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第十九話 ディーヴァ・ヒムノールムの来訪

 ミツキが深い眠りに落ち、エリシェヴァやライラも安らかな寝息を立て始めた頃。

広間の喧騒も落ち着き、魔王たちもそれぞれの場所で休息を取っていた。

ルークは一人、寝台を抜け出し、広間の隅で手持ち無沙汰にしていたトッサカンの元へと歩み寄った。

 

「……トッサカン。少し、いいか」

 

「おや、ルーク? まだ起きてたの? 君も疲れてるだろうに」

 

トッサカンは気安く笑いかけるが、ルークの瞳は笑っていなかった。その隻眼には、鋭い剣のような光が宿っている。

 

「……再会した時は、バタバタしていて聞けなかったが。君に一つ、確認しておきたいことがある」

 

ルークは声を潜め、しかし有無を言わせぬ迫力で問い詰めた。

 

「アスタロト様が言っていた。……以前、君に『セレスティア』のことを聞いた際、君は『知らない』と答えたそうだな」

 

「えっ……あ、あー……うん、まあね」

 

トッサカンの笑顔が、わずかに引きつる。

 

「だが、今日君は、セレスティアを迷宮に招き入れ、彼女の力が『ラーヴァナの権能』であることを知っている素振りを見せた。……ムルガン殿もだ」

 

ルークが一歩、距離を詰める。

 

「君は、僕たちに何か隠しているのか? ……セレスティアの正体について、本当は何を知っている?」

 

トッサカンは、ルークの真剣な眼差しから視線を逸らし、困ったように頭を掻いた。

 

「……うーん、やっぱりバレちゃうかぁ。アスタロト様も鋭いけど、その契約者の君もなかなかだね」

 

トッサカンは、観念したようにため息をついた。

 

「……嘘をついたことは謝るよ。でも、悪意があったわけじゃないんだ。これには、僕のあるじ……ラーヴァナ様の『家庭の事情』みたいなものが絡んでてね。部外者には、おいそれと話せることじゃなかったんだよ」

 

「家庭の……事情?」

 

ルークが眉をひそめる。

 

「そう。でも、君がそこまで彼女セレスティアのことを想っているなら……いずれ、すべてを知ることになると思うよ。

  僕の主……本当の『雇い主』に会えば、全部わかるはずさ」

 

トッサカンはそれ以上語らず、意味深にウィンクしてみせた。

ルークは、まだ納得しきれない様子だったが、トッサカンにこれ以上の敵意がないことは感じ取り、剣呑な気配を収めた。

 

「……分かった。その言葉、信じよう。だが、もしセレスティアに害をなすようなことがあれば……その時は、容赦しない」

 

「怖いなぁ。大丈夫だって、僕は君たちの味方だよ」

 

トッサカンは真っ直ぐな眼差しでルークを見つめ返す、ルークも小さく息を吐いて背を向けた。

謎はまだ残るが、今は信じるしかない。

ルークは、眠る幼馴染の顔を思い浮かべながら、静かに仮眠室へと戻っていった。

 


 ――――



 

一方アダムスとムルガンの激突により、街の外れに巨大な渓谷が刻まれた頃。

神殿の奥深く、自身の執務室に立てこもっていた神官長カシムの元に、あの時アダムスの防御結界に守られながらあの場から逃げ出せた伝令の神官兵が血相を変えて飛び込んできた。

 

「大変です!カシム神官長!ほ、報告します! 教皇猊下が……アダムス猊下が……!」

 

「何だ、騒々しい! 猊下がどうしたというのだ!」

 

カシムは酒をあおり、充血した目で怒鳴りつけた。

 

「はっ……! そ、それが……謎の侵入者ムルガンとの戦闘の末、猊下は……異空間の彼方へと消滅されました!」

 

「……は?」

 

カシムの手から、ワイングラスが滑り落ち、床で砕け散った。

 

「し、消滅……? あの化け物のようなアダムスがか!?」

 

「はい! 敵の放った光と共に、空間ごと……! 反応は完全に消失しました!」

 

兵士の悲痛な報告を聞いたカシムは、しばし呆然としていたが――

 

次の瞬間、その顔がみるみるうちに紅潮し、醜悪な笑みが広がっていった。

 

「……死んだ……? あの石頭が……死んだのか!?」

 

「か、カシム様……?」

 

「は……はーっはっはっは! 見ろ! 天罰だ!」

 

カシムは机を叩き、狂喜乱舞した。

 

「私を『俗物』と罵り、処分すると言った報いだ! 見ろ、神は私を選んだのだ! あの堅苦しい若造ではなく、このカシムをな!」

 

「し、しかし猊下は我らを……」

 

「うるさい! 元々あいつは邪魔だったんだよ!」

 

カシムは、ドン引きしている兵士たちを無視し、自らの欲望をぶちまけた。

 

「『清貧』だの『秩序』だの、反吐が出る!」

 

彼は、指にはめたルビーの指輪を愛おしそうに撫でた。


「――私はな、元々は貧しい漁村の生まれだった。残飯を漁っては泥水を啜り、這いつくばって生きてきた! ……だからあの時誓ったんだ、金! 金こそが力だ! 宝石も、美味い飯も、ふかふかのベッドも、全て手に入れてやると!」


 カシムは何かを思い返す様に遠い目をしながら話した。

 

「――そのために必死で神官になり、ヴィクラムのような貴族とも手を組んで、ここまで上り詰めたんだ!

 それを……あの世間知らずの教皇気取りが、私の努力を『汚職』の一言で片付けようとしおって!全く、 死んで清々したわ!」

 

「…………」

 

執務室にいた神官兵や部下たちは、互いに顔を見合わせ、無言で視線を交わした。

そこにあるのは、上司への敬意ではなく、底知れぬ軽蔑と嫌悪だった。

 

(……この男、終わっているな)

 

(教皇猊下が戻られなかったとしても、私はこいつに付いていく気はない)

 

部下たちの心が完全に離れたことにも気づかず、カシムは勝利の美酒に酔いしれるように叫び続けた。

 

「これでこの街は私のものだ! 邪魔者は全員消えた! ウリエル様さえ目覚めれば、私は再び――」

 

――その時だった。

 

ズウウウウウウ……

 

神殿全体が、腹の底に響くような重低音と共に揺れ始めた。

カシムの笑い声が止まる。

 

「な、何だ!? 地震か!?」

 

「い、いえ……! この揺れは……地下から……!?」

 

部下の言葉に、カシムの顔色が蒼白になる。

地下。そこにあるのは、終わらない夜によって神力を断たれ、機能停止したはずの智天使ウリエル。

 

「まさか……目覚められたのか……?」

 

カシムの「ぬか喜び」は、わずか数分で終わりを告げようとしていた。

 何かの異変を感じ取ったのか、神殿の奥で智天使が目覚め始めたのだ。

 

  ――太陽の神殿、最奥の間。

 

 崩れ落ちた天井から、凍りついた星空が見える。

 智天使ウリエルは、瓦礫に埋もれた神官長カシムを一顧だにせず、虚空へと浮上しようとしていた。

 

 その背にある六枚の光翼が輝きを増し、周囲の空気が焦熱で揺らぐ。

 

太陽光エネルギー供給、途絶。……予定時刻を大幅に超過している。これほどの停滞は天上神達の秩序に反する」

 

 感情を一切感じさせない、報告書を読み上げるような平坦な声が響き渡る。

 ウリエルが手を掲げると、神殿の上空に巨大な光の球体が形成され始めた。それは擬似的な太陽であり、街ごと全てを焼き払うための無慈悲な熱源だった。

 

「ひ、ひぃぃ……! お待ちくださいウリエル様! 私です、カシムです! まだここに私が……!」

 

 カシムの懇願は、熱波の音にかき消される。

 ウリエルにとって、個人の生存など考慮に値しない。ただ「穢れの払拭」という業務を遂行するのみ。

 

「穢れが満ち、光が届かぬならば、焼き尽くして清浄に戻す。……全域を浄化する」

 

 光の球が臨界点に達し、灼熱の奔流が放たれようとした――その刹那。

 

 ドォォォン!!

 

 空間そのものが悲鳴を上げるような重低音と共に、ウリエルの頭上から黒い雷撃が降り注いだ。

 光の球体は一撃で霧散し、ウリエル自身もその衝撃で地面へと叩きつけられる。

 

「……理解不能。神聖なる儀式への干渉を確認」

 

 ウリエルは表情一つ変えず、砂煙の向こうを冷ややかに見据えた。

 

 そこには、夜空を織り込んだような濃紺のドレスを纏い、長い黒髪を三編みでまとめ上げた一人の貴婦人が立っていた。

  優雅な扇子で口元を隠しているが、その全身からは、神殿の神聖な空気を塗りつぶすほどのどす黒く強大な魔力が噴出している。

 

 ――ディーヴァ・ヒムノールム。

 

「……まったく。目覚めて早々、随分と派手な花火を打ち上げようとするのね、羽虫」

 

 彼女の声は鈴を転がすように美しい。

 しかし次の瞬間、彼女はこめかみを押さえ、苦しげに呻いた。

 

「あ……う……っ!」

 

 優雅な立ち姿が崩れ、まるで何かに怯えるように小刻みに震えだす。その口から漏れたのは、先ほどまでの余裕ある貴婦人のものではなく、悲痛な女性の叫びだった。

 

「……ああ、あの男が……あの男があの子のそばに……!」

 

 彼女は狂乱したように自分の腕を掻きむしる。目の前のウリエルなど目に入っていないかのように、虚空に向かって手を伸ばし、悲鳴を上げる。

 

「ダメよ……! 引き離さなきゃ……! あの男は……あの子を利用する気だわ……! 助けなきゃ、私が……!」

 

 突然の錯乱。

 その隙を見逃すウリエルではない。

 

「対象の精神汚染を確認。……排除する」

 

 ウリエルが光の剣を生成し、一足飛びに間合いを詰める。

 その刃がディーヴァの首を刎ねようとした瞬間――彼女の手が、物凄い力で素手で光の刃を鷲掴みにする。

 ヴェールの奥の瞳が、今度は凶悪で野太い光を宿していた。

 

「うるせぇ! こんな所で喚くんじゃねぇ!危ねぇだろ」

 

 男の怒号が、彼女の恐怖を一喝する。

 

「――そう騒がなくとも、あの男ごときに何も出来ねぇよ。セレスティアには俺の『加護』があるからな。傷一つ付けられやしねぇ」

 

「で、でも……! あの男は……!」

 

「今は黙って見てろ。セレスティアの心配より、目の前の羽虫を潰すのが先だ」

 

 瓦礫の陰で震えていたカシムは、その異様な光景に目を剥いた。

 女の声で泣き叫び、男の声で怒鳴り返したかと思えば諭しだす。まるで一人で会話をしているかのような狂気。

 

(……な、なんだあの女は……? 気が狂っているのか……?)

 

 カシムが戦慄する中、彼女は――ディーヴァは、ふっと息を吐き、乱れた髪を優雅にかき上げた。

 人格が統合され、冷徹な魔女の顔が戻る。

 

「……失礼。少し取り込み中だったわ」

 

 ディーヴァは光の剣を握り潰すと、そのまま裏拳でウリエルを殴り飛ばした。

 智天使の身体が、砲弾のように吹き飛び、神殿の柱を数本へし折って瓦礫の山に突っ込む。

 

「……損傷軽微。任務遂行に支障なし」

 

 瓦礫の中から、ウリエルがゆらりと立ち上がる。その翼の一部は折れ曲がり、金色の血液が流れているが、痛みを感じている様子はない。ただ、邪魔な障害物がまだ動いていることへの淡々とした事実確認のみがある。

 

「……しぶといな、クソ人形」

 

 ディーヴァの口から、再び悪態が漏れる。彼女は両手を広げた。

 周囲の空間が歪み、重力が狂い始める。瓦礫が浮き上がり、粉々に砕け散っては、黒い粒子となってウリエルへと収束していく。

 

「太陽が無けりゃ、てめぇはただのバッテリー切れの照明器具だ。……その翼、二度と羽ばたけねぇように毟り取ってやるよ」

 

 重力波がウリエルを襲う。

 ウリエルは高速で回避行動をとるが、見えない重力の檻がその動きを制限する。

 

「回避不能か。……ならば、防御に徹する」

 

 ウリエルの周囲に幾重もの魔法陣が展開されるが、ディーヴァの放つ黒い波動は、それを紙のように食い破っていく。

 

 ドガガガガガッ!!

 

 一方的な蹂躙。

 弱体化したウリエルに対し、強大な魔力を宿したディーヴァが圧倒する。

 彼女は、愉悦に歪んだ笑みを浮かべ、追い詰められた天使へと歩み寄る。

 

「終わりだ。その首、へし折って――」

 

 トドメを刺そうと手を伸ばした、その時だった。


 

 ピキッ。


 

 乾いた音が、ディーヴァの身体から響いた。

 見れば、彼女の指先から腕にかけて、陶器が割れるような亀裂が走り、そこからどす黒い霧が漏れ出している。

 

「……グッ……!」

 

 ディーヴァはその場に膝をつき、激しく喀血した。

 吐き出された血は赤くなく、ヘドロのような黒色だった。

 

「……くそッ、やっぱりこの身体じゃこれが限界か……!」

 

 ディーヴァが悔しげに吐き捨てる。

 彼女の肉体は、魔王の魂と力を収めるにはあまりに脆く、限界が近づいていたのだ。

 

「……魔力反応が乱れているな。自壊か」

 

 ウリエルが、ボロボロになりながらも無感情に光を収束させ始める。

 

「……チッ。興が削がれたぜ」

 

 ディーヴァは、脂汗を流しながら立ち上がった。

 ヴェールを直し、乱れたドレスを整える。その所作は、一瞬で貴婦人のそれへと戻っていた。

 

「命拾いしたわね、ウリエル」

 

 彼女は冷たく言い放つと、足元に転移の魔法陣を展開した。

 

「まあいいわ。太陽の力を使えない上にコレだけのダメージを受けて……どうせ貴方は、放っておいても勝手に壊れていくでしょう。精々、無駄な足掻きを続けることね」

 

「……待て。ここで逃がすわけにはいかない」

 

 ウリエルが光の矢を放つが、それは残像を貫いただけだった。

 ディーヴァの姿は、黒い霧と共に跡形もなく消え失せていた。

 静寂が戻った神殿。

 瓦礫と灰にまみれたカシムが、腰を抜かしたまま震えていた。

 ウリエルは、敵が消えた空間をしばし見つめた後、自身の損傷箇所へと視線を落とした。

 

「……修復が必要だ。だが、優先すべきは儀式の再開」

 

 怒涛の展開に硬直するカシムを前に傷ついた智天使は、何事もなかったかのように再び空を見上げた。

 そこには、依然として動かない星々が、冷たく輝いているだけだった。

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