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第十六話 迷宮への避難

 空間が歪む感覚と共に、ミツキたちの体は重力から解放され、アダムスが支配する遺跡からトッサカンの迷宮へと吸い込まれていった。

 

「うわっ……!」

 

「きゃあ!」

 

数瞬の浮遊感の後、一行は柔らかな光に満ちた、色鮮やかなタイルの床へと転がり出ていた。

 

 そこは、カルデア・ザフラーンで一時的に避難した時よりも遥かに広大な、寺院のような大広間だった。

 

「ミツキさん! エリシェヴァさん! ルークさん!」

 

「みんな……!」

 

 声のした方を見ると、そこにはアダムスの包囲網から逃がしたはずのライラと、十数人の子供たち、そしてその親たちが集まっていた。

 

「ライラ! 無事だったんだね、よかった……!」

 

ミツキはライラと抱き合い、安堵に息を吐いた。

 

「はい! あの後、森を走っていたら、トッサカンさんが空から……!」

 

「トッサカン!」

 

ロクサーナが、一行を転移させた張本人に詰め寄る。

 

 「どういうことなの? パズズ様たちも『中』にいると言ったわよね!?」

 

「はいはい、落ち着いてよ」

 

トッサカンは「あっち」と顎をしゃくった。

広間の奥、結界で隔離された一角に、見知った顔がいた。

 

「ベルゼブブ様!?」

 

エリシェヴァが驚きの声を上げる。

 

「やあ、エリシェヴァ。どうやら、とんでもないアダムスを連れてきてしまったようだね」

 

ベルゼブブが、やれれやれと肩をすくめていた。

だが、その隣の光景に、一行は息を呑んだ。

 

――『疫病の魔王』パズズが、その四枚の翼で必死に何かを押さえつけていたのだ。

 

「いやああ! あかちゃん! わたしのあかちゃんがいたのに!」

 

「ラマシュトゥ! 落ち着け! 暴れるな!」

 

パズズが抑え込んでいるのは、狂乱状態の妻、ラマシュトゥだった。

 

「ムルガン様が、君たちがアダムスと戦う前に、こっそり森の廃墟からパズズ様たちも回収してたんだよ。ライラちゃんたちを保護したのもその直後さ」

 

トッサカンが状況を説明する。

その時だった。

パズズに押さえつけられていたラマシュトゥが、ミツキたちの後ろにいるトッサカンの姿を認識し、ピタリと動きを止めた。

そして次の瞬間、その狂気に濁った瞳を恍惚こうこつと輝かせた。

 

「……あ……」

 

ラマシュトゥは、パズズの拘束を振りほどこうと、必死にトッサカンに向かって手を伸ばし始めた。

 

「あかちゃん……! いた! わたしの新しいあかちゃん! さあ、おいでなさい! お母様のところへ!」

 

「ひいいいいっ!? ぼ、僕ぅ!?」

 

トッサカンは、ラマシュトゥの新たな執着対象が自分に向けられたことに気づき、顔を真っ青にして飛び退いた。

 

「ラマシュトゥ! 辞めなさい、その方はお前の子ではない!」

 

パズズが必死に妻を羽交い締めにする。

ミツキ、ルーク、エリシェヴァ、ロクサーナ、セレスティア、そして魔王三柱。

役者が揃っていく中、ヴィクラムだけが、その輪から一歩下がり、顔を青ざめさせていた。

 

(……トッサカンだと……!?)


 (なぜ、あいつがここにいる!? まさか、ラーヴァナの命令で……! 私の正体に気づいているのか……!?)

 

ヴィクラムは、トッサカンがいつ自分に牙を剥くかと、内心で身構えた。

 

だが――

 

「ううっ、僕はあんたの赤ちゃんじゃない! こっちは何千年も生きてるんだぞ!」

 

トッサカンは、パズズに止められながらも追いかけ回そうとするラマシュトゥから必死に距離を取りながら叫んでおり、ヴィクラムのことなど一切目に入っていないようだった。

 

(……どうやら、私の顔は知らない、か)

 

ヴィクラムは、トッサカンが自分を認識していないことを悟り、必死に動揺を隠してセレスティアの背後に隠れた。

 

「それよりトッサカン! あのムルガンって人は!?」

 

エリシェヴァが、ヴィクラムの動揺など気にも留めず、トッサカンに詰め寄った。

 

「ああ、ムルガン様なら大丈夫!」

 

トッサカンは、外の様子を映す水鏡モニターを指さした。そこには、アダムスが自ら作り出した巨大な渓谷と、一人去っていくムルガンの背中が映し出されていた。

 

「今、教皇様アダムスを別の次元に吹っ飛ばして、足止めしてくれた最中だよ!」

 

「「「えええええっ!?」」」

 

ミツキたちの驚愕の叫びが、トッサカンの迷宮に響き渡った。

水鏡に映し出されていた、アダムスが自ら作り出した巨大な渓谷は、やがて砂嵐に紛れて見えなくなった。

 

「……あんな化け物と、一人で戦ってたなんて……」

 

ミツキは、ムルガンという青年の底知れない実力に、改めて戦慄した。

 

「ムルガンさんは大丈夫なの!?」

 

エリシェヴァが、彼が消えた方角を案じるようにトッサカンに詰め寄る。

 

「平気平気。あの人は規格外だから。それより……」

 

トッサカンは、広間の奥で未だに続いている騒動に、やれやれと肩をすくめた。

 

「あかちゃん! わたしのあかちゃん!」

 

その途端魔王ラマシュトゥが、今度はトッサカンに沢山の影を伸ばしだす。

  

「ああっ!もうっ、だから僕は赤ちゃんじゃないってばっ!」

 

 トッサカンは、魔法で影を払うとまた逃げ出した。

どうやら落ち着いて会話が出来る状態ではない様だ。

 

「……ベルゼブブ様」

 

エリシェヴァは、その光景を苦笑いしながら眺めているベルゼブブに向き直った。

 

「失礼ですが、なぜアスタロト様ではなく、ベルゼブブ様がこの迷宮に? ムルガンさんたちが事前に?」

 

「ああ、それね」

 

ベルゼブブは、パズズとラマシュトゥの夫婦喧嘩(?)から目をそらし、ミツキたちにウィンクしてみせた。

 

「トッサカンが気を利かせてね。アスタロトは今、別件で忙しいから、比較的暇をしていた私と、パズズと腐れ縁の私を、わざわざここに召喚してくれたのさ。……まあ、おかげで厄介な夫婦喧嘩の仲裁をさせられてるわけだけど」

 

「頼むベルゼブブ! 助けるなら手を貸せ!」

 

パズズの悲痛な叫びが響く。

 

「ははは、君たち夫婦の問題にこれ以上首を突っ込むのは御免だよ」

 

ベルゼブブは楽しそうに笑っている。

 

「……あの」

 

ミツキが、その和やか(?)な魔王たちのやり取りを遮った。

その声は、アダムスとの戦いの衝撃で、まだ震えていた。

 

「あの、アダムスって……いったい何者なの……」

 

その問いに、魔王たちの笑い声がピタリと止まった。


 ミツキの問いに、ベルゼブブの笑みが消え、トッサカンもラマシュトゥから逃げ回る足を止めた。

魔王たちですら、その名には即答できず、広間に重い沈黙が落ちる。

 

――その静寂の中、広間の入り口の空間が揺らめき、砂煙と疲労を纏ったムルガンが、槍「ヴェール」を肩に担いで姿を現した。

 

「「「!」」」

 

その場の全員の視線が、帰還したムルガンに集まる。

 

「あ……! あの時助けてくれた人!」

 

ライラが、アイン・アル・ハヤトで助けてくれた青年の帰還に、安堵と驚きの声を上げた。

 

「ムルガンさん!」

 

エリシェヴァが、その無事な姿を見て駆け寄ろうとする。

 

「……はぁ……はぁ……」

 

ムルガンは、さすがに全魔力を使い果たしたのか、エリシェヴァに片手で「問題ない」と合図を送ると、槍を杖代わりに壁に寄りかかり、荒い息を整えた。

その様子を見て、ミツキとルークは改めて息を呑んだ。

 

(……あのアダムスを、一人で異次元に吹き飛ばして、消耗しているとはいえ、五体満足で帰ってきた……!)

 

「……お疲れ様です、ムルガン様」

 

ロクサーナが深く頭を下げる。

 

「……ああ」

 

ムルガンは短く応えると、ミツキが先ほど発した問い――「アダムスは何者か」――に答えた。

 

「……ミツキ、と言ったか。お前が『破壊の権能』を叩き込んでも、彼奴あやつが即座に再生したのを見て、何も感じなかったか?」

 

「え……?」

 

ミツキは、アダムスが木っ端微塵になり、そして「ふむ」と再生した、あの悪夢のような光景を思い出す。

 

「あれは、魔王が持つような自己再生能力ではない。……あれが『超人』の証だ」

 

ムルガンは静かに告げた。

 

「超人……?」

 

ミツキが聞き返す。

 

「ああ。天上神によって、その目的のためだけに生み出された、特別な人間のことだ」

 

ムルガンは説明を続けた。

 

「アダムスは、かつて天上神がこの世界を偵察させるために生み出した『原初の人間』。奴の不死性は、奴自身の力ではない。奴の存在そのものが、天上神の『理』によって保障されているんだ」

 

「天上神の……理……」

 

「そうだ。奴が天上神の『目的』を完遂するまで、死ぬことすら許されていない。お前の『破壊』は奴の肉体を破壊したが、奴を支える『天上神の理』までは届かなかった。だから奴は再生する……何度でもな」

 

「そんな……」

 

ミツキは絶望に言葉を失う。最強の切り札が、ルールそのものによって無効化されていたのだ。


「……セレスティア。君に聞きたいことがある」


 その重い沈黙を破ったのは、ルークだった。

彼女は、アスタロトから告げられた疑念と、アダムスが叫んだ言葉の符合に、息を詰めていた。

彼女は、何かを確信した様な表情をした後、セレスティア本人に向き直った。

 

「?なに、ルーク」

 

「アダムスは君の力を『月の刃(チャンドラ=ハーズ)』……魔王ラーヴァナの権能だと呼んでいた。……アスタロト様の言った通りだ」

 

ルークは、少し戸惑いながらも、幼馴染を問い詰めた。

 

「単刀直入に言おう。君は、ラーヴァナと契約した、僕らと同じネファスの魔女なのか?」

 

「そ、そんな、違う……!」

 

セレスティアは首を横に振る。


 「契約なんてしてない、ラーヴァナなんて知らない!」

 

「けれど、アダムスも アスタロト様も君の力はラーヴァナに由来する物だと言っていたんだ。――とても偶然だとは思えない」

 

ルークがセレスティアに答えを求めた時だった。


「違うな、彼女はネファスの魔女ではない」 

 

その答えに、セレスティアとヴィクラムが息を呑んだ。


「!」

 

「お前がやったのだろう? この『終わらない夜』を」

 

「……!」

 

セレスティアの肩がビクッと震える。

 

「太陽を昇らなくして世界の空全ての『時』そのものを止める。……そんな芸当が、ただの『ネファスの魔女』に出来ると思うか?」

 

「ネファスの魔女じゃ……ない……のか?」

 

ルークは、アスタロトの推測が外れたことに動揺する。

 

「じゃあ……じゃあ、私は、いったい……」

 

セレスティアが、震える声で尋ねた。自分の力の正体が分からず、彼女は混乱していた。

 

「……正直、俺にもお前の正体が何なのかまでは掴めていない」

 

ムルガンは、そこで初めて苛立たしげに視線を逸らした。

 

(……『月の刃(チャンドラ=ハーズ)』は使えて空の『時』を止める事は出来ても、元に戻す方法は分からん、か。彼女はあまりにも未熟すぎる

 ――まったく、ラーヴァナはなんと面倒なものを残してくれた)

 

ムルガンは内心で毒づくと、セレスティアに向き直った。 

 

「だが、お前が『ネファスの魔女』でないことだけは確かだ。……そして、まだその力を全く使いこなせていない『未熟』な状態であることもな」

 

セレスティアは、その言葉にただ立ち尽くすことしかできなかった。

その娘の肩を、ヴィクラムが「大丈夫だ」と強く抱きしめる。


 「……と、とりあえず!」

 

トッサカンが、ラマシュトゥから逃げ回りながら、重すぎる空気を変えようと叫んだ。

 

「アダムスは一時的に吹っ飛ばしたし! ライラちゃんたちも無事だし! みんな助かったんだから、結果オーライってことで! ねっ、ベルゼブブ様!」

 

「そうだねえ」

 

ベルゼブブは、パズズに押さえつけられているラマシュトゥを見て、楽しそうに笑った。

 

「しかし、パズズ。久しぶりだね。君の奥さん、相変わらず元気が良くて何よりだ」

 

「……ベルゼブブ……! さっきから笑っていないで、少しは手を貸したらどうだ!」

 

パズズが、妻の拘束で汗だくになりながら怒鳴る。

 

「いやあ、僕は豊穣の神だからね。君たち夫婦の愛憎劇ドロドロまで『豊穣』にするつもりはないよ」

 

「この……!」

 

混沌が支配する迷宮の中で、ミツキは頭を抱えた。

 

(……アダムスは異次元の彼方で暫く戻ってこない、あたしの力は効かない、セレスティアの力の正体はよくわからなくて、魔王たちは夫婦喧嘩……)

 

「……もう、何が何だか……」

 

ミツキの呟きが、この長すぎた「終わらない夜」の、全てを物語っていた。


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