第九話 ラマシュトゥの襲撃
パズズの領域から弾き出されるようにして、一行の意識はカラート・シャムスの薬局へと引き戻されていった。
部屋には、乾いた土の匂いと、パズズのシギルがミツキの胸に刻まれた際の、脳髄を掴まれるような感覚の残滓が漂っていた。
ミツキは、仲間たちに支えられながら、ゆっくりと立ち上がった。新たな権能を得た代償は重く、まだこめかみがズキズキと痛む。
「……大丈夫?」
エリシェヴァが、心配そうにミツキの顔を覗き込む。
「……うん、何とか」
ミツキは頷き、ロクサーナに向き直った。
ロクサーナは、主であるパズズとの謁見を終え、その紫色の瞳に、より一層冷徹な決意の色を宿していた。
「話は聞いた通りよ。私の主……パズズ様は、あなたたちに賭けることを決めた。……正直、私はまだあなたたちを信用しきったわけではないけれど」
彼女は杖を手に取り、一行を値踏みするように見つめた。
「主の命令通り、神殿の地下へと続く『隠し通路』へ案内するわ。あれは、かつてこの街がまだジンを崇拝していた時代、神官たちが密かに使っていた古い抜け道よ」
「隠し通路……」
ルークが、隻眼を細める。
「そんなものが、あの厳重な神殿に?」
「ええ」とロクサーナは頷く。
「あの神殿は、天上神の使徒が来るよりもずっと昔、この土地の古い神々……ジンや、パズズ様たちを祀るために建てられたもの。ウリエルたちが使っているのは表の祭壇だけ。彼らは、その地下深くに眠る、本当の聖域の存在を知らないのよ」
彼女は店の奥、薬草棚が並ぶ壁の一角へと歩み寄った。
「この通路は、かつてパズズ様を祀っていた時代の神官たちが、密かに使っていた古い抜け道。そこを使えば、正面から乗り込むよりは遥かに安全に、儀式が行われる祭壇の真下へ出られるわ」
ロクサーナが壁の一部に手を触れ、魔力を流し込むと、ゴゴゴ……と低い音を立てて、壁そのものがスライドし、地下へと続く暗い石の階段が現れた。
「……すごい。こんなものが、薬局の地下にあったなんて」
ミツキが、感嘆の声を漏らす。
「……!」
ライラは、その暗い穴の奥から漂う、ひんやりとした空気に怯えたように、エリシェヴァの服の裾を強く握りしめた。
「行くわよ」
ロクサーナは、一行の準備など待つ様子もなく、ランプを手に取ると、さっさと階段を降り始めた。
「ウリエルがいつまでも儀式ができないままでいるとは思えない。奴が業を煮やして、太陽が上がらずとも儀式を強行する可能性だってある。……私たちに残された時間はないわ」
その迷いのない背中に、ミツキたちは顔を見合わせ、頷き合う。
「行こう、みんな」
ミツキがライラの手を優しく握る。
「大丈夫。あたしたちがついてる」
「……はい」
ライラも、その温かさに勇気づけられたように、強く頷き返した。
四人は、ロクサーナの後を追い、カラート・シャムスの地下深くに眠る、神殿へと続く秘密の通路へと、その足を踏み入れていった。
石の階段は湿った空気に満ち、ランプの灯りが古い壁に一行の長い影を映し出していた。
隠し通路は、カビと湿った土の匂いに満ちていた。
ロクサーナが掲げるランプの光だけを頼りに、一行は狭い石畳の道を進んでいく。天井は低く、壁からは水が滴り落ち、時折、遠くで不気味な反響音が聞こえる。
「……本当にこの道、神殿に繋がっているの?」
エリシェヴァが、不安げに声を潜める。
「ええ」先導するロクサーナが、振り返らずに答えた。
「この通路は、『古き神々』の時代のもの。……パズズ様や、ラマシュトゥ様がまだ神として崇められていた頃のね。だから、今の神官たちは誰も知らないわ」
「ラマシュトゥ……」
ライラが、その魔王の名を不安げに繰り返す。老婆から聞いた「子供を攫う」という言葉が、この暗闇の中でより一層の恐怖を伴って響いた。
「気をつけて。この通路がどれだけ安全でも、神殿の地下であることに変わりはないわ」
ルークが、警戒を怠らずに剣の柄に手を置いていた。
その時だった。
「……待って」
ミツキが、一行を制止した。
「……何か、聞こえない?」
一行は足を止め、息を殺して耳を澄ませる。
遠くの闇の向こうから、確かに何かの音が聞こえてくる。
それは宿屋の老婆が語っていた、すすり泣くような……女の声。
「……どこ……? どこへいったの……わたしの、あかちゃん……」
「ひっ……!」
ライラが、その声に怯えてエリシェヴァの腕にしがみつく。
「ラマシュトゥ……!」
ロクサーナの表情が凍りついた。
「嘘でしょ……! なぜあいつがこの通路の存在を……!」
「こっちに来る!」
ルークが叫び、ミツキとエリシェヴァも戦闘態勢に入る。
すすり泣く声は急速に近づいてくる。そして、通路の角の闇から、ゆらり、と人影が姿を現した。
一見するとそこには鳥の翼を持ち白い衣を纏った美しい女神の姿があった。だが、その瞳に光は無く狂気に濁り、焦点が合っていない。
――彼女こそが、子供攫いの元凶、魔王ラマシュトゥだった。
彼女はミツキたちに気づくと、その狂った瞳を大きく見開き、駆け寄ってきた。
「あなたたち! 見なかった!? 私のかわいい赤ちゃんたちを! さっきまで、確かに神殿に気配があったのに……!みんな、あの金髪の銅色の瞳の娘が、またどこかへ連れて行ってしまったの……!」
「金髪の…銅色の……瞳……?」
ルークの心臓が、その言葉に激しく跳ね上がった。アスタロトの言葉が脳裏をよぎる。
(セレスティアだ……しかも、この街に来ていたのか……! しかも、子供たちを連れて……!?)
ラマシュトゥは、ルークの動揺など意にも介さず、今度は一行の中で最年少のライラをじっと見つめ、その顔を恍惚とさせた。
「ああ……こんなところに……いたのね、わたしのあかちゃん……」
「え……?」
ライラが恐怖に固まる。
「さあ、おいで……お母様のところに……。もう誰も、あなたを火炙りになんてさせないわ……」
ラマシュトゥが、手を伸ばす、すると神殿内のありとあらゆる影が融合し大きな手の様になりライラを捕らえようと襲いかかった。
「させない!」
ミツキが剣を抜き、影の手を切り払う。しかし、影はすぐに再生し、キリがない。
ミツキは「狂気の権能」が、ラマシュトゥの狂気に共鳴して胸の奥で熱を持つのを感じ、必死にそれを抑え込んでいた。
「ロクサーナ! ライラを連れて早く!」
ルークが影を切り払いながら叫ぶ。
「……分かったわ! あなたたちも早く来なさいよ!」
ロクサーナは一瞬ためらったが、すぐに状況を判断し、ライラの手を掴んで神殿へと続く別の分岐路へ走り出した。
「待って……! 待ちなさいっ!わたしのあかちゃん……!」
ラマシュトゥが、逃げていくライラたちを見て甲高い叫び声を上げ、通路が崩れるほどの魔力を放とうとする。このままでは通路が崩れ、全員生き埋めになってしまうかもしれない。
「……あまり気乗りはしないが…賭けるしかないか」
ルークは、ミツキを庇うように前に立つと、右目の眼帯に手をかけた。
「ルーク!? まさか、忘却魔法を使うつもり……?」
ミツキが、マーロウの廃村での「忘却魔法」を思い出し、声を上げる。
「いや……あれほどの力を使えば、ここで動けなくなる。……だが、あの時コピーした魔法を使えば」
ルークは記憶魔法を発動させた。
――次の瞬間、何もないはずの空間から、地獄の業火の様な黒炎が噴き上がった。 炎の壁がラマシュトゥの眼前に迫る。
「いやぁぁぁああああああああっ!!」
それまで狂気に満ちていたラマシュトゥが、その炎を見た瞬間、まるで幼子のような甲高い悲鳴を上げた。
「あつい! あつい! あつい! わたしのあかちゃんが……! 焼けてしまう……! いやあああ!」
彼女はパズズが語っていた過去のトラウマ――天上の使い達によって子供たちを殺された記憶が蘇ったのか、頭を抱えてその場にうずくまり、激しく震えだした。それに伴い影の手も消えてゆく。
「……これは。カルデア・ザフラーンの……」
エリシェヴァが目を丸くする。
「ああ、イブリースの炎。あの時トッサカンの記憶を読んだ時についでにコピーしておいたんだ。……うぐっ……」
ルークの膝が折れ、彼女は壁に手をついた。さすがに魔王の権能の再現は消耗が激しいようだ。
「ルーク!エリシェヴァ!今のうちに逃げよう!」
ミツキはルークの肩を担ぐと、ラマシュトゥが怯えている隙に、ロクサーナたちが向かった神殿への分岐路へと全力で撤退した。
背後からは、「いや……いやぁぁ……! 返して……わたしのあかちゃんを……!」という、魔王の悲痛な絶叫が、いつまでも響き渡っていた。
――
通路の少し開けた場所で、ロクサーナとライラの二人が、息を潜めて待っていた。
「みんな、 大丈夫!?」
ライラが、血の気が引いた顔で三人に駆け寄る。
「……ああ、なんとかな」
ルークは息も絶え絶えだ。イブリースの権能の再現は、彼女の精神を限界まで削っていた。
エリシェヴァが急いでルークに治癒魔法をかける。
ロクサーナが心配そうに問いかける。
「それより、あの魔王は?」
「怯えて動けないみたい。でも、いつまでもつか……」
ミツキが背後を振り返りながら答える。
「そうだ…ロクサーナさん! 神殿への道は!?」
ミツキの問いに、ロクサーナは険しい顔で首を横に振った。
「……ダメよ。さっきの魔王が暴れた衝撃で、この先の通路が崩落してしまったわ。このままでは神殿には辿り着けない」
「そ、そんな……!」
エリシェヴァが絶望の声を上げる。ラマシュトゥが背後にいる今、道が塞がれては袋の鼠だ。
「………。」
ルークが、荒い息の下で、冷静に思考を巡らせていた。
「……それよりも、さっきのラマシュトゥの言葉、君たちも聞いたか?」
ミツキがはっとする。
「『 あの金髪の銅色の瞳の娘が、またどこかへ連れて行ってしまった…』って……」
「……セレスティアだ」
ルークが、荒い息の下で、確信を持って呟いた。
「……きっと僕達よりも先に彼女はこの街に辿り着いたんだろう。そして生贄にされそうな子供達を連れて神殿から抜け出したんだ。」
「……!」
ロクサーナは酷く驚いた。
「待ちなさい。あなた、今……神殿から子供たちを抜け出させたといったわね? あの神殿には智天使ウリエルと、大量の神官兵達がいるのよ!? たった一人で子供達を連れ出すだなんて出来るわけ……」
「……彼女なら、やりかねない」
ミツキが、ルークが語った過去を思い出し、ごくりと唾を飲んだ。
「確か…天使の神罰すら、効かなかったんでしょ……?」
「天使の……神罰が効かない?」
ロクサーナは、ミツキたちの会話が信じられないというように、一行を問い詰めるように見つめた。
「あなたたち、一体、その『セレスティア』という娘の何を知っているの……?」
ルークは、ロクサーナの紫色の瞳を真っ直ぐに見返した。今は情報を共有すべき時だと判断した。
「セレスティアは、僕の幼馴染なんだ。彼女は村を襲った、ゴブリンやオークの群れ…そしてドラゴンですら瞬殺した事から僕の故郷の村で『無敵の聖女』と呼ばれていてね。
……そして、あの日、彼女が魔女として処刑されそうになった日…。神の裁きを無効化し、一方的に天使の一団を虐殺したんだ」
「天使を……虐殺……」
ロクサーナは、セレスティアという少女の力の異常さに絶句した。
ルークは、消耗した体に鞭打って立ち上がった。
「神殿への道は崩落した。だが、セレスティアたちがこの通路を使ったのは間違いない。ロクサーナ、この通路に神殿以外の出口はないのか?」
ルークの切羽詰まった問いに、ロクサーナははっと我に返ると、頷いた。
「……一つだけあるわ。パズズ様の古い聖域は、元々神殿の外……街の東側にある、古い森にも繋がっていたのよ。セレスティアたちが使ったとしたら、そこしかない」
「決まりだ」ルークは剣を杖代わりに、ふらつく体で立ち上がった。
「セレスティアは、子供たちを連れてそこへ逃げた可能性が極めて高い。……僕たちも、その森へ向かう」
「……分かった。なら急ごう。街には神官が沢山いる。彼等よりも先にセレスティアさんたちを見つけ出さなきゃ。」
「決まりね」
ロクサーナはランプを掲げ、ラマシュトゥがうずくまる方向とは別の、暗い分岐路を照らし出した。
「こっちよ。急いで」
一行は、セレスティアという新たな希望と、世界の時を止めた元凶という大きな謎を追って、暗い地下通路の奥深くへと、再び歩みを進めるのだった。




