第一話 ヴァルハラ
―ヴァルハラにネファスの魔女がいる。彼女を救い、シギルを手に入れなさい。
要塞都市ヴァルハラの城壁は、鉄と石が織りなす無骨な巨体だった。そびえる塔の影が朝日を浴びて長く地面に伸び、埃っぽい街道を照らす。ミツキとエリシェヴァは旅装束に身を包み、城門をくぐった。ミツキの赤いドレスは砂埃に薄く汚れ、紅いツバキの髪飾りが朝光にきらめく。エリシェヴァはフードを深くかぶり、教会の監視を警戒するように周囲を見回す。聖レクス市の火刑台から逃げ延びて数日、疲れが二人の肩に重くのしかかっていた。
「ねえ、ミツキ、本当にここでいいの?」
エリシェヴァが尋ねる。
「うん、翁が『ヴァルハラに次の魔女がいる』ってさ。」
ミツキが軽く言う。エリシェヴァの足が止まる。
「翁って、誰? ベルゼブブ様も知っているみたいだけど…」
「うーん、説明難しいけど…夢で私を導く、すっごく古い神様なの。シギルを集めて魔女や少女たちを苦しめるアダムスや教会を倒し、救うのが私の使命なんだ。細かいことは私も知らないけど、信じてくれる?」
ミツキは笑う。
エリシェヴァは聖レクス市の裏切りを思い出し、頷く。
「…ミツキが私を救ってくれた。だから、信じるよ。」
「ありがとう! 次の魔女も一緒に救おうね!」
ミツキは彼女の手を握る。
二人は城壁内の喧騒を抜け、酒場「鉄槌の炉」へ向かった。木と鉄でできた扉を押し開けると、酒と汗、焼いた肉の匂いが鼻をつく。店内は傭兵や騎士、商人でごった返し、壁にはギルドの鉄槌紋章の旗が掲げられ、紋章が刻まれた鎧の騎士がカウンターに立つ。
木のテーブルに座る男たちの声が響き合い、剣の鞘が床を叩く。ミツキはスープ、黒パン、ステーキや樹の実のデザートなどを注文し、エリシェヴァと窓際の席に腰を下ろす。
窓から見える市場では、鍛冶屋の火花が飛び、騎士団の巡回兵が馬車の間を歩く。
市場の掲示板には高額な魔物討伐の依頼が貼られ、聖レクス市のような教会の神官は見当たらない。
「そんなに頼んで…お金、大丈夫なの?」
エリシェヴァが不安げに尋ねる。
「大丈夫! 魔物の討伐報酬がたっぷりあるから心配ないよ。ほら、食べて元気出して!」
ミツキは笑う。
エリシェヴァが小さく微笑む。
「ここ、聖レクス市と全然違う…教会の影がないから、なんだか落ち着く。」
「戦士の街だからね。ギルドと騎士団が仕切ってる。翁の言った『ネファスの魔女』もここなら隠れやすいはず。」
「……その、翁の言う『ネファスの魔女』って、普通の魔女と何が違うの?」
エリシェヴァがスプーンを止め、首をかしげる。
ミツキはパンをかじりながら、人差し指を立てて説明した。
「契約相手の『格』が違うんだって。普通の魔女は『悪魔』と契約するけど、ネファスの魔女は悪魔の頂点に立つ『魔王』と契約した特別な魔女のこと。」
ミツキはエリシェヴァを指差してウィンクする。
「つまり、魔王ベルゼブブと契約したエリシェヴァも、その一人なんだよ。」
「私……も?」
エリシェヴァが驚いたように目を丸くする。
「そう。だから今回探してる子も、エリシェヴァみたいに強力な魔王の力を秘めてるはずなんだ。」
ミツキはスプーンを手に、隣のテーブルの会話を耳に傾ける。
「…最近、魔物の襲撃が増えてるってよ。」
革鎧の傭兵がビールを傾けながら声を潜める。
「牙狼やワイバーンまで出て、商隊が全滅したって話だ。教会の浄化官も動いてるが、追いつかねえ。」
騎士らしい長剣の男が唸る。
「ワイバーンだと? あの炎を吐くやつだろ。」
「それが、普通の炎じゃねえんだ。聖水でも消せねえ、城壁の石すら溶かす業火だぜ。浄化官の聖剣すら折れたって話だ。」
傭兵が顔を歪める。
「何だか、とても大変そうね…」
エリシェヴァが顔を曇らせる。
ミツキが聞き耳を立てるが、戦士たちの話題は謎のワイバーンと、魔物の大量発生の事で持ちきりだった。
「ネファスの魔女についての情報は、ここじゃ得られなさそうだね。」
ミツキがスプーンを置いた瞬間、遠くで低く唸るような音が響いた。酒場の喧騒が一瞬静まり、窓の外で馬が嘶く。傭兵が剣を握り、商人が荷物を抱える。テーブルがガタリと揺れ、客の叫び声が上がる。エリシェヴァが顔を上げる。
「…何? この音…」
ミツキは胸のシギルを握り、熱い脈動が胸を突く。
「何か来る…炎の魔物の気配がする。」
その瞬間、酒場の外で警報の鐘が鳴り響き、客たちが一斉に立ち上がる。
「ワイバーンだ! 街が襲われてる!」
ミツキとエリシェヴァは顔を見合わせ、外へと飛び出した。
空が赤く燃える。警報の鐘が鳴り響き、市場の喧騒は叫び声と馬の嘶きに変わった。
ミツキとエリシェヴァは酒場「鉄槌の炉」から飛び出し、石畳の通りへ駆ける。空を覆う黒い影――ワイバーンだ。
鱗に覆われた巨体が翼を広げ、咆哮と共に炎を吐く。
酒場の噂通り、その炎は異常だった。聖水が蒸発し、石造りの屋根が溶け落ちる。赤黒い煙が立ち上り、異様な熱が市場を包む。ギルドの戦士たちが叫びながら後退し、騎士団の槍が折れる。
「ミツキ、あれ…!」
エリシェヴァが緑の瞳を震わせ、ワイバーンを指す。炎が屋台を飲み込み、焦げた臭いが鼻をつく。ミツキは胸のベルゼブブのシギルを握る。熱い脈動が警告を発する。
「この炎…ただの魔物じゃない。なんかヤバいよ。」
彼女は剣を構え、エリシェヴァに叫ぶ。
「私が時間を稼ぐ! エリシェヴァ、癒しの魔法で街の人を助けて!」
エリシェヴァが頷くが、声が震える。
「…でも、ミツキ、危ないよ! 聖レクス市みたいに、私…」
ミツキは彼女の手を握る。
「大丈夫、私には翁の権能がある。エリシェヴァは人を救う力があるでしょ? 信じて!」
エリシェヴァは唇を噛み、青い光を手に集め、市場の負傷した子供に癒しの魔法をかける。ミツキはワイバーンに向かって走る。炎が石畳を焦がし、熱風が赤いドレスとツバキの髪飾りを揺らす。
戦士や騎士団がワイバーンに挑むが、異常な炎に阻まれ次々と倒れる。ギルドの紋章が刻まれた鎧が溶け、騎士の聖剣が折れる。
「聖水が効かねえ!」
「城壁が溶けてるぞ!」
叫び声が響く中、ミツキは翁の権能の一部を解放。赤い光が剣に宿り、ワイバーンの鱗を斬ろうとするが、炎の壁に弾かれる。
「くっ…この炎、強すぎる!」
彼女は歯を食いしばり、権能をもう一段階引き上げようとする。
その瞬間、鋭い風切り音が空を裂いた。銀色の閃光がワイバーンの首を貫き、巨体が石畳に叩きつけられる。
市場の塵が舞い、群衆が息をのむ。ミツキが振り返ると、そこには銀髪の女騎士が立っていた。
右目を黒い眼帯で覆い、革と鋼の軽鎧に身を包む。腰の長剣は血と炎に濡れ、冷たい青い瞳が戦場を見据える。彼女の背後で、ワイバーンの首が転がり、赤黒い煙が立ち上る。
「…誰?」
エリシェヴァが呟き、癒しの魔法をかけながら見つめる。ミツキの目が光る。
「あれは…!」
ベルゼブブから貰ったシギルが共鳴し、胸に熱い脈動が走る。女騎士は動揺する戦士たちを一瞥し、低く告げる。
「邪魔だ。どけ。」
彼女はもう一頭のワイバーンに向かい、剣を抜く。
その瞬間、黒いオーラが爆発し、市場の石畳が砕ける。剣が空を切り、空間が歪むような一閃がワイバーンの翼を両断。炎が彼女を包むが、黒いオーラが業火を押し返す。群衆が叫び、戦士たちが後退する中、彼女は一気に距離を詰める。
ワイバーンが咆哮し、赤黒い炎を吐く。城壁が溶け、熱風が市場を焦がす。だが、女騎士は動じず、剣に黒いオーラを纏わせる。
「無駄だ。」
彼女の声は氷のように冷たい。一振りで炎が裂け、二振りでワイバーンの胸が貫かれる。黒いオーラが爆ぜ、ワイバーンの鱗が粉々に砕ける。
女騎士は跳躍し、剣を振り下ろす。巨大な剣閃が空を切り、ワイバーンを真っ二つに。衝撃波が市場を揺らし、屋台が倒れ、群衆が地面に伏せる。業火が消え、赤黒い煙だけが漂う。
女騎士は剣を振り、血と炎を払う。銀髪が風に揺れ、隻眼が冷たく輝く。
「す、すごい…!」
ミツキが目を丸くする。戦士や騎士団が束になっても倒せなかったワイバーンを、一瞬で屠った。彼女の剣から滴る血が石畳を染め、黒いオーラが静かに収まる。ミツキはシギルの共鳴を感じ、確信する。
(あの子…ネファスの魔女だ! 翁の言ってた『戦争』の魔女だ!)
「あ、あのっ!」
女騎士は振り返り、ミツキを見つめる。
「…君は?何か用?」
声は剣のように鋭い。ミツキは怯まず笑う。
「用ってほどじゃないけど、さっきの戦い、凄くカッコよかったなって ! 名前は?」
「…ルーク。」
女騎士は答える。
「ルークっていうんだ。私はミツキ、この子はエリシェヴァって言うの。私達と一緒に…。」
「あまり僕に関わらない方が良い。戦いは一人でいい。」
彼女は剣を鞘に収め、焼け焦げた市場を無視して歩き去る。エリシェヴァがミツキの袖を引く。
「…ミツキ、あの人、なんか冷たいね。本当に翁の言うネファスの魔女なの?」
ミツキは頷く。
「絶対そうだよ。シギルが共鳴したもん。魔女の力、感じたでしょ?」
黒煙が漂う市場に、ルークの足音だけが響いていた。
ミツキとエリシェヴァは、その背中をただ見つめる。
やがて“戦争の魔女”と呼ばれる彼女が、この旅路に加わることを信じて。
ここから2章スタートです。
少しでも面白いと感じたら、ブクマや感想で応援してもらえると嬉しいです




