第十一話 お菓子な悪夢
更新が空いてしまい申し訳ありません。仕事が多忙で予定日に投稿できませんでしたが、また本日から再開していきます!
待っていてくださった皆様、本当にありがとうございます。引き続き楽しんでいただければ幸いです。
「……は?」
ライラの思考が停止した。
処刑? 今、なんて言った?
ご馳走の次が、処刑?
「ちょ、ちょっと待ってよ。冗談、だよね?」
ライラは引きつった笑みを浮かべて立ち上がろうとした。
だが、身体が鉛のように重い。
さっき食べた大量の砂糖菓子が、胃の中で石に変わってしまったかのように、手足の自由を奪っていた。
「冗談じゃないわ」
「パパのレシピよ」
少女たちが、ニコニコと微笑んだまま、ライラを取り囲む。
その瞳には、一点の曇りもない純粋な「肯定」だけがあった。
「ねえ、あなた。自分が何をしたか、わかってる?」
「な、なに……。お菓子を食べたことが罪だって言うの? だったら謝るから……」
「ううん、違うわ」
金髪の少女が、ライラの顔を覗き込み、残念そうに首を振った。
「あなたの罪はね、『青い絵の具が足りなかったこと』よ」
「……え?」
「そう、あなたは赤いの。真っ赤な失敗作」
「パパは空の色が欲しかったのに、あなたは血の色をして産まれてきたの」
「だから、雑草なのよ」
少女たちは、さもそれが世界の心理であるかのように、楽しげに口ずさむ。
「雑草は抜かないと」
「お花畑が汚れちゃうもの」
「ハサミでチョキンと切って、土に戻してあげなきゃ」
ライラは呆然とした。
青い絵の具? 雑草?
意味がわからない。でも、その言葉の裏にある、絶対的な「否定」の響きだけが伝わってくる。
――青い絵の具が足りなかった
それだけのことが、この狂った世界では「殺される理由」になるのだ。
「そんなの、おかしい……! 意味がわからない! 勝手なこと言わないで!」
ライラは叫んだ。
奴隷として理不尽な扱いには慣れていたつもりだったが、こんな滅茶苦茶な理屈で納得できるはずがない。
「アンタたちのパパが狂ってるだけじゃない! 私は雑草なんかじゃない!」
「いいえ、雑草よ」
「パパの期待を裏切った悪い種」
「悪い種は、すり潰さないと」
ガシッ。
金髪の少女が、ライラの手首を掴んだ。
「っ!?」
冷たい。
そして、信じられないほど強い力だった。
ライラがどれだけ暴れても、鋼鉄の万力で締め上げられたように、びくともしない。
「さあ、行きましょう?」
「パパのお部屋へ」
「は、離してっ! 離してよ!!」
ライラは必死に抵抗し、地面のスポンジケーキに踵を立てて踏ん張った。
だが、無駄だった。
他の少女たちも群がり、ライラの腕を、足を、服を掴む。
ズルズル、ズルズル……。
アリの群れが獲物を巣穴へ運ぶように、ライラの身体は無慈悲に引きずられていく。
「いやだ……! 行きたくない! 誰か、誰かぁっ!!」
ライラの絶叫は甘い森に吸い込まれ、誰にも届かない。
目の前には、可愛らしくも不気味な「お菓子の家」の扉が、黒い口を開けて待っていた。
ズドンッ!!
乱暴に投げ飛ばされ、ライラの身体が硬い床に叩きつけられた。
「うぐっ……!」
痛みに顔を歪めて顔を上げると、そこは広いキッチンだった。
壁はピンク色のタイル、調理器具はピカピカの銀色。
真ん中には巨大なオーブンと、部屋の隅には人間が一人余裕で入れる大きさの「鳥籠」が置かれている。
「さあ、入って」
「材料は冷蔵庫じゃなくて、ここよ」
抵抗する間もなかった。
少女たちに引きずり起こされ、ライラはその鳥籠の中に押し込められた。
ガチャンッ!
鉄格子の扉が閉まり、外から鍵がかけられる。
「だ、出して! ここから出してよ!!」
ライラは格子を掴んで揺さぶった。
だが、その檻は頑丈なお菓子――硬いプレッツェルのように見えたが、触った感触は冷たく錆びついた「鉄」そのものだった。
ライラは青ざめた。ここは、お菓子の家じゃない。
可愛い見た目でコーティングされた、本物の牢獄だ。
「さて、お料理を始めましょう」
「パパが帰ってくるまでに、下ごしらえをしなきゃ」
少女たちが楽しそうにキッチンの周りを動き回り始めた。
一人が竈門に薪をくべ、火をつける。
ボウッ! と勢いよく炎が上がり、室内温度が一気に上がった。
「メニューは何にする?」
「やっぱり、パイがいいわ」
「そうね、中身が見えないように包んで焼くの。そうすれば、誰にもバレないもの」
少女たちは包丁や麺棒を手に取り、恐ろしい相談を始める。
「皮は剥く? それとも湯剥きにする?」
「剥きましょう。この子の皮は茶色くて汚いから、全部剥いで真っ赤なジャムにしなきゃ」
「骨はどうする?」
「すり潰して小麦粉に混ぜるの。庭に埋めると、犬が掘り返しちゃうから」
「髪の毛は?」
「燃やしましょう。煙突から空に返せば、カラスのご飯になるわ」
「肉はどうするの?」
「ぶつ切りしてバラバラにしちゃいましょう。前の王様みたいにね」
ライラはガタガタと震えながら、膝を抱えた。
料理の話じゃない。
これは、まるで死体の処理方法の話だ。
「さあ、オーブンの予熱はバッチリよ」
「何度にする?」
「一千度。骨まで灰になるように」
「うふふ、素敵な焼き加減になりそう」
少女の一人が、巨大なフォークを持って檻に近づいてきた。
その目は、無邪気な狂気に満ちている。
「準備はいい? 美味しい『ジュース』になりましょうね」
「い、いやだ……来ないで……!」
ライラが後ずさり、背中が冷たい檻に触れた。
もう逃げ場がない。
本当に、ここで殺されて、焼かれて、食べられてしまう。
アーリヤ、ごめん。
私、約束守れなかった――。
ライラが絶望に目を閉じた、その時だった。
ピンポ――――――ン……!
間延びした、それでいて重々しいチャイムの音が、家の奥から響き渡った。
「!」
少女たちの動きがピタリと止まった。
フォークを振り上げていた少女も、竈門の番をしていた少女も、一斉に顔を上げる。
「あ!」
「お客様だわ!」
「パパかしら?」
「それとも、新しいお友達?」
彼女たちの顔から、サディスティックな殺意が消え、子供らしい好奇心が戻ってくる。
「見に行きましょう!」
「お出迎えしなきゃ!」
「失礼があったら、パパに叱られちゃう!」
ドタドタドタッ!
少女たちは調理を放り出し、我先にとリビングの方へと駆け出して行ってしまった。
……シーン。
キッチンに静寂が戻る。
残されたのは、パチパチと燃える竈門の音と、檻の中のライラだけ。
「……た、助かった……?」
ライラは荒い息を吐きながら、へたり込んだ。
心臓が早鐘を打っている。
だが、すぐに顔を上げた。
(……違う。助かってない。あの子たちが戻ってくる前に、逃げないと!)
ライラは震える足で立ち上がり、檻の扉を確認した。
鍵は外からかけられている。
だが、ここは「お菓子の家」だ。
作りがどこか杜撰で、おもちゃめいている。
「……これなら」
ライラは自分の髪留め――ザビール家から逃げ出す時にくすねた、細い針金状のピンを外した。
かつて奴隷仲間がやっていたのを真似て、見よう見まねで覚えた解錠術。
震える指先で、鍵穴にピンを差し込む。
「お願い、開いて……!」
背後の竈門からは、処刑の炎が熱気を放っている。
リビングからは、少女たちの騒ぐ声が聞こえる。
時間はほとんどない。
カチッ。
小さな、しかし確かな音がした。
ライラが扉を押すと、錆びついた蝶番が悲鳴を上げ、檻が開いた。
「開いた……!」
ライラは転がるように檻から飛び出した。
振り返らない。
彼女は裸足のまま、キッチンの勝手口と思わしき小さな扉へ向かって駆け出した。
ライラは裸足のまま、廊下を走った。
背後のキッチンからは、まだパチパチと薪が爆ぜる音が聞こえる。
少女たちが戻ってくるまでの時間は、そう長くないはずだ。
「……っ、こっちは駄目!」
ライラは廊下の角で急ブレーキをかけた。
リビングの方からは、少女たちの賑やかな話し声が聞こえてくる。
家の出入り口である玄関はリビングの先だ。あそこを通れば、間違いなく見つかる。
「別の出口……窓! 窓ならあるはず!」
ライラは踵を返し、リビングとは反対側の、薄暗い廊下へと走った。
壁紙はチョコレート色で、蝋燭の形をした照明が頼りなく揺れている。
突き当たりに、明かり取りの窓が見えた。
「あった!」
ライラは窓に駆け寄った。
それは、ステンドグラスのように美しい、色のついたキャンディで出来た窓だった。
外の光を通してキラキラと輝いているが、今のライラにはその美しさも忌々しいだけだ。
「開いて……!」
ライラは窓枠に手をかけ、力いっぱい押し上げた。
――動かない。
びくともしない。
「嘘でしょ……?」
金具を探すが、そもそも金具が存在しなかった。
窓枠と窓ガラス(飴)が、ドロドロに溶かされた砂糖で完全に接着されている。
まるで、「一度入ったら二度と出られない」と拒絶しているかのようだ。
「うっ、このっ……!」
ライラは拳で飴のガラスを叩いた。
ガンッ、と硬い音が響くだけで、ヒビ一つ入らない。
外の景色は歪んで見え、どれだけ叩いてもこちらの声は届きそうになかった。
「……どうなってるの、この家」
ライラが絶望に唇を噛んだ、その時だった。
ギィィィィィ……バンッ!!
リビングの方から、玄関の重い扉が開く音が屋敷中に響き渡った。
お客さんが入ってきたのだ。
少女たちの歓声が聞こえる。
「わぁ! いらっしゃい!」
「お客様よ!」
「ようこそ――」
だが。
その歓迎の言葉は、最後まで続かなかった。
「――え?」
「……きゃっ!?」
「いやっ、来ないで!」
「やめてぇぇぇぇぇっ!!」
歓声が一瞬にして、引き裂くような悲鳴へと変わった。
ドタバタと逃げ惑う足音。何かが破壊される音。
ただ事ではない。
あのおぞましい少女たちが、恐怖で泣き叫んでいるのだ。
「……な、なに?」
ライラの背筋が凍りついた。
パパが帰ってきたんじゃないの?
あの子たちを怖がらせるような「何か」が入ってきた?
足音が近づいてくる。
こちらへ逃げてくる少女たちの足音と、それを追う重たい足音が。
(……まずい。ここにいたら巻き込まれる!)
ライラは焦って周囲を見回した。
隠れる場所。どこか、隠れられる場所。
廊下には家具が少ない。あるのは、壁際に置かれた古びた長持と――。
「あそこ!」
ライラの目に留まったのは、人間の背丈ほどもある、大きな「振り子時計」だった。
他のお菓子で出来た家具とは違い立派な黒檀で作られ、重厚な装飾が施されたその時計は、カチ、コチ、と不気味なリズムを刻んでいる。
ライラは迷わず時計に駆け寄った。
ガラスの扉を開けると、中は埃っぽく、機械油の臭いがした。
「……っ」
ライラは息を詰め、狭い時計の中に身体を滑り込ませた。
巨大な振り子が目の前で揺れている。
彼女は内側からそっと扉を閉めた。
カチリ。
扉が閉まったのとほぼ同時に、廊下の角から少女たちが転がるように逃げてきた。
「ひいいいっ!」
「助けてええっ!」
「壊れちゃう! 壊されちゃうぅぅぅ!」
ライラは時計の隙間から、息を殺してその光景を見つめた。
少女たちの背後。
薄暗い廊下の向こうから、ゆっくりと「それ」が姿を現そうとしていた。
カチ、コチ、カチ、コチ……。
狭い時計の中で、巨大な振り子が一定のリズムで揺れている。
ライラは両手で口を強く押さえ、呼吸音すら殺してうずくまっていた。
埃と油の臭いが鼻につくが、そんなことを気にしている余裕はない。
ガラスの扉一枚隔てた向こう側で、「地獄」が始まっていた。
「いやぁぁぁっ! 来ないでぇっ!」
「パパ! どうして!? 私いい子にしてたのに!」
少女たちの悲鳴が、廊下に反響する。
それは先ほどまでの「無邪気な狂気」ではない。
死の恐怖に直面した、ただの子供の泣き叫ぶ声だった。
バキッ!!
グチャアッ!!
鈍い打撃音と、湿った何かが潰れるような音が響く。
普通の人間が殴られた音ではない。
乾燥した木材と、腐った果実を同時に踏み潰したような、おぞましい音だ。
「あ……あがっ……!」
「パパ……やめ……痛い、痛いよぉ……」
すぐ目の前。
時計の扉の隙間から見える床に、一人の少女が這いずってきた。
さっきライラに「青い絵の具が足りない」と言った、あの金髪の少女だ。
だが、今の彼女にその面影はない。
自慢の金髪は引き千切られ、美しいドレスは赤黒い血で染まり、右足があらぬ方向にねじ曲がっている。
「パパぁ……ごめんなさい……」
「いい子にするから……壊さないで……」
少女は涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、見えない「相手」に向かって許しを乞うた。
あれほど誇らしげに語っていた「優しいパパ」に。
自分たちを迎えに来てくれるはずの救世主に。
「――ッ!!」
ライラは恐怖で目を剥いた。
あの子たちは、あれほどパパを信じていた。パパのためにライラを殺そうとした。
なのに。
そのパパ本人が、まるで古くなった玩具を処分するかのように、娘たちを破壊して回っているのだ。
「お願い……パパ……愛して……」
少女が震える手を伸ばした、その時。
ドスゥッ!!
上から振り下ろされた「何か」が、少女の小さな背中を貫いた。
「が、ぁ……」
少女の口から、どす黒い液体がゴボリと吐き出される。
彼女の瞳から光が消え、伸ばされた手が力なく床に落ちた。
ズリュ……ズリュ……。
死体を引きずる音が遠ざかっていく。
あとには、血のついた床と、静寂だけが残された。
「…………」
ライラはガタガタと震え、自分の身体を抱きしめた。
歯の根が合わない。
怖い。
幽霊よりも、魔物よりも怖い。
(……狂ってる。ここは全部、狂ってる……!)
あの子たちは唯殺されたんじゃない。
「失敗作」だったから、ゴミのように片付けられたんだ。
実の父親の手によって。
カチ、コチ、カチ、コチ……。
無機質な時計の音だけが、惨劇の跡に響き続ける。
ズズゥ……、ズズゥ……。
何か重い袋を引きずるような音と共に、その足音は遠ざかっていった。
少女たちを破壊し尽くした「パパ」と呼ばれた怪物は、ライラが隠れている時計には見向きもしなかった。
まるで、最初からそこに誰もいないかのように。
バタンッ。
遠くで扉が閉まる音がして、完全に気配が消えた。
「…………」
ライラは動けなかった。
まだ近くにいるかもしれない。出た瞬間に見つかるかもしれない。
極限の恐怖で身体が強張り、指一本動かせない。
狭い時計の中で、自分の心臓の音だけがうるさいほど響いている。
どれくらいの時間が経っただろうか。
数分か、数時間か。
永遠にも思える静寂の後、ライラはようやく、震える手でガラス扉を押した。
「……お願い。いないで」
ギィィ……。
扉が開く。
ライラは息を詰め、恐る恐る外へと足を踏み出した。
「……え?」
その瞬間、ライラは肌に走る「寒気」に肩を震わせた。
冷たい。
さっきまでの、竈門の熱気や、まとわりつくような甘い空気がない。
代わりに頬を撫でたのは、氷のように冷え切った夜風だった。
「ここは……?」
ライラは呆然と周囲を見渡した。
血まみれの廊下も、チョコレート色の壁も、可愛い家具も、どこにもない。
そこは、夜の森だった。
鬱蒼と生い茂る木々が、月明かりを遮って黒い影を落としている。
足元にあるのは、スポンジケーキではなく、湿った土と腐葉土。
ライラが背中を預けていたのは、立派な振り子時計ではなく、森の中に打ち捨てられた、朽ちかけた古木の虚だった。
「夢……だったの?」
あのお菓子の家も、継ぎ接ぎの少女たちも。
全部、悪い夢だったのか。
ライラがそう思いかけた時、足元の草むらにある「何か」が目に入った。
「……あ」
ライラは息を呑んだ。
そこには、地面から突き出すように、「十個」の杭が打たれていた。
粗末な木の板で作られた、名もなき墓標。
雨風に晒され、苔むしているが、その数はあのお茶会の少女たちの数とぴったり一致していた。
「……夢じゃ、ない」
ライラは悟った。
あの子たちは、ここに埋められていたんだ。
誰かに殺され、ゴミのように森に捨てられ、誰にも弔われることなく、土の下で眠っている。
あのお菓子の世界は、そんな彼女たちの無念が見せた「幻影」だったのかもしれない。
「……かわいそうに」
ライラは胸が苦しくなった。
あんなに「パパ」を信じていたのに。こんな暗い森に埋められているなんて。
ライラは墓標に向かって短く手を合わせると、顔を上げた。
森の木々の隙間、遠くの方に、ぼんやりとした明かりが見える。
「あれは……」
月明かりに照らされて浮かび上がっていたのは、巨大な洋館だった。
古びているが、かつては栄華を極めたであろう豪奢な建物だ。
窓から漏れる微かな光が、闇夜の中で唯一の道しるべのように見えた。
「建物だ……。誰か、いるかもしれない」
あそこに行けば、人がいるかもしれない。
もしかしたら、はぐれてしまったミツキたちも、あの明かりを目指しているかもしれない。
この不気味な墓場の森に一人でいるよりは、ずっとマシなはずだ。
「……行かなきゃ」
ライラは裸足で冷たい土を踏みしめた。
恐怖で足が竦む。
さっきの怪物が近くにいるかもしれないと思うと怖かったが、じっとしていても朝は来ない。
「みんな……お願い、いて……!」
ライラは祈るような気持ちで、闇の中に浮かぶ屋敷へ向かって駆け出した。




