樋口茜
お待たせしました。
今回で『わたしのお話』は終了します。
「由良には叶えたいことってある?」
「どうかな? 考えたこともないよ」
そんなのは嘘。
考えることを諦めた、それだけのこと。
だけど、本当に叶うというのなら、元気になりたい。こんなこと、茜には言わないけど。言えるわけもないけど。
「そっか……。ぼくはね、生きたいって思うんだ」
強い意思を孕んだ目で、茜は砂場で遊んでいる子どもたちを見てる。
まるで――――
そこに答えがあるかのように。
「生きたい?」
「うん、生きたい。別に、ぼくの近くに『死』が迫ってるわけじゃないんだけど」
「うん」
「ただ存在するだけじゃ駄目だと思うんだよね。誰かに必要とされたり、誰かと出会ったり……ぼくが『生きた証』を残さないとって、思うんだ」
生きた証、か。
わたしには残せているのかな。
「ぼくらはきっと、存在するためじゃなくて、生きるために生まれてきたんだよ」
なんてね、多分、ぼくはそんなことを言えるような人間じゃないんだろうけどさ、と、茜は苦笑した。とても自嘲的な笑みだった。
でも、わたしにはその言葉が心に揺さぶりをかけた。どうしてなのか、そんなことはわからない。今までわたしがそんな風に生きてこなかったからかもしれない。
「それ、叶えたいことっていうより、目標じゃない?」
「いや」
けれど、茜は首を振って、やっぱり自嘲的に笑う。
「願いだよ。ぼくにはできそうにないからね」
できそうにないことだから『願い』っていうんだ。茜が自虐的に微笑んだ。
「茜って、少しだけ怖いね」
「冷たいとはよく言われるけれど、怖いっていうのは初めてだよ」
「少しだけ、なんだけどね」
無意識に人を殺してしまいそうな。
命を奪うのではなく、生きる意欲を殺してしまいそうで。
「少しでよかったよ。これに似た話をクラスでしたら思いっきり怒られたからね」
「したんだ……」
ということは、茜はその時の失敗から学習していないのか、気にしていないのか。
きっと、後者なんんだろうな。
「持論というか、自分の哲学っていうか、そんなものをぶつける授業があったんだよ」
なるほど。そこでさっきみたいなことを口走ったんだ……。
「みんなはどんなことを言ってた?」
きっと茜は、ほかにも持論を展開したと思う。けれど、聞くのは怖かった。だから、ほかのクラスメイトたちの話を聞いた。
「うん? ああ、いや、大した話じゃないよ。テレビ……は見ないのか。道徳の授業で言われるようなことを、持論のように展開してたよ。どうやらあんまりそういう思考をする習慣がないみたいだ」
わたしもひとつ持論を展開しようかと思ったけど、すぐにやめた。そんなことをしたくて茜に会ってるわけじゃない。
今日が茜と会う最後の日。
そう自分に言い聞かせながらやってきた。病室から茜を見つけ、急いでやってきた。
「ねえ、茜」
「うん?」
「わたしにも……『生きた証』残せるかな?」
茜はきょとんとして、私の顔を見ている。
「できるんじゃない?」
聞いておいてだけど、なんだか意外な答えだった。
できない。
そう言われると思った。
それが叶えたいということだから、と。
「え」
「できると思うよ。君がそれを強く望むなら。君とぼくとでは、叶えたいこと、つまりは『願い』の定義がまず違う」
茜の中で願いは――――叶わない理想。
それは間違いない。だけど、わたしの中での願いは一体なんだろう。
少し考えてみるのもいいかもしれない。
「うん」
わたしの中での願いがなんであれ、茜の言葉がうれしくて、声が少しだけ震えてしまった。
だからかもしれない。
体に吹きつける冷たい風ですら、心地よく感じた。
「茜は今したいことってある?」
今になって、今さらになって、茜のことをもっと知りたいと思った。
思ってしまった。
自分の状況も忘れて。
こうやって外出していることがおかしい体なのにもかかわらず。
そう願ってしまった。
そして――恐れていた事態に陥った。
自分との約束を破り、茜ともう一度会ってしまったその日。
寒い、雪の降る日だった。
次回、『君とぼくのお話――本当の始まり』
お楽しみに。
あ、でも、試験が本格的に始まりますので……もしかしたら、遅れるかもしれません。