見る約束をした。

「じゃあ、お花見の計画を立てなくちゃね。少し気が早いような気もするけどさ」

 準備は早いほどいい。微修正ができるから。

「約束、したからね」

 由良は答えない。

 答えようとせず、窓の外を見る。

「もう、しばらく雪も降ってないよ。ねえ、もう冬は終わったの? まだだよね、まだ冬だよね?」

 暦の上ではもう、とっくに春は来ている。梅だって、咲き始めているくらいだ。今まで気温が低くて、あまり実感はなかったし、冬だと誤解するほどだった。でも、本当はとっくに春だ。これは教えていいものだろうか。ぼくにはわからない。

 今まで、暦のことを考えることをしなかった。体感だけで、まだ冬だと、そう思うようにしていた。

「ねえ、本当のこと、教えてよ」

「春だよ」

「え?」

「もうとっくに春は来てる。暦の上でね。それに……梅の花も咲いているんだよ」

 この病室からは、ピンク色の花を見ることはできなかった。でも、緑色の葉が、春を告げている。それに鳥の声。

 由良は、現実から逃げていた。ぼくはそれを責めようだなんて、そんなことは考えもしないけれど。

「嘘だ」

「本当だよ」

「あたし、何にもできてないよ? 何にも変えられてないんだよ?」

 『何か』を変えたい。そう言っていた。あれからすでに一カ月。もう、医者の余命宣告では、半月も残り時間はない。

「どうして? ねえ、だってだって……お父さんも、今年に入って一回しか会ってないんだよ?」

 その一回はきっと、元旦だろう。聞いたわけではないけど、その日くらいしか可能性として考えられない。入院費を払ってはくれるけれど、面会には来てくれない父親。どうして会いに来ないのか、ぼくには理解ができない。

「悟からもらった小説だって……まだ読みきれてないし……」

 まだ、完結もしていない。そのことに、水谷さんは責任を感じていて、とうとう学校ででも書き始めていた。

「由良……まだ望みを無くすのには早いよ。だって、君はまだ元気じゃないか。まだまだ、元気があるじゃないか。だから、余命宣告なんて……」

 気にするな。そう言いかけてやめる。気にしないなんて、そんなことできないに決まっている。無責任な言葉を投げかけて、そのあとは何もしない。そんなことはできない。

「茜」

 ぼく名を呼ぶ。

 寂しそうで、弱弱しい声。

「まだ、わたし、茜と一緒にいたいよ」

 そんなこと――そんなこと、ぼくも同じだ。

「茜、お花見……したいね」

「ああ」

 『さいご』が近づいてくるにつれて、だんだんと怖くなってくる。本当にお花見ができるのか、と、思ってしまう。

「由良……どこか遊びに行こうか」

「え?」

「行かない?」

 言ったあとで後悔する。誘ってどうするというのだ。それに、連れ出すなんて、やってはいけないことだ。

 そばにいること。

 それがぼくがすることだと、そう決めたはずだ。

「駄目だよ」

 由良が首を振る。

「駄目だよ。わたしは……ちゃんとここで治療しないといけない」

「治療って言ったって…………」

 どうしてぼくはこんなに必死になっているんだ。駄目だって、自分でもわかっているのに。

「ねえ、茜。どうしてわたしが家に帰らないかわかる?」

「いや……わからない」

「帰ってもどうしようもないからだよ。見まいに来ない父親と二人暮らしなんて、できないでしょ」

 できない、のだろうか。

 できたとしても、それは成立しない共同生活なのか。

「そうだね」

「だからね、わたしは『ここ』に住んでるようなものなの」

 住んでいる、か。

「じゃあ、少し外出しても、怒られないよね」

「茜、どうしたの? 前まではわたしを意地でも出そうとしなかったのに」

「…………」

「茜」

「うん」

「わたしは、茜とお花見するまで――桜を一緒に見るまでは、遊びに行かないよ」

「由良……」

 余命を克服するまで。

「茜はわたしに気を遣ってるんでしょ? もうすぐ言い渡された期限だからって」

「そんなこと……」

 図星を突かれて言葉が出ない。

「あるんでしょ? だから、そうやってわたしを連れ出そうとする」

 そんなことはない、と、そう言おうにも口は動かなかった。

 自分がその通りだと認めてしまっているから。ぼくはうつむくことしかできなかった。それがどれだけ由良を傷つける行為だとわかっていても。

「あ、別に怒ってるわけじゃないんだよ。でもね、もしそうなら、そんな気遣いなんていらないよ」

「……ごめん」

 もっと違うことが言いたかった。でも、口から洩れていたのはこんな言葉で。自分の語彙の少なさが嫌になる。由良はぼくに謝ってほしいわけじゃないってことも、わかっているのに。

「あ……もうこんな時間。茜、そろそろ帰らないと」

 ぼくがつけていた腕時計を見て、由良がそんなことを言った。見てみると、たしかにいつも帰宅している時間だった。

「そうだね……帰らなくちゃ」

「うん。また明日ね」

「また明日」

 今まで通ってきて、初めて由良が帰りの時間を口にした日だった。今まではぼくが帰ると言えば、由良は少しだけ寂しそうな表情をしていた。

「また、明日」

 もう一度言って、ぼくは病室を出た。

 翌日。

 ぼくは初めて、由良の病室を訪ねなかった。


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