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第六話 少女達の失踪

 アイン・アル・ハヤトの空は、憎らしいほどに晴れ渡っていた。

 出発の朝だ。

 ヴィクラムは誰よりも早く目を覚まし、完璧に整えられた荷物を確認していた。

 

「……風向きよし。大気中のマナ濃度、安定。……よし」

 

 鏡の前で、少し緩んでいたネクタイを締め直す。

 鏡に映る自分は、どこからどう見ても「病弱な娘を救うために奔走する、献身的な父親」そのものだった。

 

(完璧だ。……この旅で、全ての悲願が成就する)

 

 彼は口元だけで笑うと、部屋を出た。

 廊下は静まり返っている。まだ夜明け直後だ、彼女たちはまだ夢の中だろう。

 

 昨日はゆっくり休ませた。今日の砂漠越えは過酷になる。起こして、温かい朝食を食べさせなくては。

 ヴィクラムは、まずミツキたちが泊まっている大部屋の前へと立った。

 

「……ミツキくん、ライラくん。朝だよ。起きているかい?」

 

 軽くノックをする。

 返事はない。

 

「……おや、まだ熟睡しているのかな。入るよ?」

 

 彼は苦笑しながら、ドアノブを回した。

 何故か鍵は掛かっていなかった。

 ドアが静かに開く。

 

「さあ、出発の時間だ――」

 

 言葉が、宙に浮いた。

 部屋には、誰もいなかった。

 

「……は?」

 

 ヴィクラムの思考が、一瞬停止する。

 四つのベッド。そのシーツは乱れているが、人の気配がない。

 

 荷物は? ない。

 

 武器は? ない。

 

 まるで最初から、この部屋には誰も泊まっていなかったかのように、綺麗さっぱりと「人」だけが消えている。

 

「……トイレか? いや、全員で?」

 

 こめかみに冷や汗が滲む。

 嫌な予感が背筋を駆け上がる。ヴィクラムは慌てて廊下を走り、隣の部屋――ルークの個室のドアを乱暴に開けた。

 

「ルーク殿! ミツキくんたちが……!」

 

 誰もいない。

 几帳面な騎士らしく整えられたベッドの上に、書き置きひとつなく、ただ虚無だけが横たわっている。

  

「……な、なんだ? 何が起きている?」

 

 ヴィクラムの声が裏返る。

 

 心臓が早鐘を打つ。

 そして、最も恐ろしい可能性――最も確認したくない部屋の前へ、よろめくように足を運んだ。

 

 セレスティアの部屋。

 愛しい娘。大切な、大切な自分の計画の要。

 そして、亡き妻の面影を残す、唯一の「器」。

 

「セレスティア……! いるね!? 返事をしてくれ!」

 

 バンッ!!

 

 ドアを蹴破る勢いで開ける。

 カーテンが風に揺れていた。

 窓が開け放たれている。

 そして――ベッドは、もぬけの殻だった。

 

「――あ」

 

 ヴィクラムは、その場に膝から崩れ落ちた。

 いない。

 どこにもいない。

 娘も、護衛も、生贄も。全員が、一夜にして煙のように消え失せている。

 

「おい、女将! 宿の女将!!」

 

 ヴィクラムは転がるように階段を駆け下り、ロビーにいた女将の襟首を掴み上げた。

 普段の紳士的な態度は見る影もない。血走った目は、完全に常軌を逸していた。

 

「ひっ!? な、何だいあんた!」

 

「連れはどこだ!? 私の娘と、四人の連れはどこへ行った!? いつチェックアウトした!?」

 

「な、何を言ってるんだい! 誰も出て行ってないよ!

 あたしはずっとここにいたんだ、あんたの連れなんて、昨日の夜から誰も見ちゃいないよ!」

 

「嘘をつくなぁぁぁっ!!」

 

 ヴィクラムは女将を突き飛ばし、髪をかきむしった。

 

「あり得ない……。最高級の『結界石』を設置し、感知の魔導具も作動させていた。

 ネズミ一匹通さない完全な監視下にあったはずだ……!

 それが、なぜ……! なぜ道具アイテムが反応しない!? なぜ全員いなくなる!?」

 

 魔道具による痕跡すらない。

 争った形跡もない。

 ただ、「存在」だけが綺麗に切り取られたような消失。

 こんな芸当ができる存在など、この世界にそうはいない。

 

 神か、悪魔か、あるいは――。

 

 その時。

 ふと、セレスティアの部屋の窓枠に、何かが引っかかっているのが見えた。

 ヴィクラムは這うようにして近づき、それを拾い上げる。

 

 それは、緑色の小さな破片。

 昨日、ミツキが市場で拾っていた「基板」の欠片と同じ素材。

 そしてそこには、焼け焦げた文字で、下手くそな古代語が一言だけ刻まれていた。

 

 『 ザ マ ァ 』

 

「――――ッ!!!」

 プツン、と。

 ヴィクラムの中で、何かが焼き切れる音がした。

 その文字を見た瞬間、彼は理解した。

 誰がやったのか。

 誰が、自分の完璧な計画をあざ笑い、大事な娘を奪い去ったのか。

 

「……おのれ……おのれぇぇぇっ!!」

 

 ヴィクラムは基板の破片を握りつぶし、獣のような咆哮を上げた。

 

「ラーヴァナァァァァァッ!!!」

 

 宿中に響き渡る絶叫。

 もはや「良き父親」の顔はどこにもない。

 そこにあるのは、獲物を横取りされた捕食者の怒りと、プライドを粉々にされた支配者の屈辱だけだった。

 

「よくも……よくも私から奪ったな……!

 私の娘を! 私の研究材料を! 私の『永遠』の為の駒たちを!!」

 

 ヴィクラムは窓枠を叩き割り、東の砂漠――サントーン・カーシャヘルの方角を睨みつけた。

 

「いいだろう……。望み通り、行ってやる。

 もはや計算も計画も必要ない。

 ……灰にしてやる。あの遺跡ごと、貴様を二度と再生できぬほどに消滅させてやる……!」

 

 彼は荷物をひったくり、ミツキたちを探すことすらせず、単身、宿を飛び出した。

 

 彼に残されたのは、孤独と狂気。

 

 ラーヴァナの目論見通り、ヴィクラムは「守るべきものを持つ父親」としてではなく、「全てを奪われた復讐鬼」として、死の砂漠へと足を踏み入れたのだった。

 ――――――――

 

 アイン・アル・ハヤトの東。

 そこは『死の砂漠』と呼ばれる、生物の生存を拒絶する不毛の大地だ。

 強烈な砂嵐が視界を奪い、舞い上がる砂礫が肌を容赦なく打ち据える。

 だが、ヴィクラムは足を止めない。

 外套を砂風にはためかせ、まるで散歩でもするかのように悠然と、危険地帯の只中を歩いていた。

 その行く手を、異様な音が遮った。

 

 シャアァァッ……!

 

 砂丘の陰から、砂柱と共に巨大な影が躍り出た。

 馬車ほどもある巨大な蠍――『デス・スコーピオン』の群れだ。

 鋼鉄よりも硬い甲殻を持ち、猛毒の尾を振りかざす砂漠の捕食者たち。並の冒険者なら一匹で全滅するほどの脅威が、五匹、十匹と群がってくる。

 

 キシャァァァン!!

 

 先頭の一体が、毒針を振り上げ、ヴィクラムの首を刈り取ろうと飛びかかる。

 死の刃が迫る。

 だが、ヴィクラムは避けない。護身用の魔符アミュレットすら起動させない。

 

 ただ、懐から「黄金の十字架」――汚職司祭カシムから裏取引で譲り受けた、高純度の神力結晶を取り出し、冷徹に言い放った。

 

「――『ひれ伏せ』」

 

 ドォォォォォン!!

 直後、空間そのものが悲鳴を上げた。

 魔法の光ではない。天から巨大な見えない槌が振り下ろされたような、圧倒的な「重圧」が蠍の群れを襲ったのだ。

 

 グシャアッ!!

 

 飛びかかった蠍が、空中で叩き潰されたトマトのようにひしゃげ、砂地にめり込んだ。

 堅牢な甲殻が飴細工のように砕け散り、緑色の体液と肉片が撒き散らされる。

 

 それは魔法ではない。

 男性には扱えぬはずの神秘を、神への祈りすら省略し、純粋なエネルギーとして行使する教会の秘奥――『神力(御業)』による物理的干渉。

 

 本来なら修行を積んだ高位神官しか扱えぬそれを、ヴィクラムは道具と金、そして狂気で強引にねじ伏せて行使していた。

 

「ギ、ギギ……?」

 

 残った魔物たちが、本能的な恐怖に後ずさる。

 だが、ヴィクラムは歪んだ笑みを浮かべて一歩踏み出した。

 

「なんだ、貴様らもか?

 貴様らも、私の邪魔をするのか?」

 

 彼が十字架を握りしめると、黄金のオーラが毒々しく膨れ上がった。

 

「私の娘に会いたいだけなんだ。……邪魔をするなよ、虫ケラども」

 

 一閃。

 

 薙ぎ払われた腕と共に、黄金の波動が奔流となって砂漠を駆け抜けた。

 群がっていた蠍たちが、断末魔を上げる暇もなく挽肉へと変わり、爆散する。

 

 体液の雨が降る中、ヴィクラムはその残骸を踏みつけ、さらに奥へと進んでいく。

 その背中には、もはや理性的な研究者の面影は微塵もない。

 あるのはただ、目的のためなら神の力すら汚して使い潰す、一人の「怪物」の姿だけだった。

 

「待っていろ、セレスティア……。

 必ず迎えに行く。お前は……私の『永遠』の為の贄なのだから」

 

 砂嵐の向こう。

 蜃気楼のように揺らめく巨大な影――サントーン・カーシャヘルの遺跡を見据え、男は狂気の荒野へと消えていった。

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