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第十二話 交錯する世界

バンッ!!


 静寂に包まれていた書斎の扉が、何者かによって乱暴に押し開かれた。

 日記を読み、戦慄していたルークが反射的に剣に手をかけ、振り返る。

 

「誰だ!」

 

 そこに立っていたのは、泥だらけで裸足の少女――ライラだった。

 

「ライラ!? どうしてここに……その恰好は!」

 

「はぁ、はぁ……ルーク……さん……?」

 

 ライラは肩で息をしながら、ルークの顔を見るなり、張り詰めていた糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。

 その顔色は死人のように白く、瞳は極限の恐怖で見開かれている。

 

「よかった……知ってる人だ……」

 

「おい、しっかりするんだ!」

 

 ルークは駆け寄り、倒れ込む彼女を抱き留めた。

 華奢なライラの身体は氷のように冷たく、小刻みに震えている。

 

「あ……ぅ……怖かった……」

 

「何があったんだ? いや、無理に話さなくていい」

 

 ルークはライラの背中をさすりながら、彼女の様子を見て悟った。

 ただ事ではない。この屋敷、あるいはこの森で、彼女は「何か」を見て逃げてきたのだ。

 ルークの視線が、机の上に広げられた日記へと戻る。

 そこには、狂気じみた実験の記録と、「廃棄」という不穏な文字が躍っていた。

 この屋敷は異常だ。そして、外から逃げてきたライラもまた、異常な恐怖に晒されている。

 

(……やっぱり、僕の予感は当たってたみたいだね)

 

 ここには、明確な悪意がある。

 そして今、その悪意の中心にいるのは――。

 

「……マズい事になった。ライラ」

 

 ルークは唇を噛んだ。

 この屋敷の主の娘、大切な幼馴染。

 自身の推理通りなら――彼女は自らとんだ怪物の元へと向かっている事になる。

 

「ライラ、立てるかい?」

 

「う、うん……」

 

「すぐに出るよ。セレスティアが危ない」

 

 ルークの声に宿る切迫した響きに、ライラが顔を上げた。

 

「ルークさん……?」

 

「ああ。詳しいことは後だ。でも、一刻も早く彼女と合流して、この場所から引き剥がさないといけない」

 

 ルークはライラの手を強く握った。

 その隻眼には、先程まで幽霊から逃げ回っていた面影等無く、女騎士としての、そして友としての強い決意が戻っていた。

 

「行こう。僕が守るから。セレスティアやミツキ達と合流する方法を探すんだ。」


――――――


 「……やっぱり、おかしいね」

 

 書斎を出たルークは、廊下の真ん中で足を止めた。

 焦燥に駆られるライラとは対照的に、その隻眼は冷静に周囲の空間を観察していた。

 

「ルークさん? 早く逃げないと……!」

 

「待って、ライラ。闇雲に走っても、この屋敷からは出られないよ」

 

 ルークはコツコツと、壁に掛けられた額縁の縁を指でなぞった。指先に埃がつかない。この古びた屋敷において、それはあまりにも不自然だった。

 

「埃ひとつない。壁の蝋燭は燃え尽きない。窓の外の景色は、さっきから雲ひとつ動いていない」

 

「え……?」

 

「ここは『時間』が止まっているんだ。ヴィクラムが作ったのか、ラーヴァナの仕業かは分からないけど、ここは現実の空間じゃない。完璧に管理された『箱庭』だ」

 

 ルークは歩き出しながら、推論を口にする。

 

「箱庭である以上、通常の出入り口(玄関)はダミーだ。……でも、完全に閉ざされているわけじゃない」

 

「どういうこと?」

 

「『――――失敗作は廃棄する』」

 

 ルークの視線が、廊下の突き当たりにある巨大な一枚の絵画に注がれた。

 それは、この陰鬱な屋敷には似つかわしくない、美しい「白い花畑」を描いた風景画だった。

 

「モノを廃棄てるなら、必ず『ゴミ捨て場』への穴が必要になる。……例えば、あんな風にね」

 

 ルークは絵画の前まで歩み寄ると、その表面に手をかざした。

 

「ルークさん、それはただの絵じゃ……」

 

「いいや、違う。……ライラ、目ではなく肌で感じるんだ。この絵の前だけ、微かに『風』が吹いている」

 

「あ……」

 

 言われてみれば、甘い花の香りを乗せた風が、絵の中から流れ込んできている。

 ルークはニヤリと笑った。

 

「空間接続の術式だね。この絵は、処分した『失敗作』を外へ放り出すためのダストシュート……つまり、唯一の出口だ」

 

 ルークは躊躇なく、絵画のキャンバスに手を突き入れた。

 ズブ、とまるで水面に手を入れたように、腕が絵の中へと沈んでいく。

 

「やっぱりね。……行こう、ライラ。この向こうが『ゴミ捨て場』なら、きっと他の迷い人たちもそこにいるはずだ」

 

「は、はいっ」

 

 二人は絵画の枠を跨ぎ、その白い風景の中へと身を投じたのだった。


 ――――――――――



目覚めた時、セレスティアの視界に飛び込んできたのは、見たこともない豪奢な天井だった。

 

「……ここは、どこ?」

 

 彼女は重い身体を起こし、周囲を見回した。

 そこは、石造りの巨大な宮殿の回廊のようだった。だが、アイン・アル・ハヤトのそれとは雰囲気が違う。

 柱には象や孔雀、踊る神々の様な彫刻が隙間なく施され、湿り気を帯びた風が、甘い香のかおりを運んでくる。窓の外には、熱帯の植物が鬱蒼と茂る中庭が見えた。

 

「ミツキさん……? ルーク……? お父様?」

 

 呼びかけても、返事はない。

 セレスティアは不安に駆られ、裸足のまま冷たい石畳を歩き出した。

 広すぎる回廊には人気がなく、自分の足音だけが反響する。壁画に描かれた極彩色の神々が、ギョロリとした目でこちらを見下ろしているようで、彼女は身を縮こまらせた。

 

「どうして、私だけ……。みんなとはぐれちゃったのかな」

 

 宿で眠りについたはずなのに。この不可解な状況に、胸の奥がざわざわと騒ぐ。

 その時だった。

 

 ――ザザァッ……。

 

 廊下の突き当たりにある、巨大な壁画が波打った。

 描かれていたのは、数多の腕を持つ鬼神が、戦車に乗って空を駆ける図だ。その鬼神の足元の絵の具が、まるで水面に落ちたインクのように渦を巻き、盛り上がっていく。

 

「え……?」

 

 セレスティアが息を呑んで見つめる中、その色の渦から、一人の男が這い出るようにして姿を現した。

 

「……っ、セレスティア! 無事だったか!」

 

「お父様!?」

 

 現れたのは、父ヴィクラムだった。

 だが、いつも冷静沈着な父の様子がおかしい。

 呼吸は荒く、衣服はあちこちが破れ、土埃と――何やら鉄錆のような、生臭い臭いが微かに漂っている。

 

「お父様、その恰好……一体何があったんですか?」

 

 セレスティアが駆け寄ろうとすると、ヴィクラムは強く彼女の肩を抱き寄せた。

 

「よかった……。お前だけでも無事で、本当によかった……!」

 

 その腕の力は強く、微かに震えているようにも感じられた。セレスティアは父の胸に顔を埋め、安堵の息を吐いた。

 

「私も怖かったです。気がついたら、こんな知らない場所に一人きりで……」

 

「すまない。私がついていながら、あんな奴の介入を許すとは」

 

「あんな奴……?」

 

 ヴィクラムは身体を離すと、苦渋に満ちた表情でセレスティアの顔を見つめた。その瞳の奥には、昏い憎悪の炎が渦巻いている。


 「ラーヴァナだ。『文明の魔王』ラーヴァナ。奴がお前たちを攫い、ここへ引きずり込んだんだ。……私は必死で後を追い、なんとかここまで辿り着いた」

 

「魔王、ラーヴァナ……」


 セレスティアはサントーン・カーシャヘルでの戦いを思い返す。

 大きな冠に装飾過多な豪華な衣装、

 ――そして自分そっくりの銅色の瞳。

 

「セレスティア。お前は、あの魔王の恐ろしさを知らなきゃいけない」

 

 ヴィクラムは、まるで血を吐くような声で語り始めた。

 

「奴はかつての魔界戦争で、世界中の美しい姫や貴族の娘を攫い、自らの慰みものにしたという、女好きの卑劣な魔王だ。一度天上神の裁きにより倒された筈だが復活してな………そして、その毒牙は、私たちの家族にも向けられていたんだ」

 

「え……?」

 

「実はずっと隠していたが、お前の母さん、アマラも……奴に誘拐されたんだ」

 

 セレスティアは息を呑んだ。物心ついた時から、母は病死したと聞かされていたのだ。

 

「そ、そんな……お母様は、気を病んでいて私を抱えて外に飛び出したのでは………?」

 

「そう思わせるしかなかったんだ。アマラは現在も魔界に囚われ、奴に毎日、筆舌に尽くしがたい凌辱を受けている……!」

 

 ヴィクラムは拳を握りしめ、壁画の鬼神を睨みつけた。その目には涙さえ浮かんでいるように見える。

 

「そして、お前もだ、セレスティア。奴はお前が揺りかごの中にいる時に、呪いをかけたんだ」

 

「の、呪い……ですか?」

 

「そうだ。お前が持つ『無敵の力』……。あれは神の祝福なんかじゃない。ラーヴァナが、お前を自分と同じ『悪魔』に作り変えるために植え付けた、侵食する呪いなんだ!」

 

 セレスティアは愕然として自分の手を見つめた。

 炎も、剣も、あらゆる害意を跳ね返す、絶対的な力。それが、自分を悪魔に変えるための呪いだったなんて。

 

「……嘘。そんな、酷い……」

 

「私も信じたくはなかった。だが、お前の力は強まるばかりだ。……思い出してごらん、先日の『終わらない夜』のことを」

 

「っ……!」

 

 セレスティアの肩がビクリと跳ねた。

 カラート・シャムスで起きた、太陽が昇らなかった日々。あれは、彼女が恐怖のあまり「太陽なんて昇らなければいい」と祈ってしまったことが引き金だった。

 

「お前はあの時、世界の理をねじ曲げ、あろうことか太陽さえも止めてしまった。……あれこそが、お前の心が人ではなく、悪魔へと近づいている何よりの証拠なんだ」

 

「あ……あぁ……」

 

 セレスティアは青ざめ、ガタガタと震え出した。

 そうだ。自分は、世界をおかしくしてしまった。あれは奇跡などではなく、悪魔の力だったからなのか。

 

「このままでは、お前は人の心を完全に失い、あのような災厄をまき散らすだけの怪物と化してしまう」

 

 ヴィクラムは恐怖に凍りつくセレスティアの肩を強く掴み、懇願するように、しかし逃げ場を塞ぐように言った。

 

「私は、それを止めるためにここへ来たんだ。この地にある遺跡の力を使えば、ラーヴァナを打倒し、アマラを救い出し……そして、お前の呪いを解くことができるかもしれない」

 

 父の言葉は、悲痛な響きを帯びていた。

 母を救うため。そして、娘である自分を「悪魔の呪い」から救うために、父は傷つきながら戦っているのだ。

 セレスティアの心の中で、疑念は氷解し、代わりに熱い使命感が湧き上がった。

 自分は、守られているだけではいけない。

 

「……わかりました、お父様」

 

 セレスティアは顔を上げ、強い決意を込めて父を見つめ返した。

 

「ひ、酷い……酷すぎる。私、協力します、お父様。お母様を助け出すため……そして、この呪われた運命を断ち切るために」

 

「おお、セレスティア……! ありがとう、お前ならそう言ってくれると信じていたよ」

 

 ヴィクラムは感動したように娘を強く抱きしめた。

 セレスティアは父の背中に腕を回し、その温もりに安堵した。

 

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