第二十一話 対ウリエル戦
「……あ……ああ……」
智天使ウリエルは、虚空を見つめながら、うわ言のように呟いていた。
「太陽が……ない。なぜだ……なぜ昇らぬ……。これでは……穢れが……焼き払えぬ……天上神様達の命が……遂行できない……」
その声は美しい鈴の音のようだったが、まるで壊れたレコードのように同じ言葉を繰り返している。
地下から現れたミツキたちに気づくと、彼はゆっくりと顔を向けた。
その黄金の瞳は、焦点が合っていないかのように虚ろで、それでいて底知れぬ執着に満ちていた。
「……あ。……翁の巫女」
ウリエルが口元を歪める。それは笑みのようであり、痙攣のようでもあった。
「穢れだ。……穢れ達が這い出してきた。……排除しなければ。……排除して、秩序を……太陽を……取り戻さなければ……」
ゆらり、とウリエルが立ち上がる。
その挙動は、糸の切れた操り人形が無理やり動いているかのように不気味だった。
「……どうして……? なんだか様子がおかしいよ……」
ミツキは背筋に冷たいものが這い上がるのを感じ、身震いした。
アダムスのような「傲慢な強者」ではない。
目の前にいるのは、ただ「役割」のみに食い尽くされ、心も言葉も通じなくなってしまった「何か」だった。
その虚無感が、生理的な恐怖となって襲いかかってくる。
「……壊れているのか?」
ルークが嫌悪感を露わに吐き捨てる。
「だが、好機だ。見ろ、あの翼……傷が完全に塞がっていない。あそこまで損傷していれば、万全の出力は出せないはずだ」
「ええ……!」
ロクサーナが杖を構える。
もしウリエルが無傷であれば、この距離で対峙した瞬間に蒸発させられていただろう。先ほどの「魔力の衝突」が、彼をここまで追い詰めてくれたのだ。
「……来るわよ!」
ロクサーナの叫びと同時だった。
ウリエルが、無造作に腕を振り上げた。
「消えろ……消えろ消えろ消えろぉッ!!」
もはや詠唱すらなかった。
背後に展開された天使文字で書かれた魔法陣から、感情任せに放たれた光の奔流が、津波のように押し寄せる。
「セレスティア!」
「はいっ!!」
セレスティアが前に飛び出し、両手を広げる。
キンッ、ガガガガガッ!!
見えない「無敵」の壁が光の雨を弾く。だが、その衝撃は凄まじく、セレスティアの足が地面にめり込む。
「くっ……! お、重い……! 弱っていても、これなの……!?」
「防御……? なぜだ……なぜ消えぬ……?」
ウリエルは首をカクカクと傾げ、苛立たしげに翼を広げた。
「まさか…魔王の……穢れごときが……神の浄化を……拒むなァァァッ!!」
絶叫と共に、残った五枚の翼が巨大な光の刃となって襲いかかる。
正確な狙いなどない。ただ、目の前の空間ごと削り取るような乱暴な攻撃。
「散開! まともに受けるな!」
ルークが叫び、ミツキたちは左右に散らばる。
アスタロトの魔力を纏った剣で光刃を弾くが、その威力にルークの手が痺れ、剣が欠ける。
(反応速度が落ちている……! これなら、当てられる!)
ロクサーナが杖を掲げ、パズズの紫煙を放つ。
「蝕め、疫病の風!」
紫色の瘴気がウリエルを包み込む。
傷ついた身体ならば、毒が回るはずだと踏んだのだ。
しかし、ウリエルは一瞥もしない。
「……痒いな。……不浄が」
カッと全身が発光し、瘴気ごとき一瞬で焼き尽くしてしまう。
逆にその光の余波を受けたロクサーナが、吹き飛ばされて壁に叩きつけられた。
「ぐあっ……! 半壊してなお、この魔力……!」
「ロクサーナさん!」
エリシェヴァが駆け寄ろうとするが、光の矢が足元を穿ち、動けない。
ミツキは時間停止の権能で時を止めると今度は「破壊の権能」を剣に込め、セレスティアの背後から飛び出した。
(今なら、隙がある!)
「そこだぁっ!」
ガギィィィン!!
剣がウリエルの肩口に食い込む。
だが、硬い。ディーヴァとの戦いで装甲が砕けている部分を狙ったはずなのに、骨に届く前に止められた。
ウリエルは、剣が刺さったことになど気づいていないかのように、ゆっくりとミツキの方を向いた。
「……問題なし」
至近距離から、目から熱線が放たれる。
ミツキは首を捻って紙一重で躱すが、頬を焼かれ、体勢を崩されたところに、裏拳が叩き込まれた。
「がはっ……!」
ミツキがボールのように吹き飛び、瓦礫の山に突っ込む。
全身に激痛が走る。視界が明滅する。
(つ、強い……! 弱ってるなんて嘘みたい……!)
ルークが血を流し、ロクサーナが倒れ、セレスティアが必死に皆を庇っているのが見えた。
全力を尽くしても、傷ついた天使一人に届かない。
「あは……あははは! そうだ、その調子だ……! 穢れは土に還れ!」
ウリエルは狂ったように笑いながら、頭上に巨大な光球――擬似太陽を生成し始めた。
この距離で放たれれば、無敵の壁ごと押し潰され、周囲の仲間もろとも蒸発する。
「これで…… これで……太陽が……戻る……!天上神様!………」
圧倒的な「死」の気配。
瓦礫の中で、ミツキの心が冷えていく。
「な、何事だ! 神殿が崩れているぞ!」
「光だ! ウリエル様の御光だ!」
その時だった。
神殿の外から、ざわめきと足音が近づいてくる。
アダムスが消えた後の混乱から立ち直りかけた神官兵たちが、神殿の異変を聞きつけて集まってきたのだ。
そして、その先頭に立っていたのは、煤と埃にまみれた神官長カシムだった。
「お、おのれ……! 私の神殿を……! よくもここまで……!」
カシムは崩れ落ちた天井と瓦礫の山を見て、顔を真っ赤にして震えている。
だが、すぐにその視線は、傷つき倒れているミツキたちと、圧倒的な力を振るうウリエルに向けられた。
「ウリエル様! ご無事でしたか!」
カシムは歓喜の声を上げ、這うように前へ出る。
「ご覧ください! アダムス猊下は敗れ、この街は危機に瀕しております! ですが、あなた様さえいれば……!」
カシムは、ウリエルの背後からミツキたちを指差し、勝ち誇ったように叫んだ。
「そやつらこそが元凶です! 翁の巫女に、天使殺しの異端者! まとめて焼き払ってください! そして、その『無敵』の力を持つ娘だけは生かして……!」
カシムの言葉に、神官兵たちも勢いづく。
数百の兵が、瓦礫の隙間から雪崩れ込み、ミツキたちを完全包囲した。
「終わったな、異端者ども」
カシムが歪んだ笑みを浮かべる。
前方には暴走する智天使。後方には数百の神官兵。そして、ミツキたちは満身創痍。
逃げ場など、どこにもなかった。
「……あ……あぁ……」
ウリエルは、カシムの声など聞こえていないようだった。
彼はただ、頭上の擬似太陽をさらに膨張させながら、虚ろな瞳で空を見上げていた。
「足りない……まだ足りない……。もっと……もっと燃やさなければ……」
その光熱は、敵味方の区別なく、神殿にいる全ての者を焼き尽くそうとしていた。
「ウ、ウリエル様……? 我らでございます、忠実なる下僕のカシムで……」
「……うるさい」
ウリエルの翼が、無造作にカシムたちの方へ向けられた。
「ひぃっ!?」
カシムの悲鳴と共に、光の雨が神官兵たちに降り注ぐ。
ミツキたちへの攻撃の余波ではない。明確な「掃除」としての攻撃。
「ぎゃあああああっ!!」
「な、なぜですかウリエル様ぁぁぁっ!!」
神官兵たちが次々と光に貫かれ、炎に包まれていく。
神殿は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄絵図と化した。
「 燃えろ!地上の穢れた命等 全て燃えて、清浄な灰となれ!天上神様の礎となるがいい!」
ウリエルは狂気的な笑い声を上げながら、無差別に光を撒き散らす。
もはや彼の中には「敵」も「味方」もない。あるのは「燃やすべき穢れ」だけ。
その圧倒的な暴力の嵐の中で、ミツキはただ呆然と立ち尽くしていた。
仲間たちが傷つき、神官兵たちが逃げ惑い、神殿が崩れ落ちていく。
その光景が、かつての記憶――無力だった自分の記憶と重なり、混ざり合い、どす黒い感情となって胸の奥から溢れ出してくる。
(こうなったら……もうこれを使うしか……)
ドクン、と胸の奥でパズズのシギルが跳ねた。
『狂気の権能』が、理性の防壁を溶かし、あふれ出す感情を暴力的な力へと変換していく。
「……ミツキ、何やって……まさか……ッ!」
最初にミツキの異変に気づいたのはロクサーナだった。
ミツキから溢れ出した異質な魔力――いや、魔力と呼ぶにはあまりにも禍々しく、粘り気のある「闇」の気配を感じ取り、彼女は顔色を変えて叫んだ。
「ダメよ! それを使ったら、あなたの精神が持たない!」
「 何をする気だミツキ! よせ、早まるなッ!」
ルークもまた、本能的な悪寒を感じて叫ぶ。
彼は血を吐きながらも、ミツキを止めるべく無理やり身体を起こし、その腕を掴もうと手を伸ばした。
「ミツキさん! ダメです!私達はまだ……まだ…戦えますから!」
セレスティアが涙ながらに叫ぶ。
彼女も、ルークも、ロクサーナも。誰もが満身創痍で、立っていることさえ奇跡のような状態だった。それでも彼女達は、ウリエルの殺意よりも、ミツキが踏み越えようとしている「一線」に恐怖し、必死に手を伸ばす。
――だが、ミツキは振り返らなかった。
「だああああああああああああっ!」
ミツキはついにパズズからもらったシギルを鷲掴みにすると、権能を発動させたのだった。




