第十三話 子供達の逃避行
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「……そうやって、お父様と皆で、この廃墟に逃げ込んだんです」
セレスティアは顔を上げた。その瞳にはまだ罪悪感の色が浮かんでいる。
「でも、私がこの夜を招いたせいで、ロクサーナさんたちの計画を邪魔して、ラマシュトゥまで呼び寄せてしまった…… ごめんなさい……ごめんなさい……!」
彼女の衝撃的な告白に、廃墟の神殿は焚き火の爆ぜる音だけを残して、しんと静まり返った。
「そ……そんな……」
エリシェヴァが、信じられないというように口元を押さえる。
「セレスティアさんの祈りが……この、世界中の夜を……?」
「……違う、セレスティアが謝る必要なんてない…こんな……」
ルークはセレスティアを励ますと同時に息を呑んだ。
――パズズやベルゼブブ達が語っていた
「ラーヴァナの権能と、脆い『人間』の魂が結びついた」
という推測が、今、最悪の形で裏付けられたのだ。
(セレスティア、やはり君は)
「そうだよ!」ライラが声を上げた。
「セレスティアさんは、子供たちを助けようとしただけだよ! アーリヤやこの街の子供達を殺した神官たち と戦うために!」
「セレスティアさん……」
ミツキも、かける言葉が見つからなかった。ただ子供を助けたいという純粋な祈りが、世界そのものを歪めてしまった。その絶望の深さに、ミツキは自分の無力さを噛み 締めた。
「――感傷と謎解きは後にして」
その重い空気を、ロクサーナの冷徹な声が断ち切った。
「あなたのその祈りが原因だとして、今ここで泣いていても夜は明けないわ。むしろ、貴方のお父様の言う通り――これは好都合よ」
「好都合……ですって?」
セレスティアが、涙に濡れた目でロクサーナを睨む。
「ええ」ロクサーナは冷静に頷いた。
「神官達の話が本当なら、夜が明けない限りウリエルの『太陽の儀式』はどう足掻いても永遠に完遂できない。
――そして、もう何日もの間太陽の力が届かない今、ウリエル自身も大分弱体化しているはず」
ロクサーナは杖で地面の地図を突き、一行を睨み据えた。
「あなたの力がこの異変を招いたのなら、あなたがウリエルを討てば、この夜も明けるかもしれない。
泣いている暇があるなら、行動しなさい。神官兵かラマシュトゥが先に来たら、全てが終わりよ」
「……っ」
ロクサーナの厳しい言葉に、セレスティアははっと顔を上げた。
ミツキも立ち上がり、セレスティアの隣に並んだ。
「ロクサーナさんの言う通りだよ、セレスティアさん。原因があなたでも、あたしたちがやることは変わらない」
ミツキは地図を指さした。
「まずはウリエルを止めて、子供たちを救おう!夜が明けるのはその後でも遅くないよ」
――――――
廃墟の神殿を照らす焚き火が、小さく爆ぜた。
その音を合図にしたかのように、ミツキが地図から顔を上げ、仲間たちを見渡してきっぱりと言った。
「よし、まずは子供たちを逃がそう」
その瞳には、迷いの色はなかった。
「ウリエルを倒すのはその後だよ。こんな危険な場所に、熱にうなされる子供たちや、不安な親御さんたちを残して戦いになんて行けない。万が一、あたしたちが留守の間にラマシュトゥに見つかったら……守れる人が誰もいなくなっちゃう」
「……そうね」
ロクサーナも同意し、顎に手を当てて思考を巡らせる。
「確かに、神官兵の包囲網も狭まっているわ。ここに留まるのは限界よ。」
ロクサーナは、地図上の青く塗られたラインを指でなぞった。
「……幸い、ヴィクラムさんが持っていたこの古地図によれば、この廃墟の地下には、『古代地下水路』が通っているの。
今は干上がっているけれど、この水路は街の地下深くを網目のように走り、最終的には街の外れにある古い遺跡へと繋がっているわ。
そこなら、今の神殿の勢力圏外。一時的な隠れ家としては申し分ないはずよ」
「街の外れ……そこまで行けば、追手も撒けるか」
ヴィクラムも頷き、愛娘の肩を抱き寄せた。
「セレスティア、これならお前も安心だろう」
「はい……! お願いします、ロクサーナさん」
方針は決まった。だが、最大の問題が残っている。
ルークが、地下通路の方角を険しい顔で睨んだ。
「問題は、地下水路への入り口付近を、あのラマシュトゥが徘徊していることだ。あいつをどうにかしない限り、移動はできない」
「……使いましょう。さっき言った『偽の呪い』を」
ロクサーナは作業台へと歩み寄り、乳鉢に残っていた黒い粉末――護符を書き換えた際に抽出された、呪いの残滓――を指さした。
「ラマシュトゥが執着しているのは、子供そのものだけじゃない。彼女が自身の狂気を注ぎ込んだ、この『呪いの波長』にも強く反応しているはずよ」
ロクサーナは手早く粉末を革袋に詰めると、複雑な手印を結び、呪文を唱え始めた。
「――去れ、狂える母よ。虚像の愛を追い求め、闇の彼方へ」
彼女が杖を振ると、革袋はふわりと浮き上がり、禍々しい紫色の燐光を放ち始めた。それは見るだけで寒気がするような、濃密な呪いの気配を撒き散らしている
。
「行くわよ!」
ロクサーナが杖を振り抜くと、袋は矢のような速度で、地下水路とは真逆の方向――森の深部へと飛んでいった。
紫の光の尾を引きながら遠ざかるその囮。
固唾を呑んで見守る一行。
やがて、肌を刺すようなビリビリとした不快な重圧感――地下通路の奥から滲み出ていた魔王ラマシュトゥの狂気の気配が、ふっと向きを変え、猛烈な勢いで森の奥へと遠ざかっていくのが感じられた。
「……食いついたわね」
ロクサーナが杖を下ろし、しかし表情を緩めずに冷徹に告げた。
「でも、安心しないで。あれはあくまで偽物、ただの時間稼ぎにしかならないわ。中身(子供)がいないと気づかれたら、すぐに戻ってくる」
「急ぎましょう! 今のうちに移動するのよ!」
ロクサーナの鋭い号令が飛ぶ。
それと同時に、焚き火の周りでは、エリシェヴァとライラが慌ただしく、子供たちや親たちに声をかけて回っていた。
「さあ、みんな、起きて。もう一度だけ頑張りましょう」
エリシェヴァは、子供たちの様子を確認して回る。
護符を書き換えたおかげで、子供たちの頬からは病的な赤みが引き、呼吸も穏やかになっていた。高熱にうなされていた数時間前とは違い、自分の足で立てるまでに回復している。
「よかった……熱は引いているわね。これなら走れるわ」
エリシェヴァは安堵の息をつき、少女の手を引いて立たせた。
「パズズ様の護符が守ってくれたのよ。さあ、お母さんと手を繋いで」
一方、ライラは怯えて身を縮こまらせている幼い子供たちの手を握り、目線を合わせて励ましていた。
「ねえ、これから『かくれんぼ』をするの。あそこの暗い穴を通って、悪い人たちに見つからないように、こっそり逃げるんだよ」
「……かくれんぼ?」
「うん。だから、声を出したら負け。……できるかな?」
ライラは、自分の新しいワンピースの裾 を握りしめながら、必死に笑顔を作ってみせた。
かつて自分がアーリヤに支えられたように、今度は自分が、この子たちの不安を取り除きたかった。
「うん……ボク、できるよ。もう身体も楽になったから」
「私も……」
子供たちが小さく頷くのを見て、ライラは彼らの荷物を代わりに背負った。
「準備できました! みんな、行けます!」
ライラの報告に、エリシェヴァも頷く。
「こちらもです。体調は安定しています!」
「よし、行くぞ」
ヴィクラムは瓦礫の下に隠されていた重い石板をこじ開け、地下水路への入り口を確保した。
そこからは、ひんやりとした冷気と、古い石の匂いが立ち上ってくる。
「私が先頭を行くわ。ルーク、ミツキ、殿をお願い」
「了解!」
「任せて!」
一行は次々と、暗い闇の口へと滑り込んでいった。
「……足元に気をつけて。転ばないようにね」
エリシェヴァが声をかけ、子供たちはしっかりと親の手を握って歩く。熱が引いたおかげで、足取りは思いのほか軽い。
「……静かだね」
ライラが小声で呟く。地下水路の中は、水滴が落ちる音と、一行の足音が反響するだけだ。
「そうだな。ラマシュトゥは戻ってきていないし、神官兵の気配もない。……今のところは、順調だ」
最後尾を歩くルークは、時折立ち止まり、背後の闇を警戒しながら答えた。
長い、長い地下行軍だった。
暗闇と閉塞感が時間の感覚を麻痺させかけた頃、先頭を歩いていたロクサーナが足を止めた。
「……着いたわ。ここよ」
彼女が掲げたランプの光が、頭上の空間を照らし出す。そこには、錆びついた鉄の梯子と、重厚な石の蓋――マンホールのような出口が見えた。その隙間からは、微かだが外の乾いた風が吹き込んでいる。
「ここを出れば、街の外れの遺跡よ。神殿の監視の目は届かないはず」
「よかった……!」
張り詰めていた糸が切れ、親たちの間から安堵の吐息が漏れる。
ミツキも顔を見合わせ、泥で汚れた頬を拭って笑顔を見せた。
「やったね! これで子供たちを安全な場所に隠せる!」
「油断しないで。外の状況を確認するわ」
ロクサーナが慎重に梯子を登り、石の蓋をわずかに持ち上げる。隙間から外の様子を窺い、耳を澄ませる。
数秒の静寂の後、彼女は小さく手招きをした。
「……よし、外は静かだわ。誰もいない」
ロクサーナが魔力で石蓋を押し退けると、冷たく新鮮な夜気が地下道に流れ込んできた。
「さあ、順番に上がって。静かにね」
ヴィクラムが梯子の下で子供たちを支え、上でロクサーナとルークが引き上げる。
一人、また一人と、地下の湿った闇から、地上の「夜」へと脱出していく。
――街外れの遺跡
地上に出た一行を待っていたのは、凍りついた満月と星々が照らす、静寂に包まれた廃墟だった。
かつては監視塔か何かだったのだろうか、崩れかけた石壁と柱が、砂漠の風に晒されている。
周囲には、人の気配はおろか、獣の鳴き声ひとつしなかった。
「……ふぅ」
最後の子供を抱きかかえて地上に降り立ったヴィクラムが、額の汗を拭いながら大きく息を吐いた。
「なんとか、逃げ切れたようだな」
「ええ。神殿の方角も静かなものよ」
エリシェヴァが、遠くに見える街の灯り――神殿のある中心部の方角を確認する。そこからは喧騒も聞こえず、こちらの脱出に気づいている様子はない。
「作戦成功ね」
ミツキが剣を収めながら、セレスティアに笑いかけた。
「これで後顧の憂いはなくなったよ。子供たちはこの遺跡の地下室に隠れてもらって……あとは、あたしたちがウリエルを倒すだけだね!」
「はい……!」
セレスティアも、胸を撫で下ろし、力強く頷いた。
「ありがとうございます、ミツキさん、ロクサーナさん。あなたたちのおかげで、あの子たちは……」
子供たちは、慣れない地下移動に疲れ果て、親たちに寄り添って座り込んでいるが、その表情からは「焼き殺されるかもしれない」という絶望的な恐怖は消えていた。
「礼を言うのは早いわ」
ロクサーナは周囲への警戒を解かず、杖を握りしめたまま冷徹に言った。
「まだウリエル討伐が残っているでしょう?それに、ラマシュトゥがいつ偽物に気づいて戻ってくるかも分からない。……休憩は短く済ませて、すぐに次の行動に移るわよ」
「分かってるって。でも、少し水くらい飲ませてあげようよ」
ミツキは苦笑しながら、水筒をライラに渡した。
張り詰めていた緊張が、ほんの少しだけ緩む。
――誰もが、「最悪の危機は脱した」と信じていた。
この静寂が、安全の証であると疑わなかった。
冷たい夜風が吹き抜け、遺跡の砂をサラサラと鳴らす。
最後の子供を抱きかかえたヴィクラムが、地面に足をつけた、その瞬間。
静寂は、唐突な「音」によって破られた。
――カツン。
硬質な靴音が、遺跡の崩れた石壁の上から響いた。
ミツキたちが反射的に顔を上げると同時に、周囲一帯が、真昼のような眩い黄金の光に包まれた。
「なっ……!?」
「きゃあっ!」
子供たちが悲鳴を上げ、大人たちが手で顔を覆う。
光に目が慣れてくると、そこには絶望的な光景が広がっていた。
遺跡を取り囲むように展開した、数百の神官兵。
彼らは無言のまま、一糸乱れぬ動作で弓を引き絞り、あるいは攻撃魔法の詠唱を終え、包囲網を完成させていた。
そして、正面の石壁の上。
黄金の光を放つ聖槍『ロンギヌス』の石突を地面に突き立て、一人の男が立っていた。
教皇、アダムス。
彼は、眼下で凍りついているミツキたちを、まるで路傍の石でも見るかのような、感情のない碧眼で見下ろしていた。




