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薄桃色の空  作者: 人鳥
君とぼくのお話
13/21

雪の日の悪夢

 ぐらり。

 由良の体が傾く。

 突然のことで、ぼくはとっさに反応ができなかった。けれど、幸い倒れてきたのはぼくのほうだったから、なんとか支えることができた。

 ……膝枕をしてほしいわけじゃあるまい。それをするにしては速度も倒れ方もおかしい。

 おかしい。

「由良?」

 もちろん、そんなことを考えるまでもなく由良の異変には考えが及ぶ。

 返事はない。

 代わりに苦しげな呻きと、何かを耐える震えがぼくの体に伝わってくるだけだった。ことの重大性をぼくに伝えてくる。

「う……うぅ、ぁあ」

「由良! おいっ!」

 周りに誰かいないかと見回してみても、今日に限って子どもすらいない。

「しっかりしろよ!」

 くそっ!

 ポケットから携帯を取り出して救急車を呼ぶ。何度か番号を押し間違えた。電話の向こうから聞こえる落ち着いた声にいらだちを覚える。

「救急車呼んだからっ! すぐに来てくれるからな!」

 どうなってる……由良の持病なのか? でもそんなことは一度も……――っ!

 思い至る。

 由良が言わなかったのじゃなくて。

 ぼくが意識的に無視していたんだ。

 重大な秘密は知りたくないと。

 由良の引っ越しの理由は――病気の治療だ。

 だから桜の話もぼくとの再会の話も、あんなに悲観的だったんだ。今さらわかっても遅い。それに、今はそんなことよりも由良をどうにかしないと。

 雪がちらつくような寒さなのに、由良はじんわりと汗をかいていた。汗を拭こうにも、適当なタオルやハンカチなんて持っていない。雪に濡れた手袋を脱ぎ棄て、素手で直接汗を拭う。汗を伸ばしてるだけかもしれないけれど。

 由良の体は熱かった。ひどい熱だ。でも、気温は低い。着ていた薄手のコートを脱いで、由良の体にかける。暖かくしておかないと。

 由良の容体に変化はない。嫌な汗と、苦しげな呻き声をもらすばかり。

 救急車は来ない。

 遅い。

 何をしているんだ。

 ぼくの文句が聞こえたのか、サイレンの音が少しだけ聞こえ、少しずつ近いづいてきた。

 救急車に由良が運び込まれ、ぼくも同乗した。乗るのは初めてだったけど、そんなことはどうでもいい。ただ、由良が心配で仕方がなかった。

 どうしたことか、運ばれた先の病院の看護師さんたちは、由良の顔を見て驚いた顔をしていた。

 緊急外来なんて珍しくもないだろうのに。むしろ驚いているのはぼくのほうだ。

 運ばれている由良の横についていく。やがて、扉の前でここまでだと言われた。

「…………」

 心配だ。

 何が起きているのかわからない。

 こんなことなら少しくらい、由良に聞いておくべきだったか……いや、ぼくはそんな可能性には気付いていなかった。

 秘密のことが病のことなんて……思いもしなかった。

 でも――

 たとえばそうだと気付いていたとして、ぼくは由良に聞けたのか? 無理だ。そんな不躾な質問ができるはずがない。

 クルクルと。

 グルグルと。

 思考が廻る。

 同じところを、

 巡り廻る。

 カラカラと。

 ガラガラと。

 崩れるオト。

 決定的に、

 何かが壊れる。

 結局――ぼくには何もできない。

 待つこと、それだけしか。


 先生と思しき人が出てきた。とても意思の強い目をした人だ。

 けれど、そんな先生の目に不安を抱く。

 嫌な予感が頭をよぎる。

「容体は安定しました。時間が経てば目も覚ますでしょう」

 淡々と言う。

「よかった……」

 心の底から出た言葉だった。

「一つ、聞いてもいいですか?」

 先生の目の力が一層強くなる。どうやら最初からこの質問がしたかったらしい。

「なんですか?」

 質問を受けるには勇気が必要だった。どんな質問をするのかはわからないけれど、とても大切なことのように思えた。

「あなたは……あの子とはどういう関係ですか?」

「は?」

 それは意外な質問だった。

「あ……、いや、申し訳ない。そうじゃなくて……どうやって知り合ったのですか?」

 どうやって、とはまた変な質問だ。

「公園のベンチに座ってたら、あの子に話しかけられたのが最初です」

「それは……もしかして雪の降った日曜日のことではありませんか?」

 振り返ってみて、あまり由良と出会ってから時間がたっていないことに驚いた。

「そうですが……」

 でも、どうしてそんなことを知っているのだろう。

「やはり、か」

 やはり?

 はっきりとは聞こえなかったけれど、そう言ったように聞こえた。

「どうしてそんな質問を?」

 別にぼくと由良がどんな関係であろうと、どこで知り合っていようと、先生には関係のないことだろう。

「……彼女は、うちの入院患者です」

「……」

 それは一度考えてやめた考え。ただ、どこかの病院に入院しているのは予想していた。治療で引っ越すなら、入院していてもおかしくはないし、むしろ一般的に思う。

「驚かないんですね」

「驚かせたかったのですか? まあ、そうかもしれないとは思ってましたから」

「そうですか」

 何とも言えない、疲れのにじみ出た表情で先生はうなずく。

「あの子は数日としないうちに目を覚ますでしょうから、目が覚めたら話し相手になってあげてください。もちろん病室で」

「由良は今まで抜け出して来ていたんですか?」

「ええ……あの子はあなたには何も話していないんですね」

「ぼくからも何も聞いてませんから。近々引っ越すことだけは聞いてます」

「は?」

 短く疑問の声を漏らす。

「え? は? じゃないでしょう。知らないんですか?」

 いや、知らないはずがない。治療のための引越しなら、先生が知らないはずがない。

「知らないも何も初耳ですよ。ちなみにそれ、いつ聞きました?」

「初めて会った日ですけど」

 その時に交わした会話を先生に話した。

 それがなにか、と聞く前に、先生が得心したとばかりに、ただしとても苦々しげにうなずいた。

「本当はこういうことは話してはいけないのですが……」

 そう切り出した先生の表情は固い。

「あの子は引っ越しなんてしません。彼女がその話をする前日、彼女は余命宣告を受けています。おそらくは、町を出るとはつまり……」

 最後まで言わなくてもわかる。

 しかし。

 余命。

 それはつまり死ぬということ。

 今までの会話が脳裏をよぎる。

「ぼくは……」

 ぼくは……。

「なんて残酷な話をしてたんだ……!」

 くそっ! 今の由良に『次』なんてあるかどうかもわからないのに……。

 何かを抱えていることに、ぼくは気付いていたはずだ。

「先生」

「はい」

「余命はあと……」

 由良の言葉は『引っ越し』をもうすぐと言っていた。その言葉を額面通りに受け止めるなら、あまり時間は残されていない。だけどせめて……せめて、桜の花を。

「長く見積もって二カ月……ですから、三月までです」

 長く見積もって……。

 桜の花が咲くまで、もたないかもしれない。

 桜の花を見たいと言っていた。

 せめて、それくらは叶ってほしい。

 でも……ぼくに何ができる?


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