第四話 預言とオーパーツ
アイン・アル・ハヤトでの朝は、穏やかな鳥のさえずりと共に始まった。
久しぶりに死の恐怖も、血の匂いもない、清潔なシーツの上で目を覚ましたミツキたちは、遅めの朝食を終え、宿の食堂で今後の予定について話し合っていた。
「……というわけでね。次の目的地『サントーン・カーシャヘル』へ向かうには、少々準備が必要なんだ」
地図を広げたヴィクラムが、神妙な面持ちで切り出した。
「あそこは『死の砂漠』と呼ばれる激しい砂嵐だけでなく、古代の特殊な防衛結界が今も作動している。安全なルートを特定し、結界を回避する術式を組むのに……そうだな、あと三日ほど時間をくれないか?」
「三日ですか。……まあ、急いで飛び込んで遭難するよりは賢明ね」
エリシェヴァが紅茶を飲みながら同意する。激戦続きだった一行にとって、この足止めは天の恵みのような休養になるだろう。
だが、ルークは騎士らしい鋭さでヴィクラムに問いかけた。
「しかし、ヴィクラム殿。奥方様の手がかりを探すためとはいえ、これだけの危険を冒してまで、なぜその遺跡へ? 何か確証があるのですか?」
その問いに対し、ヴィクラムは一度言葉を切り、隣に座る娘――セレスティアを悲しげに見つめた。
「……実は、妻のことだけではないんだ。セレスティアのためにも、どうしてもあそこへ行かねばならない理由がある」
「私のため……ですか?」
「ああ。……皆、覚えているかい? カラート・シャムスでの戦いの折、ムルガン殿が仰っていたことを」
ヴィクラムの言葉に、ミツキはハッとして記憶を手繰り寄せた。
「ムルガン殿は、娘の『無敵』の権能が、魔王ラーヴァナに由来するものだと断言された。神話級の英霊である彼が言うのだ、間違いはないだろう」
ヴィクラムは地図上の「サントーン・カーシャヘル」を指差した。
「だとしたら、その力の謎を解く鍵は、ラーヴァナの領地にあるはずだ。
サントーン・カーシャヘルは、かつて文明の魔王が支配した都。そこには今も、ラーヴァナの遺した古代の研究施設や、失われた叡智が眠っているという」
「なるほど……。力の源流である場所に行けば、制御の手がかりが見つかるかもしれない、ということですね」
ルークが納得したように頷く。
「その通りだ。……あの力は、今の未熟な彼女には過ぎた力だ。今はまだ無意識に発動しているだけだが、もし次に感情が昂ぶり、力が暴走すればどうなるか」
ヴィクラムは娘の手を強く握りしめた。
「彼女自身の精神が崩壊するか、あるいは周囲を巻き込んで自滅してしまうかもしれない。
……だが、ラーヴァナの叡智が眠るその遺跡なら、過剰な力を安全に制御し、封印する方法がきっと見つかるはずなんだ」
父としての切実な願い、そしてムルガンの言葉という裏付け。
それを聞いた瞬間、ルークの瞳に迷いが消えた。
「……承知いたしました。主君の御息女の御身に関わるとなれば、騎士として見過ごすわけにはいきません。地獄の果てだろうと、御供いたします」
「私もだよ! セレスティアさんが苦しまないようにするためなら、絶対に行く!」
ミツキも拳を握りしめる。
こうして、一行の目的地は単なる遺跡探索から、「セレスティアを救うための希望の地」へと塗り替えられた。
「ありがとう……。私は部屋に篭って解析作業を進めるよ。皆は、出発までの間、ゆっくり休んでいてくれ」
ヴィクラムは感謝の言葉を述べつつ、大量の資料を抱えて部屋へと戻っていった。
その背中を見送った後、ミツキは湿っぽくなった空気を変えるようにパンと手を叩いた。
「よーし! それじゃあヴィクラムさんの準備ができるまで、みんなで街に出かけよう!
思い詰めちゃダメ。元気を出して、笑って過ごすのも薬になるんだから!」
「そうですね……! ありがとうございます、ミツキさん!」
セレスティアも、不安を振り払うように笑顔を見せた。
こうして、女性陣五人による、アイン・アル・ハヤト散策が始まった。
――――――
一行がまず向かったのは、街の北側に広がる巨大なオアシス――『生命の湖』だった。
かつて宿の女将が語っていた伝説の湖だ。
「うわぁ……きれい……!」
ライラが感嘆の声を上げる。
砂漠のど真ん中とは思えない、透き通った青い水面。
岸辺にはナツメヤシの木々が青々と茂り、水面には真昼の太陽が宝石のように煌めいている。砂塵に塗れた世界から切り離されたような楽園の光景だった。
「凄く綺麗……入ってみましょう」
エリシェヴァが水面に指を浸す。
ひんやりとした水は、乾いた風に吹かれた肌に心地よかった。
「あはは! 冷たくて気持ちいい!」
ミツキは靴と靴下を脱ぎ捨て、浅瀬に飛び込んだ。水しぶきが上がり、光の粒となって散る。
つられてライラとセレスティアも、裾をまくり上げて水に入った。
「こら、あまりはしゃぎ過ぎると濡れるぞ……うわっ!?」
岸辺で腕を組んで見ていたルークに、ミツキが水を掛けた。
「ルークも来なよ! 警戒なんてしなくていいから!」
「そ、そうですよルーク! 一緒に遊びましょう!」
セレスティアに手を取られ、ルークは観念したように苦笑し、ブーツを脱いで水に入った。
無骨な騎士も、予言の魔女も、亡国の姫も関係ない。そこにあるのは、ただの水遊びにはしゃぐ少女たちの姿だった。
湖畔の木陰で涼み、ナツメヤシの実を齧りながら、彼女たちは他愛のない話に花を咲かせた。
恋の話、好きな食べ物の話、それぞれの故郷の話。
戦いの日々で忘れていた「当たり前の幸せ」が、そこにはあった。
――――――
昼過ぎ、一行は湖を後にして、活気あふれる市場へと足を運んだ。
今回の目当ては、煌びやかな露店に並ぶアクセサリーだ。
「わあ……! いっぱいある!」
色とりどりの天然石や、繊細な銀細工が所狭しと並べられている。
ミツキたちは目を輝かせ、あれでもないこれでもないと品定めを始めた。
「見て見てルーク! この銀のバングル、かっこよくない? 彫金がすごく細かいの!」
「こっちの首飾りも素敵ですよ。砂漠の薔薇の石が入っているそうです」
「む……僕は装飾品などあまり……剣の邪魔になるし」
ルークは困った顔で後ずさりしたが、セレスティアに上目遣いで見つめられると弱かった。
「あの、ルーク。……みんなで、お揃いにしませんか?」
「お揃い……か?」
「はい。旅の思い出に、お守りとして」
その言葉に、ルークの表情がふっと緩んだ。
結局、全員で色違いの組紐と銀細工のブレスレットを買い、互いの腕につけ合って笑い合う。
ルークの無骨な鎧の手甲の下に、小さな飾りが一つ増えた。彼女はそれを愛おしそうに指でなぞり、照れくさそうに鼻をこすった。
買い物を終え、両手に果物やお菓子を抱えて宿へ戻ろうとした時だった。
路地裏に、古びた天幕を張った『占い屋』があるのをミツキは見つけた。
「あ、占いだって! 有名なのかな? 行ってみない?」
好奇心に誘われ、五人は薄暗いテントの中へと入った。
中には、顔を厚いベールで隠した盲目の老婆が一人、水晶玉の前に座っていた。
老婆はミツキたちが入ってきた気配を感じると、しわがれた声で笑った。
「……ふぉっふぉ。珍しい客が来たねぇ。死線を越えた魂の匂いがプンプンするよ」
ルークが警戒して剣の柄に手をかけるが、老婆は気にせず手招きした。
「せっかくだ、一人ずつ見てやろうかね。代金はいらんよ、冥土の土産だ」
「えっ……? め、冥土の土産ぇ!?」
ライラが素っ頓狂な声を上げた。
「ちょっとお婆さん! 縁起でもないこと言わないでよ! 私たち、これから死ぬみたいじゃない!」
「……随分な言い草だな。僕達は死にに行くわけではない」
ルークとミツキが不快げに眉をひそめるが、老婆は「カカッ」と喉を鳴らして笑うだけで、取り合おうとしない。
その不気味な迫力に、ミツキたちは毒気を抜かれたように押し黙ってしまった。
まずはライラ。「食い意地が張っておる。腹を壊す相が出ているから、食い過ぎに気をつけな」と言われ、全員が吹き出した。ライラは「えぇー!?」と本気でショックを受けている。
次にルーク。「堅い殻を破らねば、大事なものを守れぬよ。……あと、あんた『女難の相』が出てるねぇ。周りの女に振り回される運命さ」
と言われ、ルークは顔を真っ赤にして「なっ、じょ、女難だと……!?」と絶句した。ミツキとエリシェヴァは「当たってる」と腹を抱えて笑った。
そして、最後にセレスティアの番になった時。
老婆の雰囲気が、ふっと変わった。場の空気が冷たく張り詰める。
「……お嬢ちゃん。あんた、迷子だね」
「え?」
「自分が何者か、どこへ行くべきか探している。……東へ行きなさい。『死の砂漠』の彼方に、お前さんが探している答えと……『理の外れた扉』がある」
「理の外れた……扉……ですか?」
セレスティアの心臓が早鐘を打つ。
なぜだろう。その言葉を聞いた瞬間、背筋に冷たいものが走った気がした。
老婆は最後に、全員に向けて低く、呪詛のような声で告げた。
「……だが、心して行きなされ。
『最も親しき笑顔』に気をつけな。光が強ければ強いほど、その足元に落ちる影もまた……濃く、深いものだよ」
その不吉な予言は、テントを出た後も、砂のように胸にざらりと残った。
――――――――
占いの帰り道。
少ししんみりしてしまった空気を変えようと、ミツキが何か話題を探していた時だった。
市場の片隅にある、他の華やかな店とは違う、ガラクタを並べた露店に目が止まった。
「……ん? あれ、何だろう」
看板には『東方の秘宝』とある。店主が「サントーン・カーシャヘルの方から流れてきた古代の遺物だよ」と説明してくれた木箱の中身。
それを覗き込んだミツキは、凍りついた。
「これ……」
彼女が震える手で拾い上げたのは、手のひらサイズの緑色の板。
表面には幾何学的な金色のラインが走り、裏には黒いチップがいくつも付いている。
(これって……電子基板(プリント基板)……!?)
ミツキは目を疑った。
魔力で動く魔導回路などではない。かつてミツキがいた世界で当たり前に使われていた、電気で動く工業製品そのものに見える。
さらに隣には、透明な破片があった。ガラスでも水晶でもない、軽くて硬い質感。
(これは……プラスチック(合成樹脂)?)
「……おじさん。これ、本当に東の砂漠から?」
「ああ、そうだよ。不思議な素材だろう? 叩いても割れんし、軽いんだ」
ミツキの中で、老婆の予言と、目の前のオーパーツが繋がり、ひとつの確信に近い恐怖へと変わった。
(『理の外れた扉』……。サントーン・カーシャヘルには、この世界にあるはずのない『何か』がある)
魔法と剣の世界に、なぜ電子回路やプラスチックがあるのか。
『文明の魔王』ラーヴァナ。彼の持つ力は、ただの魔法ではないのか。
そこにあるのは、古代の叡智などという生易しいものではなく――ミツキが知る「科学」の成れの果てかもしれない。
「ミツキ? どうしたの、怖い顔して」
ライラに声をかけられ、ミツキはハッとして基板を戻した。
「う、ううん! なんでもない!」
笑顔で誤魔化したが、その胸には言い知れぬ違和感が刻まれた。
宿で待つヴィクラム――「最も親しき笑顔」を持つ男の元へ、一行は戻っていった。




