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第二話 女のいない都市


ビル風が吹き抜け、錆びついた看板を揺らす。

 その音は、死に絶えた都市の嗚咽のように、一行の耳にこびりついた。

 

「……行こう」

 

 ミツキは、言いようのない悪寒を振り払うように、街の中心部を指差した。

 

「あそこ――あの赤い光が明滅している宮殿。あそこからだけ、微かに『人の気配』がするの」

 

「人の気配?」

 

 エリシェヴァが、信じられないという顔で問い返す。

 これほどの廃墟に、まともな人間が生き残っているとは到底思えなかったからだ。

 

「うん。でも……なんだか、すごく静かなの。とりあえず、確かめに行こう」

 

 一行は警戒を強めながら、瓦礫が散乱する大通りを抜け、街の中心部へと歩みを進めた。

 

 

 ――――

 

 

 やがて、彼女たちの目の前に、その巨大な建造物が全貌を現した。

 

 『赤の宮殿』。

 

 それは、周囲の朽ち果てた摩天楼とは一線を画す、圧倒的な威圧感を放っていた。

 古代の神殿を思わせる重厚な石造りの基部に、未来的な黒い金属の装甲が幾重にも覆い被さっている。

 外壁には血管のように赤い光のラインが走り、まるで巨大な心臓が鼓動するように、ズウン、ズウンと低い駆動音を響かせていた。

 

 この死に絶えた都市で、唯一「生きている」場所。

 

「……あ!」

 

 先頭を歩いていたライラが、宮殿の巨大なゲートの前で足を止め、声を上げた。

 

「ミツキさん! 見てください! 人が、人がいます!」

 

「えっ!?」

 

 ライラが指差した先。

 宮殿へと続く広場に、数多くの人影があった。

 十人、二十人ではない。百人はいるだろうか。

 彼らは宮殿の入り口を取り囲むように、整然と並んでいた。

 

「本当だ……! 生き残った人たちがいたんですね!」

 

 セレスティアが顔を輝かせ、駆け出そうとする。

 お父様もあの中にいるかもしれない――そんな期待が、彼女の足を速める。

 

「待て、セレスティア!」

 

 ルークが慌てて彼女の腕を掴み、制止した。

 

「……様子がおかしい」

 

 ルークの隻眼が、広場の人々を鋭く観察する。

 

「彼らは……微動だにしていない。これだけ近づいても、僕たちの方を見ようともしないぞ」

 

 言われてみれば、確かに異様だった。

 彼らはただ、宮殿の扉の方を向いて立ち尽くしている。

 話し声もなければ、身動き一つしない。まるで、精巧な彫像のようだ。

 

「……行ってみよう。でも、警戒は解かないで」

 

 ミツキが剣の柄に手をかけたまま、慎重に距離を詰める。

 近づくにつれ、彼らの姿がはっきりと見えてきた。

 

 彼らが纏っているのは、ボロボロに朽ちかけた衣服だった。

 かつては上質な研究白衣や、軍服、あるいは煌びやかな衣装だったであろう布切れ。

 肌は土気色で、痩せこけているが、確かに呼吸はしている。生きている人間だ。

 

「あの、すみません!」

 

 ミツキが、一番近くにいた男性に声をかけた。

 

「あたしたち、気がついたらこの街にいて……ここはどこなんですか?」

 

 返事はなかった。

 男性は、虚空を見つめたまま、瞬き一つしない。

 

「……もしもし?」

 

 ミツキが恐る恐る、男性の肩に触れる。

 その瞬間。

 

 ギギッ。

 

 錆びついた蝶番のような音を立てて、男性の首がゆっくりとミツキの方へ回った。

 

「ひっ……!」

 

 ライラが息を呑む。

 男性の瞳には、色がなかった。

 白目が濁り、瞳孔が開いたまま固定されている。そこには、ミツキの姿など映っていない。

 そして、乾燥してひび割れた唇が、嫌悪を露わにして歪んだ。

 

「……触ルナ……」

 

 掠れた、枯れ木が擦れるような声。

 

「……触ルナ……穢レ……。不浄ナル……女……」

 

「え……?」

 

 ミツキが呆気にとられる。

 

「……女……」「……子供……」「……穢レ……」

 

 一人が口を開いたのをきっかけに、広場にいた百人近くの人々が、一斉にこちらを向き、ブツブツと呟き始めた。

 その瞳に宿っているのは、歓迎でも好奇心でもない。

 ゴミを見るような、底知れぬ「蔑み」と「嫌悪」だった。

 

「……女ハ……不浄……」「……永遠ヲ……妨ゲル……穢レ……」「……排除……」

 

 ざわり、と群衆が波打つ。

 彼らにとって、女性や子供の姿をしているミツキたちは、それだけで許されざる「敵」であるかのような反応だ。

 

「な、なんなの……? なんでそんな目で見るの……?」

 

 ライラが怯えて後ずさる。

 

「……異常だ」

 

 ルークが剣を抜く。

 

「彼らの精神は、何らかの『狂信』に支配されている。まともな会話は期待できないぞ」

 

 エリシェヴァは、近くでブツブツと呟く男性の腕を素早く掴んだ。

 

「ごめんなさいね」

 

 彼女の掌から淡い緑色の光が流れ込み、男性の体内を巡る――治癒魔法を応用した生体スキャンだ。

 だが、その瞬間。

 

「ッ……!?」

 

 エリシェヴァは短く息を呑み、火傷をしたようにパッと手を離した。

 

「どうしたの、エリシェヴァ?」

 

「……信じられない」

 

 エリシェヴァは、指先に残る異質な感触に戦慄し、青ざめた顔で群衆を見渡した。

 

「彼らの肉体は……『時』が止まってる。

 代謝も循環もしていないのに、生かされている……。老いることも、死ぬことも許されず、何者かの術式によって、この朽ちた肉体に魂を無理やり縫い付けられているわ」

  

「死ぬことも……許されない?」

 

 ライラは、背筋が凍りつくのを感じた。

 

『本当の文明の絶望』

  

 科学が到達した「不死」などではない。これは、誰かが意図的に施した、終わりのない「呪い」だ。

 

「……助けてあげないと」

 

 セレスティアが涙ぐみ、思わず一歩前に出た。

 

「こんなの……あんまりです……!」

 

 その時だった。

 

 ピクリ。

 

 セレスティアが近づいた瞬間、群衆の視線が一斉に彼女に釘付けになった。

 先ほどまでの「蔑み」とは違う。

 もっと激しく、もっとドス黒い感情が、彼らの濁った瞳に灯る。

 

「……ア……?」

 

 先ほどの男性が、鼻をひくつかせた。

 

「……コノ……気配……」

 

 うつろだった彼らの瞳に、急速に狂気が宿る。

 それは、獲物を見つけた獣のような、あるいは不倶戴天の仇敵を見つけた悪霊のような色。

 

「……ラーヴァナ……?」

 

 一人の男が、セレスティアを指差した。

 

「……王ノ……力……。我ラヲ……捨テタ……悪魔ノ……血……!」

 

 セレスティアの銅色の瞳と「無敵」の権能。その魔力の波長が、彼らにとっては憎き王そのものに感じられたのだ。

 

 穢れた女。

 その上、憎き王の力を宿す者。

 彼らの狂信的な回路の中で、セレスティアは「絶対的な排除対象」へと認定された。

 

「……殺セ」

 

 誰かが呟いた。

 

「……殺セ……」「……殺セ!!」「……我ラヲ……永遠ノ地獄ニ……閉ジ込メタ……悪魔ヲ……!!」

 

 彼らは一斉に、手近な瓦礫や鉄パイプを拾い上げた。

 

「ひっ……!?」

 

 セレスティアが悲鳴を上げて後ずさる。

 

「ガアアアアアアッ!!」

 

 人間とは思えない咆哮と共に、百人の「不死者」たちが、セレスティア目掛けて雪崩を打って襲いかかってきた。

 

「セレスティア!」

 

 ルークが叫び、セレスティアの前に立ちはだかる。

 剣を抜き、先頭の男の武器を弾き飛ばす。

 

 だが、男は止まらない。

 武器を失ってもなお、折れた爪で、歯で、ルークに食らいつこうとする。

 

「くっ……! なんて力だ……! 痛覚がないのか!?」

 

「殺せ! 穢レヲ、殺シテ、我ラヲ、救エェェッ!!」

 

 彼らは自分の体が傷つくことも厭わず、ただセレスティアを引き裂くためだけに突進してくる。

 その姿は、暴徒というより、餓鬼の群れだった。

 

「ダメ! ルーク、斬っちゃダメ!」


  ミツキが叫ぶ。

 

「この人たち、武器も持ってない一般人だよ! それに……見て! 斬られても怯まない! 普通じゃないよ!」

 

「分かっている! だが、数が多すぎる!」

 

 エリシェヴァが魔法で蔓を作り出し、数人の足を止めるが、後から後から湧いてくる群衆に押し潰されそうになる。

 ライラはセレスティアの手を引いて必死に逃げようとするが、退路も塞がれつつあった。

 

(どうする……!? 戦えない……でも、このままじゃ……!)

 

 ミツキは、歯を食いしばった。

 

 狂気の権能? ダメだ、あれを使えば、この人たちを「掃除」してしまうし仲間を巻き込んでしまう。

 破壊の権能? 彼らを粉々にするわけにはいかない。

 死の権能?いや、コレもダメだ。

 

 なら――使えるのは、一つだけ。

 

「――止まれ!!」

 

 ミツキの叫びと共に、指が鳴らされた。

 

 キィィィン……。

 

 世界から色が消え、音が消える。

 振り上げられた鉄パイプも、憎悪に歪んだ顔も、飛び散る汗も、すべてが灰色の静寂の中に凍りついた。

 

「はぁっ、はぁっ……!」

 

 ミツキは荒い息を吐きながら、ルークの肩を叩く。

 

「今のうちに! 宮殿の脇に、通用口みたいなのがあった! あそこに逃げ込もう!」

 

 時間停止の世界で、ミツキたちは凍りついた暴徒たちの隙間を縫うように駆け抜けた。

 セレスティアの手を引くルークの手は、震えていた。

 かつての民草に、ここまで憎まれているという事実。それが、セレスティアの心に重くのしかかっているのが分かったからだ。

 

 宮殿の側面にある、小さな搬入口。

 そこに滑り込み、重い鉄扉を閉めた瞬間、ミツキは指を鳴らした。

 

「……解除」

 

 ドガガガガガガッ!!

 

 時が動き出し、外からは暴徒たちが扉を叩く音と、怨嗟の叫び声が響き渡った。

 

「……開ケロォォッ!」「……穢レガァァッ!」「……殺シテヤル……ッ!」

 

 分厚い扉のおかげで、中までは入ってこれないようだ。

 

「助かった……」

 

 ミツキはその場にへたり込んだ。

 薄暗い通路の中、セレスティアは膝を抱え、ガタガタと震えていた。

 

「私……何もしてないのに……。どうして、あんなに……」

 

「セレスティア……」

 

 ルークが痛ましげに彼女の肩に手を置く。

 

 この街の人々は、ラーヴァナを憎んでいる。

 そして、ラーヴァナの力を持つセレスティアもまた、彼らにとっては「悪魔」と同義なのだ。

 

「……行こう」

 

 ミツキは立ち上がり、通路の奥――宮殿の深部を見つめた。

 

「ラーヴァナに会って、文句を言わなきゃ気がすまないよ。こんな酷いこと……絶対に間違ってる」

 

 一行は、外の叫び声を背に、赤く明滅する宮殿の奥深くへと、重い足取りで進んでいった。



 ――――


  

「……はぁ、はぁ……!」

 

 ミツキたちは薄暗い通路にへたり込み、荒い呼吸を整えた。

 宮殿の内部は、外の喧騒が嘘のように静まり返っている。だが、その静寂は安らぎではなく、墓所のような冷たさを孕んでいた。

 

「……大丈夫か、セレスティア」

 

 ルークが気遣わしげに声をかける。

 セレスティアは膝を抱え、青ざめた顔で小さく頷いた。

 

「は、はい……。でも、あの人たちの目が、焼き付いて離れません。あんなに憎まれるなんて……」

 

「気にすることはないわ。彼らは正気じゃない」

 

 エリシェヴァが、自身の乱れた髪を直しながら、冷徹に言い放った。

 

「それより、ここ、外とは少し雰囲気が違うわね」

 

 彼女の言葉通りだった。

 一行が逃げ込んだのは、宮殿の裏手にある回廊のようだったが、その内装は異様としか言いようがなかった。

 

 壁面は、赤砂岩を精緻に彫り込んだ幾何学模様の透かし彫り(ジャリ)で飾られている。それは間違いなく、東方の伝統的な建築様式だ。

 だが、その美しい彫刻の隙間から、無骨な黒いケーブルが何本も這い出し、天井の蛍光灯へと繋がっている。

 

 古代の美と、無機質な機械の醜悪な融合。

 

「……進もう。ここにいても仕方がない」

 

 ミツキが立ち上がる。

 一行は警戒しながら、赤く明滅する照明の下、回廊を奥へと進み始めた。


 歩くにつれ、ミツキはある「違和感」に気づき始めた。

 

 回廊の壁には、かつてのこの国の歴史や、偉人たちを描いたと思われる壁画や肖像画が飾られていた。

 だが、そのどれもが「不自然」なのだ。

 

「……ねえ、見て」

 

 ミツキは、一枚の巨大な集合肖像画の前で足を止めた。

 それは、宮殿の庭園でくつろぐ貴族たちを描いたものらしい。

 しかし――。

 

「みんな顔が……削り取られてる」

 

 ライラが怯えた声を出す。

 絵画の中に描かれた人物のうち、半数近くが、刃物のようなもので顔を削り取られ、黒い塗料で塗りつぶされていたのだ。

 

 残っているのは、白い衣を纏った男性の神官や、兵士、研究者と思われる男たちだけ。

 華やかな衣装を着ていたであろう女性や、足元で遊んでいたはずの子供たちの姿だけが、執拗に、徹底的に破壊されている。

 

「こっちの石像もだ」

 

 ルークが、通路脇に置かれた石像を示す。

 女神や天女を模したと思われる像は、すべて首から上が叩き割られ、四肢が破壊されていた。

 

「……女と子供だけが、いない」

 

 ミツキが呟く。

 さっきの広場での光景がフラッシュバックする。

 

 ――襲ってきた暴徒たちは、全員が「男」だった。

 ――彼らはミツキたちを見て「穢れ」「不浄」と叫んだ。

 

「嫌な符合だわ」

 

 エリシェヴァが、削り取られた肖像画から手を離し、不快そうに顔をしかめた。

 

「外の彼らは、私たちを見て『穢れ』と叫んでいた。……そしてここでは、女性と子供の姿だけが、まるで『存在してはいけないもの』であるかのように消されている」

 

「つまり……偶然じゃないってことか?」

 

 ルークが呻くように問うと、ミツキは青ざめた顔で頷いた。

 

「うん。この街では、女の人や子供は『敵』だったのかもしれない」

 

 セレスティアが息を呑み、口元を押さえる。

 

「そんな……。じゃあ、この街の人は、みんな……」

 

 男たちだけが残り、不死の呪いの中で狂い、果てのない時間を憎悪と共に過ごしている。

 ここは、未来都市などではない。

 

 ――もっとおぞましい、狂信に塗り固められた「男たちの地獄」だったのだ。

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