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薄桃色の空  作者: 人鳥
君とぼくのお話
17/21

水谷悟

執筆速度が…お……追いつか……な……い……

「じゃあ、ぼくらはそろそろ帰るよ」

 日が沈んで久しくなり、そろそろ帰らないといけない時間になっていた。

「うん。また来てね」

 後半は水谷さんに向けた言葉だ。

「うん。その時に小説、持ってくるよ」

 それに対し、水谷さんは笑顔でうなずいた。

「うん」

 うれしそうにうなずき、

「ばいばい」

 少し、寂しそうに手を振った。

「またね」

 病室から出ると、さっきまで笑顔だった水谷さんは途端に何も言わなくなった。何も話さなくなった。ぼくとしてもなんだか話しにくくて、何も話しかけずに歩いた。

 病院の敷地を出た頃、かすかに水谷さんの声が聞こえた。

「水谷さん?」

「うぐっ……ひっく……」

 様子をうかがうと、水谷さんはぼろぼろと涙を流していた。隣を歩いていて気付かなかったのは、今まで泣くのを我慢していたのか。それともぼくが鈍感すぎるのか。

 とめどなく溢れる涙を拭いながら、水谷さんは歩いている。

「……どうして泣いてるの?」

「だって……あんなにいい子なんだよ? あんなに……ひっく…………あんなに純粋な子なんだよ?」

 どうして病気なんかで死ななくちゃいけないの? 嗚咽に声を奪われながら、水谷さんは言った。

「ぼくも聞きたいよ……そんなこと」

 由良もきっとそうだろう。日常の会話の端々に、由良の不安を垣間見ることができる。その度にぼくは、由良の力になりたいと思う。

 だけど、水谷さんはどうだろう。今でもまだ、ぼくたちと関わり続けたいと思っているのだろうか。最後に笑えるかどうかもわからないのに。

 笑えない、と考える方が自然なのに。

「水谷さん」

 だからぼくは確かめなくていけない。

「水谷さんは由良に会うつもりはある?」

「どういう……意味?」

「最後まで……最期まで付き合える?」

 最期まで。

 遠くない未来の、別れの時まで。

「当たり前だよ」

 泣きながら、だけど力強く、水谷さんは即答した。

「由良ちゃんと約束……したし、あたし……あたし……」

 その後は嗚咽に飲み込まれ、言葉にはならなかった。だけど、何が言いたいのか、なんとなくわかった。

 なんとなく。

「ごめん……ひどい質問だった」

 どうしてこんな質問をしたのか、さっきの自分を問い詰めてやりたい。人の為に泣ける人が、こんな半端なところで逃げ出すわけがない。水谷さんはそういう人だ。

「うあぁ……」

 水谷さんの感情の乱れは、治まる兆しが見えない。けど、泣きじゃくる子をそのまま返すのも、なんだか後味が悪い。

「どうしようかな……」

 どこか座れるところ……ああ、近くに公園があるか。

 さりげなく進路を変え、水谷さんを誘導する。途中、何人かの人とすれ違い、その度に何とも言えない視線を浴びせられた。

 公園のベンチに座ってもらい、ぼくもその隣に座った。

「ここで、由良と初めて会ったんだ」

 始まりの場所。

 全てがここから始まった。

「ちょうどこのベンチにぼくが座っててさ、向かいの……あのベンチに由良が座ってた」

 どうしてぼくはこんなことを話しているのだろう。よく考えもしないうちに、ぼくは由良との出会いを話していた。

 このことは、図書室では話していないことだ。あの時は、本当に簡単なことしか話さなかった。

 水谷さんの嗚咽が少しだけ小さくなる。

「ずっとこのベンチに座ってたんだ。誰かを待っているようにさ」

 実際は誰も待っていなくて、漠然とした「何か」を待っていた。その『何か』が何なのかも、人なのか物なのかもわからないままに、彼女はベンチに座っていた。

「由良はぼくの隣に座って、町を出なくちゃいけないって言ったんだ。突然だったから、びっくりしたのを覚えてる」

 その時は、ただ引っ越すだけだと思っていた。由良が倒れて病院に運ばれて、そこで自分がとても残酷なことを言っていたことを悟った。

「寒かったから自販機にコーヒーを買いに行って、帰ってきたら由良は震えてた」

 寒さからじゃなくて、何かを恐れるように。

 恐ろしい何かと対峙したかのように。

 恐れ、

 おののいていた。

 何が彼女をそうしたのか、ぼくにはわからない。けれど、きっと何かあるのだろう。だけど、ぼくはそれを知りたくない。同じことを繰り返すかもしれないけれど。このことだけは、自分からは絶対に触れたくない。

「それから少し話をして、ぼくらは別れた。お互いの名前を知ったのは、別れる時になってからだったよ」

 あまりに自然な出会いで、まるで、旧知の仲のような感覚だった。初対面じゃないような、そんな感覚だった。できれば、これが何かの伏線でないことを願う。

 勘違いだろう。

 水谷さんはもう泣きやんでいて、涙のあとが残る顔でぼくを見ていた。

「ぼくらはそうやって――ここで出会った」

 だからどうしたということもない。ここに水谷さんと来たのも、言ってしまえば偶然だ。だけど、水谷さんには知ってもらっておいた方がいいのかもしれない。話し出した時は、どうしてこんなことを言っているのかわからなかったけれど。

 ぼくは水谷さんに、このことを話したかったのかもしれない。

「……樋口くん」

「次の日はたまたま帰り道で会って、喫茶店に入った」

 今思えば、由良はぼくを待っていたのかもしれない。病院の窓から、ぼくが通るのを見つけたとか、そういうことがあったのかもしれない。

「ぼくは由良の夢……願いを聞いた」

 ぼくの願いを語った。

「次に会った日……その日も雪が降ってた」

 寒い日だった。

「その日――その日に由良は倒れた」

 救急車を呼んで、運ばれた病院で由良の体のことを聞いた。すごいショックだった。やっとできた友達が、余命宣告を受けていたなんて……。

「そして昨日と今日、水谷さんがこの流れに加わった」

 これがぼくと由良の関係の全て。

「……」

「樋口くんは強いね」

「ぼくが?」

「うん……あたしみたいにさ、泣かないじゃん。辛くても悔しくても、樋口くんは泣かない」

「そうだね、でも――」

 それは果たして強さなのだろうか。

「――ぼくは水谷さんみたいに、感情を表に出せない。それだけだと思うよ」

 出さないのではなくて、出せない。それならば、自分の感情を表現できる水谷さんの方が、強い。

「あたしはその逆だよ。自分の感情を隠せないんだ」

 だから、さっきみたいに泣いちゃう。水谷さんは小さく笑った。学校では、こんな水谷さんを見ることはまずない。

 天真爛漫。

 それがぼくのクラスにおける、水谷さんに対するイメージ。

「だからなのかな? 樋口くんを見てると、なんだかうらやましく思っちゃうんだ」

 うらやましい、か。

「わかってるだろうけど――」

「勘違い、だよね?」

「うん」

 そもそも、ぼくをうらやましがること自体が間違っている。

「さってっとー。そろそろ帰ろっか」

 暗い雰囲気を吹き飛ばすような、明るく元気な声。『いつも』の水谷さんの声だ。

「そうだね。すっかり暗くなった」

 だから、ぼくもできるだけ明るい声を出す。並んで公園を出る。明滅する電灯の明かりは、ひどく頼りない。車が通ったら、端までよけなくてはいけないくらいの道を、二人並んで歩く。

「樋口くん」

「なに?」

 水谷さんは少しうつむいた。

「さっきはごめんね、いきなり泣き出しちゃって。困らせちゃったよね……」

 なんだ、そんなことか。

「そうでもないよ。ま、驚きはしたけどさ」

「うー、恥ずかしいなぁ」

「どうせぼくのことだから、すぐに忘れるよ」

 本当のところは、物覚えは良いのだけど。そんなことを言って、水谷さんがどんな反応をするのかわからない。気にはなるのだけど。

「どうしたの?」

「いや、なんでもないよ」

 言わなくてもいいことはある。

 そういえば、水谷さんの家ってどこら辺なんだろう。実は、少し前からどんどんと自宅から離れていたりする。まあ、この際だから、水谷さんを家まで送ることにしよう。元々そのつもりだったし。

 暗い道は好きだ。

 見通しの悪さが、まるで自分のことのように思えて。自己嫌悪に似ているけれど、でも、自分の身の程を知るには良い。

 時折横を通り過ぎる車が、ぼくたちの影をアスファルトに伸ばしていた。

「あっ、あたしの家すぐそこだから」

「そっか。じゃ、また明日ね」

 思ったより遠くじゃなくて良かった。駅まで歩くことも覚悟していたくらいだ。

「あ、あのさ」

 来た道を引き返そうとすると、水谷さんに呼びとめられた。

「うん?」

「ありがとう……送ってくれて」

「いや、なんともないよ」

 軽く手を振って、今度こそ帰路のついた。

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