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第二十五話 彼岸花の火葬場

※今回かなりの自殺および死体描写を含みますご注意下さい

 ミツキは、街一番の高台にある展望台に立っていた。

 ここはかつて、ヒナタと二人で来た場所だ。

 テスト勉強の帰り道、「息抜きしに行こう」と自転車を走らせ、二人でアイスを食べながらこの景色を見た。

 

『すっごーい! キラキラしてる! 宝石箱みたいだね!』

 

『ふふ、大げさだよヒナタ』

 

『えー、綺麗じゃん! 将来、彼氏と来る予定だったけど、ミツキと一番最初に見れてよかったかも』

 

 あの時、ヒナタはそう言って笑っていた。

 この場所には、温かい記憶と、未来への希望があったはずだった。

 けれど今、フェンス越しに見下ろすその景色は、まるで違って見えた。

 

「……汚い」

 

 眼下に広がる街の灯り。

 無数に輝くネオンサイン、車のヘッドライト、家々の窓明かり。

 それら全てが、ただの「醜い光の粒」にしか見えなかった。

 あの一つ一つに、母親のような人間や、事なかれ主義の父親や、責任逃れをする大人たちが生息している。

 嘘と、欺瞞と、理不尽で塗り固められた、腐った世界。

 

『ミツキ、どこにいるの? 塾の時間よ』

 

『早く帰ってきなさい。あなたの将来のためなのよ』

 

 ポケットの中で、母親から奪い返したスマホが何度も震えている。

 通知画面には、「お母さん」の文字と、大量の着信履歴。

 まるで首輪を引く飼い主のように、しつこく、粘着質に。

 

「……うるさいなぁ」

 

 ミツキはスマホを握りしめると、フェンスの外に向かって力一杯投げ捨てた。

 ヒュン、という風切り音。

 小さな光る板は、暗闇の中へと吸い込まれ、二度と戻ってはこなかった。

 

「あ……」

 

 スマホが手から離れた瞬間、体が少し軽くなった気がした。

 ああ、そうか。

 私も、あれと同じになればいいんだ。

 ミツキはゆっくりと、錆びついたフェンスに足をかけた。

 スカートが風に煽られ、バタバタと激しい音を立てる。

 高さは十分だ。ここから落ちれば、痛みを感じる暇もなく、肉塊になれるだろう。ヒナタと同じように。

 フェンスを乗り越え、コンクリートの縁に立つ。

 つま先の下は、断崖絶壁の闇。

 強風が、ミツキの背中を「早く行け」と押してくるようだった。

 

「……お母さん」

 

 誰に聞かせるわけでもなく、ミツキは夜空に向かって呟いた。

 

「――私の人生は、あなたの飾り物じゃない。あなたが望む『幸せ』なんて、全部ゴミ箱に捨ててやる」

 

 これが、私にできる唯一の復讐。

 あなたが手塩にかけて育てた「最高傑作」を、私の意志で破壊すること。

 

 目を閉じる。

 

 瞼の裏に、ヒナタの笑顔が浮かんだ。

 ごめんね、ヒナタ。痛かったよね。怖かったよね。

 今、そっちに行くから。

 

「――さようなら」

 

 ミツキは、重力に身を委ねた。

 ふわり、と足が地を離れる。

 内臓が浮き上がるような浮遊感。

 直後、強烈な風圧が全身を叩き、景色が高速で上へと流れていく。

 走馬灯なんて見えなかった。

 ただ、急速に迫り来るコンクリートの地面と、醜い街の光だけが目に焼き付き――。

 

 ドンッ!!

 

 鈍く、重たい衝撃と共に、神崎美月の世界は、永遠の闇に閉ざされた。

 

 

 ――――――


 

(……痛く、ない?)

 

 コンクリートに叩きつけられ、肉塊になったはずの身体に、痛みはなかった。

 全身を包み込んでいるのは、あの夜の冷たい雨風ではない。

 どこか懐かしく、そして鼻の奥が痺れるような、濃密な甘い花の香りだった。

 ミツキはゆっくりと、重たいまぶたを押し上げた。

 

「……ここは……」

 

 視界を埋め尽くしていたのは、大きな黒い大木と、燃えるような紅蓮。

 地平線の彼方まで続く、一面の彼岸花畑だった。

 

 空を見上げれば、夜空に沢山の泡のようなものが煌めいている。

 その幻想的な光景を見た瞬間、ミツキの脳裏にかかっていた霧が晴れた。

 

(ああ……そっか。今のは、夢……ううん、私の『生前の記憶』だったんだ)

 

 身体を起こし、自分の手を見る。

 そこには、泥も血もついていない。白い法衣の袖から伸びる、傷一つない綺麗な指先。

 そうだ。私はあの時、展望台から飛び降りて死んだ。

 本来ならば、自ら命を絶つという「禁忌」を犯した私の魂は、異世界に転生どころか天上界の神々によって裁かれ、永遠の虚無へと消滅させられるはずだった。

 

 けれど、私を拾ってくれた人がいた。

 

『自ら命を絶った者は、輪廻の輪からも外され、虚無へ還される……か。――相変わらずあの天上神共やつらの考える『法』とやらは、反吐が出るわ』

 

 暗闇の中で、不機嫌そうに吐き捨てられた言葉。

 恐怖に震えて顔を上げると、そこには闇の中で月のように輝く「黄金の瞳」があった。

 

 長い黒髪に褐色の肌、整った青年の容姿。

 けれど、その口調と纏う気配は、悠久の時を生きる賢者のように深く、そしてどこか怒りを孕んでいた。

 それが「おきな」だった。

 

『哀れな子よ。よほど辛かったのであろう。……泣かなくて良い。お主は何も悪くないのだから』

 

 彼は、神々の裁きから私の魂を掠め取り、自身の領域であるこの世界へと匿ってくれたのだ。

 そして、何も持たない無力な私に、戦う術を、魔法を、そして生きる意味を与えてくれた。

 

『もう二度と、理不尽に奪われぬように。お主の手で、神にさえ抗えるようになれ』

 

 ここは、私にとっての「学校」であり「揺り籠」だった場所。

 来る日も来る日も、この花畑で翁様と修行をし、転生者(翁の巫女)としての力を磨いた。

 

 すべては、異世界に転生し、ヒナタのような理不尽な死を迎える人々を救うために。

 

(懐かしいな……。翁、元気にしてるかな)

 

 ウリエルとの戦いで極限状態になり、意識が飛んでしまったのだろうか。

 気づけば、一番安心できるこの場所に帰ってきていた。

 風が吹き、無数の赤い花弁がざわざわと揺れる。

 その音は、まるでミツキの帰還を歓迎する拍手のようにも聞こえた。

 

 ここなら大丈夫。

 

 あんな酷い母親も、事なかれ主義の父親もいない。

 私を導いてくれる、優しい師匠がいる場所なのだから。

 ミツキは張り詰めていた糸が切れたように、安堵の息を吐き出した。


 「……?」

 

 ふと、ミツキは違和感を覚えた。

 鼻をくすぐる甘い花の香り。その奥に、何かが混じっている気がしたのだ。

 

 それは、真夏のゴミ捨て場のような、あるいは古びた鉄の扉を開けた時のような――鼻の奥に粘りつく、強烈な腐臭と鉄錆の匂い。

 

(おかしいな。ここには、花しかないはずなのに)

 

 ミツキは首を傾げ、足元の美しい彼岸花を覗き込んだ。

 燃えるような赤。繊細な花弁。すらりと伸びた茎。

 愛おしさを感じて、その花に触れようと手を伸ばした、その時だった。

 

 ザザッ……!!

 

 視界に、砂嵐のような激しいノイズが走った。

 まるで、壊れかけた映像機器が、無理やり正常な信号を受信させられたかのように。

 

 頭の奥で「パチン」と何かが弾ける音がして、ミツキの脳にかかっていた『認識のフィルター』が、ベリベリと音を立てて剥がれ落ちていく。

 

「……あ、れ?」

 

 ミツキの手が触れていたもの。

 それは、花びらではなかった。

 ぬるりとした感触。

 

 地面から突き出していたのは、茎ではなく――無数の人間の「手」だった。

 赤く見えていたのは花の色ではない。

 千切れた血管から噴き出し、酸化して黒ずんだ血液と、べっとりと絡みついた濡れた髪の毛。

 

「ひ、っ……!?」

 

 ミツキは弾かれたように手を引っ込める。

 後ずさりしようとした足元が、グチャリと何か柔らかいものを踏み潰した。

 

 土ではない。

 

 それは、腐敗してガスが溜まった、人間の腹部の感触だった。

 

「な、なに……これ……」


 震える視線で周囲を見渡す。

 地平線まで続く美しい花畑だと思っていたもの。

 

 その正体は――見渡す限りの、死体の山だった。

 

 何千、何万という女性たちの遺体が、ゴミのように積み上げられ、腐り、折り重なっている。

 そのどれもが、五体のどこかを欠損し、苦悶の表情を浮かべて絶命していた。

 

「あ……あぁ……」

 

 その山の中に、見覚えのある顔があった。

 頭部がひしゃげ、眼球が飛び出し、全身の骨が砕けてボロ雑巾のようになった少女。

 

 ――ヒナタ。

 

 胸を浄化官の矢で貫かれ、血塗れになりながらも、何かを叫ぶように口を開けている魔女。

 

 ――アーリヤ。

 

 他にも、女神のように美しい顔立ちをした女性たちが、首を斬られ、胸を貫かれ、身体を焼かれ無惨な肉塊となって転がっている。

 

 ここは花畑などではない。

 

 かつて天上神によって惨殺された女神や、理不尽な魔女狩りで殺された者たちが廃棄された、巨大な「死体捨て場」だったのだ。

 

 ズリ……ズリ……。

 

 死体の山を踏みしめて、誰かが近づいてくる音がする。

 重く、引きずるような足音。

 

「翁……?」

 

 ミツキは縋るようにその名を呼んだ。

 彼なら、この悪夢を覚ましてくれるはずだ。いつものように、凛とした姿で現れてくれるはずだ。

 そう信じて、振り向いた。

 

「――っ」

 

 喉が引きつり、声が出なかった。

 そこに立っていたのは、"いつもの翁"ではなかった。

 

 全身が、死体を焼いた時に出る白い「遺灰」と、どす黒い返り血で泥のように汚れきった、異形の姿。

 

 彼の右手には、引きちぎったばかりのような「神々の生首」が、髪の毛を掴んでぶら下げられている。その首は、苦痛に顔を歪めたまま、ポタポタと金色の血を滴らせていた。

 

 そして左手には、バラバラに切断された「女神の腕や足」が、まるで宝物か何かのように愛おしげに抱えられている。

 

「……あぅ……あ……」

 

  彼は焦点の合わない黄金の瞳で虚空を見つめ、ゆらゆらと体を揺らしていた。

 そして、ふらりと足元の死体の山に屈み込むと、腐敗しかけた肉片を拾い上げ、愛おしそうに頬ずりをした。

 

「……ああ、サリア。こんな所にいたのか。探したぞ……」

 

 翁は、炭化した頭蓋骨を拾い上げ、優しく灰を拭う。

 

「寒くはないか、ヴェルナ。……すまぬな、片足が見つからぬのだ。だが案ずるな、すぐに継いでやるからな……」

 

 彼は血にまみれた手で、千切れた他人の足を、頭蓋骨の下に無理やり押し当てようとしている。

 サイズも、色も、全く違う肉片同士を。

 

「……シューニャよ、泣くな。……イーシャよ、我が愛しき妻よ。……見ろ、お前たちを焼いた天上神の首だ。……殺したぞ。殺してやったぞ……」

 

 彼は周囲に転がる無数の死体を、かつて愛した女神たちの成れの果てだと思い込んでいるようだった。

 バラバラになった「愛するもの」をかき集め、繋ぎ合わせ、壊れたパズルを完成させようとする子供のような、無垢で残酷な狂気。

 

 その口元からは、理性のある言葉ではなく、壊れたうわ言だけが漏れ出している。

 

「……守らねば……もう、奪わせぬ……。我が愛し子らを……この手で……」

 

 ――狂気

 

 そこにいるのは、古き神でも威厳ある師匠ではない。

 ただ、復讐と喪失に心を食い尽くされ、死体と灰にまみれて彷徨う、狂った亡霊だった。

 翁の瞳が、ふらりとミツキを捉えた。

 

 その瞳には、かつて彼女を導いた理知的な光など微塵もない。

 あるのは、泥のように濁った哀しみと、底知れぬ狂気だけ。

 

「あ」

 

 翁が、よろめく足取りで近づいてくる。

 一歩進むたびに、足元の死体からグチャリ、グチャリと湿った音が響く。

 

「……おお……。そこにいたのか……」

 

 彼はミツキの目の前で立ち止まると、血と灰にまみれた手を震わせながら伸ばしてきた。

 その指先には、さっきまで弄っていた腐った肉片がこびりついている。

 

「……サリアか? それともヴェルナか……? ああ、可哀想に……。こんなに冷たくなって……」

 

 彼はミツキを、ミツキとして見ていなかった。

 天上神に殺され、バラバラにされた「愛し子」の亡霊を見ているのだ。

 翁の手が、ミツキの頬に触れる。

 氷のように冷たく、鉄錆の臭いがする手。

 けれど、その感触は――あの完璧な化粧をした母親の手よりも、ずっと優しかった。

 

「……怖かったであろう。痛かったであろう……」

 

 翁は、右手に持っていた「神々の生首」を放り投げると、空いた手でミツキを強く抱きしめた。

 左手に抱えた「女神の腕」と一緒に。

 

 ギュッ、と。

 

 ミツキの顔が、翁の胸に押し付けられる。

 鼻孔を満たすのは、むせ返るような死臭と、腐乱した肉の甘ったるい悪臭。

 白い法衣が、翁の体に付着したドス黒い血と脂で汚れていく。

 

 普通なら、悲鳴を上げて逃げ出すような地獄絵図。

 しかし――ミツキの体から、ふっと力が抜けた。

 

(ああ……なんて、温かいんだろう)

 

 この人は狂っている。

 ここは、死体が積み上げられた火葬場だ。

 けれど、だからこそ。

 

 「美しい嘘」で塗り固められた現実世界あっちよりも、死体と灰と狂気でできたこの地獄こっちの方が、今のミツキには何倍も「清浄」に感じられた。

 

 ここは火葬場。世界で一番、死に近い場所。

 だからこそ、死にたがりの私にとって、ここ以上に安心できる「揺り籠」はないのだ。

 

「……もう、離さぬぞ。……二度と、あやつらには奪わせぬ……。私が……守ってやるからな……」

 

 耳元で囁かれる、壊れた愛の言葉。

 ミツキは、その狂った神の腕の中で、とろけるような安らぎを覚えた。

 

「……はい」

 

 ミツキは、泥と血にまみれた翁の背中に腕を回し、子供のように頬を擦り寄せる。

 

「……おやすみなさい、お父様」

 

 彼女は安らかな笑みを浮かべて、ゆっくりと瞳を閉じた。

 意識が、深い闇へと溶けていった。

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